藤岡弘、

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ふじおか ひろし
藤岡 弘、
本名 ふじおか くにひろ
藤岡 邦弘
別名義 藤岡 弘(旧芸名)
生年月日 1946年2月19日(69歳)
出生地 日本の旗 日本愛媛県上浮穴郡久万高原町
身長 180cm
血液型 O型
職業 俳優、国際武道家、声優
歌手ナレーター
ジャンル 映画テレビドラマCM
活動期間 1965年 -
活動内容 1965年:俳優デビュー
1971年:『仮面ライダー
1984年:日本人初のSAG入会
2002年:『藤岡弘、探検隊』
配偶者 鳥居恵子1987年 - 1990年
一般人女性 (2001年 - )
事務所 SANKIワールドワイド
公式サイト 公式ウェブサイト
主な作品

映画
野獣狩り』『日本沈没
エスパイ』『東京湾炎上
大空のサムライ』『SFソードキル


テレビドラマ
仮面ライダー』『白い牙
特捜最前線』『汽笛が響く!
草燃える』『あすか
備考
『グローバルレインボーシップ』理事
全米映画俳優組合』会員

藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年2月19日 - )は、日本の剣豪・俳優タレント・国際武道家。本名:藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)[1]、旧芸名:藤岡 弘(最後の読点「、」がない)。

概要[編集]

1971年(昭和46年)に主演した特撮テレビドラマ仮面ライダー』で一躍人気俳優となる。また、日本人として初めて全米映画俳優組合SAG、現・SAG-AFTRA)のメンバーとなった事でも知られる。2002年(平成14年)川口浩の後任として『藤岡弘、探検シリーズ』が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている[2]

愛媛県上浮穴郡久万町(現:久万高原町)出身。松山聖陵高等学校卒業。個人事務所である株式会社SANKIワールドワイド[3]所属。身長180cm、体重79kg(『仮面ライダー』出演当時は約67kg)、血液型はO型。

略歴[編集]

1946年2月19日、警察官で全国的にも知られた柔道家、家伝の流派の古武道、「藤岡流」を継承する武道家でもあった父と、茶道華道の師範だった母との間に生まれる。当時の生家は駐在所で、近所には四国八十八箇所霊場の第四十四番札所である菅生山 大覚院 大寶寺があり、母はよくお遍路さんに「お接待」を施してもてなしていたのが印象的だったとしている。生まれたばかりの頃は病弱で、肺炎を患った時には「もうダメだろう」と医師から告げられる中、「遺影に…」と写真が撮影された程だった。この時は母の献身的な看病で一命を取り留めるが、小学校に上がってからも、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な線の細い子供だった。6歳の頃から病弱を心配した父から武道の手ほどきを受け、肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服する。少年時代から滝行も経験している [4]

  • 小学校時代は、父の仕事の都合で転校が多く、よくいじめの対象にされた。そんなある日、我慢できなくなって相手に反撃し、重傷を負わせる。すぐさま母の知るところとなり、帰宅するなり仏壇の前に連れて行かれ、凄まじい形相で「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、私があなたの命をいただきます。そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか? 」と、母子心中も辞さない覚悟を示され、反省を促された。弁解しようとすると「ならぬものはなりません! 先祖の血を汚してはいけません、ちゃんと先祖に謝りなさい! 」と、一切の反論を認めなかった。その迫力に、武道の怖さとともに母の本気を知り、猛省したという。また、父との思い出としては、家の道場の掃除を言いつけられ、窓の桟や畳の縁など「手抜き」をして掃除をさぼると、父はそれを見抜き、その場所を指でなぞるとそれを舐め「馬鹿者! お前は自分の心を掃除しているということを忘れたのか! 掃除というのは己の心を掃除することなのだ。心を清らかに、掃除をしたところを舐めてもいいくらいの掃除をお前はしてるのか」と、よく怒鳴られたと述べている[4]。また「一子相伝」とされる家伝の古武道について、「人に見せるな、教えるな、商いにするな」と、特に厳しく申し渡されていたという[5]

1957年、小学校6年の時に父が突如失踪。その日から家族の暮らしは貧しさを極め、3度の食事にも事欠き、学校に給食費すら納められない状況に陥る。藤岡はこの頃からアルバイトで生活を支える一方、惨めな生活を誰にも相談できず、後年まで父を許すことができなかったと語っている。

