モナコ

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モナコ公国
Principauté de Monaco
モナコの国旗 モナコの国章
国旗 国章
国の標語:Deo Juvante
ラテン語:我、神のご加護と共にあらん)
国歌モナコ国歌
モナコの位置
公用語 フランス語
首都 モナコ
最大の都市 モンテカルロ
政府
大公 アルベール2世
国務大臣英語版フランス語版 セルジュ・テル英語版フランス語版
面積
総計 2.02km2194位
水面積率 極僅か
人口
総計(2011年 36,371人(189位
人口密度 15,142人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxxユーロ(€)
GDP (MER)
合計(2009年 69億1900万ドル(???位
GDP (PPP)
合計(2006年 9億7630万ドル(???位)(2009年価格、CIAによる粗い推計)
1人あたり 30,000ドル
独立 1297年1月8日
通貨 ユーロ(€) (EUR) 1999年までの通貨はフランス・フランモネガスク・フラン
モナコのユーロ硬貨も参照。
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 MC / MCO
ccTLD .mc
国際電話番号 377

モナコ公国(モナコこうこく)、通称モナコは、西ヨーロッパ立憲君主制国家都市国家であり、首都モナコ市がそのまま全領土となる、世界で2番目に小さいミニ国家で、国連加盟国の中では世界最小である。フランス地中海沿岸地方コート・ダジュールイタリアとの国境近くに位置する。

最大の都市モンテカルロには国際水路機関の本部がある。モナコはカジノF1モナコグランプリWRCラリー・モンテカルロが開催されることで知られる。

国名[編集]

正式名称はフランス語で、Principauté de Monaco(プランシポテ・ドゥ・モナコ)。通称、Monaco

日本語の表記については日本の外務省は、モナコ公国表記を用いている。通称、モナコ。「モナコ大公国」や「モナコ王国」と訳す場合もある。

国旗[編集]

国旗のデザインが国連基準の2:3の縦横比になるとインドネシアと同様になるため、両国の間で調整が図られたものの進展しなかった。モナコ独自の基準による比率は4:5としている。また上下を逆にするとポーランドの国旗と同様になる。

歴史[編集]

フランスの侵攻 1860.

モナコという地名は、現在のモナコの近隣に6世紀にあったポカイア人の入植地の名に由来する。その地はギリシャ語で「一軒家」を意味する Monoikos の名で呼ばれていた。ギリシア神話では、ヘラクレスが現在のモナコの地を通りかかり土地の神々を退散させたとあり、それにちなんで1つの神殿が作られた。その1つの神殿が「一軒家」に転じ、地名が生じた。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世から1191年にこの土地を与えられたジェノヴァ共和国は、1228年に今日のモナコを建設した。1297年ギベリン(皇帝派)に占領されていたモナコの要塞に、フランシスコ会の修道士姿に変装し法衣の下に武装して侵入したフランソワ・グリマルディらは、要塞の占拠に成功した。グリマルディは、現在のモナコ公家であるグリマルディ家の始祖である[1]。そのため、グリマルディは、「狡猾な男」と渾名される。1419年、グリマルディ家はアラゴン王国からモナコを購入し、正式な支配者となる。princeの称号を自称し始めたのは1612年。オノレ2世の時代にはフランス王ルイ13世の保護下に入ることでスペイン(アラゴン王国の後身)の支配を抜け出し、歴代のモナコ公は独立君主であると同時にフランス王の臣下(ヴァランティノワ公爵)として宮廷で高い地位を占めた[2]。しかし、1793年にはフランス革命軍がモナコを占領、公国はフランスに編入される。ナポレオン・ボナパルトの時代になっても事態は変わらず、公国が再建される1814年までフランスの直接支配が続いた。

縮小前のモナコ公国。青がマントンロクブリュヌ、オレンジが現在のモナコ。

1815年ウィーン会議の結果、モナコはイタリアのサルデーニャ王国の保護下に入る。1860年トリノ条約で、サルディニアは、イタリア統一運動をフランスに支援してもらう代償として、サヴォワサヴォワ県オート=サヴォワ県)とニース伯領(アルプ=マリティーム県)をフランスに割譲する。モナコ公の課す重税に倦み、サルデーニャへの併合を希望するマントンロクブリュヌは、モナコからの独立を宣言する。シャルル3世は、1861年に、領土の95%にあたるマントンとロクブリュヌをフランスに売却し、見返りにモナコ公国の主権を回復した。

