丹沢山地
| 丹沢山地 | |
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横浜市から望む丹沢山地(2007年1月撮影) | |
| 所在地 | 神奈川県・山梨県 |
| 位置 | 北緯35度29分11秒 東経139度8分20秒 / 北緯35.48639度 東経139.13889度座標: 北緯35度29分11秒 東経139度8分20秒 / 北緯35.48639度 東経139.13889度 |
| 最高峰 | 蛭ヶ岳(1,673 m) |
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丹沢山地(たんざわ さんち)は、神奈川県北西部から山梨県東部にかけて広がる山地である[1][2]。東西約40キロメートル、南北約20キロメートルに及び、神奈川県の面積の約6分の1を占める[1][2]。本項で扱う丹沢山地の最高峰は標高1,673メートルの蛭ヶ岳である[2]。丹沢山地を関東山地に含めるかどうかは文献によって異なる[注釈 1]。山地の大部分は、丹沢大山国定公園および神奈川県立丹沢大山自然公園に指定されている[2]。
丹沢山地を構成する岩体の多くは、約1,700万年前以降にフィリピン海プレート上の海底火山として形成された[9]。 その後、プレートとともに北上し、約700万年前から400万年前にかけて、現在の本州を形づくる島弧(本州弧)へ衝突・付加した。さらに、約200万年前以降には伊豆地塊が丹沢地塊へ接近し、約100万年前以降に衝突が本格化すると、丹沢地域の隆起と侵食が進み、現在の急峻な山地が形成された[2][10][11]。山頂部や主尾根には比較的なだらかな地形が残る一方、侵食によって深い渓谷や急斜面が発達している[12][2]。
高標高域にはブナ林をはじめとする自然林が分布し、ニホンジカ、ニホンカモシカ、ツキノワグマなどが生息する[13][14]。一方、ブナ林の衰退やニホンジカによる林床植生への影響などが自然環境上の課題となっている[15][16]。山地東部の大山は古くから山岳信仰の対象となり、江戸時代には庶民による大山詣りが盛んに行われた[17]。現在は首都圏に近い登山地域として利用され、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸、大山などに多くの登山者が訪れる[18]。
概要
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丹沢山地の範囲は資料によって異なる[19]。東は中津山地(相州アルプス)から相模平野へ連なり、南東は秦野盆地に接し、南西は酒匂川を隔てて足柄山地と向かい合う。西は富士五湖地域に接し、北は道志川を隔てて道志山塊(道志山地)と向かい合う[19]。
このように道志川以南を丹沢山地とする区分がある一方、道志山地を丹沢山地の北部として含める広義の区分もある[20]。後者では、道志山地の御正体山が最高峰とされる[20]。本項では、道志山塊を含まない道志川以南の地域を丹沢山地とする。
丹沢山地は侵食の進んだ壮年期的地形をなし、山頂部や主尾根には比較的なだらかな部分が残る一方、深い渓谷が発達する複雑な地形をなす[12][2]。 しかし、関東大震災により大量のガレが発生した結果、丹沢山地の最奥部である玄倉川の上流はV字谷ではなく幅広い河原がみられる[21][22]。
主要な山稜のうち、焼山から黍殻山、姫次、蛭ヶ岳(1,673メートル、丹沢最高峰)、丹沢山を経て塔ノ岳(1,491メートル)へ延びる山稜を丹沢主脈という[23][24]。また、蛭ヶ岳から西へ臼ヶ岳、檜洞丸、犬越路を経て大室山(1,587メートル)へ続く山稜を丹沢主稜という。 [23][24]。 大室山から西へは両県の境界をなす甲相国境尾根が延び、加入道山、菰釣山などを経て三国山方面へ続く[25][26]。山地西端部の三国山稜は富士山麓へ連なる[25][26]。 塔ノ岳から南東へ新大日、行者岳、烏尾山、三ノ塔などを経てヤビツ峠方面へ延びる山稜を表尾根という[23]。ヤビツ峠の東側には大山がそびえる[23]。
