ナビゲーター (モータースポーツ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Marc Martí - 2008 Rallye Deutschland.jpg

ナビゲーター (navigator) とは、ラリーなどの自動車競技においてドライバーと共に車両に乗り込み、走行の手助けをする選手である。コ・ドライバーco-driver[1])とも呼ばれ、「ナビ」「コ・ドラ」などと略される。

ラリー競技[編集]

役割[編集]

ナビゲーターは助手席に搭乗し、ヘルメットに内蔵された有線交信機でドライバーとコミュニケーションを取りながら、ドライバーの運転を補助する。基本的に、ドライバーは「走る事」だけに専念し、ナビがその他の役割を全て行うと言っても過言ではない。また、物理的・精神的両面でドライバーを走る事だけに集中させられるようにするのも役目の一つである。通常はドライバー1人に対してナビゲーター1人だが、ラリーレイドのトラック部門のみナビが2人乗る場合もある。

道案内
主催者側から配布された競技用のルート案内図(コマ図)の通りに走るよう、曲がり角などをドライバーに指示する。
時間管理
チェックポイント (CP) やタイムコントロール (TC) の通過時間を記したカードを受け取り管理する。競技終了後、主催者へ提出し成績判定を受ける。
指示速度の確認
アベレージラリーでは、主催者側から指示された速度どおりに自車が走れているかを逐次チェックする。以前は計算尺などを用いて手動計算していたが、ラリーコンピュータの登場後はその入力操作が主体となっている。
ペースノート作成
スペシャルステージ(閉鎖タイムトライアル区間)が設定されるラリーでは、前日または当日朝に行われる下見走行(レッキ)にて、ドライバーが読み上げるスペシャルステージのコース情報をノートに控える。このノートを「ペースノート」と言う。書いてある内容はカーブのきつさ、直線の距離、走行時の注意事項などである。
ペースノート読み
スペシャルステージにおいて、膝元に置いたペースノートを1ページずつめくりながら、ドライバーにコース情報を指示する。激しく揺れる車内で、冷静にドライバーが聞き取りやすいよう読み上げることが大事。現在地点を見失う(ロストする)とタイムロスや事故につながる。
トラブル対応
コースアウト等をして、それ以上走行できなくなった時は、後続車に対して救護等の要・不要を示さなければならない。ドライバーと共にパンクしたタイヤを交換したり、自走不能な車両を押していったりする姿も良く見られる。不幸にもリタイアとなってしまった際には後の処理などを行う。
タイム確認
自分及び他の選手のタイムを確認し、自分の大体の順位を確認する。
競技進捗の確認
競技直前や競技中に主催者から出される公式通知を確認し、競技の進行予定(アイテナリー)やルールに変更がないかどうかを確認する。
タイムキーパー
サービスなどの残り時間を確認し、作業の進行やドライバーの準備を促す。
事務作業
競技の申込みなどをナビが行う場合が多い。
運転代行
競技の途中でドライバーと役割を入れ替わってもルール的には全く問題ないため、ドライバーが何らかの事情で運転できない場合に代わりに運転を行うこともある[2]

特徴[編集]

競技のルール上は、ナビゲーターとドライバーは全く平等な選手として扱われており、ライセンスや装備品などの規定もドライバーと同様である。ただし肢体に不自由があるなど、ドライバーに適さない者もナビであれば特例で出場できる場合がある。

しかし一般的な認識はドライバーの黒子的な存在であり、果たす役割に見合わず待遇は低い。世界ラリー選手権(WRC)の車両のサイドウインドウにはドライバーとナビゲーターの名前と国旗が貼られているが、2004年- 2010年シーズン途中まではナビゲーターの名前と国旗の表記は禁止されていた。またメディアでも優勝報道の見出しでナビゲーターが併記されることは稀で、ファンのラリー談義でもドライバーばかりが語られることが多い。ワークス選手の給料も、ドライバーに2人分がまとめて渡され、そこからナビがもらうケースが多い。

過去にはマシントラブルが出た場合、ドライバーが運転している間エンジンルームに乗ってスロットルバルブを操作したり、窓から大きく身を乗り出して脱落しそうなパーツを押さえるなど危険な役割をさせられることもあった。

