登山

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クレバスを行く登山者(1862年)
日本の旗 槇有恒
アイガー東山稜の初登攀者。

登山(とざん)とは、に登ること。

古くは宗教的な意味を込めて山に登ったり、戦争など何らかの必要性から山を越えることはあったが、現代ではこの他にそれ自体が目的となったスポーツ娯楽として、広範に親しまれている。また、職業として登山を行う者も生まれている。

西欧語のalpinismは「近代登山」と訳されるが、これは山に登ること自体に喜びを見出し、登山が精神肉体に与えるものを重視し人生のうるおいとすることを目的にする[1]。それ自体が目的となっている点でスポーツの一種であり[1]、現代的な意味での登山の対象は、簡単に登ることができる近隣の丘陵からヒマラヤ山脈まで様々である。

歴史[編集]

山を登るということは先史時代から行われていたようである。イタリアオーストリアの国境にて約5,300年前の男性のミイラであるアイスマンエッツ渓谷(海抜3,210m)で発見された。また、多くの宗教で山は崇拝や信仰の対象とされ、神そのものであるとされる場合もあったことから、様々な聖典伝説で登山が記録されている。モーセシナイ山で神の啓示を受けたとされる[1]

ヨーロッパ[編集]

アルプス山脈を越えるハンニバルの軍

ハンニバル前218年に第二次ポエニ戦争の時、6万人の兵と37頭の象とともにピレネーやアルプスの山脈を越えたとされている[1]125年にローマ帝国のハドリアヌス帝は朝日を見るためにエトナ火山に登った[2]1336年4月26日にイタリアの詩人ペトラルカが弟ジェラルドを連れてフランスのアビニョン近郊ヴァントゥ山の登山に挑み、その頂上まで登った。その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは「登山の父」と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家のヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。

ルネサンスの始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王シャルル8世1492年エギーユ山フランス語版の登頂を命じたのは、この範疇に入る。レオナルド・ダ・ヴィンチはヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。16世紀にはスイスチューリッヒを中心に登山を賞賛する動きがあり、コンラッド・ゲスナーとジョシアス・シムラー(Josias Simmler)が度々登山を行っていたことが記録されている。[要出典]。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。17世紀のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。

モンブランを見つめるM.G.パカールの像

18世紀後半、アルプス最高峰のモンブラン登頂が達成され、近代的登山の幕開けとなった[1]。1760年のこと、自然科学者オラス=ベネディクト・ド・ソシュールシャモニーを訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年にM・G・パカール(Michel-Gabriel Paccard)およびJ・バルマ(Jacques Balmat )が登頂に成功し[1]、翌年にはソシュール自身も登頂に成功した[1]

アルプス黄金時代[編集]

19世紀半ばのアルプス山脈は急峻であったが故にスポーツの対象となり、金と暇のあるイギリス紳士が多数やって来た。アルプスの主峰39座のうち、31座の初登は英国人によって達成され、それとともに登山技術も急激に進歩した[1]。例えばそれまでマッターホルン(4,477m)は「登ることは不可能」と見なされていたが1865年7月14日にはエドワード・ウィンパーが登頂に成功した[1]。その間、1857年には世界で最初の登山団体、英国山岳会が設立された。1854年のヴェッターホルン初登頂から1865年マッターホルン初登頂までをアルプス黄金時代と呼ぶ。

アルプス銀の時代[編集]

マッターホルン登頂によりアルプスの4000m級が登りつくされ未登峰がなくなると、岩壁や側稜などからの登山といったより困難なルートからの登頂や、あえて冬季の登山などが行われるようになっていった[1]。ここから1882年のダン・デュ・ジュアン初登頂までをアルプス銀の時代と呼ぶ。

銀の時代以後[編集]

銀の時代が終わっても登山は低迷せず、ドイツやオーストリアのクライマーによりさらにエスカレートした。

ヨーロッパのアルプス以外にも目が向けられるようになり、コーカサス山脈アンデス山脈などの山々、またアラスカの山などにも挑戦が行われるようになった。

ジョージ・マロリーが「そこにそれがあるから-Because it is there.-」と答えたのはあまりに有名であるが、記者の「なぜ"未踏峰(エベレスト)"に登るのか」という質問への答えであることはあまり知られていない。北極南極に次ぐ第3の極地エベレストは、征服すべき対象であるとも説明している。

日本[編集]

赤岳山頂の登山者

日本においては、717年泰澄和尚が開山した白山701年越中国(富山県)国司の息子有頼が開山した立山など、宗教にまつわり山を開いたとする開山縁起が残っている[3][4]都良香の富士山記に、富士山頂の様子の記述がある[4]鎌倉時代(1185年頃 - 1333年)・室町時代(1336年 - 1573年)以降、山に関する記録が減っていくが、何らかの理由で記録を残さなかったのか、実際に人が山に入らなくなったのかは不明である[3]

日本において、宗教目的以外で記録される著名な登山といえば、安土桃山時代1584年(天正12年)12月の佐々成政による「さらさら越え」(北アルプス越え)である。しかも、これは比較的容易な無積雪期ではなく、冬季の積雪期に敢行されたという点でも注目されている。ルートは、立山温泉-ザラ(佐良)峠-平の渡し(黒部川)-針ノ木峠-籠川(かごかわ)の経路が有力視されているが、確証はない。立山の一の越-御山谷ルート、別山-内蔵助谷ルートをとったという説もある。

