1988年日本グランプリ (4輪)

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日本の旗 1988年日本グランプリ
レース詳細
Suzuka 2003.jpg
日程 1988年シーズン第15戦
決勝開催日 10月30日
開催地 鈴鹿サーキット
日本 三重県 鈴鹿市
コース長 5.859km
レース距離 51周(298.809km)
決勝日天候 曇り(ドライ)
ポールポジション
ドライバー
タイム 1'41.853
ファステストラップ
ドライバー ブラジルの旗 アイルトン・セナ
タイム 1'46.325(Lap 33)
決勝順位
優勝
2位
3位

1988年日本グランプリ1988 Japanese Grand Prix)は、1988年F1世界選手権第15戦として、1988年10月30日鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された。

概要[編集]

2年目の鈴鹿サーキット開催[編集]

前年にF1日本GPが復活してから2年目の鈴鹿開催となる。ホンダエンジンを搭載するマクラーレンの歴史的勝利(ここまで14戦13勝13ポールポジション)などの話題性もあり、3日間合計の観客動員数は前年(225,000人)を上回る233,000人を記録した。

日本関連の話題では、2年目の地元GPを迎えた中島悟ロータス)に加えて、1カ月前に全日本F3000選手権チャンピオンを獲得した鈴木亜久里ラルース・ローラから急遽スポット参戦することになり、国内トップフォーミュラの新旧王者がF1で顔を合わせることになった。

ワールドチャンピオン同門対決[編集]

マクラーレンのチームメイト同士によるドライバーズチャンピオン争いは、アラン・プロスト90点(有効得点84点)、アイルトン・セナ79点(有効得点79点)という状況で残り2戦を迎えた。総得点ではプロスト有利に思えるが、16戦中ベスト11戦をカウントするという有効得点制度上、すでに12戦で1位6回・2位6回を記録しているプロストは2位以下だとこれ以上有効得点が伸びないというジレンマを抱えている。かたや11戦で入賞しているセナが残り2戦で1勝すれば有効得点を87点まで伸ばし[1]、自力で自身初のチャンピオンを決定することができる。

プロストが日本GP前のポルトガルGPスペインGPを連勝する一方、セナは表彰台圏外の6位・4位に終わっていた。ポルトガルGPの「幅寄せ事件」を巡るふたりの緊張関係に加えて、国際自動車連盟 (FIA) のジャン=マリー・バレストル会長からホンダへ「両者に公平なエンジンを供給することを望む」という趣旨の異例の書簡が届けられた。ホンダは久米是志社長の回答文を掲示した上で、記者会見では「4基のエンジンを用意し、ドライバーが好きなエンジンを選ぶこともできる」と説明した。

予選[編集]

金曜午後の予選1回目ではセナが1分42秒157で暫定ポールを獲得。プロストはマシンの不調を訴え、ゲルハルト・ベルガーフェラーリ)に次ぐ3番手タイムに留まる。中嶋は10位、鈴木は21位。

土曜午後の予選2回目はセナが1分41秒853までタイムを縮め、今季12回目のポールポジションを獲得。プロストは午前のフリー走行でガソリン漏れにより背中に火傷を負っていたが、セナから0.324秒遅れの2番手タイムを記録した。前年ポール・トゥ・ウィンを達成したベルガーはセナから1.5秒遅れの3番手。好調マーチイヴァン・カペリ自然吸気 (NA) エンジン勢先頭の4位スタートとなった。ホンダエンジン勢のロータスはネルソン・ピケと中嶋が同タイム(1分43秒693)を記録したが、先にタイムを記録したほうが上位となるルールからピケ5位、中嶋6位となった。中嶋にとって予選6位はメキシコGPメキシコGPと並ぶシーズン最高予選順位であり、かつ当時の日本人ドライバーの最高予選順位だった。デビュー戦の鈴木はチームメイトのフィリップ・アリオーに続く20番グリッドからスタートする。

なお、フリー走行1回目の結果からコローニガブリエル・タルキーニ予備予選落ちし、予選結果からリジェステファン・ヨハンソン以下計4台のマシンが予選落ちとなった。

決勝[編集]

