篠塚建次郎

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篠塚建次郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1948-11-20) 1948年11月20日(72歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
WRCでの経歴
活動時期 1976年 - 1997年
所属チーム 三菱
出走回数 20
チャンピオン回数 0
優勝回数 2
表彰台回数 3
ステージ勝利数 3
通算獲得ポイント 88
初戦 1976 サファリラリー
初勝利 1991 ラリー・コートジボワール
最終勝利 1992 ラリー・コートジボワール
最終戦 1997 ラリー・オーストラリア
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篠塚 建次郎(しのづか けんじろう、1948年11月20日 - )[注釈 1]は日本のラリードライバー。東京都大田区出身[2]山梨県北杜市在住 。東海大学工学部工業化学科卒業[2]三菱自動車の社員ドライバーとして活躍し、世界ラリー選手権 (WRC) とパリ・ダカール・ラリーで日本人初の優勝者となった。愛称は「シノケン[3]」。

略歴[編集]

社員ラリードライバー[編集]

小学生の頃は乗馬、中学生は自転車、高校生はオートバイと「乗り物」に親しみながら育つ。1967年、大学入学後に運転免許を取得し、友人の誘いでナビゲーターとしてラリーに参加し魅力を知る[4]。その後はドライバーとして頭角を現し、大学3年の時には三菱自動車工業ワークスチーム「コルト・モータースポーツクラブ (CMSC)」にスカウトされた。

大学卒業後、1971年に三菱自動車に入社[5]。販売店のセールスマンや整備工場のメカニックを経験しながら、週末はワークスドライバーとして日本各地のラリー競技会に出場し、1971年、1972年にはコルトギャラン1600Lに乗り全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンを獲得した。1974年から海外のサザンクロス・ラリーに挑戦[6]し、1976年のWRCサファリラリーでは日本人初の6位となり[6]、「ライトニング・ケンジロー」の異名をとる。しかし、オイルショックや排気ガス対策のため三菱が1978年にワークス活動を休止したため、篠塚はラリーから離れ、販売推進部で宣伝を担当するサラリーマンとして働いていた。

国際ラリーでの活躍[編集]

三菱・パジェロ プロトタイプ(1992年モデル)

三菱は1983年より「世界一過酷なモータースポーツ」といわれるパリ・ダカール・ラリー(パリダカ)にパジェロで参戦、1985年に初めて総合優勝したが、日本国内における認知度を高めるためには日本人の活躍が必要と判断した[7]。俳優の夏木陽介と一緒に出場する選手として、当時37歳の篠塚が8年間のブランクを経て競技に復帰することになる。

1986年のパリダカは夏木と共に市販車無改造クラスにディーゼルエンジンのパジェロで初出場し、総合46位[6](マラソンクラス6位)で完走、この際は「砂漠での最高速は70キロ程度で、ゴールは毎日日付が変わった頃であった」とのこと。

1987年は、より速い車で参戦したいという篠塚の要望により、前々年パトリック・ザニロリが乗っていた2600 ccガソリンターボエンジンを搭載したプロトタイプ・パジェロで参戦[8]。夏木が監督を務める「チームシチズン夏木」から出場し、三菱ワークスを上回る総合3位を獲得。その健闘ぶりをNHKがスポーツニュースで報じたことでマスコミに注目され、F1にフル参戦した中嶋悟と並んで「パジェロ・篠塚・パリダカ」の名が一般的に浸透した[9]1988年は総合2位[6]となり、以後も三菱ワークスのドライバーとして総合優勝争いの前線で走り続けた。この間のリタイアは1991年[6]のクラッシュと1994年のチーム抗議撤退時[6]のわずか2回のみであった。

1988年にはアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) の初代チャンピオンを獲得[6]。WRCでは1991年のコートジボワールラリーでギャランVR-4をドライブし日本人ドライバーとしてWRC初優勝を達成し、日本人初の国際自動車連盟 (FIA) 公認Aシードドライバーとなる。1992年は同ラリーを連覇[6]。また、サファリラリーでは1994年・1995年にランサーエボリューションをドライブし、2年連続2位入賞を果たしている。

ダカール・ラリーでは参戦12年目の1997年に、48歳にして日本人初の総合優勝を成し遂げた[10]