1911年、憲法を制定、立憲君主制となるも、モナコ大公は依然として絶対君主として振る舞い、アルベール1世はすぐに憲法を停止した。第一次世界大戦が勃発すると大公子ルイ(後のルイ2世)はフランス陸軍に志願、軍功をあげ将軍に上り詰めた。1918年、「フランス・モナコ保護友好条約英語版」を締結、フランスの保護下に入り保護国となった。ヴェルサイユ条約などの第一次世界大戦の講和条約においては、この条約を各国が承認する規定が設けられている。

1922年、ルイ2世が即位する。モナコを文化・観光都市にする試みを続け、モナコ・グランプリの開催、ASモナコの創設などを行った。

1943年、イタリア軍がモナコを占領し、ファシスト政権を樹立した。直後にベニート・ムッソリーニの政権が崩壊すると、今度はナチス・ドイツドイツ国防軍がモナコを占領、モナコでもユダヤ人迫害を行う。

ルイが1949年に死去すると、孫のレーニエ3世が即位する。1956年にはハリウッド女優のグレース・ケリーと結婚、世界中の注目を集める。1962年に新憲法を制定、この憲法で死刑が廃止され、女性参政権が実現した。同時に最高裁判所も誕生した。1993年国際連合に加盟した。

2005年、レーニエ3世が死去し、息子のアルベール2世が即位した。同年12月、フランス・モナコ友好協力条約を締結した。この条約は、グリマルディ家に跡継ぎがなくなっても公国は将来も存続することをフランスが保証する代わりに、モナコの防衛は今後もフランス軍が行うことを骨子としている。また、モナコの自主的外交における制限が緩和され、外国と国交を結ぶ際のフランスによる事前同意が不要になった。

政治[編集]

モナコ大公宮殿の前にあるフランソワ・グリマルディの銅像。

政体はグリマルディ家世襲する大公(公、プランス)を元首とする立憲君主制である。「公国」ながら日本ではしばしば元首を「大公」と呼ぶ背景は「公国」の概要の項目を参照。なお、1918年にフランスと結ばれた条約からモナコはフランスにより保護的な一定の主権の制限を受け、外交軍事はフランスが責任を持っていた。この条約により、モナコ大公の即位継承にはフランスの同意が必要となり、また大公家が断絶した場合はフランスに編入されることになっていた。

その後、2005年の新条約ではフランスとの特別な協調関係は維持するが、外交面での制限が緩和され、大公家が断絶してもモナコ公国の存続を保証した。

元首である大公のもとに、首相に相当する「国務大臣」が任命されて政府を組織する。「国務大臣」の下に、対外関係省、財務経済省、内務省、社会厚生省、設備・環境・都市開発省をそれぞれ所掌する5名の「政府顧問」が置かれており、これが他国での大臣に相当する。

外交関係[編集]

外交面では従来、モナコが他国と外交関係を結ぶ際にはフランスの事前同意が必要と定められていた。日本政府はこれをフランスとの条約とも併せて「国家主権の制限」と看做し、長らく正式な国交は樹立されなかったが、代わりにモナコ「名誉総領事館」(総領事館ではない)が、1973年に東京(東京都千代田区)に設置された。

外交に関するフランスとの規定は2005年の条約で改められ、フランスの事前同意が無くても国交を結べるようになり、日本とモナコの間でも2006年12月14日に外交関係が樹立され、2007年に駐フランス日本大使がモナコを兼轄することとなった。モナコ国内に大使館はない。それまではモナコは、日本政府が承認している国の中で唯一、外交関係を有していない国だった[3]。一方、モナコも日本を担当する大使を任命しているが、本国駐在であり、日本国内に大使館は置かれていない。

軍事[編集]

軍事面では、フランスが領土防衛の責任を持つ。モナコは大公銃騎兵中隊を有しているが、事実上警備・儀仗部隊であり、他に消防隊も市民防衛の一環として銃の訓練は受ける。2005年締結の条約により、「緊急事態」を除きフランス軍の派兵にはモナコの同意ないし要請が必要となった。

