アメリカグランプリ
サーキット・オブ・ジ・アメリカズ | |
![]() | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 56[1] |
コース長 | 5.513[1] km (3.426 mi) |
レース長 | 308.405[1] km (191.634 mi) |
開催回数 | 44[2][注 1] |
初回 | 1908年 |
最多勝利 (ドライバー) |
![]() |
最多勝利 (コンストラクター) |
![]() |
最新開催(2023年): | |
ポールポジション |
![]() フェラーリ 1:34.723 |
決勝順位 |
1. ![]() レッドブル-ホンダ・RBPT 1:35:21.362 2. ![]() マクラーレン-メルセデス +10.730s 3. ![]() フェラーリ +15.134s |
ファステストラップ |
![]() アルファタウリ-ホンダ・RBPT 1:38.139 |
アメリカグランプリ(アメリカGP, 米: United States Grand Prix)は、アメリカ合衆国で1959年から断続的に行われているF1世界選手権レースのひとつ。その他、アメリカ国内で開催された、アメリカグランプリ以外のF1選手権レースについても本項目で記述する。
歴史[編集]
前史[編集]

19世紀末の自動車の発明以来、アメリカでは草競馬場のコースを利用したオーバルレースが人気となり、インディ500(1908年-)を含む全米選手権の発足に至る。その一方、ヨーロッパタイプの公道サーキットでレースを行おうとする者も現れ、1904年には欧米交流戦のヴァンダービルト杯が始まり、1908年には欧州のグランプリ規定に則ったアメリカン・グランド・プライズ (American Grand Prize) が創設された。アメリカン・グランド・プライズはジョージア州サバンナ、ウィスコンシン州ミルウォーキー、カリフォルニア州サンタモニカ、カリフォルニア州サンフランシスコといった場所で1916年までに7回開催された(1911年以降はヴァンダービルト杯との同時開催)。1914年の大会を制したマーサー (Mercer) を除けば、いずれも優勝したのは欧州車であった。第一次世界大戦によりヨーロッパのレース界との交流が絶たれると、この種のイベントは開催されなくなった。
1950年にF1世界選手権が創設されると、インディ500も選手権の1戦に組み込まれたが、ヨーロッパからの参戦者も少なかったため、1960年限りでF1のカレンダーから姿を消した。
アメリカグランプリの成功と衰退(1958年-1991年)[編集]

1958年にカリフォルニア州のリバーサイド・インターナショナル・レースウェイにて開催されたUSACスポーツカー選手権 (USAC Road Racing Championship) の1戦に「アメリカグランプリ (United States Grand Prix) 」の名が冠せられた。そして翌1959年に、フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリング・インターナショナル・レースウェイでF1世界選手権のアメリカGPが初開催された。1960年にリバーサイドで開催されたあと、翌1961年から1980年まではニューヨーク州のワトキンズグレン・インターナショナル・レースウェイで行われた。「グレン」ことワトキンズグレンでは紅葉の美しい季節に開催され、シーズン終盤の名物レースとなった。
当地では徐々にF1が浸透し、商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年から1984年までは年2回開催されるようになった(1982年は年3回)。この期間はアメリカGPの他に「アメリカ西グランプリ」「アメリカ東グランプリ」「ラスベガスGP」といった名称も使用された(詳細は後述のアメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レースを参照)。
しかし、サーキットは市街地の仮設コースばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(後のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州のフェニックス市街地コースで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。
インディアナポリスでの復活(2000年-2007年)[編集]

F1は「世界選手権」の名を掲げているが、アメリカ国内においてはNASCARやインディカーなどの人気が高く、F1は人気が定着しきれないでいた。こうした事態を打破するため、インディ500やブリックヤード400が行われているアメリカンモータースポーツ界の聖地、インディアナポリス・モーター・スピードウェイを舞台にして、2000年よりアメリカGPが復活することとなった。初開催の決勝日には巨大なスタンドを埋める20万人もの観客を集め、当地における潜在的なF1人気を実証することになった。
2003年まではシーズン終盤のレースとして9月末に開催されてきたが、2004年以降は参戦チームの遠征費用効率化を目的とし、6月にカナダGPとの連戦で開催されるようになった。
2005年はミシュランタイヤのトラブルに端を発し、ミシュランタイヤ装着全7チーム14台がフォーメーションラップのみで自主リタイア。ブリヂストンタイヤを装着する3チーム6台のみでレースが行われるという異常事態が発生した(詳細は2005年アメリカGPを参照)。この事件はミシュランと国際自動車連盟 (FIA) の間に大きな亀裂を生む事となり、2006年のミシュランF1撤退に少なからぬ影響を及ぼした。加えて退屈なレースに観客からの不満が爆発し、主催者はチケットの返金などの対応に追われる事になった。
こうした経緯から主催者とFIAの関係も悪化の一途を辿り、2008年のF1アメリカグランプリ開催を断念する共同声明を発表するに至った。
オースティンでの開催(2012年-)[編集]