ザラ峠とは安房峠(古安房峠)のことを指す、佐々成政は安房峠を越える鎌倉街道を通って越中富山-遠江浜松を往復したのだ、という説もある[5]

同様の軍事的な意味合いの登山としては、武田信玄の配下の武将山県昌景が、1559年(永禄2年)に飛騨を攻めるのに上高地から安房峠(古安房峠)を超えて入った事例が知られている[4][6]

1640年(寛永17年)に加賀藩によって設置され1870年(明治3年)まで続いた黒部奥山廻り役は、藩林保護のための検分登山を行い、北アルプスの主峰のほとんどを登って回った[4]

文化・文政期(1804年 - 1829年)、1819年の明覚法師と永昌行者による乗鞍岳1828年播隆上人による槍ヶ岳など、開山が相次ぐ。また、立山講や御岳講などの中登山が盛んになる。寛政期(1789年 - 1800年)に寺社詣でが解禁され、『東海道中膝栗毛』(1802年 - 1822年)が人気を博すなど、民衆の間に旅行人気が広まったことが背景として考えられ、参加する者の多くにとっては、宗教的な意味合いよりも、物見遊山としてのものだったと考えられる[3]

江戸時代文人画池大雅医者川村錦城医学者橘南谿画家谷文晁などが、山そのものを味わうために山に登ったことが知られている[4]

江戸幕末北アルプス麓にある入四ヵ村で年に薪五千間、板子八万梃を伐採しに二ノ俣あたりまで入っていた[3]

富士山頂の登山者(富士宮口頂上)

江戸幕末以降、複数の欧米人が富士山に登った。1860年(万延元年)7月、オールコック富士山村山口登山道から登り登頂している。1867年(慶応3年)10月にはパークス夫人が、1868年(明治元年)7月にサトウが登っている[4]

日本での近代登山の幕開け[編集]

明治時代(1868年 - 1912年)、1874年ガウランドアトキンソンサトウの三人の外国人パーティが、ピッケルとナーゲルを用いた登山を日本で初めて六甲山で行った。ガウランドは1881年槍ヶ岳と前穂高岳に登山して「日本アルプス」を命名した人物で、サトウは富士山に最初期に登った外国人としても知られる[7]

日本アルプスには、上記3名のほか、ウォルター・ウェストンバジル・ホール・チェンバレン、フランシス、ミルン など複数の欧米人が登った。15版まで重版されるベストセラーとなった志賀重昂の『日本風景論』が1894年(明治27年)10月に出版されるまでの時期を、明治時代日本アルプス登山史の第一期とする見方がある[8]

その見方では、それ以降参謀本部陸地測量部による1913年(大正2年)の地図刊行までをその第二期とする。第二期には、冠松次郎木暮理太郎小島烏水、近藤茂吉、三枝守博、武田久吉、田部重治、鳥山悌成、中村清太郎 らが北アルプスに登った[8]。陸地測量部は館潔彦柴崎芳太郎などの測量官を派遣し、一等三角測量を完成し、地図を刊行した。第二期を、小島烏水は日本登山史上の探検時代と呼んでいる[4]

明治期の日本アルプスの登山では、長野県の内野常次郎、上條嘉門次梓川渓谷)、小林喜作(中房渓谷)、遠山品右衛門(高瀬川渓谷)、横沢類蔵、富山県宇治長次郎、佐伯源次郎、佐伯平蔵、山梨県の大村晃平、中村宗義(早川谷)など、地元の猟師が案内をした[8][9]

日本の「近代登山」の始まりをどの時点に置くかは、論者によって解釈が様々であるが、ガウランドら3名による1874年(明治7年)の六甲山登山が最初とされることが多い[10]1889年(明治22年)には、ウェストンによってテント・ザイル等が持ち込まれ、ウェストンの助言で小島烏水らが1905年(明治38年)に日本で最初の山岳会「山岳会」(後の「日本山岳会」)を設立した。この年を近代登山の始まりとする説もある。また今西錦司の言うように1918年(大正7年)の第一次世界大戦の終戦時をもって近代登山の幕開けとされることもある。

明治時代、北アルプスの地元では、学校登山が行われた。1883年(明治16年)に窪田畔夫と白馬岳に登った渡辺敏は、長野高等女学校校長時代、理科体育教育の目的で、1902年(明治35年)より毎年、戸隠山白馬岳富士山などへの登山を実施した。富山師範学校教諭の保田広太郎は、1885年(明治18年)頃より、学生を連れて立山などに登った。河野齢蔵1893年(明治26年)から動植物採集の目的で北アルプスの山々に登り、大町小学校校長のとき、学校で登山を奨励した[11][12]

明治時代、測量地理学的な目的での登山が行われた。1882年(明治15年)8月の内務省地質測量長ナウマン博士の命令による横山又次郎一行の南アルプス横断、1885年(明治18年)全国地質測量主任ライマンの助手坂本太郎の槍ヶ岳-薬師岳縦走、1889年(明治22年)大塚専一の針ノ木岳-立山-後立山縦走などである[4]

