オートレース
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オートレースとは、日本におけるモータースポーツの1つで、プロのオートレース選手達が競走車(排気量600cc(新人選手は500cc)の二輪車。過去には四輪車もあった)によって行う公営競技である。
目次
主催者など[編集]
監督省庁は競輪と同じく経済産業省(製造産業局)。小型自動車競走法に基づいて公益財団法人JKAが運営し、指定自治体がパリミュチュエル方式により勝車投票券(車券)を販売する。
2019年度現在は川口市、伊勢崎市、浜松市、山陽小野田市、飯塚市の5市が主催している。
オートレース場について[編集]
競走[編集]
オートレースの競走(レース)は通常1日12レース行われる。1競走の出走数は通常8車で、1周500メートルのオーバルコース(コーナー曲率半径52m、直線約87m、幅員30m、バンク角全周3度)を規定の周回数走行することで行われる。スタートラインはゴールラインの100m後方に存在し、走行距離が100mプラスされる。一般レースは6周回 (3100m)、GI・GIIは優勝戦が8周回 (4100m)。SGは準決勝戦が8周回、優勝戦が10周回 (5100m) で行われる。
選手間に技量差があるためレースの大半がハンデレースで行われる。近況の着順やタイムを参考に番組編成委員によって距離によるハンデが選手へ与えられる。スタートラインを0線(通称ゼロせんまたはゼロハン)と呼び、以下10m毎に最大110mまでのハンデが選手へ課せられる。このため、ハンデレースは有力選手による後方からの追い上げ、比較的軽いハンデ位置からの逃げ切り、2つのレース展開が同時進行する。
選手の技量差が僅差のレース(主にグレードレース)は、0mまたは10m線から8車横一列でスタートするオープンレースで行われる。オープンレースは主にスタート力に優れた選手が逃げ切る展開が多い。SG「日本選手権オートレース」は、全レースがオープンレースで行われる。
開催は3日、4日、5日間の連続開催、勝ち上がり方式で行われレースは一般戦、予選、準々決勝戦[注 1]、準決勝戦[注 2]、優勝戦で構成される。
グレード開催の種類[編集]
他の公営競技同様グレード制の競走体系をとっており、年5回行われるスーパーグレード (SG) はその頂点にある。その他、GI・GIIと呼ばれるグレードレースが存在する。詳しくはオートレースの競走一覧を参照。
レースまでの流れ[編集]
試走[編集]
選手が枠番順に隊列を組んでコースを3周する。最後の1周は係員の青旗の合図で全力走行が義務付けられている。 これにより競走車の調子等を観客へ見せるのが試走の目的である。主催者が全力で走行していないと判断した場合は、当該選手のみ再試走を指示される。 また、選手の自己申告により再試走する事もある。試走後は主催者より試走タイムが提示されるが、再試走を行った選手の試走タイムには「再試走」と表示される。理由の如何に関わらず、再試走した場合は1回目より速いタイムを出さないと欠車となる。
レース[編集]
各選手が所定のスタートラインに前輪を合わせる。ゲートなど車体を固定する機器は使われず、係員が前輪位置を確認する。スタート位置はハンデ40m線までは外線から10mの点を中心に2m間隔で各競走車を車番昇順に内側から配置し、ハンデ50m線以上は車番最老番車を外線から2mの位置に置き、以降2m間隔で車番降順に内側へ配置する。発走10秒前より、走路外右側に設置された発走合図機(大時計)の緑色合図灯が1つずつ消灯、5秒前から針が回転。針が0秒を指した時点でスタートとなり、全選手が正立位置から一斉にスタートする。万一、大時計やフライング監視の為のセンサーなどスタート制御のシステムに不具合が発生した場合、係員による黄色と白色の手旗発走で代替される。
スタート後は規定周回数走行し、ゴールとなる(周回数は上記参照)。
主な規定は以下の通り。