2000年のダカール・ラリーでは大転倒で腰骨を骨折。より競技に集中するため家族と共にパリの三菱事業所に赴任したが、2002年のダカール・ラリー総合3位を最後に三菱自動車を退社した[11]。三菱ラリーアート側は53歳という年齢からマネージメントへの転身を打診したが、本人は現役活動にこだわり、結果として30年間のサラリーマンドライバー生活に終止符を打った[9]

2003年にはプロドライバーとして日産自動車と契約しダカール・ラリーに参戦したが、高速クラッシュで顔面を強打し重体説も流れるほどの大怪我を負う[3]。2004年・2005年は日産のサテライトチームから参戦したが連続リタイア、日産のワークス活動も2005年で打ち切られる。2006年は体力の衰えやラリー活動40年を区切りとして引退することを予告し[12]、初めてプライベーターとして参戦。車両故障でリタイヤし、ラリー人生に一旦ピリオドを打った。

しかしその後、東洋ゴム工業からラリー用タイヤの開発を目的として2007年のダカール・ラリー参戦のオファーを受け、イタリアのチームから日産・パスファインダーで出場することになった。その際、前年の引退表明は「表彰台を狙うような走りで勝負するのは今回が最後」という意味であり、ラリーを引退するつもりはないと語った[13]。本番では5年ぶりにゴールまで完走した。還暦を迎えた2008年も出場を予定していたが、テロ予告により大会が中止となった。南米開催に移行した2009年以降にはダカールラリーへは出場しておらず、2019年のアフリカエコレース参戦までアフリカ大陸のラリー参戦は途絶えることとなる。

三菱ランサーに乗る篠塚(2008年新城ラリー)

2009年夏にはラリー・モンゴリアに主催者側スタッフとして参加し、リタイアしたドライバー・ナビゲーター等を収容する「カミオンバレー」の運転を担当した。それまで篠塚は「トラックを運転した経験はなく、免許もない」ということで大型免許を取得するところからスタートし[注釈 2]、開催期間中はほとんど不眠不休でリタイア者の収容作業にあたることになった[14]

2010年代はラ・フェスタ・ミッレミリアなど国内外のクラシックカーラリーを中心に現役活動を続けている。

2015年よりタイで行われるアジアクロスカントリーラリースズキ・ジムニーシエラで出場し[15]、2015年 - 2017年に改造車ガソリンクラスで優勝した。

70歳を迎えた2019年、アフリカエコレースで当時唯一の日本人として初参戦し、いすゞ・D-MAXを操り見事総合34位完走を果たし、市販車無改造ディーゼルクラス2位。2020年のアフリカエコレースへは菅原義正はじめ複数名の日本人が参戦を表明しており、篠塚がアフリカエコレース日本人参戦の足掛かりを切り招いたといえる。

ソーラーカー・チャレンジ[編集]

2009年9月にデビューした東海大学ソーラーカー「Tokai Challenger」(篠塚は後列左端)
2011 World Solar Challengeで優勝した"Tokai Challenger" 東海大学ソーラーカーチーム
モントレー2018にて、TE71カローラレビンの0カーをドライブ

2008年の春、母校の東海大学チャレンジセンターソーラーカーチームの学生が、同年9月28日 - 10月8日にかけて、南アフリカ共和国で開催される国際自動車連盟公認のソーラーカーラリー「サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ2008 (SASC 2008)」へ出場に向けて悪戦苦闘している様子を知った。このソーラーカーラリーは、アフリカ大陸初の大会となり、全長4,000 km超えの世界最長のソーラーカーレースであった。同大学の木村英樹 (工学者)教授からの要請もあり特別アドバイザーに就任し、ソーラーカーのドライバーも務め、総合優勝の達成に大きく貢献した。

2009年10月、オーストラリア大陸ダーウィン (ノーザンテリトリー)?アデレード間の3,000 kmを走破する、グローバル・グリーン・チャレンジ(ワールド・ソーラー・チャレンジから発展)に、東海大学が製作した新型ソーラーカー「Tokai Challenger」で出場、2位以下に2時間以上の大差を付けて優勝を飾った[16][17]。このソーラーカーには、シャープが提供する変換効率30%、出力1.8 kWの高性能な太陽電池などが搭載されていた[18]。6 m2以下という太陽電池面積の新レギュレーション下で、世界最速となる100.54 km/hの平均速度記録を樹立した。レース中の最高速度は、チーム計測値で123 km/hを記録した。

