サンアントニオ・スパーズ

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サンアントニオ・スパーズ
San Antonio Spurs
呼称/略称 スパーズ  SAS 
チームロゴ SAN ANTONIO
SPURS
"U"の下に拍車の絵。
所属リーグ  NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス  ウェスタン・カンファレンス 
ディビジョン  サウスウェスト 
創設 1967年(ABA)/1976年NBA加盟
チーム史

1967-70 ダラス・チャパラルズ
1970-71 テキサス・チャパラルズ
1971-76 ダラス・チャパラルズ

1973- サンアントニオ・スパーズ
本拠地
サンアントニオ・スパーズの位置(アメリカ合衆国内)
サンアントニオ・スパーズ

テキサス州の旗 テキサス州サンアントニオ
アリーナ AT&Tセンター/開設2002年
収容人数 18,581人
チームカラー             
オーナー ピーター・ホルト
社長 グレッグ・ポポヴィッチ
GM R・C・ビュフォード
ヘッドコーチ グレッグ・ポポヴィッチ
優勝歴 5回NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png
1999, 2003, 2005, 2007, 2014
ファイナル進出 6回
1999, 2003, 2005, 2007, 2013, 2014
ディビジョン優勝 21回
1978, 1979, 1981, 1982, 1983, 1990, 1991, 1995, 1996, 1999, 2001, 2002, 2004, 2005, 2007, 2008, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2016
永久欠番

 00    6    12   13   32   44  

 50 
NBADL提携チーム オースティン・スパーズ
公式サイト http://www.nba.com/spurs/
ユニフォーム
Kit body saspursh.png
Homeジャージ
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チームカラー
Home
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Awayジャージ
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チームカラー
Away
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Alternateジャージ
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チームカラー
Alternate
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サンアントニオ・スパーズSan Antonio Spurs)は、アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオに本拠を置くプロバスケットボールチーム。チーム名のspurとはカウボーイがブーツの踵に付ける小さな鉄製拍車のこと。NBA(National Basketball Association)のウェスタン・カンファレンスサウスウェスト・ディビジョン所属。AT&Tセンターがホームコート。ABAの消滅とともにNBAに加入した4チームの内の一つで、唯一NBAチャンピオンを獲得している。ボストン・セルティックスの17回、ロサンゼルス・レイカーズの16回、シカゴ・ブルズの6回に次ぐ5回の優勝を達成している。現在、既存のすべてのフランチャイズに対し勝ち越しており[1]、NBAに於ける通算最高勝率を維持している[2]。 NBAに加入した1976–1977シーズンから通算38シーズンで、プレーオフ進出を逃したのは僅か4シーズンのみで、20回のディビジョンタイトルを勝ち得ている。1997年にティム・ダンカンが入団して以来、19シーズン連続でプレーオフに進出している。17シーズン連続で50勝以上を挙げており、ロックアウトで短縮されたシーズンに於いても50勝以上に相当する勝率を挙げており、これらを含めると19シーズン連続となるシーズン50勝以上に相当する勝率を維持し続けている。レギュラーシーズンのフランチャイズ記録は2015-16シーズンの67勝15敗で、このシーズンのホームコート41勝1敗はNBA記録である。

AT&Tセンターのスパーズホームコート

目次

サンアントニオにおけるスパーズ[編集]

"サンアントニオの名所旧跡"
  • サンアントニオ地区には、メジャースポーツのチームはスパーズしかなく、現役のスパーズの選手の多くや、引退した選手でもデビッド・ロビンソンジョージ・ガービンなどは今でもこの地域に住んでいる。チームでは子供たちを対象に奉仕活動を学ぶプログラム「チームアップ・チャレンジ」[3]を主催しており、選手、スタッフも行事に参加している。
  • サンアントニオ市は「米国のヴェニス」と呼ばれることがある。市街に設けられたリバー・ウォークの存在にちなんでおり、チャンピオンを勝ち取った年にスパーズが河川を船でパレードすることでも知られている。
  • テキサス独立戦争の勝敗を決定付けたとされる1836年のアラモの戦いの舞台となった史跡のアラモ砦(The Alamo)があり、ホームゲームTV放映時に映像が入ることもある。
  • スパーズはアラモドームを利用していた時期にNBAの観客動員数記録を作っており、1999年のNBAファイナルではファイナルの入場者数新記録を樹立した。現在はアラモドームよりも狭いAT&Tセンターをホームコートにしている。ホームでの応援は、"GO!SPURS GO!"。
  • 毎年二月、AT&Tセンターで大規模な家畜の品評会が開催される。同時に開催される、ロデオ大会も恒例の催しなので二月になると、スパーズはホームコートを明け渡し「ロデオ・ロード・トリップ」と呼ばれる通常9試合の長期ロードゲームの旅に出る。この期間の勝敗がシーズンのチームの強さを測る目安にもなり、注目される。地元スパーズラジオのアナウンサーが歌うロデオロードトリップの歌、8,900mile(総移動距離)もある[4]

歴史[編集]

初期ABA時代[編集]

  • 現在のサンアントニオ・スパーズの原型となったチームは、1967年にNBAに対抗する形で発足したプロバスケットボールリーグABA創設と同時にリーグに加盟した11チームの内の1つ、ダラス・チャパラルズだった。チーム名のチャパラルはアメリカの野鳥ロードランナーの別名で、ウェスタン・ディビジョンに所属し、チームカラーは赤、白、青だった。初代のヘッドコーチは選手を兼任したクリフ・ヘイガンであった。60年代に観客動員数が伸び悩んだため、チャパラルズは1970-71シーズンにホーム戦をテキサス州内の数ヶ所、フォートワースタラントラボック等で行ない、このシーズンのみテキサス・チャパラルズという名称を使ったが失敗に終わり、再びダラスに本拠地を移し、ダラス・チャパラルズに戻った。
  • 1973年にはサンアントニオの実業家に買い取られて同地に移転、チーム名を今日のサンアントニオ・スパーズと改めた。チームカラーも赤、白、黒だったものを銀、黒、白に変更した。*ABA時代のスパーズは成績の悪いシーズンは30勝以下、最も成績の良いシーズンで51勝33敗で優勝経験はなく、中堅程度の存在だった。この時期に、後に著名なNBAヘッドコーチとなるジョージ・カールが、ポイントガードプレーヤーとして所属していた。
チーム名の元になったスパー

NBA加盟[編集]

アイスマンの時代[編集]

  • リーグ移行の時期を挟むスパーズ初期のスター選手は、1974年バージニア・スクワイアーズから獲得したジョージ・ガービンだった。ガービンはプロデビュー後2年目から引退する前のシーズンまで連続で両リーグのオールスター戦に出場、NBAにチームが移ってから3シーズン連続を含め4度得点王となり、チームを牽引した。冷静沈着で、感情を表に出さず、闘志を内面に秘めて黙々とプレーをするため、「アイスマン」のニックネームで呼ばれ、相手チームに恐れられた。後に殿堂入りを果たすと共に、背番号44はスパーズの永久欠番となった。
  • ガービンの全盛期だった1980年代前半までにスパーズはリーグ加盟後7シーズン中、5度の地区優勝を果たした。
1986年ウィリー・アンダーソンのジャージー

低迷期[編集]

1984-85シーズン後にガービンがシカゴ・ブルズに移籍した後は地区でも最下位になるなど低迷の時代となった。続く4シーズン(1988-89シーズンまで)の成績は115勝215敗となった。

 1988-89シーズン は、ヘッドコーチに、1988年にカンザス大学をNCAAチャンピオンに導いたラリー・ブラウンが就任し、後のヘッドコーチグレッグ・ポポヴィッチがブラウンにアシスタント・コーチとして招かれ、NBAでのキャリアをスタートさせた。当時、核となる選手が1986年にNBA最優秀守備選手賞に選ばれたアルヴィン・ロバートソンぐらいで、低迷していたスパーズは21勝61敗でシリーズを終えた。この年のチャンピオン、デトロイト・ピストンズは、アイザイア・トーマスビル・レインビアらのバッドボーイズが揃い、激しいディフェンス、ラフプレイお構いなしの凶暴なチームで、NBAの侵略者と自らを称し、最も嫌われた所謂ヒールチームであった。このチームは次シーズン連覇を果たしており、只の荒くれチームでは無いことを証明している。

アドミラル(提督)の時代[編集]

1988年オリンピック代表のロビンソン

この状況が変わるのは、1987年にドラフト1位で指名された海軍兵学校デビッド・ロビンソンが卒業後2年間海軍で兵役に就いた後1989年よりチームに加わってからだった。ロビンソンは海軍で軍役に就いていたため、提督(The Admiral)のニックネームでも呼ばれることになる。ブラウン体制の2年目の1989-90シーズンには大きく躍進し、ブラウンとポポヴィッチは見事にチームの再建を果たすこととなる。

 1989-90シーズン は、待ち望まれていたデビッド・ロビンソンがスパーズに合流し同じ年にドラフト全体3位で指名されたショーン・エリオットテリー・カミングスの加入によってチームは盛り返し、前年に35勝上乗せした56勝26敗でシーズンを終えた。この年はクライド・ドレクスラーが主力となりウェスタンカンファレンスを制してファイナルに進出したポートランド・トレイルブレイザーズにカンファレンス準決勝で3勝4敗の末敗れた。ロビンソンは新人のセンターとして1試合平均24.3得点、12.0リバウンドをマーク、新人王を獲得した[5]

 1990-91シーズン は、55勝27敗でディビジョンを制してプレイオフに進出したが、1回戦でゴールデンステイト・ウォーリヤーズに1勝3敗で敗れた。このシーズンは、優勝を果たしたシカゴ・ブルズマイケル・ジョーダンの時代が始まったシーズンであった。

 1991-92シーズン は、47勝35敗と昨シーズンより成績を落とし、ディビジョンの覇権をジャズに奪われ2位となり第5シードでプレイオフに進出したが、プレイオフ1回戦でサンズにスィープされチームは、ラリー・ブラウンを1991-92シーズン終盤に解雇した。このシーズンは開幕直前にマジック・ジョンソンの引退がありウエスタンの勢力図が塗り替わったシーズンでもあった。もう一つの大きな出来事として、バルセロナ五輪代表のかつてない豪華な陣容である「ドリームチーム」結成があった。スパーズからはデビッド・ロビンソンが参加し、NBAの国際的な人気を決定付けると共に、バスケットボールブームを巻き起こした。

 1992-93シーズン 、ラリー・ブラウンの解雇に伴いポポヴィッチがゴールデンステート・ウォリアーズに移り、こちらも名将の誉れ高いドン・ネルソンのもとでアシスタントコーチとなった。スパーズはカレッジのUNLVのヘッドコーチだったジェリー・ターカニアンと契約したが、序盤の20試合を9勝11敗となったところで解雇した。その後は1試合をおいて、ジョン・ルーカスが引き継ぎ残りシーズンを49勝33敗まで持ち直したものの、このシーズンはディビジョンの覇権をロケッツに奪われ、第5シードでプレイオフに進出、一回戦はブレーザーズを破ったが、またしても、チャールズ・バークレーの活躍で ファイナルに進出したフェニックス・サンズに敗れた。そのサンズもシカゴ・ブルズマイケル・ジョーダンの前には、力尽き3連覇を許している。スパーズはシーズン終了後に現在のオーナーグループがチームを購入し、新しく建設されたアラモドームに本拠地を移した。

 1993-94シーズン は、オフシーズンにショーン・エリオットとのトレードでデニス・ロッドマンを迎えて55勝27敗を記録したが、プレイオフ1回戦で、ジョン・ストックトンカール・マローンの強力コンビを擁するユタ・ジャズに完敗し、ルーカスヘッドコーチはすぐに解雇された。

ポポビッチの始動[編集]

 1994-95シーズン に、ポポヴィッチが、スパーズのゼネラル・マネージャーに就任する。ポポヴィッチに求められたものはラリー・ブラウンの退任後、成長が横ばい状態にあるスパーズを優勝できるチームにすることだった。スパーズは新たにボブ・ヒルをヘッドコーチに迎え、さらにポポヴィッチがウォリアーズのアシスタントコーチをしていた頃から目を付けていたポイントガードのエイブリー・ジョンソンと契約。また、ショーン・エリオットが復帰して、これまでのチーム最高記録の62勝20敗を記録して、ロビンソンもシーズンMVPを受賞した。しかし、カンファレンス決勝でアキーム・オラジュワンヒューストン・ロケッツに敗れてまたしてもファイナル進出はならなかった。シーズン中、そしてプレイオフでたびたび問題を起こしたロッドマンをこのシーズンでシカゴ・ブルズに殆ど無償で放出した。