F1に参戦するチーム・自動車メーカー・スポンサーからは「大消費地であるアメリカでF1が開催されないことは、宣伝媒体としてのF1の価値を低下させる」としてアメリカでの開催を復活させるよう根強い要望があった。F1の興行権を持つフォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)が米国内の様々なサーキットと交渉を行った結果、2012年より新たにテキサス州オースティンにサーキットを建設してアメリカグランプリを復活させることが決定した[5]。
2010年9月にはヘルマン・ティルケ率いるティルケデザインの設計による新サーキットのコースレイアウトが公表された[6]。サーキットの建設は同年12月に開始され、建設費用は約2億ドル[7]。サーキット建設に当たっては、NFLのミネソタ・バイキングスやNBAのサンアントニオ・スパーズなどのオーナーを務めたこともある投資家のレッド・マコームズ、元ロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラスチャンピオンのケビン・シュワンツなどの支援を受けている[8]。後にこのサーキットはサーキット・オブ・ジ・アメリカズと名づけられた。
メディアの中にはサーキットの建設費用などの調達ができず開催が流れる危険性を憂慮するものもあり[9]、実際プロモーター側でも、場合によっては同地でのグランプリ初開催が1年延期され2013年にずれ込む可能性を認めていたが[10]、予定通り2012年11月にレースが開催された。
2022年2月、オースティンとの開催契約が2026年まで延長された[11]。
主な出来事[編集]
- 1959年 - 初のアメリカGPはシーズン最終戦として行われ、クーパーのジャック・ブラバムが自身初のチャンピオンを獲得した。ブラバムのマシンは最終ラップにガス欠となり、ブラバムはマシンを押して何とか4位でフィニッシュした。レースはチームメイトの新人ブルース・マクラーレンが初優勝し、2003年にフェルナンド・アロンソに破られるまで最年少優勝記録者となっていた。
- 1961年 - イネス・アイルランドが優勝し、チーム・ロータスのF1初優勝を達成。ただし、コンストラクター「ロータス」としての初優勝は、プライベーターのスターリング・モスが1960年のモナコGPで達成済みである。
- 1966年 - ロータスのジム・クラークがBRM製H16エンジンを搭載するマシンで優勝。F1における最多気筒数エンジンの勝利となった。
- 1968年 - アメリカの人気レーサー、マリオ・アンドレッティがF1デビュー戦[注 2]でポールポジションを獲得。
- 1970年 - ロータスの新人エマーソン・フィッティパルディがデビュー4戦目で初優勝。この結果、2戦前のイタリアGPで死亡したヨッヘン・リントのチャンピオンが確定した。
- 1973年 - ティレルのフランソワ・セベールがガードレールに衝突して惨死。愛弟子を失ったジャッキー・スチュワートはこのレースを戦わずして引退した。
- 1974年 - サーティースのヘルムート・コイニクがセベールと同じくガードレールへの衝突で事故死した。
- 1984年 - ウィリアムズのケケ・ロズベルグが優勝し、ホンダの第2期活動(ターボエンジン供給)での初優勝を印す。
- 1989年 - マクラーレンのアイルトン・セナが通算34回目のポールポジション (PP) を獲得し、ジム・クラークの最多PP記録を更新した。
- 1990年 - ティレルのジャン・アレジがアイルトン・セナと抜きつ抜かれつの好バトルを展開。敗れて2位となったものの、一気に評価を高めた。
- 2002年 - レースを支配したフェラーリ勢がチェッカーを受ける際、スピードを緩めたミハエル・シューマッハを僚友のルーベンス・バリチェロが抜いて優勝した。1位と2位の差0.011秒は、1971年イタリアGPの0.01秒に次ぐ僅差のフィニッシュとなった。
- 2004年 - B・A・Rホンダの佐藤琢磨が、1990年日本GPの鈴木亜久里以来日本人として14年ぶりの表彰台(3位)を獲得した。
- 2005年 - フリー走行中に起きたラルフ・シューマッハのクラッシュをきっかけにして、ミシュランのタイヤがオーバル部分を走行する際の負荷に耐えられないことが判明。ミシュラン側はオーバル通過のスピードを抑えるためのシケイン増設案を、FIA側は速度監視によるオーバル部分の通過を互いに提案したが両者の話がおり合わず、ミシュラン系チームの自主リタイアにいたった。残り6台となったレースはミハエル・シューマッハが制したが、これはシューマッハ、フェラーリ、ブリヂストンタイヤにとって、このシーズン唯一の勝利となった。そして、入賞する機会すら少なかったジョーダン、ミナルディの両チームが3位から6位を獲得した。
- 2007年 - BMWザウバーのロバート・クビサの代役としてF1デビューしたセバスチャン・ベッテルが8位入賞し、史上最年少入賞記録を更新した。
- 2017年 - ルイス・ハミルトンがポール・トゥ・ウィンでアメリカGP最多となる6勝目(4年連続優勝もミハエル・シューマッハに並ぶ最多タイ)をあげ、メルセデスが4年連続のコンストラクターズチャンピオンを獲得した。
- 2020年 - 新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため開催中止[12]。
- 2022年 - マックス・フェルスタッペンがシーズン最多勝利記録に並ぶ13勝目を挙げ[13]、レッドブルは2013年以来9年ぶり、2014年のパワーユニット導入以降初めてのコンストラクターズチャンピオンを決め、開催直前に亡くなったレッドブルの共同創業者ディートリヒ・マテシッツにダブルタイトルを捧げた[14]。
- 2023年 - 角田裕毅がF1キャリア初のファステストラップを記録。日本人F1ドライバーによるファステストラップは中嶋悟(1989年オーストラリアGP)と小林可夢偉(2012年ベルギーGP)に続く3人目[15]。
過去の結果と開催サーキット[編集]
F1世界選手権として開催された1959年以降の結果について記載する。
