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三菱・ランサーWRC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ランサーWRC'04 (2004年モデル)

三菱・ランサーWRC(ランサーダブリューアールシー、ランサーワールドラリーカー、Lancer Worldrallycar )は、三菱自動車工業と、そのモータースポーツ部門であるラリーアート、三菱自動車モータースポーツ(MMSP)が世界ラリー選手権 (WRC) に出場するために製作した、ランサーをベースにしたワールドラリーカーであり、FIA公認書式での型式は全てCS2A(ランサーセディア)[1]となっている。本項目では大まか2車種、小変更含め4台(ランサーエボリューションWRC、ランサーエボリューションWRC2、ランサーWRC'04、ランサーWRC'05)について記述する。又、当時の文献、WEB等ではランサーWRCはランサーWRC'04の事を指している場合が多い。

開発経緯

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1997年に国際自動車連盟(FIA)が世界ラリー選手権(WRC)で「ワールドラリーカー(World Rally Car)」規定を導入した際、三菱自動車は従来のグループA車両であるランサーエボリューションでの参戦を継続した。これは当時のランエボシリーズが、市販状態でも高い競技性能を持ち、ホモロゲーション(公認)用車両として有利だったためである。[2][3]

しかし、1999年頃には他メーカー(スバル、フォード、プジョーなど)が完全な専用設計のワールドラリーカーを投入し始めたことで、開発自由度の面で不利な三菱のグループA仕様車は、ボディ補強、空力処理、重量配分の最適化などでワールドラリーカーに劣る状況となり、これが2001年の「ランサーエボリューションWRC(Step1)」開発の契機となった。[4][5]

Step1(2001年)ではグループA時代に比べ、ボディのフロアパネル、サスペンション取り付け点、ロールケージ構造など専用に開発された。特に冷却レイアウトと燃料系は競技専用設計とされ、市販の外観はほぼ同じエボリューションVIIとは異なる構成となっている。[6]

その後、2002年のStep2で信頼性と整備性の改善、2003年に短期間投入された改良仕様を経て、2004年のWRC04で初めて全面的な空力・駆動系の刷新が実施された。この時期に三菱は、グループA由来の開発体制から完全なワールドラリーカー開発体制へと移行しており、チーム体制もラリアートUKを中心とした欧州主体へと再編されている。[7][8]

参考文献

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  • [2] FIA WRC Regulation Introduction 1997
  • [3] Ralliart – 1998 Season Technical Summary
  • [4] Autocar: "Mitsubishi joins the WRC"(2001年)
  • [5] 三菱自動車工業『ランサーエボリューションの軌跡』2004年
  • [6] Ralliart – 2001 WRC Technical Overview
  • [7] Mitsubishi Motors – WRC 2004年 プレスリリース
  • [8] Autosport – "Mitsubishi WRC04 Technical Review"(2004年)

ランサーエボリューションWRC

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ランサーエボリューションWRC

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グループA規定に基づく改良のみで戦っていたランサーは次第に不利となり、2001年に三菱はワールドラリーカーへの移行を決定した。特例措置として、シーズン前半戦はリアサスペンションのストローク増大と軽量フライホイールを装着した「ランサーエボリューションVI(通称エボ6.5)」で参戦し、シーズン終盤のラリー・サンレモより、6代目ランサー CS2A系をベース(FIAの書類上は排気量 1,468.4 cm’のエンジン。ホモロゲーションナンバーはA-5632)とした三菱初のワールドラリーカーランサーエボリューションWRCを投入した。このモデルの外観は市販のCT9A型ランサーエボリューションVIIに酷似していた。開発はベルナール・リンダウアー率いるラリーアート・ヨーロッパ(RAE)が担当したが、慢性的な人員不足から計画は遅れ、トミ・マキネンでもグループA時代のような速さを発揮できず低迷した。