陸地測量部によって、1907年(明治40年)までに、日本アルプスの主峰のほとんどに、三角点が設置された[4]

探検時代の後[13]、明治末から大正にかけて、日本アルプスへの登山者が増え始め[14]、大正期に大衆化した[15]1915年(大正4年)の上高地 大正池の出現や、皇族の登山などが、人々を山へ誘った[16]

これを受けて、1907年(明治40年)に松沢貞逸が白馬岳山頂近くに橋頭堡を築いて営業を開始したのに始まり、1916年(大正5年)に松沢貞逸が白馬尻小屋を、1918年(大正7年)に穂苅三寿雄がアルプス旅館(槍沢小屋)を、1921年(大正10年)に赤沼千尋が燕ノ小屋(燕山荘)を、百瀬慎太郎が1925年(大正14年)に大沢小屋、1930年(昭和5年)に針ノ木小屋の営業を開始するなど、山中で登山者が休憩・宿泊する山小屋の営業が始まった[14]

また、1917年(大正6年)の百瀬慎太郎による大町登山案内者組合結成をはじめ、1918年(大正7年)の赤沼千尋の有明登山案内者組合、1919年(大正8年)の松沢貞逸の四ツ谷(白馬)登山案内者組合、1922年(大正11年)の奥原英男による島々口登山案内者組合結成など、山案内人(山岳ガイド)の利用料金および利用者と案内人の間のルールの明示・統一が試みられた[14][17]

1921年(大正10年)の槇有恒アイガー東山稜登攀をきっかけとして、大正末期にアルピニズムの時代に入った。「先鋭的な登攀」が実践され、「岩と雪の時代」「バリエーションの時代」と呼ばれた[18]。大学や高校の山岳部が、より困難なルートの制覇を目指して山を登った[19]

1937年(昭和12年)に始まる日中戦争1938年(昭和13年)に制定される国家総動員法などの時代情勢により、登山ブームは下火になる[20]

1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終了後、大学・高校の山岳部の活動が再開された[21]

日本隊のマナスル初登頂の影響[編集]

1950年代、ヒマラヤで、1950年(昭和25年)のアンナプルナ1953年(昭和28年)のエベレスト1956年(昭和31年)のマナスルの初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ[22][注釈 1]が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである[23]。この時期、1955年(昭和30年)有名なナイロンザイル事件が起きた[24]。また、谷川岳では、多発する遭難事故を受けて、群馬県が1966年(昭和41年)に群馬県谷川岳遭難防止条例を制定した[25]1971年(昭和46年)、海外で「先鋭的な登攀」を行ってきた者達が(社)日本アルパイン・ガイド協会を設立し、登山のガイドや山岳ガイドの養成、資格認定などを行い始めた[26]1960年代 - 1970年代、山岳部や山岳会が「先鋭的な登攀」を続ける一方で、一般の登山者がハイキングから縦走登山、岩登りまで、好みと能力にあわせて広く楽しむようになった[27][28]

1980年代、山岳部や山岳会が衰退し始め、また、登山者に占める中高年者の割合が増え始めた。若い世代が山登りを3Kというイメージで捉えて敬遠するようになり、育児が一段落した世代が山登りを趣味とし始め、仕事をリタイアした世代が若い頃に登った山に戻り始めたことが理由であると考えられる。これに健康志向日本百名山ブームが輪をかけ、2010年現在に至っている。このブームで、ツアー登山が盛んになった[29]。このブームの時代、1990年(平成2年)、各地に設立された山岳ガイド団体が日本山岳ガイド連盟を設立し、ガイド資格の発給を行うようになった。2003年(平成15年)、日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド連盟を合併して(社)日本山岳ガイド協会が発足、日本全国統一基準のガイド資格が生まれた[30]。また2010年今日、また若者が登山に戻りつつある。[31]

登山の技術[編集]

もともと本来の登山は競技ではなく[1](つまり他人と競って優劣をつけるためのものではなく)、技術の優劣を簡単に言えるものではなく、また同一の山、同一コースでも、自然条件が異なればその難易度がまったく異なる性質を持っている[1]

よって登山技術というのは、広い意味で言えば、十分な準備をすること、十分な訓練をすること、そのうえで行動計画を立案し、自然と人間の力関係を慎重に判断してゆくことが基本であり重要な点である[1]

登山計画[編集]

登山は、計画を立てる段階からすでに始まっているとも言える。地形図や経験者から難所の情報を得ること、出発直前の天気図を元に登山を中止するかどうか判断すること、によって防ぎ得た遭難事故はままある。

登山計画の立て方には様々方法があるが、概要の一例を述べると、(1)山選び (2)期日選び (3)リーダー決定、などがある[1]

目的とする山の選定には、参加者全員の体力・技術・経験を把握し、十分に考慮する必要がある[1]。体力・技術・経験以上の難度の山を選んだり、強者を標準として弱者に無理を強いると、事故や遭難につながる。メンバーがすでに決まっている場合は、メンバーの中の弱者に合わせて山を選定する。