丹沢主脈線を基準に蛭ヶ岳以東を東丹沢、以西を西丹沢と呼ぶ。また、表尾根の南を表丹沢または南丹沢、蛭ヶ岳北側を北丹沢または裏丹沢と呼ぶこともある[27]。
東丹沢では、相模川水系の中津川や早戸川などが渓谷を刻む[19]。中津川上流の中津渓谷は、その上流部が宮ヶ瀬ダムの建設によって形成された宮ヶ瀬湖に水没した[28][29]。 西丹沢では、酒匂川水系の中川川、玄倉川、世附川が渓谷を刻み、丹沢湖へ流入する[30]。玄倉川上流にはユーシン渓谷がある[31]。丹沢湖は、河内川に築かれた三保ダムのダム湖である[32]。
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主要な山
[編集]主要な山の標高は、国土地理院の「日本の主な山岳標高」および地理院地図による[33][34]。国土地理院の資料に標高が表示されていない山については、個別に出典を示した。山稜別の区分は、神奈川県の登山道資料などによる[24]。
特徴的な山名
[編集]丹沢山地には、「丸」や「頭」を伴う山名がみられる。「丸」は山頂が丸い山を指し、檜洞丸、畦ヶ丸、大丸、小丸などの例がある。「頭」は谷や沢の源頭にあたる顕著な隆起や峰をいい、棚沢ノ頭、鬼ヶ岩ノ頭、ミカゲ沢ノ頭、伊勢沢ノ頭などの例がある[37]。
地質と形成史
[編集]丹沢山地のもととなる岩体の多くは、約1,700万年前、現在の日本列島から南に離れたフィリピン海プレート上の海底火山として形成され始めた[9]。岩体はプレートとともに北上し、約700万年前から400万年前にかけて本州弧へ衝突・付加した。その後、約200万年前以降には伊豆地塊が丹沢地塊へ接近し、両地塊の間に足柄層群が堆積した。約100万年前以降に伊豆地塊の衝突が本格化すると、丹沢地域の隆起と侵食が進み、現在の丹沢山地の原形が形成された[2][10][11]。
海底火山と丹沢層群(約1,700万~500万年前)
[編集]新第三紀中新世前期の約1,700万年前、現在の丹沢山地のもととなる火山体が、当時の本州から南に離れた太平洋の海底で活動を始めた[38]。海底火山から噴出した溶岩や火山砕屑物は海底に厚く堆積し、現在の丹沢山地を構成する主要な地層である丹沢層群が形成された[38]。
丹沢層群には、海底に流出した溶岩から形成された枕状溶岩、水中で溶岩が破砕されて生じたハイアロクラスタイト、火山砕屑物が海底を流れ下って堆積した火砕質タービダイトなどが含まれる[39]。約1,600万~1,500万年前の地層からは、サンゴやオウムガイなどの化石を含む石灰岩も見つかっており、当時の火山島周辺が熱帯の浅海域にあったことを示している[39]。
海底火山活動と堆積は鮮新世前期の約500万年前ごろまで続いた[9]。形成された火山体と地層は、フィリピン海プレートの移動に伴って長い時間をかけて北上し、しだいに本州弧へ近づいていった[9]。
本州弧への衝突(約700万~400万年前)
[編集]中新世末から鮮新世にかけて丹沢地塊の衝突が始まり、古伊豆・小笠原弧の一部が本州弧へ付加された[40][41]。これに伴い、もともと海底にあった丹沢層群も変形・隆起した[40][41]。
両島弧の接近・衝突に伴って、その境界には細長い海盆またはトラフが形成された[42]。そこには古伊豆・小笠原弧から供給された火山砕屑物と、本州側から運ばれた砂・泥・礫などが堆積した。丹沢層群上部の早戸亜層群は、この衝突境界を埋めた堆積物と解釈されている[42]。
山地東部から北東部に分布する愛川層群も、主に後期中新世から鮮新世の海底火山砕屑岩、砂岩、泥岩、礫岩などからなり、古伊豆・小笠原弧と本州弧との間のトラフを埋積した地層と考えられている[43]。愛川層群は、青野原-煤ヶ谷構造線などの断層を介して丹沢層群と接する[43]。
