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レブロン ジェームズ
LeBron James
2014年のレブロン・ジェームズ
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クリーブランド・キャバリアーズ No.23
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| ポジション |
SF |
| 背番号 |
23 |
| 身長 |
203cm (6 ft 8 in) |
| 体重 |
113.5 kg (250 lb) |
| ウィングスパン |
213cm (7 ft 0 in) |
| 足のサイズ |
35.0cm |
| シューズ |
ナイキ |
| 基本情報 |
| 本名 |
LeBron Raymone James |
| 愛称 |
"King James"
"The Chosen One" |
| ラテン文字 |
LeBron James |
| 誕生日 |
(1984-12-30) 1984年12月30日(32歳) |
| 国 |
米国 |
| 出身地 |
オハイオ州アクロン |
| 出身 |
セント・ビンセント=セント・メアリー高校 (オハイオ州) |
| ドラフト |
2003年 1位 |
| 選手経歴 |
2003-2010
2010-2014
2014- |
クリーブランド・キャバリアーズ
マイアミ・ヒート
クリーブランド・キャバリアーズ |
| 受賞歴 |
- 3×NBAチャンピオン:2012, 2013, 2016
- 3×NBAファイナルMVP:2012, 2013, 2016
- 4×MVP:2009, 2010, 2012, 2013
- 13×NBAオールスターゲーム出場:2005-2017
- 2×NBAオールスターゲームMVP:2006, 2008
- 新人王:2004
- 得点王:2008
- オールNBAチーム
- 11×1stチーム:2006, 2008-2017
- 2×2ndチーム:2005, 2007
- NBAオールディフェンシブチーム
- 5×1stチーム:2009, 2010, 2011, 2012, 2013
- 2ndチーム:2014
- NBAオールルーキーチーム 1stチーム:2004
- USAバスケットボール男子年間最優秀選手:2012
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| 代表歴 |
| キャップ |
アメリカ合衆国 2004-2012 |
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レブロン・ジェームズ(LeBron Raymone James(発音: [ləˈbrɒn])、1984年12月30日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州アクロン出身のプロバスケットボール選手である。NBAのクリーブランド・キャバリアーズに所属。愛称は「キング」。
背番号は憧れだったマイケル・ジョーダンと同じ「23」。以前マイアミ・ヒートに在籍していたときは永久欠番で着用できなかったため「6」を着用していた。ポジションはスモールフォワードだが、ルーキーシーズンにはポール・サイラスヘッドコーチによってポイントガードとして起用された[1]。
これまでにNBAチャンピオン3回、シーズンMVP4回、ファイナルMVP3回、オールスターMVP2回の他、数々の最年少記録、歴代記録を更新している。
生い立ちと高校[編集]
バスケットとアメリカンフットボールに熱中した少年時代に、レブロンはバスケットのコーチの家に居候するようになった。新しい環境でさらにバスケットの腕を磨いたレブロンは、アマチュア・アスレチック・ユニオンの大会で頭角を現すようになった。
高校はセント・ビンセント=セント・メアリー高校でプレイ。レブロンは1年目からエースとなり、20得点6.2リバウンドの成績でチームを牽引、27戦全勝で州の第3部チャンピオンに上り詰めたのだ。
2年目には25.2得点7.2リバウンド5.8アシストとさらに成績を伸ばす。レブロンの評判はすぐに広まり、高校はこのシーズンの開幕戦をアクロン大学のアリーナで開催し、観客5000人を集めた。さらに連覇が掛かった州タイトルの決勝戦では17,000人が集まり、レブロンのチームは優勝を果たした。またレブロンは州史上2人目となる2年生でのオハイオ州ミスター・バスケットボールに選ばれ、またUSAトゥデイ紙選出のオールUSAファーストチームにも名を連ねた。すでに全国区となっていたレブロンはNBAのスカウト陣の注目も集め、NBAのワークアウトにも招かれた。アメリカンフットボールのワイドレシーバーとしても優秀だったレブロンは、このシーズンに州のオールファーストチームにも選ばれていたが、怪我をしてしまいバスケット一本に絞る様になった。
3年目のシーズン、チームは州の第2部に昇格したが、州タイトル3連覇は果たせなかった。レブロンは29.7得点8.3リバウンド5.7アシストの成績で、ゲータレード選出の年間最優秀選手に選ばれた。また高校生としてはケビン・ガーネット以来となるスラムマガジンの表紙を飾った。他にもスポーツ・イラストレイテッド、ESPNマガジンなどでも表紙を飾り、全米から大きな注目を集めた。
