ヒルマン・アヴェンジャー

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ヒルマン・アヴェンジャー
1970 Hillman Avenger GL
Hillman Avenger GL 1970.jpg
Avenger Tiger Mk2
ORW424M (650 x 488).jpg
1977 Chrysler Avenger Estate
Chrysler Avenger Estate UL.jpg
乗車定員 5名
ボディタイプ 2/4ドアセダン
5ドアワゴン
エンジン OHV直列4気筒ガソリン 1248(73年まで)/1295/1498(73年まで)/1598/1798(南アフリカのみ)cc
変速機 4速MT・3速AT
駆動方式 FR
全長 4,100mm
全幅 1,600mm
全高 1,300mm
ホイールベース 2,500mm
先代 ヒルマン・ミンクス
-自動車のスペック表-

ヒルマン・アヴェンジャーHillman Avenger )は クライスラー欧州部門が、その英国子会社のルーツ・グループヒルマンブランドで開発、1970年から1976年まで、以降はクライスラー・アヴェンジャー、最後はクライスラー欧州部門が 1978年にPSA・プジョーシトロエンに身売りされたためタルボット・アヴェンジャーとして1981年まで生産・販売された後輪駆動の小型乗用車である。1970年代初頭には北米にもプリマス・クリケットとして輸出された。生産は当初はイングランドライトンにあったルーツ・グループの工場が担当、後にスコットランドグラスゴー近郊のリンウッド工場に移管された。

概要[編集]

1970年2月に発表され、1967年にクライスラールーツ・グループを買収後初の新型車として注目された。確かにスタイルは当時のアメリカ車の流行を取り入れたような"コークボトル"ラインのセミ・ファストバックであったが、機構は保守的で、1,250ccまたは1,500ccの直列4気筒の、新設計ながらOHV鋳鉄製のエンジン、後輪リジッドアクスルを採用していた。なお、プラスチック製フロントグリルを初採用した英国車でもある。

また、従来のルーツ・グループ各車種のように、シンガーサンビームハンバーなどのバッジエンジニアリング版は作られず、ヒルマンブランドのみで販売された。

発売当初のジャーナリズムの評判は良好で、優れた操縦性と走行性能を持っていると評価され、翌1971年に登場したライバル、モーリス・マリーナなどよりも優れていると評された。

当初はセダンは4ドアのみが用意され、DLSuperGLのグレードがあり、DLとSuperは1,250ccエンジンも選択可能だったが、GLには1,500ccのみが用意された。DLはスタンダードで床はゴムマット、スピードメーターも寒暖計式のシンプルなものであったが、Superではフロアカーペット、ドアのアームレスト、二連式ホーンや後退灯が装備された。GLになると標準の角型2灯に対し丸型4灯式のヘッドライト、2速式ワイパー、室内からのボンネットレリース、ナイロン製生地(英国車では初採用)のリクライニングシート、完備した丸型メーターが装備された。

アヴェンジャーはフォード・エスコートヴォクスホール・ヴィヴァとともに堅調な売れ行きを示し、クライスラーはアヴェンジャーを「ワールドカー」に仕立てることを欲した。そこでプリマス・クリケットとして1971年から対米輸出を開始したが、錆の発生や故障の多さ、更に第一次石油危機前で小型車への需要が高まっていない時期であったため、2年足らずで撤退に追い込まれた。石油危機で小型車需要が急増した1974年以降はダッジ・コルト(三菱・ギャラン)が輸出されて成功を収めた。

バリエーション拡大[編集]

1970年10月にはGTが追加された。エンジンはツインキャブ化、ボディにはストライプも追加され、4速マニュアルの他、3速オートマチックも選択可能となった・[1]

1972年2月にはスタンダード版が社用車向けに追加された。DLの装備はさらに簡略化され、サンバイザー無し、ヒーターブロワーはON/OFFのみで風量調節不可という簡素さであった。3月には5ドアワゴンが追加された。[2]