最初からナビゲーターを志す者がドライバーよりも少ない事は自明であり、プライベーターはもちろん時にはワークスドライバーでも自分の条件に合うナビゲーター探しには苦労する事がある。経験が豊富で特定のドライバーに付いていないナビゲーターは、シーズンごとにあちこちから競技への誘いの声が掛かる。

ラリー自体が豊富な経験が要求される競技であり、ナビゲーターはドライバーをコントロールする立場である関係上、ドライバー以上に経験が必要と言われ、トップレベルでは年齢層が高い傾向があるが、個人レベルでは性質上女性や競技経験の浅い者が乗ることも多い。ペースノート読みではドライバーとの阿吽の呼吸が必要であるため、息の合うもの同士で長年コンビを組む例も多い。

サーキットレース[編集]

ミッレミリア2012

自動車競技において助手の同乗が認められるのは、ラリーだけとは限らない。

オープンホイールカーの分野では、欧州のグランプリレースでは1920年代まで、アメリカのインディ500では1930年代まで、助手席にライディングメカニックを乗せて走るのが一般的だった。レース中の故障修理やタイヤ交換を手伝うために同乗していたのだが、インディでは後方から接近する車両の位置をドライバーに知らせる役割も担っていた。しかし1911年の第1回インディ500では レイ・ハルーンがライディングメカニックを載せる代わりにバックミラーを取り付け、1人乗りで走って優勝している[3]。また、ホンダの創業者である本田宗一郎も若き日にライディングメカニックとしてレースに参加した[4]

現在のNASCARインディカーのようなアメリカのレースではスポッターと呼ばれる、マシンの周囲の状況について伝える役が存在しており、特にデイトナ500インディ500などの高速オーバルでは重要な鍵を握る。スポッターは練習、予選、決勝の間常に集中力を欠くことができず、数時間以上に渡ってサーキットを眺めていなければならない場合もある。場合によっては他のスポッターたちと交渉して、協力して順位を上げるようなケースもある。

スポーツカーレースでもミッレ・ミリアカレラ・パナメリカーナ・メヒコのような長距離公道レースではナビゲーターが同乗して道案内を行なっていた。公道レースは観客事故などにより廃止されてしまうが、当時を再現するヒストリックカーイベントでは現在もナビゲーターが活躍している。

著名なナビゲーター[編集]

海外[編集]

