ビョルン・ワルデガルド

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ビョルン・ワルデガルド
1984年、ワルデガルド(右)とコ・ドライバーのフランツ・ヴルツ(左)
1984年、ワルデガルド(右)とコ・ドライバーのフランツ・ヴルツ(左)
基本情報
国籍 スウェーデンの旗
スウェーデン
生年月日 1943年11月12日
死没日 (2014-08-29) 2014年8月29日(70歳没)
WRCでの経歴
活動時期 1973–1992
所属チーム ランチアメルセデス・ベンツフォードトヨタ
出走回数 95
チャンピオン回数 1 (1979)
優勝回数 16
表彰台回数 35
ステージ勝利数 217
通算獲得ポイント 428
初戦 1973 ラリー・モンテカルロ
初勝利 1975 スウェデッシュ・ラリー
最終勝利 1990 サファリラリー
最終戦 1992 サファリラリー
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ビョルン・ワルデガルドBjörn Waldegård1943年11月12日 - 2014年8月29日[1])はスウェーデンのラリードライバー。1979年世界ラリー選手権 (WRC) の初代ドライバーズチャンピオンを獲得した。

スウェーデンでのニックネームは「Walle」。昔の日本のプレス表記では苗字表記が「ワルデゴールド」等多々発音の違いによる表記があるが、現プレスでの表記上では「ビヨン・ワルデガルド」と表記される。

主な経歴[編集]

ワルデガルドはラリーストとして、実に40年に及び長期に渡り活躍している。1962年にデビュー、1967年、1968年とスウェーデンラリーにおいて優勝した後、1992年、サファリラリーの事故で腕を骨折して引退するまで常にトップレベルで走り続けた。彼がスウェーデン以外で初勝利をあげたのは1969年、ポルシェ・911を駆ったラリー・モンテカルロであり、最後の勝利は1990年トヨタに所属したときのサファリラリーであった。サファリラリーでの勝利は、世界ラリー選手権における最年長勝利となり、その記録は未だ破られていない。

1970年中頃のワルデガルドは個人で改造したポルシェ・カレラRSRでラリークロスのドライバーとして設立されて間もないヨーロッパ選手権に参加していた。ワルデガルドの残した最高リザルトは、フランツ・ヴルツ(F1ドライバー、アレクサンダー・ヴルツの父)が優勝した1974年、ERAヨーロッパラリークロス選手権(現在のFIA ヨーロッパ選手権 ラリークロスドライバーズ)における2位であった。

1970年代、アリタリアをスポンサーとしたランチアチームにおけるスタードライバーとしてワルデガルドとイタリアドライバーの先駆者サンドロ・ムナーリのどちらかが選ばれることが多い。1976年、サンレモラリーにおいて、ワルデガルドとムナーリはトップ争いをしていた。ワルデガルドは最終ステージを走行中のムナーリに対して4秒先行していたが、この「等しい」優勝争いに対して、その4秒を浪費、ムナーリに優勝を譲るようチームオーダーを出された。しかし、ワルデガルドはチームオーダーを無視、ムナーリを追い越し4秒差で優勝した。その確執からワルデガルドはランチアを去り、1976年後半よりフォードチームへ移籍することとなった。

フォード・エスコートRS1800を駆ったワルデガルドは、最も過酷なラリーと呼ばれた1977年の選手権において3勝(サファリラリー、アクロポリス・ラリー、RACラリー)をあげた。

ワルデガルドは1979年の世界ラリー選手権においてフォードチームとメルセデス・ベンツチームで活動、ラリー・コートジボワール においてATトランスミッションである450SLC5.0で最終ラウンドにハンヌ・ミッコラを抜き去ったが、最終成績は2位であった。1980年にこの時の雪辱か同ラリーで500SLCを駆り、優勝している。

1980年はチームを地元プライベーターとワークスを転々としつつフィアット・131・アバルトラリーメルセデス・ベンツ・500 SLCトヨタ・セリカ2000GT等乗り継ぎつつ参戦するに至る。ワークスチームの都合等で人数分揃えられないラリーについてはこうした地元プライベーターに乗り継ぎつつもポイントを重ねる状態は83年まで観られ、グループ4→Aでの戦いに留まりつつも1992年までトヨタで走り続けた。