深成岩体の形成(約500万~400万年前)
[編集]丹沢深成岩体は丹沢山地中央部で丹沢層群に貫入した深成岩であり、主に斑れい岩類からなる斑れい岩複合岩体と、トーナル岩類からなるトーナル岩複合岩体によって構成される[44]。
かつては、丹沢深成岩体は伊豆・小笠原弧の中部から下部地殻が衝突によってそのまま隆起・露出したものと考えられていた[45][41]。しかし、年代学的・岩石学的研究により、トーナル岩複合岩体の主要部は約500万年前から400万年前に形成され、丹沢地塊が本州弧への衝突を始めた後のマグマ活動によって生じたと考えられるようになった[45][41]。
丹沢層群は、深成岩体の貫入とは別に、広い範囲で沸石相からぶどう石-パンペリー石相に相当する低度の埋没変成作用を受けている[46]。深成岩体の周辺では、マグマの貫入に伴って緑色片岩相から角閃岩相に至る高温の変成作用を受け、変成岩となった。深成岩体の南側と北西部には片理の発達した結晶片岩が分布し、北側と東側には主に塊状のホルンフェルスが分布する[46]。
南側の結晶片岩の形成は、深成岩体による単純な接触変成作用だけでは説明できないとされる[41]。鉱物の組成や温度・圧力履歴から、活動的な島弧同士の衝突に伴う高温のスラブの沈み込みと、その後の急速な上昇が関係した可能性が示されている[41]。
伊豆地塊の接近・衝突と隆起(約200万年前~現在)
[編集]丹沢地塊が本州弧へ付加された後も、フィリピン海プレート上の伊豆地塊は北上を続けた[11][47]。伊豆地塊が丹沢地塊へ接近・衝突する過程で、両地塊の間に形成されたトラフには足柄層群が堆積した。伊豆地塊の接近に伴って約200万年前以降に足柄層群の堆積が進み、約100万年前以降には衝突の本格化によって丹沢地塊の変形と隆起が強まったと考えられている[11][47]。
足柄層群は約200万年前以降の更新世に形成された泥岩・砂岩・礫岩などからなり、砕屑物の多くは隆起・侵食されつつあった丹沢山地から供給された[48]。 足柄層群は下位の細粒な泥岩・砂岩から上位の粗粒な礫岩へと変化する上方粗粒化の傾向を示す。この変化は、トラフの埋積と浅海化に加え、丹沢山地の隆起と侵食が強まったことを示すと考えられている[49]。
丹沢山地南縁では、丹沢層群が神縄断層を介して足柄層群の上に衝上している[50][47]。伊豆地塊の衝突に伴う圧縮運動により、丹沢地塊はさらに変形・隆起し、地下にあった深成岩体や変成岩類が地表に露出した[50][47]。
地震と山地崩壊
[編集]急峻な丹沢山地では、地震や豪雨による斜面崩壊が地形の形成に大きな影響を与えてきた[51]。1923年9月1日の関東地震では山地の各所で多数の斜面崩壊が発生した。さらに、地震の約2週間後の台風に伴う豪雨と、1924年1月15日の丹沢地震によって崩壊地が増加したとされる[51]。
その後も、台風や1972年の昭和47年7月豪雨などによって新たな崩壊が発生し、既存の崩壊地でも拡大や土砂の移動が起きた[52]。とくに西丹沢の中川川・玄倉川流域には、関東地震や豪雨によって形成された崩壊地が多く分布している[52]。
自然
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生態系
[編集]丹沢山地では、概ね標高800メートル以上の奥山域にブナ林などの自然林が分布する[13]。ブナ林はブナを代表的な構成樹種とし、ミズナラ、ミズメ、オオモミジなどの多様な落葉広葉樹によって構成される[13][53]。
5月中旬から6月上旬にかけては、山地の高所でシロヤシオやトウゴクミツバツツジが開花する[18]。とくに檜洞丸では、この時期に多くの登山者が訪れる[18]。
