ロサンゼルス・レイカーズ
ロサンゼルス・レイカーズ Los Angeles Lakers | ||||
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所属リーグ |
NBA ![]() ![]() | |||
カンファレンス | ウェスタン・カンファレンス | |||
ディビジョン | パシフィック | |||
創設 | 1946年 | |||
チーム史 |
デトロイト・ジェムズ (1946-1947) ミネアポリス・レイカーズ (1947-1960) ロサンゼルス・レイカーズ (1960 - 現在 ) | |||
本拠 |
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アリーナ |
ステイプルズ・センター[1] 1999年開設 | |||
チームカラー |
パープル, ゴールド, ブラック[2][3][4] | |||
オーナー | ジーニー・バス | |||
GM | ロブ・ペリンカ | |||
ヘッドコーチ | フランク・ヴォーゲル | |||
優勝歴 |
NBL:1回(1948年) NBA:17回 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1972年, 1980年, 1982年, 1985年, 1987年, 1988年, 2000年, 2001年, 2002年, 2009年, 2010年, 2020年) | |||
ファイナル進出 | 32回(1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1959年, 1962年, 1963年, 1965年, 1966年, 1968年, 1969年, 1970年, 1972年, 1973年, 1980年, 1982年, 1983年, 1984年, 1985年, 1987年, 1988年, 1989年, 1991年, 2000年, 2001年, 2002年, 2004年, 2008年, 2009年, 2010年, 2020年) | |||
ディビジョン優勝 | 32回(1950年, 1951年, 1953年, 1954年, 1962年, 1963年, 1965年, 1966年, 1969年, 1971年, 1972年, 1973年, 1974年, 1977年, 1980年, 1982年, 1983年, 1984年, 1985年, 1986年, 1987年, 1988年, 1989年, 1991年, 2000年, 2001年, 2004年, 2008年, 2009年, 2010年, 2011年, 2012年) | |||
永久欠番 | 8 13 22 24 25 32 33 34 42 44 52 | |||
NBADL提携チーム | サウスベイ・レイカーズ | |||
公式サイト |
www | |||
ユニフォーム | ||||
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ロサンゼルス・レイカーズ (Los Angeles Lakers) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョンに所属。レイカーズは同じロサンゼルスに本拠地を置くNBAチームロサンゼルス・クリッパーズとWNBAのロサンゼルス・スパークス、NHLのロサンゼルス・キングスのホームアリーナとしてステイプルズ・センターを共同で使用している[1]。レイカーズはNBAの歴史の中でも最も成功したチームの1つであり、ボストン・セルティックスと並んで歴代最多タイの17回のNBAチャンピオン及び1回のNBLチャンピオンを獲得している。その他に1回のマクドナルド選手権優勝がある。
元はミネソタ州にあり、一帯には湖が多かったことにちなんでレイカーズと名付けられた。
1960年代のレイカーズはエルジン・ベイラーとジェリー・ウェストを中心としたチームでNBAファイナルを6回出場を果たしたが、セルティックスに6回とも敗北し、これにより長年にわたるセルティックスとのライバル関係が始まった。1968年、レイカーズは4度のシーズンMVPを受賞しているウィルト・チェンバレンを獲得し、新しいヘッドコーチとしてビル・シャーマンを就任し1972年に6回目となるNBAチャンピオンを獲得した。ウェストとチェンバレンの引退後、チームはカリーム・アブドゥル=ジャバーを獲得した。ジャバーは在籍中シーズンMVPを複数回受賞したが、1970年代後半はタイトルを獲得することができなかった。
1980年代のレイカーズは、マジック・ジョンソン率いるトランジションオフェンスから、「ショータイム」という愛称で呼ばれた。チームは9年間で5回のチャンピオンを獲得し、当時はマジックの他にのちに殿堂入りとなるジャバーやジェームズ・ウォージーが所属しており、ヘッドコーチには現在マイアミ・ヒートの球団社長であるパット・ライリーが就任していた。ジャバーとマジックが引退した後、1990年代初頭は低迷していたが、1996年にシャキール・オニールとコービー・ブライアントを獲得した。ヘッドコーチには1990年代に6回の優勝を果たしているフィル・ジャクソンが就任し、オニールとコービーのダイナミックデュオとともに、チームは2000年から2002年にかけてフランチャイズ史上2回目となるスリーピート(3連覇)を達成した。また2009年と2010年には2連覇を達成した。しかしその後10年間チームは低迷し続けることとなったが、2018-19シーズンよりレブロン・ジェームズを獲得した事により名門復活を掲げ、2019年にはアンソニー・デイビスを獲得し、2020年に見事優勝を果たした。
1971-72シーズンにおいて、NBA史上最長となる33連勝の記録を保持している[5]。現在、レイカーズに在籍したことがある26人の選手と4人のヘッドコーチが殿堂入りとなっている。王朝時代を築いた4人の選手(ジャバー、ジョンソン、オニール、ブライアント)らのレイカーズ在籍時に獲得したシーズンMVPは計8個である[6]。
歴史[編集]
1947–1958:始まりとミネアポリス王朝[編集]
1946年、デトロイト・ジェムズとして創設され、NBLに加盟。4勝40敗と惨憺たる結果に終わり(ジェムズの勝敗は通算勝敗に数えない)、1947年にはミネアポリスへ移転し、ミネアポリス・レイカーズに改名した(ミネアポリスのあるミネソタ州は湖が多いことで有名)。 前年、デトロイト・ジェムズがリーグ最低の成績に終わっていたため、後に偉大なセンターとなるジョージ・マイカンをドラフトで獲得した。1948年、所属していたNBLとBAAが合併、NBAが結成される。
ジョン・クンドラに率いられたチームは後に殿堂入りしたヴァーン・ミッケルセン、ジム・ポラード、ド・ラヴレットらを擁し1952年から1954年までの3連覇を含み、1949年、50年にも優勝、6年間で5回優勝と黄金時代を築いた。
1958–1968:ロサンゼルスに移転、セルティックスとのライバル関係[編集]