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター (括弧内はノンワークスチーム) |
結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1959 | 12月12日 | 9 | セブリング | ![]() |
クーパー-クライマックス | 詳細 |
1960 | 11月20日 | 10 | リバーサイド | ![]() |
ロータス-クライマックス (ロブ・ウォーカー) |
詳細 |
1961 | 10月 | 8日8 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ロータス-クライマックス | 詳細 |
1962 | 10月 | 7日8 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ロータス-クライマックス | 詳細 |
1963 | 10月 | 6日8 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
BRM | 詳細 |
1964 | 10月 | 4日9 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
BRM | 詳細 |
1965 | 10月 | 3日9 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
BRM | 詳細 |
1966 | 10月 | 2日8 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ロータス-BRM | 詳細 |
1967 | 10月 | 1日10 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ロータス-フォード | 詳細 |
1968 | 10月 | 6日11 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
マトラ-フォード (マトラ・インターナショナル) |
詳細 |
1969 | 10月 | 5日10 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ロータス-フォード | 詳細 |
1970 | 10月 | 4日12 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ロータス-フォード | 詳細 |
1971 | 10月 | 3日11 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ティレル-フォード | 詳細 |
1972 | 10月 | 8日12 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ティレル-フォード | 詳細 |
1973 | 10月 | 7日15 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ロータス-フォード | 詳細 |
1974 | 10月 | 6日15 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ブラバム-フォード | 詳細 |
1975 | 10月 | 5日14 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1976 - 1983 |
1976年-1980年にワトキンズ・グレン、1982年-1984年にデトロイトで開催されたレースはアメリカ東グランプリ、 1976年-1983年にロングビーチで開催されたレースはアメリカ西グランプリ、 1981年-1982年にシーザーズ・パレスで開催されたレースはラスベガスグランプリの各節を参照。 | |||||
1984 | 7月 8日 | 9 | ダラス | ![]() |
ウィリアムズ-ホンダ | 詳細 |
1985 | 6月23日 | 6 | デトロイト | ![]() |
ウィリアムズ-ホンダ | 詳細 |
1986 | 6月22日 | 7 | デトロイト | ![]() |
ロータス-ルノー | 詳細 |
1987 | 6月21日 | 6 | デトロイト | ![]() |
ロータス-ホンダ | 詳細 |
1988 | 6月19日 | 6 | デトロイト | ![]() |
マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1989 | 6月 4日 | 5 | フェニックス | ![]() |
マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1990 | 3月11日 | 1 | フェニックス | ![]() |
マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1991 | 3月10日 | 1 | フェニックス | ![]() |
マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1992 - 1999 |
開催されず | |||||
2000 | 9月24日 | 15 | インディアナポリス | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
2001 | 9月30日 | 16 | インディアナポリス | ![]() |
マクラーレン-メルセデス | 詳細 |
2002 | 9月29日 | 16 | インディアナポリス | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
2003 | 9月28日 | 15 | インディアナポリス | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