2010年5月23日、高橋尚子がフロントランナーを務める「スマイル・アフリカ・プロジェクト」の「第2回ソトコト・サファリ・マラソン」において、先導車として用意されたソーラーカー「ELA」をドライブ。7月9 - 11日にかけて群馬県の伊香保温泉で開催されたクラシックカーラリー「スプレンドーレ伊香保」にアルファロメオ・2600スパイダーで出場、40位で完走した。このラリーでは息子の建太がコ・ドライバーを務め、初の親子参戦が実現している[19]。2010年9月22 - 10月2日、サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ2010に出場する東海大学チャレンジセンターチームに参加し、ソーラーカーTokai Challengerのドライバーを担当する。総走行距離4061.8 kmを45時間5分で走行して優勝し、同大会で二連覇を達成。このときの平均速度は90.1 km/hであった[20]

2011年10月、オーストラリアで開催されたワールド・ソーラー・チャレンジに、東海大学チームのドライバーとして参戦し、2009年に続き大会二連覇、南アフリカ大会と合わせた国際ソーラーカーレースで4連覇を達成した。[21]

2012年、4年間ドライバーを務めた東海大学チームを離れ、本人が代表を務める「ソーラーカーチーム篠塚」を結成。東芝、鈴与などがスポンサーとなった。FIA公認のソーラーカーレース鈴鹿ではオリンピアクラス3位、サソール・ソーラー・チャレンジ・サウスアフリカでは総合2位(アドベンチャークラス優勝)となった。この南アフリカ大会の模様は、2012年10月27日にBS-TBSで放送され、実子の絲木建太がナレーションを務めた。

2014年8月、沖縄県宮古島市下地島空港の滑走路にてソーラーカー世界最高速記録を更新。滑走路往復500 m走行を光電管で計測し、8月22日にはギネス公式認定員立会いの下、それまでの世界最高速記録だった88.738 km/hを破る88.891 km/hを記録し、即日認定された。8月20日にも91.332 km/hを出して世界最高速記録を更新していたが、当日は認定員不在だったために後日証拠とともに申請し、その記録も認められたため、最終的な認定記録は91.332 km/hとなった[22][23]

エピソード[編集]

  • 1987年のパリダカで総合3位を獲得して2カ月ぶりに帰国した際、空港に大勢の報道陣がいた。「同じ便に有名人が乗っていたのかな」と思いながらゲートを出ると、自分を目当てにして集まっていたのだと知り驚いたという[24]
  • 三菱の社員時代はパリダカで有名になってからも特別待遇はなく、成績がよければ報奨は出たものの、概ね普通のサラリーマンと同じ給料をもらっていた。ラリー出場期間中は「海外出張」扱いで、出張報告書には「車中泊」と記入していた[25]。自ら会社の広告塔として意欲的に働き、1988年から2002年まで「パリダカ報告会」のため増岡浩とともに全国の三菱ギャラン店ディーラーを回っていた。
  • 妻のひろ子は俳優三浦友和の姉で、本人も「牧陽子→三浦弘子」の名で歌手活動をしていた。1976年、サファリラリーのドキュメンタリー映画の全国キャンペーンツアーに新人歌手だった牧陽子が同行した時に篠塚と知り合い、交際し始めたが1年ほどして別れた[26]。10年後、ひろ子が芸能界を引退して山梨県清里高原でペンション「La VERDURA」の経営を始める頃、夏木陽介からパジェロを薦められたことをきっかけに偶然再会し、1987年に結婚した[27]。当時パリダカ3位で注目されていた篠塚は「山口百恵の義姉と結婚する」という芸能ニュースでも有名人になった。その後、長男の篠塚建太も俳優絲木建太として芸能界入りしている。
  • 2002年、ダカール・ラリーのゴール地であるセネガルの首都ダカールに隣接するヨッフ市に「マム・アラッサン・ライ・ド・ヨッフ小学校」を寄贈した[28]。毎年ラリーの終了後に小学校を訪れ、2007年までサービスカーに積んできた文房具を届けていた。そして2019年のアフリカエコレースで完走した際も12年ぶりに当地を訪れ清里の地元の人より集まった文房具をマム・アラッサン・ライ・ド・ヨッフ小学校へ寄付している。