丹沢の限られた高所の岩場には、丹沢固有種のサガミジョウロウホトトギスが生育し、9月上旬に開花する[54]。同種は分布域がきわめて狭く、神奈川県レッドデータブックでは絶滅危惧I B類に選定されている。過剰採取、治山工事、産地の局限が存続を脅かす要因とされる一方、近年の個体数減少は確認されていない[54][55]。
哺乳類では、ニホンジカ、ニホンザル、イノシシ、タヌキ、キツネ、ニホンカモシカ、ツキノワグマなどが生息する[14]。
ニホンジカは、過度の採食によって林床植生を衰退させるなど、丹沢山地の自然植生に大きな影響を与えている[16]。
ツキノワグマは県内では主に丹沢山地に生息し、その生息数は約80頭と推定されている[56]。個体数が少ないことから、神奈川県のレッドデータブックでは絶滅危惧種とされ、県内では狩猟の自粛などによる保護が行われている[56]。
ブナ林の衰退
[編集]丹沢山地の高標高域では、1970年代から1980年代以降、ブナなどの高木の立ち枯れが目立つようになった[15]。1990年代以降は、特に蛭ヶ岳から丹沢山・竜ヶ馬場にかけての主稜線と、檜洞丸の南向きから西向きの斜面を中心に、立ち枯れによる疎林化や草地・裸地の拡大が進んだ[15]。
ブナ林の衰退には、光化学オキシダントの主成分であるオゾン、乾燥に伴う水ストレス、ブナハバチによる葉の食害、ニホンジカによる林床植生の衰退など、複数の要因が関係すると考えられている[15]。丹沢山地では、ブナの成長や光合成を低下させる濃度のオゾンが観測されており、林冠が開いた場所ではオゾンや風の影響を受けやすくなる可能性が指摘されている[15]。
シカ食害
[編集]ニホンジカによる過度の採食も、丹沢山地の自然環境に大きな影響を与えている[57]。県内のシカは、狩猟の影響によって1950年頃に個体数が大きく減少し、1955年から1970年まで全県でオスジカの狩猟が禁止された。1960年代には丹沢山地の一部が鳥獣保護区に指定される一方、個体数の回復に伴ってスギ・ヒノキ植林地の林業被害が拡大した[57]。
1968年から行われた調査では、シカの個体数が年間約10パーセントの割合で増加していると推定され、1970年には苗木や若木への被害が大きい地域に猟区が設定された[58]。この捕獲方針に対しては、シカの捕獲に心を痛めた小学生の作文を横浜市の合唱団が劇化するなど、反対運動も行われた[59]。
1980年代後半以降は、高標高域でシカの採食によるスズタケや多年生草本の減少、樹皮剥ぎ、天然林の林床植生の衰退などが顕在化した[57]。このため、山稜部などではシカの採食から林床植生を守る植生保護柵が設置され、樹木には樹皮剥ぎを防ぐためのネットが巻かれている[60][61]。
管理捕獲を継続している地域ではシカの生息密度の低下や部分的な植生回復が確認されているが、丹沢山地全体では植生の回復には至っておらず、個体数調整、植生保護柵の設置、森林整備などが続けられている[60]。
ヤマビル問題
[編集]丹沢山地では、東部を中心にヤマビルが生息し、登山者、農林業従事者、山麓の住民などに吸血被害が生じている[62]。ヤマビルは湿潤な環境を好み、おおむね4月から11月に活動し、特に気温・湿度・降水量が生息に適する6月から9月には、雨中や雨後に活動が活発になる[62]。
神奈川県では、古くから丹沢山地の奥地の一部にヤマビルが生息することが知られていたが、2000年代までに山麓の里山、農耕地、住宅地へ生息域が拡大した[63]。2017年から2019年にかけて目撃情報を集めた県のアンケート調査では、2007年・2008年の調査時と比べ、県内における分布が南・北・西方向へ広がったと報告されている[64]。
ヤマビルの生息域の拡大には、ヤマビルが付着したニホンジカやイノシシなどの野生動物の移動に加え、人による運搬も関係すると考えられている[62][64]。県の共同研究では、ヤマビルの消化管内に残る血液のDNA分析により、ニホンジカ、イノシシ、タヌキ類、ニホンカモシカなどからの吸血が確認され、なかでもニホンジカとイノシシは、吸血対象であるとともにヤマビルの運搬者として重要である可能性が示された[65]。また、里地・里山の森林や農地の管理不足によって、野生動物が人の生活圏へ進出しやすくなったことも、生息域拡大の一因とされる[63]。