2004 | 6月20日 | 9 | インディアナポリス | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
2005 | 6月19日 | 9 | インディアナポリス | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
2006 | 7月 2日 | 10 | インディアナポリス | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
2007 | 6月17日 | 7 | インディアナポリス | ![]() |
マクラーレン-メルセデス | 詳細 |
2008 - 2011 |
開催されず | |||||
2012 | 11月18日 | 19 | オースティン | ![]() |
マクラーレン-メルセデス | 詳細 |
2013 | 11月17日 | 18 | オースティン | ![]() |
レッドブル-ルノー | 詳細 |
2014 | 11月 | 2日17 | オースティン | ![]() |
メルセデス | 詳細 |
2015 | 10月25日 | 16 | オースティン | ![]() |
メルセデス | 詳細 |
2016 | 10月23日 | 18 | オースティン | ![]() |
メルセデス | 詳細 |
2017 | 10月22日 | 17 | オースティン | ![]() |
メルセデス | 詳細 |
2018 | 10月21日 | 18 | オースティン | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
2019 | 11月 | 3日19 | オースティン | ![]() |
メルセデス | 詳細 |
2020 | 新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止 | |||||
2021 | 10月24日 | 17 | オースティン | ![]() |
レッドブル-ホンダ | 詳細 |
2022 | 10月23日 | 19 | オースティン | ![]() |
レッドブル-RBPT | 詳細 |
2023 | 10月22日 | 19 | オースティン | ![]() |
レッドブル-ホンダ・RBPT | 詳細 |
出典: [16] |
優勝回数(ドライバー)[編集]
F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。
(2勝以上)
回数 | ドライバー | 優勝年 |
---|---|---|
6 | ![]() |
2007, 2012, 2014, 2015, 2016, 2017 |
5 | ![]() |
1986, 1987, 1988, 1990, 1991 |
![]() |
2000, 2003, 2004, 2005, 2006 | |
3 | ![]() |
1963, 1964, 1965 |
![]() |
1962, 1966, 1967 | |
![]() |
2021, 2022, 2023 | |
2 | ![]() |
1968, 1972 |
![]() |
1984, 1985 | |
出典: [3] |
- 太字は2023年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
優勝回数(コンストラクター)[編集]
F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。
(2勝以上)
回数 | コンストラクター | 優勝年 |
---|---|---|
10 | ![]() |
1960, 1961, 1962, 1966, 1967, 1969, 1970, 1973, 1986, 1987 |
8 | ![]() |
1975, 2000, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2018 |
7 | ![]() |
1988, 1989, 1990, 1991, 2001, 2007, 2012 |
5 | ![]() |
2014, 2015, 2016, 2017, 2019 |
4 | ![]() |
2013, 2021, 2022, 2023 |
3 | ![]() |
1963, 1964, 1965 |
2 | ![]() |
1971, 1972 |
![]() |
1984, 1985 | |
出典: [4] |
- 太字は2023年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
優勝回数(エンジン)[編集]
F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。
(2勝以上)
回数 | メーカー | 優勝年 |
---|---|---|
8 | ![]() |
1967, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974 |
![]() |
1975, 2000, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2018 | |
![]() |
2001, 2007, 2012, 2014, 2015, 2016, 2017, 2019 | |
![]() |
1984, 1985, 1987, 1988, 1989, 1990, 1991, 2021 | |
4 | ![]() |
1959, 1960, 1961, 1962 |
![]() |
1963, 1964, 1965, 1966 | |
2 | ![]() |
1986, 2013 |
![]() |
2022, 2023 | |
出典: [17] |
- 太字は2023年のF1世界選手権に参戦中のメーカー。
- * コスワースが製造。
- ** 2001年はイルモアが製造。