その後、1960年にロサンゼルスへ移転。ロサンゼルス・レイカーズとなる。1960年代は殿堂入りしたエルジン・ベイラー、ジェリー・ウェスト、ゲイル・グッドリッチそしてウィルト・チェンバレンを擁したが豊富なタレントにもかかわらず8年間のうち、6度もボストン・セルティックスを破ることができずに優勝することが出来なかった。
セルティックスのビル・ラッセルが引退するとNBAは新時代を迎えニューヨーク・ニックスが台頭しレイカーズと3回NBAファイナルで激突した。1960年代のライバルがセルティックスなら1970年代のライバルはニックスとなった。1970年にニックスとファイナルで対戦したが敗退する。1972年にベイラーが怪我が元で引退をするとチームの結束力は高まり、ビル・シャーマンヘッドコーチのもとでアメリカのプロスポーツチーム最多連勝記録33連勝を記録しファイナルでニックスを破り久々に優勝した。これはロサンゼルスにもたらされた最初のチャンピオンシップとなった。その後、チェンバレンやウェストなど主力選手が引退し世代交代していく。トレードでカリーム・アブドゥル=ジャバーを獲得したが見返りに有能な選手を放出したためしばらくは優勝できなかった。
1979–1991:「ショータイム」[編集]

1979年にマジック・ジョンソンが入団してから黄金時代を築く。 1979-80シーズンのNBAファイナルでフィラデルフィア・セブンティシクサーズを破り、ジョンソンは新人ながらファイナルMVPを受賞した。ジョンソンはジャバーが欠場した試合で42得点15リバウンド7アシストを記録してシリーズを制した。
1982年にはジェリー・ウェストがジェネラルマネージャーに就任、ジェームズ・ウォージーをドラフト1位で獲得し、ジョンソンを中心とした華やかな速攻からチームは「ショータイム」と呼ばれた。1980年代には元レイカーズの選手のパット・ライリー率いるレイカーズは10年間のうち、8回ファイナルに進出し、そのうち5度優勝した。1987年、88年の連覇は1969年のボストン・セルティックス以来であった。この間、ラリー・バード擁するボストン・セルティックスと3回対戦、そのうち2回優勝、ジュリアス・アービング擁するフィラデルフィア・セブンティシクサーズとは3回対戦して2回優勝している。

特に1987年のチームはボストン・セルティックスを倒しNBA歴代最高のチームに選ばれた。1988年、89年のファイナルではアイザイア・トーマスを中心としたバッドボーイズのデトロイト・ピストンズと2年連続対戦、88年はトーマスの負傷もあって4-3で勝利したが、翌89年は4連敗で敗れた。アブドゥル=ジャバー、ライリーが去った91年にもファイナルに進出したがマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズに敗れ、ジョンソンはしばらく現役を退いた。その後はウォージーも引退し、1990年代中盤頃にはセドリック・セバロス、ブラディー・ディバッツ、エルデン・キャンベルやニック・バン・エクセル、アンソニー・ピーラー、ジョージ・リンチ、エディー・ジョーンズなど、好選手を多く擁した布陣を敷くが、プレーオフを勝ち抜くには至らなかった。
1996-2016:コービー・ブライアントの時代[編集]
シャック&コービーの王朝[編集]
1995-96シーズン終了後シャキール・オニールをオーランド・マジックより獲得、シャーロット・ホーネッツが全体13位で指名したコービー・ブライアントを、ベテランセンター・ブラデ・ディバッツとのトレードで獲得、また全体24位でデレック・フィッシャーを獲得すると次第にチーム状態は上向き一躍優勝候補になった。
1999年にフィル・ジャクソンをヘッドコーチに迎え、グレン・ライス、ロン・ハーパー、ホーレス・グラントらベテラン選手を加えたチームは躍進し、レイカーズは2000年、2001年、2002年に3連覇を果たしオニールは3年連続でファイナルMVPを受賞して再び黄金時代を築いた。特に2001年のプレイオフのレイカーズは15勝1敗で過去最高の勝率を記録した。2003年にサンアントニオ・スパーズに敗北し、4連覇の道は閉ざされた。
2003-04シーズン前、何としてもチャンピオンリングを取りたい大物ベテランのカール・マローン、ゲイリー・ペイトンとを加え「史上最強のチーム」とも呼ばれ、2004年のファイナルに進出したがデトロイト・ピストンズに1勝4敗で敗れた。マローンの不振が敗因の1つとも言われている。またオニールとコービーは不仲であり(どちらが攻撃の中心となるか、という問題において)、2004年7月にオニールはラマー・オドムらと交換でマイアミ・ヒートに移籍し、フィル・ジャクソンもチームを去った。
コービー&ガソルの時代[編集]
2004-05シーズンにプレイオフ出場を逃したが、2005-06シーズンにはフィル・ジャクソンが帰還。チームは、フランチャイズ歴代最多記録となる1試合81得点などを記録したコービーを中心に戦ったがウエスト7位に終わり、プレーオフ1回戦でフェニックス・サンズに敗れた。レイカーズが1回戦を勝ち上がっていた場合、同じステイプルズ・センターを本拠地とするロサンゼルス・クリッパーズとの対戦という面白い組み合わせとなるところだった。オニール退団後の数年は、コービーはスコアラーとしての能力を存分に発揮したが、チームとしては低迷していた。
2007-08シーズンの冬季トレード市場では、クワミ・ブラウン、ジャバリス・クリッテントン、ドラフト指名権とのトレードでメンフィス・グリズリーズから2002年の新人王を受賞したパウ・ガソルを獲得し、大型センタープレーヤーの補強に成功すると再び「西の強豪」となりNBAファイナルにも4年ぶりに進出したが、宿命のライバルであるボストン・セルティックスに敗れた。
2008-09シーズン、ファイナルでオーランド・マジックを破り7季ぶり15回目の優勝を果たした。
2009-10シーズン、一昨年敗れた宿敵の相手ボストン・セルティックスをファイナルで破り2連覇を達成。
2010-11シーズンは3連覇を狙ったが、その年のファイナルを制したダラス・マーベリックスにプレーオフセミファイナルでスイープ負けを喫し、不完全燃焼でシーズンを終え、フィル・ジャクソンも退任した。
6年連続でプレーオフに進出した2011−12シーズンは昨年の名誉挽回を試みたが、1回戦のデンバー・ナゲッツに予想外に手こずり7戦目でようやく勝利したが、2回戦はオクラホマシティ・サンダー相手に1勝しかできず、セミファイナルで敗退。
ナッシュ&ハワードの獲得、しかし低迷期へ[編集]
2012年7月11日、サイン&トレードでMVPを2回獲得したスティーブ・ナッシュの獲得を発表。背番号は10。ナッシュの前所属であるフェニックス・サンズは2013年と2015年のドラフト1巡目指名権、2014年と2015年のドラフト2巡目指名権、現金300万ドル(約2億4,000万円)をレイカーズから獲得することとなった。さらに当時現役最強のセンターであったドワイト・ハワードもオーランド・マジックから獲得し、3年ぶりの優勝を狙った。しかし、HCのマイク・ブラウンが取り入れた「プリンストン戦略」に選手が上手くハマらずプレシーズンは0勝8敗に終わり、史上初のプレシーズン全敗を記録した。加えてレギュラーシーズン第2戦目でナッシュが当時ルーキーのデイミアン・リラードと衝突、その際に右脚を骨折する重症を負い20試合以上を離脱することになった。結局、第4戦目にしてブラウンが成績不振を理由に解雇され、代わりにナッシュがサンズ時代にHCを勤めていたマイク・ダントーニが就任する。この就任はナッシュがダントーニの得意とするアップテンポなバスケスタイルを理解しており、以前アマレ・スタウダマイアーと展開したようなピック&ロールがハワードと再現できるとチームが考えていたからとされている。