1961年、松山聖陵高等学校に入学。柔道部に在籍して主将を務めた。長身でその容姿・容貌が一際目立つこともあり、よく不良にからまれた。ある日、「5人以上はいた」という不良にからまれ、相手の攻撃はすべて見切った上で、かわしたり間合いを外したりしていたが、止まらないために堪忍袋の緒が切れて、集団に1人で反撃する(逃げた者もいたが、すべて撃退した)。ただ、武道を通じて我慢することや耐えることが日常だったため「堪忍袋の緒は(人より)長いですよ。物凄く我慢強いですよ」と語っている[6]

1964年劇団NLT俳優教室に入所。1965年には松竹映画ニューフェイスとして入社。香山美子都はるみの主演映画『アンコ椿は恋の花』(監督:桜井秀雄)でデビュー。同年、『若いしぶき』(監督:八木美津雄 )で初主演。

1970年、アクションドラマ『ゴールドアイ』(日本テレビ系・東映制作)第12話「密売大組織」(5月1日放送分)より、「藤弘」役としてレギュラー出演。のちに『仮面ライダー』で共演する千葉治郎も同じ回からレギュラー入りしている。

そして1971年、特撮TVドラマ『仮面ライダー』(毎日放送 - NET系・東映制作)に、主人公・本郷猛 / 仮面ライダー1号役で出演。これがきっかけで一般に広く知られるようになり、一躍人気スター俳優となる。この年、五社協定も事実上の崩壊となり、出演決定を契機に松竹との専属契約を正式に打ち切る。

1972年NHKドラマ『赤ひげ』のオーディションを受けて合格したが、『仮面ライダー』の制作元である東映毎日放送には無断でのことだったため、トラブルが発生。『赤ひげ』への出演は見送られることになった。藤岡は一時失踪。このことは『仮面ライダー』の第66 - 68話と劇場版『仮面ライダー対じごく大使』の制作に影響を及ぼしている(詳細は『藤岡弘の失踪と制作中断』を参照)。

1973年12月29日公開の東宝映画日本沈没』(監督森谷司郎)に主演。1974年邦画部門興行収入第1位の大ヒットとなる。

1974年NHK大河ドラマ勝海舟』の坂本龍馬役に抜擢。大河ドラマではこの作品を含め6作品に出演している。

1977年4月6日からテレビ朝日系でスタートした東映制作の刑事ドラマ特捜最前線』に桜井哲男(哲夫)警部役でレギュラー出演。途中、他作品への参加のため、一時降板しているが、その後復帰。10年間に及ぶ人気長寿番組となった今作品の中で、二谷英明[注釈 1][7]本郷功次郎らと共に「番組の顔」的存在として中枢を支えた。

1984年アメリカ映画SFソードキル』(監督:J・ラリー・キャロル)で主演。日本人として初めて全米映画俳優組合へ加入する。1986年には東京国際ファンタスティック映画祭でヒーロー賞を受賞。

1987年、『白い牙』で共演した女優鳥居恵子と結婚したが、3年3ヵ月後に離婚。

これと前後して、本人いわく「最も信頼していた者達の裏切り」に遭い、多額の負債を抱える。また、同時期に健康を害した[注釈 2][5]ことでしばらく芸能活動を休止し、一時活動が停滞する事態となった。

1992年統一教会の信者であると報じられたが、関与はないと語った。この件については「俳優以外の活動」を参照。

1997年、家庭用ゲーム機「セガサターン」のテレビCMでイメージ・キャラクター「せがた三四郎」に起用され、CMコピー「セガサターン、シロ!」とともに大人気となる[注釈 3]。11月から1年間オンエアーされたこのCMを契機に本格的に芸能活動を再開。『仮面ライダー』のリバイバルブームも追い風となり、藤岡自身の再評価・本格復帰にもつながった。このセガサターンのCMと翌年のオートレースのCMが、ともにCM大賞を受賞している。

1999年、10月からNHK連続テレビ小説あすか』に竹内結子演じるヒロインの父親役で出演。11月には「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」に招かれている。

2001年11月、24歳年下の女性と再婚。同年12月には長女が誕生している。

2002年、川口浩の後任として、藤岡が2代目隊長に起用された『藤岡弘、探検隊シリーズ』が開始。

2007年8月23日、知人から融資実態がないにもかかわらず、2億円の抵当権を設定され、民事訴訟を起こされる。最高裁の決定により藤岡への4億5000万円の支払い命令が確定する[注釈 4][8]