- *** ホンダ・レーシング(HRC)が製造するRBPT及びホンダ・RBPTと記録は別扱い。
過去の開催サーキット[編集]

-
セブリング(1959)
-
リバーサイド(1960)
-
ワトキンズ・グレン(1961–1970)
-
ワトキンズ・グレン(1971–1974)
-
ワトキンズ・グレン(1975)
-
ダラス(1984)
-
デトロイト(1985-1988)
-
フェニックス(1989–1990)
-
フェニックス(1991)
-
インディアナポリス(2000–2007)
アメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レース[編集]
米国内で実施されながら、複数回の開催のためにアメリカグランプリ以外の名前で行われたレースがある。1982年及び2023年以降は米国内で実に3回ものグランプリが開催されている。また、1950年から1960年はインディ500もF1選手権に組み込まれていた。
アメリカ東グランプリ[編集]
デトロイト市街地コース (1983-1984) | |
![]() | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 63 |
コース長 | 4.023 km (2.500 mi) |
レース長 | 253.449 km (157.500 mi) |
開催回数 | 8[18] |
初回 | 1976年 |
最終開催 | 1984年 |
最多勝利 (ドライバー) |
![]() |
最多勝利 (コンストラクター) |
![]() |
最新開催(1984年): | |
ポールポジション |
![]() ブラバム-BMW 1:40.980 |
決勝順位 |
1. ![]() ブラバム-BMW 1:55:41.842 2. ![]() ロータス-ルノー +32.638s 3. ![]() ブラバム-BMW +86.528s |
ファステストラップ |
![]() ルノー 1:46.221 |
1961年よりワトキンズグレンで「アメリカグランプリ」が開催されていたが、1976年からロングビーチ市街地コースでもF1レースが開催されることになり、アメリカでは2戦が行われることになった。ロングビーチは「アメリカ西グランプリ」と呼ばれ、ワトキンズグレンはこの年から「アメリカ東グランプリ」と呼ばれるようになった。
1980年限りでワトキンズグレンのレースは終了したが、1982年からはデトロイトで「アメリカ東グランプリ」(正式名称は「デトロイトグランプリ」)が開催された。1983年限りでロングビーチの「アメリカ西グランプリ」は終了したが、1984年にはダラスがF1を開催し、このレースが「アメリカグランプリ」と呼ばれ、デトロイトのレースは「アメリカ東グランプリ」の名を維持した。1985年にはアメリカでの開催がデトロイトのみとなり、デトロイトのレースが「アメリカグランプリ」と呼ばれるようになった。以後、断続的ではあったが、2022年にアメリカでのF1レース複数開催が復活するまで「アメリカグランプリ」のみが開催された。
アメリカ東GPの主な出来事[編集]
- 1983年 - ティレルのミケーレ・アルボレートが優勝し、名基DFV系エンジン (DFY) の最後の勝利を飾った。また、この1勝は名門ティレルの最後の勝利にもなった。
アメリカ東GPの結果[編集]
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1976 | 10月10日 | 15 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
マクラーレン-フォード | 詳細 |
1977 | 10月 | 2日15 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
マクラーレン-フォード | 詳細 |
1978 | 10月 | 1日15 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1979 | 10月 | 7日15 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1980 | 10月 | 5日14 | ワトキンズ・グレン | ![]() |
ウィリアムズ-フォード | 詳細 |
1981 | 開催されず | |||||
1982 | 6月 6日 | 7 | デトロイト | ![]() |
マクラーレン-フォード | 詳細 |
1983 | 6月 5日 | 7 | デトロイト | ![]() |
ティレル-フォード | 詳細 |
1984 | 6月24日 | 8 | デトロイト | ![]() |
ブラバム-BMW | 詳細 |
出典: [21] |
アメリカ東GPの開催サーキット[編集]
-
ワトキンズ・グレン(1976–1980)
-
デトロイト(1982)
-
デトロイト(1983-1984)
アメリカ西グランプリ[編集]
ロングビーチ市街地コース (1983) | |
![]() | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 75 |
コース長 | 3.275 km (2.035 mi) |
レース長 | 245.625 km (152.620 mi) |
開催回数 | 8[22] |
初回 | 1976年 |
最終開催 | 1983年 |
最多勝利 (ドライバー) | 複数回優勝者なし[23] |
最多勝利 (コンストラクター) |
![]() |
最新開催(1983年): | |
ポールポジション |
![]() フェラーリ 1:26.117 |
決勝順位 |
1. ![]() マクラーレン-フォード 1:53:34.889 2. ![]() マクラーレン-フォード +27.993s 3. ![]() フェラーリ +73.638s |
ファステストラップ |
![]() マクラーレン-フォード 1:28.330 |
1976年から1983年までロングビーチ市街地コースを使用して開催された。カリフォルニア州のロングビーチ市街をサーキットとして使用した。1周3.251kmを初め多彩なレイアウトがある。