対策としては、草刈り、刈草・落葉・枯れ木・石などの除去、間伐による日照と通風の改善、側溝の清掃などにより、ヤマビルが生息しにくい乾燥した環境をつくる方法が行われている[62]。共同研究の草刈り試験では、草を刈るだけの試験地では有意な防除効果が認められなかった一方、刈草の除去、集積または乾燥後の処理を行った試験地では、ヤマビルの出現を抑える効果が確認された[66]。このほか、獣害防護柵の設置、野生動物の生息密度の管理、薬剤の局所的な使用などを組み合わせ、地域の状況に応じた対策を継続することが必要とされている[67]。
歴史
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山岳信仰
[編集]丹沢山地には、仏果山、経ヶ岳、行者岳、新大日、不動ノ峰、尊仏山(塔ノ岳)、薬師岳(蛭ヶ岳)、菩提峠など、仏教や修験道に関係する山名・地名が多く残されている[68]。これらの名称は、丹沢山地が古くから仏教信仰の対象となり、修験者の活動の場であったことを示すものとされ、修験者自身、またはその活動の跡を伝えた人々によって名付けられたとみられる[68]。
山名の由来に関する伝承として、蛭ヶ岳を毘盧遮那仏にちなむ「毘盧ヶ岳」から転じたものとする説や、塔ノ岳を山頂付近にあった尊仏岩が「お塔」と呼ばれたことに由来するとする説がある[68]。また、経ヶ岳は弘法大師が経文を納めた山、仏果山は仏果禅師が修行した山、行者岳は役行者が開いた山とする伝承がある[68]。
大山山頂周辺からは、縄文時代後期の土器片、古墳時代の土師器・須恵器、平安時代の経塚壺や経筒などが出土している[69]。大山信仰の成立時期は明らかではないが、古くから山中に人が立ち入っていたことを示している。縄文土器については、当時の信仰に関係する遺物とする説と、後世の修験者が持ち込んだとする説がある[69]。
大山信仰と大山詣り
[編集]丹沢山地東部の大山は、『大山寺縁起』によれば、奈良時代の天平勝宝7年(755年)に僧良弁が大山寺を開いたと伝えられる[70][69]。古くは「阿部利山」と呼ばれ、「大福山」「如意山」とも称されたとされる[69]。
中世には「雨降」の表記がみられ[71]、江戸時代後期には「雨降山」という山号が用いられた[72]。大山は雨乞いや五穀豊穣の霊場として信仰され、山頂の石尊大権現と中腹の大山不動を中心に神仏習合の信仰が形成された[17]。現在は山頂に大山阿夫利神社本社、中腹に大山阿夫利神社下社と大山寺がある[17]。
江戸時代中期以降には、御師による布教活動を背景として、庶民による大山詣りが盛んになった[69]。大山講は相模・武蔵を中心に、房総、甲信越、駿河・遠江・伊豆などにも組織され、御師は各地の檀家を訪ねて札を配るとともに、参拝者の宿泊や登拝の案内を担った[69]。江戸の人口が約100万人であった時期には、年間約20万人が大山を訪れたとされる[17]。山麓には宿坊、茶店、土産物店が並び、参拝と行楽を兼ねた門前町が形成された[17]。
近世の森林管理
[編集]江戸時代、東丹沢の愛甲郡宮ヶ瀬村・煤ヶ谷村周辺には、幕府の御林である丹沢山御林が置かれた[73]。横野村、菩提村、寺山村、煤ヶ谷村、宮ヶ瀬村などの村々が山守を務め、御林の見回りや管理に関わった[73][74]。
御林では、ツガ、ケヤキ、モミ、スギ、カヤ、クリが「丹沢六木」として御用木に定められ、伐採が規制された[2]。一方、御林内では雑木を用いた御用炭の生産も行われ、周辺村落の住民が山林をまったく利用できなかったわけではない[75]。