引退後[編集]

コリン・マクレー追悼ラリーでポルシェ・911を駆るワルデガルド

2008年9月、スコットランドにおけるラリーの優勝者がパースに集ったコリン・マクレー追悼ラリー(Colin McRae Forest Stages Rally)に参加した。2007年死去したマクレーの追悼イベントには世界チャンピオンも参加していたが、ワルデガルドもその一人であり、この追悼イベントにおいてポルシェ911で参加した。

2010年、ワルデガルドは、同郷のスウェーデン人ラリースト、パー・ガンナー・アンダーソンの来期のワークスシート獲得を支援しており、近年は若手育成にも一躍買って出ている[2]。またヒストリックイベントとして開催されるイーストアフリカン・サファリ・クラシックには毎戦のようにスタートしており、68歳で出場した2011年にはポルシェ911で優勝を飾っている[3]

2012年に来日し、新城ラリーでグループBのセリカ・ツインカムターボの豪快なデモ走行を披露した。また2013年にも新城ラリー、さらに『トヨタ GAZOO Racing フェスティバル(TGRF)2013』でも同様にデモ走行を行った[4]

2014年8月29日の朝、スウェーデンの病院で肝臓ガンのため70歳で急逝。

国外選手権での成績[編集]

ビョルン・ワルデガルドの成績(国外選手権)
1968年 第19回スウェディッシュ・ラリー ポルシェ・911S
1969年 第38回モンテカルロ・ラリー ポルシェ・911S
1969年 第20回スウェディッシュ・ラリー ポルシェ・911S
1970年 第39回モンテカルロ・ラリー ポルシェ・911S
1970年 第21回スウェディッシュ・ラリー ポルシェ・911S
1970年 第41回オーストリア・アルパイン・ラリー ポルシェ・911S

世界ラリー選手権での優勝[編集]

 #  イベント名 シーズン コ・ドライバー 搭乗車
1 スウェーデンの旗 第25回スウェディッシュ・ラリー 1975 ハンス・ソルセリウス ランチア・ストラトス HF
2 イタリアの旗 第17回ラリー・サンレモ 1975 ハンス・ソルセリウス ランチア・ストラトス HF
3 イタリアの旗 第18回ラリー・サンレモ 1976 ハンス・ソルセリウス ランチア・ストラトスHF
4 ケニアの旗 第25回サファリラリー 1977 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800
5 ギリシャの旗 第24回アクロポリス・ラリー 1977 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコートRS1800
6 イギリスの旗 第26回ランバードRACラリー 1977 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800
7 スウェーデンの旗 第28回スウェデッシュ・ラリー 1978 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800
8 ギリシャの旗 第26回アクロポリス・ラリー 1979 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800
9 カナダの旗 第7回ケベック・ラリー 1979 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800
10 コートジボワールの旗 第12回ラリー・コートジボワール 1980 ハンス・ソルセリウス メルセデス・ベンツ・500 SLC
11 ニュージーランドの旗 第12回ラリー・ニュージーランド 1982 ハンス・ソルセリウス トヨタ・セリカ 2000GT
12 コートジボワールの旗 第15回ラリー・コートジボワール 1983 ハンス・ソルセリウス トヨタ・セリカ TCT
13 ケニアの旗 第32回マールボロサファリラリー 1984 ハンス・ソルセリウス トヨタ・セリカTCT
14 ケニアの旗 第34回マールボロサファリラリーケニア 1986 フレッド・ギャラガー トヨタ・セリカ TCT
15 コートジボワールの旗 第18回ラリー・コートジボワール 1986 フレッド・ギャラガー トヨタ・セリカ TCT
16 ケニアの旗 第38回マールボロサファリラリーケニア 1990 フレッド・ギャラガー トヨタ・セリカ GT-FOUR

脚注[編集]

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  1. ^ 初代WRCチャンピオン、ワルデガルド逝く ラリー専門ウェブサイト 2014年8月28日閲覧
  2. ^ ワルデガルドがアンダーソンのワークスシート獲得を支援 -2010年03月25日 Livedoorラリーニュース ニュースリリース
  3. ^ ラリーX
  4. ^ ラリープラス

関連項目[編集]

外部リンク[編集]