ファブリッツァ・ポンズ(左)
ダニエル・エレナ(中央)
ミイカ・アンティラ
イタリアの旗ファブリッツァ・ポンス
ラリーレイドを含め自動車ラリー史上最も成功を収めた女性ナビ。女傑ミシェル・ムートンをはじめ、アリ・バタネンユタ・クラインシュミットピエロ・リアッティなどとペアを組み、WRCで通算5勝を挙げた。
スペインの旗ルイス・モヤ
カルロス・サインツのナビ。ペースノートを早口で読み上げることで有名。トヨタで2度チャンピオンに輝き、引退後はスバル・ワールドラリーチームのスポーティングディレクターを務めた[5]
フィンランドの旗ティモ・ラウティアイネン
マーカス・グロンホルムのナビ。グロンホルムの義弟(ラウティアイネンの方が年上だが、グロンホルムの妹と結婚したため)。2000年と2002年にプジョーでWRCチャンピオンを獲得した。
フランスの旗ジャン・トッド
ラウノ・アルトーネン、ギ・フレクランらのナビ。引退後プジョーのラリーチーム監督、F1フェラーリチーム代表、フェラーリCEOを務め、2009年には国際自動車連盟(FIA)の会長に就任した。
フランスの旗アンリ・マーニュ
1985年から三菱ラリーアートラリーレイドチームに加入。1997年に篠塚建次郎と組み、彼の日本人初ダカール・ラリー制覇に貢献した。2003年にはカルロス・ソウザと組んでクロスカントリーラリー・ワールドカップも制した。2006年モロッコラリーでナニ・ロマと共に走行中コンクリート壁に衝突し即死。享年53歳[6]
フィンランドの旗カイ・リンドストローム
トミ・マキネンキミ・ライコネンユホ・ハンニネンなどフィンランド人WRCドライバーのナビを歴任。2002年ラリー・モンテカルロではマキネンと優勝を果たした。2018年からはTOYOTA GAZOO Racing WRTのスポーティングディレクターに就任している。ラリー以外では、スノーモービルやバイクなどを販売する会社を経営している[7]
フランスの旗ダニエル・エレナ
セバスチャン・ローブのナビで、WRC史上最多勝(79勝)と最多タイトル(9度)記録を保持する。ローブがダカール・ラリーに転向してからもナビを務めている。
フランスの旗エルベ・パニッツィ
ジル・パニッツィの実弟で、彼とコンビを組んだ。2006年シーズン途中に引退。
イギリスの旗クリス・パターソン
ナッサー・アル=アティヤペター・ソルベルグクリス・ミーク、ハリド・アル=カシミのナビを歴任し、2006年のPWRCでアル=アティヤを王者に導いた。2011年ラリー・スウェーデンで、リエゾン区間で免停を受けたソルベルグに代わりステアリングを握った珍事で知られる。
イギリスの旗マイケル・パーク
マルコ・マルティンのナビ。「ビーフ」という愛称で知られる。2005年ウェールズ・ラリーGBのSS15で、マシンが助手席から木に衝突して死亡。享年39歳。なおこれを受けてプジョーが同ラリーからの撤退を決めたため、セバスチャン・ローブが王者となるはずだったが、ローブはこれでタイトルを決めることを善しとせず、わざとペナルティを受けてタイトル争いを最終戦に持ち越すという一幕があった。
イギリスの旗デビッド・リチャーズ
アリ・バタネンのナビとして1981年にWRC王者となった。引退後はレーシングカーコンストラクターのプロドライブを設立し、スバルWRCやホンダF1、アストンマーティンのル・マンなどのチームオペレーションを担った。
フランスの旗ジュリアン・イングラシア
5年連続WRC王者セバスチャン・オジェのナビ。オジェとは2008年にコンビを結成した。
フィンランドの旗ミイカ・アンティラ
ヤリ=マティ・ラトバラのナビ。WRC最多出走記録(197戦)を記録し、現在も更新中である。
フランスの旗ジャン=ピエール・ギャルサン
2000~2003年までトヨタ車体のラリーレイドチームであるTLC(チームランドクルーザー)に加入し、4年連続市販車クラス優勝に貢献。また、2016年にも再びTLCに加入し、16・17年とクラス優勝を果たしている。
イギリスの旗ダニエル・バリット
新井敏弘奴田原文雄勝田貴元など日本人ドライバーと縁の深いイギリス人ナビ。奴田原のラリー・モンテカルロクラス優勝や、2017年エルフィン・エバンスの初優勝などに貢献した。

日本[編集]

