エイブリー・ジョンソン

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エイブリー・ジョンソン
Avery Johnson
Avery Johnson at Alabama.jpg
アラバマ大学 HC
役職 ヘッドコーチ
永久欠番 スパーズ  6 
ポジション
(現役時)
PG
背番号(現役時)  6  永久欠番,5,15
身長(現役時) 180cm  (5 ft 11 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
基本情報
本名 Avery Johnson
愛称 Little General
ラテン文字 Avery Johnson
誕生日 (1965-03-25) 1965年3月25日(51歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州の旗ルイジアナ州ニューオリンズ
出身 サザン大学 (ルイジアナ州)
ドラフト 1988年 ドラフト外 
選手経歴
1988-1990
1990-1991
1991
1992
1992-1993
1993-1994
1994-2001
2002-2003
2003-2004
シアトル・スーパーソニックス
デンバー・ナゲッツ
サンアントニオ・スパーズ
ヒューストン・ロケッツ
サンアントニオ・スパーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
サンアントニオ・スパーズ
ダラス・マーベリックス
ゴールデンステート・ウォリアーズ
指導者経歴
2004-2008
2009-2013
2015-
ダラス・マーベリックス
ニュージャージー・ネッツ
アラバマ大学
受賞歴

選手時代

コーチ時代

エイブリー・ジョンソンAvery Johnson, 1965年3月25日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手および指導者。北米男子プロバスケットボールNBAダラス・マーベリックスニュージャージー・ネッツのヘッドコーチを務めた。ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。身長180cm、体重84kg。5フィート11インチの低い身長ながらポイントガードとしてリーダーシップを発揮しチームを率いたため、サンアントニオ・スパーズ在籍時、チームメイトのデビッド・ロビンソン(提督:Admiral)に対して "Little General"(小さな将軍) と呼ばれた[1]

選手時代[編集]

1988年、彼はドラフトで指名されなかったが[2]シアトル・スーパーソニックスを皮切りに、デンバー・ナゲッツヒューストン・ロケッツサンアントニオ・スパーズゴールデンステート・ウォリアーズダラス・マーベリックスで16年間NBAでプレイした。ジャニーマンとしていくつものチームを渡り歩いた彼の最も知られた時代は、スパーズ時代の(1991年,1992-1993年,1994-2000年)で特に1999年ニューヨーク・ニックスとのNBAファイナル第5戦では試合を決める重要なシュートを決めた。

ヘッドコーチ時代[編集]

2003-04シーズン終了後、彼はドン・ネルソンの下でマーベリックスのプレイヤーコーチとなった。2年間をネルソン・ヘッドコーチに学んだジョンソンは2004年10月28日に引退して専任コーチとなった。そして2005年3月19日にアシスタントコーチからヘッドコーチへ昇格した。

ジョンソンはチームを引き継いだ後、2004-05シーズンを16勝2敗して、プレイオフ1回戦でヒューストン・ロケッツを破ったが、カンファレンス準決勝でフェニックス・サンズに敗れた。ジョンソンは2005年4月に就任後最初の月に月間最優秀コーチに選ばれたがこれは史上初めてのことだった。

2005-06シーズンはより成功したものになった。ジョンソンは2005年11月に再び月間最優秀コーチとなり(自身2度目のそして4月の受賞に次いで、2ヶ月連続)、NBAのコーチとして初の就任後2ヶ月連続受賞者となった。2006年1月28日にはユタ・ジャズを降して50勝12敗として50勝1番乗りを果たした。2月にはオールスターゲームのウェスタン・カンファレンスのコーチとして選ばれた。3月15日には、82試合を指揮した(フルシーズン指揮した)最初のシーズンでの最多勝記録を更新する66勝をあげた。マーベリックスはウェスタン・カンファレンスで2番目の勝率だったが同地区のスパーズが地区優勝したため、プレイオフ第4シードだった。プレイオフでは、メンフィス・グリズリーズ、前年のNBAチャンピオンのサンアントニオ・スパーズ、フェニックス・サンズを倒して、マーベリックスを初のNBAファイナルへ導いた。しかしチームは2連勝したもののその後4連敗して敗れ去った。4月下旬、初めてフルシーズンを通して指揮を執ったシーズンながら最優秀コーチ賞を獲得した[3]

2006-07シーズンは67勝の文句なしの成績を収め、チームをカンファレンス第1シードでプレーオフに導いた。プレーオフファーストラウンドで元上司ドン・ネルソン率いるゴールデンステート・ウォリアーズと対戦。師弟対決となったシリーズは、ウォリアーズの速い攻撃スタイルに対応できず、2勝4敗と歴史的なアップセットを喫した。翌2007-08シーズンも51勝の好成績でカンファレンス第4シードでプレーオフに臨んだが、プレーオフファーストラウンドでニューオーリンズ・ホーネッツに敗れ、2年連続ファーストラウンド敗退となった。シーズン後、責任をとる形でヘッドコーチを解任された[4]。2008年から2年間CNNESPNNBA解説者を務め、2009-10、2010-11、2011-12の3シーズン、ニュージャージー・ネッツのヘッドコーチを務めた。

人物[編集]

ヘッドコーチになってから131試合目で100勝をあげ、NBA記録を作った。この記録は2012年、シカゴ・ブルズトム・ティボデューに更新された[5]

スパーズの通算アシスト記録を持っていたが、2012年2月6日、トニー・パーカーによって記録が更新された[6]

脚注[編集]

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  1. ^ Scoop Jackson. “The Little general that could”. ESPN. 2012年3月20日閲覧。
  2. ^ B・ウォーレスが現役引退を表明”. nba.co.jp (2012年2月14日). 2012年3月20日閲覧。
  3. ^ Avery Johnson”. christianstoriesonline.com. 2012年3月20日閲覧。
  4. ^ Avery Johnson dismissed as coach”. nba.com (2008年4月30日). 2012年3月20日閲覧。
  5. ^ CHI vs. ORL:T・ティボドーHCが史上最短で100勝目をマーク!”. nba.co.jp (2012年3月20日). 2012年3月20日閲覧。
  6. ^ プレイヤー・オブ・ザ・ウィークにP・ピアースとT・パーカーが選出”. nba.co.jp (2012年2月7日). 2012年3月20日閲覧。

外部リンク[編集]