男子日本代表チーム、レバノンとの親善試合。2010年7月25日、
墨田区総合体育館。
バスケットボール男子日本代表(―だんしにほんだいひょう、英:Japan men's national basketball team)は、日本バスケットボール協会によって編成され、国際大会に派遣される男子バスケットボールのナショナルチーム。
以前HC期[編集]
日本代表チームとしての初の国際大会出場は、1917年に東京で開催された第3回極東選手権競技大会である。この時の日本代表は、京都YMCAによる単一チームであった。
1936年、バスケットボールがオリンピック正式種目となったベルリン大会でオリンピックに初出場。トーナメント方式の大会で1回戦で中国、2回戦でポーランドに勝利して3回戦まで進出した。戦後になってからも1956年のメルボルン大会に出場して以降、1968年メキシコシティ大会を除き毎回出場。バスケットボール世界選手権にも1963年大会で初出場、続く1967年大会にも連続出場するなど世界大会の常連であった。アジア選手権でも1965年大会と1971年大会に優勝するなどアジアの上位であったが、その後は国際大会に復帰した中国の台頭などもあり、1976年のモントリオールオリンピック出場を最後に世界規模の大会への出場から遠ざかっていった。
1995年の福岡ユニバーシアードで準優勝すると、長谷川誠らその時のメンバー6人を擁して1997年アジア選手権で7大会ぶりの準優勝を達成し、1998年に31年ぶりに世界選手権出場を果たす。1次リーグは3連敗を喫したが、順位決定戦でセネガルに勝利した。世界選手権出場を果たしたことで、福岡で開催された1999年アジア選手権では2000年シドニーオリンピックの出場権獲得が期待されたが、2次リーグ敗退で獲得はならなかった。
2003年にヨーロッパの名将ジェリコ・パブリセヴィッチをヘッドコーチに招聘。自国開催の2006年世界選手権に向けて若手を抜擢し、毎年夏に1か月の欧州遠征を行った[2]。初年はボスニアのジュニアチームに敗北していたが、強化が進むと東アジア競技大会とアジア選手権東アジア予選では長年勝てなかった中国に2度勝利した。史上初の1次ラウンド突破(ベスト16入り)を目標に掲げた2006年世界選手権では、初戦のドイツ戦は70-81と善戦、パナマ戦では1次ラウンドとしては1963年大会以来の勝利をあげた。前回大会4位のニュージーランド戦でに対しては前半を18点のリードで折り返したが後半に大逆転を許して2勝目を逃し、通算1勝4敗で敗退した[3]。なお、代表選手選考ではパブリセヴィッチは就任2年目から世界選手権を見据えてセレクションを行い「ジェリコ・チルドレン」とも呼ばれる若手の抜擢を行ったが、選手選考を主導したい日本バスケ協会との対立が生じ、世界選手権直前の強化委員会会議にパブリセヴィッチが呼ばれず、協会が無断で日本代表を発表するという事態が発生している。結果、発表された選手のうち8名が辞退した[4]。
世界選手権後、協会はベスト8入りできなかったこと等を理由にパブリセヴィッチとの契約を更新せず、後任にはJBLのアイシンシーホース(現シーホース三河)で実績を残した鈴木貴美一がヘッドコーチに就任した。しかし、協会は世界選手権開催の赤字の責任と処理をめぐって評議委員会が幾度も流会となるなど混乱しており、2007年アジア選手権大会は自国開催(徳島)でありながらチーム強化もおぼつかなく8位に終わり、この大会での2008年北京オリンピック進出ばかりか同大会の世界最終予選進出も逃した。
さらに2009年アジア選手権は直前のヘッドコーチ交代劇の影響もあり、世界選手権出場どころか前回よりさらに下回る歴代最低の10位に沈んだ。