また、3月にはかつての高性能スポーツカー・サンビーム・タイガーの名前を受け継ぐ高性能版「アヴェンジャー・タイガー」を発表したクライスラーUKのCompetitions CentreでDes O' Dellによって改造されたタイガーは 専用のシリンダーヘッド、ウエバー製ツインキャブ、圧縮比9.4:1などのチューンを受け、最高出力は92.5馬力(DIN)/6,100rpmとなり、サスペンションも強化された。オレンジの塗装、ボンネットのパワーバルジ、専用ストライプが標準装備で、0-60マイル加速8.9秒、最高速度174km/hを発揮し、ライバルのフォード・エスコート・メキシコ以上の性能を誇ったが、燃費が悪いという欠点もあった。10月までにCompetitions Centreで約200台が生産された。

10月にはGLSがGTの上に追加された。GLSは「ロスタイル」スポーツホイールとレザートップを外観上の特徴としていた。「タイガー」も正式モデル(マーク2)となり、丸型4灯式ヘッドライトとなり、パワーバルジは省かれることとなり、ホイール・シートも新しくなった。塗装も赤が追加され、£1350で約400台が生産された。

1973年3月には2ドアが追加された。10月にはエンジン排気量が拡大され、1250は1300に、1500は1600となった。 またこれを機にGLとGTは1300および2ドア車にも設定されることになった。

輸出市場[編集]

アメリカ以外にも欧州への輸出は積極的に行われ、フランスではサンビーム1250/1500として、他の欧州諸国ではサンビーム・アヴェンジャーとして販売された。なお、総代理店伊藤忠オートが1970年に撤退した日本には輸入されなかった。

1976年・クライスラーへの改名[編集]

1976年にマイナーチェンジを受け、名称が「クライスラー・アヴェンジャー」となり、フロントデザインがクライスラー・アルパイン風となり、ダッシュボードも一新され、セダンのリアスタイルもテールランプなどが一新された。 また、燃料補給口がボディ後ろから右側に移された。グレード体系はLSGL(旧'Super') そして1600のみのGLSに整理された。

1979年・タルボット化と終焉[編集]

1970年代も後半になるとアヴェンジャーは旧態化が顕著となり、フォルクスワーゲン・ゴルフルノー・14フィアット・リトモなどに太刀打ち出来なくなり、身内にも1977年にクライスラー・ホライズンが誕生した。クライスラー欧州部門が 1978年にPSA・プジョーシトロエンに身売りされると、名称は再びタルボット・アヴェンジャー'に変更されたが、新しいタルボットのマークは与えられぬまま、クライスラーのPentastarマーク付きのままで販売された。そしてリンウッド工場が閉鎖された1981年に生産中止となった。

ラリー競技[編集]

なお、アヴェンジャーをベースとした3ドアハッチバック・クライスラー・サンビーム(後にタルボット・サンビーム)も開発され、ロータス製エンジンを搭載したホモロゲーションモデル、「タルボット・サンビーム・ロータス」はロータス製エンジンが搭載されたプジョーワークスマシンのエンジンは市販車の150馬力に対し240馬力までチューンされ、1979年4月グループ4の認定を受けてERCやWRCに参戦し生産中止となった1981年のWRCマニファクチャラーズタイトルを獲得した。

その後プジョーワークスはグループB規定に合わせたマシンを開発するためその年限りでワークス活動を休止し、一旦はサンビーム・ロータスを次年施行予定であるグループBマシンとして仕立て上げることを検討していたが、205ターボ16の開発に専念することとなる。

海外生産[編集]

南アフリカではプジョーエンジンを搭載して「ダッジ」として、ニュージーランドデンマーク[3] 他にもアルゼンチンブラジルでも「ダッジ」として、更にアルゼンチンでは1982年以降は 現地工場を買収したフォルクスワーゲンブランドで1988年まで生産された。また、イランでもノックダウン生産された。

脚注[編集]

  1. ^ DL/Super/GLの1500全車種にも同時に設定された。
  2. ^ DL/Superの2種類で、リアスプリングが強化されていた。
  3. ^ 英国では2ドアが1979年に消滅したため、デンマークから逆輸入して販売された。

参考文献[編集]

  • Wikipedia英語版 19:25,12 August 2009