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「さいたまスーパーアリーナ」の着工が決定したのに伴い、1997年1月に日本バスケットボール協会から同アリーナをメイン会場として2002年世界選手権招致への要請を受け、当時の埼玉県知事であった土屋義彦が中心となり招致活動を展開した。同年11月、2002年の開催は米国に敗れたものの、2006年の開催を決めた。なお、土屋氏は後に日本協会会長就任が決まっていたが、2003年に起きた長女の不祥事により県知事職を引責辞任しており、協会内外から非難を浴び辞退している。
2000年のこけら落としではスーパードリームゲーム2000、2001年にはヤングメン世界選手権(現・U-21世界選手権)が行われた。
2004年6月3日、全開催地が決定した。
本大会開催を1年後に控えた2005年、大会運営による財政難が指摘され、協会登録者から協力金を徴収する方針を決めたが、反発に遭い断念した。
同年11月にすべての出場国が決定し、2006年1月15日、組み合わせ抽選会が行われた。
グループゲームラウンド (2006年8月19日~24日)
ファイナルラウンド (2006年8月26日~9月3日)
世界選手権の出場枠は予選(大陸選手権)を勝ち抜いた18カ国とアテネオリンピック優勝のアルゼンチン、ワイルドカード4カ国、そして、開催国日本の24カ国で行われた。参加国数は1986年大会と並んで最多タイとなっている。
これらの国より当該大陸の予選で成績が優秀だった国もあったが、人気その他様々な要素が考慮されて
招待国が決定された。
- まずは24チームが6チームずつ4グループに分かれて1回戦総当たり戦を行われた。
- 次のラウンドに進めるのは各組から4ヶ国の16カ国。
- 16ヵ国がその順位によって組み合わせを決定し、1回戦を行われた。
- 1回戦の勝者は準々決勝に進出。
- 準々決勝の勝者は準決勝、敗者は5~8位決定戦に回った。
- 準決勝、決勝を勝ち進んだ国が世界一となった。
- ベスト8決定戦、などの試合順は、予選ラウンドが終了するまで発表にならなかった。
| Team |
勝点 |
試合数 |
勝 |
負 |
得点 |
失点 |
得失点差 |
スペイン |
10 | 5 | 5 | 0 | 476 | 336 | +140 |
ドイツ |
9 | 5 | 4 | 1 | 421 | 384 | +37 |
アンゴラ |
8 | 5 | 3 | 2 | 451 | 406 | +45 |
ニュージーランド |
7 | 5 | 2 | 3 | 345 | 393 | -48 |
日本 |
6 | 5 | 1 | 4 | 322 | 393 | -71 |
パナマ |
5 | 5 | 0 | 5 | 326 | 429 | -103 |
| Team |
勝点 |
試合数 |
勝 |
負 |
得点 |
失点 |
得失点差 |
ギリシャ |
10 | 5 | 5 | 0 | 404 | 358 | +46 |
トルコ |
9 | 5 | 4 | 1 | 370 | 351 | +19 |
リトアニア |
8 | 5 | 3 | 2 | 413 | 353 | +60 |
オーストラリア |
7 | 5 | 2 | 3 | 370 | 349 | +21 |
ブラジル |
6 | 5 | 1 | 4 | 399 | 392 | +7 |
カタール |
5 | 5 | 0 | 5 | 310 | 456 | -146 |
| Team |
勝点 |
試合数 |
勝 |
負 |
得点 |
失点 |
得失点差 |
対戦でのタイブレーク |
スコアでのタイブレーク |
アメリカ合衆国 |
10 | 5 | 5 | 0 | 543 | 428 | +115 | x | x |
イタリア |
9 | 5 | 4 | 1 | 386 | 367 | +19 | x | x |
スロベニア |
7 | 5 | 2 | 3 | 434 | 433 | +1 | 1勝1敗 | (167得点/160失点, 1.0438) |
中国 |
7 | 5 | 2 | 3 | 424 | 455 | -31 | 1勝1敗 | (165得点/167失点, 0.9880) |
プエルトリコ |
7 | 5 | 2 | 3 | 432 | 440 | -8 | 1勝1敗 | (172得点/177失点, 0.9718) |
セネガル |
5 | 5 | 0 | 5 | 355 | 451 | -96 | x | x |
September 3, 2006 7:30 p.m. |
2006年世界選手権 優勝国: |
 スペイン 初優勝 |
決勝戦後お互いの健闘をたたえあうスペイン、ギリシャ人ファン
- プレゼンティングスポンサー
- メインスポンサー
- イベントスポンサー
- イベントサプライヤー
スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)が国内独占放映権を獲得。
日本戦及び決勝戦はTBSで録画中継された。
- 週末の日本戦や決勝戦はTBSをキー局としたJNN全国28局ネット、平日の日本戦は基幹8局ネット(HBC・TBC・TBS・SBS・CBC・MBS・RCC・RKB)。但し、放送が深夜の為、自社制作番組を放送しているMBSとSBS(月のみ)は30分遅れ(MBSは月のみ45分遅れ)て放送した。
- 中継の協賛スポンサークレジット(CM提供)は白地じゅうたんにカラー表示を入れてクレジットされた。
- 日本戦においては、CM前にバスケ以外の様々なアスリートが登場し、バスケットボールを持って「世界バスケ、がんばれ日本」とエールを送っていた。
- 解説:倉石平・塚本清彦・中原雄
- 実況:清水大輔・小笠原亘
- リポーター:赤荻歩・新井麻希
- 永井大
- 押切もえ
- 開催各自治体の首長、それぞれ公式パンフレットにコメントを寄せている。
- さいたまスーパーアリーナで行なわれた試合では試合間に、さいたま市長の相川宗一による挨拶があり、さいたま市のチアリーディングチームがパフォーマンスを行なった。パフォーマンスの前後には、彼女たちはゴール裏のアリーナ席でゲームを観戦した。(出場選手などのみに用意されたアリーナS席)
今大会は当初さいたまでの集中開催を予定していたが、諸般の事情によりグループゲームラウンドは分散開催となり経費が膨れ上がり、日本協会へのテレビ放映権などの取り分は少ない契約となっていたなどから、大会運営は13億円もの赤字となった。
日本協会は赤字の半分を負担する補正予算を提出したが、都道府県協会に6億5000万円を負担させる内容だったため、評議員会では地方協会役員が多い評議員の反対に遭い否決。その後も評議員に学識経験者を加えるなどして評議員会を招集したが、流会が続いた。予算自体は2007年11月の評議員会で採決されたものの、執行部に対する一部評議員の不信感はなお残り、日本オリンピック委員会(JOC)からの資格停止、その後の執行部刷新に至った。
当選手権以前は、日本協会側がかつてJBLだったチームが脱退し発足したbjリーグに対し、一部名門大学でbjリーグのトライアウトを受けた選手に除籍処分を下す方針を打ち出すなど選手との接触をタブーとするなど徹底した対立をしていたが、先述の問題における責任の所在を巡る日本協会の執行部派と反執行部派の内紛により、JBL自体のイメージダウンに繋がってしまった。皮肉な事に、その他の事情から新規参戦希望チームなしと言う事態に陥り、反bjリーグ派の役員の多くが退陣するに至り、2010年には日本協会側がbjリーグを承認、JBLとの歩み寄りを見せる等進展している。この脱退劇は、当選手権開催を巡る対立が発端であるとされ、歩み寄りの経緯に関しては、上記の内紛が最大の理由と言われている。