篠塚建次郎

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篠塚建次郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
WRCでの経歴
活動時期 1976 - 1997
所属チーム 三菱
出走回数 20
チャンピオン回数 0
優勝回数 2
表彰台回数 3
ステージ勝利数 3
通算獲得ポイント 88
初戦 1976 サファリラリー
初勝利 1991 ラリー・コートジボワール
最終勝利 1992 ラリー・コートジボワール
最終戦 1997 ラリー・オーストラリア
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篠塚 建次郎(しのづか けんじろう、1948年11月20日 - )は日本のラリードライバー。東京都大田区出身。東海大学工学部工業化学科卒業。三菱自動車の社員ドライバーとして活躍し、世界ラリー選手権 (WRC) とパリ・ダカール・ラリーで日本人初の優勝者となった。

略歴[編集]

海外ラリーでの活躍[編集]

三菱・ギャランVR-4(1992年モデル)
三菱・パジェロ プロトタイプ(1992年モデル)

1967年、大学入学後に友人の誘いでナビゲーターを務めて以来ラリーに熱中する。在学中に三菱自動車工業のラリーチームにスカウトされ、1971年に入社。宣伝、営業、商品企画、海外関係の業務を行いながらラリードライバーとして参戦し、めきめきと頭角を現して行く。1971年、1972年全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンを獲得、1976年のWRCサファリラリーでは日本人初の6位となる。その後各自動車メーカーが排気ガス対策に重点を置くようになったことから、三菱もモータースポーツ活動から一歩退く事となる。篠塚は8年間サラリーマンに専念した後、1986年に俳優の夏木陽介と共にパリ・ダカール・ラリーに参戦。以後、再びラリードライバーとしての活動を本格化する。

1988年にはアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) の初代チャンピオンとなり、WRCでは1991年のコートジボワールラリーでギャランVR-4をドライブし日本人ドライバーとしてWRC初優勝、1992年は同ラリーを2連覇するなど「ライトニング・ケンジロー」の異名を持つ。サファリでは2年連続2位入賞を果たしている。

パリ・ダカール・ラリーでは三菱ワークスチームのパジェロをドライブし、1987年に総合3位、1988年に総合2位を獲得。F1にフル参戦した中島悟と並んで、日本人ドライバーの海外挑戦が国内メディアに大きく取り上げられ、「パジェロ・篠塚・パリダカ」の名が一般的に浸透する[1]。年々競技が高速化する中で総合優勝の最前線で活躍し、参戦12年目の1997年に日本人初の総合優勝を成し遂げている[2]

2000年のパリ・カイロ・ラリーでは大転倒で骨折。より競技に集中するため家族と共にパリの三菱事業所に赴任したが、2002年のダカール・ラリー総合3位を最後に三菱自動車を退社した[3]。三菱チーム側では53歳という年齢からマネージメントへの転身を打診したが、本人は現役活動にこだわり、結果として30年間のサラリーマンドライバー生活に終止符を打った[1]

2003年にはプロドライバーとして日産自動車と契約し、ダカール・ラリーに参戦したが、3年連続途中リタイヤとなる。特に2005年は万全の態勢を整えて完走を目指すも転倒、リタイヤを余儀なくされた(日産のワークス活動はこの年まで)。体力の衰えやラリー活動40年を区切りとして2006年のダカール・ラリーを最後に引退することを発表[4]。しかし、第10ステージで車両故障が発生しリタイヤ、有終の美を飾る事ができずにラリー人生に一旦ピリオドをうった。

しかしその後、東洋ゴム工業からラリー用タイヤの開発を目的として2007年のダカール・ラリー参戦のオファーを受け、イタリアのチームから日産・パスファインダーで出場することになった。その際、前年の引退表明は「表彰台を狙うような走りで勝負するのは今回が最後」という意味であり、ラリーを引退するつもりはないと語った[5]2008年はダカール・ラリーが中止となり、南米に開催地が移された2009年はエントリーリストから姿を消している。

2009年夏にはモンゴル国内で開催されるラリーレイドであるラリー・モンゴリアにも主催者側スタッフとして参加し、リタイアしたドライバー・ナビゲーター等を収容する「カミオンバレー」の運転を担当した。それまで篠塚は「トラックを運転した経験はなく、免許もない」ということで大型免許を取得するところからスタートし[6]、開催期間中はほとんど不眠不休でリタイア者の収容作業にあたることになった[7]

