NBAドラフト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

NBAドラフト (National Basketball Association Draft) は、NBAの球団が、アマチュア選手との契約交渉権を獲得するために行う会議のことである。

概要[編集]

現在は、前シーズンに成績の悪かったチームから順番に指名していく方式に、1巡目上位3位までは例外を設けプレーオフに進出できなかった14チームによる抽選(ロッタリー)で指名順位は確定される。これは1985年当時のドラフトが勝率の低い順から指名が出来る制度であり、注目選手であったパトリック・ユーイングを獲得するため、リーグ最低勝率を目指して下位チームがわざと負ける事態になったことによる。この事例のような高順位を獲得するために手を抜くことを防ぐためである。ロッタリーの方法としては、番号をたくさん用意しておき、その番号を成績の悪い順に多く分配し、当たり番号を持ったチームが1巡目の上位3位までは指名権を得ることができる。あとは通常のウェーバー順で2巡目まで行われる。指名権のトレードも頻繁に行われるため、同一チームが連続して指名することもある。

対象選手は、2005年のドラフトまで高校卒業以上としていたが、2005年7月に新労使協定によるルール改定が行われ、在米の選手は高校卒業から1年後、海外からエントリーする選手は19歳以上を対象とするように変更された。これは近年、高卒選手の指名が相次ぎリーグのレベルが低下しているとコミッショナーのデビッド・スターンが危惧したためだと一般的には言われている。大学入学当初から体格に恵まれ、運動能力が高く、NBAの当たりの激しさに早くから対応できる選手、人材難な年のため高順位が期待される選手は、大学を4年間通わず、アーリーエントリーして入団するのが現在の主流になっている。

歴史[編集]

1947年ワッツ・ミサカニューヨーク・ニックスに日系人では初めて指名された。

1962年レジー・ハーディングが高卒の選手では初めて指名された。

1965年、双子のトム・バン・アースデールディック・バン・アースデールがそれぞれドラフトで指名された。

1978年マイカル・トンプソンポートランド・トレイルブレイザーズにアメリカ合衆国以外出身の選手として初めて1位で指名された。

1981年岡山恭崇ゴールデンステート・ウォリアーズに日本人プレイヤーとして初めて指名されたが、米国でプレイすることはなかった。岡山は、NBAドラフトで指名された史上最も長身の選手として知られている。

1984年ヒューストン・ロケッツが2年連続全体1位指名権を獲得、アキーム・オラジュワンを指名して、前年に指名したラルフ・サンプソンと共に「ツイン・タワー」を形成した。また、この年、マイケル・ジョーダンが全体3位で指名されている。この年のドラフトではカール・ルイスが指名されているがNBA入りすることなく陸上競技に専念した。

1993年オーランド・マジックが2年連続1位指名を獲得した。シャキール・オニールを前年指名したのに次いで、41勝41敗とプレーオフに進出したインディアナ・ペイサーズと同じ勝利数で終えたが惜しくもプレーオフに出場できなかった代わりに奇跡的な確率だった全体1位指名権を得た。クリス・ウェバーを指名して、ドラフト後にアンファニー・ハーダウェイとトレードを行なった。

2000年ミネソタ・ティンバーウルブズジョー・スミスの間で、サラリーキャップ規定に反した契約が交わされていたことが発覚し、ティンバーウルブズは5年間ドラフト1巡目指名権を剥奪された(2003年2005年は獲得が認められた)。

2001年ケビン・ガーネットコービー・ブライアントら高卒選手の活躍を受け、19歳のクワミ・ブラウンが高卒では史上初の1位でワシントン・ウィザーズに指名された。

2002年中国出身の姚明が米国人や米国の大学でプレイしていた選手以外としては初めて1位でヒューストン・ロケッツに指名され、2005年2006年には連続で外国出身の選手が1位で指名された(2006年のイタリア出身アンドレア・バルニャーニは欧州人初)。

2011年、MSGが改修工事が行われている関係で、ニュージャージー州ニューアークのプルデンシャル・センターで開催された。2013年はバークレイズ・センターで開催。

外部リンク[編集]