ガブリエル・タルキーニ

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ガブリエル・タルキーニ
Gabriele tarquini spafrancorchamps2014.JPG
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ジュリアノーヴァ
生年月日 (1962-03-02) 1962年3月2日(55歳)
F1での経歴
活動時期 1987,1988-1992,1995
所属チーム '87 オゼッラ
'88 コローニ
'89 ファースト
'89-'91 AGS
'91-'92 フォンドメタル
'95 ティレル
出走回数 79 (38スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1987年サンマリノGP
最終戦 1995年ヨーロッパGP
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ガブリエル・タルキーニGabriele Tarquini, 1962年3月2日 - )は、イタリア出身のレーシングドライバー

イタリア語読みではガブリエーレ・タルクィーニが近い表記となる。 他にもファーストネームは、ガブリエールガブリエレと記されることもある。

白地に黒を蜘蛛の巣状に張り巡らせたヘルメットがトレードマークだが、これは大のスパイダーマンファンだったことに由来している。

経歴[編集]

1983年にイタリアF3選手権でチャンピオンを獲得。1985年からは国際F3000選手権に参戦した。

F1[編集]

1987年にオゼッラからスポット参戦でF1デビュー。翌年にはコローニからフル参戦を果たす。下位チームの中でも特に低域とされるチームでの参戦だったが、半数となる8戦で予選を通過。

1989年は新チーム、ファースト・レーシングと契約も、予算不足でマシンが完成せず、第1戦を欠場しそのままチームが消滅。第2戦目からシーズン前のテストで負傷したフィリップ・ストレイフの代役としてAGSに移籍した。前半は好調で、第4戦メキシコGPでは6位入賞を果たす。しかし第8戦イギリスGPで予選落ちすると、それ以後は全て予備予選落ちを喫することとなった。

1990年もAGSから参戦するが、決勝への進出は2度。翌1991年も、AGSでの決勝進出は3度に留まった(ただし、この年AGSを駆ったドライバーの中で、決勝を走ることが出来たのはタルキーニのみ)。

第14戦スペインGPからはフォンドメタルに移籍、残る3戦中2戦で予選を通過。翌1992年も同チームから参戦する。下位チームでありながら、ほぼ毎回中盤にグリッドを並べ、第12戦ベルギーGPでは予選11位につけるなど、時折その実力をのぞかせた。しかし、決勝ではリタイヤが続き、完走は1回のみとなった。結局第13戦イタリアGPを最後とし、残り3戦を残した時点でチームは資金難から撤退した。

その後はツーリングカーレースに転向することとなるが、1995年はティレルのテストドライバーも兼業し、ポルトガルGPで負傷した片山右京の代役として、ヨーロッパGPに1戦のみティレルからスポット参戦した。

2008年ブランズハッチにて。セアト・レオンを駆るタルキーニ。

ツーリングカー[編集]

1994年にツーリングカーレースに移り、同年はアルファロメオを駆ってイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦した。この年タルキーニは、開幕5連勝を含め8勝をマークする圧倒的強さでチャンピオンを獲得する。

1995、1996年はクラス1ツーリングのDTM及びITCをメインに戦い、BTCCにはスポットで参戦。クラス1消滅後は、イギリス選手権に並行しイタリア選手権にも参戦し、イギリス選手権では1990年代後半はデビッド・リチャーズプロドライブチームに所属した。この時期はホンダ車を駆ったが、それを除くとアルファロメオに乗ることが多く、イタリア選手権、2000年代に入って以後のヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)でも引き続きアルファロメオを駆った。

2003年にはそのETCCでチャンピオンタイトルを獲得し、その後も、しばしばアンディ・プリオールらに伍した。

同選手権が世界ツーリングカー選手権(WTCC)となった2005年まではアルファロメオに所属したが、2006年セアトに移籍した。この年は移籍初年度ながら、ランキング5位、セアト勢の中では同じく移籍初年度のイヴァン・ミュラー(ランキング4位)にこそ遅れをとったものの僅差の2番手で終え、貫禄を見せた。

2009年、アウグスト・ファルフスやイヴァン・ミュラーとの争いを制してWTCCのチャンピオンを獲得。47歳にして初の世界タイトルを手にした。(FIA規格の世界選手権として1957年、46歳でF1のチャンピオンになったファン・マヌエル・ファンジオを上回る史上最年長記録)