しかしナッシュが怪我で離脱している間、チームの戦略がブラウンのオフェンシブな物からダントーニの超オフェンシブな物に変わり、チームは混乱に陥った。コービーのもとそこそこ奮闘したが、この方針の急転換に選手がついていけるはずがなく、成績は悲惨なものに。ダントーニの戦略を熟知しているナッシュが怪我から2ヶ月後に復帰した時期には希望が見えかけたが、ピック&ロールをほとんど経験していないハワードにはアマレのような立ち回りができず、NBAオールスターゲーム前の前半は25勝29敗と勝率5割をきっていた。オールスター後、ダントーニは「チームがプレイオフに行くには20勝8敗が最低条件」と言及。勝率5割をきっていた彼らには高すぎるハードルだった。
ところが、後半戦では快進撃を見せつけ「最低条件」を見事にクリア。プレーオフ圏内の7位に滑り込んだ。しかし、コービーがレギュラーシーズン終了5日前のゴールデンステート・ウォリアーズ戦でアキレス腱を断裂、プレーオフは絶望的になった。
そんな状況で迎えたプレーオフでは、1回戦でサンアントニオ・スパーズと対戦。しかし、多くの選手を怪我で無くしていたチームは機能せず、屈辱のスイープ負け、屈辱のシーズンに幕が降ろされた。シーズン終了後、ハワードはヒューストン・ロケッツに移籍した。
2013-14シーズンはコービーがわずか6試合、ナッシュが15試合しか出場にできなかったこともあり、ロサンゼルスにフランチャイズ移転以降初めて30勝以下となる、27勝55敗でシーズンを終えた。8シーズン続いていたプレーオフ進出も途切れることとになった。
2014-15シーズンは、ヘッドコーチにチームOBのバイロン・スコットを招聘し、再スタートを切ることになった。しかしガソルがシカゴ・ブルズに移籍するなど暗雲は依然垂れ込めていた。チームはガソルの獲得に伴ってブルズから放出されていたカルロス・ブーザーと契約。更にヒューストン・ロケッツから地元出身のジェレミー・リンを獲得するなど、積極的に動いたが、前シーズンからの悪夢は続く。キャンプ中にニック・ヤングが右手を骨折し、ナッシュが持病の背中痛を悪化させてそのまま引退を表明。更に開幕戦のヒューストン・ロケッツ戦で、ルーキーのジュリアス・ランドルがシーズン絶望となる怪我(右足の骨折)を負ってしまう。そしてコービーも2015年に入って右肩を負傷し手術のためにシーズン残り試合を全休となるなど、ネガティブな要素ばかりが目立ってしまった。スコットHCが掲げていたチームディフェンスの立て直しも当然進まず、結局は前シーズンをも下回る21勝61敗というチームワーストの成績でシーズンを終えた。
2015-16シーズンは開幕直後からコービーが絶不調で、それに引きずられるようにチームも負けを重ねた。11月29日にコービーが引退宣言を行い、レジェンドのファイナル・シーズンにチーム内外から奮起を求められるも、その後もNBAワーストの28連敗中だったフィラデルフィア・76ersに敗れるなど調子は上がらず、2年連続でチームワーストを更新する17勝65敗に留まりウェスタン・カンファレンス最下位でシーズン終了。コービーに花道を飾ることはできなかった。
2016-2018:コービー引退後[編集]
2016年4月24日、レイカーズはバイロン・スコットの次のシーズンの契約オプションを行使しないことを発表した[7]。4月29日、ルーク・ウォルトンを新ヘッドコーチとして就任した。ウォルトンは当時プレーオフ真っ只中のゴールデンステート・ウォリアーズのアシスタントコーチに就任していたため、ウォリアーズのプレーオフが終了するまで正式にヘッドコーチとして活動できなかった[8]。2016年のNBAドラフトではデューク大学出身のブランドン・イングラムを全体2位で指名した[9]。
2017年2月21日、レイカーズはゼネラルマネージャーのミッチ・クプチャクを解雇し、マジック・ジョンソンをバスケットボール事業の社長に任命した[10][11]。2017年3月7日、レイカーズはロブ・ペリンカをゼネラルマネージャーとして5年間の契約を結んだ[12]。2017年のNBAドラフトでは昨年と同じ全体2位でロンゾ・ボールを指名した[13]。また27位でブルックリン・ネッツから指名されたカイル・クーズマをドラフト開催日にブルック・ロペスやデアンジェロ・ラッセルらが絡んだ大型トレードにより権利がレイカーズに移動し獲得した。
2018-現在 : レブロン・ジェームズ時代[編集]

2018-19シーズン開幕前、FAとなったレブロン・ジェームズをクリーブランド・キャバリアーズから獲得[14]。マジック・ジョンソンGMは、"3年計画"での名門復活を掲げた[15]。
2018-19シーズンは、シーズン中にトレードでアンソニー・デイビスの獲得を狙ったが、対価として放出されそうな若手達が動揺し、チーム内の雰囲気は悪化。結局デイビスの獲得には失敗し、最終成績はレブロンが加わったにも関わらず前年からわずか2勝しか上積みできず、6年連続でプレーオフを逃した。ジョンソンは責任を取ってGMを辞任し、ヘッドコーチのルーク・ウォルトンも解雇。 5月13日、フランク・ヴォーゲルが新ヘッドコーチに就任した。2019年のNBAドラフトで1巡目4位の指名権を獲得した。7月6日、ニューオーリンズ・ペリカンズとのトレードでロンゾ・ボール、ブランドン・イングラム、ジョシュ・ハート、2019年のドラフト総合4位指名権を放出し、デイビスを獲得した[16]。
2019-20シーズンはレブロンとデイビスの強力なデュオを中心に開幕から勝利を積み重ねた。12月12日のオーランド・マジック戦に96対87で勝利し、ロード戦12連勝でウェスタン・カンファレンス首位をキープ。また22勝3敗という戦績は、1985-86シーズンに並ぶ球団最高記録である[17]。シーズンの中断後、レイカーズはレギュラーシーズンの最後の8試合に参加できるNBAバブルに招待された22チームの1つに選ばれた。そしてレイカーズは2013年以来となるプレーオフ進出を決め、52勝19敗で10年ぶりとなる第1シードを獲得した[18]。プレーオフ1回戦ではポートランド・トレイルブレイザーズを5試合で破り、カンファレスセミファイナルのヒューストン・ロケッツも5試合で破り、カンファレンスファイナルのデンバー・ナゲッツもまたしても5試合で破り2010年以来となるNBAファイナルに進出した。ファイナルの相手はファイナル初出場となったジミー・バトラー擁するマイアミ・ヒートと対戦。結果は4-2で勝利し10年ぶりの優勝を果たした。またレブロン・ジェームズは、キャリア4度目となるファイナルMVPに選ばれた。この勝利により、レイカーズはフランチャイズ史上17回目のNBAチャンピオンとなり、ボストン・セルティックスと並ぶ史上最多となった。そして2017年にジェリー・バスからチームを引き継いだレイカーズのオーナーであるジーニー・バスは、NBAチャンピオンを獲得した初の女性オーナーとなった。