アメリカ西GPの主な出来事[編集]
- 1980年 - エンサインのクレイ・レガツォーニがブレーキ故障によりクラッシュし、下半身不随となる怪我を負った。
- 1983年 - 予選20位以下に低迷していたマクラーレン勢が決勝ではワン・ツー・フィニッシュ。予選22位から優勝したジョン・ワトソンは、最も後方のグリッドから優勝した記録を作った。
アメリカ西GPの結果[編集]
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1976 | 3月28日 | 3 | ロングビーチ | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1977 | 4月 | 3日4 | ロングビーチ | ![]() |
ロータス-フォード | 詳細 |
1978 | 4月 | 2日4 | ロングビーチ | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1979 | 4月 | 8日4 | ロングビーチ | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1980 | 3月30日 | 4 | ロングビーチ | ![]() |
ブラバム-フォード | 詳細 |
1981 | 3月15日 | 1 | ロングビーチ | ![]() |
ウィリアムズ-フォード | 詳細 |
1982 | 4月 | 4日3 | ロングビーチ | ![]() |
マクラーレン-フォード | 詳細 |
1983 | 3月27日 | 2 | ロングビーチ | ![]() |
マクラーレン-フォード | 詳細 |
出典: [25] |
アメリカ西GPの開催サーキット[編集]
-
ロングビーチ(1976-1977)
-
ロングビーチ (1978–1981)
-
ロングビーチ (1982)
-
ロングビーチ (1983)
ラスベガスグランプリ[編集]
ラスベガス・ストリップ・サーキット (2023-) | |
![]() | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 50[26] |
コース長 | 6.201[26] km (3.853 mi) |
レース長 | 310.050[26] km (192.656 mi) |
開催回数 | 3[注 1] |
初回 | 1981年 |
最新開催(2023年): | |
ポールポジション |
![]() フェラーリ 1:32.726 |
決勝順位 |
1. ![]() レッドブル-ホンダ・RBPT 1:29:08.289 2. ![]() フェラーリ +2.070s 3. ![]() レッドブル-ホンダ・RBPT +2.241s |
ファステストラップ |
![]() マクラーレン-メルセデス 1:35.490 |
1981年と1982年にラスベガスのホテル、シーザーズ・パレスの巨大駐車場にコンクリートウォールを設置、1周3.650kmのシーザーズ・パレス・グランプリサーキットを急造して開催された。正式名称は「シーザーズ・パレスグランプリ」。1981年はウィリアムズのアラン・ジョーンズが、1982年はティレルのミケーレ・アルボレートがそれぞれ勝利したが、観客動員の伸び悩みによりF1での開催は2年で打ち切られた[27][注 4]。
2021年よりF1の関係者がラスベガスを訪問し、2023年の初開催を前提に交渉。2022年3月31日、2023年からの開催決定がアナウンスされた。コースはラスベガスのカジノ街を貫く「ストリップ」を含む公道コース、ラスベガス・ストリップ・サーキットを使用して開催される予定。決勝レースは土曜日の22時スタートという極めて異例の形態となる。これにより、オースティン(アメリカGP)とマイアミ(マイアミGP)に続き、アメリカ国内で3レースが開催されることになった[28]。
ラスベガスGPの主な出来事[編集]
ラスベガスGPの結果[編集]
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1981 | 10月17日 | 15 | シーザーズ・パレス | ![]() |
ウィリアムズ-フォード | 詳細 |
1982 | 9月25日 | 16 | シーザーズ・パレス | ![]() |
ティレル-フォード | 詳細 |
1983 - 2022 |
開催されず | |||||
2023 | 11月18日 | 22 | ラスベガス | ![]() |
レッドブル-ホンダ・RBPT | 詳細 |
出典: [29][30] |
ラスベガスGPの開催サーキット[編集]
マイアミグランプリ[編集]
マイアミ・インターナショナル・オートドローム | |
![]() | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 57[31] |
コース長 | 5.412[31] km (3.363 mi) |
レース長 | 308.326[31] km (191.585 mi) |
開催回数 | 2 |
初回 | 2022年 |
最多勝利 (ドライバー) |
![]() |
最多勝利 (コンストラクター) |
![]() |
最新開催(2023年): | |
ポールポジション |
![]() レッドブル-ホンダ・RBPT 1:26.841 |
決勝順位 |
1. ![]() レッドブル-ホンダ・RBPT 1:27:38.241 2. ![]() レッドブル-ホンダ・RBPT +5.384s 3. ![]() アストンマーティン・アラムコ-メルセデス +26.305s |
ファステストラップ |
![]() レッドブル-ホンダ・RBPT 1:29.708 |
