マルク・ガソル

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Flag of Spain.svg この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はガソル第二姓(母方の)はイ・サエスです。
マーク・ガソル
Marc Gasol
Marc Gasol Grizzlies.jpg
メンフィス・グリズリーズ  No.33
ポジション C
背番号 33
身長 216cm  (7 ft 1 in)
体重 120.2kg (265 lb)
ウィングスパン 232cm  (7 ft 8 in)
シューズ ナイキ
基本情報
本名 Marc Gasol i Sáez
愛称 "La Tanketa","Big Marc","McGasol",
"Baby Jesus","Euro Thug"
ラテン文字 Marc Gasol
カタルーニャ語 Marc Gasol i Sáez
誕生日 1985年1月29日(31歳)
スペインの旗 スペイン
出身地 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ州バルセロナ県
サン・ボイ・ダ・リュブラガート
出身 ローザン高校 (テネシー州の旗テネシー州)
ドラフト 2007年 48位 
選手経歴
2004-2006
2006-2008
2008-
FCバルセロナ FCバルセロナ
CBジローナ CBジローナ
メンフィス・グリズリーズ メンフィス・グリズリーズ
受賞歴
代表歴
キャップ スペインの旗 スペイン 2006年-現在

マーク・ガソルMarc Gasol)ことマーク・ガソル・イ・サエスMarc Gasol i Sáez1985年1月29日 - )は、スペインのプロバスケットボール選手カタルーニャ州バルセロナ県サン・ボイ・ダ・リュブラガート出身。NBAメンフィス・グリズリーズ所属。ポジションはセンター。同じくNBAプレーヤーであるパウ・ガソルの実弟である[2]

家族・生い立ち[編集]

両親と兄と弟の5人家族。マークは次男にあたる。

看護師の父親(Agustí Gasol/アグスティー・ガソル)と、医師の母親(Marisa Sáez/マリーサ・サエス)の次男として生まれる。両親は共にスペイン国内プロリーグの下部組織でプレー経験のある元・バスケットボール選手。

4歳年上の長男(パウ・ガソル)も、同じくプロバスケットボール選手でスペイン代表。同じNBAの別チーム(シカゴ・ブルズ)に所属している。

そして、1994年には3男となるAdrià Gasol(アドリアー・ガソル)が誕生。3男はテネシー州メンフィスの高校を経て現在はUCLAに通っており、2人の兄と同じくプロバスケ選手への道を目指している。

スペイン時代[編集]

下部組織時代・アメリカ留学[編集]

兄のパウも所属した、生まれ故郷のサン・ボイ・ダ・リュブラガートのバスケチーム(Cantera Basquet Llor Sant Boi)に自らも入団し、バスケットボールを始める。その後、兄と全く同じように地元近くの名門FCバルセロナのユースチームにスカウトされ、入団。

2001年、兄のパウ・ガソルNBAにドラフトされ、メンフィス・グリズリーズに入団すると、アメリカでの生活に不慣れなパウの為に家族皆で渡米。この際、マークはメンフィスにあるローザン高校に編入。そこのバスケットボール部で活躍する。

2003年に卒業すると、母国スペインに帰国。FCバルセロナのジュニアチームに復帰。

その後間もなくトップチームに昇格し、プロデビューを果たす。

プロデビュー[編集]

CBジローナ在籍時のマーク

2003年に、兄と同じFCバルセロナでプロデビューすると、その後2年間同チームでプレー。

2006年スペインA代表に選出され代表デビュー。この年日本で開催された世界選手権にスペインA代表として参加。兄(パウ・ガソル)とともに優勝に貢献した。そして次第にNBAのスカウトの目に留まるようになった。

2006-2007シーズンは、同じACBに所属するCBジローナへレンタル移籍。シーズン終了後、2007年のNBAドラフトにエントリーすると、ロサンゼルス・レイカーズから、2巡目全体48位で指名されるが、所属チームとの契約が残っている為、このシーズン終了後のNBA入りは見送った。