 1995-96シーズン は59勝23敗でレギュラーシーズンを終え、カンファレンス準決勝まで進んだが、2シーズン前と同じく、ストックトン、マローンのユタ・ジャズに敗れた。この時点で誰も翌年の不調を予測するものはいなかった。

 1996-97シーズン 、ロビンソンが背中を痛め、開幕から18試合を欠場し、6試合続けてプレイしただけで左足小指の中足骨を骨折した。手術は無事成功したものの、その後残り試合すべて出場できなかったこともあり、スパーズはチーム史上最低の20勝62敗と一気に凋落した。これはリーグで下から3番目の成績だった。ヒルヘッドコーチは18試合を3勝15敗で終わったところで解雇され、その後をGMであったグレッグ・ポポヴィッチが自ら引き継いだ。しかしこの成績がオフシーズンに幸運をもたらすこととなった。

ビッグ・ファンダメンタルの時代[編集]

ツインタワーの君臨[編集]

2005年ピストンズ戦でのティム・ダンカン

1997年のドラフト全体1位指名権を獲得、ウェイクフォレスト大学でオールアメリカンとなったティム・ダンカンを獲得した。

 1997-98シーズン 、大学時代はセンターだったダンカンはパワーフォワードとして、ロビンソンとともに「ツインタワー」を形成した。ダンカンは1試合平均21.1得点、11.9リバウンドを記録して、新人ながらオールNBAファーストチームにも選ばれて新人王を獲得した[6]

NBA FINAL CHAMP.png 1998-99シーズン は、開幕前に経験豊富なベテランのマリオ・エリージェローム・カーシーを獲得し、ロックアウトで短縮されたシーズンをリーグ首位タイの37勝13敗で締め、プレイオフではウェスタンカンファレンスを11勝1敗の新記録で制覇して、NBAファイナルに初めて出場しニューヨーク・ニックス(イースタンカンファレンス第8シード)を4勝1敗で破り優勝した。ファイナルのMVPはダンカンが獲得した[7]。スパーズはABAから参加したチームの中で最初のNBAファイナルを制覇したチームとなった。(ファイナル出場も初であった。)

 1999-2000シーズン は、主力選手は皆30代半ばに入っており、チーム全体に疲弊が見られ、53勝29敗とチャンピオンチームとしてはやや物足りない成績に終わった。また、前シーズンが通常の82試合を戦い抜いた上での優勝ではないため「本物の優勝ではない」という声が周囲からあがっており、連覇の期待が掛かったが、ダンカンがレギュラーシーズン終盤で負った怪我が回復せず、プレーオフ全休という緊急事態に陥ったチャンピオンチーム、スパーズは、1回戦でフェニックス・サンズと対決。サンズもまたジェイソン・キッド不在という不幸に見舞われていたが、サンズはかつての先発ポイントガードケビン・ジョンソンに現役復帰を依頼し、ジョンソンはこれを受諾。サンズは3勝1敗で上位シードのスパーズを破るというアップセットを果たした。チャンピオンチームがファイナル連覇を果たせなかったのは、1986-87シーズン以来のことであった。

グレッグ・ポポビッチ

 2000-01シーズン は、58勝24敗を記録しプレーオフでは、ミネソタ・ティンバーウルブズダラス・マーベリックスをそれぞれ1敗しただけで退け、カンファレンスファイナルに進んだが、このシーズンNBAチャンピオンとなったフィル・ジャクソン率いるロサンゼルス・レイカーズに、コービー・ブライアントシャキール・オニールの活躍で、4連敗スイープで敗れた。

 2001-02シーズン は、トニー・パーカーが入団し、ポイントガードのスターターに定着し、オールルーキーファーストチームに選ばれる活躍を見せ、デビッド・ロビンソンが衰えを見せ始めたものの、ダンカンとのツイン・タワーは健在で、昨年同様58勝24敗を記録しディビジョン首位となった。プレーオフは、1回戦のスーパーソニックス戦で、第4戦をダンカンが身内の不幸で欠場したこともあり、ウエスタン1回戦では唯一第5戦まで縺れ、接戦の末、勝利したが、カンファレンス準決勝は、前季カンファレンス決勝の同カードとなったレイカーズとの対戦となり、故障でロビンソンを欠いたこともあり、昨シーズンに続きレイカーズに屈して、カンファレンス決勝に駒を進めることはできなかった。

ビッグスリーの幕開け[編集]

NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 2002-03シーズン は開幕前にロビンソンがシーズン終了後の引退を表明、本拠地もアラモドームからSBCセンター(現AT&Tセンター)に移した。2年目のトニー・パーカー、新加入のエマヌエル・ジノビリスティーブン・ジャクソンダニー・フェリーブルース・ボウエンスティーブ・カースティーブ・スミスなど多くのシューターが前回優勝時のメンバーに代わって活躍した。インサイドのダンカンとロビンソンに加えて外からのシュート力も武器となって60勝22敗でプレイオフに進出、プレーオフではカンファレンス準決勝で仇敵レイカーズを破ると、カンファレンス決勝ではポポビッチの元上司であるドン・ネルソン率いるノビツキーフィンリーナッシュダラス・マーベリックスを退け、4シーズンぶりにファイナルに進出。司令塔ジェイソン・キッドに牽引され2年連続ファイナル進出のニュージャージー・ネッツを4勝2敗で降し、ポポヴィッチ指揮の下2度目の優勝を遂げた。「ロックアウトの短縮シーズンでたまたま優勝しただけのチーム」という悪評を見事に覆し黄金時代を築いていく。

2003年ホワイトハウスでジョージ・ブッシュ

 2003-04シーズン は、レギュラーシーズンを7割近い勝率で乗り切り、プレーオフへ進んだ。1st.ラウンドはグリズリーズを難なくスイープで下したが、カンファレンス準決勝でシャックコービーの時代最後のシーズンとなり、何としてもチャンピオンリングを取りたいベテランのカール・マローンゲイリー・ペイトンと大物二人を加え「史上最強のチーム」とも呼ばれたロサンゼルス・レイカーズと対戦し、2勝0敗とリードしたものの、その後4連敗を喫して敗れた。この敗北でチームは大幅な改造をすることとなり、ブレント・バリーナジー・モハメドグレン・ロビンソンを獲得した。このシーズンから、基本に忠実ではあるが、圧倒的な支配力を見せるプレースタイルからビッグ・ファンダメンタル(The Big Fundamental)の愛称を得たティム・ダンカンを中心としたチーム構築が始まる。

NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 2004-05シーズン は、新球団の新設に伴いリーグが再編成され、2カンファレンス4デビジョン制から2カンファレンス6ディヴィジョン制となり、スパーズはミッドウエスト・デビジョンから現在の、サウスウエスト・デビジョン所属となり開幕した。4年目パーカーが平均16.6得点、3年目のジノビリが平均16.0得点と、ダンカンの平均20.3得点に加わり、チームの主力としてビッグスリー誕生のシーズンと言える。大黒柱のティム・ダンカンとパーカー、ジノビリに牽引されたチームは、ウェスタンカンファレンス2位の59勝23敗でプレイオフに進出した。デンバー・ナゲッツシアトル・スーパーソニックススティーブ・ナッシュの活躍で一躍優勝候補に躍り出たフェニックス・サンズを下し、NBAファイナルへと進んだ。イースタン・カンファレンスを制して、2連覇に挑んだデトロイト・ピストンズを接戦の末4勝3敗で破り、2年ぶりの王座奪還、3度目の優勝を果たした。ファイナルMVPには大黒柱のティム・ダンカン(プレーオフ平均23.6得点、12.4リバウンド、2.7アシスト、2.3ブロック)が選ばれた。

 2005-06シーズン は、オフに獲得したベテラン、マイケル・フィンリーの活躍や、パーカーが、苦手だったロングレンジからのシュートを封印し、得意のペネトレイトからの得点に、より磨きをかけ、フィールドゴール成功率が急上昇し、PGとしては異例の54.8%を記録したことで、故障を抱え不調だったダンカン、ジノビリに代わりチームのリーディングスコアラーとして活躍し、スパーズはチーム記録となる63勝19敗の成績を残した。ウェスタンカンファレンス第1シードでプレイオフに臨み、一回戦ではキングスを危なげなく下し、カンファレンス準決勝で、かつてスパーズに所属し、ポポビッチの下で優勝を経験したエイブリー・ジョンソンがヘッドコーチのダラス・マーベリックスとの対決となった。このライバル対決は白熱したものとなり、ノヴィツキーとダンカンのエース対決も大いに盛り上がった。最終戦までもつれ、迎えた第7戦、試合終盤でスパーズは3点リードしていた。しかしノヴィツキーが巨体を躍らせながらゴール下に切み執念のダンクを決め、さらにジノビリからファウルを引き出し、ボーナススローも決めた。土壇場で追い付かれたスパーズは、オーバータイムで力尽きシーズンを終えた。

ビッグスリーの時代[編集]

NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 2006-07シーズン は、ジノビリがシックスマンへと移向。スターター級のジノビリがベンチに控えることは相手チームにとっては脅威となり、「行き詰った試合の流れを変える」というシックスマンの仕事はうってつけであった。地味ではあるがファブリシオ・オベルトマット・ボナーの加入も効果が現れ、7割以上の勝率でプレーオフに進出した。また、このシーズンで、10年間続けて50勝以上に相当する戦績(勝率61%以上)でプレーオフに進出した。1回戦のデンバー・ナゲッツとのシリーズ第5戦ではジノビリに替わりスターターとなったマイケル・フィンリースリーポイント9本のうち8本を決めるなど活躍。ナゲッツ、サンズ、ジャズを次々と下し、ウェスタンカンファレンス優勝を勝ち取った。ファイナルでは、レブロン・ジェームズ率いるイースタンカンファレンス優勝のクリーブランド・キャバリアーズを、02年のロサンゼルス・レイカーズ以来の四戦全勝で退け、2年ぶりの王座に返り咲いた。ファイナルでは、レブロン・ジェームズに、強固なディフェンダーであるブルース・ボーエンをマッチアップし、フィールドゴール成功率を35%に抑え込む一方、オフェンスでは、トニー・パーカーが独擅場とも言える働き振りを見せ、平均24.5得点5リバウンド3.3アシスト、フィールドゴール成功率は57%を記録し、ファイナルMVPを受賞した。欧州出身選手としては初受賞となった。これでスパーズは出場した4回のNBAファイナルですべて優勝を成し遂げている。また、4-0、4-1、4-2、4-3と勝利のすべてのケースを経験しており、通算16勝6敗(勝率72.7%)のファイナルに強いチームである。

2007年シーズンのパーカーとダンカン(ロードゲーム)

 2007-08シーズン は、例年通りシーズンでは安定した戦いを見せ56勝をあげ、プレーオフに進み、フェニックス・サンズニューオリンズ・ホーネッツを破り、カンファレンスファイナルへと駒を進めたが、このシーズン、シックスマン賞受賞のジノビリ[8]がプレーオフ一回戦のサンズ戦で左足首を負傷しており、カンファレンス決勝のロサンゼルス・レイカーズ戦ではその怪我の影響で力が出し切れず意外なほどあっさりと敗れ、またしても連覇を逃した。この年のプレーオフ時点でのロースターの平均年齢は32歳を超えており、チームの若返りがオフの課題となったが、主要な補強は、ロジャー・メイソンとの契約、ジョージ・ヒルのドラフトでの加入程度にとどまった。

NBAチャンピオンバナー

 2008-09シーズン は、ジノビリが昨シーズンプレーオフで負傷し、北京オリンピックで、さらに悪化した左足首の関節鏡視下手術を9月に受け、チームは73年以来の開幕3連敗をしてしまう。しかし4戦目のウルブズ戦でパーカーがキャリアハイの55得点10アシストの大活躍で連敗を止めた。その後、ジノビリが右腓骨に疲労反応が出たことの影響などで出場試合は自己最低の44試合に終わり、新加入のロジャー・メイソンが71試合に先発、全試合出場し、キャリア最高の成績(平均11.8得点、3ポイント成功率42.1%)を残し、それを補ったものの、チームの勝利数は、昨年を下回り、ウェスタンカンファレンス第3シードでプレーオフに臨んだ。ここでも右の腓骨疲労骨折で欠場したジノビリ不在が響き、2007-08シーズンに、ベテランPGのジェイソン・キッドを獲得したダラス・マーベリックスに破れ、2000年以来の1回戦敗退となった。
この年あたりから、衰えが見え始めたダンカン一人に頼るスタイルは、終わりを告げざるを得ず、パーカー、ジノビリとのビッグ3に、プラスアルファーを求めて、オフには、主力選手の負担軽減を目指し、主力級のリチャード・ジェファーソンをトレードで獲得した。このシーズンで、50勝以上10年間続けたことになる。