日本の旗小田切順之
東京都出身。1971年にラリー界入り。奴田原文雄のコ・ドライバーとして、6度全日本ラリー選手権の王者に輝いた他、全日本の最多勝利記録も達成している。またMSCC(マツダ・スポーツカー・クラブ)の会長としても知られ、ラリー振興に多大な貢献をした。2013年に61歳で永眠[8]
日本の旗市野諮
東京都出身。藤本吉郎や奴田原文雄、鎌田卓麻、三好秀昌らと組んでWRCを初めとする海外ラリーに参戦。1995年に日本人初のサファリ・ラリー総合優勝を果たしている。またFIAアジアパシフィックラリー選手権(APRC)でもタイトルを獲得した経験を持ち、2018年現在も全日本の現役選手として活動中である。ナビ以外では藤本とともにアフターパーツ会社のテインを設立しており、チームとして欧州各地に参戦したほか、世界ラリークロス選手権や国内モータースポーツに部品供給を行っている[9]
日本の旗中原祥雅
東京都出身。1970年代から香港-北京、サファリ・ラリー、サザンクロスラリーなど国外のイベントに参戦。1990年代からはWRC、APRCなどにも参戦し、2013年には全日本ラリー史上最年長(62歳)総合優勝記録を樹立した。これまでに組んだパートナーは平林武、岩下良雄、神岡政夫、井上潔、綾部美津雄、柳澤宏至らがいる[10]
日本の旗佐藤忠宜
福島県出身。2001年に全日本デビュー。当時の全日本はSS結果は競技終了まで公開されないラリーが主流であったが、佐藤は参戦しつつ他の選手から直接SSタイムの情報を集め、PDA端末で集計し配信した。配信は選手のみならずメディア・スポンサーに対してもSS終了毎にリアルタイムに行われ、全日本のスポーツ性を高めると同時に運営の広報活動に多大な影響を与えた。この功績を讃えられ、2006年に第一回JRCAアワードを授与されている。また2006年に佐藤が開発したトラッキング&リアルタイムSS速報システムは国内の多くのラリー主催者が導入するなど、日本のラリーの在り方を大きく変えたとされる[11]。ナビとしても、奴田原文雄とともに2度総合王者となるなどの成功を収めた。JRCA(Japanese Rally Competition Association)の選手部会長も務める。
日本の旗加瀬直毅
北海道出身。1992年にラリー界入りし、2000年に全日本Bクラスチャンピオンを獲得。その後プロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)、APRC、中国ラリー選手権などに参戦。2010・2012・2014年にAPRCアジアカップ王者となっている。また2010年からクスコ・ラリーチームの母体であるキャロッセの社員にもなっている。これまでに組んだパートナーに鎌田卓麻、炭山裕矢、牟田周平、竹内源樹らがいる[12]
日本の旗保井隆宏
神奈川県出身。2006年に全日本デビュー。勝田範彦、番場彬、炭山裕矢、竹内源樹らのナビとして活動し、2012年に番場と共にAPRCの2WDカップタイトルを獲得。2018年には炭山とともに、日本人コンビとしては史上初のAPRC王者に輝いた。またJSR(日本スーパーラリーシリーズ)に、ラリー映画OVER DRIVEの撮影車であるヤリスSCRSが参戦した際にもナビを務め、総合優勝を収めている。JRCAの事務局も務める。
日本の旗羽村勝美
東京都出身。日野チームスガワラのナビ。1992年のデビュー以降15度菅原義正とコンビを組み、クラス優勝に貢献してきた[13]
日本の旗鈴木誠一
東京都出身。90年代から松本尚子や菅原義正のナビやメカニックとして、ダカールに20回以上参戦した。現在は日野チームスガワラのメカニックリーダーを担当。
日本の旗三浦昂
愛知県出身。トヨタ車体の社員で、同社のプロジェクトであるTLC(チームランドクルーザー)に2007年から2016年まで三橋淳とニコラ・ジボンのナビとして参戦。2度市販車部門クラス優勝に貢献した。2017年からはドライバーに転向し、2018年にクラス優勝している[14]
アメリカ合衆国の旗日本の旗ロジャー安川
インディカードライバーで、現在は佐藤琢磨のスポッターを務める。佐藤の日本人初のインディ500制覇に貢献し、一躍注目を浴びた。
日本の旗足立さやか
埼玉県出身。元々は全日本に参戦するドライバーであったが、後にナビに転向した。全日本ラリー選手権王者の勝田範彦のナビを務め、2010年から4年連続王者に輝いた。現在はTOYOTA GAZOO Racingのプログラムの下欧州で修行している。時々帰国し、豊田章男勝田貴元と組んで新城ラリーなどにも登場する。
日本の旗井上裕紀子
愛知県出身。豊田自動織機社員ドライバーの天野智之の妻で、キャリアの大部分を夫婦で過ごしている。2000年に全日本ラリーにデビューし、2010~2018年まで9年連続・2度の全勝王者を含め11度クラス王者となっている[15]。愛車はAE92型トヨタ・カローラFX-GTV[16]
日本の旗松本尚子
パリ=ダカール・ラリーのプレスカーやファラオラリーのアシスタンスカーでドライバーを経験後、1990年にはドライバーとしてパリダカに出場。92年にはナビとして女性部門総合優勝を果たしている。その後菅原義正や長谷見昌弘のナビゲーターを務め、多数のクラス優勝に貢献した[17]。フランスのル・マン近郊に長く住んでおり、東日本大震災発生時は当地での募金活動を主導した[18]
日本の旗梅本まどか
愛知県出身。SKE48出身の元アイドルで、現在はタレント・女優。SKE48在籍時からモータースポーツ好きを公言しており、F1関連のイベントやメディアに多く登場する。2018年にクスコジュニアラリーチームに加入し、TGRラリーチャレンジでナビゲーターデビュー。C-1クラスチャンピオンとなった。愛車はホンダ・CB400SF[19]

脚注[編集]

[ヘルプ]

関連項目[編集]