アウトビアンキ・A112アバルト
アウトビアンキ・A112アバルト | |
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73年式 | |
概要 | |
製造期間 | 1973年-1985年 |
ボディ | |
乗車定員 | 4人 |
ボディタイプ | 3ドア ハッチバック |
駆動方式 | FF |
パワートレイン | |
エンジン | 1,050cc 直4 OHV 70PS/8.85kgm |
変速機 | 5速MT |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,038mm |
全長 | 3,268mm |
全幅 | 1,480mm |
全高 | 1,360mm |
車両重量 | 700kg |
系譜 | |
後継 | ランチア/アウトビアンキ・Y10ターボ |
アウトビアンキ・A112アバルトとは、イタリアの自動車メーカーであったアウトビアンキがかつて発売していたハッチバック「A112」のグレードの1つである。
概要[編集]
FIATグループのアウトビアンキというメーカーから発売されたFF小型ハッチバック車であるA112のスポーティーモデル。ペットネームに「アバルト」とあるように、このクルマのチューニングはアバルトが担当した。アバルトの名がフィアットグループの市販車にグレード名として与えられたのはこれが初めて。A112アバルトの特異な点は今では一般的になったジアコーサ式で前輪を駆動してスポーティな味付けかつ実用的なリアハッチを持つ点でホットハッチのご先祖とも言える車ということである。 また、ホーク産業やJAXなどのインボーダーから日本に輸入されており好景気も相まって、日本での人気が特に高かった。それまで一部のカーマニアしか知らなかったアバルトの名前を日本に広く普及させた立役者でもある。
A112アバルトは発売当初982ccのフィアット製水冷4気筒OHVエンジンをアバルトがチューン。58psを叩き出し最高速度は150km/h
そして、1974年に1,050cc/70PSにスケールアップされ、さらなるチューニングとともに最高速度160km/hをマーク。その後時代に合わせて内装や外装のマイナーチェンジを繰り返し、1979年シリーズ5から新たに5MTを採用した。
搭載エンジンはフィアット600やフィアット850からキャリーオーバーされた直4OHVで、1970年に発表されたプロトティーポではFIAT ABARTH 1000 TCRに搭載されたラディアーレユニットを搭載したモデルもあったが市販化には至らなかった。最高出力の面では前述のエンジンに劣るものの扱いやすさや壊れにくさなど様々な面で一連のシリーズの中でも完成形となっている。出力70psとなっているがさらなるエンジンチューンを見越してさらなる馬力にも耐えられるように各部にアバルトの手が入っている。
歴史[編集]
- 1969年 - アウトビアンキA112がデビュー
- 1970年 - アバルトがレーシングプロトタイプであるA112プロトティーポを発表する。このプロトティーポはFIAT ABARTH 1000 TCRでおなじみのテスタ・ラディアーレというヘッドを搭載し、982cc/108hpで最高速度200km/hオーバーというモンスターであった。市販化には至らず
- 1973年 - A112に「アバルト」グレード追加。
- 1975年 - エンジンのパワーアップ(排気量:982cc→1,050cc、出力:58PS→70PS)
- 1981年 - ピニンファリーナによって、フェイスリフトが施された。
- 1985年 - 生産終了。
ラリー競技[編集]
フィアットの意向により1973年頃まで国際ラリー及びWRCにおいては既にフィアット・124やグループ傘下におさめていたランチアでのGr.4による戦いに集中して居た関係上、先にOEMで同格のセアト・127での参戦は点在していた[1]ものの販売戦略的に小型車クラスであるA112でのラリー活動に興味を示しておらず、A112発表直後にアバルトがプロトタイプで1000TCラディアーレ・ユニットでの108PS仕様を製作、発表していたがこの時点ではフィアットはフィアット製のノーマル・エンジンにツインチョーク・キャブ装着による58PS仕様を量産車仕様としていた。 そこで1974年に量産仕様に70馬力仕様が追加され、この車によるワンメイクラリーがヨーロッパ各国で開催される。なかでもフランスでは特に盛んで「クープ・アウトビアンキ・アバルト」ラリーがシリーズ戦として行われ、本国イタリアでも「A112アバルト・70HPトロフィー」ラリーをメーカーイベントとして開催していく。更にこの頃にはラリーに熱心となったフィアットは、ラリー用にアバルトの専用チューンを施した97馬力仕様をGr.2仕様として公認を得、イタリア国内ラリーを中心に参戦し始める。
そこから2年後である1976年。次年はフィアットの持ち駒として131アバルトも控えており、他チームの別車種による分散エントリーとして地元中心にWRCラリー・モンテカルロにA112・アバルトをフィアット側は5台、地元プライベータのシャルドネ側1台でGr.1エントリー。Gr.1のライバル車種としてはアルファロメオ・2000GTVやBMW・2002 tii等排気量のあるマシンの中、5台完走[2]を皮切りに、ツール・ド・コルスではリタイヤであったものの、Gr.2エントリーとした1977年、モンテカルロではそれまでのGr.2で力をつけていたシュコダ130RSの2台に勝敗は許したものの、3台Gr.2で3、4、5位完走を果たす[3]。コルスではシャルドネ・チームがGr.2エントリーとし、オペルチームのエンジン仕様の違いによる分散エントリーやプジョーにより混戦となっているもののグループ2位、総合15位に入っている[4]。1978年はRACラリー1戦のみ英国での販売網の違いによりGr.1エントリーによるランチアチームに託された[5]もこの年は他社のGr.1、2ラリーカーも若手であった選手陣も相当力をつけており、A112によるフィアットのWRC Gr.1、2参戦対象は次年のモンテカルロからフィアット・リトモアバルトへとスイッチしていく。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ^ 42ème Rallye Automobile de Monte-Carlo-rallybase.nl 2013年4月21日参照。
- ^ 44ème Rallye Automobile de Monte-Carlo-rallybase.nl 2013年4月21日参照。
- ^ 45ème Rallye Automobile de Monte-Carlo-rallybase.nl 2013年4月21日参照。
- ^ 21ème Tour de Corse-rallybase.nl 2013年4月21日参照。
- ^ 27th Lombard RAC Rally-rallybase.nl 2013年4月21日参照。