2014年1月23日、33年ぶりに「徹子の部屋」にゲスト出演[9]。この中で敬愛する母が2013年の春に103歳で他界した事を報告した。下積み時代には自分の着物を質草にし、ハリウッド進出の際には既に高齢だったにも関わらず自ら現地に足を運ぶなど、明治生まれの気丈さで藤岡をまさに物心両面で支え続けた。亡くなる直前まで意識が鮮明で「子供のことを考えて生きるように」と藤岡を諭したあと、眠るように息を引き取ったという[10]

同年5月13日、自ら企画したフジテレビ系のドキュメンタリー番組『海を越えた侍たち〜藤岡弘、がブラジルで見つけた日本人の心〜』[11]の取材・収録のため訪中、過去5回の訪伯でのボランティア支援で日本とブラジルの国際交流に貢献したことや、日系人社会を正しく伝えるための番組作りなどが評価され、ブラジル連邦議会より「感謝表彰」、名誉下院議員より「大十字勲章」が授与された[12]

人物[編集]

  • 自宅地下には自身の主宰する「藤岡道場」を開設しており、現在、門下生は約20名である[13]
  • 大好物自然薯で、特に掘りたてを水で洗い、そのまま食べるのを好んでいる。他には煮物やホヤの酢の物など和食全般、栗、ようかんなどの甘い物も好物。嫌いなものはホワイトアスパラガスで、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王選手権」で明らかになった
  • 所持している資格について
  • 少年時代、蛇が蛙を飲み込む姿を見て以来、蛇がトラウマになっているという[2]。そのためか、事務所の裏には「マムシ注意」と書かれた看板があるという(『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で紹介されている)。
  • コーヒーを愛飲しており、1日に5、6杯は飲むという。自ら汲みにいくほどのお気に入りの富士山系の自然水を沸かして「ありがとう」「おいしくなれ」と呟きながら、時間をかけて1滴ずつゆっくりドリップし、抹茶のように茶せんでかき回して十分に空気を含ませてから嗜むという独自の手法が、TVで紹介される[14]。自身のホームページではオーガニックの珈琲や直筆のコーヒーカップなどの販売も行っている。
  • 酒も嗜んでいたが、2013年8月4日に行われた平山亨の「お別れ会」に参列した際、同席した堀田眞三に「期するところがあって酒を辞めました」と明かしたことが伝えられている[15]
  • 英会話を得意としており、アメリカ映画への出演を通じて知り合った映画監督のジェームス・キャメロンとは「キャメロン」「サムライ」と呼び合うほど、親交が深い[16]2009年5月に出版された『藤岡弘、の武士道入門』(並木書房)は、著者の小峯隆生が、ある日、旧知の仲で来日中だったキャメロンと浅草で蕎麦を食べている際に、キャメロンから「明日サムライに会いに行くんだ」と、藤岡を紹介されたことがきっかけで小峯が藤岡に「弟子入り」し出版に至った書籍である。またこの中で藤岡は元アメリカ陸軍大尉で軍事評論家の飯柴智亮と対談を行っているが、その際に飯柴からアフガニスタンの戦場で実際に使用した護身用ナイフを譲られている。
  • こうした藤岡のこだわりや暮らしぶりに関して2013年7月3日放送のバラエティ番組『ドラゴンレイディSP[注釈 5][17]』(フジテレビ)では「自称、現代の侍と豪語する藤岡弘、」と紹介、「藤岡がコーヒー1杯を入れるのに30分、車移動込みだと合計2時間かかった」と誇張や虚偽、揶揄を加えて事実と異なる内容を放送。「侍」と自ら名乗ったこともなく、コーヒーの時間も大げさで、ロケ場所などは番組側の指定によるものだった[18]。この事実についてフジは8月20日付けの同局の公式サイトで藤岡とその関係者、ならびに視聴者への「訂正とお詫び」のコメントを掲載[19]。所属事務所も公式ブログでこのことに関する公式コメントを発表している[20]。このトラブルをきっかけに番組は打ち切りとなった。
  • 映画『ラストサムライ』のオーディションのオファーを引き受けたが、結果としては、起用されなかった。
  • 藤岡は自身の生き方について、過去を振り返らず失敗しても自身で納得いくまで追求する姿勢であることを述べており、何事に対しても全力で取り組む姿が笑い者にされていることも認識しているが、他者からどう思われるかよりも自身で納得できるかどうかを重視している[21]