 2009-10シーズン は、ディフェンスの要であるブルース・ボーエンの引退と、リチャード・ジェファーソンが、チームにマッチしきれず、期待した程の活躍ができず、またパーカーが怪我のため出場試合数が56に止まり、平均得点も前年より大きく下げた。パーカーの怪我により大幅に出場時間を増やしたジョージ・ヒルが期待を上回る活躍を見せたが、ダンカン時代を通じて最低の勝率に終わったが、なんとか50勝は確保し、50勝以上のシーズンの継続記録を11年に伸ばした。プレーオフには第7シードで進出し、豪華戦力補強を行ったダラス・マーベリックス戦でジノビリは鼻骨骨折しながらもプレーを続け[9]、スパーズを2回戦へと進めたものの、2回戦で、フェニックス・サンズにあっさりとスィープされシーズンを終えた。

 2010-11シーズン は、ジノビリを中心に据えて[10]パーカー、ダンカンとまさにビッグスリー体制で臨んだ。ダンカンは負担軽減でプレー時間を減らし、平均得点・平均リバウンドも最少に終わったにも関わらず、結果的に61勝21敗と強さを見せつけウェスタンカンファレンス第1シードでプレイオフに突入した。この時点でのチーム状況は、アップテンポで攻撃的な試合展開を見せ、得点力は確実に上がった反面、スパーズの最大の強みである強固なディフェンスに隙が見えることも屡々あり、万全とは言い切れないものであった。ジノビリが、右肘を負傷しプレイオフ初戦を欠場し、次戦からも万全な状態でプレーすることができず、またリチャード・ジェファーソンの不振も響き、1戦目で、メンフィス・グリズリーズにグリズリーズ史上初めてのプレイオフでの勝利を許し、そのままグリズリーズの勢いを止められずに2勝4敗で一回戦敗退した。プレイオフで第1シードチームが8位チームに敗退することは、ファーストラウンドが7試合制になって以降としては史上2度目となる失態であった。中心メンバーがベテラン揃いになり、シーズンでは力を発揮するものの長いシーズン後のプレイオフでは疲労が取れずに力を発揮できないシーズンが多くなってきた事と本来のディフェンス力を取り戻すことが課題として残った。しかし、一方では、ジョージ・ヒルデュワン・ブレアゲイリー・ニールダニー・グリーンなど他チームからさほど注目されなかった好選手を見い出し育てるスパーズの目利きぶりを発揮しつつ、若返りを進めてはいた。

復刻チャパラルズデザインのユニフォームでプレーするジノビリ(2012年)

レナード入団とチーム再構築[編集]

 2011-12シーズン は、順調に成長を遂げてきたジョージ・ヒルの故郷インディアナでの更なる飛躍と、近年不安材料となっていたディフェンス力の立て直しを図るためインディアナ・ペイサーズ2011年ドラフト一巡目指名のカワイ・レナードジョージ・ヒルとのトレードを敢行した[11]。更に、カナダポイントガードコーリー・ジョセフを1巡目指名獲得した。補強ではパーカーの控えとなるポイントガードT.J.フォードと契約した。
1998年以来のロックアウト[12]でレギュラーシーズンは全66試合と短縮された。開幕後ジノビリの利き手左手の骨折と、古傷からT.J.フォード突然の引退などアクシデントはあったものの、ベテラン陣の安定した働きと、スプリッターを筆頭に若手も順調に実力を伸ばし、ルーキーレナードも経験不足ながら期待通りのディフェンス力を発揮し、序盤、中盤を勝率約7割で安定して乗り切った。更にシーズン途中のトレード・デッドライン直前には、総合的な貢献に限界が感じられたリチャード・ジェファーソンのトレードで、2002-2003シーズンチャンピオンメンバーのスティーブン・ジャクソンを獲得し[13]、その後も、T.J.フォード引退[14]により待ち望んでいた、控えポイントガードパトリック・ミルズ[15]、パーカーの旧知であり、リーグ屈指のユーティリティープレーヤーのボリス・ディアウと契約を結んだ。終盤、補強選手がチームにかみ合うと、シーズン途中42勝16敗となった時点で2年連続18度目のサウスウエスト地区優勝を飾り、残り2試合となった時点で48勝16敗でウエスタンカンファレンスのプレーオフ第1シード権を得た。最終的にレギュラーシーズンを50勝16敗で乗り切り、ロックアウトで短縮されたシーズンであったにもかかわらず50勝以上のシーズン継続記録を13年に伸ばした。また、前回のロックアウトシーズンも含め勝率61%以上(50勝以上相当)のシーズンと、プレーオフ進出は、15年連続となった。このシーズンでポポビッチは、11連勝後に、2度にわたりビッグスリーを一度に休ませる策に出て、連勝は伸ばせなくとも、選手全員が、良い体調を維持しプレーオフへ突入する体勢を作り、自身2度目の最優秀監督賞に輝いた。1回戦は、第8シードのユタ・ジャズとの対戦となったが、レギュラーシーズンを10連勝で終えた勢いのままに、4戦連勝し、難なくスイープし、続く2ndラウンドでは、クリス・ポールの加入と、ブレイク・グリフィンの成長により、2006年以来のカンファレンス・セミファイナルへ進出したロサンジェルスクリッパーズにも4連勝した。カンファレンス・ファイナルでは、オクラホマシティ・サンダーとの対戦となり、ホームコートで、幸先良く連勝し、連勝を20に延ばした。しかしながらアウェイでの3戦目を、サンダーのフィジカルなディフェンスにオフェンスリズムを狂わせ大差で落とすと、波に乗ったサンダーの勢いを止める事が出来ず、そのまま4連敗し、2007年以来のカンファレンス優勝を果たすことは出来なかった。

若返りとチームスタイルの確立[編集]

 2012-13シーズン は、アシスタントコーチのジャック・ヴォーンが、オーランド・マジックのヘッドコーチとして転出するなど、コーチ陣に移籍があったが、新ロースターは、フランスナショナルチーム代表のナンド・デ・コロを加えた程度で、昨シーズンと殆ど変わりのない陣容で開幕を迎えた。その分、チームとしての完成度は高く、途中レナードとジャクソンの主力2名を故障で欠いたが、11月終わりまでの17試合を、13勝4敗の好成績でスタートをきった。11月下旬の長期ロードで、スパーズは、全米テレビ放送のあった29日のマイアミ・ヒート戦で、ダンカン、パーカー、ジノビリ、グリーンの主力4選手を遠征から一足先にホームに帰らせ休養を与えた件で、リーグから25万ドルの制裁金処分を受けた。試合はワンサイドゲームとなると予想されたが、主力計6人を欠いた9人編成のチームは、残り1分の時点まではリードし、昨年のチャンピオンを追い込み苦しめたが惜敗に終わった。ヘッドコーチのポポビッチは、予てから主力に休養を与える戦術を用いており、デビッド・スターンの決定については「残念」であるとしたが、テレビ放映権に関わる過密日程が問題視される中では、今後も選手を休養させる可能性のある事を示唆している。12月には、ボブキャッツ戦で19本、マーベリクス戦では、20本の3ポイントショットを決め、フランチャイズ記録を塗り替えるなど、中盤から終盤に掛けて、ジノビリ、パーカー、ディアウなど、主力に故障者が出たものの、総力戦で例年通りの安定した戦いを続け、50勝以上のシーズンを14年連続とした。58勝24敗と60勝には届かなかったが、ウェスタンカンファレンス第2シードで、16シーズン連続でプレーオフ進出を決めた。プレイオフ直前に、フィールドゴール成功率の低迷するスティーブン・ジャクソンを解雇し、前年夏のワークアウトに参加していたトレイシー・マグレディと契約を結びプレーオフに臨んだ。オールNBAファーストチームにダンカンが、2ndチームにパーカーが選出された。

プレイオフは、1stラウンドで、コービー・ブライアント(アキレス腱断裂)を筆頭に、主力の故障による離脱が続いた第7シードのレイカーズとの対戦となり、労することなく4戦全勝でスイープした。このシーズン最大の注目トレードでレイカーズに加わったドワイト・ハワードも期待された活躍が出来ず、最終戦では2度のテクニカルファウルで、シーズンの終了を待たず退場となっている。
カンファレンス・セミファイナルは、第3シードのデンバー・ナゲッツをアップセットした第6シードのゴールデンステイト・ウォーリアーズとの対戦となった。第1戦では、ステフィン・カリーの爆発的な活躍で、4クォーター残り4分で16点差という大量リードを許していた展開から追いつき、2度の延長の末、残り数秒でのジノビリの3ポイントで逆転し、そのまま2点差で逃げ切った。残り4分で16点差からの逆転はプレーオフ史上、初めての出来事であった。次戦では、ウォリアーズ期待の若手クレイ・トンプソンの奮起で、ホームゲームを落としたが、ロードで1勝1敗と粘り、ホーム第5戦、ロード第6戦を連勝し突破した。
カンファレンス・ファイナルではサンダーをアップセットで倒したメンフィス・グリズリーズとの対戦となった。この年の最優秀ディフェンシブプレーヤーに選ばれたマーク・ガソルを擁し、強固なディフェンスで定評のあるグリズリーズとの第1戦は、泥臭い試合になると予想されたが、結果はスパーズの安定した試合運びで22点差のワンサイドゲームでスパーズが勝利した。第2戦は、最終クオーター残り26秒4点差で逃げ切りの展開から、ジノビリのトニー・アレンに対するフレグラント・ファウルに伴う2スロー、1ポゼッションで追いつかれ、オーバータイムへ入ったが、ダンカンの6得点で連勝を決めた。後日このフレグラントファールは、アレンのフロッピングと裁定され、5,000ドルの罰金が科された。第3戦は、開始直後からグリズリーズの激しいディフェンスで1stクオーターは、8ターンオーバー、13得点、29失点の16点ビハインドに追い込まれたが、2〜4クオーターで地道に追いつき2試合連続オーバータイムとなった。前戦同様ダンカンがゲームを支配し3連勝となった。この試合で、ダンカンはプレーオフでの通算ダブルダブルを144とし、143回のウィルト・チェンバレンを抜き、歴代2位となった。1位はマジック・ジョンソンの157回、4位はシャキール・オニールの142回、5位はビル・ラッセルの137回である。第4戦はパーカーのフィールドゴール成功率7割を超える37得点でグリズリーズを圧倒しスイープする結果となり、2007年以来久々のカンファレンス優勝を飾った。ファイナルを前に、ポポビッチの下で6年間第1アシスタントコーチを務めてきたマイク・バデンホルツァーが来期のアトランタ・ホークスのヘッドコーチに就任することが発表された。

久々のファイナル進出と初の敗退[編集]