ソーラーカー・チャレンジ[編集]

2009年9月にデビューした東海大学ソーラーカー「Tokai Challenger」(篠塚は後列左端)
2011 World Solar Challengeで優勝した"Tokai Challenger" 東海大学ソーラーカーチーム

2008年の春、母校の東海大学チャレンジセンターのソーラーカーチームの学生が、同年9月28日10月8日にかけて、南アフリカ共和国で開催される国際自動車連盟公認のソーラーカーラリー「サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ2008 (SASC 2008)」へ出場に向けて悪戦苦闘している様子を知った。このソーラーカーラリーは、アフリカ大陸初の大会となり、全長4,000km超えの世界最長のソーラーカーレースであった。同大学の木村英樹 (工学者)教授からの要請もあり特別アドバイザーに就任し、ソーラーカーのドライバーも務め、総合優勝の達成に大きく貢献した。

2009年10月、オーストラリア大陸ダーウィン (ノーザンテリトリー)アデレード間の3,000kmを走破する、グローバル・グリーン・チャレンジ(ワールド・ソーラー・チャレンジから発展)に、東海大学が製作した新型ソーラーカー「Tokai Challenger」で出場、2位以下に2時間以上の大差を付けて優勝を飾った[8][9]。このソーラーカーには、シャープが提供する変換効率30%、出力1.8kWの高性能な太陽電池などが搭載されていた[10]。6m2以下という太陽電池面積の新レギュレーション下で、世界最速となる100.54km/hの平均速度記録を樹立した。レース中の最高速度は、チーム計測値で123km/hを記録した。

2010年5月23日、高橋尚子がフロントランナーを務める「スマイル・アフリカ・プロジェクト」の「第2回ソトコト・サファリ・マラソン」において、先導車として用意されたソーラーカー「ELA」をドライブ。7月9~11日にかけて群馬県の伊香保温泉で開催されたクラシックカーラリー「スプレンドーレ伊香保」にアルファロメオ・2600スパイダーで出場、40位で完走した。このラリーでは息子の建太がコ・ドライバーを務め、初の親子参戦が実現している[11]。2010年9月22~10月2日、サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ2010に出場する東海大学チャレンジセンターチームに参加し、ソーラーカーTokai Challengerのドライバーを担当する。総走行距離4061.8kmを45時間5分で走行して優勝し、同大会で二連覇を達成。このときの平均速度は90.1km/hであった[12]

2011年10月、オーストラリアで開催されたワールド・ソーラー・チャレンジに、東海大学チームのドライバーとして参戦し、2009年に続き大会二連覇、南アフリカ大会と合わせた国際ソーラーカーレースで4連覇を達成した。[13]

2012年、4年間ドライバーを務めた東海大学チームを離れ、本人が代表を務める「ソーラーカーチーム篠塚」を結成。東芝、鈴与などがスポンサーとなった。FIA公認のソーラーカーレース鈴鹿ではオリンピアクラス3位、サソール・ソーラー・チャレンジ・サウスアフリカでは総合2位(アドベンチャークラス優勝)となった。この南アフリカ大会の模様は、2012年10月27日にBS-TBSで放送され、実子の絲木建太がナレーションを務めた。

2014年8月、沖縄県宮古島市下地島空港の滑走路にてソーラーカー世界最高速記録を更新。滑走路往復500m走行を光電管で計測し、8月22日にはギネス公式認定員立会いの下、それまでの世界最高速記録だった88.738km/hを破る88.891km/hを記録し、即日認定された。8月20日にも91.332km/hを出して世界最高速記録を更新していたが、当日は認定員不在だったために後日証拠とともに申請し、その記録も認められたため、最終的な認定記録は91.332km/hとなった[14][15]

血縁関係[編集]

弘子夫人の弟(義弟)が俳優の三浦友和。弘子夫人がタレントだった事もあり、結婚報道はテレビのやじうまワイドでも放送されたが、吉澤一彦アナは独特の切り口で当時、カーマニア以外には知名度が高くは無かった篠塚を「運転手さん」と呼び、「運転手さんと(弘子さんは)どこで知り合ったんでしょうね」とコメントしていた。(パリダカ以降は吉澤アナは何もなかったかのように篠塚選手を褒めていた。)