- スタート時にフライングした場合は再発走となる。フライング発生時には、大時計の赤ランプが点滅してフライングであることが観客にも伝えられる。予選・準決勝戦の場合、当該選手は優勝戦へ出走できない(失権)。再発走で同じ選手が再びフライングした場合は出走停止(当該選手に関する車券は返還)となる。また3回目のフライングを含む不適正発走発生時には、全車ピットに戻されて車体検査が行われて、4回目の不適切発走発生時には、レース不成立になる。
- 追い抜く際は原則として外側から追い抜く。ただし十分なスペースがある場合のみ、内側からの追い抜きが可能。
- 良走路で3着以内に到達したとき、レース本番の上がりタイムが試走タイムよりも短くなった場合は、「タイムアップ」として「参加解除(即日帰郷)」および「次節休場」の処分となる。
- 周回誤認した場合「参加解除(即日帰郷)」および「次節休場」と「次々節休場」の処分となる。
落車転倒などで競走車・部品がコースに残留した場合や、競走車のギアボックス等の破損でコース上にオイル類が散ってしまった場合は、安全性や公平性の観点から即座にレースが中止(赤旗)となり競走不成立となる。不成立となった競走の車券は、全額返還される。最終周回でこのような事態が起き、残った選手がゴール線を通過しても赤旗が振られることがあり、その場合も返還となる。
競輪との統合等について[編集]
オートレースはこれまで日本小型自動車振興会が運営してきたが、2005年(平成17年)の閣議決定「行政改革の重要方針[1]」、及び、2007年(平成19年)6月13日に公布された「自転車競技法及び小型自動車競走法の一部を改正する法律」に基づき、2008年(平成20年)4月1日を以って解散し、同日を以ってオートレースに関する業務は財団法人JKAへと承継された[2]。
この財団法人JKAは、日本自転車振興会が日本小型自動車振興会を統合し、新たにオートレース事業を開始するにあたって名称を変更したもので、競輪とオートレースは同一の法人によって運営されることとなった。また、これに併せて各地の「自転車競技会」及び「小型自動車競走会」も、それぞれ2008年4月30日までに公益法人に移行した。
場外車券売場[編集]
オートレースは1999年に初めて場外施設が開設されたものの2003年に廃止となる。その後統括団体がJKAとして統合されると、2012年から競輪の場外車券売場にオートレースの場外施設を併設するようになり、2017年1月現在は全て競輪場外車券売場と併設されている。
控除率の引き上げ[編集]
オートレースの控除率は競輪、競艇と同率の25%だったが、第180回通常国会において、小型自動車競走法が改正され、2012年4月1日から施行されたことに伴い、以下のオートレース場では控除率が25%から5%引き上げられ30%となる=払戻率は75%から5%引き下げられ70%になった。
この控除率の5%引き上げ(払戻率の5%引き下げ)は、払戻金が5%下がるのではなく、100票中10票的中の場合、払戻金は750円から700円に下がることを意味する(この場合、払戻金は6.66%下がる)。
- 2012年6月9日の開催より、川口オートレース場[3]、飯塚オートレース場[4]、伊勢崎オートレース場[5]。
- 2012年6月13日の開催より、船橋オートレース場[6]。
- 2012年6月27日の開催より、浜松オートレース場[7]
- 2012年7月18日の開催より、山陽オートレース場[8]
歴史[編集]
- 1949年(昭和24年)8月10日 - 日本小型自動車競走会発足
- 1950年(昭和25年)5月27日 - 小型自動車競走法公布、施行
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 統括団体として社団法人全国小型自動車競走会連合会設立
- 1950年(昭和25年)10月29日 - 船橋競馬場内の専用ダートコースにて船橋オート初開催
- 1950年(昭和25年)11月16日 - 距離ハンデレース採用
- 1951年(昭和26年)11月20日 - 柳井オートレース場開設
- 1952年(昭和27年)2月1日 - 川口オートレース場開設
- 1954年(昭和29年)1月13日 - 田代勝弘・大村美樹雄がブラジルに遠征(田代は負傷欠場・大村はR125で完走)
- 1954年(昭和29年)11月27日 - 大井オートレース場開設(全国初の舗装走路)