参加者は登山前に何度か会合を持ったり連絡をとりつつ、(1)目的地およびコースの選定 (2)グループ(パーティ)のリーダーとメンバーの決定 (3)各自の任務分担の決定 (4)予算の決定 (5)行動予定表、装備・食糧表、参加者名簿などの文書作成作業などを行う[1]

上記の過程で、メンバー全員が目的の山について充分な知識を持ち、コースを熟知しているような状態になっていることが望ましい[1][注釈 2]

パーティ(グループ)が大きい場合[注釈 3]は、リーダー以外にサブリーダーも決めておき、サブリーダーにメンバー指導などの仕事を分担させ、リーダーの過負荷を回避する[1]

また、トレーニングも登山直前ではなく、常日頃から行う[1]。単なる筋力トレーニングよりも、むしろ持久力を重視したものを行い[1]、健康の維持を重視する[1]

歩行技術[編集]

ペースのとりかた、および休憩のとりかたで巧拙が決まる[1]。山での歩行は平地とは異なり、一定の速度・リズムを保ち、足の裏全体を使って歩く[1]。山では、(メンバー全員の身体的な能力の範囲内で、かつ)疲労の少ない一定の歩行速度を見つける必要がある[1]

理想としては、歩幅は靴の長さ以下、一歩あたりの高低差は一般的な階段の半分以下にするとバテない。また、氷の上を歩いているような感覚で体重移動するとよい。

一般的に言えば、歩きだして最初の20分で、一度は休んで、衣服・荷物の不都合な部分(リュックの肩ひもの長さ、靴ひもの締め具合、衣服の重ね具合など)を調整・修正する[1]。その後は40-50分程度歩いては10分程度休憩する、ということの繰り返しで歩く。

グループ(パーティ)の歩行速度は体力的な弱者を標準とする[1]。歩行しつつも、常に自分たちの位置を地図上で確認する[1]。歩きながらはしゃいだりふざけたりすることは控える。 リーダーなど読図の技術があるものを先頭に配置するが、他にもサブリーダーなどの経験者がいるならば最後尾に配置して補佐をさせる。

極地法[編集]

ヒマラヤなどの高高度の山頂を目指す場合では、「極地法」、すなわち、多数の支援をうけつつ、低高度からキャンプ(テント群)を設営しそれを足がかりにさらに上方にキャンプを設営することで物資を上へ上へと運び、最後に頂上近くのキャンプからそれまで体力を温存した数名程度の攻撃隊が登頂する、という手法がある[1]

登山の装備[編集]

テントを担いで南アルプスを縦走する登山者、間ノ岳山頂部、遠景は富士山
基本
夏期を想定した携行品・装備の基本としては、リュックサック(ザック)、防寒着雨具、手袋、地図方位磁針(コンパス)、光源、携行食、緊急連絡用の携帯電話など
  • 防寒具(必携) : フリースジャケットやダウンジャケットなど 防寒着(夏でも北アルプスや富士山などの夜間には氷点下になる)や懐炉
  • 雨具(必携) : レインウェア雨合羽)。防寒具も兼ねる。山は風が強く基本的に傘は使えない。
  • 靴 : 数百m程度の低山に登るのならスニーカーでも足りる。中程度以上の山では底材がしっかりしていて様々な工夫がこらしてある登山靴が望ましい。
  • 手袋 : 怪我防止と防寒。夏山では基本的には軍手で足りる。登山用の機能的でおしゃれなものもありはする。冬季は下記参照。
  • 地形図(必携) : 登山の行程ごとの時間や交通機関の問い合わせ等の登山に必要な情報を書き込んだ登山地図がある。国土地理院発行の地図も使える。登山ガイドブックなどに付属することもある。現代ではスマートフォンのアプリやグローバル・ポジショニング・システム(GPS)受信機で代替する場合もあるが、電池の消耗には注意が必要である。
  • 光源(必携) : 基本は懐中電灯。最近はLEDのもの。山は日暮れが早く、日が暮れると街とは異なり基本的に明かりがなくなる。懐中電灯などを持っていないと遭難を招く。行動時は両手が自由になることからヘッドランプが好まれ、野営時にはランタンが好まれる。
  • 携行食(必携) : チョコレート飴玉おにぎり 、一口ようかん等。
  • 飲料(必携) : 基本は。軽い水筒やペットボトルに入れたもの。
  • 時計(必携) : 腕時計や携帯電話の時計など。時刻・時間が判らないと、様々な判断が困難になり、遭難の可能性が高まる。
  • ツェルト (必携ではなく、持たない人のほうが多いが、テントを持参した場合はビバークに使え、もしもの時に命を救うことがある)
テント泊の場合
基本装備に比べ、宿泊および食事に必要な道具と消耗品が増える。
岩登り
冬季
防寒着手袋などは冬季専用の充分な保温性能のものを用いる。手先や足先の防寒が足りないと凍傷を起こしを失ってしまうことがある。

レイヤリング[編集]

体温調節のために防寒具や雨合羽などを含む衣類(ウェア)を組み合わせて、体感温度や運動強度に適した服装にすることをレイヤリングという。 登山ではできるだけ汗をかかず、なおかつ寒さを感じない程度の快適な服装が求められる。行動中は体が温まっているために薄手のフリースのみでも寒さを感じなくとも、休憩中は体が冷えるために他の防寒着を着込む必要がある。しかしそのまま再び行動するとまた汗をかき、体が冷えてしまうために防寒着を脱いでから行動をはじめなければならない。運動強度や気温、標高、天候の変化に合わせたレイヤリングを行う必要がある。

