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リック・カーライル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リック・カーライル
Rick Carlisle
ダラス・マーベリックスHC時のカーライル
インディアナ・ペイサーズ HC
役職 ヘッドコーチ
所属リーグ NBA
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1959-10-27) 1959年10月27日(65歳)
出身地 ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州オグデンズバーグ
身長(現役時) 196cm (6 ft 5 in)
体重(現役時) 95kg (209 lb)
キャリア情報
大学 バージニア大学
NBAドラフト 1984年 / 3巡目 / 全体70位[1]
プロ選手期間 1984年–1989年
ポジション PG
背番号歴 34, 3, 12
指導者期間 1989年–現在
経歴
選手時代:
1984-1987ボストン・セルティックス
1987オールバニ・パトルーンズ
1987-1988ニューヨーク・ニックス
1989ニュージャージー・ネッツ
コーチ時代:
1989-1994ニュージャージー・ネッツ (AC)
1994-1997ポートランド・トレイルブレイザーズ (AC)
1997-2000インディアナ・ペイサーズ (AC)
2001-2003デトロイト・ピストンズ
2003-2007インディアナ・ペイサーズ
2008-2021ダラス・マーベリックス
2021-インディアナ・ペイサーズ
受賞歴

選手時代

コーチ時代

Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

リック・カーライルRick Carlisle)ことリチャード・プレストン・カーラルRichard Preston Carlisle'1959年10月27日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州オグデンズバーグ出身のバスケットボール指導者である。NBAインディアナ・ペイサーズでヘッドコーチを務めている。

経歴

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プロ入りまで

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ニューヨーク州リスボン英語版で育った。マサチューセッツ州のウースター・アカデミーに進学し、メイン大学で2シーズン過ごした後はバージニア大学に転校し、キャプテンの1人としてチームを1984年のNCAAトーナメントベスト4まで進出させた[1]。大学では心理学の学位を取得した[1]

NBA

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1984年のNBAドラフトボストン・セルティックスにドラフト指名され、入団。1986年のNBAファイナルで優勝してチャンピオンリングを獲得したが、カーライル自身はあまり活躍できず、1試合平均2.2得点、1.0アシスト、0.8リバウンドに留まり、1987年にチームから放出され、ニューヨーク・ニックスリック・ピティーノの下、1987-1988シーズンを過ごし、1989年ニュージャージー・ネッツで5試合プレーした。

コーチキャリア

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ビル・フィッチ[2]チャック・デイリーの下でスタッフとして5年間学んだ後、1994年ポートランド・トレイルブレイザーズP・J・カーリシモヘッドコーチのもとでアシスタントコーチに就任した。その後、1997年に元チームメイトであったラリー・バードのアシスタントコーチとしてインディアナ・ペイサーズに加わった[3]。その年のペイサーズはチーム史上最多の58勝を挙げ、カーライルはオフェンシブ・コーディネーターとしてチームが躍進した要因の1つとなった[2]。チームはカンファレンスファイナルでNBAファイナル3連覇を狙うマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを第7戦まで追い詰めた。

2000年、ペイサーズは56勝を挙げてNBAファイナルに初進出したが、ロサンゼルス・レイカーズに2-4で敗れた。シーズン終了後にラリー・バードは辞任し、後継者としてカーライルを選ぶようチームに要請したが、チームはCBAチームのオーナーであったアイザイア・トーマスをヘッドコーチに任命した。

2001年、カーライルはヘッドコーチとしてデトロイト・ピストンズに迎え入れられた。ピストンズを2年連続でプレイオフ出場に導き、2001-2002シーズンのNBA最優秀コーチ賞に選ばれた。しかしピストンズは、カーライルとの契約があと1年残っているにもかかわらずカーライルを解雇しラリー・ブラウンを後任に迎えた[2]

ピストンズを追い出されたカーライルは、2004年にアイザイア・トーマスが抜けてラリー・バードが球団社長となったペイサーズとヘッドコーチとして契約した。その年のペイサーズはNBAトップの61勝21敗(.744)を記録、ホームコートアドバンテージを獲得しプレーオフでもボストン・セルティックスマイアミ・ヒートを撃破したがカンファレンスファイナルでピストンズに敗れた。