4年目のシーズン、レブロンは31.6得点9.6リバウンド4.6アシストの成績で3年連続のミスター・バスケットボール、オールUSAファーストチーム、2年連続のゲータレード年間最優秀選手に選ばれ、高校オールスターゲームであるマクドナルド・オールアメリカン・ゲームではMVPを受賞した。全米にテレビ中継された試合は高視聴率を収め、また州タイトル決勝戦では18,454人の観客を集めた。チームは40-36で勝利を収め、1年ぶりに州チャンピオンに返り咲いた。このシーズン中、レブロンの誕生日のために母親が高級車(ハマーH2)を贈ったことを、オハイオ高校体育協会が問題視し、レブロンは2試合の出場停止処分を受けている。
アメリカンフットボールでも1年のときにクォーターバック、2年、3年のときにワイドレシーバーとしてプレーした[2]。
大学には進学せず、NBAドラフトにアーリーエントリーした。在学中にナイキと7年間で総額9,000万ドル(他にもアッパーデック(Upper Deck Company)と5年間で総額500万ドル)という契約を結ぶなど、商業的にも注目を集めていた。
NBA[編集]
キャリア初期[編集]
セント・ビンセント=セント・メアリー高校を卒業後、レブロンは2003年のNBAドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名され、18歳の若さでNBA入りした。
ルーキーイヤーとなった2003-04シーズン、レブロンはサクラメント・キングスとの開幕戦で25得点6リバウンド9アシスト4スティールと前評判どおりのオールラウンドな働きをしてみせた。11月から翌年の4月までのイーストのルーキー・オブ・ザ・マンスを独占し、シーズン成績は20.9得点5.9アシスト5.5リバウンドだった。ルーキーイヤーに20得点5アシスト5リバウンド以上を達成したのは、オスカー・ロバートソン、マイケル・ジョーダンに続いて史上3人目であった。また、NBAオールスターゲームには出場できなかったものの、ルーキーチャレンジでは1年目選手のチーム最多の33得点を挙げた。キャバリアーズは前年より勝ち星を18勝増やし、35勝47敗の成績を残すがプレーオフ進出は叶わなかった。ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)の投票では得点、リバウンドで新人1位の成績を残しプレイオフに出場したデンバー・ナゲッツのカーメロ・アンソニーとの争いになったが、レブロンは508ポイントを獲得(カーメロ・アンソニーは430ポイント)し、新人王を獲得した。
翌04-05シーズンにはこれまで苦手とされていたアウトサイドシュートが向上し、さらに得点力をアップ。2005年1月19日には最年少(20歳と20日)でのトリプル・ダブル達成、同年3月20日には最年少(20歳と80日)での1試合50得点以上を達成し、NBAオールスターゲームにも初出場を果たした。シーズン成績は27.2得点7.2アシスト7.4リバウンドで、オスカー・ロバートソン、ジョン・ハブリチェック、ラリー・バード、マイケル・ジョーダン以来5人目の27得点、7アシスト、7リバウンド以上達成となった。しかし、チームは42勝40敗と前年から更に勝ち星を増やすもののカンファレンス8位のニュージャージー・ネッツと同率の9位になり、プレーオフ出場はならなかった。しかしレブロンの才能の片鱗を見せつけることはできた。
スーパースターへ[編集]
05-06シーズンは、レブロンにとってもチームにとっても勝負の年となった。レブロンはプロ入り3年目としてチームでの結果を求められ、チームはこのシーズン後にFAとなるレブロンと契約延長するためにも、より勝てるチーム作りをしなければならなかった。チームは補強に乗り出すが、目玉であったラリー・ヒューズは怪我でシーズンの大半を欠場し、その他の補強組も期待したほどの活躍を見せず、レブロンを取り巻くチーム状況にさして変化はなかった。しかしレブロンは自身初の決勝ブザービーターを決めるなど、これまで足りないと言われてきた勝負強さも兼ね備えるようになり、チームを勝利に導ける選手にまで成長。チームは大きく躍進し、50勝32敗の成績で8年ぶりにプレーオフ進出。自身も2度目のオールスターゲーム出場で29得点6リバウンドをあげて最年少のオールスターMVPに輝き、レギュラーシーズンでは初の30得点オーバーとなる31.4得点7.0リバウンド6.4アシストという好成績を残した。またトッププレイヤーの証明であるオールNBAファーストチームに初めて名を連ね、MVP投票ではスティーブ・ナッシュに次いで2位だった。初のプレーオフでは1回戦のワシントン・ウィザーズとの第1戦で、いきなり31得点11リバウンド11アシストのトリプルダブルをたたき出す。シリーズを4勝2敗で制すると、カンファレンス準決勝ではレギュラーシーズン1位のデトロイト・ピストンズ相手に3勝2敗とリードを奪うが、そこから2連勝されて敗退した。