ウルトラ・ライト・バックパッキング[編集]

ウルトラ・ライト・ハイキングとも。90年代後半にアメリカのレイ・ジャーダイン(Ray Jardine)によって提唱された「極限まで荷物を軽くすれば遠くへ行ける」という考え方である。
前述の通り登山には多くの装備、衣類が必要になる。多くは安全や体力温存のために必要な装備であるが、装備品の重さも体力を消耗する原因となる。そのため、一部の装備品を省略したり、素材や構造を変更して軽量化を図ることがある。これをウルトラ・ライト・バックパッキング(以下U.L.)と呼ぶ。
U.L.はクッカーを軽量なチタン製に換えるなど、従来から行われてきた簡単な手段の積み重ねでも実践できる。さらにU.L.を追求するものは、テントを軽量なツェルトに代えるなど快適性などを多少犠牲にしても軽量化を図ることがある。近年ではトレイルランニング向けに企画された軽量な装備を流用することもある。他にも売店があるような山では、水分を売店で買う計画を立てて登山口から持ち込む重量を減らすという手段をとるものもいる。

登山の目的[編集]

レクリエーション[編集]

説明板と休憩場が設置された山頂部

レクリエーションとしての登山の魅力は、ゆっくりと傾斜を歩くことによる有酸素運動や、新陳代謝の活性化、あるいは景観や自然の風景そのものを楽しむことにある。他にも、森林浴(リラクゼーション効果)を楽しんだり、ともに登山をする人との交流、冬山を登る際にはスキー滑走を目的とする場合もある。その目的は千差万別であり、それぞれに合った登山方法がある。また日本には散歩の延長で登れるような手ごろな山から、踏破に3-4日かかる連山まで様々な山があり、ひとつの山でも簡単なルートや難所の多いルートなどがあり、各々の力量や体力に合わせ登山を楽しめる場所が多い。日本においては、以前は登山というとワンダーフォーゲルや山岳部のイメージが強く、厳しくつらく、特殊な世界と見られがちであった。しかし近年、登山靴や登山用具の発達・軽量化によって、中高年世代においても一種の登山ブームと言える現象が起きた。高齢者でも気軽に登山やトレッキングができるように整備がなされ、体力にあった登山ルートで無理なく景色や運動を楽しむことができるようになってきている。

一方で登山人口における高齢者の割合が高くなるにつれ、遭難事故件数も増えつつある(#登山における事故参照)。

スポーツ(山岳競技)[編集]

国体には山岳競技があり(国民体育大会山岳競技)、縦走[注釈 6]競技とクライミング競技の2種目で構成される。縦走競技は、規定の重量を背負い、決められたコースを歩ききる時間を競う。クライミング競技は、人工壁をフリークライミングのスタイルで登り、到達高度を競う。

高校総体も、競技形式の登山を実施している[注釈 7][注釈 8][注釈 9]

他にも岩を登る行為を競技として行うフリークライミング、山道を走ってその順位を争うトレイルランニング等の競技がある。いずれも、山や岩場で行う競技であるため、安全や体調管理に十分に注意する必要がある。

ヨーロッパで盛んな山スキーも雪山を登ることから登山競技の一種である。

職業[編集]

もともと伝統的に山で自然資源を得るための登山が存在した。たとえば東北地方のマタギによる狩猟や、地元住民らの山菜採り目的の入山である。山菜採りは自然環境に影響を与えるほどの量を採ら、狩猟も乱獲は避けるのが望ましいとされる。

山麓から山頂まで荷物を人力で運ぶ職業を歩荷(ボッカ)あるいは強力(ごうりき)という。ヒマラヤ地方のシェルパという部族には、山で荷物運びを行ったり(下で説明するような)登山ガイドの仕事をして収入を得ている者が多数いる。

また、登山ガイド登山家などもいる(登山ガイドは広義の登山家に含まれる)。

登山ガイドは登山の初心者やその山に不慣れな登山者のガイドを請け負い、山を案内して収入を得る。そのためその山に対する深い知識と、不慣れな登山者を安全に案内するための経験や技能が必要となる。登山がさかんな国(例えばフランスなど)では登山ガイドの資格認定を行っている組織がある。日本では現在は、社団法人・日本山岳ガイド協会が、ガイドの資格認定を行っている。その資格には、世界中の山を案内できる国際山岳ガイドや、里山を案内する自然ガイドなどさまざまな資格がある。

また、あまり数は多くないが、著名な登山家の一部は、8000m級の山を単独で登ったり無酸素登攀したりといった難しいアタックをする際、大企業やテレビ局スポンサー契約を結び、それによって登山に必要な莫大な費用の一部もしくは大半を確保することがある。幸運にもアタックが成功した場合は企業の広告塔としてCMに出演したりすることなどによって、利益を得ることもある、だがアタックに失敗すると死傷したり、スポンサー契約を失い苦境に陥ることもある。登山家や山岳ガイドの中でも特に著名な者は講演活動や著書の出版で、生活費の足しにしたり、さらなる挑戦のための費用の一部を得る例もある。