2019年よりフロリダ州マイアミでアメリカにて2つ目のグランプリを開催する計画がマイアミ市から承認されたが[32]、地元住民は道路閉鎖や騒音を理由に反対しており[33]、20年間の開催契約をまとめることにも難航したため[34]、2019年の開催を断念し2020年からの開催を目指すことになった[35]。その後、開催地を従来のビスケーン湾周辺からNFLマイアミ・ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアム周辺に変更し、同チームのオーナーを務めるスティーブン・ロスが率いるコンソーシアムとリバティメディアとの交渉が進み、政治的支援やマイアミ市議会の承認が必要ではあるが、2021年からの開催に原則合意した[36]。ところが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行によってこの計画の破棄はされていないもの、感染症の解決のめどが立つまで計画は凍結することが決定した[37]。
2021年4月18日、2022年シーズンからマイアミグランプリを開催すると正式発表した[38]。これにより、1984年以来38年ぶりにアメリカ国内での複数レース開催が復活することになった。契約期間は2031年までの10年間[39]。
マイアミGPの結果[編集]
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
2022 | 5月8日 | 5 | マイアミ | ![]() |
レッドブル-RBPT | 詳細 |
2023 | 5月7日 | 5 | マイアミ | ![]() |
レッドブル-ホンダ・RBPT | 詳細 |
インディ500[編集]
F1世界選手権初年度の1950年から選手権レースの一戦に組み込まれたが、「世界選手権」を名乗るためにはヨーロッパ以外のレースを入れたいというFIAの思惑があったためであり、形式的なものに過ぎなかった。当時のインディ500のエンジン排気量は最大4.5LとF1の自然吸気エンジンと同じ[注 5]で、選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、インディ500と他のF1GPに参戦するドライバーはほとんどなく[注 6]、1959年からアメリカGPが選手権レースの一戦となったことから、1960年をもって選手権レースから除外された[40][41]。
ニュージャージーグランプリ(開催構想)[編集]
2012年からオースティンでアメリカGPが再開された一方、2013年からはニュージャージー州でもう1つのグランプリが開催される予定とされ、2011年10月25日に同州知事が開催を発表した。ハドソン川を挟んでニューヨーク・マンハッタンの対岸に位置するウィーホーケンとウェストニューヨークにまたがる市街地を使用する[42]としていたが、サーキット建設の認可手続きが間に合わず、実際の開催は2016年からにずれ込む見込みとされていた[43]ものの、2016年度はまたしても開催が見送られた。名称はニュージャージーグランプリとなる予定らしいが、2015年度のアメリカグランプリの開催料金の延滞が報道されるなど、ポート・インペリアル市街地コースへの移転は遅々として進んでいない[注 7]。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ a b c d F1世界選手権として開催されたレースのみ対象。
- ^ これより前に同年のイタリアGPに参加したが、両国の時差を用いてアメリカのレースを掛け持ちしていたため、イタリアGPの主催者が「世界選手権イベントの決勝前24時間以内に他のレースに出場してはならない」というルールに抵触したことから、決勝に出走できなかった。このため厳密には2戦目の参加となるが、初めてレースをスタートしたのはこのアメリカGPとなる。
- ^ a b アメリカン・グランド・プライズ時代の1910年を除く。
- ^ 翌1983年から当時アメリカ国内におけるフォーミュラカー選手権であったCARTの1戦として開催されたが、こちらも2年で打ち切りとなっている。
- ^ F1の自然吸気エンジンの最大排気量が4.5Lだったのは1951年までだった。
- ^ 当時の数少ない例として、1952年にアルベルト・アスカリがスイスGPを欠場してインディ500に参加したことがある。F1ドライバーがインディ500に参加する機会が増えるのは、1960年代に入ってからである。
- ^ リバティメディアがF1を買収する2017年までは一国一開催が原則だったので、ポート・インペリアル市街地コースが採用された場合はサーキット・オブ・ジ・アメリカズが撤収しなければならなかった。
出典[編集]
- ^ a b c “United States Grand Prix 2022 - F1 Race”. 2022年10月18日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA”. STATS F1. 2022年10月24日閲覧。
- ^ a b “Grands Prix USA (Win Drivers)”. STATS F1. 2022年10月24日閲覧。
- ^ a b “Grands Prix USA (Win Constructors)”. STATS F1. 2022年10月24日閲覧。
- ^ アメリカGP、2012年の復活が決定。テキサス州オースティンに新サーキット建設へ - as-web.jp・2010年5月26日
- ^ F1アメリカGP、オースティンのサーキットレイアウトを公開 - F1-Gate.com・2010年9月1日
- ^ オースティン、F1サーキット建設費用は2億ドル - F1-Gate.com・2010年8月7日
- ^ F1アメリカGP主催者、オースティンの開催地と支援者を明かす - F1-Gate.com・2010年7月28日
- ^ アメリカGP復活に高まる不安 - ESPN F1・2010年5月27日
- ^ F1アメリカGPのプロモーター、2013年に開催延期の可能性も認める - F1-Gate.com・2010年7月16日
- ^ “COTAでのF1アメリカGP、2026年まで開催契約延長。年々加熱する米国でのF1人気”. motorsport.com (2022年2月19日). 2022年10月18日閲覧。