上位2台のスタートミス[編集]

中嶋悟がドライブしたロータスT100・ホンダ

決勝レースは曇りながら時折小雨がぱらつく中で行われた。全車がグリッド上からスタートしたものの、下り坂のスタートでミスをしエンジンストールさせてしまったポールポジションのセナと6位スタートの中嶋が、中段に沈むこととなった。特に完全にエンジンがストールしてしまった中嶋は再スタートに手間取り21番手に沈んでしまう。

上位2台のスタートミスに後方のマシンは大混乱に陥ったものの、クラッシュするマシンはなかったことからそのままレースは続行された。1コーナーには2番グリッドからそのままトップですり抜けたプロスト、3番グリッドから2位に上がったベルガー、4番グリッドから3位に上がったカペリに次ぎ、10番グリッドから混乱の中をうまくすり抜けたアロウズ・メガトロンのワーウィックが4位につけた。しかしワーウィックは、5位を走行していたウィリアムズジャッドナイジェル・マンセルに1周目のヘアピンで追突され、2台並んでのピットインを余儀なくされ好調だったスタートを台無しにされてしまった。

その後、セナと中嶋は怒涛の追い上げを開始し、特にセナはチャンピオン争いが絡んでいることから前を行くマシンの多くが自主的に前を開けたこともあり、8周目には4位に順位を戻すなど、鈴鹿までに14戦で13勝を挙げていたマクラーレン・ホンダの圧倒的なパフォーマンスと得意のセミウェットコンディションを武器に、瞬く間に上位へ上り詰めた。

カペリの好走[編集]

イワン・カペリがドライブしたマーチ・ジャッド

また、1周目に3位に上がったマーチ・ジャッドのカペリが、早くも6周目にフェラーリのベルガーを抜きプロストに次ぐ2位へと上がった。勢い付いたカペリは、セミウエットの路面に手こずるプロストを怒涛の勢いで追い上げ、シケインでスピンしたローラ・コスワースの鈴木の追い越しに手こずったプロストを16周目のグランドスタンド前ストレートで一瞬追い越し、この周のラップリーダーとなり、自分をF1に導いてくれたマーチのタイトルスポンサーで、後にチームオーナーとなる赤城明を喜ばせた。

その後もプロストをぴったりとつけ首位を虎視眈々と狙い続けたものの、その後追い上げてきたセナと2位争いを行っていた最中の19周目に、電機系トラブルによってグランドスタンド前で突如エンジンがストップしリタイアとなってしまう。

ベネトンとフェラーリの戦い[編集]

アレッサンドロ・ナニーニのベネトンB188・フォード
ネルソン・ピケのロータスT100・ホンダ(前)とナイジェル・マンセルのウィリアムズFW12・ジャッド

予選では振るわなかったものの、上位のセナと中嶋のエンジンストールによるスタートの混乱で順位を上げたベネトン・フォードのアレッサンドロ・ナニーニとフェラーリのミケーレ・アルボレートは、レース序盤に6位争いを繰り広げたが、7周目にナニーニに押し出されたアルボレートはスピンしサンドトラップに嵌り周回遅れとなってしまった。

その後アルボレートはレースに復帰し、チームメイトのベルガーのために4位を走行するナニーニを周回遅れながら10周近くに渡りブロックし続け、その結果ベルガーはナニーニを逆転し最終的に4位の座を獲得することになる。同郷のイタリア人であるこのアルボレートの「仕返し」にナニーニはレース後に激怒した。

ピケとマンセルの接触[編集]

後方のグループでは、スタート時の混乱で遅れた上に、昨晩より風邪気味で体調にすぐれないためにスピンして2周遅れの最下位に落ちてしまったロータス・ホンダのピケと、ワーウィックとの接触から周回遅れながら12位まで挽回したウィリアムズ・ジャッドのマンセルが25周目にシケインで接触し、サスペンションにダメージを受けたマンセルはその場でリタイヤ、ピケも体調が回復せず最下位を走行し続けた挙句に35周目にリタイヤするなど、昨年は鈴鹿の予選を舞台にチャンピオン争いを繰り広げた2人は、全く見せ場を作ることが出来なかった。