2010年は史上初めてヘッドコーチを公募にかけ、リンク栃木ブレックスをJBL初優勝に導いたトーマス・ウィスマンコーチが就任した。2010年FIBAアジアスタンコビッチカップにて、決勝戦で地元レバノンに敗れはしたが準優勝となり好スタートを切った。さらに同年の広州アジア大会でも4大会ぶりにベスト4入りを達成。しかし翌2011年9月に開催されたアジア選手権兼ロンドンオリンピックアジア予選ではベスト4を目標に掲げるも、準々決勝で敗れてロンドンオリンピック世界最終予選の出場権獲得を逃し7位に終わった。
それから半年も経った2012年3月になって日本協会はウィスマンHCを解任し、鈴木貴美一がアイシンと兼任で自身2度目となるHCに就任した。9月に東京で開催された2012年FIBAアジアカップで準優勝。翌2013年は2014年ワールドカップ出場権の獲得を目指したが、2013年アジア選手権2次ラウンドでフィリピン、台湾、ヨルダンを相手に3連敗を喫して決勝トーナメントに進めずに9位になり、ワールドカップ出場権を逃した。その後、10月の協会理事会で鈴木HCは成績不振の責任を取って辞任した。
長谷川健志HC期[編集]
2014年4月、前青山学院大学HCの長谷川健志がヘッドコーチに就任した。7月に行われた2014年FIBAアジアカップでは準々決勝で台湾に敗れて順位決定戦にまわり、6位に終わった。9月に開幕した仁川アジア大会では準々決勝リーグで中国に競り勝ち、グループ内2位で目標としていた2大会連続ベスト4入りを達成。準決勝では開催国韓国に敗れたが、3位決定戦でカザフスタンを破り、アジア大会では1994年広島大会以来5大会ぶりに銅メダルを獲得した。
2014年11月にJBAがガバナンス不足によりFIBAより資格停止処分を受けすべてのカテゴリの日本代表が国際試合に出場ができなくなったため、一時はリオデジャネイロオリンピックのアジア予選を兼ねたアジア選手権(中国・長沙)への出場が危ぶまれたが、その後FIBAより送り込まれた改革組織『JAPAN 2024 TASKFORCE』による改革で2015年8月に制裁は解除され、9月23日開幕のアジア選手権に出場。1次リーグ初戦のイラン戦では大敗したがその後持ち直して1次・2次リーグを突破。決勝トーナメント初戦のカタール戦を81-67で勝利し、9大会18年ぶりのベスト4入りを達成した。準決勝・3位決定戦は敗れてメダル獲得はならなかったが、世界最終予選の出場権を獲得した。
2016年7月、日本代表にとり2006年世界選手権以来のFIBA主催大会となるリオ五輪世界最終予選(セルビア・ベオグラード)にジョージ・ワシントン大留学中の渡邊雄太らを加えて出場したが、ラトビアに48-88、チェコに71-87で敗れ、予選ラウンドで敗退した[5][6]。長谷川HCは同年のウィリアム・ジョーンズカップとFIBAアジアチャレンジ(FIBAアジアカップより改称、6位)でも指揮を執った後、11月30日付で退任した。
長谷川氏の後任の新HCが就任するまで、11月1日にテクニカルアドバイザーに就任したルカ・パヴィチェヴィッチが暫定的に指揮を執り[7]、2017年6月の東アジア選手権で3位となった。
フリオ・ラマスHC期[編集]
2017年4月、元アルゼンチン代表HCのフリオ・ラマスが7月1日付で新HCに就任することが決定した[8]。就任直後に行われたFIBAアジアカップは9位(アジア選手権から大会名変更、開催間隔も4年ごとに変更)。
同年11月、フィリピン、オーストラリア、台湾と同組となった2019年FIBAバスケットボール・ワールドカップアジア1次予選が開幕(出場国は前回大会までアジア選手権で決定していたが、今回よりホームアンドアウェイでの総当たり方式に変更された)。日本は初戦から4連敗を喫して敗退の危機に晒されたが、ゴンサガ大留学中の八村塁と、2018年4月に帰化したBリーグMVP受賞のニック・ファジーカスが加入した2018年6月の1次予選最終シリーズ(第3シリーズ)ではFIBAランク10位のオーストラリア戦と台湾戦に連勝して、2勝4敗のグループ3位で1次予選を突破した(1次予選の結果は2次予選に持ち越される)。
W杯予選とは別に若手選手中心で挑んだ2018年8月に行われたアジア競技大会において、出場した選手4名に規律違反があったとして、代表認定が取り消された[9][10][11]。