06-07シーズン、チーム戦績は50勝32敗で前シーズンと変わらなかったが、プレーオフでは順調に勝ち上がり、自身初の、またチームとしては1992年以来のカンファレンス決勝に進出。前シーズンに敗れたデトロイト・ピストンズ相手に、ダブルオーバータイムまでもつれたシリーズ第5戦では48得点(オーバータイムではチームの全得点)をあげるなどの活躍を見せ、4勝2敗でこのシリーズを制し、自身とチーム史上初のNBAファイナルに進出した。ファイナル、サンアントニオ・スパーズとの対戦ではディフェンスのスペシャリストであるブルース・ボウエンのマッチアップと、スパーズの強固なチームディフェンスの前に苦しみ、4戦全敗で敗退。ファイナル中のレブロンはフィールドゴール成功率35%と精彩を欠いた。
07-08シーズンのレブロンの活躍は華々しく、得点の分野では年2月27日のボストン・セルティックス戦で通算10000得点を達成。史上最年少の23歳59日での達成はこれまでの最年少記録のコービー・ブライアントの24歳193日を大幅に更新した。またトリプルダブル7回達成はチーム最多記録、2試合連続トリプルダブル2回達成は1988年のマジック・ジョンソン以来の快挙であった。3月5日のニューヨーク・ニックス戦では50得点10アシスト以上を記録したリーグ3人目のプレイヤーとなった。オールスターゲームでは、2回目のオールスターMVPに輝いた。このシーズンの成績は30.0得点7.9リバウンド7.2アシストとMVP級の数字を残し、自身初のリーグ得点王に輝いた。一方でチームはオフの補強が上手くいかず、シーズン序盤から苦戦を強いられ、45勝37敗とレブロンがキャブス入りして以来初めて勝率を落とした。プレーオフ1回戦ではウィザーズと3シーズン連続で対戦。このシリーズではウィザーズのデショーン・スティーブンソンによるレブロンへの挑発行為が話題を集めたが、チームは4勝2敗でウィザーズを退け、カンファレンス準決勝に進出した。準決勝の対戦相手はこのシーズンリーグ首位の成績を収めたボストン・セルティックス。レブロンはセルティックスの強力ディフェンスの前に苦しみ、得点が伸び悩んだが、チームはセルティックスを追い込み、最終第7戦まで粘った。第7戦でようやく本来の姿を取り戻したレブロンは、45得点を記録してセルティックスを追い詰めたが勝利は逃し、2シーズン連続のファイナル進出はならなかった。
08-09シーズン、レブロンは28.4得点7.6リバウンド7.2アシストを記録し、チームもリーグトップの66勝16敗をマーク。チームをカンファレンス1位に導き初のシーズンMVPを獲得した。プレーオフに入っても絶好調を維持し、1回戦、カンファレンス準決勝を共に4勝0敗で突破するなど優勝候補の最右翼となった。しかし、一転、オーランド・マジックとのカンファレンス決勝では激戦の末、ホームでの第1戦を落とす。第2戦、2点ビハインドで迎えた残り1秒で、スローインからボールを受けたレブロンが劇的な3ポイントのブザービーターを沈め1勝1敗とさらに孤軍奮闘したが敵地オーランドで計3敗を喫し、結果として2勝4敗でプレーオフを終えた。試合後、相手のマジックの選手の健闘を称えず無言でコートを後にし、試合後の記者会見も放棄して帰った事で批判を浴びた。レブロンはこの件について「チームは負けたかもしれないが、俺は勝者だ」などと疑問を呈する発言を残した。
09-10シーズン、レブロンは29.7得点7.3リバウンド8.6アシストを記録、チームとしても61勝21敗で2シーズン連続でリーグ勝率1位に導き、本人も2シーズン連続でシーズンMVPを獲得した。プレイオフではカンファレンス準決勝でボストン・セルティックスに2勝4敗で敗退した。
新天地[編集]
シーズン終了後、フリーエージェントとなった彼はキャバリアーズ、シカゴ・ブルズとも契約交渉を行っていたがマイアミ・ヒートと契約。ドラフト同期のドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュらとチームメートとなり『BIG3』を結成した[3]
10-11シーズン、3人のスターが集まったヒートは大きな注目を集めたが、開幕一ヶ月は勝率5割前後と低迷し大きな批判を受けた。その後もチームプレーの完成度は一進一退であったがスリーキングス個々の圧倒的な個人技で勝ち星を重ねディビジョン優勝を果たした。3人のスターが存在する為ボールをシェアすることから個人成績は低下すると予想されたが、レブロンは26.7得点・7.5リバウンド・7.0アシストとキャブス時代と変わらぬハイレベルのスタッツを記録し、新チームでもエースとしての役割を務めオールNBAファーストチームに選出された。
プレーオフでも存分に活躍した。特にボストン・セルティックスとのカンファレンス・セミファイナルではシーズン中は精細を欠いていたウェイドの活躍もあり勝利、キャバリアーズに所属していた時から何度も煮え湯を飲まされてきた強敵へ勝利したことで男泣きする場面を見せた。カンファレンス・ファイナルでのシカゴ・ブルズとの試合でもこのシーズン史上最年少でMVPに輝いたデリック・ローズのマークをするなど、攻守に渡って充実したパフォーマンスを示して、自身4年ぶりとなるNBAファイナルに進出しダラス・マーベリックスと対戦。しかしファイナルを通して低調な内容に終わり、特に勝負所の4Qでの勝負弱さ、消極性にメディアからは批判が集中した。レブロンがファイナルで記録した平均17.8得点は、レギュラーシーズンの平均26.7得点からは実に8.9得点も下がっており、この落差はNBA歴代ワースト記録となった。また、第5戦の試合前、風邪を押して出場していたダーク・ノビツキーをウェイドと共に茶化すような仕草がカメラに捉えられて騒動となった。結局ヒートは2勝4敗で敗退し、またしても優勝には届かなかった。オフシーズン、ヒートに移籍した経緯やファイナルで期待された活躍が出来なかった事からも、自身の評価を大きく下げると共に、NBAファンや関係者、メディアからは激しいバッシングが巻き起こった。