俳優の絲木建太は実子。

パリ・ダカールラリー成績[編集]

  • 1986 パリ~ダカールラリー 総合46位
  • 1987 パリ~ダカールラリー 総合3位
  • 1988 パリ~ダカールラリー 総合2位
  • 1989 パリ~ダカールラリー 総合6位
  • 1990 パリ~ダカールラリー 総合5位
  • 1991 パリ~ダカールラリー リタイア
  • 1992 パリケープタウンラリー総合3位
  • 1993 パリ~ダカールラリー 総合5位
  • 1994 パリ~ダカールラリー~パリラリー チーム抗議撤退
  • 1995 グラナダ~ダカールラリー 総合3位
  • 1996 パリ~ダカールラリー 総合17位
  • 1997 ダカール~アガデス~ダカール 総合優勝
  • 1998 パリ~ダカールラリー 総合2位
  • 1999 グラナダ~ダカールラリー 総合4位
  • 2000 パリ~カイロラリー リタイア
  • 2001 パリ~ダカールラリー 総合33位
  • 2002 アラス~ダカールラリー 総合3位
  • 2003 ダカール2003 リタイア
  • 2004 ダカール2004 リタイア
  • 2005 ダカール2005 リタイア
  • 2006 ダカール2006 リタイア
  • 2007 ダカール2007 総合59位

著書[編集]

広告・CM出演[編集]

ラジオ出演[編集]

  • 「シノケン・ヒロコのラリーダイアリー」(東海ラジオ放送、1983年から2002年まで)

テレビ出演[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 第18回 ラリードライバー 篠塚建次郎 其の三”. 魂の仕事人. 人材バンクネット (2007年1月22日). 2017年3月26日閲覧。
  2. ^ パリ=ダカールラリー 砂漠の覇者Mitsubishi(1997年)”. よくわかる自動車歴史館 第13話. GAZOO. 2017年3月26日閲覧。
  3. ^ 三菱自動車社員「篠塚建次郎」が退職 - 三菱自動車工業プレスリリース(2002年06月11日) 2016年4月28日閲覧
  4. ^ “篠塚建次郎が、ダカールラリー壮行会に出席”. 日産モータースポーツ. (2005年12月16日). http://www.nissan-motorsports.com/JP/RACE/DAKAR2006/REPORT/JAPANESE/04.html 2017年3月26日閲覧。 
  5. ^ 第18回 ラリードライバー 篠塚建次郎 其の一”. 魂の仕事人. 人材バンクネット (2007年1月8日). 2017年3月26日閲覧。
  6. ^ ただしモンゴル国内では日本の運転免許は通用しないため、モンゴル国内でトラックを運転するのに日本の大型免許は本来不要である。
  7. ^ 東京中日スポーツ・2009年8月18日付 モーターExpress
  8. ^ 世界最大規模のソーラーカーレースで優勝しました”. 東海大学. 2009年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月27日閲覧。
  9. ^ 世界最大級のソーラーカーレースで東海大学チームが優勝”. シャープ. 2013年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月27日閲覧。
  10. ^ “世界最大級のソーラーカーレースに出場する東海大学チームに太陽電池を提供”. シャープ. (2009年6月24日). http://www.sharp.co.jp/corporate/news/090624-a.html 
  11. ^ 東京中日スポーツ・2010年7月12日付 F1Express
  12. ^ シャープ、ニュースリリース http://www.sharp.co.jp/corporate/news/101004-b.html
  13. ^ 東海大学ソーラーカーチーム ワールド・ソーラー・チャレンジ参戦 http://www.u-tokai.ac.jp/WSC2011/report.html
  14. ^ ソーラーカー世界最高速 ラリーの篠塚さんをギネス公認Yahoo!ニュース朝日新聞デジタル) 2014年9月14日
  15. ^ 2014年8月19日(火)~22日(金) ソーラーカー世界最速ギネス記録を達成!!篠塚建次郎オフィシャルウェブサイト内  (2014年9月15日 閲覧)

関連項目[編集]

外部サイト[編集]