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モーリス・チークス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーリス・チークス
Maurice Cheeks
2011年のチークス
ニューヨーク・ニックス AC
役職 アシスタントコーチ
所属リーグ NBA
基本情報
愛称 Mo
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1956-09-08) 1956年9月8日(69歳)
出身地 イリノイ州の旗 イリノイ州シカゴ
身長(現役時) 185cm (6 ft 1 in)
体重(現役時) 82kg (181 lb)
キャリア情報
高校 デュセーブル高等学校
大学 ウェスト・テキサスA&M大学
NBAドラフト 1978年 / 2巡目 / 全体36位[1]
プロ選手期間 1978年–1993年
ポジション PG
永久欠番 シクサーズ  10 
選手経歴
1978-1989
1989-1990
1990-1991
1991-1992
1992-1993
フィラデルフィア・76ers
サンアントニオ・スパーズ
ニューヨーク・ニックス
アトランタ・ホークス
ニュージャージー・ネッツ
指導者経歴
1994-2001
2001-2005
2005-2008
2009-2013
2013-2014
2015-2020
2020-2024
2024-
フィラデルフィア・76ers(AC)
ポートランド・トレイルブレイザーズ
フィラデルフィア・76ers
オクラホマシティ・サンダー(AC)
デトロイト・ピストンズ
オクラホマシティ・サンダー (AC)
シカゴ・ブルズ (AC)
ニューヨーク・ニックス (AC)
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com
Coaching Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)

モーリス・エドワード・チークスMaurice Edward Cheeks1956年9月8日 - )はアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のバスケットボール選手、指導者。NBAフィラデルフィア・76ersなどで活躍した後、ポートランド・トレイルブレイザーズのヘッドコーチ、76ersのヘッドコーチ、デトロイト・ピストンズのヘッドコーチを務めた。シカゴ・ブルズのアシスタントコーチ。

経歴

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地元の高校に進学した後、西テキサス州立大学(現ウェスト・テキサスA&M大学)に1974年から1978年まで過ごした。その間、ミズーリバレー・カンファレンスのオールスターにも3年連続で選ばれ1試合平均16.8得点、シュート成功率57%近くの成績を残した。大学史上3位の得点を残している。

1978年のNBAドラフトの2巡目、全体36位でフィラデルフィア・76ersに指名されて入団、その後15シーズンのキャリアのうち11シーズンをシクサーズで過ごした。NBAオールスターゲームには4回出場、NBAファイナルには1980年、1982年、1983年と4シーズンで3回の出場を果たし、1983年には優勝しチャンピオンリングを手に入れた。チークスがポイントガードとしてプレイした時期にはジュリアス・アービングモーゼス・マローンアンドリュー・トニーチャールズ・バークレーらスター選手の存在があった。チークスは献身的なプレイとディフェンスで貢献し1983年から1986年までは4年連続オール・ディフェンス・ファーストチームに選ばれ、1987年にもセカンドチームに選ばれた。

またチークスは通算成績のスティールでNBA歴代6位、アシストで歴代15位となっている(1993年の現役引退時はスティール歴代1位、アシスト歴代5位)。チークスはキャリア平均で1試合あたり11.7得点、2.1回のスティールの数字を残した。

現役引退後、1シーズンをCBAでヘッドコーチをした後、続く7シーズン古巣のフィラデルフィア・76ersのアシスタントコーチを3人のヘッドコーチの下で務め2001年にはNBAファイナルにチームは出場を果たした。2001年にポートランド・トレイルブレイザーズのヘッドコーチに就任しプレーオフにも2回出場したが1回戦を突破することはできず2004年開幕直後にヘッドコーチを解任された。

2005年、シクサーズのヘッドコーチに就任したが最初の2シーズンはプレーオフ出場を果たせなかった。2007年2月20日にチームは負け越ししていたものの1シーズンの契約延長がされた。2007年チームの下馬評は高くなかったがプレーオフ出場を果たしイースト第7シードとなる成績を残した。

2008年12月、9勝14敗となったところで解任され後任にはアシスタント・ゼネラルマネージャートニー・ディレオが暫定ヘッドコーチとなった [1]

2013年にデトロイト・ピストンズのヘッドコーチに就任したが、21勝29敗のところで解任された。

2018年3月31日、バスケットボール殿堂入りが発表された[2]

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー数  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン

