ジョルジェット・ジウジアーロ

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ジョルジェット・ジウジアーロ
1971年にトリノオートサロンで発表した2ドアクーペのコンセプトカー
生誕 1938年8月7日(77歳)
イタリアの旗 イタリア クーネオ
国籍 イタリアの旗 イタリア
著名な実績 工業デザイン
受賞 カー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリー 1999年
アルファロメオ・ジュリアクーペ・スプリントGT
BMW・3200CS
ASA1000GT
イソ グリフォ
ビッザリーニ5300GTストラーダ
いすゞ 117クーペ
デ・トマソ・マングスタ
マセラティ ギブリ
イソ・リヴォルタ・フィディア
スズキ・キャリイ(4代目L40系)
フォルクスワーゲン ゴルフ
マセラティ・ボーラ
アルファロメオ アルフェッタGT
ロータス エスプリ
BMW・M1
ランチア・デルタ
フィアット パンダ
デローリアン DMC12
いすゞ・ピアッツァ
レクサスGS(初代)
スバル・アルシオーネSVX
マセラティ_3200_GT
アルファロメオ 159
アルファロメオ・ブレラ



ジョルジェット・ジウジアーロGiorgetto Giugiaro [ʤorˈʤetto ʤuˈʤaro], 1938年8月7日 - )は、イタリア工業デザイナーで、イタルデザインの創設者である。

俗に「折り紙細工」と言われる直線とエッジの利いたデザインで特に1970年代に一世を風靡した。1999年にはカー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリー賞を受賞し、2002年にはアメリカ・ミシガン州ディアボーンの自動車殿堂 (Automotive Hall of Fame)に列せされた。

日本では『ジウジアーロ』の表記が最も一般的だが、『ジュジャーロ』が最も原音(イタリア語)に近いとされる。

略歴[編集]

イタリア・ピエモンテ州クーネオ生まれ。画家を志して美術高校に在学していたが、たまたま描いたフィアット・500のイラストがその設計者ダンテ・ジアコーサに高く評価され、高校を中退して1955年・17歳でフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に入社した。1959年、イタリアのカロッツェリアベルトーネの総帥ヌッチオ・ベルトーネにスカウトされ、ベルトーネのチーフスタイリストに転進した。当時のベルトーネは先代のチーフ、フランコ・スカリオーネが去った直後で、後継者を緊急に必要としていた。

彼のデザインした最初の生産車は英国のGTカー・ゴードンGTで、1960年のジュネーヴ・モーターショーでデビュー、好評で迎えられた(生産開始は1963年)。その後も数々の優れたデザインの市販車、プロトタイプを次々に発表し、ベルトーネに黄金時代をもたらした。

1965年にはベルトーネを辞し(後任はマルチェロ・ガンディーニ)、カロッツェリア・ギアのチーフ・デザイナーとなった。同社在籍中にいすゞ・117クーペのデザインを手がけた。1968年、30歳の時に日本人企業家宮川秀之、名人級の板金技術者アルド・マントヴァーニと共同で自らの会社、イタルデザイン社を設立した。

1981年には自動車分野以外の製品をデザインするジウジアーロ・デザイン社を設立、日本のニコン製一眼レフカメラのデザイン(近年ではコンセプトデザインが主)を、1980年発売のニコンF3から手がけている他、岡村製作所のデスクチェア『コンテッサ』・『バロン』、更に変わったところでは、パスタやキーボード、日本酒猪口徳利のデザインをしたこともある。また、ダイワ精工のスキーブーツ(名称不明)や釣り用リール、太陽誘電コンパクトカセット『That's』、フジテレビの番組「FNN NEWSCOM」の番組セットなどもデザインしていた。

代表作[編集]

自動車・オートバイ[編集]

ベルトーネ時代 (1960年–1965年)[編集]

ギア時代(1966年–1968年)[編集]

イタルデザイン設立後 (1969年–)[編集]




鉄道車両[編集]

その他[編集]

・モルテン社 バスケットボール

外部リンク[編集]