西丹沢の中川村・玄倉村周辺には、小田原藩の御留山が置かれていた。ここでもスギ、ヒノキ、モミ、ツガなどが御留木とされたが、そのほかの雑木については村民の利用が認められ、木地や下駄への加工、木炭生産などが行われていた[75]。
近代以降の森林利用
[編集]明治維新後、旧幕府領・旧小田原藩領の御林は官林に編入され、その後、皇室財産である御料林となった[75]。1931年(昭和6年)には御料林の一部が神奈川県へ下賜され、現在の県有林の基礎となった[75][76]。
明治後期以降には、御料林や国有林で伐採・造林が進められた[2]。戦前から第二次世界大戦中にかけては、ブナやモミなどがパルプ材や軍用材として大量に伐採された[2][77]。
終戦後には燃料不足を補うため木炭生産が盛んになり、木材需要の増加を背景にスギ・ヒノキの造林が進められた[78]。1955年ごろから1960年代にかけては、自然林を伐採して人工林へ転換する拡大造林が盛んに行われた[78]。
登山の普及と自然公園指定
[編集]1955年(昭和30年)、丹沢山地は第10回国民体育大会の山岳競技会場となり、登山道や山小屋の整備が進められた[2]。これを契機として、丹沢を訪れる登山者が増加した[2]。
1960年(昭和35年)には県立丹沢大山自然公園に指定された[78]。1962年から丹沢山地で初めての総合的な科学調査である丹沢大山学術調査が実施され、その成果をまとめた『丹沢大山学術調査報告書』が1964年に刊行された。1965年(昭和40年)3月25日には、山地の中核部が丹沢大山国定公園に指定された[78]。
登山
[編集]丹沢山地は首都圏に近く、鉄道駅から各登山口への路線バスも運行されていることから、多くの登山者に利用されている[79]。2022年3月から2023年2月までに実施された登山者数調査に基づく推計では、丹沢大山地域の年間利用者は約47万人であった[79]。
最高峰の蛭ヶ岳は標高1,673メートルであるが、丹沢山地には多数の支尾根、急斜面、深い渓谷、崩壊地などからなる複雑な地形が発達している[2]。登山口から山頂までの標高差が大きいコースもあり、大倉から大倉尾根を経て塔ノ岳へ登るコースは、往復約14キロメートル、標高差約1,200メートルである[80]。
主な登山地域とコース
[編集]丹沢地域の登山道は、管理上、表丹沢、西丹沢、東丹沢、北丹沢の各方面に分けられている[24]。また、北丹沢・西丹沢に東海自然歩道のコースが設定されている[25]。
表丹沢では、大山の表参道、ヤビツ峠から三ノ塔・行者岳・新大日などを経て塔ノ岳へ至る表尾根、大倉から塔ノ岳へ登る大倉尾根、大倉から二俣・後沢乗越を経て鍋割山へ登るコースなどが利用される[80]。表尾根をヤビツ峠から塔ノ岳へ縦走して大倉へ下るコースは約14キロメートルで、複数の峰を上下し、行者岳付近などに鎖場を伴う岩場がある[80]。
東丹沢では、煤ヶ谷から物見峠・大山三峰山を経て不動尻へ至るコース、土山峠から辺室山・物見峠へ登るコース、仏果山・経ヶ岳周辺のコース、宮ヶ瀬から丹沢三峰を経て丹沢山へ至るコースなどがある[24]。塩水橋から堂平を経て丹沢山へ登るコースや、本谷橋から天王寺尾根を登るコースも東丹沢方面に含まれる[24]。
西丹沢では、西丹沢ビジターセンターからツツジ新道を経て檜洞丸へ登るコース、犬越路を経て大室山へ登るコース、沢沿いから畦ヶ丸へ登るコースなどが利用される[80]。檜洞丸往復コースは約10キロメートル、標高差約1,060メートルで、途中のゴーラ沢出合では沢を渡る。大室山往復コースは約13キロメートル、標高差約1,050メートルである[80]。このほか、檜洞丸から臼ヶ岳を経て蛭ヶ岳へ至る丹沢主稜、檜洞丸から犬越路へ下るコース、加入道山、不老山、大野山などへの登山道がある[24]。
北丹沢では、国道413号沿いなどを起点として、焼山・黍殻山・姫次方面、神ノ川から袖平山・姫次・犬越路方面、甲相国境尾根の大室山・加入道山・畦ヶ丸・菰釣山方面へ登るコースがある[24]。北側から姫次を経て蛭ヶ岳へ登ることもできる[24]。
