ダットサン

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Datsun Motor Co., Ltd.
企業形態 部門
業種 自動車
設立 1932年
事業地域 4カ国
製品 低価格車
株主 日産自動車
ウェブサイト 公式サイト(英語)
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ダットサンDatsun)は、かつての日本の自動車メーカーのダット自動車製造が生産していた自動車であったが、日産自動車の新興国向け低価格ブランドとして2013年復活した。

概要[編集]

ダットサンの由来は日産自動車の源流である、橋本増治郎が設立した快進社までさかのぼる。1914年に完成した自動車には、支援者であった田健治郎、青山禄郎、竹内明太郎のそれぞれの頭文字であるDATと、「速く走る」いう意味の「脱兎のごとく」脱兎(DAT)号と名づけられた[1]

快進社は実用自動車製造と合併し社名はダット自動車製造となった。1930年小型乗用車の試作車が完成し、車名を「DATの息子」の意味のDATSON(ダットソン)と名付けた。DATの定義は、Durable(耐久性がある)、Attractive(魅力的な)、Trustworthy(信頼できる)、に改められた[1]。ただSONが日本語の“損”に聞こえ縁起が悪いということから、1932年に太陽のSUNのDATSUN(ダットサン)となった[1]

1931年に鮎川義介が設立していた戸畑鋳物と合併し、1934年に社名が日産自動車に変更になりダットの名は消滅、ダットサンはブランド名として残された。「ダットサン」はブランドと同時にトレードマーク(商標)でもあり、車名(車検証等に記載)にも使われた。市場によっても使い分けがあり、たとえば日本では「サニー」のペットネームで販売された乗用車も米国市場では「ダットサン」ブランドが付されていた。

その米国市場ではメーカー名の「Nissan」よりも何倍もの認知があったにもかかわらず、1981年に当時社長の石原俊の方針により、「DATSUN」ブランドが順次廃止されることとなった[2]。海外市場での日産ブランドへの統一以降は、日本市場において日産車の「車名」として唯一存在していたダットサントラック(D22型)2002年排ガス規制で日本国内向け販売を終了しため、「DATSUN」の名称が一時期途絶えていた[3]

ダットサンブランドとして販売される車種の型式(かたしき)としては、数字部分の十の位が「1」の乗用車(例:B11 サニー)と、「2」の商用車(例:D22 ダットサントラック)が相当する。排気量が大きい初代フェアレディZのみ、中型乗用車用の「3」が与えられている。

2012年3月20日、日産自動車CEOカルロス・ゴーンによって新興市場向けの低価格ブランドとしてダットサンの復活が発表され、併せて新しいロゴも公開された。2014年からGOを最初の車種としてインドネシアインドロシアで製造・販売を開始する計画である[4][5][6][7]

沿革[編集]

  • 1924年 - 快進社、ダット3/4トントラックを軍用保護自動車として生産。
  • 1926年 - 実用自動車製造株式会社と快進社自動車工場が合併し、ダット自動車製造(本社:大阪)設立。
  • 1931年 - 鮎川義介がダット自動車の株を肩代わりする。戸畑鋳物株式会社自動車部となる。
  • 1932年 - ダットサンのブランドが誕生。吉崎良造がダットサン商会を設立。
  • 1933年 - 石川島自動車製作所がダット自動車製造株式会社を吸収合併して東京自動車工業株式会社に改称(後のいすゞ自動車)。
  • 1933年 - 旧ダット大阪工場を戸畑鋳物が70万円で購入、自動車製造株式会社となる。鮎川義介が東京自動車工業株式会社に対し、ダットサンの製造に関する一切の権利を譲渡するよう嘆願し、無償[注釈 1]でダットサンの製造権を譲り受ける。製造権と図面と技術者を得て、自動車製造が開始される。
  • 1934年 - 自動車製造株式会社日産自動車と改名。「ダットサン」をアジア、中南米などに向けて輸出を開始する。
  • 1981年 - 輸出ブランド名を「NISSAN」に統一する方針発表。「ダットサン」ブランドの使用を停止。以後、新型車から「NISSAN」ブランドに変更する。
  • 2012年 - 新興国向けに31年ぶりに「DATSUN」ブランドが復活。
  • 2013年 - 7月にインドで「GO」を、9月にインドネシアで「GO+」をそれぞれ発表。
  • 2014年 - 2月、ニューデリーオートエクスポに「redi-GO」コンセプトを出展[8]
  • 2016年 - 4月、インド向けの新商品として「redi-GO」を公開[9]

