ダラス・マーベリックス

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ダラス・マーベリックス
Dallas Mavericks
2021-22シーズンのダラス・マーベリックス
呼称/略称 マブス DAL
チームロゴ バスケットボールを背景にした白馬の頭部。
所属リーグ  NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス  ウェスタン・カンファレンス 
ディビジョン  サウスウェスト 
創設 1980年
チーム史 ダラス・マーベリックス
1980-現在
本拠
ダラス・マーベリックスの位置(アメリカ合衆国内)
ダラス・マーベリックス

テキサス州の旗テキサス州ダラス
アリーナ アメリカン・エアラインズ・センター
チームカラー ロイヤルブルー, ネイビーブルー, シルバー, ブラック[1][2]
       
主なスポンサー Chime[3]
オーナー マーク・キューバン
GM ニコ・ハリソン
ヘッドコーチ ジェイソン・キッド
優勝歴 1回 NBA FINAL CHAMP.png (2011年)
ファイナル進出 2回 (2006年, 2011年)
ディビジョン優勝 4回 (1987年, 2007年, 2009年, 2021年)
永久欠番  12   15   22   41 
NBAGL提携チーム テキサス・レジェンズ
公式サイト www.mavs.com
Kit body dallasmavericks association.png
アソシエーションのジャージ
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チームカラー
アソシエーション
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アイコンのジャージ
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チームカラー
アイコン
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ステートメントのジャージ
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チームカラー
ステートメント
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シティエディションのジャージ
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チームカラー
シティエディション
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ダラス・マーベリックスDallas Mavericks)は、テキサス州ダラスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。略してマブズマブスとも呼ばれる。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。チーム名のmaverickは、1960年頃のTV西部劇の名に因んでおり、現在のチームマスコットは仔馬。オーナーは、マーク・キューバンである。NBAにおいて、地域、チーム名が創設以来変わっていないチームの一つ。

歴史[編集]

初期[編集]

1973年にABAの消滅でNBAへの加入に伴いダラス・チャパラルズ(現在のサンアントニオ・スパーズ)がサンアントニオに移転して以来、プロバスケットボールチームのなかったダラスでは、1979年に実業家のドン・カーターがNBAに対して新チームの設立を申請した。NBAは1980年のオールスター開催時にリーグのオーナーたちの承認を得て、ダラス・マーベリックス(マブズ)は、1980年に設立され、ウェスタン・カンファレンスのミッドウェストディビジョンに組み込まれた。初期のマブズではローランド・ブラックマンマーク・アグワイアが活躍したが、勝率が5割に到達しプレイオフに進出するのは3年目になってからだった。1983年のドラフトでデレック・ハーパー1984年のドラフトでサム・パーキンスを獲得し、1987年には初の地区優勝、1988年には地区決勝でロサンゼルス・レイカーズと死闘を演じたが、3勝4敗で優勝には至らなかった。

トリプルJ[編集]

低迷していた90年代前半には、復調を予期させる有望な新人がチームに集まっていた。92年のドラフトではジム・ジャクソン、93年にはジャマール・マッシュバーン、94年にはジェイソン・キッドを獲得し、この3名は頭文字をとって「トリプルJ」と呼ばれた。しかしトリプルJは私情のもつれなどもありうまく機能せず、チーム成績も上向かずに一人一人チームから離れた。90年代は、十年間連続でレギュラーシーズンを負け越し、プレーオフ出場を逃し、特に1993年には11勝71敗にまで落ち込んだ。この時代のマブスは典型的なドアマットチームであり、チャールズ・バークレーなどのジョーク好きなプレーヤーにネタとされた。

ドン・ネルソンによるチーム再建[編集]

1997年ドン・ネルソンがジェネラルマネージャーに就任、ヘッドコーチを務めた翌年から、マブスの再建がはじまった。ダーク・ノヴィツキー1998年のNBAドラフトへのエントリーに伴い、ドン・ネルソンは他チームの思惑を巧みに操り、ミルウォーキー・バックスの欲していたロバート・トレイラーをより高順位のマブスが6位で指名するかわりにバックスが9位でノヴィツキーを指名し、更に、このシーズンに1巡目指名権を持っていなかったフェニックス・サンズパット・ギャリティを欲しているのに乗じて、バックスが持っている19位指名権でギャリティを指名させ、ノヴィツキーとセットでマブスにトレードすることを約束させ獲得する一方、トレイラーを指名し、ギャリティを欲しがっているサンズにギャリティ他2選手をつけてサンズにトレードし、かわりにスティーブ・ナッシュを獲得した。結果的にネルソンは将来NBAのシーズンMVPを獲得する2人の偉大な選手を、一度のドラフトで手に入れてしまった。

ドン・ネルソン

ノヴィツキーの時代[編集]