NFL転向?[編集]
2011-2012シーズンのNBAは、チームオーナー側と選手会の間での収益配分に関する労使交渉がまとまらず、プレシーズンゲームは全て中止となっただけでなく、当初11月始めに開幕する予定が少なくとも2週間以上遅延することが決定。このためオーナー側はチーム施設に対するロックアウトを行い、レブロンを含む選手はチームとしての練習が行えない状況となった。
この間にレブロンは、トレーニングを兼ねて高校のアメリカンフットボールの練習に参加したため、NFLへの転向が取りざたされた[4]。これを受けて、シアトル・シーホークスのピート・キャロルヘッドコーチが「NFL最低年俸でなら獲得しても良い」との意向を表明し、レブロンも「(ロックアウトで一銭も稼げない)今よりは良い」として同意[5]。しかしその後11月末にNBAの労使交渉が妥結しロックアウトが解除されたため、NFL転向話も自然消滅した。
悲願達成[編集]
オフシーズン、チームにローポストゲームが出来る選手が必要と感じと自らその役を買って出てアキーム・オラジュワンの下でポストムーブのイロハを学んだ。11-12シーズンはロックアウトの為、レギュラーシーズンが66試合となる短縮シーズンでの開幕となった。捲土重来を目指したレブロンは27.1得点・7.9リバウンド・6.2アシスト・フィールドゴール成功率53.1%と支配力を増し通算3回目のシーズンMVPを獲得した。
インディアナ・ペイサーズとのカンファレンス準決勝で波乱が起こった。第1戦でBIG3の一角であるクリス・ボッシュが下腹部の怪我で離脱してしまったのだ。その影響でチームに綻びが見え始める、大差で負けた第3戦ではドウェイン・ウェイドが試合中にヘッドコーチと衝突する場面もみられ、チームは1勝2敗、ホームコートアドバンテージを失う。しかし第4戦レブロンが奮起、40点18リバウンド9アシストの超人的な活躍で敵地で貴重な勝ち星を上げ、ホームアドバンテージを取り戻すと共に、チームに流れていた暗雲をふりはらった。この第4戦のレブロンに対し、ウェイドも「こんなに試合を支配できる選手は初めて見た」と脱帽した。この試合をきっかけにウェイドが本来の姿を取り戻し、チームもその勢いのまま4勝2敗でシリーズを突破する。
カンファレンス決勝の相手はボストン・セルティックス、4年前の王者と手負いのヒートでは前者に分があり2勝3敗で追い詰められる。しかし第6戦、またもやレブロンが敵地で45点15リバウンド5アシスト、フィールドゴール成功率73%と完全に試合を支配し再びチームの危機を救う。このシリーズの第5戦から復帰したボッシュの活躍もあり第7戦を制し、2年連続ファイナル出場を決めた。BIG3結成以来、ヒートはレブロンとウェイドどっちのチームかと度々言われ続けてきたが、ファイナルまでの道のりで何度もピンチを救いチームを引っ張ったレブロンに対し、この時にウェイドは初めて「レブロンについて行く」とチームを譲るような発言をした。
ファイナル3度目の挑戦の相手は得点王ケビン・デュラント率いるオクラホマシティ・サンダー。同ポジションのスーパースターによるマッチアップに期待が集まったがレブロンがデュラントにディフェンスすることはあったが、ディフェンスに難のあるデュラントはレブロンにつけなかった。レブロンにディフェンスでつける選手をサンダーは持っておらず、常にミスマッチが発生しポストアップやドライブで果敢にゴールにアタックすると共にインサイドアウトからのパスを止められずヒートが4勝1敗でシリーズを制した。特に第四戦では足の痙攣を起こしてベンチに引いたものの、その後足を引きずりながら出場して勝利を呼び込む3Pを決めた。ファイナル通して28.6得点・10.2リバウンド・7.4アシストと攻守に渡って活躍し、最終戦ではトリプル・ダブルも記録したレブロンは満場一致でファイナルMVPに選出された。シーズンMVPとファイナルMVPを同じシーズンに受賞したのは2003年のティム・ダンカン以来、NBA歴代でも10人しかいない。
12-13シーズン、悲願の優勝を果たし名実共にキングとなったレブロンは、1月16日ゴールデンステイト・ウォリアーズ戦で史上最年少で通算20000得点を達成、さらにNBA歴代2位の連勝新記録となる27連勝、リーグ最高勝率の66勝16敗とマイアミ・ヒートのチーム記録を塗り替える大きな原動力になった。76試合に出場し、26.8点・8.0リバウンド・7.2アシスト・フィールドゴール成功率56.5%・3P成功率40%とキャリア最高のシュート効率を記録し、通算4回目のシーズンMVPを獲得した。これまでシーズンMVPに4回以上選出されたのは、6回のカリーム・アブドゥル・ジャバーをはじめ、5回のマイケル・ジョーダンとビル・ラッセル、4回のウィルト・チェンバレンだけで、レブロンはこの伝説的な選手達に続いて5人目の選手になった。