2018年9月開幕のW杯2次予選開幕シリーズ(第4シリーズ)ではファジーカスが怪我で欠場したが、メンフィス・グリズリーズと2way契約を結んだ渡邊雄太が加わり、八村とのコンビが存在感を見せカザフスタンとイランに連勝し、通算4勝4敗となる。アメリカがシーズンに入った11月以降は八村と渡邊は代表を離脱したが、第5シリーズも連勝し、6勝4敗。最終第6シリーズもアウェイでイランとカタールに勝利し、4連敗のあとの8連勝で通算8勝4敗とし、W杯出場が決定した。W杯出場は2006年大会以来、自国開催を除く自力での予選突破は1998年大会以来である[12]。
2019年3月、W杯の抽選が行われ、FIBAランク48位の日本は、1位のアメリカ、17位のトルコ、24位のチェコと同じE組となった。7月、W杯に向けた日本代表候補が発表され、W杯予選突破の原動力となった八村(ワシントン・ウィザーズ)、渡邊、ファジーカスの3人が初めて揃い踏みした。前シーズンのBリーグMVPの富樫勇樹が代表練習中の故障で離脱したが、JBA技術委員長の東野智弥はこのチームを『ジャパン・ドリームチーム』として発表した[13]。8月、日本で開催した強化試合でニュージーランド(2試合)、アルゼンチン、ドイツ、チュニジアと対戦し、ランク38位のニュージーランドとランク22位のドイツに勝利して2勝(3敗)をあげた。9月のW杯本大会ではトルコに67-86、チェコに76-89、アメリカに45-98で3連敗を喫し、E組最下位で順位決定戦にまわった。順位決定戦では八村が膝の不安と大学シーズンから続く試合による疲労を考慮してチーム離脱。PGの篠山竜青も骨折で欠場したニュージーランド戦とモンテネグロ戦に連敗し、大会を未勝利で終えた。
2020年は、マレーシア、中国、台湾と同組となったFIBAアジアカップ2021の予選(今回からホームアンドアウェイ方式)が開幕したが、日本が台湾との初戦に勝利した後、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により延期が決定した。また、開催国枠で出場予定だった東京オリンピックも1年の延期が決定した。
2021年、延期されていたFIBAアジアカップ2021予選が2月に東京で集中開催される予定だったが、日本国内でコロナ感染症が再拡大し、東京都に緊急事態宣言が発令されたことを受け、FIBAアジアは開催地をカタールのドーハに変更した[14]。予選は2月17日から23日にかけて行われる予定であったが、前述のコロナ感染症の懸念から台湾、マレーシアが辞退。更に開催地カタールにおける感染拡大の影響により、カタール政府からの中止指示を受けて国際バスケットボール連盟(FIBA)が大会の中止を決定した
日本バスケットボール協会は、日本代表チームの愛称を2011年4月から5月にかけて一般公募した。その中から男女共通の愛称として「隼(ハヤブサ)ジャパン」を選定し、2011年7月に発表し[15]、それを2015年まで使用していたが、2016年から「AKATSUKI FIVE(アカツキファイブ)」に変更されることになった[16]。
国際大会の成績[編集]
夏季オリンピック[編集]
FIBAワールドカップ[編集]
FIBAアジアカップ[編集]
オリンピックまたはワールドカップのアジア予選を兼ねている。
- 1960年 -
3位
- 1963年 - 不参加
- 1965年 -
優勝
- 1967年 -
3位
- 1969年 -
準優勝
- 1971年 -
優勝
- 1973年 - 4位
- 1975年 -
準優勝
- 1977年 -
3位
- 1979年 -
準優勝
- 1981年 -
3位
- 1983年 -
準優勝
- 1985年 - 5位
- 1987年 -
3位
- 1989年 - 4位
アジア競技大会[編集]
- 1951年 -
準優勝
- 1954年 -
3位
- 1958年 -