2007年、北京オリンピックの大陸予選を兼ねた2年に一度のバスケの祭典ユーロバスケットが母国スペインで開催され、2006年に世界選手権を制覇した時と全く同じメンバー、監督でスペイン初の優勝を狙うが、決勝戦でキリレンコ率いるロシア代表に破れ涙の銀メダル。

CBジローナでの2年目となった2007-08シーズンは獅子奮迅の活躍でACBのシーズンMVPを獲得。

2008年、引き続きスペインA代表に兄(パウ・ガソル)と共に選出され、同年に行われた北京オリンピックに出場。決勝戦でアメリカ代表に敗れるものの見事銀メダル獲得。

その後、自らの保有権を持つメンフィス・グリズリーズ兄パウのトレードによりクワミ・ブラウンジャバリス・クリッテントンアーロン・マッキー、ドラフト1巡目指名権×2等と交換でメンフィス・グリズリーズに交渉権が移り、3年972万ドルで契約し、入団。

NBA[編集]

メンフィス・グリズリーズ[編集]

NBAルーキーシーズンとなった2008-09シーズンは、82試合にフル出場し、平均11点、7.4リバウンドを記録。オールルーキー2ndチームに選出された。 2009-10シーズンからは、ザック・ランドルフが加入。NBA屈指のフロントラインが形成された。自身は13試合に欠場したものの、平均14.6点、9.3リバウンドと成績を伸ばし、チームも前シーズンの24勝58敗から40勝42敗と盛り返した。 2010-11シーズンは、ガソル自身の成績は落ちたものの、チームは46勝36敗の成績を残し、ウェスタンカンファレンス8位で2006年以来のプレーオフ進出を果たし、ファーストラウンドで第1シードのサンアントニオ・スパーズを4勝2敗で下すという快挙を成し遂げた。

2011年オフに制限付きFAとなったが、NBAがロックアウトに入ったために、FA交渉は先伸ばしになる。 そして、ロックアウトが解除された12月、ヒューストン・ロケッツが4年5800万ドルの巨額契約を提示し、ガソルはロケッツのオファーシートにサインしたが、すかさずメンフィス・グリズリーズが同額の契約を提示し、グリズリーズ残留が決まった。 向かえた2011-12シーズンは、自身初のNBAオールスターゲームに出場した。

2012-13シーズンは、オールNBA2ndチーム、オールディフェンシブ2ndチームに選出され、NBA最優秀守備選手賞も受賞するなど、自己最高のシーズンを送った。

2014-15シーズンは、オフに減量してシーズンに挑み、攻守両面で獅子奮迅の活躍を見せ、チームを牽引。当シーズンの活躍もあり、2015年NBAオールスターゲームのファン投票では、ウエスタンカンファレンスのフォワード部門で2位に入り、2012年以来のオールスターゲーム出場でスターターを務めることが決定。なお、パウ・ガソルもイースタンカンファレンスのフォワード部門で2位に入ったために、兄弟でオールスターゲームでスターターで出場し、パウと共に試合前に記念のティップオフを行った。そしてオフには5年1億1000万ドルという巨額契約で再契約した[3][4]

大型契約を締結し迎えた2015-16シーズンは、12月1日のニューオーリンズ・ペリカンズ戦で、自己最多の38得点を記録した[5]。しかし、2016年2月9日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で、右足を骨折。全治4~6ヶ月と診断され、残り全試合を欠場することになった[6]

プレイスタイル[編集]

セブンフッターの兄のパウよりも身長でさらに3センチ上回り、がっしりとした体躯が対照的。その分機動力で劣るが、迫力十分のポストプレーはNBA屈指の力強さを誇り、さらにパスセンスにも優れている。 もともと賞をとるほどのディフェンダーであるが、14-15シーズンからオフェンスにおいても能力が高まってきている

脚注[編集]

関連項目[編集]

 外部リンク[編集]