軍事教練[編集]

登山は軍事教練に利用される場合もある。1902年には八甲田山八甲田雪中行軍遭難事件が発生した[32]

登山における事故[編集]

遭難事故[編集]

時代別世代別状況[編集]

警察庁は、1961年から[33]毎年、日本国内の山岳遭難者数を取りまとめており、その統計資料によれば、年齢別の遭難者数の割合は、多い順から、1972年は20歳代が66.6%、10歳代が16.7%、30歳代が11.1%、40歳代が5.6%で50歳代以上は0%、1998年は50歳代が25.3%、60歳代が20.8%、40歳代が15.4%、70歳代が12%、20歳代が9.7%、30歳代が9.1%、10歳代が4.9%、80歳代が2.6%、90歳代および不明が0.1%、2008年は60歳代が29.8%、50歳代が19.1%、70歳代が17.5%、40歳代が10%、30歳代が7.8%、20歳代が6.4%、10歳代が4.6%、80歳代が4.2%、90歳代および不明が0.4%となっていて[34]時代によって登山をする世代が異なっていることを示していると考えられる[35]

1990年前後からは中高年登山ブームが起こっていて[36]2008年に発生した山岳遭難者数1,933人のうち40歳以上の中高年者の数は1,567人、死者・行方不明者は281人中256人と過去最高を記録[37]2009年に発生した山岳遭難者数は2,085人、死者・行方不明者は317人とどちらも過去最高を更新、遭難者のうち55歳以上が6割を占め、とりわけ死者・行方不明者は9割を40歳以上が占めている[38][33]。2008年の数字では、遭難事故死者数は全体で253人、そのうち中高年者が234人となっていて、これらの数字からは、中高年者はアクシデントが起きたときに死に至る割合が高いということが読み取れる[39]

朝日新聞の2010年の調べでは、2005年〜2009年の7、8月の富士山への登山中に救護された人のうち、体調急変により心肺停止になった人が14人おり、うち11人が45〜69歳である。高度のある山は、見た目でわかる以上に平地と環境が違うので、ふだんの生活では自覚されないで隠れている持病が悪化することが考えられるという。また、2009年夏、富士登山高山病[注釈 10]と診断された人が537人いるという。[40]

落石[編集]

登山中に上から崩れ落ちてきた石あるいは岩塊が身体に当たって死傷する事故が発生することがある。落石の発生原因は自然発生的なものもあれば、人が誤って脆い地盤を踏んで発生させてしまうものもある。

噴火[編集]

2014年9月27日に御嶽山が噴火して登山者に多数の死傷者を出した[41][42]。この御嶽山での噴火を受けて各地で対応策の検討が行われている。山梨県横内正明知事は御嶽山での噴火を受けて富士山でも水蒸気爆発等の突発的な事態に備え登山者にマスクヘルメットの持参を呼び掛ける必要があるとの考えを示した[43]

2014年の御嶽山噴火を受け、2015年7月に活動火山対策特別措置法が改正されて新たに「登山者は、火山の噴火等が起こった際に円滑、迅速に避難できるよう、必要な手段を講じるように努めなければならない。」(第11条第2項)という規定が定められた[44]。また、火山周辺の一部の施設については、避難確保計画の作成等が義務づけられることとなった[45]

登山と自然破壊の問題[編集]

近年、登山人口が増加したことによる自然に対するダメージが目立ってきている。例としては、ゴミやタバコを持ち帰らずポイ捨てする、むやみに木や枝を折る、遊歩道を歩かず、貴重な植物を踏んでしまうなどがある。これらは本来、登山者にとって守るべきマナーであるが、登山を始めたばかりの登山者の中にはそれを知らず結果的に自然や景観に影響を与えてしまうことがままある。以下に具体的な例を挙げる。