丹沢山地中央部では、塔ノ岳から丹沢山・蛭ヶ岳を経て焼山方面へ延びる丹沢主脈の縦走が行われる[80]。大倉から塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳を経て焼山登山口へ至るコースは約23キロメートル、標高差約1,400メートルで、標準的な所要時間が12時間を超えるため、山小屋泊が推奨されている。また、大倉から蛭ヶ岳・檜洞丸を経て西丹沢ビジターセンターへ下る、丹沢主脈と丹沢主稜を組み合わせた縦走コースもある[80]。
東海自然歩道は、東京都の明治の森高尾国定公園から大阪府の明治の森箕面国定公園までを結ぶ長距離自然歩道である[25]。神奈川県内では、東京都境の小仏峠から相模湖周辺を経て丹沢山地に入り、山梨県境の高指山・切通峠まで、サブルートを含めて125.8キロメートルが整備されている[25]。
丹沢山地を通る山岳区間には、「裏丹沢のみち」「丹沢主稜越えのみち」「大理石のみち」「滝めぐりのみち」「甲相国境のみち」が設定されている[25]。「裏丹沢のみち」は姫次付近の標高1,400メートルを超える尾根を通り、「丹沢主稜越えのみち」は犬越路で丹沢主稜を越える。「甲相国境のみち」は、神奈川県と山梨県の県境をなす甲相国境尾根を通る[25]。神奈川県コースは、東海自然歩道の全コース中でも最も険しいコースとされる[25]。
山小屋
[編集]主要な山頂には山小屋が設けられている[81]。塔ノ岳山頂には尊仏山荘、丹沢山山頂にはみやま山荘、蛭ヶ岳山頂には蛭ヶ岳山荘、檜洞丸山頂には青ヶ岳山荘があり、宿泊施設として利用されている。鍋割山山頂には鍋割山荘があるが、宿泊営業は行っていない。このほか、登山道沿いには土曜・休日のみ、または不定期に営業する山小屋がある[81]。
登山道の保全
[編集]登山者は大山、表尾根、大倉尾根などの一部の登山道に集中しており、踏圧による植生の衰退、登山道の複線化、土壌流出などのオーバーユースが問題となっている[79]。このため、登山道の巡視、土砂の除去、倒木処理、階段・水切り・ロープ柵の設置や補修が行われている。行政と登山・自然保護団体との協定に基づく登山道の維持管理や、環境配慮型山岳公衆トイレの整備・管理も実施されている[79]。
登山者には、登山道を外れて周囲の植生を踏み荒らさないこと、動植物を採取しないこと、ごみを持ち帰ることなどが求められている[82]。山岳公衆トイレでは、維持管理費として協力金を募るほか、使用済みの紙を持ち帰る方式が採用されている施設もある[82]。
山岳遭難と安全対策
[編集]丹沢山地では、道迷い、転倒・滑落、疲労などによる山岳遭難が発生している[80]。大山や大倉尾根では疲労や転倒、檜洞丸のツツジ新道では下山時の転倒、鍋割山周辺では分岐の誤認による道迷いが多いとされる[80]。神奈川県警察などは、体力・技術・経験に応じた登山計画、適切な装備、登山計画書の提出、事前の気象・通行情報の確認を呼びかけている[83][81]。
交通
[編集]公共交通機関
[編集]丹沢山地の南側では、小田急小田原線の本厚木駅・伊勢原駅・秦野駅・渋沢駅・新松田駅などが、公共交通による主な起点となる[84][85][86]。新松田駅にはJR東海御殿場線の松田駅が近接する[84][85][86]。各駅からの主なバス路線は次のとおりである。
- 本厚木駅・厚木バスセンター - 半原、宮ヶ瀬、七沢方面へのバスが運行されている[87][88][89]。
- 伊勢原駅 - 北口から日向薬師および大山ケーブル行きのバスが運行されている[91][92]。
- 秦野駅 - 蓑毛およびヤビツ峠行きのバスが運行されている。ヤビツ峠は大山、岳ノ台、表尾根方面への登山口となる[93][94]。
- 渋沢駅 - 北口から大倉行きバスが運行されている。大倉は大倉尾根、塔ノ岳、鍋割山など、表丹沢の各山への主要な登山口である[95]。