セレブリティ[編集]
ハリウッドのそばにあるため、レイカーズの本拠地では有名な映画俳優が多数見られる。中でもジャック・ニコルソンが最も有名で彼はシーズンチケットを1967年より持っている。他によく知られているのは、デンゼル・ワシントン、ダスティン・ホフマン、アンディ・ガルシア、ペニー・マーシャル、アイス・キューブ、シルヴェスター・スタローン、マイケル・クラーク・ダンカン、ダイアン・キャノンである。 南カリフォルニアに本拠地を置くレッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーも長年のレイカーズファンであることが知られている。 「Salute to "Kareem" and "Magic Johnson", a tribute to the "Showtime"-era Lakers」 というジャバーやマジック・ジョンソンの歌が彼らのアルバム Mother's Milk にある。チリペッパーズのベースのフリーにより、2005-06シーズンNBA公式HPにレイカーズのブログが書かれた。 07-08シーズンでは、プロサッカー選手であるデビッド・ベッカムがロサンゼルスチームであるギャラクシーに移籍し、多々ステイプルズセンターを訪れ妻ビクトリア夫人と共に観戦し、話題を呼んだ。
その他[編集]
- ミネアポリス・レイカーズと呼ばれていた頃に、フォート・ウェイン・ピストンズと共に一試合の最低得点記録を持っている。1950年11月22日、対ピストンズ戦で、レイカーズは第4クォーターまでリードしていたが、ピストンズに試合をひっくり返され、19対18で負けている。これは、ショットクロックや10秒ルールなどが適用され、試合のテンポを早める工夫がされる前である。
- ミネアポリスを本拠にした最後のシーズンの1960年1月18日、セントルイスからの遠征の帰途についていたレイカーズのメンバーを乗せたダグラス DC-3は飛行途中に電気系統が故障、無線やコンパスも使えなくなった。出発地に引き返すこともできたが、失敗した場合の被害の大きさを考え、目的地を目指した。機長は北極星を目印に飛行を続けた。空港まで燃料がもたないと判断し途中の高速道路に緊急着陸しようとしたが、副操縦士から「道路には溝や石、走行中の車もあるので危険だ」とアドバイスを受けて取りやめ、畑の方が積雪により安全性が高いという副操縦士の意見から、目視で発見したアイオワ州のキャロルという小さな町のトウモロコシ畑に緊急着陸、畑に50cmほど積もった雪がクッション代わりになり、乗っていたレイカーズの選手・コーチは全員無事だった[19] 。
- 1960年にロサンゼルスに移転後、プレイオフに進出できなかったのはわずか4度である。
- レイカーズはホームゲームでのジャージの色が白でない唯一のチームである(金)。ただし2002-03シーズンからは日曜や祝日のホームゲームでは白のジャージを着ている。
- オーナーはジェリー・バス。その娘、ジニーはフィル・ジャクソンのガールフレンドでもある。ホームコートはロサンゼルスのダウンタウンにあるステイプルズ・センターだが、練習施設「トヨタ・センター」(浅田真央が練習をするスケートリンクもあり、NHL所属のキングスの練習場でもある)および、チームオフィスはロサンゼルス国際空港にほど近い、エルセグンドと言う街にある。
- 2012年に世界有数の経済誌フォーブスが公表した調査によると、ロサンゼルス・レイカーズの資産価値は9億ドルであり、NBAのチームで1位である。また、チームの収益は2億800万ドルであり、ニューヨーク・ニックスに次ぎ2位である。
シーズンごとの成績[編集]
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン | 勝 | 敗 | % | プレーオフ | 結果 |
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ミネアポリス・レイカーズ (BAA) | |||||
1948-49 | 44 | 16 | .733 | 1回戦勝利 BAA準決勝勝利 BAA決勝優勝 |
レイカーズ 2, シカゴ 0 レイカーズ 2, ロチェスター 0 レイカーズ 4, シラキュース 2 |
ミネアポリス・レイカーズ (NBA) | |||||
1949-50 | 51 | 17 | .750 | 1回戦勝利 ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ over ロチェスター レイカーズ 2, シカゴ 0 レイカーズ 2, フォートウェイン 0 レイカーズ 2, アンダーソン 0 レイカーズ 4, シラキュース 2 |
1950-51 | 44 | 24 | .647 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
レイカーズ 2, インディアナポリス 1 ロチェスター 3 レイカーズ 1 |
1951-52 | 40 | 26 | .606 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 2, インディアナポリス 0 レイカーズ 3, ロチェスター 1 レイカーズ 4, ニックス 3 |
1952-53 | 48 | 22 | .686 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 2, インディアナポリス 0 レイカーズ 3, フォートウェイン 2 レイカーズ 4, ニックス 1 |
1953-54 | 46 | 26 | .639 | 総当り戦 総当たり戦 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 3-0 over ロチェスター and フォートウェイン レイカーズ 2, ロチェスター 1 レイカーズ 4, シラキュース 3 |
1954-55 | 40 | 32 | .556 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
レイカーズ 2, ロチェスター 1 フォートウェイン 3, レイカーズ 1 |
1955-56 | 33 | 39 | .458 | 2回戦勝利 ディビジョン準決勝敗退 |
レイカーズ over セントルイス セントルイス 2, レイカーズ 1 |
1956-57 | 34 | 38 | .472 | タイブレークゲーム敗退 ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
セントルイス over レイカーズ レイカーズ 2, フォートウェイン 0 セントルイス 3, レイカーズ 0 |
1957-58 | 19 | 53 | .264 | ||