ごみの問題
登山の途中に発生するゴミは、原則的に当人が持ち帰らなければいけない。プラスチックやペットボトルなどの化学合成品は分解が遅く、長く自然界にとどまるため生態系に悪い影響を及ぼすとされる。また、生ゴミであれば捨てて良いというわけではなく、過多な栄養はその地に住む動植物の生態系を変え、結果的にはそれまでの生態系を破壊してしまう結果にもなる。
植物の盗掘
高山植物は学術的にも貴重であり、ほとんどの山で持ち帰りが禁止されているが、それを知らずに持ち去る登山者がある。あるいは、高山植物の生息域にロープ等で立ち入り禁止が示されているにも関わらず、自宅での鑑賞のために持って帰ってしまう者、悪質なものは土を掘り返し根元から大量に持ち去ってしまうこともある。代表的な高山植物であるコマクサは、その美しさに愛好家も多い花だが、山からの盗掘も多い。逆に、盗掘した植物を、本来その植物が自生していない別の山に移植してしまうケースも発生している。
動物生態系への影響
多くの登山者が山に入ることによる、野生動物が安心と思う住領域の縮小、また人間の持ち込んだごみにより、野生動物の食環境の変化、また人間が出すごみを好む動物が増えてしまうなどの影響がある。また犬を連れての登山を禁止している山もある。これは犬が病原体を持ち込んだり野犬となったりして、野生動物の生態が乱されるのを恐れての処置である。
排泄物の処理
槍ヶ岳剱岳八ヶ岳尾瀬など、人気のある山においては山小屋での排泄物の処理が問題となる。以前は屎尿の処理は土に返すだけの処理であったが、登山人口の増加に伴って人間の排泄物が自然に与える影響が無視できない状況になってきた。加えて、排泄物に含まれる大腸菌等によって湧水が汚染され、飲用できなくなる事態も発生している。そこで、現在ではヘリコプターなどで排泄物を運搬、しかるべき施設で処理する方法や微生物で分解するバイオトイレなどへと変化して来ている。運送費や諸経費の調達のため、場所によっては山小屋の利用料を値上げしたり、トイレの使用料を取る山小屋もある。登山における休憩中の排泄も人数が多くなれば悪臭や栄養過多で影響を与えるため、簡易トイレの使用も推奨されている。
登山道の荒廃
丹沢山地大倉尾根の大きくえぐられた登山道。前方は登山道が2本に分かれ、中央が島のようになっている。
近年の中高年の登山ブームにおけるオーバーユースによって登山道の荒廃が広がっている。加えて、えぐれた登山道では雨が降るとぬかるみ、それを避けるために登山道脇を歩くことによって植生は失われ、登山道が広がり中には車が通れるほどの広さになっている登山道もある。また、最近では登山時に腰やひざの負担を軽減する目的でステッキやストックなどを使用する人が多くなってきているが、それらで登山道の土が掘り起こされ、柔らかくなった土が雨で流出するなど登山道が荒れる原因になっている。

登山に関する組織・団体[編集]

山岳会[編集]

登山愛好者の団体を山岳会(さんがくかい)と称する。山岳会には山または歩くことにちなんだ名前が付けられることが多い。 学校または職場では部活動として山岳部や登山部、ワンダーフォーゲル部が結成されることがある。 1857年には世界最初の山岳会である英国山岳会が設立され、1905年には日本最初の山岳会である日本山岳会が設立された。それ以降も日本国内で様々な山岳会が結成され、全日本山岳連盟(現・日本山岳協会)と勤労者山岳会(現・日本勤労者山岳連盟)のような統括団体が生まれた。 山岳会は主に団体での山行や会員同士による登山技術の研修指導を行っている。会によっては、登山道もしくは山小屋の維持修繕、救助活動の支援、非会員への講演・研修、森林の保護、高山へ挑戦する会員の支援などを行っている。また、登山用品メーカーに対しては消費者団体としての側面も持つ[注釈 11]

登山ガイド団体[編集]

競技者団体[編集]

山岳遭難対策協議会[編集]

山岳事故を防止・救難するための情報提供を行ったり、警察・消防などの公的機関に協力して救助活動を行う団体である。

行政機関[編集]

  • 日本では管轄の警察や消防、自衛隊が山岳事故の防止活動と山岳救助を実施している。山岳救助を参照。
  • 市町村では地域振興課や観光振興課のような部署で登山道に関する情報を提供していることがある。
  • 東京都においては環境局に自然保護専門員を設置し、登山マナーの啓発指導・密猟盗掘の監視・登山道の管理を行っている。東京都レンジャーを参照。
  • 国においては国立公園の管理を環境省が行っている。

登山用品メーカー・販売店[編集]

登山用品は多岐にわたるため、登山用品に限っても多くの総合・専門メーカーが存在する。

登山を扱った作品[編集]

漫画[編集]

小説[編集]

いわゆる山岳小説と呼ばれるジャンルである。

注釈[編集]