ファイナルの相手は6年前若きレブロンとキャバリアーズをファイナルでスイープをしたサンアントニオ・スパーズだった。レブロンもファイナル前の会見でスパーズへのリベンジへ自信を見せたが、スパーズの組織的なディフェンスを崩すことが出来ず、2勝3敗で王手をかけられる。第6戦、スパーズが優勢、4Q開始の時点で二桁のビハインドを負ったが、ここからレブロンがトレードマークのヘッドバンドが取れても気にすることなく、なりふり構わないアグレッシブさを発揮しなんとか試合を僅差まで持ち込む。残り28秒5点ビハンドで大方スパーズの優勝が決まったかに見えたが、レイ・アレンが同点のスリーポイントでオーバータイムに持ち込み劇的逆転勝利。レブロンはこの試合32点10リバウンド11アシストを記録、シリーズで初めて本来の活躍を見せ第7戦に持ち込んでみせた。
NBAファイナル第7戦、試合を決めたのはレブロンだった。スパーズのシリーズを通してレブロンのペネトレイトを封じるという作戦の完全に裏を書くように、フィールドゴールのほとんどをジャンプシュートで決め、スリーを5本を含む37点(NBAファイナル第7戦の歴代最高得点タイ記録)、そして4Q終了までもつれた激戦をレブロンがジャンパーを沈め試合を決めた。レブロンが昨年に続きファイナルMVPを受賞。またこのファイナルでは2回のトリプル・ダブルを記録しており、これはマジック・ジョンソン以来となるNBA史上2人目、2シーズン連続でシーズンMVPとファイナルMVPを同時受賞した選手はNBA史上マイケル・ジョーダンとレブロンの二人だけである。
スリーピートへ[編集]
13-14シーズン、レブロンはシャキール・オニールとコービー・ブライアント率いるレイカーズ以来となるスリーピートを目指すこととなった。11月5日のトロント・ラプターズ戦において、500試合連続二桁得点を達成する。この記録はカリーム・アブドゥル・ジャバー、マイケル・ジョーダン、カール・マローン、モーゼス・マローンらに続き5人目である。
2014年3月3日(現地)のシャーロット・ボブキャッツ戦に自身のキャリアハイ、ヒートのフランチャイズレコードとなる61得点を記録(FG 22/33、3P 8/10、FT 9/12)した。
ファイナルは昨季と同じスパーズが相手となったが、それまで噛み合っていたオフェンスがスパーズの堅い守備によって封じ込まれ、さらにスパーズの流れるようなパス回しにディフェンスが翻弄される。
レブロン1人が奮闘する場面が目立ち、結局ヒートは1勝4敗で敗退し、スリーピート達成とはならなかった。[6]。
キャバリアーズ復帰・オハイオの悲願達成へ[編集]
JRスミスのロブパスから豪快なアリウープダンクを決めるレブロン
シーズン後、ヒートからFAとなっていたが、2014年7月11日にクリーブランド・キャバリアーズへの復帰を発表した[7]。チームはNBAファイナルまで進出。キャバリアーズはケビン・ラブ、アンダーソン・バレジャオを怪我で欠いており、さらにカイリー・アービングも第1戦で膝皿を骨折し戦列を離れたが、レブロンは第1~3戦で合計123得点を記録し(史上最高記録)、チームも2勝1敗でリードする[8]。しかし第4戦から3連敗し、2勝4敗で優勝を逃した[9]。
オフにはFAとなっていたが、残留が決まった[10][11]。11月2日のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で史上最年少(30歳307日)で25000得点を記録[12]。11月23日のオーランド・マジック戦でNBA通算6395アシストを記録し、NBA歴代25位に浮上した[13]。2016年2月5日のNBAオールスターにおいて13得点を決めたことでオールスター通算得点を291に伸ばし、コービー・ブライアントを抜いて歴代トップに浮上した[14]。
ファイナルでは1勝3敗から史上初の逆転優勝を果たし3度目のMVPを獲得[15]。得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックで両チームトップを記録した(ファイナル史上初)[16]。
2016年8月11日、キャバリアーズと3年1億ドルで再契約。2016-17シーズンはリーグトップの3100万ドルの年俸でスタートすることになった[17]。
ナショナルチーム[編集]
北京オリンピック、2008年8月10日の対中国戦にて
NBAでの1年目が終わった2004年の夏にアテネ五輪にアメリカ代表として出場したが、ベテラン重視のラリー・ブラウンHCの方針により平均14.6分と満足な出場時間を得られず5.8得点、2.6リバウンドの成績にとどまり代表チームは4大会ぶりに金メダルを逃し、現役NBA選手が参加して初めて金メダルを逃すこととなり銅メダルに終わった。
2006年に日本で開催されたバスケットボール世界選手権ではドウェイン・ウェイド、カーメロ・アンソニーと共に3人のチームキャプテンの1人に指名され[18]主力選手の1人としてプレイし、14.8得点4.8リバウンド4.1アシストの成績を残したが、代表チームはまたしても銅メダルに終わった。
2008年開催の北京オリンピックでは、全試合安定した成績を残し、スペインを破って見事金メダルを獲得した[19]。
2012年開催のロンドンオリンピックではチームキャプテンに指名され、ケビン・デュラントと共にチームを引っ張った。決勝でも重要な場面で3Pを決めたり実質的なエースはレブロンであったが、デュラントに点を決めさせるというチームの方針通り司令塔として、またよりオールラウンドな活躍を見せてアメリカ代表としては初のトリプルダブルを記録し、二大会連続でアメリカに金メダルをもたらした。
プレイスタイル[編集]
