ファブリシオ・オベルト

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ファブリシオ・オベルト
Fabricio Oberto
Fabri Oberto.jpg
現役時代 (ワシントン・ウィザーズ) のオベルト (2010年)
引退
ポジション
(現役時)
PF/C
背番号(現役時) 7
身長(現役時) 208cm  (6 ft 10 in)
体重(現役時) 111kg (245 lb)
基本情報
本名 ファブリシオ・ラウル・ヘスス・オベルト
愛称 "Fabri"
ラテン文字 Fabricio Oberto
スペイン語 Fabricio Raúl Jesús Oberto
誕生日 1975年3月21日(41歳)
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
出身地 コルドバ州の旗 コルドバ州Las Varillas
ドラフト 2005年 ドラフト外 
選手経歴
1993-1998
1998-1999
1999-2002
2002-2005
2005-2009
2009-2010
2010
2013
オリンピアコス アテナス・コルドバ
オリンピアコス オリンピアコス
タウ・セラミカ サスキ・バスコニア
バレンシアBC バレンシアBC
サンアントニオ・スパーズ サンアントニオ・スパーズ
ワシントン・ウィザーズ ワシントン・ウィザーズ
ポートランド・トレイルブレイザーズ
アテナス・コルドバ
受賞歴
代表歴
キャップ アルゼンチンの旗 1995-2008
 
獲得メダル
男子バスケットボール
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
オリンピック
2004 アテネ 男子
2008 北京 男子
世界選手権
2002 インディアナポリス 男子
FIBAアメリカ選手権
2001 ネウケン 男子

ファブリシオ・オベルトFabricio Oberto)ことファブリシオ・ラウル・ヘスス・オベルトFabricio Raúl Jesús Oberto, 1975年3月21日- )は、アルゼンチンコルドバ州出身の元プロバスケットボール選手NBAでは5シーズンプレーしサンアントニオ・スパーズで2006-2007年シーズン優勝に貢献した。2004年アテネ五輪で金メダルを獲得したアルゼンチン代表最強時代のメンバーでもあった。人種はイタリア系アルゼンチン人。身長208cm、体重111kg、背番号は7番。アルゼンチンとイタリアの両国籍を持つ。趣味のギターはプロ級の腕前。

経歴[編集]

17歳でアルゼンチンの名門ADアテナス・デ・コルドバと契約。アルゼンチンリーグでMVPに選ばれた後、1998年ギリシャのグリーク・オリンピアコス(Greek Olympiakos)と契約、翌年スペインタウ・セラミカに移籍する。2002年にはパメサ・バレンシアに移籍。2005年までヨーロッパでプレーする。

NBA[編集]

2005年にNBAサンアントニオ・スパーズとチーム史上最高齢の31歳のルーキーとして契約し、アルゼンチン代表のチームメイト、でもあるマヌ・ジノビリと同僚となる。ルーキーシーズンはフィジカルコンタクトの多いNBAに慣れるのに苦労するものの、2年目のには頻繁にスターターとして起用される[1][2]。特に11月8日のフェニックス・サンズ戦では野投失敗なし(全11本成功)の22点と活躍。ティム・ダンカンの黒子役というイメージが強いが、リバウンドを得意とし、オフェンスでもボールを持っていない時のポジション取りに優れている。また、数字には表れないものの、スクリーンでトニー・パーカーやジノビリのペネトレイションを支えた。

2008-09シーズン後、2度のトレードでミルウォーキー・バックスを経由してデトロイト・ピストンズへ移籍したが、まもなくウ解雇され、その後ワシントン・ウィザーズと契約し1シーズンをプレーしNBAでのプレー。2010-11シーズンはポートランド・トレイルブレイザーズと契約したものの、体調面の不備が発覚し、開幕後に退団した。

アルゼンチン代表[編集]

1995年に代表入り。2002年の世界選手権(インディアナポリス)での銀メダル、2004年アテネオリンピックでの金メダルに貢献する。2006年日本開催の世界選手権にも来日し、NBA選手を中心に構成されるアルゼンチン代表の先発センターを務める。2008年北京オリンピックでも銅メダルを獲得した。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]