ブラジルグランプリ

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Flag of Brazil.svg Brazilian Grand Prix
インテルラゴス・サーキット
Autódromo José Carlos Pace (AKA Interlagos) track map.svg
レース情報
周回 71
コース長 4.309 km (2.677 mi)
レース長 305.909 km (190.067 mi)
開催回数 45
初回 1972年
最多勝利
(ドライバー)
フランスの旗 アラン・プロスト (6)
最多勝利
(コンストラクター)
イギリスの旗 マクラーレン (12)
最新開催(2016年):
ポールポジション イギリスの旗 ルイス・ハミルトン
メルセデス
1:10.736
決勝順位 1. イギリスの旗 ルイス・ハミルトン
メルセデス
3:01:01.335
2. ドイツの旗 ニコ・ロズベルグ
メルセデス
+11.455s
3. オランダの旗 マックス・フェルスタッペン
レッドブル-タグ・ホイヤー
+21.481s
ファステストラップ オランダの旗 マックス・フェルスタッペン
レッドブル-タグ・ホイヤー
1:25.305
インテルラゴス

ブラジルグランプリ(ブラジルGP, : Brazilian Grand Prix, : Grande Prêmio do Brasil)は、ブラジル1973年以降行われているF1世界選手権のレースのひとつ。

概要[編集]

1978年及び1981年から1989年はリオ・デ・ジャネイロの郊外にあるジャカレパグアで実施された。それ以外の年はサンパウロ郊外にあるインテルラゴスで行われている。

以前は序盤に開催されており、そのうち10回が開幕戦として実施されてきた。2004年から開始したバーレーンGPイスラム教の断食月ラマダーンと重なることを避けてシーズン序盤開催となったことを受け、一転して最終戦に実施された。以後、シーズン終盤での開催が定着し、2005年から2009年まで5年連続でワールドチャンピオン決定戦の舞台となった。

終盤戦に開催されるようになってからは、ブラジルグランプリのみの「お約束」として、表彰式後のシャンパンファイトで通常の曲ではなく、サンバのリズムが流れ、それとともに大量の紙ふぶきが飛び出すようになった。

多くのグランプリにおいて、最多勝記録は1990年代から2000年代にかけて活躍したミハエル・シューマッハによって塗り替えられたが、ブラジルGPでは1980年代から1990年にかけ6勝を挙げたアラン・プロストが最多勝記録を保持している(シューマッハは4勝を挙げた)。チームとしては、マクラーレンが強く通算で12勝を挙げており、フェラーリ(10勝)、ウィリアムズ(6勝)がそれに続いている(2016年現在)。

2007年までのブラジル人のF1チャンピオンは、いずれもブラジルGPを制している。エマーソン・フィッティパルディは初の公式戦として開催された1973年ネルソン・ピケは5度目の挑戦となる1983年アイルトン・セナは8度目の挑戦となる1991年に、初の母国GP制覇を果たした。

2017年以降の開催については、スポンサーを失った主催者とFOMが開催権料を巡って折り合いがついておらず、不透明な状況となっている。理由としてブラジル国内の景気がリオデジャネイロオリンピック以降急激に悪化していることと、サンパウロ市の市長交代によるもので、ジョアン・ドリア新市長は当選直後に「インテルラゴス・サーキットの民営化を積極的に進めたい」と語っている[1]

過去の主な出来事[編集]

