ルイス・スコラ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はスコラ第二姓(母方の)はバルボアです。
ルイス・スコラ
Luis Scola
Luis Scola by Brenda Staples Photography.jpg
2014年のスコラ
FA
ポジション PF
身長 206cm  (6 ft 9 in)
体重 111kg (245 lb)
ウィングスパン 216cm  (7 ft 1 in)
シューズ アンタ
基本情報
本名 Luis Alberto Scola Balvoa
愛称 "Luifa"
ラテン文字 Luis Scola
スペイン語 Luis Alberto Scola Balvoa
誕生日 (1980-04-30) 1980年4月30日(36歳)
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
出身地 ブエノスアイレスの旗ブエノスアイレス
出身 アルゼンチンの旗 フェロカリル・オエステ
ドラフト 2002年 55位 
選手経歴
1995–1998
1998–2000
2000–2007
2007-2012
2012-2013
2013-2015
2015-2016
2016-2017
ホベントゥット・バダローナ フェロカリル・オエステ
ホベントゥット・バダローナ ヒホン・バロンセスト
サスキ・バスコニア タウ・セラミカ
ヒューストン・ロケッツ ヒューストン・ロケッツ
フェニックス・サンズ
インディアナ・ペイサーズ
トロント・ラプターズ
ブルックリン・ネッツ
受賞歴
代表歴
キャップ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1999年-現在
 
獲得メダル
男子バスケットボール
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
オリンピック
2004 アテネ
2008 北京
世界選手権
2002 インディアナポリス
FIBAアメリカ選手権
1999
2001 ネウケン
2003 サンフアン
2007 ラスベガス 大会MVP

ルイス・スコラLuis Scola)ことルイス・アルベルト・スコラ・バルボアLuis Alberto Scola Balvoa1980年4月30日 - )は、アルゼンチンのプロバスケットボール選手リーガACBで活躍し、NBAヒューストン・ロケッツなどに所属していた。首都ブエノスアイレス出身。ポジションはパワーフォワード

来歴[編集]

1996年、地元ブエノスアイレスフェロカリル・オエステでプロキャリアを開始。

1998年、スペインへ渡りLEB(2部リーグ)に所属するヒホンに入団。リーガACB昇格の原動力となった。

2000年、ACBの強豪タウ・セラミカへ移籍。2002年のACB初優勝を始め、ユーロリーグでも2000/01準優勝など長きにわたり活躍を見せ、ファーストチームにも2度選出された。

NBA[編集]

2002年のNBAドラフトサンアントニオ・スパーズに全体55位指名を受けた。2005年にスパーズは、同じアルゼンチン代表であるマヌ・ジノビリのチームメートとして獲得するために、バイアウトを試みたが失敗し、ファブリシオ・オベルトを代わりに獲得した。

2007年、優先交渉権がジャッキー・バトラーと合わせてヴァシレイオス・スパヌリスとの交換によりヒューストン・ロケッツへ譲渡され契約を結んだ[1](スパヌリスはスパーズでプレーせずギリシアに帰国)。

07-08シーズンの新人王投票では、ケビン・デュラントの545ポイント、アル・ホーフォードの390ポイントに次ぐ146ポイントを獲得した[2]。またNBAオールルーキーファーストチームに選ばれた。

2010年3月13日のニュージャージー・ネッツ戦で自己ベストの44得点をあげた。

2011年12月8日、NBAのロックアウトが終了する直前にロケッツ、ロサンゼルス・レイカーズニューオーリンズ・ホーネッツとの間で、ゴラン・ドラギッチケビン・マーティンラマー・オドムがホーネッツに移籍、パウ・ガソルがレイカーズからロケッツに移籍、クリス・ポールがホーネッツからレイカーズに移籍するトレードの合意がなされたが、その夜他のチームオーナーからこのトレードに反対する意見が出て、デビッド・スターンNBAコミッショナーはこのトレードを無効と決定した[3]

11-12シーズン、平均15.5得点、6.4リバウンドをあげた[4]

2012年7月13日、ロケッツにアムネスティ条項を行使され放出された。ロケッツはこの年、ドワイト・ハワードの獲得を狙っており、サラリーキャップを空けるための放出であった (ハワードは翌年獲得) 。ロケッツでの5シーズンでスコラは平均14.5得点、7.7リバウンドをあげていた[5]。7月15日、フェニックス・サンズがスコラのウェーバーにクレームし獲得した[6]

2013年7月27日、ジェラルド・グリーンマイルス・プラムリー、将来のドラフト1巡指名権とのトレードでインディアナ・ペイサーズに移籍した[7]

2015年夏、FAとなったスコラは、ユーロリーグを制覇したレアル・マドリード・バロンセスト入りが噂されるも、引き続きNBAで戦うことを決意。7月8日にトロント・ラプターズと1年300万ドルで契約した。

2016年7月12日、ブルックリン・ネッツと契約[8]。翌年2月27日に解雇された[9]

アルゼンチン代表[編集]

アルゼンチン代表として20022006年世界選手権に出場。2002年は銀メダルを獲得。

また、アテネ五輪では金メダル獲得メンバーのひとりである[1]北京五輪では銅メダルを獲得。

脚注[編集]

  1. ^ a b San Antonio's 2002 draft pick Scola signs with Rockets”. ESPN (2007年7月18日). 2015年6月1日閲覧。
  2. ^ Kevin Durant Named T-Mobile Rookie of the Year”. nba.com (2008年5月1日). 2015年6月1日閲覧。
  3. ^ Adrian Wojnarowski (2011年12月9日). “[ケビン・マーティン (バスケットボール) Teams still pushing for Paul trade]”. Yahoo! Sports. 2015年6月1日閲覧。
  4. ^ Doug Haller (2012年7月15日). “Reports: Phoenix Suns acquire Luis Scola in auction”. azcentral.com. 2015年6月1日閲覧。
  5. ^ Rockets use amnesty on Scola”. FOXスポーツ (2014年7月24日). 2015年6月1日閲覧。
  6. ^ Royce Young. “Suns claim Luis Scola off waiver wire, amnesty Josh Childress”. CBSスポーツ. 2015年6月1日閲覧。
  7. ^ Pacers Acquire Luis Scola; Send Green, Plumlee, Future No. 1 Pick to Suns”. nba.com (2013年7月27日). 2015年6月1日閲覧。
  8. ^ Luis Scola agreed to terms with Nets
  9. ^ Nets waive Luis Scola

関連項目[編集]

外部リンク[編集]