習近平

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習近平
习近平
Xi jinping Brazil 2013.png

任期 2013年3月14日

任期 2013年3月14日

任期 2008年3月15日2013年3月14日

任期 2012年11月15日

任期 2012年11月15日

出生 1953年6月1日(62歳)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 北京市
政党 Flag of the Chinese Communist Party (Pre-1996).svg 中国共産党
配偶者 彭麗媛
署名 Xi Jinping sign.svg
習近平
各種表記
繁体字 習近平
簡体字 习近平
拼音 Xí Jìnpíng
和名表記: しゅう きんぺい
発音転記: シー・チンピン
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習 近平(しゅう きんぺい、中国語: 习近平拼音: Xi Jinping1953年6月1日 - )は、中華人民共和国政治家中国共産党の第4世代の最高指導者であった胡錦濤の後任として、2012年より第5代[1]中国共産党中央委員会総書記、第6代中国共産党中央軍事委員会主席[2]2013年より第7代中華人民共和国主席、第4代中華人民共和国中央軍事委員会主席を務め[3]中華人民共和国の最高指導者の地位にある[4]太子党のひとりで、父は習仲勲(元国務院副総理)。

経歴[編集]

父・習仲勲が批判された文化大革命において反動学生とされ、1969年から7年間、陝西省延安市延川県に下放された。1974年中国共産党に入党、下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975年国家重点大学清華大学化学工程部に入学。1979年に卒業した後、国務院弁公庁で副総理の耿飈の秘書を務めた。

廈門副市長、福州市党委員会書記を経て、2000年福建省長となる。2002年11月、張徳江に代わり49歳で浙江省党委書記に就任。2006年上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委書記陳良宇が罷免されると、翌2007年3月24日、書記代理を務めていた韓正(上海市長)に代わって上海市党委書記に就任。これにより、第17期の党中央政治局入りは確実とみられていたが、同年10月の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、中央書記処常務書記・中央党校校長にも任命された[5]。上海市党委書記は兪正声が引き継いだ。2008年3月15日、第11期全国人民代表大会第1回会議で国家副主席に選出される。

政治局常務委員[編集]

習近平とドミートリー・メドヴェージェフ(2010年9月28日)

第17期政治局常務委員には胡錦濤直系である中国共産主義青年団(共青団)出身の李克強も習と同じ第5世代の中核として選出され、習と李のいずれかがポスト胡錦濤となると見られたが、習が李よりも党内序列が上であること、また、胡自身も党総書記就任までの2期10年を中央書記処書記として経験を積んだことを考えると、習がポスト胡錦濤に一番近い存在であった。なお、習はかつて中央軍事委員会弁公庁秘書を務めており、第17期政治局常務委員で唯一軍歴を有する人物であった。このことは習と中国人民解放軍との結びつきを強める一因ともなった。

2010年10月18日、習近平は第17期5中全会で党中央軍事委員会副主席に選出された[6]。中国共産党中央軍事委員会は、共産党が国家を領導するという中国の政治構造上、事実上の最高軍事指導機関である。副主席として党中央軍事委員会に入ったことで、習は胡の後継になることが事実上確定した。さらに同月28日、全国人民代表大会常務委員会の決定によって国家中央軍事委員会副主席に就任した[7]。しかし、習が党中央軍事委員会副主席の地位を獲得するまでには紆余曲折があった。2009年9月の第17期4中全会で党中央軍事委員会副主席に選出されるという見方があったが、結局選出されなかった。その理由として、背後で胡直系の共青団出身の李克強を推そうとする勢力と、江沢民系の上海閥と呼ばれる勢力との間に生じた権力闘争が原因だとする見方があった[8]。これによると、習は上海閥の流れを汲む人物であり、共青団系の勢力が躍進している現在においては党内基盤が弱くなっているという見方もあった。結局、2010年10月の第17期5中全会で習は党中央軍事委員会副主席に選出され、胡の後継者としての地位を確立した[9]。これは、軍部や共産党内の保守派の強い支持を受けてのものとされる。

党総書記・国家主席[編集]

習近平と李克強(2011年7月3日)

2012年11月の第18回党大会を以て胡錦濤・温家宝ら第4世代の指導者は引退し、11月15日に開催された第18期1中全会において習近平は政治局常務委員に再選され、党の最高職である中央委員会総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出された[4]。2013年3月14日、第12期全人代第1回会議において国家主席国家中央軍事委員会主席に選出され、党・国家・軍の三権を正式に掌握した[10]。翌日、李克強を国務院総理首相)に任命し、中国共産党の第5世代である習・李体制を本格的に始動させた[11]