1972年
第1回のブラジルGPは非選手権戦として行われた。
1973年
地元出身で前年ワールドチャンピオンに輝いたエマーソン・フィッティパルディが優勝を飾った。なお、フィッティパルディは翌年も優勝したほか、自ら立ち上げたチーム・フィッティパルディで1978年に2位に入賞している。
1995年
使用燃料違反により、1位のミハエル・シューマッハと2位のデビッド・クルサードに対して表彰式の後に失格との裁定が下され、一旦は3位のゲルハルト・ベルガーの繰上り優勝が発表されたが、その後再度下された裁定により当初のリザルトが復活し、シューマッハの優勝とクルサードの2位、両名へのドライバーズポイントの授与は認められた上で、所属チームのベネトン、ウィリアムズに対するコンストラクターズポイントのみが剥奪されるという裁定が下った。両チームともエルフ社の燃料を使用していた。
2002年
元サッカー選手のペレがゲストに招かれ、チェッカーフラッグを振る役を任されたが、最終ラップでスタッフと打ち合わせしている間に1位のミハエル・シューマッハ(フェラーリ)、2位のラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)が通過してしまい、3位のデビッド・クルサード(マクラーレン・メルセデス)でようやくチェッカーを振るという珍事になった。
2003年
大雨で混乱したレースとなり、最後は赤旗によりレース終了。一旦はキミ・ライコネンの優勝として表彰式も執り行われたが、その後の裁定によりジョーダンフォードコスワース)のジャンカルロ・フィジケラの優勝が発表されることとなった(優勝カップ授与は翌戦のサンマリノGPで行われた)。この優勝は、フィジケラにとってのF1初優勝となったほか、フォード-コスワースエンジンにとっては1999年のヨーロッパGPでのジョニー・ハーバート以来の優勝となり、フォードとコスワースにとって最後のF1優勝となっている。
2005年
3位に入賞したフェルナンド・アロンソがドライバーズチャンピオンを確定させた。これはエマーソン・フィッティパルディの持つ史上最年少チャンピオン記録を実に33年ぶりに塗り替えるものであった。また、ブラジルGPでタイトルが決まった初の例となった。
2006年
ミハエル・シューマッハの引退レース[2]となった。わずかながらにタイトルの可能性を残したが、マシントラブルに見舞われ、予選を10位で終えた。決勝では、ジャンカルロ・フィジケラとの接触でパンクし、最後尾に後退した。最終的に4位に終わり、チャンピオンはフェルナンド・アロンソのものになった。最終的に、シューマッハのチームメートである、フェリペ・マッサが優勝し、ブラジル人によるブラジルグランプリ優勝は、1993年アイルトン・セナ以来13年ぶりとなった。
2007年
新人チャンピオンを狙うルイス・ハミルトンと3年連続チャンピオンを狙うフェルナンド・アロンソ、そして初めてのタイトルを目指すキミ・ライコネンがタイトルを懸けて争う、F1では21年ぶりとなる三つ巴の最終決戦の舞台となった。ポイントリーダーとして迎えたハミルトンはアロンソとは4ポイント差、ライコネンに対しては7ポイント差をつけており、優位な立場にいたものの、スタートでのミスとギヤボックストラブルにより後退。その後挽回するも7位に終わる。アロンソもフェラーリに追いつくことが出来ず、3位。レースはライコネンが優勝し、逆転で初のワールドタイトルを獲得することとなった。
2008年
ルイス・ハミルトンフェリペ・マッサのタイトル争いに期待がかかる中、突発的な雨によってスタートが10分遅れるという波乱の幕開けとなった。スタート直後、今期で引退を表明していたデビッド・クルサードが第一コーナーでクラッシュに巻き込まれ、開始直後にリタイアという結果に終わった。レースは終始マッサが快調に首位を独走していたものの、ハミルトンが安定して5位を維持し続けていたため、誰が見てもハミルトンのタイトル獲得は決定していた。しかし、レース終盤再び降り出した雨により6位走行中のセバスチャン・ベッテルにかわされ、ハミルトンのチャンピオンの座が再び遠のいた。残り周回数は2周、その間マッサはトップでチェッカーを受け、このまま誰もがマッサがタイトルを獲得すると予想していた。しかし、ドライタイヤで4位を走行していたティモ・グロックが失速、ファイナルラップ最終コーナーでハミルトンがグロックをかわして5位に返り咲き、大逆転で史上最年少タイトルを獲得した。なおテレビの実況生中継では最終コーナーで抜かれたと報道されたが、後に発売された速報誌ではターン12(インテルラゴスの最終コーナーより手前、インフィールド区間最後のRがきついカーブ)での逆転劇と書かれている。
2016年
ニコ・ロズベルグメルセデス)が優勝すれば初めてのドライバーズチャンピオンを獲得できる状況だったが、予選までの全セッションでロズベルグを追うチームメイトのルイス・ハミルトンが上回りポールポジションを獲得した。決勝は大雨によりスタートが10分遅れ、セーフティカー先導でレースが始まった。雨によるアクシデントで2度の赤旗中断があり、3時間を超える荒れた展開となったが、ハミルトンは1度も首位を明け渡さずポール・トゥ・ウィンを飾り、ロズベルグとのチャンピオン争いを最終戦までもつれさせた。また、この年をもってF1を引退することが決まっていたフェリペ・マッサは最後の母国グランプリとなったが、ピットロード手前でクラッシュしリタイアに終わった。