ダーク・ノヴィツキー(2009年)
マーク・キューバン
スティーブ・ナッシュ
エイブリー・ジョンソン
リック・カーライル
  • 1998-1999シーズンのNBAはロックアウトによるシーズン短縮という初めての事態を経験し、ノヴィツキーのルーキーシーズンは例年より4ヶ月近くも遅れて始まり、先発パワーフォワードに抜擢されるも、まだ線の細かったノヴィツキーはNBAのフィジカルなプレイに馴染めず、特にディフェンスでは簡単に相手に押し負けてしまい、ディフェンスができない(Dがない)と揶揄する意味で"Irk Nowitzki"と呼ばれた。19勝31敗の成績でシーズンを終えた。
  • 1999-00シーズン、ネルソンはノヴィツキーのパス技術をより活かすためにポイントフォワードに起用し、ノヴィツキーも徐々に本来の実力を発揮するようになった。エースのマイケル・フィンリーにノヴィツキー、セドリック・セバロスに率いられ、前年の19勝31敗から40勝42敗と勝率を伸ばしたが、プレーオフには惜しくも届かなかった。

マブズがリーグ屈指の強豪へと成長を始めるのは、インターネット関連事業で財をなしたマーク・キューバン2000年1月14日に自身が熱烈なファンであった ことから、チームを2億8500万ドルで買い取り、オーナーに就任してからだった[4]。キューバンはその後も豊富な資金力を活かしてチームの補強に取り組んだ。

  • 2000-2001シーズンは、過去10年間プレーオフ出場を逃してきたことを忘れさせるかのように、53勝29敗の好成績でレギュラーシーズンを乗り切り、プレーオフへ第5シードで出場し、1stラウンドは、ユタ・ジャズを3勝2敗で勝ち抜き、カンファレンス・セミファイナルへ駒を進めたが、第1シードのサンアントニオ・スパーズに1勝4敗で敗退した。しかし、このシーズンから長期に連続プレーオフ進出を果たしていく事となり、マブスのノヴィツキー時代の幕が開けたと言ってよいシーズンとなった。
  • 2001-2002シーズンは、チーム史上最多の57勝25敗でプレーオフに進出し1stラウンドは、ミネソタ・ティンバーウルブズを難なくスイープしたものの、カンファレンス・セミファイナルの壁は依然厚く、サクラメント・キングスに1勝4敗で敗退した。
  • 2002-2003シーズンは、それを上回る60勝に到達。ポートランド・トレイルブレイザーズサクラメント・キングスを破り、ついにカンファレンスファイナルへと進んだが、この後ライバル関係を続けることとなるサンアントニオ・スパーズに2勝はしたものの敗退し、NBAファイナルへの進出を阻まれ続けた。
  • 2003-2004シーズンは、52勝30敗の第5シードでプレーオフに出場したが、1stラウンドで、対キングス1勝4敗で敗退している。このシーズンまで4年間連続でチームのアシストにおけるスタッツリーダーであったスティーブ・ナッシュがFAとなり、キューバンの考えと折り合わず、古巣のフェニックス・サンズに移籍した。
  • 2004-2005シーズンは、44勝22敗の時点でネルソンは退任し、アシスタントコーチであったエイブリー・ジョンソンが監督に昇格した。その後16勝2敗と勝率を伸ばし、58勝24敗でレギュラーシーズンを乗り切り第4シードでプレーオフに進み、1stラウンドはヒューストン・ロケッツを4勝3敗で退けたが、カンファレンスセミファイナルで、スティーブ・ナッシュフェニックス・サンズに2勝4敗で敗れている。
  • 再び60勝に達した2006年には、前年のチャンピオンであるサンアントニオ・スパーズをカンファレンスセミファイナルで降し、昨年敗れたフェニックス・サンズを4勝2敗で下し、チーム史上初となるカンファレンス優勝、NBAファイナル進出を果たした。しかしドウェイン・ウェイドシャキール・オニール時代のマイアミ・ヒートとの対戦となったファイナルを2勝4敗で落とし、初優勝はならなかった。
  • 2006-07シーズンはチーム力をさらに上昇させ、1シーズンで3度の12連勝を達成するNBA新記録を達成。最終成績は歴代5位、チーム記録の67勝15敗を記録し、ノヴィツキーはシーズンMVPを受賞する最高のレギュラーシーズンを送った。プレーオフは第1シードのチャンピオン候補最右翼としてプレーオフに挑んだが、一回戦、かつての指揮官だったドン・ネルソン率いる第8シードのゴールデンステート・ウォリアーズ相手に史上三度目(一回戦のプレーオフフォーマットが7戦4勝制になってからは初めて)の「第1シードのチームが第8シードのチームに敗れる」2勝4敗の歴史的敗戦を喫し、シーズンを終えた。
  • 2007-08シーズンには、シーズン途中にベテランPGのジェイソン・キッドを獲得し、悲願のファイナル制覇に向けて勝負に出たが、プレーオフでは2年連続で1回戦で敗退。プレーオフ敗退後、エイブリー・ジョンソンHCは解任された。
  • 2008-09シーズンからは新しくリック・カーライルが監督に就任し、シーズン序盤こそ躓いたものの次第に調子を上げ、最終的には50勝32敗の成績を収め、第6シードでプレーオフに進出した。第3シードのサンアントニオ・スパーズを相手にしたプレーオフ一回戦では下馬評を覆し4勝1敗で勝ち進むが、二回戦でデンバー・ナゲッツに1勝4敗で敗退した。
  • 2009-10シーズンは、55勝27敗の成績で、第2シードでプレーオフに進出したが、第7シードのサンアントニオ・スパーズに2勝4敗でアップセットされた。