芸名に読点(「、」)を付けるまで[編集]

1984年、アメリカ映画『SFソードキル』でパリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞し日本人として初めて全米映画俳優組合員となる。この出来事がきっかけとなり、「昔の武将は一度"、"を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と「『我未だ完成せず』との意味を込めて」芸名の最後に“読点”を付けることに踏み切った。一方で「、」には「てんでダメな男」というシャレもかけられているという[22]

俳優以外の活動[編集]

お笑いコンビ、とんねるずダウンタウンのバラエティ番組に出演するようになる。とんねるずは、『オールナイトフジ』で藤岡と初共演した際には狂喜乱舞、『とんねるずのみなさんのおかげです』では『仮面ライダー』のパロディ『仮面ノリダー』を演じる。また『とんねるずの生でダラダラいかせて』では藤岡とカートレース対決を行っている。ダウンタウンは自身の番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』の1コーナー「藤岡弘と遊ぼう!」で藤岡と共演。鬼ごっこ、ドッジボール、ハンカチ落としなどの遊びを展開。

1993年北海道南西沖地震の際には「映画撮影の際にお世話になったので」と水などの援助物資を持てるだけ持って奥尻島に駆けつけ、当時の新聞もこの行動に「仮面ライダーは実在した」と大きく記事になった。また、2011年(平成23年)東日本大震災の際にも、被災地へ1トンの米を寄付している[23]

1990年頃より雑誌、新聞で統一教会との関連性が報道されるようになる。1992年(平成4年)9月、「東京スポーツ」などで「統一教会の信者」と報じられた。詳細は統一教会の名を隠した自己啓発セミナーの広告塔になっていただけであり、本人はまったく関与がなかった。

1998年、「梁山泊空手道連盟[24](代表:富樫宜弘[注釈 6])」を中心に結成された「眞日本武道空手道連盟[25]」・名誉会長に就任。

エピソード[編集]

『仮面ライダー』関連[編集]

当初、藤岡は本郷猛役だけでなく仮面ライダーのコスチュームも着用し、スーツアクターを兼任。危険度の高いアクションを除き、トランポリンを使用したアクションやオートバイで階段を登るバイクアクションなどもこなしている[注釈 7]。藤岡は後年のインタビューで過酷な撮影であったため毎日現場へ向かうのに恐怖を感じていたことを明かしている[21]

こうして取り組んだが、第9・10話[注釈 8]撮影中、下り坂をバイクで走り下りるシーンで[注釈 9]、コーナーを曲がる際、たまたま工事中で砂利が多い場所で、オーバースピードだったためにスリップし、曲がりきれないまま電柱を支えるワイヤーに突っ込む。その際にワイヤーに足がひっかかってワイヤーがバウンド。そのまま反動でバイクとともに飛ばされるというアクシデントに見舞われる。藤岡は路上を2〜30メートル転がって動けなくなるが、事故直後はまだ意識があり、背中の後ろの方から肩越しに見えていた自分の左脚を元の位置に戻し、靴がぬげていたため親指が動くか確認し、かすかに動いたことに安心したところで意識を失ったという。結局、全身打撲の上、左大腿部を複雑骨折。骨が粉砕し、筋肉に刺さっている状態で、全治3カ月〜6カ月の重傷と診断され、長期休養を余儀なくされる。[26]この事故以降、仮面ライダーシリーズの主演俳優は演出上の一部例外を除いてスーツアクターを兼務することはなくなり、スーツアクターは全面的に大野剣友会やジャパン・アクション・クラブ(JAC、現・JAE)所属のスタントマンが担当するようになった。