1958-59 | 33 | 39 | .458 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 2, ピストンズ 1 レイカーズ 4, セントルイス 2 セルティックス 4, レイカーズ 0 |
1959-60 | 25 | 50 | .333 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
レイカーズ 2, ピストンズ 0 セントルイス 4, レイカーズ 3 |
ロサンゼルス・レイカーズ | |||||
1960-61 | 36 | 43 | .456 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
レイカーズ 2, ピストンズ 0 セントルイス 4, レイカーズ 3 |
1961-62 | 54 | 26 | .675 | ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 3, ピストンズ 2 セルティックス 4, レイカーズ 3 |
1962-63 | 53 | 27 | .663 | ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, セントルイス 3 セルティックス 4, レイカーズ 2 |
1963-64 | 42 | 38 | .525 | ディビジョン準決勝敗退 | セントルイス 3, レイカーズ 2 |
1964-65 | 49 | 31 | .613 | ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, ボルチモア 2 セルティックス 4, レイカーズ 1 |
1965-66 | 45 | 35 | .563 | ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, セントルイス 3 セルティックス 4, レイカーズ 3 |
1966-67 | 36 | 45 | .444 | ディビジョン準決勝敗退 | サンフランシスコ 3, レイカーズ 0 |
1967-68 | 52 | 30 | .634 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, ブルズ 1 レイカーズ 4, サンフランシスコ 0 セルティックス 4, レイカーズ 3 |
1968-69 | 55 | 27 | .671 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, サンフランシスコ 2 レイカーズ 4, ホークス 1 セルティックス 4, レイカーズ 3 |
1969-70 | 46 | 36 | .561 | カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, サンズ 3 レイカーズ 4, ホークス 0 ニックス 4, レイカーズ 3 |
1970-71 | 48 | 34 | .585 | カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
レイカーズ 4, ブルズ 3 バックス 4, レイカーズ 1 |
1971-72 | 69 | 13 | .841 | カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 4, ブルズ 0 レイカーズ 4, バックス 2 レイカーズ 4, ニックス 1 |
1972-73 | 60 | 22 | .732 | カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, ブルズ 3 レイカーズ 4, ウォリアーズ 1 ニックス 4, レイカーズ 1 |
1973-74 | 47 | 35 | .573 | 1回戦敗退 | バックス 4, レイカーズ 1 |
1974-75 | 30 | 52 | .366 | ||
1975-76 | 40 | 42 | .488 | ||
1976-77 | 40 | 42 | .488 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 4, ウォリアーズ 3 ブレイザーズ 4, レイカーズ 0 |
1977-78 | 45 | 37 | .549 | 1回戦敗退 | ソニックス 2, レイカーズ 1 |
1978-79 | 47 | 35 | .573 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 2, ナゲッツ 1 ソニックス 4, レイカーズ 1 |
1979-80 | 60 | 22 | .732 | カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 4, サンズ 1 レイカーズ 4, ソニックス 1 レイカーズ 4, シクサーズ 2 |
1980-81 | 54 | 28 | .659 | 1回戦敗退 | ロケッツ 2, レイカーズ 1 |
1981-82 | 57 | 25 | .695 | カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 4, サンズ 0 レイカーズ 4, スパーズ 0 レイカーズ 4, シクサーズ 2 |
1982-83 | 58 | 24 | .707 | カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, スパーズ 2 シクサーズ 4, レイカーズ 0 |
1983-84 | 54 | 28 | .659 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 3, カンザスシティ 0 レイカーズ 4, マーベリックス 1 レイカーズ 4, サンズ 2 セルティックス 4, レイカーズ 3 |
1984-85 | 62 | 20 | .756 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 3, サンズ 0 レイカーズ 4, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, ナゲッツ 1 レイカーズ 4, セルティックス 2 |
1985-86 | 62 | 20 | .756 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
レイカーズ 3, スパーズ 0 レイカーズ 4, マーベリックス 2 ロケッツ 4, レイカーズ 1 |
1986-87 | 65 | 17 | .793 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 3, ナゲッツ 0 レイカーズ 4, ウォリアーズ 1 レイカーズ 4, ソニックス 0 レイカーズ 4, セルティックス 2 |