ランサーエボリューションWRCは、1980年代からスポーツカーおよびラリーカーに採用されてきた1996cc直列4気筒ターボエンジン「4G63」を引き続き搭載し、(ターボチャージャーはMITSUBISHI (H.I.) TYPE = TD05HRA)本仕様では5500rpmで300PS(221kW)、3500rpmで540N·m(398lb·ft)を発生した。比較的短期間で開発された背景があり、ラリーアートは1999年にFIAと結んだ契約により旧型仕様のランサーでの参戦を続けざるを得なかったため、投入の遅れは許されなかった。ワールドラリーカー規定では車両改造の自由度が高く、従来のグループA仕様では不可能であった改良が施された。具体的には、エンジンの軽量化、及び前方重量配分を最適化するための後方傾斜化、新型ターボや排気系統の導入が挙げられる。特にサスペンションは前後ともマクファーソンストラットを採用し、大きなホイールハウスを備えることでサスペンショントラベルを拡大した。しかし駆動系は従来型を踏襲したため、2001年末にマキネンがチームを去った後、新たに加入したドライバーたちは左足ブレーキ主体のドライビングを要する特殊なトランスミッションに順応できなかった。ディティールに関してはヘッドライトは2001年シーズンでは内部がブラックアウトされた市販車ランサーエボリューションVIIとほぼ同じのものを使用。翌2002年から重量削減と耐久性確保の為、カーボン製ハウジングの六灯式風のもの(最内側は丸いカーボンの蓋付)でプロジェクター式に変更され、カーボンのハウジングはアクリルのケースに収められる場合が多かった。初期型のランサーエボリューションWRCは「ステップ1」とも呼ばれ、2002年のラリー・フィンランド以降は改良版「ステップ2」へと置き換えられた。

ランサーエボリューションWRC2(ステップ2)

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ランサーエボリューションWRC2(2003年カラーリングの2002年モデル)

2002年シーズン、トミ・マキネンの離脱に伴いフランソワ・デルクールアリスター・マクレーが加入。小改良版ランサーエボリューションWRC2(ステップ2)が8月8日 - 11日のラリー・フィンランドでデビューした。

エンジンの最高出力は5500rpmで300PS(221kW)、最大トルクは3500rpmで540N·m(398lb·ft)を発生した。トランスミッションは6速シーケンシャル式を採用し、カーボン製トリプルプレートクラッチを介して、前後およびセンターに備えたアクティブデフによって駆動力を4輪に配分した。サスペンションは前後ともマクファーソンストラット+コイルスプリングを組み合わせ、ブレーキは前6ポット・後4ポットキャリパーとベンチレーテッドディスクを採用した。

車体面では、重量配分や重心の最適化、ラジエーター冷却効率を高めるためのフロントエアダム、新型インタークーラー、シングルスクロールターボ、新排気マニホールドの導入、軽量化されたクランクシャフトやフライホイールの採用など、多数の改良が加えられた。さらにサスペンションは強化され、トランスミッションもドライバーの異なるスタイル(デルクールやマクレーなど)に対応できるよう変更された。

しかしながら、先代マシンで課題となっていたコーナー進入時の過大なアンダーステアや慢性的なトラクション不足は解消されず、成績は低迷した。ラリー・ニュージーランドではヤニ・パーソネンが一時トップ5に食い込む走りを見せたが、大半のラリーでは下位チームとトップ10争いを繰り広げるのがやっとであった。結果として、2002年シーズンのドライバーズ選手権は計2ポイント、マニュファクチャラーズ選手権も9ポイントに留まった。

ボンネットのNACAダクト(エアボックス)はエボIV以来車両左側に付いていたが右側に変更(エンジンの搭載方向に変更無し)。フロントバンパーは開口部が更に少なくなり、ダクトの位置はカッティングシートか塗装により黒く処理する事でエボVIIと同じ見え方になるよう苦慮されている。ヘッドライトはドイツ戦以降はライトが4灯の位置バランスのものに変更された(交換できる消耗品部品なので例外あり)。

三菱自動車は2002年限りで本格的なWRC活動を中止に伴い1999年より続いたマールボロのスポンサードも終了[9]。2003年には開発を目的として断続的に参戦を続け、同年のラリー・ニュージーランドではアリスター・マクレーが6位入賞を果たした。

エアロ設計(Step1 / Step2期)

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2001年(Step1)および2002年(Step2)に投入されたランサーWRC(エボリューションWRC)は、市販のランサーエボリューションVIIと外観が類似しているものの、前後バンパーやサイドスカートなどの外装パーツは競技目的により大きく設計思想が異なっている。[10][11]