ドンチッチの時代[編集]

シーズンごとの成績[編集]

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
ダラス・マーベリックス
1980–81 15 67 .183
1981–82 28 54 .341
1982–83 38 44 .463
1983–84 43 39 .524 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 3, ソニックス 2
ジャズ 4, マーベリックス 1
1984–85 44 38 .537 1回戦敗退 ブレイザーズ 3, マーベリックス 1
1985–86 44 38 .537 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 3, ジャズ 1
レイカーズ 4, マーベリックス 2
1986–87 55 27 .671 1回戦敗退 ソニックス 3, マーベリックス 1
1987–88 53 29 .646 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
マーベリックス 3, ロケッツ 1
マーベリックス 4, ナゲッツ 2
レイカーズ 4, マーベリックス 3
1988–89 38 44 .463
1989–90 47 35 .573 1回戦敗退 ブレイザーズ 3, マーベリックス 0
1990–91 28 54 .341
1991–92 22 60 .268
1992–93 11 71 .134
1993–94 13 69 .159
1994–95 36 46 .439
1995–96 26 56 .317
1996–97 24 58 .293
1997–98 20 62 .244
1998–99 19 31 .380
1999–2000 40 42 .488
2000–01 53 29 .646 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 3, ジャズ 2
スパーズ 4, マーベリックス 1
2001–02 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 3, ウルブズ 0
キングス 4, マーベリックス 1
2002–03 60 22 .732 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
マーベリックス 4, ブレイザーズ 3
マーベリックス 4, キングス 3
スパーズ 4, マーベリックス 2
2003–04 52 30 .634 1回戦敗退 キングス 4, マーベリックス 1
2004–05 58 24 .707 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 4, ロケッツ 3
サンズ 4, マーベリックス 2
2005–06 60 22 .732 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
マーベリックス 4, グリズリーズ 0
マーベリックス 4, スパーズ 3
マーベリックス 4, サンズ 2
ヒート 4, マーベリックス 2
2006–07 67 15 .817 1回戦敗退 ウォリアーズ 4, マーベリックス 2
2007–08 51 31 .622 1回戦敗退 ホーネッツ 4, マーベリックス 1
2008–09 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 4, スパーズ 1
ナゲッツ 4, マーベリックス 1
2009–10 55 27 .671 1回戦敗退 スパーズ 4, マーベリックス 2
2010–11 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
マーベリックス 4, ブレイザーズ 2
マーベリックス 4, レイカーズ 0
マーベリックス 4, サンダー 1
マーベリックス 4, ヒート2
2011–12 36 30 .545 1回戦敗退 サンダー 4, マーベリックス 0
2012–13 41 41 .500
2013–14 49 33 .598 1回戦敗退 スパーズ 4, マーベリックス 3
2014–15 50 32 .610 1回戦敗退 ヒューストン・ロケッツ 4, マーベリックス 1
2015–16 42 40 .512 1回戦敗退 サンダー 4, マーベリックス 1
2016–17 33 49 .402
2017–18 24 58 .293
2018–19 33 49 .402
2019–20 43 32 .573 1回戦敗退  クリッパーズ 4, マーベリックス 2
2020–21 42 30 .583 1回戦敗退  クリッパーズ 4, マーベリックス 3
2021–22 52 30 .634 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
マーベリックス 4, ジャズ 2
マーベリックス 4 , サンズ 3
通算勝敗 1,709 1,670 .506
プレーオフ 104 118 .468

主な選手[編集]

現役選手[編集]

プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
F 44 ダービス・ベルターンス (Dāvis Bertāns) ラトビア 29 (1992/11/12) 6 ft 10 in (2.08 m) 225 lb (102 kg) ラトビア [1]
G/F 25 レジー・ブロック (Reggie Bullock) アメリカ合衆国 31 (1991/03/16) 6 ft 6 in (1.98 m) 205 lb (93 kg) ノースカロライナ大学 [2]
G 26 スペンサー・ディンウィディー (Spencer Dinwiddie) アメリカ合衆国 29 (1993/04/06) 6 ft 5 in (1.96 m) 215 lb (98 kg) コロラド大学 [3]
G 77 ルカ・ドンチッチ (Luka Dončić) スロベニア 23 (1999/02/28) 6 ft 7 in (2.01 m) 218 lb (99 kg) レアル・マドリード [4]
F 10 ドリアン・フィニー=スミス (Dorian Finney-Smith) アメリカ合衆国 29 (1993/05/03) 6 ft 8 in (2.03 m) 215 lb (98 kg) フロリダ大学 [5]
G 8 ジョシュ・グリーン (Josh Green) オーストラリア 21 (2000/12/16) 6 ft 6 in (1.98 m) 209 lb (95 kg) アリゾナ大学 [6]
G/F 11 ティム・ハーダウェイ・ジュニア (Tim Hardaway Jr.) Cruz Roja.svg アメリカ合衆国 30 (1992/06/16) 6 ft 6 in (1.98 m) 205 lb (93 kg) ミシガン大学 [7]
F 42 マキシ・クレバー (Maxi Kleber) ドイツ 30 (1992/01/29) 6 ft 9 in (2.06 m) 215 lb (98 kg) ドイツ [8]
G 21 フランク・ニリキナ (Frank Ntilikina) フランス 24 (1998/07/28) 6 ft 5 in (1.96 m) 200 lb (91 kg) フランス [9]
G 1 テオ・ピンソン (Theo Pinson) TW.png Cruz Roja.svg アメリカ合衆国 26 (1995/11/05) 6 ft 5 in (1.96 m) 230 lb (104 kg)  ノースカロライナ大学 
C 7 ドワイト・パウエル (Dwight Powell) カナダ 31 (1991/7/20) 6 ft 11 in (2.11 m) 245 lb (111 kg) スタンフォード大学 [10]
C 35 クリスチャン・ウッド (Christian Wood) アメリカ合衆国 26 (1995/9/27) 6 ft 10 in (2.08 m) 216 lb (98 kg) ネバダ大学ラスベガス校 

記号説明


外部リンク


更新日:2022年08月7日


保有するドラフト交渉権[編集]

ドラフト年 指名順 選手 Pos. 国籍 現所属チーム 注釈 Ref
2007年 1 30 ペッテリ・コポネン G  フィンランド ヘルシンキ・シーガルズ (フィンランド) フィラデルフィア・76ersから獲得 (ポートランドを経由して) [5]

年代別主要選手[編集]

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人

栄誉[編集]

永久欠番[編集]

2020年1月26日に元ロサンゼルス・レイカーズに所属していたコービー・ブライアントが亡くなったことを受け、オーナーのマーク・キューバンはブライアントに敬意を表して背番号「24」を選手に着用させないことを発表した[6]

ダラス・マーベリックスの永久欠番一覧
No. 選手 Pos. 在籍期間 式典日
12 デレック・ハーパー G 1983-1994
1996-1997
2018年1月7日
15 ブラッド・デイビス英語版 G 1980-1992 1992年11月14日
22 ローランド・ブラックマン G 1981-1992 2000年3月11日
41 ダーク・ノヴィツキー F/C 1998-2019 2022年1月5日

参照:[7][8]

コーチ、その他[編集]

歴代ヘッドコーチ[編集]

チーム記録[編集]

ダラス・マーベリックスのチーム記録

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ Frequently Asked Questions”. Mavs.com. NBA Media Ventures, LLC. 2016年6月14日閲覧。
  2. ^ Dallas Mavericks Reproduction Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. 2016年8月10日閲覧。
  3. ^ Sefko, Eddie (2020年1月17日). “Mavericks Chime in, announce partnership with new jersey-patch sponsor”. NBA Media Ventures, LLC. https://www.mavs.com/chimetime/ 2020年2月10日閲覧。 
  4. ^ Cuban, unembargoed
  5. ^ Blazers, Nuggets deal point guards on draft night”. National Basketball Association (2011年6月23日). 2014年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月14日閲覧。
  6. ^ Dallas Mavericks' statement on Kobe and Gianna Bryant”. National Basketball Association (2020年1月27日). 2020年1月27日閲覧。
  7. ^ Dallas Mavericks | Retired Numbers” (英語). NBA.com. 2022年1月24日閲覧。
  8. ^ NBA全チームの永久欠番となった背番号” (日本語). SportingNews.com (2021年9月8日). 2022年1月24日閲覧。

外部リンク[編集]