エディ・チーバー
エディ・チーバー | |
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インディアナポリス・モーター・スピードウェイにて (2009年) | |
基本情報 | |
フルネーム | エドワード・マッカイ・チーバーJr. |
国籍 |
![]() |
出身地 | 同・アリゾナ州フェニックス |
生年月日 | 1958年1月10日(65歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1978,1980-1989 |
所属チーム |
'78 セオドール '78 ヘスケス '80 オゼッラ '81 ティレル '82 リジェ '83 ルノー '84-'85 アルファロメオ '86 ローラ '87-'89 アロウズ |
出走回数 | 143 (132スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 9 |
通算獲得ポイント | 70 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1978年アルゼンチンGP |
最終戦 | 1989年オーストラリアGP |
エドワード・"エディ"・マッカイ・チーバーJr.(Edward "Eddie" McKay Cheever, Jr. 、1958年1月10日 - )はアメリカ出身のカーレーサー。元F1、CART、IRLドライバー。2008年現在、アメリカ人のF1最多出走ドライバーである。F1時代はエディ・チーバーと、またアメリカに戻ってからは、エディ・チーバーJr.と呼ばれることが多い。1998年にインディ500をチームオーナー兼ドライバーとして制している。また、弟のロス・チーバーは日本でも活躍したドライバーで、甥のリチャード・アンティヌッチ、息子のエディ・チーバー3世もヨーロッパを中心に活躍しているドライバーである。
プロフィール[編集]
カート/F3時代[編集]
アリゾナ州フェニックス出身。幼少時にイタリア・ローマに移住し、そこでレーシングカートでレースキャリアをスタートさせる。カートでチャンプ獲得後はフォーミュラ3に参戦。F3では同じアメリカ人で、後に同じくF1に参戦し、インディ500も制したダニー・サリバンとコンビを組み、またフォーミュラ2ではマクラーレン参入前のロン・デニスのチーム、プロジェクト4で走っている。
F1時代[編集]
1978年、弱冠20歳でセオドールから開幕2戦にエントリーするも、共に予選落ちし、ケケ・ロズベルグに交代させられる。ヘスケスからエントリーした翌3戦目の南アフリカで初めて予選を通過するが、この年の決勝レースはこれ1戦のみとなる。また翌年はブランクをあけることになる。

1980年、オゼッラから初めてフル参戦を果たすが、4戦予選落ち、完走1戦のみに終わる。活躍するのはティレルに移籍した1981年から。開幕戦母国アメリカで初入賞を5位で果たすと計5戦に入賞、10ポイントを上げる。さらにリジェに移籍した1982年には入賞は4戦に減るが、母国での2位表彰台を含む3回の表彰台を獲得し、翌1983年にルノーに抜擢される。

ルノーでは、アラン・プロストのチームメイトとなり、4度の表彰台を含む22ポイントでランキングベストの7位に食い込む。しかしルノーでの生活も1年で終わり1984年・1985年はアルファロメオに在籍。アルファロメオの戦闘力不足でもあり、この2年間での成績は移籍初戦の4位入賞のみであった。
1986年はカール・ハース率いるハース・ローラから母国アメリカのみスポット参戦。1987年からは中堅チームのアロウズに3年間在籍し、1989年アメリカグランプリでは3位表彰台を獲得するが、目立った成績を上げることはできず、1989年末で母国アメリカへと戻ることになる。
CART/IRL時代[編集]

その後はCARTへチップ・ガナッシ・レーシングのCART最初のドライバーとして参戦。CARTとIRLが分裂した1996年にはIRLへ移籍、その年のインディ500では決勝ファステストラップのトラックレコード(236.103mph/379.971km/h)を樹立した。同年後半には自らのチームを立ち上げ、IRLでの参戦を継続する。
1998年にはインディ500を制し、またその後は参戦台数中1、2台しか採用していなかった日産製インフィニティエンジンで参戦を続けたが、インフィニティが撤退した2002年限りで第一線からは退き、その後はチームオーナーに専念しつつ、インディ500を中心としたスポット参戦や、グランプリマスターズにも参加(シルバーストン大会では優勝)している。
エピソード[編集]
- F1での予選でのこと。チーバーがアタックをかけていると、目の前を横切るものがあった。避けきれずヒットしてしまい、ピットへ戻ると彼は沈み込んでしまった。ヒットしたのは野生のウサギであり、不可抗力とは言え命を奪ってしまったことに心を痛めていた。
- 大柄な体格だがベジタリアンであった。
- 1989年のアロウズのニューマシンが自身の体型に合わず、乗り降りには相当苦労していた。取り囲むカメラマンなどに向かって、「お前ら!俺は真面目にやってるんだぞ!」と怒る場面もあった。尚、同年の開幕戦であったブラジルGPではレース中に足が痺れてしまい、リタイア後にコクピットを降りると倒れ込んでしまう場面も見られた。
- 弟のロスが日本で活躍していた当時、エディ自身は弟が日本で何のレースに参加しているか全く知らなかったという。
- F3に参戦する際、まだ17歳であった年齢を1歳詐称し18歳としていた。