セナの勝利[編集]

このレースにおいてダブルタイトルを獲得したアイルトン・セナのマクラーレンMP4/4・ホンダ

カペリのリタイアで19周目に2位につけたセナは、その後も小雨により濡れたセミウエットの路面の中で周回遅れのマシンの追い抜きに手こずっていたプロストを射程圏内にとらえ、28周目のグランドスタンド前ストレートでプロストをかわしトップへと上り詰めた。

その後セナはセミウエットの路面の中でプロスト以下を寄せ付けずトップでの走行を続けたものの、残り5周の時点で強くなった雨による危険性を鑑みレースの早期中断をアピールしたものの、その後もレースは続行され規定周回通りでゴールし、念願の初のドライバーズチャンピオンに輝くこととなる。

中嶋と鈴木[編集]

表彰台も射程内の3列目からスタートしたものの、スタートを失敗し最下位近くに落ち、その後失敗を挽回すべく追い上げを続けた中嶋は、得意のウェットコンディションを生かして18周目には10位に、21周目には7位につけるという怒涛の追い上げを見せた。しかし、下位グループを追い抜いている内に上位陣との間隔が空いてしまっていた上、上位陣にリタイヤが少なかったこともあり惜しくも入賞圏内には届かず、6位に入賞したウィリアムズ・ジャッドのリカルド・パトレーゼに次ぐ周回遅れの7位に終わった。

鈴木は、シート合わせも十分に行えないままに初めて乗るマシンと濡れた路面とに手こずり、レース中に2度のスピンとリアル・フォードのアンドレア・デ・チェザリスとのヘアピンでの接触によるコースアウトを喫したものの、エンジンパワーに勝るリジェ・ジャッドのルネ・アルヌーとのバトルを制して2周遅れの16位で完走した。

結果[編集]

順位 No ドライバー コンストラクタ 周回 タイム/リタイヤ グリッド ポイント
1 12 ブラジルの旗 アイルトン・セナ マクラーレンホンダ 51 1:33'26.173 1 9
2 11 フランスの旗 アラン・プロスト マクラーレンホンダ 51 + 13.363 2 6
3 20 ベルギーの旗 ティエリー・ブーツェン ベネトンフォード 51 + 36.109 10 4
4 28 オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 51 + 1'26.714 3 3
5 19 イタリアの旗 アレッサンドロ・ナニーニ ベネトンフォード 51 + 1'30.603 12 2
6 6 イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ ウィリアムズジャッド 51 + 1'37.615 11 1
7 2 日本の旗 中嶋悟 ロータスホンダ 50 +1 Lap 6  
8 14 フランスの旗 フィリップ・ストレイフ AGS・コスワース 50 +1 Lap 18  
9 30 フランスの旗 フィリップ・アリオー ローラコスワース 50 +1 Lap 19  
10 15 ブラジルの旗 マウリシオ・グージェルミン マーチジャッド 50 +1 Lap 13  
11 27 イタリアの旗 ミケーレ・アルボレート フェラーリ 50 +1 Lap 9  
12 3 イギリスの旗 ジョナサン・パーマー ティレルコスワース 50 +1 Lap 16  
13 23 イタリアの旗 ピエルルイジ・マルティニ ミナルディコスワース 49 +2 Laps 17  
14 4 イギリスの旗 ジュリアン・ベイリー ティレルコスワース 49 +2 Laps 26  
15 24 スペインの旗 ルイス・ペレス=サラ ミナルディコスワース 49 +2 Laps 22  
16 29 日本の旗 鈴木亜久里 ローラコスワース 48 +3 Laps 20  
17 25 フランスの旗 ルネ・アルヌー リジェジャッド 48 +3 Laps 23  
リタイヤ 22 イタリアの旗 アンドレア・デ・チェザリス リアルコスワース 36 オーバーヒート 14  
リタイヤ 18 アメリカ合衆国の旗 エディ・チーバー アロウズ・メガトロン 35 点火系 15  
リタイヤ 21 イタリアの旗 ニコラ・ラリーニ オゼッラコスワース 34 ブレーキ 24  
リタイヤ 1 ブラジルの旗 ネルソン・ピケ ロータスホンダ 34 体調不良 5  
リタイヤ 5 イギリスの旗 ナイジェル・マンセル ウィリアムズジャッド 24 衝突 8  
リタイヤ 36 イタリアの旗 アレックス・カフィ ダラーラコスワース 22 スピンオフ 21  
リタイヤ 16 イタリアの旗 イヴァン・カペリ マーチジャッド 19 電気系 4  
リタイヤ 17 イギリスの旗 デレック・ワーウィック アロウズ・メガトロン 16 スピンオフ 7  
リタイヤ 10 ドイツの旗 ベルント・シュナイダー ザクスピード 14 体調不良 25  
予選落ち 26 スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン リジェジャッド        
予選落ち 32 アルゼンチンの旗 オスカー・ララウリ ユーロブルンコスワース        
予選落ち 9 イタリアの旗 ピエルカルロ・ギンザーニ ザクスピード        
予選落ち 33 イタリアの旗 ステファノ・モデナ ユーロブルンコスワース        
予備予選落ち 31 イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ コローニコスワース        