地方行政区分[編集]

市町村のような地方公共団体は存在しないが、4つの地区(カルティエ)に分けられている。

  • モナコ市街区(宮殿・政府のある中心地区)
  • モンテカルロ区(カジノ・リゾート地区)
  • ラ・コンダミーヌ区(港湾地区)
  • フォンヴェイユ区(新興地区)

地理[編集]

モナコの衛星写真

モナコは、周囲をフランス(プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県)に囲まれた国であり、もう一方は地中海に面している。旧市街地と新市街地があり、世界的に見ても人口密度が高い。平地の面積は極端に少なく、少ない平地を山と海に挟まれたような形になっている。モナコ公園がある。

経済[編集]

モナコ市街

モナコの人口は3万人余りであるが、2009年GDPは69億1900万ドルで、チャドベナンなどアフリカの人口1000万人程度の中規模国に匹敵する[4]。また鳥取県県内総生産の30%程の経済規模である[5]。また、2008年または2009年の1人当たり国民総所得は18万3150ドルで、世界銀行によれば、統計のある国連加盟国・非自治地域中トップである[6]

主要な産業は観光。特にカジノは、19世紀の一時期は国家収入の9割を占めていたこともある。なお、現在では5%以下であり、経営も半官半民の企業「ソシエテ・デ・バン・ド・メール」(海水浴公社)へ移管されている。

モナコはタックス・ヘイヴンのひとつとして知られており、(租税条約が結ばれている)他国からの移住者の多くは億万長者である。 2011年3月には、英国のシンクタンクにより、世界第51位の金融センターと評価されている[7]

モナコは欧州連合の加盟国ではないが、フランスとの通商関係が緊密で、通貨もフランスと同じユーロを使用している。2002年以前はモナコも独自のフラン硬貨「モネガスク・フラン」を鋳造していた。現在も、各国が自由にデザインできる硬貨の裏面をモナコ独自のデザインにした独自のユーロ硬貨を製造する権利を有している。

工業[編集]

産業として存在しない農業・林業・鉱業、国内市場向けの漁業・畜産業と比較すると、モナコの工業はモナコ経済にとって重要である。化粧品製造が産業として確立しているため、周辺産業としてガラス加工、香水、化学薬品の製造が行われている。

交通[編集]

モンテカルロ駅

モナコ国内の鉄道は、モナコ政府ではなく、フランス国鉄(SNCF)が運営する。マルセイユニース~モンテカルロ~マントンヴェンティミーリアイタリア)間の路線の一部を成している。モナコ国内の鉄道路線は約1.7kmである。

1867年モンテカルロ駅英語版フランス語版が開業した。当初は地上に鉄道の線路が敷かれていたが、狭隘な土地の有効活用の目的もあり、1958年1964年にかけて、モンテカルロ駅から東の区間を地下化した。その後1993年1999年にかけて、モンテカルロ駅の移転・地下化と、モンテカルロ駅から西の区間を地下化した。これにより、モナコ国内の鉄道は、ほぼ全区間が地下線となっている。

パリから直通するTGVが1日1往復存在する。所要時間は約6時間。

タックス・ヘイヴン[編集]

モナコは個人居住者に対して所得税を課していない(1957年以降に移住したフランス国籍者は例外として税金をフランス政府に納める。これがフランスが併合を強要しない主な理由である)。所得税がないため、モナコ国外からほとんどの収入を得ている富裕者の多くがこの国にやってくる。F1ドライバーなどの有名人も多いが、その多くは実業家である。2000年のフランス国会議員の報告で、モナコはカジノを含め、資金洗浄に対し監視が甘い政策で、モナコ政府による圧力があり司法当局が疑惑に対して適切に調査していないという疑いが報告された。

経済協力開発機構(OECD)のタックス・ヘイヴン報告では、モナコは2004年までリストアップされていなかったが、その後アンドラリヒテンシュタインリベリアマーシャル諸島など共に、財政情報の公開や提供に協力的でないとして[8]、タックスヘイヴンとしてリストアップされた[9]国際通貨基金(IMF)も2003年までに他の36地域と共にタックスヘイヴンと認定した[10]

