フィアット・ウーノ

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ウーノUNO)は、フィアットによって製造・生産されている自動車である。

初代(1983-1995年)[編集]

ウーノ
ウーノ(前期型) 5ドアモデル
Fiat Uno front 20070829.jpg
ウーノ(後期型) 3ドアモデル
1992 Fiat Uno IE 1.0 Front.jpg
製造国 イタリアの旗 イタリア
 南アフリカ共和国
トルコの旗 トルコ
エクアドルの旗 エクアドル
モロッコの旗 モロッコ
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
フィリピンの旗 フィリピン
販売期間 1983-1995年
デザイン ジョルジェット・ジウジアーロ
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
3ドアバン
変速機 4/5MT
CVT
全長 3,645–3,690mm
全幅 1,550–1,560mm
全高 1,405–1,420mm
ホイールベース 2,360mm
車両重量 711–910kg
-自動車のスペック表-

前期型[編集]

フィアット・127の後継機種として開発され、3ドアと5ドアハッチバックの2種類が販売された。ベースグレードは45で、999cc 45PSエンジン。60Sはボアφ80mm×ストローク55.5mmで1,116cc、圧縮比9.2で58PS/5,700rpm、8.9kgm/3,000rpmエンジンを積み車重770kg。70SLはボアφ86.4×ストローク55.5mmで1,301cc、圧縮比9.5で65PS/5,600rpm、10.2kgm/3,000rpmエンジンを積み車重780kg。燃料供給はいずれもウェーバー製ダウンドラフトキャブレターによる。また燃費の良さも人気の一因であった。

1984年にはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。

1985年に高性能版であるターボieが追加された。ブースト圧0.6バールの石川島播磨重工業(現IHI)製VL-2型ターボチャージャーとボッシュ製LE2ジェトロニックを装備したボアφ80.5mm×ストローク63.9mmの1,301cc、圧縮比8.0で最高出力105PS/5,750rpm、最大トルク15.0kgm/3,200rpmのエンジンを搭載[1]。車重は845kg。最高速は200km/h、0-100km/h8.3秒[2]

後期型[編集]

1989年9月に登場した大幅改良版は車体前方と後方のデザインが変更され、より低い空気抵抗を実現した。車内デザインも変更され、前期型の欠点であったダッシュボードが震える現象も解消された。

イタリア国内での生産は西ヨーロッパ一帯での売上数が減少するとともに1995年に終了した。後継車はフィアット・プントである。

ラリー競技[編集]

メインストリームであるグループBをフィアット・グループであるランチアチームに重点を置いていた1985年グループAエントリーをグループ2時代より131アバルトのサポートカーとして参戦させてきていたフィアット・リトモをリトモ・アバルト130TCにまでスープアップしてきており成績的にも限界が来ていた。

そこで、55SをグループN仕様としてポルトガル・ラリーより投入し、完走。次年のラリー・モンテカルロでは地元プライベータであるもののジョリークラブがターボを3台体制で投入するも、3台ともリタイヤと余り良いところがなかったように見えたが、ポルトガルではグループBのフロントランナーであるトップランナーが続々リタイアしている関係上[3]3位入賞[4]は果たすものの他の2台はドライブシャフトとアクシデントでリタイアしており、戦える信頼性確保にはまだまだ時間が必要であった。

そこでアバルトと共同で1986年、ウーノターボ・アバルトをプロトタイプとしてコルシカ島でのテストを行った結果、フィアットからは同じ市販車ベースでのツインキャブレターを装備した100馬力の70SXグループA仕様をA112アバルトの後継モデルとしつつも採用はされず、メインストリームをグループAとした1987年にポルトガルでジョリークラブのターボが総合10位と初のクリーンコンディションでのポイントを獲得した[5]が、1987年後半よりウーノでのグループA参戦を、中型車であるレガータへ徐々にバトンタッチした[6]

その後の製造と販売[編集]