2013年NBAファイナルは、スパーズが対戦相手決定待ちの間、イースタンカンファレンス決勝は、ヒート対ペイサーズで7戦まで縺れたが、前年王座のヒートが対戦相手となった。レブロンとは7年ぶりのマッチアップとなる。最長と最短の休養での対戦となったアウェイでの第1戦は、ビッグスリーの安定した働きで勝利したが、第2戦は逆にビッグスリーが精彩を欠き、第3クオーターで突き放されるとそのまま敗戦した。ホームに戻った第3戦は、グリーンとニールを中心に、NBAファイナル新記録の3ポイント16本(32投)を決め、レナードのレブロンへのディフェンスも有効に機能しゴール成功率を33%、フリースローなしに抑え、37点差の大量リードで勝利した。第4戦は、ビッグスリーが、パーカーの右ハムストリングの故障とジノビリの長期スランプから、合計40得点に止まったのに反し、ヒートのビッグスリーには合計85得点を許し、16点差で敗れた。この試合では、ヒートのクリス・ボッシュにフロッピングの裁定が下り、ファイナルでは初の罰金が科された。ホームでの最終戦となる第5戦は、ジノビリがスターターで、センターなしのスモールラインアップで臨んだ。ジノビリがこれまでの不調を払拭し24得点10アシストの活躍を見せ、パーカーも故障を抱えながら26得点、ダンカンは安定して17得点、12リバウンドとビッグスリーが本来の姿を取り戻した上に、グリーンが24得点と、しぶといディフェンスで貢献し、対戦成績を3勝2敗とし優位に立った。この試合で6本のスリーポイントを決めたグリーンは、相手チームのレイ・アレンがセルティクスで2008年に記録したファイナル3ポイント総成功数記録22本を超え、更に25本まで記録を伸ばした。この時点で成功率は66%であった。第6戦は、前半はダンカンのハイパフォーマンスで優位にゲームを進め、このまま優勝するかとおもわれたが、グリーンの3ポイントが封じられたこと、ジノビリのターンオーバーの繰り返し、終盤のダンカン、パーカーの消耗が響き、勝利直前のレイ・アレンの劇的な同点3ポイントにより、オーバータイムに縺れた末に敗れ3勝3敗となった。最終戦は、近年希に見る接戦となったが、レブロン・ジェームズに本来の爆発力を取り戻されてしまい、スパーズは、これまで4度のファイナル進出ではすべて優勝していたが、初めてファイナル敗退を喫した。

"主要インターナショナルプレーヤー"
フランス代表
パーカー
フランス代表
ディアウ
オーストラリア代表
ミルズ
イタリア代表
ベリネッリ
ブラジル代表
スプリッター
アルゼンチン代表
ジノビリ

チームバスケットの確立[編集]

NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 2013-14シーズン は、開幕前にFAのゲイリー・ニールミルウォーキー・バックスへ、デュワン・ブレアが同地区のライバルダラス・マーベリックスに移籍し、主な補強は、マルコ・ベリネッリ(前ブルズ)、ジェフ・エイアーズ(前ペイサーズ)の入団となった。オールスター前までの前半戦は、レナード、グリーン、スプリッターなどの故障欠場で、スターターの変更を余儀なくされる中で、層の厚いベンチプレーヤーの活躍で、38勝15敗の成績で乗り切った。中でも、以前ユーロリーグでジノビリと同チームでプレーした経験のあるベリネリが当初からチームに馴染み、高確率で3ポイントを決め貢献した。またベリネリはオールスターのスリーポイントシュートアウトで24得点をあげ優勝した。オールスター明けの後半戦は、当初パーカーが体調万全まで回復するため数試合休養したが、チームは好調を維持した。

3月15日のレーカーズ戦での勝利で後半戦を11勝1敗とし、この勝利で、スパーズビッグスリーである、ダンカン、パーカー、ジノビリ、トリオのレギュラーシーズンでの勝利数を491勝とし、ロサンゼルス・レーカーズの、マジック・ジョンソンカリーム・アブドゥル=ジャバーマイケル・クーパーを抜きNBA歴代2位となった。歴代首位540勝のトリオはボストン・セルティックスラリー・バードケビン・マクヘイルロバート・パリッシュである。スパーズビッグスリーでの試合数は664試合で歴代3位であり、勝率は74%とポポビッチ時代の勝率68%の中でも群を抜いている。プレーオフ試合数は2014年5月6日時点で165試合で歴代1位である。2位はマジックらの157試合、3位はバードらの150試合である。また数あるビッグスリーの中でも、全員が異なる国籍であるのはスパーズビッグスリーのみである。従来から外国籍選手が多いスパーズではあるが、このシーズンはナンド・デ・コロがオースティン・デイと交換トレードされた後でも、フランス2名、オーストラリア2名、カナダ、アルゼンチン、イタリア、ブラジル各1名、合計8名が海外選手で占められた。

このシーズン66試合目となるユタ・ジャズ戦を10連勝で勝利し、50勝以上のシーズンを15年連続とした。ここから連勝は更に続き、レギュラーシーズンのフランチャイズ新記録の19連勝まで到達した。ちなみに、レギュラーシーズンからプレーオフを合わせた連勝記録は前シーズンの20連勝である。4月12日、サンズ戦に勝利し、62勝18敗とし、プレイオフ全体の第1シードを確定した。続く2戦は主力を休養させ2敗し、62勝20敗でレギュラーシーズンを終えた。このシーズンのスパーズは従来にも増してチームプレー重視のスタイルが貫かれ、少しでもオープンな選手がいればパスを回し続ける(ワン・モア・パス)プレーで、アシスト数はポイントガードに偏らず、チームとして毎試合多くを記録した。また得点に関しても、スタープレーヤに偏るのではなくチームとして積み上げていく(アンセルフィッシュ)スタイルで強固なオフェンスを作り上げた。ロースターのうち9人が1試合平均8得点以上を記録するという、NBAの歴史でも希にしかない記録を作った。

トップシードでプレーオフへ[編集]

プレーオフ1stラウンドはダラス・マーベリックスとの対戦となった。ダラスヘッドコーチのカーライルは、通常のマッチアップでは勝算が薄いと踏んで、ピック・アンド・ロールディフェンスで、スイッチを多用し敢えてミスマッチを作り、スパーズのシステマチックなオフェンスに混乱を生じさせる策に出た。第2戦はこの戦術が当たりダラスが勝利し、第3戦ではヴィンス・カーターブザービーターで逆転の連敗を喫し、第6戦では、元スパーズのデュワン・ブレアの10得点14リバウンド、4スティールのダブルダブルの活躍で敗れ、最終戦まで縺れたが、本来のリズムを取り戻し最終ゲームを大差で勝ち、4勝3敗で、対ポートランド・トレイルブレイザーズのカンファレンス・セミファイナルへ進んだ。

カンファレンス・セミファイナルは、ホーム初戦から3戦まで圧勝し、4勝1敗でカンファレンスファイナルへ進んだ。オクラホマシティ・サンダーとのホームでの第1戦は、122-105で圧勝し、この勝利でスパーズビッグスリーのプレーオフでの勝利数は110となり、ショータイム時代のロサンゼルス・レイカーズの、ジョンソンジャバークーパートリオと並んだ[16]。第2戦は112対77とさらに大勝し、勝利数を111として、歴代最高記録を達成した。ロードでの第3戦、第4戦は、欠場していたサージ・イバーカの突然の出場に撹乱され連敗を喫したが、第5戦から、イバーカ対策としてマット・ボナーをスターターに起用し、イバーカをペイントエリアからペリメーターに引き出し、ペイントエリアポイントを増やすことに成功し、勝利した。第6戦はオーバータイムまで縺れたが、連勝し2年連続でカンファレンス優勝を勝ち取った。今回から、ホーム・ホーム・アウェイ・アウェイ・ホーム・アウェイ・ホームにフォーマットが変更になり、移動の負担が増えるファイナルは2年連続ディフェンディングチャンピオンのマイアミ・ヒートとの対戦となった。

7年ぶりのチャンピオン[編集]

Tim Duncan, Manu Ginobili and Tony Parker present President Barack Obama with a Spurs jersey 2015-01-12.jpg

ホームでの第1戦は、AT&Tセンターの空調設備が故障し、コートの温度が32℃を上回る過酷な条件でゲームが進んだ。終盤、レブロン・ジェームズが左足に痙攣を起こし途中退場すると、ヒートは完全に変調をきたし、スパーズの圧勝に終わった。後に「エアコンゲーム」と呼ばれた。第2戦は、レブロンが復活し、ゲームは接戦となったが、勝負どころでスパーズがパーカー、ダンカンと4連続でフリースローを外し、これまでのプレーオフで連敗のないヒートに僅差で逃げ切られた。

アウェイのアメリカン・エアラインズ・アリーナに所を変えた第3戦は、センターの先発をティアゴ・スプリッターからボリス・ディアウに変更することを決断。するとスパーズの完成度の高いチームオフェンスが更に機能し、前半でフィールドゴール成功率75.8%というNBAファイナル記録をたたき出し、前半終了時で、71対50と21点差とし、後半も1、2戦、スランプ気味であったカワイ・レナードが、ディフェンス・オフェンス共に活躍し、キャリアハイの29得点をあげ、19点差で圧勝した。このゲームを期にレナードが攻守ともに好調を取り戻し、スパーズのベンチメンバーも含めた総力オフェンスに対し、ヒートはスパーズの "奇襲" に策を失い、クリス・ボッシュがディアウのディフェンスに手を焼き、平均12点台に抑え込まれ、トニー・パーカーパティ・ミルズが繰り出す多彩なゲームメイクに対応出来なかったマリオ・チャルマーズも我を失ったかのようなプレーぶりに終始するなど連敗を喫し、ホームでの第5戦に向け王手をかけた。

ファイナル3勝1敗から逆転したチームはないことを受け、ジェームズは歴史は自分たちが作ると、復活を誓った第5戦は、序盤のみレブロンの活躍があったが、その後はスパーズが総合力で凌駕し、圧勝で5度目となるチャンピオンを勝ち取った。ファイナルMVPはディフェンス・オフェンス共に活躍した成長著しいカワイ・レナードが受賞した。このシーズンのスパーズのプレーは、パスを中心においたボールムーブで、メディアから「ビューティフル・バスケットボール」などと表現されたように、チーム最優先のプレーが際立っており、他チームのプレーヤーもこれを賞賛した。合計70点差をつけての優勝は、1965年のファイナルでボストン・セルティックスロサンゼルス・レイカーズを相手に合計63点差をつけて優勝した時の記録を抜き、ファイナル史上最大得点差での優勝となった[17]。フィールドゴール成功率52.8%もファイナル新記録である[18]。スパーズはこれまで奇数年のみ優勝(1999年、2003年、2005年、2007年)してきたが、初めて出場した偶数年のファイナル(2014年)を制し、優勝したことになる。

初連覇への挑戦[編集]

 2014-15シーズン は、チーム初となる連覇への挑戦のシーズンとなった。昨シーズンの優勝メンバー14人がチームに残り、2014年ドラフト1巡目30位指名のカイル・アンダーソンを新たに加えたロースターで、アシスタントコーチにイタリアの名将エットレ・メッシーナと、女性初のフルタイムアシスタントコーチとして、WNBAで活躍したベッキー・ハモンを迎え、開幕した。レナードの眼の感染症、スプリッターの脹脛の張り、ミルズの肩の回復待ちで、戦力の少ない中、開幕6戦目のクリッパーズ戦で、ビッグスリーが通算500勝を挙げ[19]、第7戦のレイカーズ戦でダンカンがレギュラーシーズン通算25,000得点を超えた。序盤戦は、ミルズの欠場に加え、レナードの右手腱の損傷、パーカー、ベリネリ、スプリッターと故障欠場が相次ぎ、勝率6割前後で推移した。12月にミルズ、スプリッターが復帰し、1月にパーカー、レナードが復帰し、状況が上向きになる中、優勝メンバーのオースティン・デイをウェイブし、空きのできたロースターへ、シーズン前のNBAサマーリーグに参加しており、傘下のオースティンで好成績を続けていたジャマイカル・グリーンを加えたが[20]、2回目の10日間契約には至らず、レジー・ウィリアムズ10日間契約を経て[21]、シーズン終了までの契約を結んだ[22]

ポポビッチ 1,000勝[編集]

このシーズンのロデオ・ロード・トリップの2戦目のインディアナ・ペイサーズ戦を4クオータで14点差から逆転勝利し、グレッグ・ポポビッチヘッドコーチのレギュラーシーズン通算1,000勝利目を飾った[23]。ポポビッチの勝利数は、ホーネッツ、ウルブス、ラプターズ、グリズリーズ、ペリカンズ5チームのそれぞれのフランチャイズ勝利数を上回っている[24]。この時点で、1,000勝以上しているのは、ドン・ネルソン(1,335)、レニー・ウィルケンス(1,332)、ジェリー・スローン(1,221)、パット・ライリー(1,210)、フィル・ジャクソン(1,155)、ジョージ・カール(1,131)、ラリー・ブラウン(1,098)、リック・アデルマン(1,042)、ポポビッチの9人だけである。1フランチャイズでの達成は、ポポビッチとジェリー・スローンの2名である。また、リーグすべてのチームに対し勝ち越しており、この1,000勝で出場した選手ではティム・ダンカンが929試合、トニー・パーカーが703試合、マヌ・ジノビリが607試合、ブルース・ボーエンが454試合、マット・ボナーが400試合である[25]