得点力、パス能力の他、ポイントガードからセンターまでガードできる守備力も併せ持つオールラウンダー[20]。長身選手でありながら、ガードのスキルを有している[21]。「ポイント・フォワード」と称され、5つのポジションをこなすことができる[22]。キャリア初期に課題だったディフェンスも2008-09シーズンを皮切りにオールディフェンシブ1stチームの常連になり、現在では守備面もトップクラスの選手になった[23]。ヒート入団当初は身体能力に頼りプレーする傾向にあった[24]。
マイケル・ジョーダンとよく比較されるが、ジョーダンよりマジック・ジョンソンに近いという意見が多い[20]。シャキール・オニールは「若き日のレブロンはマジック・ジョンソンに近い選手だった。だから彼は、ジョーダンの能力を備えたマジックみたいなものだ。」と述べている[25]。
ゲーム開始前、滑り止めの粉を巻き上げるのが恒例となっている
個人成績[編集]
NBAレギュラーシーズン[編集]
| シーズン |
チーム |
GP |
GS |
MPG |
FG% |
3P% |
FT% |
RPG |
APG |
SPG |
BPG |
TO |
PPG |
| 2003–04 |
CLE |
79 |
79 |
39.5 |
.417 |
.290 |
.754 |
5.5 |
5.9 |
1.6 |
0.7 |
3.5 |
20.9 |
| 2004–05 |
CLE |
80 |
80 |
42.4 |
.472 |
.351 |
.750 |
7.4 |
7.2 |
2.2 |
0.7 |
3.3 |
27.2 |
| 2005–06 |
CLE |
79 |
79 |
42.5 |
.480 |
.335 |
.738 |
7.0 |
6.6 |
1.6 |
0.8 |
3.3 |
31.4 |
| 2006–07 |
CLE |
78 |
78 |
40.9 |
.476 |
.319 |
.698 |
6.7 |
6.0 |
1.6 |
0.7 |
3.2 |
27.3 |
| 2007–08 |
CLE |
75 |
74 |
40.4 |
.484 |
.315 |
.712 |
7.9 |
7.2 |
1.8 |
1.1 |
3.4 |
30.0 |
| 2008–09 |
CLE |
81 |
81 |
37.7 |
.489 |
.344 |
.780 |
7.6 |
7.2 |
1.7 |
1.1 |
3.0 |
28.4 |
| 2009–10 |
CLE |
76 |
76 |
39.0 |
.503 |
.333 |
.767 |
7.3 |
8.6 |
1.6 |
1.0 |
3.4 |
29.7 |
| 2010–11 |
MIA |
79 |
79 |
38.8 |
.510 |
.330 |
.759 |
7.5 |
7.0 |
1.6 |
0.6 |
3.6 |
26.7 |
| 2011–12 |
MIA |
62 |
62 |
37.5 |
.531 |
.362 |
.771 |
7.9 |
6.2 |
1.8 |
0.8 |
3.4 |
27.1 |
| 2012–13 |
MIA |
76 |
76 |
37.9 |
.565 |
.406 |
.753 |
8.1 |
7.3 |
1.7 |
0.8 |
2.9 |
26.8 |
| 2013–14 |
MIA |
77 |
77 |
37.7 |
.567 |
.379 |
.750 |
6.9 |
6.4 |
1.6 |
0.3 |
3.5 |
27.1 |
| 2014–15 |
CLE |
69 |
69 |
36.1 |
.488 |
.354 |
.710 |
6.0 |
7.4 |
1.6 |
0.7 |
3.9 |
25.3 |
| 2015–16 |
CLE |
76 |
76 |
35.6 |
.520 |
.309 |
.731 |
7.4 |
6.8 |
1.4 |
0.6 |
3.3 |
25.3 |
| Career |
|
987 |
986 |
39.0 |
.498 |
.340 |
.744 |
7.2 |
6.9 |
1.7 |
0.8 |
3.4 |
27.2 |
NBAプレーオフ[編集]
| シーズン |
チーム |
GP |
GS |
MPG |
FG% |
3P% |
FT% |
RPG |
APG |
SPG |
BPG |
TO |
PPG |
| 2005–06 |
CLE |
13 |
13 |
46.5 |
.476 |
.333 |
.737 |
8.1 |
5.8 |
1.4 |
0.7 |
5.0 |
30.8 |
| 2006–07 |
CLE |
20 |
20 |
44.6 |
.416 |
.280 |
.755 |
8.0 |
8.0 |
1.7 |
0.5 |
3.3 |
25.0 |
| 2007–08 |
CLE |
13 |
13 |
42.5 |
.411 |
.257 |
.731 |
7.8 |
7.6 |
1.8 |
1.3 |
4.2 |
28.2 |
| 2008–09 |
CLE |
14 |
14 |
41.4 |
.510 |
.333 |
.749 |
9.1 |
7.3 |
1.6 |
0.9 |
2.7 |
35.3 |
| 2009–10 |
CLE |
11 |
11 |
41.8 |
.502 |
.400 |
.733 |
9.3 |
7.6 |
1.7 |