- 30歳の頃から既に白髪が目立っていた。
- 1998年のインディ500で優勝した際に、勝者の伝統である「Winner's Milk」を表彰台でボトル2本も飲み干した[1]。 ただ本人は後年のインタビューで「実はミルクを受け付けない体質なんだよ。だから、優勝してから1週間ぐらいお腹の調子がおかしかったし、口にミルクの味が残ってしまって大変だった(笑)。」と語っている[2]。
レース戦績[編集]
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権[編集]
年 | エントラント | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976年 | プロジェクト・フォー・レーシング | マーチ・752 | ランチア-フェラーリ | HOC DNQ |
9位 | 10 | ||||||||||||
ハート・420R | THR 4 |
VAL DSQ |
SAL Ret |
PAU Ret |
HOC Ret |
ROU Ret |
MUG | EST 5 |
||||||||||
マーチ・762 | PER 3 |
|||||||||||||||||
ラルト・RT1 | NOG 8 |
HOC 15 |
||||||||||||||||
1977年 | BMW | SIL 7 |
THR 2 |
HOC Ret |
NÜR 1 |
VAL 3 |
PAU Ret |
MUG 17 |
ROU 1 |
NOG 5 |
PER Ret |
MIS 2 |
EST 3 |
DON | 2位 | 40 | ||
1978年 | マーチ・782 | THR 4 |
HOC Ret |
NÜR 3 |
PAU 5 |
MUG 7 |
VAL Ret |
ROU 2 |
DON Ret |
NOG 9 |
PER 2 |
MIS 6 |
HOC Ret |
4位 | 22 | |||
1979年 | オゼッラ・スクーデリア・コルセ | オゼッラ・FA2/79 | SIL 1 |
HOC 5 |
THR Ret |
NÜR 8 |
VAL Ret |
MUG Ret |
PAU 1 |
HOC Ret |
ZAN 1 |
PER 5 |
MIS 6 |
DON 7 |
4位 | 32 |
全日本F2選手権[編集]
年 | チーム | シャーシ | エンジン | 車番 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979年 | 佐川急便 スピードスターレーシング | マーチ・792 | BMW | 22 | SUZ | NIS | SUZ | FSW | SUZ | SUZ | SUZ 10 |
-[3] | -[3] |
F1[編集]
年 | 所属チーム | シャーシ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978年 | セオドール | TR1 | ARG DNQ |
BRA DNQ |
NC (39位) |
0 | ||||||||||||||
ヘスケス | 308E | RSA Ret |
USW | MON | BEL | ESP | SWE | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | USA | CAN | |||||
1980年 | オゼッラ | FA1 | ARG DNQ |
BRA DNQ |
RSA Ret |
USW Ret |
BEL DNQ |
MON DNQ |
FRA Ret |
GBR Ret |
GER Ret |
AUT Ret |
NED Ret |
NC (27位) |
0 | |||||
FA1B | ITA 12 |
CAN Ret |
USA Ret |
|||||||||||||||||
1981年 | ティレル | 010 | USW 5 |
BRA NC |
ARG Ret |
SMR Ret |
BEL 6 |
MON 5 |
ESP NC |
FRA 13 |
GBR 4 |
12位 | 10 | |||||||
011 | GER 5 |
AUT DNQ |
NED Ret |
ITA Ret |
CAN 12 |
CPL Ret |
||||||||||||||
1982年 | エキュリー・タルボ・ジタン (リジェ) | JS17 | RSA Ret |
BRA Ret |
USW Ret |
SMR | BEL 3 |
DET 2 |
CAN 10 |
12位 | 15 | |||||||||
JS19 | MON Ret |
NED DNQ |
GBR Ret |
FRA 16 |
GER Ret |
AUT Ret |
SUI NC |
ITA 6 |
CPL 3 | |||||||||||
1983年 | ルノー | RE30C | BRA Ret |
USW 13 |
7位 | 22 | ||||||||||||||
RE40 | FRA 3 |
SMR Ret |
MON Ret |
BEL 3 |
DET Ret |
CAN 2 |
GBR Ret |
GER Ret |
AUT 4 |
NED Ret |
ITA 3 |
EUR 10 |
RSA 6 |
|||||||
1984年 | アルファロメオ | 184T | BRA 4 |
RSA Ret |
BEL Ret |
SMR 7 |
FRA Ret |
MON DNQ |
CAN 11 |