2013年はホンダ・レーシングチームJASに移籍、チームメイトのティアゴ・モンテイロとともにシビックでWTCCに参戦する[1]

評価[編集]

F1での経歴は、予選落ち19回・予備予選落ち20回(いずれも歴代2位、2008年現在)・決勝不参戦計39回(歴代1位、2008年現在)、入賞1回という不名誉なものである。しかし、在籍したチームは全て予選・もしくは予備予選の通過もままならない弱小チームと言われ、その中で約半分のレースで決勝に進出し、幾度も中盤にグリッドを並べたことから、F1参戦時より、その運転技術は多くの関係者やファンに認められていた。

このことからロベルト・モレノと並び、実力を持ちながらマシンに恵まれなかったドライバーの代表格としてよく名前が挙がる。モレノが非常に短期間とはいえトップチームのベネトンに在籍経験があり、その間に表彰台やファステストラップを獲得したことを踏まえ、「恵まれなかったという点ではモレノの上を行っている」とも言われる。またタルキーニの生涯唯一のポイントはAGSで記録したものだが、通算2ポイントしか獲得できなかったAGSのもう1ポイントは奇しくもモレノが取ったものである。

ツーリングカーレースでは、前述した2003年のETCC・2009年のWTCCなど多くのタイトルを獲得、目覚しい活躍を見せているだけに、「一度F1のトップチームで走る姿を見てみたかった」との声は今日においても多い。

人物[編集]

陽気な性格で知られており、1988年の日本GP終了後のサヨナラパーティーでは、一際激しく踊っていたという。 F1デビュー同時は、経済学を専攻する学生であった。 また、ストリートコースに強いドライバーと言われていた。

F1での年度別成績[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1987年 オゼッラ FA1G BRA SMR
Ret
BEL MON DET FRA GBR GER HUN AUT ITA POR ESP MEX JPN AUS NC
(30位)
0
1988年 コローニ FC188 BRA
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
MEX
14
CAN
8
DET
DNPQ
FRA
DNPQ
GBR
DNPQ
GER
DNPQ
HUN
13
BEL
NC
NC
(23位)
0
FC188B ITA
DNQ
POR
11
ESP
DNPQ
JPN
DNPQ
AUS
DNQ
1989年 ファースト F189 BRA
DNA
26位 1
AGS JS23B SMR
8
MON
Ret
MEX
6
USA
7
CAN
Ret
FRA
Ret
GER
DNPQ
JS24 GBR
DNQ
HUN
DNPQ
BEL
DNPQ
ITA
DNPQ
POR
DNPQ
ESP
DNPQ
JPN
DNPQ
AUS
DNPQ
1990年 USA
DNPQ
BRA
DNPQ
NC
(32位)
0
JS25 SMR
DNPQ
MON
DNPQ
CAN
DNPQ
MEX
DNPQ
FRA
DNPQ
GBR
Ret
GER
DNPQ
HUN
13
BEL
DNQ
ITA
DNQ
POR
DNQ
ESP
Ret
JPN
DNQ
AUS
Ret
1991年 USA
8
BRA
Ret
SMR
DNQ
MON
Ret
CAN
DNQ
MEX
DNQ
NC
(30位)
0
JS25B FRA
DNQ
GBR
DNQ
GER
DNQ
HUN
DNPQ
BEL
DNPQ
JS27 ITA
DNPQ
POR
DNQ
フォンドメタル Fomet F1 ESP
12
JPN
11
AUS
DNPQ
1992年 GR01 RSA
Ret
MEX
Ret
BRA
Ret
ESP
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
NC
(32位)
0
GR02 CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
14
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
Ret
POR JPN AUS
1995年 ティレル 023 BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR
14
PAC JPN AUS NC
(33位)
0

(key)

出典[編集]

  1. ^ ホンダ、ガブリエル・タルキーニ&ティアゴ・モンテイロでWTCC参戦TopNews 2012年07月18日

関連項目[編集]

先代:
ファブリツィオ・ジョヴァナルディ
ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)チャンピオン
2003年
次代:
アンディ・プリオール
先代:
イヴァン・ミュラー
2008年
世界ツーリングカー選手権チャンピオン
2009年
次代:

2010年