WRC規定下では空力設計の自由度が増したが、ラリアート(Ralliart)は信頼性と整備性を優先し、複雑で破損しやすいフロントリップやディフューザー開口部を抑えた簡潔な形状を採用した。これは未舗装路での泥詰まりや石跳ねに起因する冷却性能低下や損傷を防ぐためである。[12]

Step1はグループA仕様車(ランサーエボリューションVI)からの移行期間が短く、空力よりもエンジン・駆動系・サスペンションの変更に重点が置かれた。Step2では冷却開口部の拡大やフロントバンパー形状の小改良が施されたが、後のWRC04で導入された全面的な空力見直しと比べると簡素な構成であった。[13]

また、ランエボVII市販モデルで装着されているサイドステップは当時のラリー車では多くの場合装着されないか、極めて短く抑えられている。これは未舗装路走行時に障害物と干渉しやすく、さらにサスペンションや駆動系への整備アクセスを妨げるためである。[12] WRCマシンでは「冷却性能」「車体下部クリアランス」「整備性」の3要素が優先され、これが市販車との外観上の差異として現れている。

2003年以降は空力開発への投資が増加し、WRC04ではフロント開口部やフェンダー形状、リアウイング位置を再設計したことで、市販車とは大きく異なる空力特性を備えるに至った。[13]

参考文献

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  • [10] Mitsubishi Motors – WRC: 2001年公式リリース
  • [11] Mitsubishi Motors – WRC: 2002年公式リリース
  • [12] AirShaper: "Transforming Rally Car Aerodynamics"(ラリー車の空力設計と整備性に関する技術解説)
  • [13] WRCWings.tech: "Mitsubishi Lancer WRC04 – Aero Design and Performance"(WRC04以降の空力改良に関する技術記事)

ランサーWRC

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ランサーWRC04

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2003年10月に2004年の世界ラリー選手権活動計画を発表し、11月のエッセンモーターショーで新型車「ランサーWRC04」を初公開、同月下旬から英国・スペイン・スウェーデンでテスト走行を実施し、翌年の開幕ラリー・モンテカルロからWRCに復帰した。本車両はWRC2(ステップ2)から6000点[14]の変更を受けており、エボWRCステップ2の車とランサーWRCはベースとなるシャーシとエンジンのベース部分しか共通していないため、三菱は各車両のシャーシ番号に関しては再び1から採番された。エンジンは引き続き、三菱のWRCエンジン開発を手がけているHKSによりチューニングされた4G63が搭載されたが、フロントヘビー解消のため、三菱のWRカーでは初めて後方に傾けて(25度)搭載された。ターボチャージャーはギャレット製。

ボディはランサーセディアのホワイトボディをベースとして作成され、空力面ではローラ・カーズでの風洞実験に基づき、新設計のフロントエアダムやフロント側に関してはサイクルフェンダーの様な薄いフェンダーに大径ホイールアーチを備え、タイヤのトレッド後ろ側は露出(ホイールウェイク制御)して空気を抜くようになっており、サスペンショントラベル確保のためホイールハウスは拡大された。リアウイングを前方に移動させ、圧力中心を前方に移動することで、フロントのダウンフォースを増加させた[15]。このプジョー・206 WRCに似た[14]リアウイングは一見二段ウイングのように見えるが、下面部分は上面部分の高さを稼ぐためのパーツとして取り付けられており、ウイングの役割を果たさないようリアガラスに密着させて下面部分下側に空気が抜けないようにされていて[16]、通常のトランクヒンジでは前寄りに付いたウイングが干渉するのでダンパー付の特殊なヒンジで上方に上がる仕組みになっている。04ではフロントグリルは所謂ブーレイグリルになり、セディア同様、ボンネットとグリルは一体型「ボンネット連続式グリル」で、アルミ素材に変更された。ヘッドライトはカーボン製のセディアの同型ケースの物に変更されたが、4灯風のうち中央側はNASCAR等で良く見られたプリントのフェイクシール[17]でライト風に処理され、脇側の実際のHIDプロジェクターレンズには丸いアクリル製のカバーが貼られ、ブーレイグリルと前後ライトのエボVII→セディアタイプへの変更により従来のランエボシリーズとは異質の表情に仕上げられた。ドアミラーとルーフのエアスクープの形状も風洞実験により変更された。

