宋平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
宋平
生年月日 1917年4月
出生地 中華民国の旗 中華民国(北京政府)山東省日照県
所属政党 Flag of the Chinese Communist Party.svg 中国共産党
配偶者 陳舜瑤

在任期間 1989年6月 - 1992年9月
党総書記 江沢民

在任期間 1987年6月 - 1989年12月
党総書記 趙紫陽
江沢民

内閣 趙紫陽内閣
在任期間 1983年6月 - 1988年4月
国家主席 李先念

中華人民共和国の旗 第5代国家計画委員会主任
内閣 趙紫陽内閣
在任期間 1983年6月 - 1987年6月
テンプレートを表示
宋平
各種表記
繁体字 宋平
簡体字 宋平
拼音 Sòng Píng
和名表記: そう へい
発音転記: ソン・ピン
テンプレートを表示

宋 平(そう へい、ソン・ピン、1917年4月 - )は、中華人民共和国の政治家。原名は宋延平

1934年、北平大学(現在の北京大学)農学部に入学し、後に清華大学に転入。1936年、学生の愛国組織である「中華民族解放先鋒隊」に参加。翌1937年中国共産党に入党。日中戦争終結後、国共内戦が始まるまでの間、周恩来の秘書を務めた。

1952年以降、国家計画委員会委員や副主任を歴任。後に中国西北部での活動に従事し、中国共産党中央西北局委員や西北局計画委員会主任などを務める。

1972年甘粛省党委員会書記兼革命委員会副主任(副省長)に就任し、1977年6月に同省の党委第一書記兼革命委員会主任(省長)に昇格。第一書記時代(1977年6月 - 1981年1月)に胡錦濤温家宝ら30代の若手を庁長クラスに抜擢、胡錦濤は中国共産主義青年団で幹部育成プログラムへの参加を薦められ、温家宝は後に中央入りした。

1981年に国家計画委員会に移り、第一副主任(副大臣級)となる。1982年9月の第12回党大会で中央委員に当選。1983年6月、国家計画委員会主任(大臣級)に昇格し、国務委員(副首相級)を兼任。1987年5月、党中央組織部長に就任し、同年11月の第13期1中全会党中央政治局委員に選出される。1989年6月、天安門事件を受けて開催された第13期4中全会において中央政治局常務委員に昇格。

1992年9月、第14回党大会で引退。胡錦濤を江沢民総書記の後継者に推薦する。鄧小平も同意し、胡錦濤は49歳で政治局常務委員となった。

2012年に胡錦涛の後継者に西北部で縁があった習仲勲の息子である習近平が指名される際も後ろ盾になってキングメーカーの役割を担ったとされ[1]万里死後は100歳を超える中国共産党の最長老の一人で元老筆頭となってる[2][3]

2015年中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に壇上の中国共産党幹部で唯一習近平と同じ黒い人民服を着用し[4]サングラスをかけて現れて健在ぶりをアピールした。

脚注[編集]

  1. ^ 内幕:胡锦涛和习近平接班都是宋平指定的”. 新唐人電視台 (2015年8月11日). 2018年4月10日閲覧。
  2. ^ 中国引退長老 運転手、秘書、料理人2人ずつ派遣の破格待遇”. NEWSポストセブン (2013年10月30日). 2018年4月10日閲覧。
  3. ^ 政治的恩師、威容支えた101歳2人の長老 江沢民一派粛清の達成感を共有”. 産経ニュース (2017年11月7日). 2018年4月10日閲覧。
  4. ^ 中共元老宋平百岁诞辰的秘密”. 多維新聞網 (2017年4月22日). 2018年4月10日閲覧。
中華人民共和国の旗中華人民共和国
先代:
姚依林
国家計画委員会主任
1983年 - 1987年
次代:
姚依林
 Flag of the Chinese Communist Party.svg中国共産党
先代:
尉健行
中央組織部長
1987年 - 1989年
次代:
呂楓