初代ウーノはイタリア本国での製造・販売を終了したのちも、諸外国では長期にわたり生産が継続された。

  • 南アフリカ共和国 - 日産自動車のライセンス下で2006年まで「ニッサン・ウーノ」及び「ミッレ」として製造。
  • ポーランド - ポーランド国内でのフィアット製造工場による生産は1995年6月から2002年10月まで行われた。
  • ブラジル - 1988年4月から2013年12月ともっとも長期にわたり生産されてきた。現地では比較的安価なエントリーモデルとして知られ、2005年以降はエタノール対応となりその後約200万台を突破した。2010年に南米向け2代目ウーノが投入されて以降は1.0L車のみにラインナップを縮小し「ミッレ」と名を変えて引き続き販売されていたが、2014年以降のブラジル生産車へ義務付けられるABS及び両席エアバッグの装着が困難となり生産終了。
  • アルゼンチン - イタリア系移民の子孫が多いアルゼンチンでは1989年から2000年まで約18万台が生産された。他に派生車である4ドアセダンの「ドゥーナ」およびステーションワゴンである「エルバ」が1988年から2000年まで製造されフィアットの本拠地となるイタリア本国へも輸出していた。
  • パキスタン - ラジャ自動車が2001年からノックダウン生産していたが、2004年の工場閉鎖に伴い生産終了。
  • モロッコ - 2003年に生産終了しているが現在でも小型タクシー用の車両として人気が高い。
  • フィリピン - 地元メーカーのフランシスコ・モーターズとの合併会社であるイタルカー・ピリピナスにより1992年から2000年まで現地生産。

逸話[編集]

ダイアナ元妃が事故死した際、追走していたパパラッチは白いフィアット・ウーノに乗っていたという証言がある。しかしながら確証は取れていない。

1990年代初頭にイタリアで悪名を馳せた犯罪グループ「ウーノ・ビアンカ」(イタリア語で白いウーノの意)の名は彼らが好んで盗んだフィアット・ウーノに由来するが、これは当時のウーノがイモビライザー非装備であり盗みやすかったことに起因する。


2代目(2010年-)[編集]

ウーノ
2011 Fiat Uno 1.4 Attractive.jpg
製造国 ブラジルの旗 ブラジル
販売期間 2010年-
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
3ドアバン
エンジン 1.0/1.3/1.4L I3/4
変速機 5MT/5セミAT
全長 3,770mm
全幅 1,640mm
全高 1,490mm
ホイールベース 2,375mm
-自動車のスペック表-

当代モデルはブラジルをはじめとするラテンアメリカ専売モデルとなり、欧州市場へは投入されない。

直線的な外観の初代に比べ丸みを帯びたスタイルへと変化した。ブラジルフィアットとトリノのチェントロスティーレによる共同開発モデルであり、プラットフォームはニューパンダ用をベースにコストダウンを図ったものを採用している。

エンジンはガソリンエタノールの両方に対応したフレックス燃料車タイプの1.0Lと1.4Lの2種でどちらも5速MTのみとの組み合わせである。なお、2015年モデルからはどちらのエンジンにもアイドリングストップ機構が標準化され、デュアロジックのオプション設定も追加された。


脚注[編集]

  1. ^ 80年代輸入車のすべて- 魅惑の先鋭 輸入車の大攻勢時代. 三栄書房. (2013). pp. 25. ISBN 9784779617232. 
  2. ^ 『外国車ガイドブック1987』p.152。
  3. ^ このラリーではヨアキム・サントスによる多数の観客死傷事故が起きた関係上棄権するチーム、ドライバーが多かった
  4. ^ 20º Rallye de Portugal Vinho do Porto-rallybase.nl 2013年4月22日参照。
  5. ^ 21º Rallye de Portugal Vinho do Porto]-rallybase.nl 2013年4月22日参照。
  6. ^ 8º Marlboro Rally Argentina-rallybase.nl 2013年4月22日参照。

参考文献[編集]

  • 『外国車ガイドブック1987』日刊自動車新聞社