スティグ・ブロンクビスト

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スティグ・ブロンクビスト
2010、スウェーデンのラリーイベント (LaitseRallyPark Grand Prix 2010 Rally Legends) でラーダ VFTSを駆るブロンクビスト
2010、スウェーデンのラリーイベント (LaitseRallyPark Grand Prix 2010 Rally Legends) でラーダ VFTSを駆るブロンクビスト
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1946-07-29) 1946年7月29日(77歳)
WRCでの経歴
活動時期 1973年-1996年
所属チーム アウディフォードサーブタルボプジョーシュコダ
出走回数 122
チャンピオン回数 1 (1984年)
優勝回数 11
表彰台回数 33
ステージ勝利数 486
通算獲得ポイント 573
初戦 1973 スウェデッシュ・ラリー
初勝利 1973 スウェディッシュ・ラリー
最終勝利 1984 ラリー・コートジボワール
最終戦 2006 スウェデッシュ・ラリー
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スティグ・ブロンクビスト: "Stig" Lennart Blomqvist1946年7月29日-)はスウェーデン出身のラリードライバーであり、1984年世界ラリー選手権 (WRC) のドライバーズチャンピオンである。昔の日本のプレス表記では苗字表記が「ブロンキスト」「ブロンクヴィスト」など各国参考メディア上の発音の違いによる表記があるが、現プレスでの表記上では「スティグ・ブロンクビスト」と表記される。

息子は2010年に史上最年少でフォーミュラ・ルノー選手権を制したトム・ブロンクビスト[1]

主な経歴[編集]

ブロンクビストは18歳でドライビングライセンスを取得すると1964年のスウェーデンのカールスタッドの地元ローカルラリーで2位を収めた後、1971年はサーブ・96V4を駆り、その年のRACラリーで優勝を遂げる。その後はスウェディッシュとRAC、1000湖にタルボ時代まで地元ラリー中心に活動。WRC戦はサーブの意向もあり北欧中心のスポット参戦としている。ブロンクビストはトップレベルに到達するまでに、少々国内に長く留まりすぎたと、同じスウェーデン人で3歳年上のビョルン・ワルデガルドは後に指摘している[2]

1971 - 1973年をサーブ・96V4、1977年までサーブ・99EMSで参戦し、非力なマシンの中でも時折速さを見せ付け、それなりに調子がよい時は表彰台に絡んでいる。

1978年はランチア・ストラトス、サーブ・99 ターボと乗り継ぎ、1981年、タルボット・サンビームロータスで走った後、1982年はアウディ・クワトロで2勝を挙げるとタイトル争いに加わるようになり、1984年に5勝を挙げドライバーズタイトルを収めると1985年までヴァルター・ロールハンヌ・ミッコラミッシェル・ムートン等とクアトロの熟成に貢献する。

また、当時から一部ドライバー間で主流であったドライビングテクニックである左足ブレーキの使い手で、アウディ時代にミッコラへ左足ブレーキでのコントロールを教える等当時のチーム勝利に大きく貢献している。稲垣秋介は初めて左足ブレーキを使用したドライバーと推定している。[3]

1986年までタルボでのプジョーとの関係上プジョー・205ターボ16でもスポット的に起用、参戦する状態が続くのは他の開発要員として主眼を置かれていたドライバー[4]も同じ状況であったが、フォードワークス入りを果たすと後年の1990年代までフォード・RS200フォード・シエラ日産パルサーGTI-R、シュコダ・フェリシア KITCARのワークスカーで速さこそないもののこれまでの経験を活かし、マシン熟成に献立する。又、BTCCにもフォード・シエラを走らせていた経緯があり、1989年には来日しインターTECに同郷のF1ドライバー、ステファン・ヨハンソンとのチームで参戦し5位を獲得[5]。1996年RACラリーでは、50歳を迎えてなお総合3位に登る等現役ぶりを見せ付ける。

1997年 - 1998年にスウェーデン国内のツーリングカー選手権でフォード・モンデオを駆る。その後の2000年からもシュコダ・オクタビアの開発と並行し、スポットで三菱・ランサーエボリューションのグループN仕様をプライベートチームで走らせ2001年のグループNシリーズ成績5位を獲得。その後2003年 - 2006年までスバル・インプレッサで出走していた。