モータースポーツでの成績[編集]

ダカール・ラリー
チーム 車両 コ・ドライバー 成績 備考
1986 チームシチズン夏木 (ゼッケン#344 ライセンスNo. TKS46TE6382)

三菱・パジェロ (市販車無改造)

フィリップ・ボカンデ AUTO部門46位[6]
1987 チーム三菱シチズン夏木 (ゼッケン#309 ライセンスNo. 9133XW95)

三菱パジェロ プロト

フヌイユ[注釈 3] AUTO部門3位[6]
1988 チーム三菱シチズン夏木 (ゼッケン#215 ライセンスNo. 3597YK95)

三菱パジェロ プロト

アンリ・マーニュ AUTO部門2位[6]
1989 チーム三菱シチズン夏木 (ゼッケン#212 ライセンスNo. 8124ZC95) 三菱パジェロエッグシェイプエアロタイプ アンリ・マーニュ AUTO部門6位[6]
1990 チーム三菱シチズン夏木 (ゼッケン#209 ライセンスNo. 8124ZC95) 三菱パジェロエッグシェイプエアロタイプ アンリ・マーニュ AUTO部門5位[6]
1991 チーム三菱シチズン夏木 (ゼッケン#207 ライセンスNo. 888AFF95) 三菱パジェロプロトタイプ1型 アンリ・マーニュ DNF[6]
1992 チーム三菱シチズンロスマンズ夏木 (ゼッケン#213 ライセンスNo. 111AMF95) 三菱パジェロプロトタイプ2型 アンリ・マーニュ AUTO部門3位[6]
1993 チーム三菱シチズン夏木 (ゼッケン#205 ライセンスNo. 111AMF95) 三菱パジェロプロトタイプ3型 アンリ・マーニュ AUTO部門5位[6]
1994 三菱石油ラリーアート (ゼッケン#210 ライセンスNo. 639AZJ95) 三菱パジェロプロトタイプ4型 アンリ・マーニュ DNF[6] 三菱ワークスの2台のみが完走した難関ステージが、主催者の判断によりキャンセルされたことへの抗議[29]
1995 三菱石油ラリーアート (ゼッケン#204 ライセンスNo. 639AZJ95) 三菱パジェロプロトタイプ4型 アンリ・マーニュ AUTO部門3位[6]
1996 三菱石油ラリーアート (ゼッケン#204 ライセンスNo. 639AZJ95) 三菱パジェロプロトタイプ6型 アンリ・マーニュ AUTO部門17位[6]
1997 三菱石油ラリーアート (ゼッケン#205 ライセンスNo. 993BSP95)

三菱パジェロ (T2)

アンリ・マーニュ AUTO部門優勝[6]
1998 三菱石油ラリーアート (ゼッケン#204 ライセンスNo. TKS35NI7584)

三菱パジェロエボリューション (市販車改造)

アンリ・マーニュ AUTO部門2位[6]
1999 三菱石油ラリーアート (ゼッケン#202 ライセンスNo. TKS35NI7027)

三菱パジェロエボリューション (市販車改造)

アンリ・マーニュ AUTO部門4位[6]
2000 日石三菱ラリーアート (ゼッケン#254)

三菱パジェロ (市販車改造)

ドミニク・セリエス DNF[6]
2001 日石三菱ラリーアート (ゼッケン#203)

三菱パジェロ (市販車改造)

フレッド・ギャラハー AUTO部門33位[6]
2002 日石三菱ラリーアート (ゼッケン#210)

三菱パジェロ (市販車改造)

ティエリー・デリゾッティ AUTO部門3位[6]
2003 日産ラリーレイドチーム (ゼッケン#201)

日産ピックアップ (スーパープロダクション)

ティエリー・デリゾッティ DNF[6]
2004 チーム日産・ドスード (ゼッケン#215)

日産ピックアップ (スーパープロダクション)

アルノー・デブロン DNF[6]
2005 チーム日産・ドスード (ゼッケン#319)

日産ピックアッププロトタイプ (スーパープロダクション)