3位
- 1962年 -
準優勝
- 1966年 - 4位
- 1970年 -
3位
- 1974年 - 7位
- 1978年 - 4位
- 1982年 -
3位
- 1986年 - 6位
東アジア競技大会[編集]
- 1993年 - 5位
- 1997年 - 5位
- 2001年 -
3位
- 2005年 -
準優勝
- 2009年 -
3位
- 2013年 - 4位
東アジア選手権[編集]
FIBAアジアチャレンジ[編集]
歴代のヘッドコーチ[編集]
歴代の代表選手[編集]
現在の代表選手[編集]
2019年2月24日に実施されたFIBAワールドカップ アジア地区二次予選/対カタール戦の代表選手をまとめる。(なお、所属先は2019年2月23日時点での所属チームを明記する。)
年代別代表[編集]
チーム編成[編集]
U-24日本代表[編集]
- 大学生による競技大会であるユニバーシアードに派遣されるナショナルチーム。原則として大学または大学院に在学中、ならびに大会前年に大学または大学院を卒業した選手が資格を得るが、代表に選ばれる実力を持つ選手のほとんどが大卒であり、24歳以下の選手で構成されるためU-24日本代表と表現する場合もある。ユニバーシアード日本代表は1995年の福岡大会で、世界大会では日本バスケットボール史上初めてとなる準優勝の快挙を成し遂げた。2007年のバンコク大会では「竹内世代」と呼ばれる大卒選手中心の編成でベスト4入りを果たした。
U-19日本代表[編集]
- 19歳以下の大会であるU-19世界選手権およびその予選を兼ねたU-18アジア選手権に派遣されるナショナルチーム。2004年までは18歳以下のジュニア日本代表と呼ばれていた。
U-17日本代表[編集]
- 2010年に第1回が開催される17歳以下の大会であるU-17世界選手権およびその予選を兼ねたU-16アジア選手権に派遣されるナショナルチーム。2009年に新設。2011年U-16アジア選手権で銅メダルを獲得。
国際大会結果[編集]
ユニバーシアード[編集]
FIBA U-19世界選手権[編集]
- 1991年 - 16位
- 1999年 - 14位
- 2017年 - 10位
FIBAアジアU-18選手権[編集]
上位に入ると翌年のU-19世界選手権の出場権を獲得。
- 1970年
準優勝
- 1972年 不参加
- 1974年 不参加
- 1977年 6位
- 1978年 4位
- 1980年 5位
- 1982年 5位
- 1984年 4位
- 1986年 5位
- 1988年 4位
- 1990年
優勝
- 1992年 4位
- 1994年 7位
- 1996年
3位
- 1998年
3位
- 2000年 4位
- 2002年 5位
- 2004年 9位
- 2006年 6位
- 2008年 4位
- 2010年 8位
- 2012年 4位
- 2014年 6位
- 2016年
準優勝
- 2018年 5位
FIBA U-17世界選手権[編集]
FIBAアジアU-16選手権[編集]
上位に入ると翌年のU-17世界選手権の出場権を獲得。
- 2009年 6位
- 2011年
3位
- 2013年
3位
- 2015年 4位
- 2017年 6位
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
日本のバスケットボール |
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代表チーム | |
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JBA加盟連盟 | |
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過去に存在したリーグ | |
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