アメリカ西グランプリ
ロングビーチ市街地コース (1983) | |
![]() | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 75 |
コース長 | 3.275 km (2.035 mi) |
レース長 | 245.625 km (152.620 mi) |
開催回数 | 8[1] |
初回 | 1976年 |
最終開催 | 1983年 |
最多勝利 (ドライバー) | 複数回優勝者なし[2] |
最多勝利 (コンストラクター) |
![]() |
最新開催(1983年): | |
ポールポジション |
![]() フェラーリ 1:26.117 |
決勝順位 |
1. ![]() マクラーレン-フォード 1:53:34.889 2. ![]() マクラーレン-フォード +27.993s 3. ![]() フェラーリ +73.638s |
ファステストラップ |
![]() マクラーレン-フォード 1:28.330 |
アメリカ西グランプリ(アメリカにしグランプリ、アメリカ西GP、米: United States Grand Prix West)は、1976年から1983年までアメリカ合衆国・カリフォルニア州ロングビーチに特設されるロングビーチ市街地コースで開催されていたF1世界選手権レース。
概要
[編集]
モータースポーツ愛好家から旅行代理店に転身したクリス・プーク(Chris Pook)は、ロングビーチを「西海岸のモンテカルロ」にするため、ダウンタウンでのレースの開催許可を市に求め、1975年にフォーミュラ5000による「ロングビーチグランプリ」の開催にこぎつけた。プークはより高い目標を掲げ、翌1976年からF1世界選手権の一戦として開催されることになったが[4]、アメリカ国内では既にワトキンズ・グレンでアメリカグランプリが開催されていたため、「アメリカ西グランプリ」と名付けられ[注 1]、アメリカ国内での複数開催が実現した[注 2]。
F1での開催2年目となる1977年は母国出身のマリオ・アンドレッティが優勝し、ロングビーチの名を確固たるものにした[4]。1980年からはトヨタが冠スポンサーに付き、以後の正式名称は「トヨタ・グランプリ・オブ・ロングビーチ(Toyota Grand Prix of Long Beach)」と呼ばれるようになった[4][注 3]。しかし、興行的には成功せず、1983年をもってF1「アメリカ西グランプリ」としての開催を終了し、翌1984年からは国内フォーミュラカーレースのCARTインディカー・ワールド・シリーズの一戦[注 4]として、前記した正式名称の「トヨタ・グランプリ・オブ・ロングビーチ(現:アキュラ・グランプリ・オブ・ロングビーチ)[注 3]」や通称の「ロングビーチグランプリ」として開催されている[6][7]。
主な出来事
[編集]- 1980年 - エンサインのクレイ・レガツォーニがブレーキ故障によりクラッシュし、下半身不随となる怪我を負った。
- 1983年 - 予選では20番手以下に沈んだマクラーレン勢が、決勝で1-2フィニッシュを果たした。22番手スタートから優勝したジョン・ワトソンは、最も後方のグリッドから優勝した記録を作り[8][9]、2024年終了時点でも歴代1位である[10]。
結果
[編集]年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1976 | 3月28日 | 3 | ロングビーチ | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1977 | 4月 | 3日4 | ロングビーチ | ![]() |
ロータス-フォード | 詳細 |
1978 | 4月 | 2日4 | ロングビーチ | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1979 | 4月 | 8日4 | ロングビーチ | ![]() |
フェラーリ | 詳細 |
1980 | 3月30日 | 4 | ロングビーチ | ![]() |
ブラバム-フォード | 詳細 |
1981 | 3月15日 | 1 | ロングビーチ | ![]() |
ウィリアムズ-フォード | 詳細 |
1982 | 4月 | 4日3 | ロングビーチ | ![]() |
マクラーレン-フォード | 詳細 |
1983 | 3月27日 | 2 | ロングビーチ | ![]() |
マクラーレン-フォード | 詳細 |
出典: [11] |
開催サーキット
[編集]-
ロングビーチ(1976-1977)
-
ロングビーチ (1978–1981)
-
ロングビーチ (1982)
-
ロングビーチ (1983)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ これに伴い、文献によっては従来のアメリカグランプリを「アメリカ東グランプリ」と呼ぶこともある。
- ^ 以後、1984年まで複数開催(1982年は3戦)が続き、2022年以降は再び複数開催(2023年以降は3戦)が実現している。
- ^ a b トヨタとのタイトルスポンサー契約は2018年まで39年間続き、2019年以降はホンダの北米向け高級車ブランド「アキュラ」がタイトルスポンサーに就任し、名称も「アキュラ・グランプリ・オブ・ロングビーチ(Acura Grand Prix of Long Beach)」に変更されている[5]。
- ^ 同シリーズは名称を変えながら2008年に終了し、2009年からインディカー・シリーズの一戦となっている。
出典
[編集]- ^ “Grands Prix USA West”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA West”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA West”. STATS F1. 2022年5月7日閲覧。
- ^ a b c “Long Beach” (英語). racingcircuits.info. 2025年2月11日閲覧。
- ^ “インディカーとIMSA併催の第45回ロングビーチGP、アキュラが冠スポンサーに就任”. autosport web (2019年2月6日). 2025年2月11日閲覧。
- ^ Miller, Robin (1994年4月18日). “Pook's innovative work made Long Beach a top road course (Part 1)”. The Indianapolis Star: p. 11 2017年4月9日閲覧。
- ^ Miller, Robin (1994年4月18日). “Pook's innovative work made Long Beach a top road course (Part 2)”. The Indianapolis Star: p. 12 2017年4月9日閲覧。
- ^ “F1史上最高の逆転劇は、どのようにして起こったのか:1983年アメリカ西GP〜前編〜”. motorsport.com (2020年4月4日). 2025年2月11日閲覧。
- ^ “F1史上最高の逆転劇は、どのようにして起こったのか:1983年アメリカ西GP〜後編〜”. motorsport.com (2020年4月5日). 2025年2月11日閲覧。
- ^ “F1大逆転劇列伝:フェルスタッペンまさかの17番グリッドから大逆転勝利。しかし上には上がいる”. motorsport.com (2024年11月4日). 2025年2月11日閲覧。
- ^ “Grands Prix USA West (Wins)”. STATS F1. 2022年10月18日閲覧。