1987-88 | 62 | 20 | .756 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 3, スパーズ 0 レイカーズ 4, ジャズ 3 レイカーズ 4, マーベリックス 3 レイカーズ 4, ピストンズ 3 |
1988-89 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0 レイカーズ 4, ソニックス 0 レイカーズ 4, サンズ 0 ピストンズ 4, レイカーズ 0 |
1989-90 | 63 | 19 | .768 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 3, ロケッツ 1 サンズ 4, レイカーズ 1 |
1990-91 | 58 | 24 | .707 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 3, ロケッツ 0 レイカーズ 4, ウォリアーズ 1 レイカーズ 4, ブレイザーズ 2 ブルズ 4, レイカーズ 1 |
1991-92 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | ブレイザーズ 3, レイカーズ 1 |
1992-93 | 39 | 43 | .476 | 1回戦敗退 | サンズ 3, レイカーズ 2 |
1993-94 | 33 | 49 | .402 | ||
1994-95 | 48 | 34 | .585 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 3, ソニックス 1 スパーズ 4, レイカーズ 2 |
1995-96 | 53 | 29 | .646 | 1回戦敗退 | ロケッツ 3, レイカーズ 1 |
1996-97 | 56 | 26 | .683 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 3, ブレイザーズ 1 ジャズ 4, レイカーズ 1 |
1997-98 | 61 | 21 | .744 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
レイカーズ 3, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, ソニックス 1 ジャズ 4, レイカーズ 0 |
1998-99 | 31 | 19 | .620 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 3, ロケッツ 1 スパーズ 4, レイカーズ 0 |
1999-00 | 67 | 15 | .817 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 3, キングス 2 レイカーズ 4, サンズ 1 レイカーズ 4, ブレイザーズ 3 レイカーズ 4, ペイサーズ 2 |
2000-01 | 56 | 26 | .683 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0 レイカーズ 4, キングス 0 レイカーズ 4, スパーズ 0 レイカーズ 4, シクサーズ 1 |
2001-02 | 58 | 24 | .707 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0 レイカーズ 4, スパーズ 1 レイカーズ 4, キングス 3 レイカーズ 4, ネッツ 0 |
2002-03 | 50 | 32 | .610 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 4, ウルブズ 2 スパーズ 4, レイカーズ 2 |
2003-04 | 56 | 26 | .683 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, ロケッツ 1 レイカーズ 4, スパーズ 2 レイカーズ 4, ウルブズ 2 ピストンズ 4, レイカーズ 1 |
2004-05 | 34 | 48 | .415 | ||
2005-06 | 45 | 37 | .549 | 1回戦敗退 | サンズ 4, レイカーズ 3 |
2006-07 | 42 | 40 | .512 | 1回戦敗退 | サンズ 4, レイカーズ 1 |
2007-08 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
レイカーズ 4, ナゲッツ 0 レイカーズ 4, ジャズ 2 レイカーズ 4, スパーズ 1 セルティックス 4, レイカーズ 2 |
2008-09 | 65 | 17 | .793 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 4, ジャズ 1 レイカーズ 4, ロケッツ 3 レイカーズ 4, ナゲッツ 2 レイカーズ 4, マジック 1 |
2009-10 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス準決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 4, サンダー 2 レイカーズ 4, ジャズ 0 レイカーズ 4, サンズ 2 レイカーズ 4, セルティックス 3 |
2010-11 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 4, ホーネッツ 2 マーベリックス 4, レイカーズ 0 |
2011-12 | 41 | 25 | .621 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
レイカーズ 4, ナゲッツ 3 サンダー 4, レイカーズ 1 |
2012-13 | 45 | 37 | .549 | 1回戦敗退 | スパーズ 4, レイカーズ 0 |
2013-14 | 27 | 55 | .329 | ||
2014-15 | 21 | 61 | .256 | ||
2015–16 | 17 | 65 | .207 | ||
2016–17 | 26 | 56 | .317 | ||
2017–18 | 35 | 47 | .427 | ||
2018–19 | 37 | 45 | .427 | ||
2019–20 | 52 | 19 | .732 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル勝利 |
レイカーズ 4, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, ロケッツ 1 レイカーズ 4, ナゲッツ 1 レイカーズ 4, ヒート 2 |
通算勝敗 | 3333 | 2282 | .594 | ||