- 新松田駅 - 寄および西丹沢ビジターセンター行きのバスが富士急モビリティにより運行されている[96][97]。
このほか、御殿場線の山北駅・谷峨駅は、大野山への登山の起点となる。山北駅からは高松山入口へ向かい、高松山に登ることもできる[99][100]。
北丹沢へは、横浜線・相模線・京王相模原線の橋本駅や、中央本線相模湖駅から三ケ木へ向かい、三ケ木で東野・月夜野方面へのバスに乗り継ぐ経路がある[101]。
三ケ木―東野―月夜野間の三56系統は、焼山や丹沢主脈方面への登山にも利用されてきた[102]。2026年3月29日までは、土曜・休日にも各方向1日2便が設定され、朝と午後に各1便が運行されていた[103]。 しかし、2026年3月30日のダイヤ改正後は土曜・休日の運行が廃止され、平日の三ケ木発12時10分と月夜野発12時55分の1往復のみとなった[104]。
神奈川中央交通は、乗務員不足などを理由として、同系統を含む相模原市中山間地域の路線から退出する意向を示している[104]。相模原市によれば、三ケ木より西では2027年3月末までに一部を除くバス路線の廃止が予定されており、市はコミュニティバスなどの代替交通への再編を進めている[105]。
自家用車
[編集]自家用車では、東丹沢の宮ヶ瀬湖方面、表丹沢のヤビツ峠・大倉方面、西丹沢の丹沢湖・西丹沢ビジターセンター方面などへ一般道路を利用して入ることができる[106][107][108]。
東丹沢方面の宮ヶ瀬湖畔へは県道64号伊勢原津久井線が通じ、宮ヶ瀬水の郷や鳥居原ふれあいの館などに駐車場が設けられている[106]。
表丹沢方面のヤビツ峠へは、国道246号の名古木交差点から県道70号秦野清川線を利用する。同県道はヤビツ峠、札掛、塩水橋などを経て宮ヶ瀬へ通じており、表丹沢と東丹沢を横断する主要な道路となっている[109]。大倉方面では、秦野戸川公園が自家用車による主な到達地点となる[107]。 また、寄方面へは、東名高速道路の大井松田インターチェンジから国道255号・国道246号を経て寄入口交差点から入ることができる[110]。
西丹沢方面へは、大井松田インターチェンジから国道246号を経て、清水橋交差点から県道76号山北藤野線を利用する。県道76号は丹沢湖、中川温泉を経て西丹沢ビジターセンターへ通じる[108]。
北丹沢方面へは、国道413号を利用して山梨県南都留郡道志村に入り、道志川沿いから丹沢山地北西部の登山口へ向かうことができる。道志村の中心部にある道の駅どうしへは、中央自動車道の都留インターチェンジから約30分、相模湖インターチェンジから約50分である[111]。 道志村側からは、久保・野原の吊橋付近、または道志の湯から白石峠方面へ入る林間広場を起点として、大室山や加入道山へ登ることができる。林間広場入口と野原には駐車場が設けられている[112]。
山地内部の林道には一般車両の通行を制限するゲートが設けられている路線が多い[113][114]。また、斜面崩壊、落石、工事などによって通行可能な区間が変わるため、林道へ入る際には神奈川県などが公表する最新の通行規制情報を確認する必要がある[113][114]。
丹沢山地が登場する作品
[編集]注釈
[編集]脚注
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参考文献
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 丹沢大山自然環境情報ステーション - 神奈川県
- 丹沢大山ナビ―自然と登山情報のポータルサイト - 神奈川県
- 丹沢のビジターセンター - 神奈川県立秦野ビジターセンター・西丹沢ビジターセンター
- 丹沢大山自然再生委員会
- 丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブ - 神奈川県立図書館