備考[編集]

ダットサン11型。日産に吸収される直前のダット自動車製造で生産された150台の内の1台
  • 日産自動車が協賛していた映画『若大将シリーズ』(加山雄三主演)の第11作「ゴー!ゴー!若大将」(1967年東宝)で、青大将(田中邦衛)がマドンナの澄子(星由里子)にブランド名の由来を説明する場面がある。
  • 米国では「ダットサン」と発音する人はほとんどおらず、「ダッツン」または「ダツン」(“ダ”にアクセントが来る)と呼ばれている。北米でのダットサンの販路を築いた「Mr.K」こと片山豊は、「僕は販売に際してダッツンなんて言わせなかったし、実際にアメリカ人の発音を聞いてみると、ちゃんとダットサンって発音しているんです。ダッツンって聞こえたのは日本人だけじゃないのかな」と米国人が「ダツン」および「ダッツン」と発音していたことを否定している[10]
  • 「ダットサン」のエンブレムは、吉崎良造田中常三郎シボレーのものにヒントを得て、赤の日の丸太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーを入れ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書いた。これは近年ほぼ統一された、丸の前に横長長方形があってそこにNISSANと書かれている日産のエンブレムの原型である(赤丸と青い長方形の組み合わせも2001年まで残っていた)。
  • 第2世代(2010年代~)のロゴマークについては、過去のダットサンが持っていた信頼性や力強さなどのDNAをモダンに表現したものであり、メインカラーは「信頼性」を示す青を採用している[11]

車種一覧[編集]

日本国外専売車種[編集]

インド・南アフリカ・インドネシア[編集]

ロシア[編集]

過去の日本国内販売車種[編集]

ダットサンブランドで販売された車種一覧[編集]

ダットサン15型ロードスター
510ブルーバード/Datsun 510
S30フェアレディZ/Datsun 240Z


日産ブランドで日産車の車名として販売された車種一覧[編集]

出典[編集]

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  1. ^ a b c 日産――ダットサンブランドの魂(1934年)
  2. ^ 移行過渡期の輸出向け車には、「DATSUN by NISSAN」のエンブレムが見られる。
  3. ^ 。同車としては720型以降、海外向けも「日産・フロンティア」や「日産・ナバラ」など日産ブランドへ順次変更されている。
  4. ^ 日産「ダットサン」復活、新興国向け低価格車で”. 読売新聞 (2012年3月20日). 2012年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月20日閲覧。
  5. ^ 日産自が「ダットサン」ブランドを復活、新興国市場に投入へ”. ロイター (2012年3月20日). 2012年3月20日閲覧。
  6. ^ Carlos Ghosn Officially Confirms Rebirth of Datsun Brand in 2014, Reveals New Logo”. Carscoops (2012年3月20日). 2012年3月20日閲覧。
  7. ^ 実際はロシアでのGOの製造・販売は行われていない。ロシアではルノー・日産連合に属するアフトヴァースラーダブランドで製造する車種がベースの「on-DO」/「mi-DO」の2車種のみで展開されている。
  8. ^ ダットサン 「redi-GOコンセプト」を発表、将来のデザインの方向性を示唆”. 日産自動車ニュースリリース (2014年2月5日). 2014年3月6日閲覧。
  9. ^ ダットサン インド初のアーバンクロスである新型「redi-GO」を公開”. 日産自動車ニュースリリース (2016年4月14日). 2016年5月5日閲覧。
  10. ^ 別冊宝島327僕らの「名車」物語70年代でいこう!のインタビューより
  11. ^ 日産が復活させる「ダットサン」は、どんな車になるのか!?”. autoblog (2012年3月21日). 2013年9月27日閲覧。

注釈[編集]

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  1. ^ 東京自動車工業の設立は、商工省の意向による軍用保護自動車および商工省標準車いすゞの生産を主体としたものであり、ダットサンの如く小型車製造はその対象外であった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]