- 1956年(昭和31年)5月1日 - 浜松オートレース場開設
- 1957年(昭和32年)2月22日 - 飯塚オートレース場開設
- 1957年(昭和32年)10月6日 - 柳井オートレース場最終開催(休止の後に閉鎖)
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 統括団体を特殊法人日本小型自動車振興会に改組
- 1963年(昭和38年)1月6日 - 平野秀幸(四輪)・萩巣淳一がオーストラリアに遠征
- 1964年(昭和39年)1月3日 - 岡本七重(女子)がオーストラリアに遠征
- 1965年(昭和40年)4月 - 山陽オートレース場開設(柳井オートレース場より移転)
- 1968年(昭和43年)1月 - 全レース場舗装走路化完了
- 1973年(昭和48年)3月22日 - 大井オートレース場閉鎖
- 1973年(昭和48年)5月30日 - 四輪車レース廃止
- 1976年(昭和51年)10月9日 - 伊勢崎オートレース場開設(大井オートレース場より移転)
- 1979年(昭和54年)1月 - 篠崎勝則・飯塚将光・田中雅文がオーストラリアに遠征
- 1989年(平成元年)6月2日 - 伊勢崎オートレース場においてナイター競走開始
- 1989年(平成元年)4月1日 - 発走合図システム装置全国で一斉稼動
- 1991年(平成3年)9月1日 - 電話投票導入
- 1993年(平成5年)10月8日 - 新エンジン『セア』一斉乗り替り
- 1997年(平成9年)9月15日 - CS中継開始
- 1998年(平成10年)4月11日 - 8車8枠制導入
- 1999年(平成11年)12月8日 - 場外車券売場アレッグ越後開場
- 2000年(平成12年)4月1日 - セア改良型一斉乗り替え
- 2002年(平成14年)2月3日 - 山陽オートレース場にて新賭式車券(三連単・三連複・ワイド)導入[9]
- 2003年(平成15年)3月31日 - 場外車券売場アレッグ越後廃止
- 2003年(平成15年)6月28日 - iモード・インターネット投票の正式稼働
- 2004年(平成16年)4月1日 - 改良タイヤ「KR73S」導入
- 2005年(平成17年)8月2日 - 競走成績によるランク制(S級・A級・B級)を全国ランク制へ移行
- 2005年(平成17年)8月20日 - 飯塚オートレース場にて初のナイター競走開催
- 2006年(平成18年)4月1日 - 船橋オートレース場、浜松オートレース場の民間委託開始
- 2007年(平成19年)2月1日 - 山陽オートレース場の民間委託開始
- 2008年(平成20年)4月1日 - 財団法人JKA発足(日本小型自動車振興会解散)
- 2009年(平成21年)4月 - 競走車用消音機(新型マフラー)導入
- 2012年(平成24年)4月13日 - 重勝式車券『モトロト』導入。オッズパークにて発売開始
- 2012年(平成24年)6月 - 3月の小型自動車競走法改正を受け、車券の控除率を30%へ順次変更
- 2014年(平成26年)4月25日 - 重勝式車券(モトロトBIG)で、払い戻し上限額である6億円の配当が出る
- 2015年(平成27年)9月5日 - 川口オートレース場にて初のナイター競走開催。ナイター専用新型マフラー導入
- 2015年(平成27年)11月16日 - 飯塚オートレース場にて初のミッドナイトオートレースを開催。先に川口で導入したナイター専用マフラーを使用
- 2016年(平成28年)3月21日 - 船橋オートレース場最終開催(3月30日閉鎖)
- 2016年(平成28年)12月14日 - 重勝式車券『当たるんです』導入。公式ホームページにて発売開始
- 2019年(平成31年)2月17日 - 山陽オートレース場にて飯塚オートレース場に続いて2場目となるミッドナイトオートレースを試行開催[注 3]
- 2019年(令和元年)8月23日 - 山陽オートレース場にてミッドナイトオートレースを正式開催
近況[編集]