2014年1月24日に開催された党中央政治局会議において、「中国共産党中央国家安全委員会」の設置と習の同委員会主席就任が決定された。この組織は国家安全に関する党の政策決定と調整を行い、国内治安対策も掌握する[12]。そのため、党中央国家安全委員会は外交・安全保障・警察・情報部門を統合する巨大組織となり、同委員会主席を兼任した習に権力が一層集中することとなる。一方、李克強が主導する国務院は権限を奪われることとなり、党内対立の激化の招来を推測する指摘もある[13]

政治姿勢[編集]

習近平と安倍晋三(2015年4月23日)

中国共産党の関係者によれば、習は「周囲の意見を聞きながら政策を実行するタイプの人物」であるという[14]。中国国内における習の政治姿勢はリベラルであり、党員、官僚の腐敗に対しては厳しく臨み、政治的にも経済的にも開放的な姿勢をもった指導者として評価されている[15]。現在の中国共産党幹部の演説や文章を、「冗漫、空虚、偽り」で覆われているとし、文章や演説をもっと判り易くし、国民に理解できるよう改革する必要性を主張している。「一般大衆は歴史を作る原動力だ。腹を割って話さなければ、大衆は理解できない」と述べ、自身の持つリベラルさの片鱗を見せた[16]

習をリベラル派とみなす見解があるのに対し、対米・対日強硬派とする見解もある。人権問題を巡る米国を中心とした諸外国からの中国批判に対し、習は2009年に外遊先のメキシコにて、「腹いっぱいでやることのない外国人(これは米国人を指す)が、中国の欠点をあげつらっている」と愛国心を全面に押しだし、米国による人権問題批判に反論し、物議を醸した[17]。中国国内では、愛国的発言と受け止められたが、国外の海外メディアには批判的に取り上げられた[18]

2013年には、共産党機関紙の廈門市の記者が、習近平の名前を一文字間違えたという理由で、停職処分を受けている[19]。2014年6月18日には、習近平指導部が「正しく世論を導くシステムを整える」として「記者の資格制度を厳格にする」という方針を発表するなど、メディアへの圧力、言論弾圧を強めている[20][21]。海外メディアに対する厳しさも強くなっており、NHKによれば、取材の妨害や記者の一時拘束などが非常に増えているという。また、弁護士浦志強ウイグル独立の主張には賛同しない穏健派ウイグル人学者のイリハム・トフティジャーナリスト高瑜など、理性的な方法で社会改革を訴えてきた者たちの逮捕が続出しており、無期懲役などの厳しい判決を受けている[22]

抗日戦争勝利70周年式典での習近平。左は出席したウラジーミル・プーチン朴槿恵(2015年9月3日)

習が党中央軍事委員会副主席に就任して以降、中国はアメリカや日本との対決姿勢を強め始めており、また北朝鮮の核開発を批判しなくなるなど[23]、中国の外交に明らかな変化が現れたとされる。例えば、胡錦濤政権において国務院総理(首相)を務める温家宝は、様々な外交問題で保守派から「弱腰」と批判されたり、また、政治改革の断行を訴えたことなどで党内で温は白眼視され、孤立してしまっていると言う。温自身それを理解しているようで、2010年11月中旬にマカオを訪問した際、「また一緒に太極拳をやりたいですね。私の引退後またみんなで北京に遊びに来てください」と、任期を半期残した段階で自身の引退について述べており、「権力闘争に敗れ、意気消沈していることの現れである」とする香港紙もある。また、習が副主席に就任して以降は、北朝鮮ミャンマーなどといった世界の独裁国家を擁護したり、豊富な資源を有する発展途上国と「国益」と言う観点から結びつきを強めているとされる[24]

2012年11月15日の第18期1中全会終了後、党総書記として初の記者会見に臨んだ習は就任スピーチで、深刻化している党員の汚職問題に取り組み[25]、社会保障の改善など民生を重する姿勢をアピールした[26](中共十八大以来的反腐败工作=反腐敗キャンペーン)。しかし、トランスペアレンシー・インターナショナルが2014年12月3日に発表した2014年の腐敗認識指数で、中国は2013年の80位から100位に後退した。トランスペアレンシー・インターナショナルは、腐敗摘発が「政敵の追い落としを目的にしている」と指摘している[27]

