エネス・カンター

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エネス・カンター
Enes Kanter
Patrick Beverley goes up for a shot against Enes Kanter (cropped2).jpg
ユタ・ジャズ時代のカンター (右)
左はパトリック・ビバリー
オクラホマシティ・サンダー  No.11
ポジション PF/C
背番号 11
身長 211cm  (6 ft 11 in)
体重 116kg (256 lb)
ウィングスパン 222cm  (7 ft 4 in)
シューズ アンダーアーマー
基本情報
本名 Enes Kanter
ラテン文字 Enes Kanter
トルコ語 Enes Kanter
誕生日 (1992-05-20) 1992年5月20日(25歳)
トルコの旗 トルコ[注 1]
出身地 スイスの旗 スイス チューリヒ州チューリッヒ
出身 トルコの旗 フェネルバフチェ・ユルケル
ドラフト 2011年 3位 
選手経歴
2008-2009
2011-2015
2015-
フェネルバフチェ・ユルケル フェネルバフチェ・ユルケル
ユタ・ジャズ ユタ・ジャズ
オクラホマシティ・サンダー オクラホマシティ・サンダー
代表歴
キャップ トルコの旗 トルコ

エネス・カンターEnes Kanter 1992年5月20日- )はスイスチューリヒ州チューリッヒ出身のトルコバスケットボール選手。NBAオクラホマシティ・サンダーに所属している。ポジションはパワーフォワードセンター。211cm、116kg。

経歴[ソースを編集]

2006年からTBLフェネルバフチェ・ユルケルのジュニアチームでプレー、2008-2009年シーズンよりフェネルバフチェ・ユルケルのシニアチーム控え選手として[1]ユーロリーグに4試合、ターキッシュリーグに5試合のみ出場した。この時チームから33,000米ドルの報酬を受け取っていたことが後の経歴に大きく影響を及ぼすこととなる[2]。フェネルバフチェやGBLオリンピアコスBCがプロ契約を結ぼうと近づいてきたが、カンターはアメリカの大学でプレーすることを望み、このオファーを断った。

2009-2010年シーズン、カンターはカリフォルニア州シミバレーの高校でプレーした。2010年のナイキ・フープサミットでは1998年にダーク・ノヴィツキーがあげたこれまでの最高得点を上回る34点をあげた。Rivals.com英語版[3]Scout.com英語版からはいずれも五つ星の高い評価を受けた[4]

2009年11月23日、それまでUCLAUSCインディアナ大学UNLVからもオファーを受けていたカンターはワシントン大学に進学を決めたことを表明した。しかし2010年2月には再びリクルーティングを再開し同年4月10日、ジョン・カリパリ英語版コーチの指揮するケンタッキー大学への進学を発表した。

ここでNCAAが動き、カンターがフェネルバフチェ・ユルケルから受け取った報酬が許容範囲を超えたものと判断[5]、2011年1月7日、ケンタッキー大学の訴えも拒絶し、NCAAはカンターが無資格であると最終決定を下し[6]、カンターはケンタッキー大学でプレーすることが出来なかった。

NBA[ソースを編集]

2011年のNBAドラフトにカンターはエントリーし、1巡目全体3位でユタ・ジャズに指名された。

2015年2月19日、オクラホマシティ・サンダーに移籍。シーズン終了後の7月9日、制限付きFAになっていたカンターは、ポートランド・トレイルブレイザーズが提示した4年7000万ドルのオファーシートにサインしたが、サンダーは3日後に同じ契約を提示し、再契約が決まった。

2015-2016年シーズンではチームで唯一の全試合出場を果たした。2016年4月7日のトレイルブレイザーズ戦でキャリアハイの33得点に加え20リバウンドをマークし、サンダーの選手として初めて"30-20"を達成した[7]。平均8.1リバウンドはベンチプレイヤーの中で最も高い数字であった。

個人成績[ソースを編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ    リーグリーダー    優勝シーズン  NBA FINAL CHAMP.png

NBAレギュラーシーズン[ソースを編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2011–12 ジャズ 66 0 13.2 .496 .000 .667 4.2 .1 .3 .3 4.6
2012–13 70 2 15.4 .544 1.000 .795 4.3 .4 .4 .5 7.2
2013–14 80 37 26.7 .491 .000 .730 7.5 .9 .4 .5 12.3
2014–15 49 48 27.1 .491 .317 .788 7.8 .5 .5 .3 13.8
サンダー 26 26 31.1 .566 .750 .776 11.0 1.1 .5 .5 18.7
2015–16 82 1 21.0 .576 .476 .797 8.1 .4 .3 .4 12.7
2016–17 72 0 21.3 .545 .132 .786 6.7 .9 .4 .5 14.3
Career 445 114 21.3 .530 .299 .767 6.7 .6 .4 .4 11.3

NBAプレイオフ[ソースを編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2012 ジャズ 4 0 10.8 .438 .000 .000 4.0 .3 .0 1.0 3.5
2016 サンダー 18 0 18.0 .551 .143 .844 6.2 .3 .3 .6 9.4
2017 5 0 9.1 .385 .000 1.000 1.8 .2 .0 .8 4.8
Career 27 0 15.2 .513 .143 .840 5.0 .3 .2 .7 7.7

トルコ代表[ソースを編集]

国際舞台では、17歳の時、U-18バスケットボールトルコ代表でプレー、バスケットボールヨーロッパジュニア選手権の準決勝、セルビア戦では32得点、25リバウンド、決勝のバスケットボールリトアニア代表戦でも35得点、19リバウンド4ブロックショットをあげ、大会の最優秀選手に選ばれた[8]

家族[ソースを編集]

父親(メメット・カンター)はチューリッヒ大学組織学博士号を獲得、現在はトルコのトラカヤ大学英語版の大学教授を務めている。

脚注[ソースを編集]

注釈
  1. ^ カンターは2017年にレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領を「彼は21世紀のアドルフ・ヒトラーだ」などと非難した為に、トルコ国籍を剥奪され、トルコ政府から逮捕状を請求されており、現在は無国籍状態となっている。尚、カンターは現在アメリカ国籍の取得を申請中だという。
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  1. ^ Kentucky forward Enes Kanter ruled permanently ineligible”. USAトゥデイ (2010年11月12日). 2011年6月28日閲覧。
  2. ^ Kentucky's Enes Kanter ruled ineligible”. ESPN (2010年11月12日). 2011年6月28日閲覧。
  3. ^ Enes Kanter”. rivals.com. 2011年6月28日閲覧。
  4. ^ Enes Canter Profile”. scout.com. 2011年6月28日閲覧。
  5. ^ Enes Kanter Ruled Ineligible for Kentucky”. AOL (2010年11月11日). 2011年6月28日閲覧。
  6. ^ N.C.A.A. Denies Kentucky’s Appeal Over Kanter’s Eligibility”. ニューヨーク・タイムズ (2011年1月7日). 2011年6月28日閲覧。
  7. ^ Enes Kanter records first-ever 30/20 game for a Thunder player
  8. ^ Kanter to enroll at Findlay Prep”. ESPN (2009年8月19日). 2011年6月28日閲覧。

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]