25期には元SMAPの森且行、29期にはMotoGP125ccクラスの元世界チャンピオン青木治親らが活躍している。2011年には全日本ロードレース選手権GP250元チャンピオンの青山周平に加え、44年ぶりに女子選手2名が誕生した[注 4]。
2011年4月からハンデ戦の枠順方式を軽ハンデの選手から順に内枠に入り重ハンデの選手が外枠に入るように改められた[11]。
しかし、レジャーの多様化等公営競技全体の売り上げが低迷する中、オートレースも例外ではなく開催日削減、選手の賞金削減、競走会統合による組織のスリム化、一部業務の外部委託等ここ数年間で合理化が進められた。[要出典]
過去年間最高賞金記録は、2004年の高橋貢(伊勢崎オートレース場所属)による148,124,255円。ただ、同じ公営競技ながら既に2億円プレイヤーが誕生している中央競馬、競輪、競艇と比べると低い。[独自研究?]その理由は、オートレース場自体の数が少なく開催日も少ないことが要因の一つとされる。[要出典]
2015年9月4日、谷口武彦(浜松)が浜松オートの第4Rで1着(当時73歳280日)。自身が持つ公営競技における最年長勝利記録を更新した[12]。
各種記録[編集]
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- 最年長優勝記録 - 2019年10月30日に長谷川啓が更新した、68歳6ヶ月10日[13]。
- 最年長勝利記録 - 2015年9月4日に谷口武彦が更新した、73歳9ヶ月7日[12][注 5]。
- 3連単の最高配当 - 2006年5月22日に伊勢崎12Rで更新された1572万1720円[14]。
放送での中継[編集]
- 2019年現在、放送媒体は、一部のケーブルテレビ局とスカパー!プレミアムサービス「ベターライフチャンネル」(ch529)、「セレクトショッピング Ch.528」(ch528)において実況中継を行っている[15]。
- また地上波では群馬テレビが伊勢崎オート場のレース実況を主にナイター競走分で随時、テレビ埼玉では「BACHプラザ」内にて川口オートレースのレース結果、展望を開催前日から毎日放送している。
- 特別競走(SG・プレミアムカップ)、川口オートレース場でのG1以上のグレードレースでは、BS11、テレビ埼玉による優勝戦の放送が行われることがある。
- オートレースオフィシャルサイト「ネットスタジアム」、ライブ配信サイトニコニコ生放送「オートレースオフィシャルチャンネル」、公営競技総合サービスサイトオッズパーク「オッズパークオートレース」、YouTube「オートレースYouTubeチャンネル」[16]、スマートフォンアプリ「Auto Race LIVE」[17]にて全レースインターネット生中継&オンデマンド配信されている。過去には、Ustreamでも配信されていたが、2016年3月31日で配信サービス終了[18]。
- 2015年2月18日の山陽オートレースの中継より、ハイビジョン放送が開始された[19]。
イメージキャラクター[編集]
選手で元SMAPメンバーの森且行[注 6](25期、川口オートレース場所属)がテレビCMやポスターに登場している。過去のイメージキャラクターは吉田真里子・小倉優子・菊川怜・藤岡弘・赤井英和・吉田拓郎・岡本夏生である。
また、オートレース場独自のイメージキャラクター(ガール)やマスコットキャラクター等が存在している。
川口オートレース場では、2006年4月から2008年3月までGacktが務め、Gacktは同場のファンファーレの作曲を手掛けた。2016年からは菜乃花が務めている。
伊勢崎オートレース場では、2004年10月に同場のマスコットキャラクターとして「キラット」が誕生[20]。2019年6月15日、「ISESAKI AUTO グリッドガールズ G★Smil」がお披露目され活動開始した[21][22]。過去に、2017年6月4日から2019年2月24日まで「ISESAKI AUTO グリッドガールズ キラッツ★」が活動していた[23]。
浜松オートレース場では、2004年11月にイメージガール「浜松オートレースヴィーナス」がデビュー、初代は浅木美帆[注 7][注 8]。現在は、2016年4月より6代目としてASAHI(神田あさひ)が務めている[24]。また、「ブンブンボーイ」がイメージキャラクターになっている。