獵鷹突撃隊中国語版に隊旗を授与する習近平(2014年4月19日)

一方、外交政策については「われわれは偉大な民族だ。5千年にわたる文明発展の歴史の中で、中華民族は人類の文明の進歩に不滅の貢献をしてきた」と「覇権主義」的な姿勢を示した[28]。翌日、習は第18期として初の党中央政治局会議を主宰し、胡錦濤前指導部のスローガンであった「『小康社会』(いくらかゆとりのある社会)の建設」を全面的推進を確認して、前指導部の路線継承を示した[29]。同日、中央軍事委員会拡大会議に出席した習は、軍に対し「軍事闘争の準備が最も重要という立場を堅持し、国家主権、安全、発展の利益を断固守らなければならない」と強調した[30]

2013年3月17日、第12期全人代第1回会議の閉会式において習は国家主席として就任演説を行い、「中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現するため引き続き奮闘、努力しなければならない」と述べて国家の富強と民族の振興、人民の幸福を実現すると訴えた。さらに「人民の監督を受けることを自覚し、全国人民の信託と重い使命に背かない」と表明して、共産党の指導を堅持しながら、人民の民主を拡大するとも訴えた。一方、軍に対して「断固として国家主権、安全、発展の利益を守らなければならない」と要求した[31]

腐敗追放[編集]

2013年1月の中国共産党中央規律検査委員会全体会議上、習近平は「大トラもハエも一緒にたたけ」と反腐敗の号令をかけた[32]。党内の腐敗が中国という国を滅ぼすとの強い危機感を訴え、汚職・腐敗の撲滅が共産党政権の安定と継続を保証するとの硬い決意で取り組み始めた[33]。2014年3月、かつて軍事委員会副主席などの要職を歴任し、制服組のトップに君臨した徐才厚が摘発され、同年6月党籍剥奪処分を受けた[33]。徐は刑事裁判あるいは軍事裁判にかけられる予定だったが、2015年3月15日癌のため死去し、不起訴処分となったが、前制服組が規律違反あるいは汚職の罪で処分を受けるのは前代未聞のことであった[33]。そして、「刑は常委に上らず」(「刑不上常委」、礼記の「刑不上大夫」から出た言葉、政治局常務委員経験者は刑罰を受けないという意味)という鄧小平以来の慣例を打ち破り、汚職・腐敗摘発の本命でもあった周永康元政治局常務委員が、2014年10月の政治局会議において、規律違反・機密漏洩などの罪状で立件が決定し、同年12月はじめには、党籍剥奪の処分をうけ、正式に逮捕された[34]。さらに2014年12月末、胡錦濤前国家主席の側近であった前中央弁公庁主任の令計画(全国政治協商会議副主席、党中央統一戦線工作部長、中央委員)が「規律違反容疑」で失脚した[34]。前国家主席の秘書にまで、習近平の「汚職・腐敗摘発」の対象となったわけである[34]。またさらには、これまで「聖域」であった軍にも及ぶ。徐才厚に続き、軍事委員会副主席経験者である郭伯雄も摘発された。その他の摘発された高官として、薄煕来重慶市党委員会書記)、周本順(河北省党委員会書記)、蘇樹林(福建省長)らがいる[32]。規律違反で処分した党幹部は、2013年で約7700人、2014年で約2万3600人、2015年で約3万4000人である[32]。反腐敗を掲げてから3年後の2016年1月ごろには、簿受刑者や周永康受刑者のような政権中枢にいた「大トラ」退治は一段落したという見方が党関係者や外交筋には広がっている[32]。習近平は2016年の最初の視察先に簿元書記の「独立王国」と呼ばれた重慶を選び、簿元書記が始めた長江の港湾開発プロジェクトを高く評価し、自ら唱える経済圏構想である「一帯一路」構想に重慶が貢献するように励ますなど、相次いだ大物幹部の粛清によって自らの権力基盤が固まったことからくる余裕をみせた。[32]

ウイグル統治[編集]

ウルムチ虐殺事件の責任者であると日本の一部のメディアが指摘している[35]が、習は当時解放軍の指揮権を有する中央軍事委員会、武装警察の指揮権を有する中央政法委員会ともポストを持っておらず、軍事行動の指揮は取れないため、責任者が何を指すのかは不明である。