パスカル・メモン DNF[6]
2006 日産テクノスポーツ・イタリア (ゼッケン#330)

日産ピックアッププロトタイプ (スーパープロダクション)

Roberto di Persio DNF[6]
2007 日産テクノスポーツ・イタリア (ゼッケン#242)

日産・パスファインダー (市販車改造)

Roberto di Persio AUTO部門59位[6]
FIA クロスカントリーラリー・ワールドカップ
イベント 車両 コ・ドライバー 成績 備考
1999 イタリアン・バハ 三菱パジェロエボリューション (T2) ジル・ピカール 総合優勝[6] (ゼッケン#201 ライセンスNo. TKS35NI7584)
2000 ポーラスパンパスラリー 三菱パジェロ (T2) フレッド・ギャラハー 総合優勝[6] (ゼッケン#205 ライセンスNo. TKS35NI7584)
世界ラリー選手権
イベント 車両 コ・ドライバー 成績 備考
1976 サファリラリー (ケニア) 三菱・ランサー1600GSR Bob Graham (ボブ・グラハム) 6位[6]
1991 アイボリーコーストラリー (コートジボワール) 三菱・ギャラン ジョン・メドウス 総合優勝[6] 日本人初のWRC総合優勝
1992 アイボリーラリー (コートジボワール) 三菱・ギャラン ジョン・メドウス 総合優勝[6]
1993 サファリラリー (ケニア) 三菱・ランサーエボリューション ペンティ・クゥッカラ DNF
1994 サファリラリー (ケニア) 三菱・ランサーエボリューション ペンティ・クゥッカラ 2位[6]
1996 サファリラリー (ケニア) 三菱・ランサーエボリューションIII ペンティ・クゥッカラ 6位
1997 ラリー・オーストラリア (オーストラリア) 三菱・ランサーエボリューションIII フレッド・ゴセンタス DNF
その他
イベント 車両 成績
2019 アフリカエコレース いすゞ・D-MAX T2ディーゼルクラス2位 / 総合34位

著書[編集]

  • 篠塚建次郎無敵のno.1テクニック : WRC優勝ドライバーが鍛える! 市街地走行からWRCのスーパーテクニックまで(三推社、1992年 ISBN 4061796097
  • より熱く耐えて挑む 燃える男のすばらしきラリー人生(日本文芸社、1992年 ISBN 4537022868
  • 楽しいアウトドア・クッキング(日本文芸社、1992年 ISBN 4537015748)※三浦弘子との共著
  • 篠塚建次郎のサバイバル流ドラテク専科(三栄書房、1992年)
  • 砂漠の死闘 ’94パリ~ダカール~パリ 魔の砂丘越えに命を賭けた熱き男のチャレンジ魂!!(日本文芸社、1994年 ISBN 4537023988
  • 風のように パリ・ダカ13万キロ(読売新聞社、1997年 ISBN 4643971037
  • ラリーバカ一代(日経BP社、2006年 ISBN 4822245632

メディア出演[編集]

広告・CM出演[編集]

テレビ出演[編集]

ラジオ[編集]

  • 「シノケン・ヒロコのラリーダイアリー」(東海ラジオ、1983年から2002年まで)

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ Facebookでは投稿毎に「#篠塚次郎 は誤植です!」というハッシュタグを付けている[1]
  2. ^ ただしモンゴル国内では日本の運転免許は通用しないため、モンゴル国内でトラックを運転するのに日本の大型免許は本来不要である。
  3. ^ 本名ジャンクロード・モルレ

出典[編集]