山陽オートレース場では、過去に2008年6月から2010年3月まで同場のイメージガールを森唯が務めていたのみで[25] [注 9]、以降イメージキャラクターを設けていない。
飯塚オートレース場では、同場マスコットキャラクター「イービー」と同場ミッドナイトオートレースマスコットキャラクター「ヤオビー」がいる。2008年5月にイメージガール「勝利の女神」がデビュー、初代はMAMI[27][注 10]。その後、2代目としてKYOKO[注 11]、3代目としてAKI[注 12][注 13]が務めていたが、3代目を最後に現在設けていない。
平尾昌晃とオートレースとの関係[編集]
公式イメージキャラクターの経験こそないが、歌手で作曲家だった平尾昌晃はオートレース界に多大なる貢献を果たした[29]。
1961年(昭和36年)、平尾は、俳優で歌手だった山田真二から、「平尾ちゃんこれから空いてる。面白い所行かない」、と誘われ、当時存在した、大井オートレース場に連れていかれた。すると、「エレキギターの音やスピード感のあるロックのリズムに似ている。若い頃からスピード好きだったが一瞬でとりこになってしまった。」という。これをきっかけに、平尾はオートレースに嵌るようになり、その後、平尾はオートレースファンの有識者代表として、日本小型自動車振興会の幹部とも度々会い、そこで、「選手が入場しているのに、音楽がないと寂しくないですか。競馬でも入場してくる時のテーマ曲やファンファーレがあるじゃないですか」と進言し、後に、自らオートレースのファンファーレの作曲を手掛けるようになった。加えて平尾は、川口オートレース場のイメージソングである、「ぶっちぎりの青春」の作曲も手掛けた。
一方、日本小型自動車振興会(現在はJKA)は、平尾に表彰選手の選考委員やオートレース活性化の提言専門委員会の委員を歴任してもらうなど、長年に亘って平尾との関係を築いた[30]。
2018年12月、2017年7月に逝去した平尾の長年に渡るオートレース界への貢献を讃え「スーパースターフェスタ2018」(12/27~12/31)内で開催される「スーパースターシリーズ戦」を「スーパースターシリーズ戦 平尾昌晃杯」と称して実施された[31][32] 。
脚注・出典[編集]
注釈[編集]
- ^ 4日、5日間開催の時に行われる。
- ^ 2014年度から2018年度まで3日間開催の開催2日目、主に5Rから12Rで「準決勝戦8バトル」と称し準決勝戦が行われていた。
- ^ 2月17日~2月19日、2月22日~2月25日の2開催
- ^ このうちの1人である坂井宏朱はデビュー半年後の2012年1月に練習中の落車事故で殉職した[10]。
- ^ この記録は、公営競技全体の最年長勝利記録でもある。
- ^ オートレースの実況等ではジャニーズ事務所、及び本人の意向もあり『元SMAP』というフレーズは使われていない
- ^ 2007年3月まで
- ^ その後、2代目(2007年4月~2011年2月まで)を金子しおり(詩織)、3代目(2011年4月~2013年3月まで)をKANA(桜田加菜)、4代目(2013年5月~2015年3月まで)をARISA(藤川ありさ)、5代目(2015年4月~?)をSAORI(野中沙織)が務めた
- ^ 愛称は「山陽エンジェルYUI」[26]
- ^ 2011年3月まで
- ^ 2011年7月~2013年3月まで
- ^ 2013年4月~2018年3月まで
- ^ 「勝利の女神」卒業後、オートレース中継のレポーター・アシスタントに転身[28]
出典[編集]
- ^ 自由民主党 行政改革推進本部 (PDF)
- ^ [1][リンク切れ]
- ^ お客様へのお知らせ川口オートレース場HP 2012年5月9日
- ^ お知らせ飯塚オートレース場HP 2012年5月9日
- ^ 払戻率変更について(お知らせ)伊勢崎オートレース場HP 2012年5月15日
- ^ 的中車券に対する払戻率の変更について(お知らせ)船橋オートレース場HP 2012年5月28日