この事件では、ウイグル人住民が漢族住民および武装警察と衝突し、中国当局の発表(2009年7月19日現在)では、死者197名、負傷者1,721名に上る犠牲者が出たとしている[36][37]。一方、亡命ウイグル人組織の世界ウイグル会議の発表(2009年7月10日現在)で、中国当局や漢族の攻撃により殺されたウイグル人は最大3,000人と発表している[38]

2013年4月には、警官とウイグル人の衝突が発生し、21人が死亡する事件があった。世界ウイグル会議ラビア・カーディル主席は2013年6月20日、東京で会見を開き、習近平の最高指導者就任後、「中国政府の民族政策は以前より厳しくなった」と批判した[39]

中台首脳会談[編集]

習近平と馬英九(2015年11月7日)

習国家主席は、2015年11月7日に台湾馬英九総統と、シンガポール1949年の中台分断後初めてとなる首脳会談を行い、両首脳は、中国大陸と台湾がともに「中国」に属するという「一つの中国」原則を確認した「九二共識」をもとに、平和的な関係を築く考えで一致した[40]。7日を中心とする首脳会談までの両首脳の動きについては以下のとおり[41]

  • 11月6日夕方、習国家主席が、訪問先のベトナムからシンガポール入り[42]
  • 6日、習国家主席が、空港にて「(中国とシンガポール)両国の協力は、各領域で大きな成果を上げている。伝統的な友情を固め、両国関係の新たな進展を図りたい」との書面談話を発表し、中国の発展にシンガポールが果たした大きさと「中華民族」の連帯を強調した[42]。一党支配の下で繁栄を得たシンガポールは中国の改革開放政策のモデルの一つである[42]。とともに、「一つの中国」論も早くから支持しており、また改革開放路線に対して積極的な投資をすることでこれを支えた[42]。中国が台湾首脳との歴史的会談の場にシンガポールを選んだのも、こうした信頼関係があってのことである[42]
  • 6日、習国家主席が、イスタナ大統領府にて、シンガポール大統領であるトニー・タン大統領と会談[42]
  • 7日午前、馬台湾総統がシンガポール入り[42]
  • 7日午前、習国家主席、シンガポール国立大学にて講演およびリー・シェンロンシンガポール首相と会談[42]
  • 7日午後3時(日本時間午後4時)、会場となるホテル内ホールにて[41]。まず、習国家主席が約600人の記者やカメラマンが待ち構える会場に、ゆったりとした歩みで姿を見せる[41]。ネクタイは、午前中に大学で講演した時は青色だったが、この時点では中国指導者が伝統的に好む色である赤に替えていた[41]
  • やや遅れて会場の左側から馬総統が、白い歯をみせながら習国家主席に歩み寄る[41]。馬総統が普段の重要公務で胸元につける「中華民国」のバッジは外していた[41]
  • 中台首脳は固く手を握り、カメラに笑顔を向ける。握手した両首脳の背景は、中華人民共和国の旗も、中華民国の旗もなく、「中国」を代表する政府はどちらかという長年の政治的対立を棚上げすることで首脳会談の実現にこぎ着けた双方の腐心を象徴するものとなった[41]
  • 会談は冒頭のみ一部メディアに公開された。中国国営テレビは会談の冒頭を中継したが、流したのは習国家主席の発言だけだった[41]。会談の中で習国家主席は、「両岸の同胞は多くの困難と長い隔離の時代を経験したが、いかなる力も我々を引き裂くことはできない」と民族的な連帯を強調した[41]。これに対し、馬総統は「66年の時を越えた握手で我々がつかんだのは両岸の過去と未来であり、中華民族復興の希望だ」と応じた[41]。今回の会談は、互いに「先生」(中国語で「さん」のこと)と呼び合い、夕食会の費用も折半するなど「対等」の形式にこだわるものだった[41]
  • 会談後の記者会見では、習国家主席は姿をみせず、国務院台湾事務弁公室の張志軍主任のみが一人で対応した[41]。これは台湾側が、行政院大陸委員会の幹部らを従えた馬総統が、自らも受け答えしたのと対象をなすものであった[41]