DET Ret |
DAL Ret |
GBR Ret |
GER Ret |
AUT Ret |
NED 13 |
ITA 9 |
EUR Ret |
POR 17 |
16位 | 3 |
1985年 | 185T | BRA Ret |
POR Ret |
SMR Ret |
MON Ret |
CAN 17 |
DET 9 |
FRA 10 |
NC (26位) |
0 | ||||||||||
184TB | GBR Ret |
GER Ret |
AUT Ret |
NED Ret |
ITA Ret |
BEL Ret |
EUR 11 |
RSA Ret |
AUS Ret | |||||||||||
1986年 | ローラ/ハース | THL-1 | BRA | ESP | SMR | MON | BEL | CAN | DET Ret |
FRA | GBR | GER | HUN | AUT | ITA | POR | MEX | AUS | NC (32位) |
0 |
1987年 | アロウズ | A10 | BRA Ret |
SMR Ret |
BEL 4 |
MON Ret |
DET 6 |
FRA Ret |
GBR Ret |
GER Ret |
HUN 8 |
AUT Ret |
ITA Ret |
POR 6 |
ESP 8 |
MEX 4 |
JPN 9 |
AUS Ret |
10位 | 8 |
1988年 | A10B | BRA 8 |
SMR 7 |
MON Ret |
MEX 6 |
CAN Ret |
DET Ret |
FRA 11 |
GBR 7 |
GER 10 |
HUN Ret |
BEL 6 |
ITA 3 |
POR Ret |
ESP Ret |
JPN Ret |
12位 | 6 | ||
A10 | AUS Ret | |||||||||||||||||||
1989年 | A11 | BRA Ret |
SMR 9 |
MON 7 |
MEX 7 |
USA 3 |
CAN Ret |
FRA 7 |
GBR DNQ |
GER 12 |
HUN 5 |
BEL Ret |
ITA DNQ |
POR Ret |
ESP Ret |
JPN 8 |
AUS Ret |
11位 | 6 |
(key)
ル・マン24時間レース[編集]
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1980年 | ![]() |
![]() ![]() |
ランチア・ベータ・モンテカルロ | Gr.5 | 272 | 19位* | 2位* |
1981年 | ![]() |
![]() ![]() |
Gr.5 | 322 | 8位 | 2位 | |
1986年 | ![]() ![]() |
![]() ![]() |
ジャガー・XJR-6 | C1 | 239 | DNF | DNF |
1987年 | ![]() ![]() |
ジャガー・XJR-8 LM | C1 | 325 | 5位 | 5位 |
* チーバーはDNSとして記載された。
BMW・M1・プロカー・チャンピオンシップ[編集]
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979年 | オゼッラ・スクーデリア・コルセ | ZOL | MCO 8 |
DIJ | SIL | HOC | ÖST | ZAN | MNZ | 24位 | 3 | |
1980年 | GSチーム | DON | AVU | MCO | NOR | BRH | HOC | ÖST Ret |
ZAN | IMO | NC | 0 |
インディアナポリス 500[編集]
年 | シャーシー | エンジン | スタート | フィニッシュ | チーム |
---|---|---|---|---|---|
1990年 | ペンスキー | シボレー | 14位 | 8位 | チップ・ガナッシ・レーシング |
1991年 | ローラ | 10位 | 31位 | ||
1992年 | フォード | 2位 | 4位 | ||
1993年 | ビュイック | 33位 | 16位 | チーム・メナード | |
1994年 | メナード | 11位 | 8位 | ||
1995年 | フォード | 14位 | 31位 | A.J.フォイト・エンタープライズ | |
1996年 | メナード | 4位 | 11位 | チーム・メナード | |
1997年 | Gフォース | オールズモビル | 11位 | 23位 | チーム・チーバー |
1998年 | ダラーラ | 17位 | 1位 | ||
1999年 | インフィニティ | 16位 | 18位 | ||
2000年 | 10位 | 5位 | |||
2001年 | 26位 | 25位 | |||
2002年 | 6位 | 5位 | |||
2006年 | ホンダ | 19位 | 13位 | チーバー・レーシング |
脚注[編集]
- ^ 『Racing On』No.271 ニューズ出版、1998年、p.116。
- ^ 『Racing On』No.327 ニューズ出版、2000年、p.31。
- ^ a b JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。
関連項目[編集]
- アンソニー・デビッドソン…デビッドソンのヘルメットのデザインはチーバーのデザインをモチーフとしている。
- ドライバー一覧
- F1ドライバーの一覧