ヘスケス・308

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ヘスケス・308
ヘスケス・308B
Hesketh 308 2008 Silverstone Classic.jpg
カテゴリー F1
コンストラクター ヘスケス
デザイナー ハーベイ・ポスルスウェイト
後継 ヘスケス・308C
主要諸元
トレッド 前:1473 mm
後:1549 mm
ホイールベース 2540 mm
エンジン フォードコスワースDFV 3.0 V8 NA
トランスミッション ヒューランド FGA400 5速
重量 589kg
タイヤ ファイアストン
グッドイヤー
主要成績
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
27 1 0
テンプレートを表示
ジェームス・ハントの息子、フレディがドライブする308B、2007年。
フレディ・ハントのドライブする308B、2008年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード

ヘスケス・308 (Hesketh 308) は、ヘスケス・レーシング1974年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。その派生モデルである308B1975年に使用された。デザイナーはハーベイ・ポスルスウェイトジェームス・ハントは308をドライブし、1975年オランダグランプリでF1初勝利を挙げた。

概要[編集]

308はヘスケスがそれまで使用してきた古いマーチ・731に代えて1974年シーズンに投入され[1]、マーチの設計を元にして開発された。エンジンはフォード-コスワースDFVが搭載され、外側に取り付けられたコイルスプリングダンパーユニットを備えたダブルウィッシュボーン式のフロントサスペンションを特徴とした。ポスルスウェイトはシンプルで軽量かつ進歩的なスプリングをフィッティングする方法を模索していた。地震多発地帯に建てられる建造物のゴム製ダンパーを設計していた友人がアイデアを提案し、ラバースプリングを使用する方法を採用した。1974年初期に始まった試験は、マレーシアゴム生産者協会によって特別な非クリープラバーが開発されるまで失敗し続けた。その後より効果的なテスト結果を得てイオン・プロダクツ社がスプリングを開発、1975年アルゼンチングランプリから車に取り付けられた[1]。元々ヘスケス卿は、308に搭載するためのV12エンジンに資金を提供する計画を持っていたが、これは実現しなかった。308は最後までDFVが搭載された[2]

308のデビューは1974年のレース・オブ・チャンピオンズで、ハントはポールポジションを獲得した。レースの結果は成功とは言えず、ウェットコンディションの中ハントは4周目にスピンアウトした。2週間後のキャラミで308はグランプリデビューした。今回のハントは予選13位であったが、決勝ではスタートから5位に上がり65周目にドライブシャフトの破損でリタイアするまでその順位を維持した。翌週にシルバーストンで開催されたBRDCインターナショナル・トロフィーでハントはポールポジションを獲得、グランプリのレギュラードライバー達との戦いを制して308での初勝利を挙げた。スタートでハントはクラッチが滑り、シフトノブも手から離れた。徐々に彼はこれらの困難を乗り越え、ウッドコートのコーナーでロニー・ピーターソンロータスを躱してトップを取り戻した[3]

308の成功は繰り返されず、グランプリのシーズンが進むにつれて車は速いが信頼性が低く、何度も故障が発生することとなった。ハントはまた、トム・プライスとのアクシデントを繰り返した。最初はオランダで、第1コーナーでプライスが彼に衝突した。2週間後のフランスではカルロス・ロイテマンに衝突されたプライスがハントに衝突した。ヘスケスはチームをより高いレベルのプロフェッショナリズムに導き、シーズン終盤のオーストリアグランプリではイアン・シェクターにセカンドカーをドライブさせた。シェクターは主にエンジントラブルのおかげで予選落ちしたにも関わらず、チームの関係者は2台のマシンを走らせることが次シーズンのチームのチャンスを改善するのに貢献するだろうと感じていた[3]

1975年に308は「B」仕様に更新され、ボディ形状とオイルクーラーの位置が変更された。車は更に競争力を増し、ハントはアルゼンチンブラジルで連続入賞し、オランダではついに優勝を果たした。しかしこの優勝はチーム唯一の勝利であった。ハントは何回かの堅実な入賞でヘスケスがコンストラクターズランキングで4位に入るのを助けた。チームに対するヘスケス卿の資金は尽き、ハントは1976年にマクラーレンに移籍した。

308と308Bは弱小プライベートチームに売却された。おそらく最も有名なヘスケスのマシンをドライブしたプライベーターはガイ・エドワーズで、1976年に成人誌のペントハウスとスポンサーシップを結び、チームにかなりの露出をもたらした。エドワーズは奮戦したが、ポイントを得ることはできなかった。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位
1974年 ヘスケス・レーシング 308 コスワースDFV
V8 NA
F ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
SWE
スウェーデンの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
15 6位
イギリスの旗 ジェームズ・ハント Ret 10 Ret Ret 3 Ret Ret Ret Ret 3 Ret 4 3
南アフリカ共和国の旗 イアン・シェクター DNQ
1975年 ヘスケス・レーシング 308B コスワースDFV
V8 NA
G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
SWE
スウェーデンの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
33 4位
イギリスの旗 ジェームズ・ハント 2 6 Ret Ret Ret Ret Ret 1 2 4 Ret 2
アメリカ合衆国の旗 ブレット・ランガー 13 13 Ret
カスタムメイド・ハリー・スティラー・レーシング オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ Ret Ret Ret 11
ポーラー・キャラヴァンズ スウェーデンの旗 トルステン・パルム DNQ 10
ヴァルシュタイナー・ブルワリー オーストリアの旗 ハラルド・アートル 8 Ret 9

参照[編集]

  1. ^ a b Wood, John (1976年3月). “Hesketh Type 308”. Scale Models (Hemel Hempstead: Model & Allied Publications Ltd) 7 (78): 118-121. 
  2. ^ Boddy, William; Laban, Brian (1977). The History of Motor Racing. Putnam. ISBN 0-399-12026-2. 
  3. ^ a b Lyons, Pete; Gilligan, Vin (1974). Formula One '74. Santa Anna, California: Paul Oxman Publishing Company. ISBN 0-914824-01-5. 

外部リンク[編集]