トニー・パーカーが3月31日のマイアミ・ヒート戦で、NBA史上3番目の若さでレギュラーシーズン1,000試合出場を果たした[26]。1000試合出場時点での勝利数(718)は、歴代1位の成績(2位はシカゴ・ブルズスコッティ・ピッペンの715勝)、スパーズだけでの達成はダンカンに次ぐ2人目で、1チームでの達成は17人目である。

18年連続のプレーオフ進出[編集]

4月1日、オーランド・マジック戦に勝利し、18年連続プレーオフ進出勝率6割以上を決めた[27]。この時点の継続中では最長で、2位はアトランタ・ホークスの8年連続、歴代での記録は、シラキュース・ナショナルズ~フィラデルフィア・76サーズの22年、ポートランド・トレイルブレイザーズ21年、ユタ・ジャズ20年、ボストン・セルティックス19年に次ぐ記録である。4月3日のホームでのデンバー・ナゲッツ戦を30点の大差で勝利し、50勝以上が16シーズン連続となった[28]。この時点でチーム勝率を.615(1934勝1210敗)まで上げ、ロサンゼルス・レイカーズの.610(3215勝2061敗)を抑えて勝率歴代1位チームとなった。このシーズンのウェスタンカンファレンスは、最終戦まで順位が、2位から6位まで決定していないという大混戦となった。スパーズも勝てば2位、負ければ6位となる最終戦を迎え、この試合に勝てばプレーオフ進出が決まるニューオーリンズ・ペリカンズと対戦し、なんとしても自身初のプレーオフに進出したいアンソニー・デイビスの思いのこもった活躍によってスパーズは敗れ、第6シードで、1st.ラウンドはロサンゼルス・クリッパーズとのマッチアップとなった。実力の拮抗する両チームによる1st.ラウンドの戦いは稀に見る大接戦となり、最終第7戦まで縺れ、クリッパーズホームコートアドバンテージの中、リーグを代表するポイントガードであり、ダンカンのウェイクフォレスト大学の後輩であるクリス・ポールが、左足ハムストリングの痛みを抱えながらも、卓越したゲームメーカー、クラッチプレーヤーぶりを発揮し、スパーズはクリッパーズに押し切られる結果に終わり[29]、2011年にメンフィス・グリズリーズにアップセットで敗れて以来のファーストラウンド敗退となった。

オルドリッジ獲得[編集]

2015年7月4日、この年の注目フリーエージェントの一人であったラマーカス・オルドリッジ(前ポートランド・トレイルブレイザーズ)と4年8000万ドルのマックス契約を結ぶと報じられ[30][31]、7月9日、契約が締結された[32]。オルドリッジのこれまでの背番号12は、スパーズではブルース・ボーエンの永久欠番となっていたが、ボーエンの快諾により復活することとなった[33]。オルドリッジ獲得に先立ちキャップスペースを空けるため、ティアゴ・スプリッターアトランタ・ホークスにトレードしたが[34]、オルドリッジ獲得に加え、優勝機会を求め強豪チーム移籍を希望してインディアナ・ペイサーズからオプト・アウトしたデビッド・ウェストベテラン・ミニマム・サラリーで獲得し[35]、引退の囁かれたダンカンとも更に1年契約を延長し、ユーロリーグで活躍していたセルビアビッグマンボバン・マリヤノヴィッチと1年契約を結び[36][37]、フロントコートの一大補強に成功した。

レナード・ザ・クロウの時代[編集]

19年連続のプレーオフ進出[編集]

 2015-16シーズン は序盤から好調を維持し、勝率8割以上で迎えた、2015年12月7日のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦では、フランチャイズ記録となる51点差を付けて、119対68で勝利した[38]。12月14日のユタ・ジャズの勝利で、ポポビッチヘッドコーチの通算勝利数が1043勝となり、リック・アデルマンの記録を抜き、歴代8位となった[39]。12月16日のワシントン・ウィザーズ戦の勝利で、開幕ホーム14連勝のフランチャイズ記録を達成した[40]。ホーム連勝記録はその後も更新され、3月17日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦に勝利し、1976年にNBAに加入以来、現在所属の全チームに対して勝ち越し[41]、連勝を34に、更に、3月19日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦で、NBA歴代1位となる高勝率チーム対決(合計勝率.882)を制し、35連勝と記録を伸ばした[42]。3月23日のマイアミ・ヒート戦、25日のメンフィス・グリズリーズ戦と、ホームでの連勝は続き、開幕からホーム37連勝となり、96年にシカゴ・ブルズが達成したNBA記録に並んだ。またこの時点でNBA通算勝利数2,000勝に到達した[43]。右足大腿四頭筋打撲で、3試合を欠場していたレナードが復帰した31日のニューオーリンズ・ペリカンズ戦で勝利し、開幕ホーム38連勝のNBA記録となり[44]、次戦のトロント・ラプターズで、39連勝と伸ばしたが[45]、4月10日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦に86-92で敗れ[46]、遂に連勝記録はストップした。この時点で昨シーズンからのホーム連勝記録は48連勝であった。シーズンを跨いだホーム連勝記録は、2014-15シーズンから2015-16シーズンに続いたゴールデンステート・ウォリアーズの54連勝である。4月12日、最終ホームゲームとなったオクラホマシティ・サンダー戦でオーバータイムの末に勝利し[47]NBAシーズンホーム最多勝利記録であった1985-86シーズン、ボストン・セルティックス40勝に並んだ[48]。続く最終戦は、プレーオフに備え主力6名が休養する中、ダラス・マーベリックスに勝利し、フランチャイズ記録であった63勝を大きく上回る67勝15敗でレギュラーシーズンを締めくくった。NBA記録の73勝を挙げたゴールデンステート・ウォリアーズには及ばなかったものの、第2シードでプレーオフ進出を決め、19年連続のプレーオフ進出17年連続のシーズン50勝以上を達成した。1stラウンドは、負傷者が続き主力のマーク・ガソルマイク・コンリーを欠く第7シードのメンフィス・グリズリーズを圧倒しスイープした。カンファレンスセミファイナルは、ダラスを破り勝ち上がったオクラホマシティ・サンダーとの対戦となった。ここ5年で3度目の対決となったこのシリーズは、初戦はオルドリッジ、レナード、グリーンの活躍で124-92で圧勝したものの[49]、第2戦最終版、オフィシャルのミスコールの不運に見舞われ[50]ホームゲームを落とすと共に[51]、終始、ダンカンを筆頭にディアウ、ウェストらフロントコート陣の不調が響き、スティーブン・アダムスエネス・カンターのビッグマン2人への対応に苦しみ、第3戦はアウェイで辛勝し2勝1敗とリードするも、第4戦の接戦を落とすと[52]、第5戦のホームゲームも91-95で連敗を喫し[53]、結局、ケビン・デュラントラッセル・ウェストブルックのオールスターコンビの勢いを止めることは出来ず、第6戦は、前半で31-55、最終的に99-113で大敗し[54]、2勝4敗でカンファレンスファイナルに進むことは出来なかった。

シーズン成績[編集]

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン  % プレーオフ 結果 ヘッドコーチ
ダラス・チャパラルズ (ABA)
1967-68 46 32 .590 1st.ラウンド勝利
ABA準決勝敗退
ダラス 3, ヒューストン 0
ニューオーリンズ 4, ダラス 1
クリフ・ヘイガン
(Cliff Hagen)
1968-69 41 37 .526 1st.ラウンド敗退 ニューオーリンズ 4, ダラス 3 クリフ・ヘイガン
1969-70 45 39 .536 1st.ラウンド敗退 ロサンゼルス 4, ダラス 2 クリフ・ヘイガン
マックス・ウィリアムス
(Max Williams)
ビル・ブレイクリー
(Bill Blakely)
テキサス・チャパラルズ (ABA)
1970-71 30 54 .357 1st.ラウンド敗退 ユタ 4, テキサス 0
ビル・ブレイクリー
(Bill Blakely)
ダラス・チャパラルズ (ABA)
1971-72 42 42 .500 1st.ラウンド敗退 ユタ 4, ダラス 0 トム・ニッソーク
(Tom Nissalke)
1972-73 28 56 .333 ベイブ・マッカーシー (Babe McCarthy)
デイブ・ブラウン
(Dave Brown)暫定
サンアントニオ・スパーズ (ABA)
1973-74 45 39 .536 1st.ラウンド敗退 ペイサーズ 4, スパーズ 3 トム・ニッソーク
1974-75 51 33 .607 1st.ラウンド敗退 ペイサーズ 4, スパーズ 2 ボブ・バス
(Bob Bass)
1975-76 50 34 .595 1st.ラウンド敗退 ニューヨーク 4, スパーズ 3 ボブ・バス
ABA通算勝敗 378 366 .508
ABAプレーオフ通算 17 32 .347
サンアントニオ・スパーズ (NBA)
1976-77 44 38 .537 セントラル3位
1st.ラウンド敗退
セルティックス 2, スパーズ 0 ダグ・モー
(Doug Moe)
1977-78 52 30 .634 セントラル1位
カンファレンス準決勝敗退
ワシントン 4, スパーズ 2 ダグ・モー
1978-79 48 34 .585 セントラル1位
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退
スパーズ 4, シクサーズ 3
ワシントン 4, スパーズ 3
ダグ・モー
1979-80 41 41 .500 セントラル3位
1st.ラウンド敗退
ロケッツ 2, スパーズ 1 ダグ・モー
イースタン・カンファレンス → ウエスタン・カンファレンス
1980-81 52 30 .634 ミッドウエスト1位
カンファレンス準決勝敗退
ロケッツ 4, スパーズ 3 ボブ・バス
スタン・アルベック
(Stan Albeck)
1981-82 48 34 .585 ミッドウエスト1位
準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退
スパーズ 4, ソニックス 1
レイカーズ 4, スパーズ 0
スタン・アルベック
1982-83 53 29 .646 ミッドウエスト1位
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退
スパーズ 4, ナゲッツ 1
レイカーズ 4, スパーズ 2
スタン・アルベック
モリス・マクホーン
(Morris McHone)
1983-84 37 45 .451 ミッドウエスト5位
ボブ・バス
1984-85 41 41 .500 ミッドウエスト5位
1st.ラウンド敗退
ナゲッツ 3, スパーズ 2 コットン・フィッツシモンズ
(Cotton Fitzsimmons)
1985-86 35 47 .427 ミッドウエスト6位
1st.ラウンド敗退
レイカーズ 3, スパーズ 0 コットン・フィッツシモンズ
1986-87 28 54 .341 ミッドウエスト6位
ボブ・ワイス
(Bob Weiss)
1987-88 31 51 .378 ミッドウエスト5位
1st.ラウンド敗退
レイカーズ 3, スパーズ 0 ボブ・ワイス
1988-89 21 61 .256 ミッドウエスト5位
ラリー・ブラウン
(Larry Brown)
1989-90 56 26 .683 ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
スパーズ 3, ナゲッツ 0
ブレイザーズ 4, スパーズ 3
ラリー・ブラウン
1990-91 55 27 .671 ミッドウエスト1位
1st.ラウンド敗退
ウォリアーズ 3, スパーズ 1 ラリー・ブラウン
1991-92 47 35 .573 ミッドウエスト2位
1st.ラウンド敗退
サンズ 3, スパーズ 0 ラリー・ブラウン
ボブ・バス
1992-93 49 33 .598 ミッドウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
スパーズ 3, ブレイザーズ 1
サンズ 4, スパーズ 2
ジェリー・ターカニアン
(Jerry Tarkanian)
ジョン・ルーカス
(John Lucas)
1993-94 55 27 .671 ミッドウエスト2位
1st.ラウンド敗退
ジャズ 3, スパーズ 1 ジョン・ルーカス
1994-95 62 20 .756 ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退
スパーズ 3, ナゲッツ 0
スパーズ 4, レイカーズ 2
ロケッツ 4, スパーズ 2
ボブ・ヒル
1995-96 59 23 .720 ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
スパーズ 3, サンズ 1
ジャズ 4, スパーズ 2
ボブ・ヒル
1996-97 20 62 .244 ミッドウエスト6位
ボブ・ヒル
グレッグ・ポポヴィッチ (Gregg Popovich)
1997-98 56 26 .683 ミッドウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
スパーズ 3, サンズ 1
ジャズ 4, スパーズ 1
グレッグ・ポポヴィッチ
(Gregg Popovich)
1998-99NBA FINAL CHAMP.png
ロックアウト
37 13 .740 ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝
第1シード
スパーズ 3, ウルブズ 1
スパーズ 4, レイカーズ 0
スパーズ 4, ブレイザーズ 0
スパーズ 4, ニックス 1
グレッグ・ポポヴィッチ
1999-2000 53 29 .646 ミッドウエスト2位
1st.ラウンド敗退
第4シード
サンズ 3, スパーズ 1
グレッグ・ポポヴィッチ
2000-01 58 24 .707 ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退
第1シード
スパーズ 3, ウルブズ 1
スパーズ 4, マーベリックス 1
レイカーズ 4, スパーズ 0
グレッグ・ポポヴィッチ
2001-02 58 24 .707 ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
第2シード
スパーズ 3, ソニックス 2
レイカーズ 4, スパーズ 1
グレッグ・ポポヴィッチ
2002-03NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 60 22 .732 ミッドウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝
第1シード
スパーズ 4, サンズ 2
スパーズ 4, レイカーズ 2
スパーズ 4, マーベリックス 2
スパーズ 4, ネッツ 2
グレッグ・ポポヴィッチ
ミッド・ウエスト → サウス・ウエスト div.
2003-04 57 25 .695 サウスウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
第3シード
スパーズ 4, グリズリーズ 0
レイカーズ 4, スパーズ 2
グレッグ・ポポヴィッチ
2004-05NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 59 23 .720 サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝
第2シード
スパーズ 4, ナゲッツ 1
スパーズ 4, ソニックス 2
スパーズ 4, サンズ 1
スパーズ 4, ピストンズ 3
グレッグ・ポポヴィッチ
2005-06 63 19 .768 サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
第1シード
スパーズ 4, キングス 2
マーベリックス 4, スパーズ 3
グレッグ・ポポヴィッチ
2006-07NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 58 24 .707 サウスウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝
第3シード
スパーズ 4, ナゲッツ 1
スパーズ 4, サンズ 2
スパーズ 4, ジャズ 1
スパーズ 4, キャブス 0
グレッグ・ポポヴィッチ
2007-08 56 26 .683 サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退
第3シード
スパーズ 4, サンズ 1
スパーズ 4, ホーネッツ 3
レイカーズ 4, スパーズ 1
グレッグ・ポポヴィッチ
2008-09 54 28 .659 サウスウエスト1位
1st.ラウンド敗退
第3シード
マーベリックス 4, スパーズ 1
グレッグ・ポポヴィッチ
2009-10 50 32 .610 サウスウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
第7シード
スパーズ 4, マーベリックス 2
サンズ 4, スパーズ 0
グレッグ・ポポヴィッチ
2010-11 61 21 .744 サウスウエスト1位
1st.ラウンド敗退
第1シード
グリズリーズ 4, スパーズ 2
グレッグ・ポポヴィッチ
2011-12
ロックアウト
50 16 .758 サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
第1シード
スパーズ 4,ジャズ 0
スパーズ 4, クリッパーズ 0
サンダー 4, スパーズ 2
グレッグ・ポポヴィッチ
2012-13 58 24 .707 サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
第2シード
スパーズ 4, レイカーズ 0
スパーズ 4, ウォリアーズ 2
スパーズ 4, グリズリーズ 0
ヒート 4, スパーズ 3
グレッグ・ポポヴィッチ
2013-14NBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.pngNBA FINAL CHAMP.png 62 20 .756 サウスウエスト1位
1st.ラウンド
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝
第1シード
スパーズ 4, マーベリックス 3
スパーズ 4, ブレイザーズ 1
スパーズ 4, サンダー 2
スパーズ 4, ヒート 1
グレッグ・ポポヴィッチ
2014-15 55 27 .670 サウスウエスト3位
1st.ラウンド敗退
第6シード
スパーズ 3, クリッパーズ 4
グレッグ・ポポヴィッチ
2015-16 67 15 .817 サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
第2シード
スパーズ 4, メンフィス・グリズリーズ 0
スパーズ2 ,オクラホマシティ・サンダー4
グレッグ・ポポヴィッチ
NBA通算 2006 1226 .620 Div.優勝21回
NBAプレイオフ 211 165 .561 優勝5回
ABA/NBA通算勝敗 2384 1592 .600
ABA/NBAプレイオフ勝敗 228 197 .536