駆動系はフロント・センター・リアとも機械式デファレンシャルを採用。センターデフはニューマチックシステムで制御されていたが、細かな制御が難しいなどの課題を抱えていた。ギアボックスはX-tracから英国リカルド社へ変更。当初は5速シーケンシャル[14]→5速セミオートマチックトランスミッションとリカルド社と共同開発した新型AWDシステムが使用された。ブレーキはAPレーシングからBrembo製の8ポットキャリパーと370mmディスクへと強化され、ハブのスタッド数は初期の試作車を除き、三菱のグループAの系譜の競技車では初めて5本に変更された。

開発、運営は従来のラリーアート・ヨーロッパ(RAE)に代わり、新たに設立された三菱自動車モータースポーツ(MMSP)が担当した。エースドライバーにジル・パニッツィを迎え、初戦では総合6位に入るが、電装系トラブルなど信頼性不足が続き、ニュージーランド戦では両車がスタート直後にリタイアするなど成績は低迷。シーズン全戦参戦は行わず、開発を優先した。参戦ドライバーはパニッツィ/エルヴェ・パニッツィの兄弟のほか、ジャンルイジ・ガリ/グイド・ダモーレ、ダニエル・ソラ/シャビ・アミゴ、クリスチャン・ソールベルグ/カイ・リンドストロームらであった。シーズン中盤には再び活動休止が発表されたが、終盤のカタルーニャでは開幕戦以来となる5位入賞を果たした。

ランサーWRC05

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ランサーWRC'05

2005年にはFIAのワールドラリーカーの規則が変更され、全長4200mm以上の車は幅を1800mmまで広げられるようになり[18]、サスペンションリンクやドライブシャフトの延長によりワイドトレッドに対応。トランスミッション、車体、シャーシのアップデートなど、いくつかの変更が加えられた。前後フェンダーの後ろ側はWRC04ではタイヤのトレッド面が見える処理だったがFIAの指導により、後ろまで覆う普通のオーバーフェンダー(ブリスターフェンダー)に改められ、リアドアのドアノブは通常とは逆の前ヒンジになっている。ランサーエボリューションIXと同様に「ブーレイ顔」のグリルは変更された。ECUやターボのウェイストゲート更新、空力改善、ギア比の一部変更、ステアリングパドルシフトの導入などが行われた。

駆動系では、2004年モデルはフロント、センター、リヤともに機械式が採用されたが、2005年モデルはセンターのみアクティブデフが投入された。なお、開発現場ではパフォーマンスアップのためにフロントデフ・センターデフのアクティブデフ化を進めていたが、2005年シーズンには間に合わなかった[19]。センターデフのコントロールはニューマチックシステムで行っていたが、細かな制御が出来ない、きめ細かな制御が出来るようにすると空気の容量が足りない、といった理由から、ニューマチックから離れて他のシステムにするという議論も行われていた[19]。又、WRCではギャランVR-4以来のつきあいのMICHELINタイヤはPIRELLIに変更された。

2005年シーズンはジル・パニッツィハリ・ロバンペラジャンルイジ・ガリを起用。開幕戦モンテカルロではパニッツィが三菱のワールドラリーカー移行後初の3位表彰台を獲得し、最終戦オーストラリアでもロバンペラが2位入賞を果たした。信頼性を重視した改良の成果により、WRC04より堅実な成績を残したが、一方でセミオートマチックギアボックスや圧縮空気によるデフ制御がトラブルの原因となり、結果的に十分な成果を得られなかった。この不振の責任を問われ、チームトップのマリオ・フォルナリスの更迭も行われた[注 1][20]

2005年12月、三菱は経営再建のためWRCからの撤退を表明。これにより同社のワークスラリー活動は終了した。ただし、プライベーター向けのカスタマーサービスは継続され、2006年以降はラリーアートUK(後のMMLスポーツ)がマシンを引き継いだ。