- ^ “F1、南北アメリカ大陸での今季レース開催を断念”. ESPN F1 (2020年7月25日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月26日閲覧。
- ^ “フェルスタッペン、史上最多タイのシーズン13勝目「この勝利を、亡くなったマテシッツに捧げる」”. motorsport.com (2022年10月24日). 2022年10月24日閲覧。
- ^ “亡き総帥に捧ぐ勝利の杯。レッドブル代表、悲願のF1チームタイトル獲得に「きっと雲の上から楽しんでくれたはず」”. motorsport.com (2022年10月24日). 2022年10月24日閲覧。
- ^ “車載映像:角田裕毅、キャリア初「栄光」のF1ファステストラップ”. Formula1-Data (2023年10月23日). 2023年10月24日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA (Wins)”. STATS F1. 2022年10月24日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA (Win Engines)”. STATS F1. 2020年10月24日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA East”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA East”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA East”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA East (Wins)”. STATS F1. 2022年10月18日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA West”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA West”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA West”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA West (Wins)”. STATS F1. 2022年10月18日閲覧。
- ^ a b c “Las Vegas Strip Circuit”. formula1.com. 2023年11月19日閲覧。
- ^ “今週末、41年ぶりにラスベガスGPが復活。かつてシーザーズパレスを舞台に開催されていたグランプリは、単調なコースレイアウトで不評だった?”. motorsport.com (2023年11月13日). 2023年11月14日閲覧。
- ^ “2023年よりF1ラスベガスGPの開催が決定、土曜日にナイトレースを実施へ。アメリカで3つ目のグランプリに”. autosport web (2022年4月2日). 2022年5月14日閲覧。
- ^ “Grands Prix Caesars Palace (Wins)”. STATS F1. 2023年11月19日閲覧。
- ^ “Grands Prix Las Vegas (Wins)”. STATS F1. 2023年11月19日閲覧。
- ^ a b c “Miami Grand Prix 2022 - F1 Race”. formula1.com Miami Grand Prix 2022 - F1 Race. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “【F1】 マイアミ、2019年のF1開催計画を承認…日本GPの継続に影響?”. F1-Gate.com. (2018年5月11日) 2018年7月24日閲覧。
- ^ “【F1】 2019年のF1カレンダー確定はマイアミの進捗次第”. F1-Gate.com. (2018年7月13日) 2018年7月24日閲覧。
- ^ “F1マイアミGP、20年間のF1開催契約を締結へ”. F1-Gate.com. (2018年7月18日) 2018年7月24日閲覧。
- ^ “F1マイアミGP、2019年のレース開催を断念”. F1-Gate.com. (2018年7月24日) 2018年7月24日閲覧。
- ^ “F1とハードロック・スタジアムが原則合意”. ESPN F1. (2019年10月16日). オリジナルの2020年8月4日時点におけるアーカイブ。 2019年10月23日閲覧。
- ^ “マイアミGP開催計画は未だ進行中。しかし新型コロナの”見通し”が立つまで保留”. motorsport.com (2020年11月9日). 2021年1月3日閲覧。
- ^ “2022年、マイアミGPがカレンダー入りへ”. bellagara.com. Bella Gara (2021年4月18日). 2022年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月19日閲覧。
- ^ “F1マイアミGPが2022年に開催へ。10年契約が正式発表”. autosport web (2021年4月18日). 2022年5月14日閲覧。
- ^ 林信次(GIRO)「F1全史 1950-1955 [F1世界GPの夜明け/メルセデス無敗神話](2000年、ニューズ出版(現・三栄)) P.17。
- ^ 林信次(GIRO)「F1全史 1956-1960 [ファンジオの覇権/ミッドシップ革命](1999年、ニューズ出版(現・三栄)) P.83。
- ^ “ニュージャージー、2013年からのF1開催を発表”. F1-Gate.com. (2011年10月26日) 2011年10月26日閲覧。
- ^ ニュージャージーGP、来季開催はキャンセルか - オートスポーツ・2012年10月18日