救急搬送後、最初に手術を受けた東京都町田市内の病院は骨の接合手術に関して旧態依然とした技術しか持っておらず、藤岡は同じ病院で手術を受けた患者から「大腿部を複雑骨折して同様の手術を受けて1年ほど入院しているが、まだ完治していない」と聞かされて愕然とし、車いす生活すら覚悟した。この状況を知った知人の紹介で、東京都渋谷区千駄ヶ谷(当時)の前田外科病院に転院できることとなったが、当初、最初の病院は転院希望を断り、転院が決定した後も「(転院に関して)当院は一切保証しない」と、移動のためのストレッチャーなどを用意することなく黙視、カルテレントゲン写真などの必要な情報提供も拒む中、ようやく転院が叶い、前田外科病院で再手術が行われた。ベトナム戦争傷痍軍人のために開発されたという方法で、バラバラになって筋肉に刺さり込んだ左脚の骨片を丹念にすべて拾い集め、大腿骨骨髄に金属パイプを通してその周りに骨片を細いワイヤーで巻きつけるというものだった。それまで日本ではほとんど実例がなく、当時の最新技術だったこの接合手術を受け無事に成功[26][27]。しかし、『仮面ライダー』第1話の放送は病室のベッドで観ざるを得なかった[28]。ギプスが外れると、看護師の眼を盗んで筋肉がすっかり委縮して痩せ細った左脚の筋力強化のため、周囲が寝静まった時間帯にトレーニングを始めるが、その過酷さゆえに夜ごと床には汗だまりができ、時には発熱したため、日中になると疲れきって寝込むという「戦い」の日々を数か月送る。藤岡は「看護婦さんとかに『この人は寝てばっかりだなぁ』って思われたのではないかなぁ」と当時を振り返っている [26]

『仮面ライダー』での本格復帰は第53話[注釈 10]からだが、第40・41話[注釈 11]にゲスト出演という形で現場復帰を果たし、1971年末の桜島阿蘇山でのロケに参加する。この時、骨折箇所にはまだ金属パイプと固定用のボルトが入っており、傷口は絆創膏と包帯で抑えた状態だった。主治医からは「下手すると脚のパイプが曲がって抜けなくなるばかりか、一生歩けなくなるかもしれない」と猛反対されたが、藤岡はこの舞台を用意してくれたスタッフのために、それでも構わないとロケを強行。ただ、最初の撮影シーンがバイクに乗るスタントシーンで、目の前に事故を起こしたバイクが置かれていた時は「頭が真っ白になった」と語っている[29]。回復後の左脚はわずかに長くなってしまい、長年の腰痛の元になってしまったと自伝で述べている。

1995年11月、愛媛県久万町で新たな2つの小惑星が発見され、2000年(平成12年)3月にそれぞれ「Fujioka(藤岡)」「Kamenrider(仮面ライダー)」と名付けられた。これは、藤岡が久万町出身であることと、『仮面ライダー』にちなんだもので、小惑星に漫画のキャラクターの名前が付けられたのはこれが初である[30]

2001年、映画『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』では直接に本郷と明示はないものの警視総監役で出演する。

2011年4月1日公開の『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』で、1号の声を担当。声のみとはいえ、映像作品で1号を演じるのはTVスペシャル『全員集合!7人の仮面ライダー』以来35年ぶりとなった。丸の内TOEIにて行われた舞台挨拶にも登壇してコメントを述べたが、壇上で同じく声の出演となった佐々木と宮内洋風見志郎 / 仮面ライダーV3役)がそれぞれ変身ポーズを披露した流れで、観客から「変身ポーズをみせてほしい」とのリクエストが出され始める。藤岡は俯いて困ったような仕草を見せたが、ちょうど隣にいた1号(のスーツアクター)が機転を利かせ、藤岡に代わってポーズを披露して事なきを得た一幕があった[31]

仮面ライダーストロンガー』で主人公・城茂を演じた荒木しげるとは、『特捜最前線』でも3年間に渡って共演した仲だった。荒木が2012年4月14日川崎市内の病院で肺炎で死去した際、「いつも明るくて前向きでチャレンジ精神が旺盛な人でした。時をともにした仲間なので非常に胸が痛い。早すぎる。無念です」と、その早すぎる死を惜しんでいる。荒木と顔を合わせたのは、同年1月に死去した二谷英明の通夜が最後だった[32]

同年12月29日、平山とともに仮面ライダーの企画に携わり、『ストロンガー』までのいわゆる第1期ライダーシリーズに関わった東映の元チーフ・プロデューサーである阿部征司拡張型心筋症で死去した際、思い出として「とにかく子供が好きで、子供のための番組を真剣に作り、何度も現場に足を運んでいたこと」が印象に残っており、「現場では『ヨッ!』と気さくに声をかけてくれましてね。今思えば、僕たちにプレッシャーをかけない配慮だった」と故人の人柄を偲ぶとともに「尊敬すると同時に、自分もその遺志を受け継ぎ、子供たちを失望させることなく、夢を与える責任を持って生きていきたい」とコメントを寄せている[33]