2005年ペイサーズは11月19日に起こったパレスの騒乱で主力選手のアーテストが残り73試合全て、スティーブン・ジャクソンが30試合、ジャーメイン・オニールが15試合出場停止になるなど主力を欠くこととなった。さらにオニールとジャマール・ティンズリーが怪我を負いまともに戦える状態ではなかった。それでもなんとか第6シードとしてプレーオフに進出し1回戦でセルティックスに勝利。しかしカンファレンス準決勝でピストンズの前に敗れた。彼は2シーズンチームをプレーオフに導いたが2006-2007シーズン、オールスターブレイクでは29勝24敗だったチームは大型トレードによるチーム・ケミストリーの欠如、主力選手の欠場などにより、その後11連敗するなど35勝47敗に終わり10シーズンぶりにプレーオフを逃した後、ヘッドコーチを解任された[4][5]

その後ESPNでスタジオ解説者を務めていたが2008年5月、エイブリー・ジョンソンの後任としてダラス・マーベリックスと4年契約を結びヘッドコーチとなった[2][3][5]。アシスタントコーチに元NBAでヘッドコーチを務めたことのあるドウェイン・ケイシーテリー・ストッツが加わった[3]

2010年10月8日、練習中に倒れた[6]が、その後はチームに復帰している。 2010-2011シーズンにマーベリックスを初優勝に導いた。

2021年6月17日、マーベリックスHCを辞任[7]。辞任から1週間後の6月24日にペイサーズのHCとして2007年以来の復帰を果たした[8]

ヘッドコーチ成績

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NBAヘッドコーチ実績表略号説明
レギュラーシーズン G 試合数 W 勝利数 L 敗戦数 W–L % レギュラーシーズン勝率
ポストシーズン PG 試合数 PW 勝利数 PL 敗戦数 PW–L % プレイオフ勝率
チーム シーズン G W L W–L% シーズン結果 PG PW PL PW–L% 最終結果
ピストンズ 2001–02 82 50 32 .610 1st in Central 10 4 6 .400 カンファレンスセミファイナル敗退
ピストンズ 2002–03 82 50 32 .610 1st in Central 17 8 9 .471 カンファレンスファイナル敗退
ペイサーズ 2003–04 82 61 21 .744 1st in Central 16 10 6 .625 カンファレンスファイナル敗退
ペイサーズ 2004–05 82 44 38 .537 3rd in Central 13 6 7 .585 カンファレンスセミファイナル敗退
ペイサーズ 2005–06 82 41 41 .500 3rd in Central 6 2 4 .333 1st.ラウンド敗退
ペイサーズ 2006–07 82 35 47 .427 4th in Central Missed Playoffs
マーベリックス 2008–09 82 50 32 .610 3rd in Southwest 10 5 5 .500 カンファレンスセミファイナル敗退
マーベリックス 2009–10 82 55 27 .671 1st in Southwest 6 2 4 .333 1st.ラウンド敗退
マーベリックス 2010–11 82 57 25 .695 2nd in Southwest 21 16 5 .762 NBAチャンピオン
マーベリックス 2011–12 66 36 30 .545 3rd in Southwest 4 0 4 .000 1st.ラウンド敗退
マーベリックス 2012–13 82 41 41 .500 4th in Southwest Missed Playoffs
マーベリックス 2013–14 82 49 33 .598 4th in Southwest 7 3 4 .429 1st.ラウンド敗退
マーベリックス 2014–15 82 50 32 .610 3rd in Southwest 5 1 4 .200 1st.ラウンド敗退
Career total 1050 619 431 .589 114 57 58 .496

脚注

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  1. ^ a b Rick Carlisle”. nba.com. 2010年11月6日閲覧。
  2. ^ a b c d Atr Garcia (2008年5月9日). “One and done: Carlisle tabbed to coach Mavs”. nba.com. 2010年11月6日閲覧。
  3. ^ a b c Marc Stein (2008年5月10日). “Mavs give Carlisle a four-year deal as coach”. ESPN. 2010年11月6日閲覧。
  4. ^ Carlisle won't return as Pacers head coach”. ESPN (2007年4月26日). 2010年11月6日閲覧。
  5. ^ a b Mavericks reach four-year coaching deal with Carlisle”. AFP (2008年5月10日). 2008年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月6日閲覧。
  6. ^ マブスR.カーライルHCが練習中に卒倒、病院に搬送される”. WOWOW (2010年10月9日). 2010年11月6日閲覧。
  7. ^ マーベリックスを13シーズン率いて球団初優勝をもたらしたリック・カーライルが辞任、ドンチッチを擁するチームは新展開へ”. バスケットコート (2021年6月18日). 2021年6月18日閲覧。
  8. ^ 先日マブスを退任したリック・カーライルが古巣ペイサーズの新指揮官へ就任”. バスケットコート (2021年6月25日). 2021年6月25日閲覧。

外部リンク

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