チーム・スタッツ[編集]

シーズン チーム GP PTS FGM FGA FG% 3PM 3PA 3P% FTM FTA FT% OREB DREB REB AST STL BLK TOV PF
2015-16 San Antonio Spurs 82 67 15 8490 3289 6797 48.4 570 1518 37.5 1342 1672 80.3 770 2381 3601 2010 677 485 1071 1433
シーズン チーム GP PTS FGM FGA FG% 3PM 3PA 3P% FTM FTA FT% OREB DREB REB AST STL BLK TOV PF
1976-77 San Antonio Spurs 82 44 38 9432 3711 0 0.0 0 0 0.0 0 2522 79.7 1110 2550 3660 2115 857 499 1770 1966
1977-78 San Antonio Spurs 82 52 30 9385 3794 0 0.0 0 0 0.0 0 2234 80.4 1030 2594 3624 2240 797 553 1665 1871
1978-79 San Antonio Spurs 82 48 34 9780 3927 0 0.0 0 0 0.0 0 2423 79.5 1096 2619 3715 2313 829 509 1652 2071
1979-80 San Antonio Spurs 82 41 41 9788 3856 0 0.0 52 0 0.0 0 2528 80.1 1153 2515 3668 2326 771 333 1589 2103
1980-81 San Antonio Spurs 82 52 30 9209 3571 0 0.0 15 0 0.0 0 2668 76.9 1304 2582 3886 2048 685 643 1533 2114
1981-82 San Antonio Spurs 82 48 34 9272 3698 0 0.0 64 0 0.0 0 2335 77.6 1253 2537 3790 2257 600 555 1293 2217
1982-83 San Antonio Spurs 82 53 29 9375 3697 7340 50.4 94 308 30.5 1887 2468 76.5 1232 2599 3831 2261 675 469 1504 2095
1983-84 San Antonio Spurs 82 37 45 9862 3909 7721 50.6 79 263 30.0 1965 2604 75.5 1230 2528 3758 2361 685 491 1447 2146
1984-85 San Antonio Spurs 82 41 41 9412 3698 7202 51.3 55 202 27.2 1961 2571 76.3 1127 2470 3597 2316 757 443 1542 2180
1985-86 San Antonio Spurs 82 35 47 9120 3596 7104 50.6 46 196 23.5 1882 2523 74.6 1069 2413 3482 2260 800 390 1624 2115
1986-87 San Antonio Spurs 82 28 54 8882 3532 7456 47.4 117 403 29.0 1701 2292 74.2 1285 2347 3632 2220 786 325 1406 1930
1987-88 San Antonio Spurs 82 31 51 9314 3706 7559 49.0 133 412 32.3 1769 2412 73.3 1184 2335 3519 2344 739 468 1418 1991
1988-89 San Antonio Spurs 82 21 61 8652 3469 7409 46.8 63 293 21.5 1651 2367 69.8 1295 2181 3476 2037 961 423 1712 2153
1989-90 San Antonio Spurs 82 56 26 8718 3388 6997 48.4 54 226 23.9 1888 2535 74.5 1163 2474 3637 2037 799 554 1399 1854
1990-91 San Antonio Spurs 82 55 27 8782 3409 6988 48.8 81 297 27.3 1883 2459 76.6 1131 2657 3788 2140 670 571 1445 1896
1991-92 San Antonio Spurs 82 47 35 8524 3377 7090 47.6 118 404 29.2 1652 2246 73.6 1229 2552 3781 2010 729 608 1308 1799
1992-93 San Antonio Spurs 82 49 33 8652 3311 6762 49.0 236 692 34.1 1794 2346 76.5 919 2542 3461 2012 582 514 1227 1844
1993-94 San Antonio Spurs 82 55 27 8202 3178 6688 47.5 249 714 34.9 1597 2151 74.2 1189 2597 3786 1896 561 450 1198 1662
1994-95 San Antonio Spurs 82 62 20 8742 3236 6687 48.4 434 1158 37.5 1836 2487 73.8 1029 2661 3690 1919 656 456 1246 1871
1995-96 San Antonio Spurs 82 59 23 8477 3148 6602 47.7 518 1320 39.2 1663 2261 73.6 937 2586 3523 2044 645 536 1195 1820
1996-97 San Antonio Spurs 82 20 62 7418 2827 6391 44.2 378 1180 32.0 1386 1929 71.9 1101 2129 3230 1661 646 431 1243 1764
1997-98 San Antonio Spurs 82 56 26 7587 2898 6187 46.8 302 863 35.0 1489 2164 68.8 984 2638 3622 1839 516 568 1318 1731
1998-99 San Antonio Spurs 50 37 13 4640 1740 3812 45.6 172 521 33.0 988 1415 69.8 614 1584 2198 1101 421 351 759 1010
1999-00 San Antonio Spurs 82 53 29 7886 2952 6393 46.2 330 882 37.4 1652 2214 74.6 927 2666 3593 1819 614 551 1233 1716
2000-01 San Antonio Spurs 82 58 24 7886 2884 6262 46.1 445 1094 40.7 1673 2340 71.5 902 2712 3614 1778 568 576 1145 1551
2001-02 San Antonio Spurs 82 58 24 7932 2913 6363 45.8 438 1211 36.2 1668 2249 74.2 907 2566 3473 1643 625 537 1180 1575
2002-03 San Antonio Spurs 82 60 22 7856 2908 6297 46.2 449 1270 35.4 1591 2194 72.5 939 2556 3495 1636 629 529 1295 1672
2003-04 San Antonio Spurs 82 57 25 7501 2842 6434 44.2 408 1140 35.8 1409 2069 68.1 1029 2669 3698 1676 661 537 1203 1667
2004-05 San Antonio Spurs 82 59 23 7888 2923 6450 45.3 507 1395 36.3 1535 2120 72.4 987 2489 3476 1771 613 543 1126 1717
2005-06 San Antonio Spurs 82 63 19 7837 2993 6342 47.2 524 1362 38.5 1327 1891 70.2 851 2548 3399 1717 543 467 1126 1714
2006-07 San Antonio Spurs 82 58 24 8079 2999 6328 47.4 595 1561 38.1 1486 1980 75.1 761 2577 3338 1814 587 417 1137 1588
2007-08 San Antonio Spurs 82 56 26 7820 2938 6424 45.7 594 1610 36.9 1350 1774 76.1 771 2612 3383 1718 521 337 1035 1537
2008-09 San Antonio Spurs 82 54 28 7958 3042 6534 46.6 625 1620 38.6 1249 1641 76.1 728 2638 3366 1736 474 329 963 1546
2009-10 San Antonio Spurs 82 50 32 8312 3150 6659 47.3 554 1547 35.8 1458 1969 74.0 887 2621 3508 1829 516 381 1116 1669
2010-11 San Antonio Spurs 82 61 21 8502 3148 6628 47.5 685 1727 39.7 1521 1984 76.7 829 2603 3432 1836 602 372 1101 1556
2011-12 San Antonio Spurs 66 50 16 6841 2611 5463 47.8 552 1405 39.3 1067 1427 74.8 683 2153 2836 1528 490 293 895 1143
2012-13 San Antonio Spurs 82 58 24 8448 3210 6675 48.1 663 1764 37.6 1365 1725 79.1 666 2721 3387 2058 695 446 1206 1427
2013-14 San Antonio Spurs 82 62 20 8639 3326 6844 48.6 698 1757 39.7 1289 1642 78.5 762 2786 3548 2064 604 420 1180 1495
2014-15 San Antonio Spurs 82 55 27 8461 3208 6854 46.8 677 1847 36.7 1368 1754 78.0 806 2772 3578 2000 657 443 1146 1564
2015-16 San Antonio Spurs 82 67 15 8490 3289 6797 48.4 570 1518 37.5 1342 1672 80.3 770 2381 3601 2010 677 485 1071 1433

チーム・スタイル[編集]

ティム・ダンカントニー・パーカーマヌ・ジノビリビッグスリーはもちろん、現在のロースターの内、多くがNBAでスパーズ以外のチームに在籍したことのないプレーヤーであり、一度チームに馴染むと離れ難くなる魅力を持っているかのように感じられるチームである。グレッグ・ポポビッチ、ダンカンの人柄によるところも大きいが、チーム運営方針にもフランチャイズを大切に扱う姿勢が感じられる。スパーズといえば、ジャージの色だけでなくプレーも兎に角、堅実地味でプロスポーツらしからぬとの声もあるが、安定度は群を抜いており、2015年現在、シーズン50勝以上の記録を16年続けている。ロックアウトのあった1998年も勝率では60勝以上に相当し、これを含めて、プレーオフに18年連続で進出している。10年以上継続したチームは他にロサンゼルス・レイカーズの12年、ダラス・マーベリックスの11年のみである[55]。堅実な努力の重要性をメンバーに浸透させるためにポポビッチはジェイコブ・リースの以下の名言を引用している[56]。ハンマーで岩を叩き割った図柄が優勝を勝ち取った証として、チャンピオンリングにレイアウトされている[57]

パウンディング・ザ・ロック(Pounding the Rock):「救いがないと感じたときには、私は石切工が岩石を叩くのを見に行く。おそらく100回叩いても亀裂さえできないだろう。しかしそれでも100と1回目で真っ二つに割れることもある。私は知っている。その最後の一打により岩石は割れたのではなく、それ以前に叩いたすべてによることを。」(“When nothing seems to help, I go look at a stonecutter hammering away at his rock, perhaps a hundred times without as much as a crack showing in it. Yet at the hundred and first blow it will split in two, and I know it was not that blow that did it, but all that had gone before.”)