習指導部は、2012年の発足以来、「中華民族の偉大な復興」という壮大な目標を掲げた[41]。その最終目標といえるのが、中台統一である[41]。歴代指導者がこれまで切り開いてきた対話を首脳レベルに引き上げ、次の指導者に引き継がせる意味もある[41]。中国は近年、台湾に経済的恩恵を与えることで台湾をひきつけようとする政策を採ってきた[41]。2014年3月に台北で起きた「ひまわり学生運動」や同年秋の台湾統一地方選挙における与党・国民党の敗北は、中国政府に衝撃を与えたが、習指導部は、「経済」という切り札を握る自信から、「現状維持」を保ちつつ、台湾市民の抵抗が和らぐのをじっくりと待つ構えである[41]。なお、2016年1月に行われた中華民国総統選挙および第九回中華民国立法委員選挙では「九二共識」を存在しないとしている蔡英文民進党が大勝した。

反貧困[編集]

2015年11月29日付けの中国共産党の機関紙『人民日報』によると、同月27日と28日の両日、習近平国家主席は、「脱貧困」に向けた重要会議を開いた[43]。会議で習主席は「貧困を解消し、庶民の暮らしを守ることは、社会主義の本質的な要求であり、わが党の重要な使命だ」と述べたと演説した。発展が遅れぎみな22の省と市の幹部に「脱貧困に取り組む責任書」に署名をさせた[43]。「責任書」には、脱貧困を最優先の課題とすることや、うわべだけを取り繕って中央の予算支援を無駄にしないことなどを誓わせている[43]。地方幹部に政策の徹底を書面で署名させるのは異例のことである。外交筋は、「反腐敗」に次ぐ政治的キャンペーンになる」と見る[43]。貧困や格差の解消は大衆の支持を得やすく、党内で異論を差し挟みにくい点で、反腐敗と共通する[43]。反腐敗キャンペーンは、習政権の基盤固めにつながった[43]。「脱貧困」の推進は、鄧小平以来の雄改革開放路線が曲がり角に来ていることをも示している。鄧小平による社会主義の大義に縛られず市場経済を導入するという鄧小平によるこの現実的な考え方は、「まず一部の人々を豊かにさせ、その後豊かになった者がほかの人々を引き上げて共同富裕を目指す」という先富論として知られた[43]。今回の習国家主席による「脱貧困」政策は、一部の人々を豊かにさせるという段階から、次の「共同富裕」の段階に入ったという認識であると考えられる[43]。ただし、この路線の変更は、富裕層や都市住民の不満と不安を招くおそれもある[43]。「共同富裕」を目指すことが、発展優先の現実路線から、社会主義の理念を優先することに傾くことにつながると考えられるからである[43]

「党の核心」[編集]

中国共産党は歴代の最高指導者を「核心」と呼んできたが、胡錦濤前総書記の時代からは集団指導体制を唱え、この呼び方をやめており、習指導体制も当初は、これに倣っていた[44]。しかし、2016年1月8日の会議で、習総書記との関係が近いとされる天津市の代理書記である黄興国が「習総書記という核心を守らなければならない」と会議で発言した[44]。これに続き同月11日から15日にかけて、安徽省、湖北省、四川省の各省指導者がそれぞれ同様の表現の演説を発表した[44]。さらに同月27日には、習総書記の官房長官役である栗戦書・党中央弁公庁主任が「核心意識を強めるべきだ」との表現で、習総書記への忠誠を訴えた[44]。いずれも習総書記を党の「核心」とすることを強く示唆し、権力集中が進む中、総書記の位置づけに微妙な変化が生じている可能性があると、朝日新聞は報じている[44]

発言[編集]

  • 2009年2月11日に、外遊先のメキシコで、「腹がいっぱいになって暇になった外国人がわれわれの欠点をあれこれあげつらっている」、「中国は革命も輸出せず、飢餓貧困も輸出せず、外国に悪さもしない。これ以上いいことがあるか」と述べた。この発言はインターネット上の動画サイトなどに広く出回り、「国家指導者にふさわしくない発言」などの批判を呼んだ[45]
  • 2010年10月25日 - 朝鮮戦争60周年の記念行事で「朝鮮戦争は平和を守り侵略に立ち向かった正義の戦争」と発言し韓国から反発を招いた[46]

人物[編集]

家族[編集]