WRC引退後[編集]

2007年レース・オブ・チャンピオンズでクワトロS1を駆るブロンクビスト

ミシェル・ムートンが主催するレース・オブ・チャンピオンズにも度々出場しており、1989年、1990年に優勝、近年でも地元ラリーイベントやアウディ関連のイベントで健在ぶりをアピールしている。

2002年英BBCトップ・ギアのテストトラックドライバーであるザ・スティグの正体の有力説としてネーミングから連想される為、噂されたが否定している[6]

2004年Mach 2 Racing Teamからパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムのアンリミテッドクラスに参戦し、かつてドライブし急遽WRCで取止めとなったカテゴリであるグループSで駆る予定であったフォード・RS200Eでトップタイムを叩きだす。

2008年9月にスコットランドで行われたコリン・マクレー追悼ラリーである「コリン・マクレー・フォレスト・ステージ・ラリー」にはフォード・エスコート RS1600で参加している。

2010年3月のジュネーブ・ショウではアウディーブースのクワトロシステム30周年として、当時のスポーツクワトロ(A2)とともに登場。ステージイベントに華を添えた。[7]

2012年ビヨン・ワルデガルドと共にパトリック・サンデルプロドライブへのシート獲得支援を行っている。[8]

ラリー選手権[編集]

国外選手権での成績[編集]

スティグ・ブロンクビストの成績(国外選手権)
1971年 第20回RACラリー サーブ・96 V4
1971年 第22回スウェディッシュ・ラリー サーブ・96 V4
1971年 第21回1000湖ラリー サーブ・96 V4
1972年 第23回スウェディッシュ・ラリー サーブ・96 V4

世界ラリー選手権での優勝[編集]

 #  イベント名 シーズン コ・ドライバー 搭乗車
1 スウェーデンの旗 第24回スウェディッシュ・ラリー 1973 アルヌー・ハーツ サーブ・96 V4
2 スウェーデンの旗 第27回スウェディッシュ・ラリー 1977 ハンス・シルバン サーブ・99 EMS
3 スウェーデンの旗 第29回スウェディッシュ・ラリー 1979 ビヨン・セダベルグ サーブ・99 ターボ
4 スウェーデンの旗 第32回スウェディッシュ・ラリー 1982 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ
5 イタリアの旗 第24回サンレモ・ラリー 1982 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ
6 イギリスの旗 第32回ランバードRACラリー 1983 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ A2
7 スウェーデンの旗 第34回スウェディッシュ・ラリー 1984 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ A2
8 ギリシャの旗 第31回アクロポリス・ラリー 1984 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ A2
9 ニュージーランドの旗 第14回ラリー・ニュージーランド 1984 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ A2
10 アルゼンチンの旗 第4回アルゼンチン・ラリー 1984 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ A2
11 コートジボワールの旗 第16回ラリー・コートジボワール 1984 ビヨン・セダベルグ アウディ・クワトロ A2

ツーリングカー選手権[編集]

全日本ツーリングカー選手権[編集]

所属チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1989年 LEVOC EVOLUTION スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン
イギリスの旗 ロブ・グラヴェット
フォード・シエラ JTC-1 NIS SEN TSU SUG SUZ FSW
5

脚注[編集]

  1. ^ ESPN F1 ブロンクビストを支援するマクラーレン 2012年9月14日閲覧。
  2. ^ Interview: Bjorn Waldegard – part 1
  3. ^ 稲垣秋介 (2005). 三菱によるラリーカー工学 公道最速カテゴリーの技術. 山海堂. pp. 172. ISBN 4-381-08849-2 
  4. ^ ビョルン・ワルデガルド等もその一人。
  5. ^ 国際ツーリングカー耐久レース インターTEC グループA(1)リザルト JAFモータースポーツ
  6. ^ "Han är "The Stig"!" スウェーデンプレスAuto, Motor & Sport内Åhman, Michaelによる 2009-01-20プレス記事 (瑞語)
  7. ^ インプレス Car Watch 「【2010ジュネーブショー】アウディ、A1のEVとA8のハイブリッドを展示」 2010年 3月 4日プレスリリース
  8. ^ サンデル、ミニでスウェーデン出場へ2012年01月10日 Livedoor rallynewsより

関連項目[編集]

外部リンク[編集]