1.8 |
3.8 |
29.1 |
| 2010–11 |
MIA |
21 |
21 |
43.9 |
.466 |
.353 |
.763 |
8.4 |
5.9 |
1.7 |
1.2 |
3.1 |
23.7 |
| 2011–12 |
MIA |
23 |
23 |
42.7 |
.500 |
.259 |
.739 |
9.7 |
5.6 |
1.9 |
0.7 |
3.5 |
30.3 |
| 2012–13 |
MIA |
23 |
23 |
41.7 |
.491 |
.375 |
.777 |
8.4 |
6.6 |
1.8 |
0.8 |
3.0 |
25.9 |
| 2013–14 |
MIA |
20 |
20 |
38.2 |
.565 |
.407 |
.806 |
7.1 |
4.8 |
1.9 |
0.6 |
3.1 |
27.4 |
| 2014–15 |
CLE |
20 |
20 |
42.2 |
.417 |
.227 |
.731 |
11.3 |
8.5 |
1.7 |
1.1 |
4.1 |
30.1 |
| 2015–16 |
CLE |
21 |
21 |
39.1 |
.525 |
.340 |
.661 |
9.5 |
7.6 |
2.3 |
1.3 |
3.6 |
26.3 |
| Career |
|
199 |
199 |
42.1 |
.478 |
.321 |
.746 |
8.8 |
6.8 |
1.8 |
0.9 |
3.5 |
28.0 |
受賞・タイトル[編集]
- NBAチャンピオン:2012, 2013, 2016
- NBAファイナルMVP:2012, 2013, 2016
- シーズンMVP:2009, 2010, 2012, 2013
- NBAオールスターゲーム出場:2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016
- NBAオールスターゲームMVP:2006, 2008
- 新人王:2004
- 得点王:2008
- オールNBAチーム
- 1stチーム:2006, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016
- 2ndチーム:2005, 2007
- NBAオールディフェンシブチーム 1stチーム:2009, 2010, 2011, 2012, 2013
- NBAオールルーキーチーム 1stチーム:2004
1試合自己最多記録[編集]
最年少記録[編集]
- ドラフト1位(18歳178日)
- 1試合30得点(18歳334日)
- 1試合40得点(19歳88日)
- 新人王獲得(19歳)
- オールルーキー1stチーム(19歳)
- オールNBA2ndチーム(20歳)
- オールNBA1stチーム(21歳)
- トリプルダブル達成(20歳20日)
- シーズン通算2000得点達成(20歳102日)
- オールスターMVP獲得(21歳51日)
- シーズン平均30得点以上達成(21歳)
- 2004年2月9日-通算1000得点達成(19歳41日)
- 2004年11月27日-通算2000得点達成(19歳333日)
- 2005年3月2日-通算3000得点達成(20歳62日)
- 2005年11月13日-通算4000得点達成(20歳318日)
- 2006年1月21日-通算5000得点達成(21歳22日)
- 2006年3月29日-通算6000得点達成(21歳89日)
- 2006年12月23日-通算7000得点達成(21歳358日)
- 2007年3月14日-通算8000得点達成(22歳74日)
- 2007年12月17日-通算9000得点達成(22歳352日)
- 2008年2月27日-通算10000得点達成(23歳59日)
- 2008年11月18日-通算11000得点達成(23歳324日)
- 2009年2月3日-通算12000得点達成(24歳35日)
- 2009年10月27日-通算13000得点達成(24歳301日)
- 2010年1月2日-通算14000得点達成(25歳3日)
- 2010年3月19日-通算15000得点達成(25歳79日)
- 2010年12月23日-通算16000得点達成(25歳358日)
- 2011年3月18日-通算17000得点達成(26歳78日)
- 2012年2月3日-通算18000得点達成(27歳35日)
- 2012年4月19日-通算19000得点達成(27歳111日)
- 2013年1月16日-通算20000得点達成(28歳17日)
- 2013年4月6日-通算21000得点達成(28歳97日)
- 2014年1月10日-通算22000得点達成(29歳11日)
- 2014年4月4日-通算23000得点達成(29歳95日)
- 2015年1月16日-通算24000得点達成(30歳17日)
- 2015年11月2日-通算25000得点達成(30歳307日)
- 2016年1月29日-通算26000得点達成(31歳30日)
- 2016年11月11日-通算27000得点達成(31歳317日)
- 2017年2月4日-通算28000得点達成(32歳36日)
- 2012年6月3日-プレイオフ通算3000得点達成(27歳156日)
- 2014年5月6日-プレイオフ通算4000得点達成(29歳127日)