  1. ^ 篠塚建次郎. “篠塚建次郎 / KenjiroShinozuka”. Facebook. 2021年5月9日閲覧。
  2. ^ a b Nakajima 2007a, p. 41.
  3. ^ a b “「日産モータースポーツ懇親会」に“シノケン”が出席”. webCG. (2003年2月14日). https://www.webcg.net/articles/-/16890 2017年12月24日閲覧。 
  4. ^ Nakajima 2007a, pp. 40-41.
  5. ^ Nakajima 2007a, p. 43-44.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 篠塚建次郎_パリ・ダカールラリー優勝の記録”. 篠塚建次郎公式サイト. 2021年9月4日閲覧。
  7. ^ Nakajima 2007b.
  8. ^ Nakajima 2007c, pp. 44-45.
  9. ^ a b 第18回 ラリードライバー 篠塚建次郎 其の三”. 魂の仕事人. 人材バンクネット (2007年1月22日). 2017年3月26日閲覧。
  10. ^ パリ=ダカールラリー 砂漠の覇者Mitsubishi(1997年)”. よくわかる自動車歴史館 第13話. GAZOO. 2017年3月26日閲覧。
  11. ^ “三菱自動車社員「篠塚建次郎」が退職” (プレスリリース), 三菱自動車工業, (2002年6月11日), https://www.mitsubishi-motors.com/jp/corporate/pressrelease/motorsports/detail143.html 2016年4月28日閲覧。 
  12. ^ “篠塚建次郎が、ダカールラリー壮行会に出席”. 日産モータースポーツ. (2005年12月16日). http://www.nissan-motorsports.com/JP/RACE/DAKAR2006/REPORT/JAPANESE/04.html 2017年3月26日閲覧。 
  13. ^ 第18回 ラリードライバー 篠塚建次郎 其の一”. 魂の仕事人. 人材バンクネット (2007年1月8日). 2017年3月26日閲覧。
  14. ^ 東京中日スポーツ・2009年8月18日付 モーターExpress
  15. ^ “3年ぶりに篠塚建次郎選手がスズキ・ジムニーでラリー復帰!”. WEB CARTOP. (2015年7月11日). https://www.webcartop.jp/2015/07/11231 2017年12月24日閲覧。 
  16. ^ 世界最大規模のソーラーカーレースで優勝しました”. 東海大学. 2009年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月27日閲覧。
  17. ^ 世界最大級のソーラーカーレースで東海大学チームが優勝”. シャープ. 2013年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月27日閲覧。
  18. ^ “世界最大級のソーラーカーレースに出場する東海大学チームに太陽電池を提供” (プレスリリース), シャープ, (2009年6月24日), https://www.sharp.co.jp/corporate/news/090624-a.html 2009年7月24日閲覧。 
  19. ^ 東京中日スポーツ・2010年7月12日付 F1Express
  20. ^ “シャープ製太陽電池を搭載した東海大学チームのソーラーカーが南アフリカ共和国のレースで大会連覇を達成” (プレスリリース), シャープ, https://www.sharp.co.jp/corporate/news/101004-b.html 2011年1月10日閲覧。 
  21. ^ レポート|東海大学ソーラーカーチーム ワールド・ソーラー・チャレンジ参戦”. 東海大学. 2013年9月15日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。
  22. ^ “ソーラーカー世界最高速 ラリーの篠塚さんをギネス公認”. 朝日新聞デジタル (Yahoo!ニュース). (2014年9月14日). オリジナルの2014年9月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140917144752/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140914-00000026-asahi-spo 2014年9月14日閲覧。 
  23. ^ 2014年8月19日(火)~22日(金) ソーラーカー世界最速ギネス記録を達成!!”. 篠塚建次郎オフィシャルウェブサイト. 2015年2月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年9月15日閲覧。
  24. ^ 『篠塚建次郎 パリ→ダカール13,000キロ』グランプリ出版、1987年、116頁。ISBN 978-4906189588
  25. ^ 篠塚 『ラリーバカ一代』、93頁。
  26. ^ 篠塚 『ラリーバカ一代』、46-48頁。
  27. ^ 篠塚 『ラリーバカ一代』、78-79頁。
  28. ^ 4つのプロジェクト 3.アフリカのこども支援”. 走れ!オヤジ. 2017年12月26日閲覧。
  29. ^ AUTO GALLERY/'94 Paris - Dakar - Paris”. 2005年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • Nakajima, Yoshikazu「篠塚建次郎」『WRC Plus』第18巻第28号、ニューズ出版、2007年8月、 40-44頁。
  • Nakajima, Yoshikazu「パジェロと篠塚を売り込んだ“キーマン”」『Racing on』第22巻第9号、ニューズ出版、2007年9月、 24頁。
  • Nakajima, Yoshikazu「篠塚建次郎」『Racing on』第22巻第9号、ニューズ出版、2007年9月、 44-46頁。

関連項目[編集]

外部サイト[編集]