2013年7月31日、平山が心不全で死去し、堀田眞三・村上弘明・高杉俊介(『仮面ライダースーパー1』の主人公・沖一也)・元スーツアクター新堀和男らとともに、8月4日に行われた「お別れ会」に参列している[15]。前年の10月2日にはスケジュールの合間を縫って、入院中の平山を見舞っており「これだけたくさんのヒーローを生み出して子供達に良い影響を与えてくれたのですから」「早く元気になって、また平山先生に活躍してもらわなきゃ」と話しかけ、既に認知症を発症していた平山もこの時は状態が安定し、満面の笑みだった事が伝えられている[34]。恩人の死に際して、自身のブログでは「私の師であるプロデューサー平山亨先生がお亡くなりになりました。日本の映像界を通し、世界中の子ども達に夢と希望、感動と勇気を与え続けられた数多くの偉業は、確実に我々の心に刻まれております。我々に残してくださった功績に心より感謝申し上げます。今はただゆっくり休まれますよう、心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌」とのメッセージを寄せている[35]

2014年3月29日公開の劇場版『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊[36]にて、『全員集合!7人の仮面ライダー!!』以来38年ぶりに本郷役を演じた。本郷役として撮影に臨み、変身シーンでは「自分の歴史がよみがえり、血が騒いだ。不思議なもので体は覚えていたんですね。演じるというより、本郷はそのままの自分。何とも言えない感動がありました」と感慨深げに感想を語っている[37][38]

藤岡弘、探検シリーズ[編集]

テレビ朝日の『スイスペ!』枠で不定期に放送された。もともと同局では1978年(昭和53年3月から『水曜スペシャル』枠で俳優川口浩を探検隊長に「川口浩探検隊シリーズ」が放送されており人気番組となったが、やらせの発覚や川口自身が癌に侵されていたことから1985年(昭和60年)に終了。その後、川口が1987年(昭和62年)11月17日に死去したことで自然消滅の状態になっていた。しかし藤岡を2代目隊長に起用し2002年(平成14年)12月25日に復活。「藤岡弘、探検隊」はこれまでに6度の探検を行っている[39]

  1. 今夜復活! あの伝説の探検隊が帰ってきた! アマゾン奥地1500km! テラプレータの密林に 謎の猿人 ジュンマは実在した!(2002年12月25日放送)
  2. ベトナム・ラオス国境地帯 死の密林踏破! 呪われた竜の使い ヅォン・ドゥーは実在した!(2003年4月9日放送)
  3. 失われた大地・・・南米ギアナ高地 切り裂かれた大地の闇に 謎の地底人 クルピラは実在した!!(2003年10月1日放送)
  4. エチオピア奥地3000km! 幻の白ナイル源流地帯! 古代裸族に人類の原点を見た!!(2004年1月2日放送)
  5. アマゾン奥地6000km! 密林の恐怖 イプピアーラ 大追跡! これが半魚人伝説の正体だ!(2004年9月8日放送)
  6. ミャンマー奥地 赤い密林縦走3000km! 伝説の野人 ナトゥーを追え!(2005年3月19日放送)[40]

また、『シルシルミシルさんデー』(テレビ朝日系)では探検シリーズのパロディとして、藤岡が企業や巷の謎を調査するコーナー「藤岡弘、探検隊」を、また同局の『ナニコレ珍百景』では自然界の珍百景を紹介する「探検珍百景」「ワイルド珍百景」、照英とコンビを組んでの「洞窟珍百景」などで藤岡がリポーターを務めている(どちらも不定期放送)。

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK

日本テレビ系列

TBS系列

フジテレビ系列

  • 愛のはじまるとき(1973年)
  • 新選組(1973年)- 藤田精一郎
    • 第1話「芹沢鴨死す 豪雨止まず」
    • 第6話「三条大橋に黒い人影」
  • 霧氷(1977年)
  • 汽笛が響く!(1978年) - 主演・宮崎康平
  • 時代劇スペシャル / 二人の武蔵 - 岡本武蔵
  • 望郷 美しき妻の別れ(1983年) - 石泊守幸
  • カバチタレ! 第5話「免停と交通違反キップで警察と対決!」 第11話「セクハラ男に置き去られ結婚式で恥をかく」(2001年) - さわやかなライダー

NET→テレビ朝日系列

テレビ東京

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

劇場アニメ[編集]

ゲーム[編集]

吹き替え[編集]

ラジオドラマ[編集]