ジェイコブ・リース(Jacob Riis)、[58]

プレー・スタイル[編集]

1983年にフリー(蚤)エージェントで入団し、現在も活躍しているザ・コヨーテ 背番号は2! 2007年マスコット栄誉の殿堂入り
  • 20年連続で相手チームの得点を100以下に抑えており、NBA史上最高の記録であるように、執拗で強固なディフェンスを基盤にしている。チームプレーやディフェンスの出来ない選手は、たとえスタープレーヤーでも許さない体質があり、スパーズに馴染むには年単位で、時間がかかると、在籍したリチャード・ジェファーソンも語っている。オフェンスではダンカンを中心にしたハーフコートオフェンスを主体とした緻密な組み立てと、その中へジノビリの予測できないプレー、パーカーのペネトレート、トランジションオフェンス、グリーン・ボナーなど長距離シューターのスリーポイントを織り交ぜ、相手チームを翻弄するゲームメークが特徴である。パス数の多さも特徴で有る。
  • 最近では、ラン&ガン・オフェンスに近い形のトランジションオフェンスも取り入れられて来ており、チームの平均総得点が高い傾向にあるが、逆にトランジションディフェンスに綻びが出る場合もあり、苦戦することがある。
  • 3ポイントシューター、スクリーンプレーヤー、などロールプレーヤーを使い分けすることも特徴である。
  • ポポビッチが無用なダンクシュートを嫌うことから必要なとき以外にダンクをする選手が少なく、地味過ぎると言われる所以となっている。従ってアリウープダンクなどは滅多に見ることが出来ない。

主なディフェンスプレー[編集]

  • かつてのブルース・ボウエンに代表されるような優秀なペリメーター・ディフェンダーを相手の得点源に張り付け、ディナイ・ディフェンスでボール保持を困難にする。
  • ボールを保持したオフェンスをディフェンスに有利なサイドを開けて追い込み、ダブルチームあるいはダンカンに代表される長身ディフェンダーがカバーディフェンスし、ショットを難しいもの(タフショット)にする。
  • 近年、3ポイントでの得点が重要度を増しているが、スパーズディフェンスでは、比較的確率の高くなる両コーナーからのアテンプトを出来るだけ少なくするよう対応している[59]。従って、相手チームの3ポイントはアーチ側で放たれる場合が多くなる。
  • ファウルを極力しない形でのディフェンスを行う[60]が、時としてドワイト・ハワードジョシュ・スミスデアンドレ・ジョーダンなどフリースローを不得意としている選手にはハックをかけることがあり、かつてはシャキール・オニールに対してこの戦法を用いていた。
  • 相手によって、マンツーマン(ガード、フォワード)とゾーン(センター)を併用したディフェンス体系を用いることも多い。

主なオフェンスプレー[編集]

ビッグ・スリー[編集]

  • ダンカンのアイソレーションからのバンクショットはあまりにも有名である。また、バスケットを背にし、ディフェンダーをペイントエリアへ押し込みながらターンしてのショットを放つ事も多い。
  • パーカーは、ペリメーター近辺でピックアンドロールし、カバーディフェンスが遅れた場合には、ドリブルペネトレイトからループ(ティアードロップ)ショットを放つ。ペイントエリア外で急にストップしミドルショットを放つことも多い。
  • ジノビリは、3ポイントライン直ぐ後ろでパスを受け、ポンプフェイク、クロスオーバーフェイクを織り交ぜ、ディフェンダーの反応を見て、3ポイントショットを放つ、クロスオーバーで抜き去る、を自在に使い分けるプレーを見せる。必要に応じて、ダンクに持ち込むこともあれば、ユーロステップでディフェンダーを翻弄しサーカスショットを決める場合もある。

ハンマー・セット[編集]

スパーズのセットオフェンスの代表的なプレーに、ハンマー・セット[61][62]がある。ストロングサイド(ボール保持側)のヘルプディフェンスを重視するチームに対し、ウィークサイドのコーナーに、シューター(ハンマー)をセットし、そこへパスを送り、3ポインターを決めるプレーの総称で、成功した際には、TV中継ではアナウンサーが“BANG!”とハンマーを叩いた擬音を発する場合がある。

  • アイソレーションしてボールを保持した選手の脇をすり抜けボールを受取り、エンドライン側からペイントエリアにペネトレイトしシュートに持ち込むか、カバーが集まった場合は、3ポイントシューターにキックアウトする。
  • ペリメーター近辺でピックし、ロールしたプレーヤーがフリースローサークル近辺でパスを受けワイドオープンの場合ミドルショットを放つ(ピック・アンド・ポップ)。カバーが来た場合は、コーナーで待つ選手へパスを送るか、その選手がペイントエリアにカットインしそこへパスを送る。更にそこからワイドオープンの3ポイントシューターにパスが送られる。(ハンマー・プレー)
  • 3ポイントラインから離れた位置でスクリーナーが来るのを待ち、ピックした瞬間に、バスケットに向かってペネトレイトし、カバーディフェンスをペイントエリアへ集め、ボールを3ポイントライン近辺にいるストレッチ・フォーにキックアウトし、3ポイントショットを放つ。または、そこを基点に、サイドコーナーで待つ3ポイントシューターにパスを出す。ブルース・ボウエン、ダニー・グリーンに代表されるディフェンスで運動量が多く優れた3ポイントシューターがコーナーマンとして、コーナーの3ポイントライン外でパスを待つ場合が多い。(ハンマー・セット)

スパーズ・ビッグスリー[編集]

ティム・ダンカントニー・パーカーマヌ・ジノビリは、2002年から2016年まで中心選手としてスパーズのビッグスリーを形成し[63]、NBA史上でも最高の実績を残しているトリオである。また数あるビッグスリーの中でも、全員が異なる国籍であるのはスパーズ・ビッグスリーのみである。トリオのレギュラーシーズン勝利数は、2015年11月1日、TDガーデンでのボストン・セルティックス戦の勝利[64]で、541勝となりNBA歴代1位となった[65]。この時点で試合数は736試合で歴代1位で、勝率は73.5%とポポビッチ時代の勝率68%の中でも群を抜いている。歴代2位のトリオはボストン・セルティックスラリー・バードケビン・マクヘイルロバート・パリッシュで、540勝(729試合)。

NBAチャンピオン4回 トリオ通算プレーオフ試合数は、NBA歴代1位、プレーオフ勝利数も、歴代1位である[66][67]。 歴代2位はロサンゼルス・レイカーズの、マジック・ジョンソンカリーム・アブドゥル=ジャバーマイケル・クーパーで、157試合、110勝。

個々の実績も秀でており、500試合以上出場の現役選手で、勝率7割以上は

マヌ・ジノビリ.722 (619-238)
トニー・パーカー.719 (719-280)
ティム・ダンカン.713 (945-379)

のみである。(4位はレブロン・ジェームスの.661)

マイルストーン[編集]

  • 2014年3月19日、レギュラーシーズンでの勝利数を491勝(664試合)とし歴代2位に
  • 2014年4月20日、トリオ通算プレーオフ試合数158で、NBA歴代1位に
  • 2014年5月21日、プレーオフ勝利数111で、歴代1位に
  • 2014年6月15日、ファイナル最終戦で、歴代1位プレーオフ試合数を180、勝利数を117に更新
  • 2014年11月10日[68]、レギュラーシーズンでの勝利数を500勝に
  • 2015年2月23日、レギュラーシーズンでの試合数を712試合にし、歴代2位に
  • 2015年3月27日、レギュラーシーズンでの勝利数を530勝に
  • 2015年4月7日、レギュラーシーズンでの試合数を730試合にし、歴代1位に
  • 2015年4月28日、マヌ・ジノビリがプレーオフ120勝で歴代10位となり[69]、トリオ全員が歴代勝利数ベスト10に入った。この時点でパーカー125勝(9位)、ダンカン151勝(4位)。トリオプレーオフ試合数を185、勝利数を120に。
  • 2015年11月1日、レギュラーシーズンでの勝利数を541勝に伸ばし、歴代1位[65]
  • 2016年7月11日、ダンカンが現役引退を発表し[70][71][72][73][74]。遂に14年間続いたビッグスリーの時代に終止符が打たれた。

主な選手[編集]

現役選手[編集]

サンアントニオ・スパーズ ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長  体重 出身
F/C 12 ラマーカス・オルドリッジ (LaMarcus Aldridge) アメリカ合衆国の旗 31 (1985/07/15) 6ft11in(2.11m) 240lb(109kg) テキサス大学
G ライアン・アーチディアコノ (Ryan Arcidiacono) アメリカ合衆国の旗 22 (1994/03/24) 6ft3in(1.91m) 195lb(88kg) ビラノバ大学
P/F 1 カイル・アンダーソン (Kyle Anderson) アメリカ合衆国の旗 22 (1993/09/20) 6ft9in(2.06m) 229lb(104kg) UCLA
F 25 ダービス・バータン (Dāvis Bertāns) ラトビアの旗 23 (1992/11/12) 6ft9in(2.06m) 209lb(95kg) サスキ・バスコニア
C ドウェイン・デドモン (Dewayne Dedmon) アメリカ合衆国の旗 27 (1989/08/12) 7ft0in(2.13m) 255lb(116kg) 南カリフォルニア大学
G 11 ブライン・フォーブス (Bryn Forbes) アメリカ合衆国の旗 23 (1993/07/23) 6ft3in(1.91m) 180lb(82kg) ミシガン州立大学
G/F パトリシオ・ガリーノ (Patricio Garino) アルゼンチンの旗 23 (1993/03/17) 6ft7in(2.01m) 203lb(92kg) ジョージ・ワシントン大学
F/C ' パウ・ガソル (Pau Gasol) スペインの旗 36 (1980/7/6) 7ft0in(2.13m) 250lb(113kg) FCバルセロナ
G 20 マヌ・ジノビリ (Manu Ginobili)6th アルゼンチンの旗 39 (1977/07/28) 6ft6in(1.98m) 205lb(93kg) バイアブランカ
G/F 14 ダニー・グリーン (Danny Green) アメリカ合衆国の旗 29 (1987/06/22) 6ft6in(1.98m) 216lb(98kg) ノースカロライナ大学
PF 28 リビオ・ジャン=シャルル (Livio Jean-Charles) フランスの旗 22 (1993/11/08) 6ft9in(2.06m) 217lb(98kg) ASVEL・バスケット
G ニコラス・ラプロビットラ (Nicolas Laprovittola) アルゼンチンの旗 26 (1990/01/31) 6ft3in(1.91m) 195lb(88kg) アルゼンチン
F/C デビッド・リー (David Lee) アメリカ合衆国の旗 33 (1983/04/29) 6ft9in(2.06m) 250lb(113kg) フロリダ大学
SF 2 カワイ・レナード (Kawhi Leonard) アメリカ合衆国の旗 25 (1991/06/29) 6ft7in(2.01m) 230lb(104kg) サンディエゴ州立大学
PG 8 パティ・ミルズ (Patty Mills) オーストラリアの旗 28 (1988/08/11) 6ft0in(1.83m) 185lb(84kg) セントメリーズ大学
PG 5 デヨンテ・マレー (Dejounte Murray) アメリカ合衆国の旗 19 (1996/09/16) 6ft5in(1.96m) 170lb(77kg) ワシントン大学
PG 9 トニー・パーカー (Tony Parker) キャプテン フランスの旗 34 (1982/05/17) 6ft2in(1.88m) 185lb(84kg) INSEP
SG 17 ジョナソン・シモンズ (Jonathon Simmons) アメリカ合衆国の旗 26 (1989/09/14) 6ft6in(1.98m) 195lb(88kg) ヒューストン大学
ヘッドコーチ
アメリカ合衆国の旗 グレッグ・ポポヴィッチ (Gregg Popovich)
アシスタントコーチ
  イタリアの旗 エットレ・メッシーナ (Ettore Messina)
  アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ボーレゴJames Borrego)
  アメリカ合衆国の旗 アイミ・ウドカ (Ime Udoka)
  アメリカ合衆国の旗 チップ・イングランド (Chip Engelland)
  アメリカ合衆国の旗 ベッキー・ハモン (Becky Hammon)
  アメリカ合衆国の旗 モンティ・ウィリアムズ (Monty Williams)