気候[編集]

Monacoの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 12.3
(54.1)
12.5
(54.5)
14.0
(57.2)
16.1
(61)
19.4
(66.9)
23.0
(73.4)
25.8
(78.4)
25.9
(78.6)
23.8
(74.8)
19.9
(67.8)
16.1
(61)
13.4
(56.1)
18.5
(65.3)
日平均気温 °C (°F) 10.2
(50.4)
10.4
(50.7)
11.8
(53.2)
13.9
(57)
17.1
(62.8)
20.8
(69.4)
23.5
(74.3)
23.7
(74.7)
21.6
(70.9)
17.8
(64)
14.0
(57.2)
11.4
(52.5)
16.4
(61.5)
平均最低気温 °C (°F) 8.1
(46.6)
8.2
(46.8)
9.6
(49.3)
11.6
(52.9)
14.8
(58.6)
18.5
(65.3)
21.2
(70.2)
21.5
(70.7)
19.3
(66.7)
15.6
(60.1)
11.9
(53.4)
9.3
(48.7)
14.1
(57.4)
降水量 mm (inch) 82.7
(3.256)
76.4
(3.008)
70.5
(2.776)
62.2
(2.449)
48.6
(1.913)
36.9
(1.453)
15.6
(0.614)
31.3
(1.232)
54.4
(2.142)
108.2
(4.26)
104.2
(4.102)
77.5
(3.051)
768.5
(30.256)
平均降水日数 6.8 6.4 6.1 6.3 5.2 4.1 1.9 3.1 4.0 5.8 7.0 6.0 62.7
平均月間日照時間 148.8 152.6 201.5 228.0 269.7 297.0 341.0 306.9 240.0 204.6 156.0 142.6 2,668.7
出典: Monaco website[11]

国民[編集]

モナコのカトリック教会

住民は外国籍者(フランス国籍47%、イタリア国籍16%、その他21%)84%である。モナコ国籍者は16%である。なお、モナコの国籍法は1992年に改正された。モナコ国籍をもつ母親が実子にモナコ国籍を与えることができる。移民が市民権を取得するためには、申請後10年単位の期間を要する。モナコ国籍の人は、カジノを禁止されている。

言語[編集]

言語は公用語フランス語で、その他モナコ語英語イタリア語などが使われる。

宗教[編集]

宗教はローマ・カトリックが90%である。

文化[編集]

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日    
1月27日 聖ディボートの日
3月4月 イースター 移動祝日
イースターマンデー
5月1日 レイバーデー
5月 キリスト昇天祭 移動祝日
ウィットサンデー
6月 聖体節
8月15日 聖母被昇天祭  
11月1日 万聖節
11月19日 ナショナルデー
12月8日 聖母受胎祭
12月25日 クリスマス

スポーツ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 実際にはフランソワ(フランチェスコ)は4年後にはモナコを追われている。グリマルディ家のモナコ支配が固まるのは15世紀初めであり、現在のグリマルディ家はフランチェスコの直系子孫ではない(Anne Edwards The Grimaldis of Monaco)。
  2. ^ フランスの保護国となることで公家のフランス化も進んだ。また格式を保つため領民には重税が課せられた。
  3. ^ 外務省ブレスリリース・モナコ公国との外交関係開設について
  4. ^ [1]
  5. ^ 県民経済計算
  6. ^ [2]
  7. ^ The Global Financial Centres Index 9
  8. ^ Declaration of April 18th, 2004, by the representative of the OECD Centre for Tax Policy and Administration Gabriel Makhlouf regarding the list of alleged tax havens non-cooperatives countries comparable
  9. ^ Stage Report 2004: Project of OECD on the detrimental tax practices, OECD, Paris, 2004
  10. ^ « Financial Centres with Significant Offshore Activities » in Offshore Financial Centres. The Assessment Program. A Progress Report Supplementary Information, IMF, Washington, 2005
  11. ^ "Climatological information for Monaco" – Monaco website
  12. ^ LES GRANDES DATES DE L'ATHLETISME A MONACO de 1900 à 2008 Fédération Monégasque d’athlétisme. 2011年7月30日閲覧

関連項目[編集]


外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光