プレイオフ | 440 | 297 | .597 | 優勝17回 |
フランチャイズとNBA記録[編集]
2009-10年シーズン終了時点、レイカーズはNBA最多勝利(3027)、最高勝率(.619)を誇る。また、最も多くNBAファイナルに出場し(31回)、優勝回数は歴代1位の17回である(同1位にボストン・セルティックス)。レイカーズはまた、アメリカのプロチームの中で最も長い連勝記録33を持っている。プレーオフを逃したこともわずか10回(2019年時点)しかない。
主な選手[編集]
現役選手[編集]
ロサンゼルス・レイカーズ ロースター
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プレーヤー | スタッフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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更新日:2021年02月28日 |
年代別主要選手[編集]
太文字…殿堂入り選手(名前の後の数字は背番号) (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人
1940年代 (プレイオフ進出:1回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)
1950年代 (プレイオフ進出:9回 ファイナル進出:5回 優勝:4回)
1960年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:6回)
1970年代 (プレイオフ進出:8回 ファイナル進出:3回 優勝:1回)
1980年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:8回 優勝:4回)
1990年代 (プレイオフ進出:9回 ファイナル進出:1回)
|
2000年代 (プレイオフ進出:9回 ファイナル進出:5回 優勝:4回)
2010年代 (プレイオフ進出:4回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)
2020年代 (プレイオフ進出:1回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)
|
栄誉[編集]
殿堂入り[編集]
ロサンゼルス・レイカーズの殿堂入り選手一覧 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手 | |||||||||
No. | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 | No. | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 |
99 | ジョージ・マイカン 1 | C | 1948–1954 1955–1956 |
1959 | 22 | エルジン・ベイラー | F | 1958–1971 | 1977 |
17 | ジム・ポラード 2 | F | 1948–1955 | 1978 | 13 | ウィルト・チェンバレン | C | 1968–1973 | 1979 |
44 | ジェリー・ウェスト 3 5 | G | 1960–1974 | 1980 | 22 | スレーター・マーティン | G | 1949–1956 | 1982 |
34 | クライド・ラブレット | FC | 1953–1957 | 1988 | 42 | コニー・ホーキンズ | FC | 1973–1975 | 1992 |
19 | ヴァーン・ミッケルセン | F | 1949–1959 | 1995 | 33 | カリーム・アブドゥル=ジャバー | C | 1975–1989 | 1995 |
25 | ゲイル・グッドリッチ | G | 1965–1968 1970–1976 |
1996 | 11 | ボブ・マカドゥー | FC | 1981–1985 | 2000 |
32 | マジック・ジョンソン 4 6 | G | 1979–1991 1996 |
2002 | 42 | ジェームズ・ウォージー | F | 1982–1994 | 2003 |
4 | エイドリアン・ダントリー | F | 1977–1979 | 2008 | 11 | カール・マローン 7 | F | 2003–2004 | 2010 |
73 | デニス・ロッドマン | F | 1999 | 2011 | 52 | キース・ウィルクス | F | 1977–1985 | 2012 |
20 | ゲイリー・ペイトン | G | 2003–2004 | 2013 | 23 | ミッチ・リッチモンド | G | 2001–2002 | 2014 |
31 | スペンサー・ヘイウッド | F | 1979–1980 | 2015 | 31 | ゼルモ・ビーティ | C | 1974–1975 | 2016 |
34 | シャキール・オニール | C | 1996–2004 | 2016 | 11 | チャーリー・スコット | G | 1977–1978 | 2018 |
10 | スティーブ・ナッシュ | G | 2012–2015 | 2018 | 12 | ブラデ・ディバッツ | C | 1989–1996 2004–2005 |
2019 |
8 24 |
コービー・ブライアント | G | 1996–2016 | 2020 | |||||
コーチ | |||||||||
名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 | ||
ジョン・クンドラ | HC | 1948–1957 1958–1959 |
1995 | ビル・シャーマン | HC | 1971–1976 | 2004 | ||
フィル・ジャクソン | HC | 1999–2004 2005–2011 |
2007 | 12 | パット・ライリー 8 | AS HC |
1979–1981 (アシスタント) 1981–1990 (ヘッド) |
2008 | |
テックス・ウィンター | AS | 1999–2008 | 2011 | ルディ・トムヤノビッチ | HC | 2004–2005 | 2020 | ||
その他 | |||||||||
名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 | ||
![]() |
チック・ハーン | アナウンサー | 1961–2002 | 2003 | ジェリー・バス | オーナー | 1979–2013 | 2010 | |
ピート・ニューウェル 9 | GM | 1972–1976 | 1979 |
永久欠番[編集]
- 8 コービー・ブライアント
- 13 ウィルト・チェンバレン
- 22 エルジン・ベイラー
- 24 コービー・ブライアント
- 25 ゲイル・グッドリッチ
- 32 マジック・ジョンソン
