セオドール・TR1

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セオドール・TR1
Theodore TR1.jpg
カテゴリー F1
コンストラクター セオドール
後継 セオドール・TY01
主要諸元
シャシー アルミニウム製モノコック
トレッド (前)1494 mm (後)1646 mm
ホイールベース 2545 mm
エンジン コスワースDFV 3.0リッター V型8気筒 NA
トランスミッション ヒューランド FGA 400 6
重量 610kg
燃料 カストロール / バルボリン
主要成績
ドライバー エディ・チーバー
ケケ・ロズベルグ
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
7 0 0 0
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セオドール・TR1 (Theodore TR1) は、イギリスのレーシングチーム、セオドール1978年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。TR1は技術的に時代後れであったと多くの文献に記載されている[1]

背景[編集]

インドネシア出身の実業家、セオドール「テディ」イップは1970年代初めからレーシングチームのスポンサーを務めていた。1974年から76年まで彼はアラン・ジョーンズヴァーン・シュパンブライアン・レッドマンを擁するフォーミュラ5000のチームを支援していた。1977年にセオドール・レーシングとしてイギリスのエンサインと組んで初めてF1に参戦する。1978年には初めてのオリジナルマシン、TR1を投入した。

TR1は1977年にラルトによって開発が行われた。ラルトは元ブラバムのデザイナーであるロン・トーラナックとレン・ベイリーが率いていた。両者共にF1にファクトリーとして展開する可能性を見込んでTR1を開発した。その計画は資金不足が理由で実現できなかったが、彼らはそのマシンの設計をテディ・イップに売却し[2]、イップは翌年にこのマシンを持ってF1に参戦した。しかしながらTR1は戦闘力不足が判明し、シーズン後半には開発が取りやめられた。セオドールはシーズンの残りをウルフ・WR3WR4で戦った。シーズン終了後、セオドールはF1を撤退する。その後1981年にセオドール・TY01を持って再び参戦した。

開発[編集]

セオドール・TR1は「大柄で、完全にコンベンショナルな車」であった[3]。登場時から既に時代遅れの印象を持っていた[4]。その外観からは、同じくトーラナックがデザインした1971年のブラバム・BT34の要素が垣間見られた。その設計は70年代後半のF1マシンにしては珍しく、オイルクーラーが車両のノーズ部分に納められ、そのため車体前部は横に広がり、空力特性に影響を及ぼした[5]。エンジンは3リッターのコスワースDFV8気筒エンジンが搭載された。車重は610kgで、TR1は1978年シーズンのF1マシンの中で最も重いマシンであった[6]

TR1は2台製作された[7]

レース戦績[編集]

1978年シーズンの開幕2戦、セオドールはアメリカ人ドライバーのエディ・チーバーを起用した。チーバーはアルゼンチンとブラジル、共に予選落ちしている。ブエノスアイレスでは最下位で予選通過したブレット・ランガーより1秒遅れであったが、リオデジャネイロでは最下位のルパート・キーガンから0.08秒遅れであった。このレースの後チーバーはヘスケスに移籍した。

ケケ・ロズベルグはセオドールをドライブし、ノンタイトル戦で勝利した

チーバーに代わってフィンランド人ドライバーのケケ・ロズベルグが起用され、南アフリカグランプリでF1にデビューした。ロズベルグは新造された2台目のTR1をドライブし、24位で予選を通過した。ロズベルグはヘスケス・308Eをドライブしたチーバーよりも上位で予選を通過した。決勝でロズベルグは15周目にメカニカルトラブルでリタイアした。公式記録ではクラッチにトラブルが生じたとされるが、他の記録ではブレーキが故障したとされる。その結果ロズベルグのマシンは壁に激突した。車はひどく破損した。ロズベルグは無事だったものの、気化したガソリンのガスを吸い込み呼吸器に刺激を受けた[8]

ロスベルグの次のレースは2週間後にシルバーストンで行われたBRDCインターナショナル・トロフィーで、これはノンタイトル戦であった。このレースにはブラバム、エンサイン、ロータス、マクラーレン、シャドウ、ティレルといったイギリスのチームが参加し、フェラーリとルノーは参加しなかった。セオドールはロズベルグを起用してTR1で参加した。レースには17台が参加し、ロズベルグは予選12番手となった。決勝でロズベルグは悪天候の恩恵を受けることとなった。土砂降りの雨の中13台がリタイアしたが、この中にはブラバム、ロータス、マクラーレンが含まれた。4台のみが完走し、その内2台はプライベーターであった。ロズベルグはレースの大半をリードし、そのままフィニッシュした[9]。この勝利は最初で唯一のセオドールのフォーミュラ1における勝利であった。

しかしながらこの勝利は繰り返されなかった。アメリカ西、モナコ、スペインとロズベルグは予備予選落ちする。ベルギーでは予備予選を通過したものの、予選落ちした。スペイングランプリの後、テディ・イップはTR1に見切りを付けた。チームはスウェーデン、フランス、イギリスと欠場し、ドイツグランプリからはウォルター・ウルフ・レーシングから購入したWR3で戦った。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

ドライバー No. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1978年 ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
ESP
スペインの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
西ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
0 -
アメリカ合衆国の旗エディ・チーバー 36 DNQ DNQ
フィンランドの旗ケケ・ロズベルグ DNF DNPQ DNPQ DNQ DNPQ


参考文献[編集]

  • Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Autos, Strecken und Piloten. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
  • David Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
  • David Hodges: A-Z of Grand Prix Cars. Crowood Press, Marlborough 2001, ISBN 1-86126-339-2.(英語)
  • Pierre Menard: La Grande Encyclopedie de la Formule 1. 2. Auflage. Chronosports, St. Sulpice 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)

参照[編集]

  1. ^ Auto Motor und Sport. Heft 6, 1987, S. 288.
  2. ^ Menard: La Grande Encyclopedie de la Formule 1. 2000, S. 599.
  3. ^ Hodges: A-Z of Grand Prix Cars. 2001, S. 223.
  4. ^ Heinz Pruller: Das Auto kroch fast ein Jahrzehnt seiner Zeit hinterher. In: Auto Motor und Sport. Heft 6, 1987, S. 288.
  5. ^ Ensign griff dieses Konzept 1979 mit dem N179 noch einmal auf, gab es aber bereits nach drei erfolglos verlaufenen Rennen wieder auf.
  6. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 289.
  7. ^ Der Theodore TR1 auf der Internetseite www.oldracingcars.com.
  8. ^ Auto Motor und Sport. Heft 6, 1987, S. 288.
  9. ^ Ergebnisliste der International Trophy auf der Internetseite www.racingsportscars.com

外部リンク[編集]