レース結果[編集]

ブラジルGPの開催地
インテルラゴス(1972–77、1979–80)
ジャカレパグア(1978、1981–89)
決勝日 ラウンド サーキット 勝者 所属チーム レポート
1972 3月30日 非選手権 インテルラゴス カルロス・ロイテマン ブラバム 詳細
1973 2月11日 2 インテルラゴス エマーソン・フィッティパルディ ロータス 詳細
1974 1月27日 2 インテルラゴス エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン 詳細
1975 1月26日 2 インテルラゴス カルロス・パーチェ ブラバム 詳細
1976 1月25日 1 インテルラゴス ニキ・ラウダ フェラーリ 詳細
1977 1月23日 2 インテルラゴス カルロス・ロイテマン フェラーリ 詳細
1978 1月29日 2 ジャカレパグア カルロス・ロイテマン フェラーリ 詳細
1979 2月4日 2 インテルラゴス ジャック・ラフィー リジェ 詳細
1980 1月27日 2 インテルラゴス ルネ・アルヌー ルノー 詳細
1981 3月29日 2 ジャカレパグア カルロス・ロイテマン ウィリアムズ 詳細
1982 3月21日 2 ジャカレパグア アラン・プロスト ルノー 詳細
1983 3月13日 1 ジャカレパグア ネルソン・ピケ ブラバム 詳細
1984 3月25日 1 ジャカレパグア アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1985 4月7日 1 ジャカレパグア アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1986 3月23日 1 ジャカレパグア ネルソン・ピケ ウィリアムズ 詳細
1987 4月12日 1 ジャカレパグア アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1988 4月3日 1 ジャカレパグア アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1989 3月26日 1 ジャカレパグア ナイジェル・マンセル フェラーリ 詳細
1990 3月25日 2 インテルラゴス アラン・プロスト フェラーリ 詳細
1991 3月24日 2 インテルラゴス アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1992 4月5日 3 インテルラゴス ナイジェル・マンセル ウィリアムズ 詳細
1993 3月28日 2 インテルラゴス アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1994 3月27日 1 インテルラゴス ミハエル・シューマッハ ベネトン 詳細
1995 3月26日 1 インテルラゴス ミハエル・シューマッハ ベネトン 詳細
1996 3月31日 2 インテルラゴス デイモン・ヒル ウィリアムズ 詳細
1997 3月30日 2 インテルラゴス ジャック・ヴィルヌーヴ ウィリアムズ 詳細
1998 3月29日 2 インテルラゴス ミカ・ハッキネン マクラーレン 詳細
1999 4月11日 2 インテルラゴス ミカ・ハッキネン マクラーレン 詳細
2000 3月26日 2 インテルラゴス ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2001 4月1日 3 インテルラゴス デビッド・クルサード マクラーレン 詳細
2002 3月31日 3 インテルラゴス ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2003 4月6日 3 インテルラゴス ジャンカルロ・フィジケラ ジョーダン 詳細
2004 10月24日 18 インテルラゴス ファン・パブロ・モントーヤ ウィリアムズ 詳細
2005 9月25日 17 インテルラゴス ファン・パブロ・モントーヤ マクラーレン 詳細
2006 10月22日 18 インテルラゴス フェリペ・マッサ フェラーリ 詳細
2007 10月21日 17 インテルラゴス キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2008 11月2日 18 インテルラゴス フェリペ・マッサ フェラーリ 詳細
2009 10月18日 16 インテルラゴス マーク・ウェバー レッドブル 詳細
2010 11月7日 18 インテルラゴス セバスチャン・ベッテル レッドブル 詳細
2011 11月27日 19 インテルラゴス マーク・ウェバー レッドブル 詳細
2012 11月25日 20 インテルラゴス ジェンソン・バトン マクラーレン 詳細
2013 11月24日 19 インテルラゴス セバスチャン・ベッテル レッドブル 詳細
2014 11月9日 18 インテルラゴス ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細
2015 11月15日 18 インテルラゴス ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細
2016 11月13日 20 インテルラゴス ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細

脚注[編集]

  1. ^ F1 Topic:伝統の1戦も見納めか。開催継続が危ぶまれるブラジル”. AUTOSPORTweb (2016年11月21日). 2016年11月21日閲覧。
  2. ^ ただし2010年に復帰を果たし、2012年に2度目の引退となった

関連項目[編集]

外部リンク[編集]