- 2015年6月16日-プレイオフ通算5000得点達成(30歳172日)
その他の業績[編集]
- プレイオフ 30得点5アシスト5リバウンド達成数歴代最多
- NBAファイナル トリプルダブル達成数歴代2位
- NBAファイナル第7戦 歴代最高得点
- NBAファイナル第7戦 トリプルダブル達成(史上3人目)
- 異なる2チームで優勝&ファイナルMVP獲得(ジャバー以来2人目)
- 2シーズン連続でシーズンMVPとファイナルMVP受賞(ジョーダン以来2人目)
- シーズンMVP、NBA優勝、ファイナルMVP、オリンピック金メダルすべてを同じ年に獲得(ジョーダン以来2人目)
- フロントコートの選手としてのアシスト数歴代最多
- 12年連続シーズン平均25点5アシスト5リバウンド以上
- キャリア通算27000点7000アシスト7000リバウンド達成(史上初)
外部リンク[編集]
|
NBAドラフト1位選手 |
| 1940年代 |
|
| 1950年代 |
|
| 1960年代 |
|
| 1970年代 |
|
| 1980年代 |
|
| 1990年代 |
|
| 2000年代 |
|
| 2010年代 |
|
|
|
オールNBAチーム |
| {| class="navbox collapsible autocollapse nowraplinks" style="font-size: 80%; text-align: center;"
|-
! colspan="3" style="background-color: #eee; font-size: 105%;" |
オールNBAチーム2004-2005シーズン
|- | style="width: 34%; vertical-align: top" |
| style="width: 33%; vertical-align: top" |
| style="width: 33%; vertical-align: top" |
|}
|
|
NBAオールディフェンシブチーム |
| {| class="navbox collapsible autocollapse nowraplinks" style="font-size: 80%; text-align: center;"
|-
! colspan="3" style="background-color: #eee; font-size: 105%;" |
NBAオールディフェンシブチーム2008-09シーズン
|- | style="width: 33%; vertical-align: top" |
| style="width: 33%; vertical-align: top" |
|}
|
|
NBA最優秀選手賞 |
| 1950年代 |
|
| 1960年代 |
|
| 1970年代 |
|
| 1980年代 |
|
| 1990年代 |
|
| 2000年代 |
|
| 2010年代 |
|
|
|
NBAシーズン得点王/通算得点数 |
| 1940年代 |
|
| 1950年代 |
|
| 1960年代 |
|
| 1970年代 |
|
| 1980年代 |
|
| 1990年代 |
|
| 2000年代 |
|
| 2010年代 |
|
| 歴代ベスト20[1] |
- ①カリーム・アブドゥル=ジャバー:38,387
- ②カール・マローン:36,928
- ③コービー・ブライアント:33,643
- ④マイケル・ジョーダン:32,292
- ⑤ウィルト・チェンバレン:31,419
- ⑥ダーク・ノビツキー:30,260
- ⑦レブロン・ジェームズ:28,787
- ⑧シャキール・オニール:28,596
- ⑨モーゼス・マローン:27,409
- ⑩エルビン・ヘイズ:27,313
- ⑪アキーム・オラジュワン:26,946
- ⑫オスカー・ロバートソン:26,710
- ⑬ドミニク・ウィルキンス:26,668
- ⑭ティム・ダンカン:26,496
- ⑯ポール・ピアース:26,397
- ⑮ジョン・ハブリチェック:26,395
- ⑰ケビン・ガーネット:26,071
- ⑱アレックス・イングリッシュ:25,613
- ⑲レジー・ミラー:25,279
- ⑳ジェリー・ウエスト:25,192
- ^ basketball-reference.com
|
プレーオフ
歴代ベスト20[1] |
- ①レブロン・ジェームズ:6,163
- ②マイケル・ジョーダン:5,987
- ③カリーム・アブドゥル=ジャバー:5,762
- ④コービー・ブライアント:5,640
- ⑤シャキール・オニール:5,250
- ⑥ティム・ダンカン:5,172
- ⑦カール・マローン:4,761
- ⑧ジュリアス・アービング:4,580
- ⑨ジェリー・ウェスト:4,457
- ⑩トニー・パーカー:3,918
- ⑪ラリー・バード:3,897
- ⑫ドウェイン・ウェイド:3,814
- ⑬ジョン・ハブリチェック:3,776
- ⑭アキーム・オラジュワン:3,755
- ⑮マジック・ジョンソン:3,701
- ⑯ダーク・ノビツキー:3,663
- ⑰スコッティ・ピッペン:3,642
- ⑱エルジン・ベイラー:3,623
- ⑲ウィルト・チェンバレン:3,607
- ⑳ケビン・マクヘイル:3,182
- ^ basketball-reference.com
|
|