習近平は駐英大使であった柯華の娘である柯玲玲と結婚したものの、その後恐れから別離し[49]1987年9月に現妻の彭麗媛と再婚した。彭との間に、アメリカハーバード大学ケネディスクール [50]に留学中[51][52]のひとり娘、習明沢(1992年生[53]浙江大学外国語学院卒業)がいる。

脚注[編集]

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  1. ^ 1982年の総書記制導入以降。
  2. ^ 中国共産党第18期中央委員会第1回全体会議コミュニケ」人民網日本語版、2012年11月15日付配信記事(2012年11月16日閲覧)。
  3. ^ 全人代、習近平氏を国家主席に選出」人民網日本語版、2013年3月14日付配信記事(2013年3月17日閲覧)。「全人代、習近平氏を国家中央軍事委主席に選出」人民網日本語版、2013年3月14日付配信記事(2013年3月17日閲覧)。
  4. ^ a b 川越一「中国共産党、習近平氏を総書記に選出 対日強硬姿勢加速に懸念」『産経新聞』2012年11月15日付記事(2012年11月16日閲覧)。
  5. ^ 2007年12月21日、中央党校で行われていた新任党中央委員・中央候補委員の研修修了式に校長として出席し、校長職就任が確認された。「习近平在新任中央委员、候补委员学习十七大精神研讨班结业式上讲话」新華網、2007年12月21日付配信記事(2013年1月23日閲覧)。
  6. ^ “習近平氏、党中央軍事委副主席に…胡後継が確定” (日本語). 読売新聞. (2010年10月18日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101018-OYT1T00942.htm 2010年10月18日閲覧。 
  7. ^ 『産経新聞』2010年10月29日付朝刊。
  8. ^ 伊藤正 (2009年9月18日). “権力闘争激化との見方も”. 産経新聞. http://sankei.jp.msn.com/world/china/090918/chn0909182252003-n1.htm 2009年12月13日閲覧。 [リンク切れ]
  9. ^ “習氏、中国次期最高指導者に 軍事委副主席に就任 12年党大会で交代へ 5中総会が終了”. 産経新聞. (2010年10月18日). http://sankei.jp.msn.com/world/china/101018/chn1010181848003-n1.htm 2010年10月18日閲覧。 
  10. ^ 国家主席に習氏選出 党、軍、国の三権掌握 『習-李体制』始動」『産経新聞』2013年3月14日付記事(2013年3月17日閲覧)。
  11. ^ 川越一「李克強氏を首相に選出 習・李体制本格始動」『産経新聞』2013年3月15日付記事(2013年3月17日閲覧)。
  12. ^ 石原聖「中国版NSC:トップに習主席」『毎日新聞』2014年1月24日付記事(2014年1月25日閲覧)。
  13. ^ 矢板明夫「中国版NSC、トップに習近平主席就任 新設される国家安全委」『産経新聞』2014年1月24日付記事(2014年1月25日閲覧)。
  14. ^ “クローズアップ2012:中国、重慶トップ解任 対立激化に危機感 党指導部、火消しか”. 毎日新聞. (2012年3月16日). http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20120316ddm003030064000c.html 2012年3月16日閲覧。 
  15. ^ Ansfield, Jonathan; Melinda Liu (2007年12月22日). “Xi Jinping: China’s New Boss And The ‘L’ Word” (英語). Newsweek.com. ニューズウィーク. pp. p. 2. 2009年12月13日閲覧。
  16. ^ “「空虚な言葉を排除せよ」 文風改革を主張 習近平副主席”. 産経新聞. (2010年5月17日). http://sankei.jp.msn.com/world/china/100517/chn1005171818006-n1.htm 2010年5月17日閲覧。 
  17. ^ 妻は人気歌手、文革で苦難も…習近平氏の素顔」『読売新聞』2010年10月19日付記事。
  18. ^ クローズアップ2010:『ポスト胡』習氏確実 軍と地方に基盤」『毎日新聞』2010年10月19日付記事。
  19. ^ 倉重奈苗 (2014年7月29日). “中国が強めるメディア管理 記者への圧力、自殺者も”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/articles/ASG7P52XDG7PUHBI008.html 2014年7月29日閲覧。 
  20. ^ 林望 (2014年6月19日). “中国当局、記者のネット言論規制へ 報道各社に通告”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/articles/ASG6L5WC3G6LUHBI02S.html 2014年7月29日閲覧。 
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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次代:
劉雲山
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兪正声
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張徳江
浙江省党委書記
2002年 - 2007年
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