記録[編集]

エピソード[編集]

  • セナの初のドライバーズチャンピオンと同時に、鈴鹿でのホンダエンジンの初優勝を祝福するために、レース後にホンダのFormula One Paddock Club内で祝賀会が開催され、ホンダの本田宗一郎名誉会長自らがセナを祝福した。この際に肩を組む2人の姿が世界中に配信され、その後も多くのメディアでセナとホンダの蜜月を象徴するシンボルとして使われている。
  • 中嶋悟の母親が予選1日目に死去していたが、この事実はレース後までマスコミに隠されたままであった。
  • 鈴木亜久里のF1デビューは、中耳炎により急遽欠場となったラルースのヤニック・ダルマスの代役としてスポット参戦するという思わぬ形で実現することとなった。鈴木は、フジテレビF1中継の解説者として鈴鹿入りする際の新幹線内でスポット参戦が決定したことを知らされ、急遽後発のスタッフに自身のヘルメットを持参させ、ダルマスのレーシングスーツを着用してレースに臨んだ。
  • 翌年からザクスピードにエンジン供給を開始するヤマハのエンジニアが、ザクスピードのピットから観戦していた。
  • 前述の通り16周目にカペリがラップリーダーを記録したが、この年にラップリーダーを記録したドライバーはシーズンを通してカペリを含め4人しか居らず、ノンターボ車で記録したのはカペリだけである(他はセナ、プロスト、ベルガー)。
  • この年初めてF3シビックチャレンジカップがサポートレースとして行われ、佐藤浩二清水和夫がそれぞれ優勝した。なおF3には、4年後の日本グランプリでF1にステップアップする服部尚貴や、インディカーで活躍したヒロ松下も参戦していた。
  • サーキット周辺の渋滞を避けるための手段として、サーキット内と近鉄名古屋線白子駅近くの空き地(駐車場)の間にヘリコプター便が運航された(片道7500円)。
  • 当時レイトンハウスからの資金提供を受けてヨーロッパラウンドを観戦していた作家村上龍が、このグランプリではホンダのゲストとしてFormula One Paddock Clubから観戦していた。

脚注[編集]

  1. ^ 12戦入賞のうち1位8回(72点)、2位2回(12点)、4位1回(3点)がカウントされ、6位1回(1点)は切り捨てとなる。

関連項目[編集]

前戦
1988年スペイングランプリ
FIA F1世界選手権
1988年シーズン
次戦
1988年オーストラリアグランプリ
前回開催
1987年日本グランプリ
日本の旗 日本グランプリ 次回開催
1989年日本グランプリ