記号説明
キャプテン キャプテン
(S) 出場停止(Suspended)
(-) ベンチ外(Inactive)
Cruz Roja.svg 故障者(Injured)
DL  :Dリーグ・アサイン
(+)  :シーズン途中契約
FA  :フリーエージェント
DP  :ドラフト未契約

外部リンク

更新日:2016年08月24日


サンアントニオ・スパーズ ドラフト未契約一覧
基本情報 その他
Pos # 名前 年齢 身長  体重 備考
C 2015(26) ニコラ・ミルチノフ (Nikola Milutinov) OS セルビアの旗 21 (1994/12/30) 7ft0in(2.13m) 220lb(100kg) オリンピアコスBC
G 2015(42) オリヴィエ・ハンラン (Olivier Hanlan) DL カナダの旗 23 (1993/02/15) 6ft4in(1.93m) 190lb(86kg) ボストン大学
PF 2015(55) カディ・ラレン (Cady Lalanne) DL アメリカ合衆国の旗 24 (1992/04/22) 6ft10in(2.08m) 254lb(115kg) マサチューセッツ大学
C 2014(54) ネマニャ・ダングビッチ (Nemanja Dangubić) OS セルビアの旗 23 (1993/04/13) 6ft7in(2.01m) 194lb(88kg) KKツルヴェナ・ズヴェズダ
SF 2013(58) デショーン・トーマス (Deshaun Thomas) DL アメリカ合衆国の旗 25 (1991/08/28) 6ft7in(2.01m) 220lb(100kg) オハイオ州立大学
PG 2012(59) マーカス・デンモン (Marcus Denmon) OS アメリカ合衆国の旗 26 (1990/03/20) 6ft3in(1.91m) 185lb(84kg) ミズーリ大学
SG 2011(59) アダム・ハンガ (Ádám Hanga) OS ハンガリーの旗 27 (1989/04/12) 6ft7in(2.01m) 205lb(93kg) FCバルセロナ
C 2010(49) ライアン・リチャーズ (Ryan Richards) OS イングランドの旗 25 (1991/04/24) 7ft0in(2.13m) 230lb(104kg) アルアハリ・クラブ
PF 2007(58) ジョルジオス・プリンテジス (Georgios Printezis) OS ギリシャの旗 31 (1985/02/22) 6ft9in(2.06m) 240lb(109kg) オリンピアコスBC
PF 2005(46) エラゼン・ローベック (Erazem Lorbek) OS スロベニアの旗 32 (1984/02/21) 6ft11in(2.11m) 250lb(113kg) FCバルセロナ
PF 2004(42) ヴィクトル・サニキゼ (Viktor Sanikidze) OS ジョージア (国)の旗 30 (1986/04/01) 6ft8in(2.03m) 220lb(100kg) タルトゥ・ロック
C 2004(58) セルゲイ・カラウロフ (Sergei Karaulov) OS ウズベキスタンの旗 34 (1982/04/15) 7ft1in(2.16m) 249lb(113kg) BCウラル・エカテリンブルク
C 2001(56) ロベルタス・ヤフトカス (Robertas Javtokas) OS リトアニアの旗 36 (1980/03/20) 6ft11in(2.11m) 265lb(120kg) BCジャルギリス

記号説明
RFA 制限付FA
DL Dリーグ所属
OS 海外チーム所属
BO バイアウト
CW クリアウェイバー
(-) 途中解雇
Cruz Roja.svg 故障者(Injured)

外部リンク

更新日:2016年08月24日

年代別主要選手[編集]

太文字殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手[75] (50)…偉大な50人

1960年代 (プレイオフ進出:2回)

1970年代 (プレイオフ進出:9回)

1980年代 (プレイオフ進出:7回)

1990年代 (プレイオフ進出:9回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)

2000年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:3回 優勝:3回)

2010年代 (プレイオフ進出:6回 ファイナル進出:2回 優勝:1回)

デプス[編集]

オールスター[編集]

NBA
スウェン・ネイター – 1974, 1975
ジョージ・ガービン – 1975, 1976, 1977, 1978, 1979, 1980, 1981, 1982, 1983, 1984, 1985
ジェームズ・サイラス – 1975, 1976
ビリー・ポールツ – 1976
ラリー・ケノン – 1976, 1978, 1979
アーティス・ギルモア – 1983, 1986
アルビン・ロバートソン – 1986, 1987, 1988
デビッド・ロビンソン – 1990, 1991, 1992, 1993, 1994, 1995, 1996, 1998, 2000, 2001
ショーン・エリオット – 1993, 1996
NBA 現役
ティム・ダンカン – 1998, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2013, 2015
マヌ・ジノビリ – 2005, 2011
トニー・パーカー – 2006, 2007, 2009, 2012, 2013, 2014
カワイ・レナード - 2016
ラマーカス・オルドリッジ - 2016
NBAヘッドコーチ
グレッグ・ポポビッチ – 2005, 2011, 2013 ,2016

栄誉[編集]

スタッツリーダー[編集]

2015–16 シーズン終了時点(レギュラーシーズン)/ 太字現役選手 "名前*" ABA時代の記録を含む選手 (-) 現在は他チームで現役選手

得点[77]

個人受賞[編集]

オールNBAチーム[編集]

ファーストチーム
ジョージ・ガービン – 1978, 1979, 1980, 1981, 1982
デビッド・ロビンソン – 1991, 1992, 1995, 1996
ティム・ダンカン – 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2007,2013
セカンドチーム
ジョージ・ガービン – 1977, 1983
アルビン・ロバートソン – 1986
デビッド・ロビンソン – 1994, 1998
ティム・ダンカン – 2006, 2008, 2009
トニー・パーカー - 2012, 2013, 2014
サードチーム
デビッド・ロビンソン – 1990, 1993, 2000, 2001
マヌ・ジノビリ – 2008, 2011
トニー・パーカー - 2009
ティム・ダンカン – 2010, 2015

NBAオールディフェンシブチーム[編集]

ファーストチーム
アルビン・ロバートソン – 1987
デビッド・ロビンソン – 1990, 1993, 1994, 1997, 1998
ティム・ダンカン – 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2005, 2007, 2008
ブルース・ボーエン – 2004, 2005, 2006, 2007, 2008
カワイ・レナード - 2015
セカンドチーム
アルビン・ロバートソン – 1986, 1988, 1989
デビッド・ロビンソン – 1991, 1992, 1995, 1996
ティム・ダンカン – 1998, 2004, 2006, 2009, 2010, 2013, 2015
ブルース・ボーエン – 2002, 2003
カワイ・レナード - 2014

コーチ、その他[編集]

歴代ヘッドコーチ[編集]

クリフ・ヘイガン (Cliff Hagan) (1967-68〜1969-70)
マックス・ウィリアムス (Max Williams) (1969-70〜1970-71)
ビル・ブレイクリー (Bill Blakely) (1970-71)
トム・ニッソーク (Tom Nissalke) (1971-72/1973-74~1974途中)
ベイブ・マッカーシー (Babe McCarthy) (1972-73)
デイブ・ブラウン (Dave Brown) (1973暫定)
ボブ・バス (Bob Bass) (1974-75〜1975-76/1979-80/1983-84/1991-92)
ダグ・モー (Doug Moe) (1976-77/1979-80)
スタン・アルベック (Stan Albeck) (1980-81〜1982-83)
モリス・マクホーン (Morris McHone) (1983暫定)
コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1984-85〜1985-86)
ボブ・ワイス (Bob Weiss) (1986-87〜1987-88)
ラリー・ブラウン (Larry Brown) (1988-89〜1991-92)
ジェリー・ターカニアン (Jerry Tarkanian) (1992-93)
ジョン・ルーカス (John Lucas) (1992-93〜1993-94)
ボブ・ヒル (Bob Hill) (1994-95〜1996-97)
グレッグ・ポポヴィッチ (Gregg Popovich) (1996-97〜現在)

主要アシスタントコーチ[編集]

P・J・カーリシモ 2002-2007(AC)
ジョー・プランティ 2002-2005(AC)
マイク・ブラウン 2000-2003(AC)
ドン・ニューマン 2005-2013(AC)
ジャック・ヴォーン 2010-2012(AC)
マイク・ビューデンホルツァー(Mike Budenholzer)1996-2013(AC)
アトランタ・ホークスHC
ブレット・ブラウン(Brett Brown)2002-2013(AC)
76サーズHC

現在のチーム・スタッフ[編集]

ゼネラルマネージャー(GENERAL MANAGER)
R・C・ビュフォード(R.C.Buford)
ヘッドコーチ(HEAD COACH)
グレッグ・ポポヴィッチ(Gregg Popovich)
アシスタントコーチ(ASSISTANT COACH(ES))
エットレ・メッシーナ(Ettore Messina)(イタリア)
ジム・ボイレン(Jim Boylen)(メイン大学)
チップ・イングランド(Chip Engelland) (デューク大学)
ベッキー・ハモン(Becky Hamon) (コロラド州立大学)
チャド・フォーシァー(Chad Forcier) (シアトルパシフィック大学)
アイミ・ウドカ(Ime Udoka) (ポートランド州立大学)
強化調整コーチ(STRENGTH-AND-CONDITIONING COACH)
マット・ハーリング(Matt Herring)
アスレチックトレーナー(ATHLETIC TRAINER)
ウィル・セヴェニング(Will Sevening|) (College - Wisconsin-LaCrosse)

チーム記録[編集]

サンアントニオ・スパーズのチーム記録

マスコット[編集]

脚註[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ San Antonio vs. Everybody”. NBA.com (2016年3月18日). 2016年3月18日閲覧。
  2. ^ Franchise History”. NBA.com. 2016年3月18日閲覧。
  3. ^ Team Up Challenge -Spurs.com
  4. ^ 8900miles by Bill Schoening
  5. ^ Rookie of the Year NBA.com
  6. ^ Rookie of the Year NBA.com
  7. ^ Most Valuable Player NBA.com
  8. ^ Six Man Award-NBA.com
  9. ^ dallas-mavericks-vs-san-antonio-spurs -ESPN.com
  10. ^ もう退屈だとは言わせない、絶好調スパーズの七変化-Number.bubsyun.jp
  11. ^ Pacers trade for G George Hill - The Washington Times
  12. ^ N.B.A. Reaches a Tentative Deal to Save the Season - The New York Times
  13. ^ Warriors send Jackson to Spurs for small forward Jefferson - Sports illstrated
  14. ^ NBA's T.J. Ford retires as medical precaution - USA Today
  15. ^ Spurs Sign Patrick Mills - Spurs.con
  16. ^ Spurs' Big 3 ties Showtime Lakers greats for most playoff wins by a trio --Yahoo.sports
  17. ^ 2014NBAファイナル第5戦スタッツ分析:スパーズが史上最多得点差をつけて優勝
  18. ^ Nine amazing stats about San Antonio's dominant 2014 NBA championship--USA TODAY SPORTS
  19. ^ Duncan/Parker/Ginobili win 500th game as trio
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外部リンク[編集]