  • ラジオドラマ/NHKFMシアター『あのゴミを捨てるのはあなた』(作・小林政弘)

シングル[編集]

  • レッツゴー!! ライダーキック 仮面ライダーのうた(1971年)※『仮面ライダー』第13話までの主題歌(第14話からは藤浩一に交代)。藤岡バージョンが収録されているのは初回盤のみ。
  • 夕陽没ちても / 霧の友よまた逢おう(1972年)
  • 愛の挽歌 / 雨(1976年)
  • 右手に枯れたバラ / BYE-BYE MEMORY(1985年)
  • セガサターン、シロ! / セガサターン、シロ!(せがた三四郎 Ver.) / セガサターン、シロ!(カラオケ)(1998年)※『セガサターン』CMソング
  • レッツゴー!! ライダーキック 〜2000 Ver.〜 / Power Child 君と共にライダーはいる(2000年)
  • 荒野のサムライ〜明日に向って走れ〜 / レッツゴー!! ライダーキック2006 / 稲妻の魂(アコースティックバージョン)/ 愛 Part2(2006年)

アルバム[編集]

  • 愛こそすべて 合掌、(2005年)

情報番組[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 二谷は2012年(平成24年)1月7日肺炎のため81歳で死去しているが、藤岡は取材に対して「ひとたび現場に入ると、息をするのも苦しいような緊迫感があった。昔かたぎの映画人らしい厳しさがあり、いい意味での役者バカという雰囲気を持った方でした」と、現場で議論するほど真剣に取り組んだことを振り返り、自身が出演したCMのコピーを流用しながら、二谷を偲んでいる。また、二谷は生前「特捜の映画をつくりたいんだ」と話していたという。これについては「結局、実現はしませんでしたが、二谷さんも残念だったと思う。今なら僕もキャップができると思うし、いい映画が作れそうですね」とその夢の継承を匂わせるコメントを寄せている。
  2. ^ 2013年8月15日、産経新聞関西版に掲載された阿含宗管長・桐山靖雄との対談の中で、「睡眠時間を削るなどしてがむしゃらに仕事したあげく、肝臓を壊してしまった」と明かしている。
  3. ^ せがた三四郎人気はNHK紅白歌合戦1998年)に応援ゲストとして登場するまでの勢いを見せた。この時は舞台上で藤岡がコメントしていると、ショッカー怪人や戦闘員が現れ、舞台上でアクションを展開、ついに変身ポーズの末、仮面ライダーが登場し怪人らを一網打尽、という演出だった。
  4. ^ 週刊ポスト2007年11月23日号より。知人と称するこの人物は、過去にも土地取引で問題を起こし、約6年の服役生活を送っていたなど、詐欺の常習者であった事と、別件で暴力行為による刑事事件も起こしており、藤岡自身も己の未熟さから騙されてしまったと告白している。この人物の娘の結婚式に藤岡が出席。程なく融資話を持ちかけられ、それに応じてしまい、金銭授受のない状態にも関わらず、口車に乗せられ、先方へ借用証書、直筆の領収書、礼状の3点を予め提出してしまった事から敗訴判決が命じられる結果となった。最高裁の判決に対してはあくまで戦うという意志表示を行っている。
  5. ^ 制作:フジテレビバラエテイ制作センター、チーフプロデューサー・演出:挾間英行、演出:奥村達哉、森田篤、司会:バナナマン生野陽子 出演者:デヴィ・スカルノ淡路恵子中尾ミエ美川憲一ミッツ・マングローブほか。
  6. ^ 日本空手道無門会」代表・富樫宜資の実弟。
  7. ^ シーンによっては、大野剣友会岡田勝中村文弥中屋敷鉄也が演じ分けている。
  8. ^ 第9話「恐怖コブラ男」(1971年5月29日放送分)、第10話「よみがえるコブラ男」(1971年6月5日放送分)。
  9. ^ 走り下りるシーンは第10話のラストカットとして使用されている。
  10. ^ 第53話「怪人ジャガーマン決死のオートバイ戦」(1972年4月1日放送分)。
  11. ^ 第40話「死斗(しとう)! 怪人スノーマン対二人のライダー」(1972年1月1日放送分)、第41話「マグマ怪人ゴースター桜島大決戦」(1972年1月8日放送分)。

出典[編集]

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参考文献[編集]

  • 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人講談社 編、講談社、2014年11月20日ISBN 978-4-06-218566-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]