NBA

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レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1978–79 PHI 82* 82* 29.4 .510 --- .721 3.1 5.3 2.1 .1 2.4 8.4
1979–80 79 79 33.2 .540 .444 .779 3.5 7.0 2.3 .4 2.7 11.4
1980–81 81 81 29.8 .534 .375 .787 3.0 6.9 2.4 .5 2.1 9.4
1981–82 79 79 31.6 .521 .273 .777 3.1 8.4 2.6 .4 2.3 11.2
1982–83 79 79 31.2 .542 .167 .754 2.6 6.9 2.3 .4 2.3 12.5
1983–84 75 75 33.3 .550 .400 .733 2.7 6.4 2.3 .3 2.4 12.7
1984–85 78 78 33.5 .570 .231 .879 2.8 6.4 2.2 .3 2.0 13.1
1985–86 82 82 39.9* .537 .235 .842 2.9 9.2 2.5 .3 2.9 15.4
1986–87 68 68 38.6 .527 .235 .777 3.2 7.9 2.6 .2 2.5 15.6
1987–88 79 79 36.3 .495 .136 .825 3.2 8.0 2.1 .3 2.0 13.7
1988–89 71 70 32.4 .483 .077 .774 2.6 7.8 1.5 .2 1.6 11.6
1989–90 SAS 50 49 35.3 .478 .111 .832 3.3 6.0 1.6 .1 1.7 10.9
NYK 31 13 24.3 .579 .429 .877 2.4 4.9 1.4 .2 1.2 7.9
1990–91 76 64 28.3 .499 .250 .814 2.3 5.7 1.7 .1 1.4 7.8
1991–92 ATL 56 0 19.4 .462 .500 .605 1.7 3.3 1.5 .0 .6 4.6
1992–93 NJN 35 0 14.6 .548 .000 .889 1.2 3.1 .9 .1 .9 3.6
通算 1,101 978 31.6 .523 .255 .793 2.8 6.7 2.1 .3 2.1 11.1
オールスター 4 1 11.0 .438 --- 1.000 .8 1.0 .8 .0 1.0 4.0

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1979 PHI 9 --- 36.7 .545 --- .661 3.9 7.0 4.1double-dagger .4 3.2 18.8
1980 18 --- 37.5 .511 .200 .707 4.1 6.2 2.5 .2 2.5 11.6
1981 16 --- 32.1 .544 .000 .762 3.2 7.3 2.5 .8 2.3 10.5
1982 21 --- 36.4 .472 .111 .769 3.0 8.2 2.3 .3 2.3 14.3
1983 13 --- 37.2 .503 .500 .703 3.0 7.0 2.0 .2 2.6 16.3
1984 5 --- 34.2 .522 .000 .867 2.4 3.8 2.6 .0 2.0 16.6
1985 13 13 37.2 .529 .000 .857 3.5 5.2 2.4 .4 2.6 15.2
1986 12 12 43.3 .516 .000 .849 4.7 7.1 1.1 .3 2.7 20.8
1987 5 5 42.0 .530 .000 .857 2.6 8.8 1.8 .8 2.4 17.6
1989 3 3 42.7 .512 .000 .846 3.7 13.0 2.3 .3 1.0 17.7
1990 NYK 10 10 38.8 .481 .000 .903 3.9 8.5 1.7 .2 1.9 12.8
1991 3 3 33.7 .609 .333 .500 3.0 5.3 1.0 .3 2.7 10.0
1993 NJN 5 0 16.4 .478 --- .000 1.2 2.8 1.2 .2 1.4 4.4
通算 133 46 36.5 .512 .098 .777 3.4 6.9 2.2 .3 2.4 14.4

ヘッドコーチ成績

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NBAヘッドコーチ実績表略号説明
レギュラーシーズン G 試合数 W 勝利数 L 敗戦数 W–L % レギュラーシーズン勝率
ポストシーズン PG 試合数 PW 勝利数 PL 敗戦数 PW–L % プレイオフ勝率
チーム シーズン G W L W–L% シーズン結果 PG PW PL PW–L% 最終結果
POR 2001–02 82 49 33 .598 パシフィック3位 3 0 3 .000 1回戦敗退
2002–03 82 50 32 .610 パシフィック3位 7 3 4 .429 1回戦敗退
2003–04 82 41 41 .500 パシフィック3位 プレーオフ不出場
2004–05 55 22 33 .400 (解任)
PHI 2005–06 82 38 44 .463 アトランティック2位 プレーオフ不出場
2006–07 82 35 47 .427 アトランティック3位 プレーオフ不出場
2007–08 82 40 42 .488 アトランティック3位 6 2 4 .333 1回戦敗退
2008–09 23 9 14 .391 (解任)
DET 2013–14 50 21 29 .420 (解任)
通算 620 305 315 .492 16 5 11 .313

エピソード

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2003年4月25日のポートランド・トレイルブレイザーズ対ダラス・マーベリックス戦でアメリカ国歌斉唱を行っていた13歳のナタリー・ギルバートが歌詞を忘れかけたところ彼は大急ぎで彼女のそばに駆け寄り共に最後まで歌った。ローズ・ガーデン・アリーナの観衆はスタンディング・オベーションでこれに応えた。

彼はポートランドのファンやメディアの多くから好意的に受け止められていたが一部のメディアからは彼のチームはコーチとしての適性やゲーム戦術についての知識に関して疑問を投げかけられた。彼のチームはしばしば規律に欠けており、他の多くのコーチたちが試合中にも大声で選手たちに指示を出したり、レフェリーに抗議したりとサイドラインを動き回るのに対して彼はベンチから立ち上がることはほとんどなかった。

脚注

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  1. ^ モーリス・チークス解雇 あんたかブログ(あんどうたかお
  2. ^ Steve Nash, Jason Kidd, Grant Hill, Maurice Cheeks lead 2018 Naismith Hall of Fame class” (英語). NBA.com (2018年3月31日). 2018年4月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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