- ^ 「小型自動車競走法」一部改正に伴う払戻率変更のお知らせ 浜松オートレース場HP 2012年5月31日
- ^ 控除率の変更について 山陽オートレース場HP 2012年6月15日
- ^ 山陽レース場で新投票方式を導入します - オートレースオフィシャルWEBサイト、2001.10.02
- ^ 女子オートレーサーの坂井宏朱さん激突死…練習中に落車 - スポーツニッポン 2012年1月16日
- ^ 番組編成方法の改正について (PDF)
- ^ a b “谷口武彦選手(第4期・浜松)が自ら持つ公営競技の最年長勝利記録を更新しました。”. オートレース オフィシャルサイト (2015年9月4日). 2019年11月23日閲覧。
- ^ 長谷川啓選手(川口・12期)が最年長優勝記録更新を更新しました! - AutoRace Official Website
- ^ 配当 ランキング - ネットスタジアム(オートレースオフィシャル)
- ^ スカパー!プレミアムサービスでのオートレース実況中継は、平成26年6月1日から528ch及び529chで放送します。オートレースオフィシャルサイト インフォメーション
- ^ YouTubeライブでオートレースLIVE配信がスタート!PC・スマホやネット接続のTVで楽しもう!オートレースオフィシャルサイト
- ^ Auto Race LIVE アプリ オートレースオフィシャルサイト
- ^ ライブ中継 USTREAMサービスの終了について Auto Race公式 インフォメーション
- ^ 平成27年2月18日からオートレース「スカパー!CS中継」がハイビジョン放送になります。 Auto Race公式 インフォメーション
- ^ “キラットの部屋”. 伊勢崎オートレース オフィシャルサイト. 2019年2月20日閲覧。
- ^ “ISESAKI AUTO グリッドガールズ G★Smil”. インフォワールド 公営競技情報. 2019年6月16日閲覧。
- ^ “伊勢崎オートレース新生★グリッドガールズ”. Twitter (2019年6月15日). 2019年6月16日閲覧。
- ^ “ISESAKI AUTO グリッドガールズ キラッツ”. インフォワールド 公営競技情報. 2019年2月20日閲覧。
- ^ “浜松オートレースヴィーナス「ASAHI」のページ”. 浜松オート オフィシャルサイト. 2019年2月20日閲覧。
- ^ “山陽オートのイメージガールに森 唯さん”. 宇部日報 (2008年6月11日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ “山陽オートイメージガールYUI 愛称決定!”. オートレースオフィシャル インフォメーション (2008年6月12日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ “飯塚オート「勝利の女神」デビュー!”. オートレースオフィシャル インフォメーション (2008年5月12日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ “飯塚オート勝利の女神AKI☆卒業”. アメーバブログ AKIオフィシャルブログ (2018年3月22日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(22)オートレース全6場のファンファーレも製作 2017年3月8日14時0分 スポーツ報知
- ^ 平尾昌晃氏のご逝去に際し哀悼の意を表します 2017/07/23情報
- ^ “スーパースターフェスタを「平尾昌晃杯」として開催”. 日刊スポーツ (2018年12月19日). 2019年8月28日閲覧。
- ^ “【オート】川口で27日からスーパースター王座決定戦 31日は畑中葉子がライブ”. デイリースポーツ (2018年12月19日). 2019年8月28日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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