- 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー
- 34 シャキール・オニール
- 42 ジェイムス・ウォージー
- 44 ジェリー・ウェスト
- 52 ジャマール・ウィルクス
チック・ハーン (Chick Hearn)
コーチ、その他[編集]
- フィル・ジャクソン (Phil Jackson) - 1999年から2004年までヘッドコーチを務め、3連続優勝にチームを導く。2005-2006シーズンに再びコーチ就任。
- ジェリー・バス (Jerry Buss) - 1979年からチームとアリーナのオーナー。
- チック・ハーン (Chick Hearn) - レイカーズの専属アナウンサー。
歴代ヘッドコーチ[編集]
- ジョン・クンドラ (John Kundla) (1948-58, 1959) ※ミネアポリス・レイカーズの頃のコーチ。殿堂入り。
- フレッド・シャウス (Fred Schaus) (1960-67, 1962-63, 1965-66)
- ブッチ・ヴァン・ブレダ・コルフ (Butch Van Breda Kolff) (1967-69)
- ジョー・マラニー (Joe Mullaney) (1969-71)
- ビル・シャーマン (Bill Sharman) (1971-76) ※2度殿堂入り
- ポール・ウェストヘッド (Paul Westhead) (1979-81)
- パット・ライリー (Pat Riley) (1981-90) ※4回の優勝と0.733という勝率を記録
- マイク・ダンリービー (Mike Dunleavy) (1990-92)
- ランディ・ポンド (Randy Pfund) (1992-94)
- マジック・ジョンソン (Magic Johnson) (1994)
- デル・ハリス (Del Harris) (1994-99)
- ルディ・トムジャノビッチ (Rudy Tomjanovich) (2004-05)
- フィル・ジャクソン (Phil Jackson) (1999-2004, 2005-2011)
- マイク・ブラウン (Mike Brown) (2011-2012)
- マイク・ダントーニ (Mike D'Antoni) (2012-2014)
- バイロン・スコット (Byron Scott ) (2014-2016)
- ルーク・ウォルトン (Luke Walton) (2016-2019)
- フランク・ヴォーゲル (Frank Vogel)(2019- )
チーム記録 [編集]
脚注[編集]
- ^ a b “ステイプルズ・センター公式サイト” (英語). 2020年7月28日閲覧。
- ^ “Media Guidelines And Policies” (英語). 2018–19 Los Angeles Lakers Media Guide. NBA Properties, Inc. (2018年10月16日). 2019年2月10日閲覧。
- ^ “Nike Jerseys” (英語). NBA Media Ventures, LLC. (2018年7月31日) 2019年2月10日閲覧。
- ^ “Los Angeles Lakers Reproduction Guideline Sheet” (英語). NBA Properties, Inc.. 2018年2月8日閲覧。
- ^ “All-Time Longest Win Streaks in NBA History” (英語). NBA.com. NBA Media Ventures, LLC (2013年3月14日). 2019年3月17日閲覧。
- ^ “シーズンMVP受賞者一覧”. basketball-reference.com. 2020年9月27日閲覧。
- ^ “Lakers Part Ways with Head Coach Byron Scott” (英語). NBA.com (2016年4月24日). 2016年4月30日閲覧。
- ^ “Lakers Announce Agreement With Luke Walton to Become New Head Coach” (英語). Los Angeles Lakers (2016年4月29日). 2016年4月30日閲覧。
- ^ “Lakers draft Duke's Ingram with No. 2 selection” (英語). ESPN.com (2016年6月24日). 2017年6月16日閲覧。
- ^ “Lakers Name Earvin "Magic" Johnson President of Basketball Operations” (英語). NBA.com (2017年2月21日). 2017年2月23日閲覧。
- ^ “Lakers GM Mitch Kupchak, exec Jim Buss relieved of duties as Magic Johnson takes over basketball operations” (英語). latimes.com (2017年2月21日). 2017年2月26日閲覧。
- ^ “Lakers Name Rob Pelinka General Manager” (英語). NBA.com (2017年3月7日). 2017年3月13日閲覧。
- ^ “Lakers to Pick Second Overall at 2017 Draft” (英語). NBA.com (2017年5月16日). 2017年7月26日閲覧。
- ^ “LeBron James agrees to four-year, $153.3 million deal with Lakers” (英語). espn.com (2018年7月2日). 2019年2月9日閲覧。
- ^ “Magic Johnson: Lakers to consult with LeBron James on moves” (英語). espn.com (2018年7月17日). 2019年2月9日閲覧。
- ^ “Lakers Acquire Anthony Davis” (英語). Lakers.com. NBA Media Ventures LLC (2019年7月6日). 2020年3月16日閲覧。
- ^ “レイカーズ、1985-86シーズンに並ぶ球団最高記録…レブロンも今季6回目の“トリプルダブル”を達成”. basketballking.jp (2019年12月12日). 2020年7月19日閲覧。
- ^ “デイビスが42得点と躍動したレイカーズ、ジャズを破り10年ぶりのウェスタン・カンファレンス首位が確定”. バスケットボールキング (2020年8月4日). 2020年8月4日閲覧。
- ^ 故障した航空機に乗っていたチームの幸運と不運 残酷なまでの運命の違い… - スポーツニッポン、2016年12月5日
外部リンク[編集]
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