2006年のラリー・スウェーデンでは、BOS製ショックを導入した改良型で地元ドライバーのダニエル・カールソンが3位、ガリが4位に入賞する活躍を見せた。その後、MMLスポーツは顧客チーム向けにサスペンションやトランスミッションの改良を施し、非公式に「WRC07」と呼ばれる仕様へと発展。WRC05に比べて1kmあたり0.5秒の短縮が可能とされた。

2007年には本来認められないマニュファクチャラー未登録マシンでありながら、他ワークスチームの同意を得て改良型インジェクターやリアクロスメンバーを投入し善戦したが、同年中盤にMMSPとしての活動を終了した。その後、イギリス・ラグビーにあったMMSPの拠点は元オペレーション・ディレクターのジョン・イーストンが引き継ぎ、MMLスポーツとしてランサーWRC05のレンタル・販売を継続。ヨーロッパ各国の国内選手権にも投入され、2008年にはチャバ・シュピチュミュラーがハンガリー選手権を制している。

脚注

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注釈

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  1. 最も、フォルナリスは後年、2005年1月に自分から辞表を提出してプロジェクトへの関与を止め、2005年6月末に公式にMMSPから離れたとインタビューで語っている。また、辞職した理由に関しても本来三菱本社が約束していた予算より少ない予算しか渡されず、予定していたプロジェクトが完成できなかった、日本とイギリスのマシン開発に対する姿勢や方向性の違い、新しくMMSPの代表に就任した人物による自身の権限に越権してくるような行為があった、などから自身がこのまま居続けてもMMSPの利益にならないと判断したためとも語っている。

出典

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  1. https://historicdb.fia.com/car/mitsubishi-lancer-cs2a FIA Historic Database、1999年–2005年
  2. 1 2 FIA WRC Regulation Introduction 1997[リンク切れ]
  3. 1 2 Ralliart – 1998 Season Technical Summary[リンク切れ]
  4. 1 2 Mitsubishi joins the WRC – Autocar (2001年5月)[リンク切れ]
  5. 1 2 三菱自動車工業『ランサーエボリューションの軌跡』2004年、pp.126-129 [要文献特定詳細情報]
  6. 1 2 Ralliart – 2001 WRC Technical Overview[リンク切れ]
  7. 1 2 Mitsubishi Motors – WRC 2004年 プレスリリース[リンク切れ]
  8. 1 2 Autosport – Mitsubishi WRC04 Technical Review (2004年6月)[リンク切れ]
  9. 三菱自動車とマールボロが提携を解消。”. Paddy McGrath (2022年3月31日). 2025年10月11日閲覧。
  10. 1 2 Mitsubishi Motors – WRC: 2001年公式リリース[リンク切れ]
  11. 1 2 Mitsubishi Motors – WRC: 2002年公式リリース[リンク切れ]
  12. 1 2 3 Transforming Rally Car Aerodynamics – AirShaper
  13. 1 2 3 Mitsubishi Lancer WRC04 – Aero Design and Performance
  14. 1 2 3 「ワークスチーム&ドライバー詳細情報」『RALLY XPRESS 2004 Vol.1 MONTECARLO』、山海堂、2004年、18頁。
  15. 三菱ランサーWRC04の空力設計と性能”. https://www.wrcwings.tech/ (2020年7月21日). 2025年12月17日閲覧。
  16. 「異形の翼」『RALLY CARS Vol.29 MITSUBISHI LANCER WRC04/05』、三栄出版、2021年、17頁。
  17. Meet The Saviours Of Mitsubishi’s Last WRC Era”. Paddy McGrath (2020年2月7日). 2025年10月5日閲覧。
  18. 「News&Topics」『RALLY XPRESS 2004 Vol.5 CYPRUS』第2004/06/11号、山海堂、2004年、30頁。
  19. 1 2 「岡崎のエンジニアが見た三菱ラリーカーの進化」『RALLY CARS Vol.29 MITSUBISHI LANCER WRC04/05』、三栄出版、2021年、63-64頁。
  20. 「Interview with Key Person マリオ・フォルナリス」『RALLY CARS Vol.29 MITSUBISHI LANCER WRC04/05』、三栄出版、2021年、57-58頁。

関連項目

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外部リンク 

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