  1. ^ アンナプルナはフランス隊による「人類初」の8000メートル峰登頂、エベレストはイギリス隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによる世界最高峰初登頂、マナスルの初登頂は槇有恒率いる日本山岳会隊の今西壽雄とシェルパのギャルツェン・ノルブによるもの。
  2. ^ リーダーが熟知しているだけでは事故や遭難のリスクが高まる
  3. ^ 例えば4-5名以上
  4. ^ うっかりテントのポール(柱)をザックに入れ忘れて、山中で窮地に陥る登山者も多い。
  5. ^ 登山の楽しみのひとつでもあるので、若干量ならば嗜好品も持ってゆく登山者も多い。
  6. ^ 走ることではなく、尾根をつたい、いくつもの山頂を歩いてゆくこと(出典:大辞林「縦走」)
  7. ^ 体力や装備、あるいは天気図に関する技能・知識や、高山植物応急処置の方法、テントの設営技術等を、審査員がそれらの達成度を採点し、高校ごとに順位を決定する。隊列に遅れず登頂を目指すのも体力点として高得点ではあるが、他にもマナーや態度、知識や服装にも気を遣う必要がある。
  8. ^ 3〜4日間をテントで過ごし、食事も寝床もすべて自分達で持ち歩き準備しなければならない登山競技は、インターハイにおいては最も厳しい競技のひとつである。
  9. ^ 地方大会では実力の優劣をはっきりとさせるために重量規制があり、現段階では4人で60kgという規定がある。その60kg以外に、飲料として使用する、ケガの治療などとして使用するために綺麗な水なども要するため、実質70kgにも75kgにも及ぶことなどが多々あるという。
  10. ^ ※メルクマニュアル日本語版1によれば、「高山病」の発症リスクは体力の有無とは関係なく、また、高齢者より若い人に多く発症する症候群である。メルクマニュアル家庭版、296 章 高山病 2010年6月27日閲覧.
  11. ^ ナイロンザイル事件を参照。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 平凡社『世界大百科事典』vol.20, pp.266-269、徳久球雄執筆
  2. ^ ヒストリア・アウグスタ ハドリアヌス 13
  3. ^ a b c d 『北アルプス この百年』 pp.11-72
  4. ^ a b c d e f g h i 『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 pp.260-273 日本の登山小史 山崎安治
  5. ^ 『峠の歴史学 古道をたずねて』 pp.105-155、61-104
  6. ^ 『峠の歴史学 古道をたずねて』 pp.136、138-155
  7. ^ 『山と高原地図 51六甲・摩耶・有馬』1994年版小冊子p.12『登山史』、調査執筆:赤松滋
  8. ^ a b c 『黎明の北アルプス』 pp.165-171
  9. ^ 『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 p.2
  10. ^ 『山と高原地図 51六甲・摩耶・有馬』1994年版小冊子p.12『登山史』、調査執筆:赤松滋
  11. ^ 『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 p.48 山でつくられた郷土の科学者 高橋秀男
  12. ^ 『北アルプス この百年』 pp.60-62, 156-169
  13. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.16、18
  14. ^ a b c 『北アルプス この百年』 pp.74-125、170-187
  15. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.18、25。本書は、近代登山以降という観点で、この大正期から昭和初期、戦争によって下火になるまでの間のブームを、第1次登山ブームと呼んでいる。
  16. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.18、19。東久邇宮稔彦王秩父宮雍仁親王が登山に親しんだ。
  17. ^ 『北アルプス この百年』 pp.178-180。1925年(大正14年)長野県制定の登山者休泊所及案内者取締規則により山案内人の公的な資格認定が始まり、その流れは1953年(昭和28年)の長野県観光案内業条例に引き継がれた。この条例の資格を受けた者は、2001年(平成13年)は579人。
  18. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.19
  19. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.22、24
  20. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.25。登山者は非国民と呼ばれるなどの時代情勢になった。
  21. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.25-26
  22. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.29-30。
  23. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.30
  24. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.29-32
  25. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.32-35。谷川岳の遭難死者数は2008年(平成20年)までに792人で、本書によれば、「世界でいちばん遭難死者が多い山」としてギネス世界記録に認定されているという。
  26. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.236-238
  27. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.39
  28. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.29、30、39。本書は、前述の観点で、このブームを第2次登山ブームと呼んでいるが、一般的には、このブームを第1次登山ブームと呼ぶ場合が多いという。
  29. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.224-227。「旅行会社のパック旅行のような」(p.225)形態のツアー登山の先駆けは、1970年代末頃と考えられる。
  30. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.236-238。2007年(平成19年)日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド協会を脱会、2010年(平成22年)1月現在、山岳ガイドの資格認定を行う全国的な団体は2団体となっている。
  31. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.50-53。本書では、前述の観点から、これを第3次登山ブームと呼び、始期は、1980年代後半から1990年代初頭ではないかとしている。
  32. ^ “八甲田山で雪中行軍遭難、大惨事に”. 佐賀新聞. http://www1.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/1902/02.html 2014年10月7日閲覧。 
  33. ^ a b 中高年の山遭難増える 死者・不明は過去最多 J-CASTニュース 2010/6/ 9 18:04
  34. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.73 - 79
  35. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.70 - 73
  36. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.71
  37. ^ 平成20年中における山岳遭難の概況(警察庁生活安全局地域課)
  38. ^ docomo ich 2010年6月9日0時50分配信のニュース
  39. ^ 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.77-79
  40. ^ 朝日新聞2010年6月26日 富士登山 体調急変ご注意(静岡県警・山梨県警への調査記事)。
  41. ^ “海外メディアも人的被害の大きさ速報”. 産経新聞. (2014年9月29日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140929/dst14092900030001-n1.htm 2014年10月10日閲覧。 
  42. ^ “御嶽山噴火、心肺停止の3人を発見 3日ぶり捜索再開”. 朝日新聞. (2014年10月7日). http://www.asahi.com/articles/ASGB72SHFGB7UTIL006.html 2014年10月7日閲覧。 
  43. ^ “富士山登山、ヘルメット持参を 山梨知事、避難壕も検討”. デーリー東北. (2014年10月8日). http://www.daily-tohoku.co.jp/news/m2014100801001437.html 2014年10月10日閲覧。 
  44. ^ 登山者の努力事項ご存知ですか?(制度PR資料)”. 内閣府. 2016年2月26日閲覧。
  45. ^ 避難確保計画の作成にご協力ください!(制度PR資料)”. 内閣府. 2016年2月26日閲覧。
登山のメッカ、ヒマラヤ連峰のアンナプルナIII峰

参考文献[編集]

関連文献[編集]

関連項目[編集]