リベラル

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リベラル英語: liberal)は、「自由な」「自由主義の」などを意味する英語[1][2]で、政治思想の分野では主に以下の2つの意味で使用されている。

用語[編集]

リベラル(英語: liberal)は、リバティ(英語: liberty、自由)の形容詞または名詞で、通常は「自由の、自由主義の」と訳される。

しかし1930年代以降のアメリカ合衆国では、特に社会的公正を重視する自由主義の支持者が「自由主義(リベラリズム、リベラル)」を名乗り、対立する古典的自由主義リバタリアン[5]などを名乗るようになった。この用法はヨーロッパを含め世界的には一般的な用法ではなく、アメリカ合衆国の以下の歴史的経緯などの特殊性による用法である。

  1. 1770年代の建国時に王党派が存在せず、自由主義(古典的自由主義)が保守派となった
  2. 社会主義が有力な勢力とならず、政治的な二大潮流はいずれも自由主義を掲げた(保守二大政党制
  3. 1930年代、ニューディール政策など社会的公正を重視する自由主義の勢力が「自由主義(リベラリズム、リベラル)」を自称して、「保守派(コンサバティブ)」を批判した
  4. 1980年代、保守(古典的自由主義新自由主義)を掲げる自由主義の勢力が、「自由主義(リベラリズム、リベラル)」を大きな政府社会主義的と批判した
進歩派 保守派
ヨーロッパ等(16世紀~) 自由主義 王党派など
ヨーロッパ等(18世紀~) 社会主義社会民主主義共産主義 自由主義、保守主義権威主義など)
アメリカ合衆国 自由主義(「リベラル」、社会自由主義) - 民主党支持層 自由主義(古典的自由主義リバタリアン新自由主義) - 共和党支持層

なお日本語では、英語圏のリベラル・デモクラシー(liberal democracy)は「自由民主主義」、各国のリベラル・パーティー (liberal party)は「自由党」と通常訳されている。しかし同じ「自由主義(リベラリズム、リベラル)」を、時代・立場・観点などで「自由主義(リベラリズム)」または「リベラル」と訳し分ける場合もあり、更に混乱がある。

歴史[編集]

アメリカ政治において、「リベラル」や「保守(コンサーバティブ)」との用語は、重い歴史を抱えており、複雑である[6]

1929年からの大恐慌の頃より、ニューディール政策など政府主導の自由主義立て直しが図られ、それを実施した民主党の人々が自分達こそ自由主義を守る自由主義者(リベラル)と自称し、「リベラル」の意味が変わった[6] [7]。この考えでは、増税などで個人の自由や財産を犠牲にしても、貧困対策や医療保険制度などの拡充により、遠回りだが個人の自由を拡大するため自由主義(リベラル)と主張した。1950年代頃は「保守(派)」は軽蔑的な用語となった。「リベラル」を大きな政府社会主義的と批判する立場は、ヨーロッパ的な王党派などの保守とも区別するため、リバタリアン(自由至上主義者)や古典的自由主義者と呼ばれるようになった[6]

1955年 ルイス・ハーツが著作『アメリカ自由主義の伝統』(リベラル・トラディション・イン・アメリカ)を出版して「アメリカには自由主義(リベラリズム)の伝統しか無い」と記した際に、この本の題名の「リベラル」は建国以来の自由主義を意味したが、当時の「リベラル」派は自分たちが正統派であると証明してくれたと誤解し、保守派はハーツが自分達を応援しなかったと誤解して失望した、との現象が発生した[6]。1950年代から1960年代にかけて「リベラル」は公民権運動など多様性を重視した運動を推進した。

ヨーロッパからアメリカ合衆国に移住したフリードリヒ・ハイエクは、エッセー「私はなぜ保守主義者ではないか」を記し、この用語の混乱はアメリカ合衆国とヨーロッパの政治伝統の違いにも起因しており、自分は保守主義者と呼ばれるがリベラル(自由主義者)であると主張した。ハイエクによると、自由主義(リベラル)と保守主義と社会主義はそれぞれ異なり、三角形の角のようなものである[6]

1980年以降、ジョン・F・ケネディリンドン・ジョンソン政権時代のベトナム戦争での失策や、ジミー・カーター政権時代の内政・外交での失敗の後に、ロナルド・レーガン政権の頃より「保守」の意味が変化した。レーガンは、「ルーズベルト連合」よ呼ばれた労働者・農民・黒人などの少数者連合を切り離し、保守連合を形成した。規制緩和や小さな政府をスローガンに経済を立て直し、共産圏に対する強硬姿勢が功を奏し冷戦終結に向かった。これらを背景に「保守」のイメージは向上し、「リベラル(進歩派)」は軽蔑後のようになっていった[6]

しかし2003年以降のジョージ・W・ブッシュ政権のイラク戦争での失敗により、「リベラル」のイメージが復権する可能性もある[6]

思想[編集]

アメリカ合衆国の「リベラル」に大きな影響を与え、民主党の政策を支えていた思想家にはジョン・ロールズがいる[6]

1958年、ロールズは論文『公正としての正義』を発表して「公正(フェアネス)」を基礎とする「正義(ジャスティス)」という概念を提示し始め、1971年の『正義論』を通じて発展していく「正義」の概念の二つの原理の原型を示した[6]

  1. 人は他人の自由を侵さない限り、自由への最大限の権利を平等に持つ
  2. 経済的・社内的に不平等が許されるとすれば、それはすべての人の利益に繋がらなくてはならない。また、他と平等でない地位があれば、だれもがそれを得る機会を平等に持つべきだ。

1971年の『正義論』では、二番目の原理は「すべての人の利益」から「最も不遇な人々に最低限の利益」と定義が発展し、哲学書としては異例の20万部のベストセラーとなった。ロールズは、自由と平等という相容れない価値をなんとか結び付け、自由を重視するアメリカ社会が失いがちな公正さを担保しようとした[6]

1960年代末から1970年代は、アメリカ・リベラリズムの頂点であり、没落の始まりであった。リベラル政治はケネディ政権で本格的に動き出し、ジョンソン、ニクソン政権で仕上げられた。1964年、ジョンソンは南北戦争後も南部に残る黒人差別を撤廃させる公民権法を政治手腕で成立させ、再選後に更に貧困との戦い、福祉拡大、環境保護など「偉大なる社会」の建設に突き進んだが、ベトナム戦争の泥沼に足を取られ、三選出馬を断念した。ジョンソン政権を引き継いだニクソンは共和党ながら、環境庁の設立、大気浄化法の強化、職業安全衛生法、包括雇用・職業訓練法や、南部の人種別学校の統合の進展、黒人の雇用促進のための積極的差別是正処置(アファーマティブ・アクション)、連邦政府事業を請け負う企業への黒人雇用義務付け、女性雇用差別解消、貧困家庭の養育費補助や学校給食などの福祉制度の大幅整備拡大など、リベラルな政策を進めた[6]

1960年以降、自由と平等が進化したアメリカに現れたのは、それぞれに正統を主張してやまないグループであった。ロールズの問題意識は、争いの無い安定した「共存」へと収斂していった。1993年、ロールズは第二の主著とされる『政治的リベラリズム』で「相容れることのできない宗教、思想、倫理上の教義で深刻に分断されている自由で平等な市民の間で、安定した公正な社会を築き上げることは可能か」と問いかけ、その多元社会の安定には「重なり合う合意(オーバーラッピング・コンセンサス)」という考え方を使用し、最低限の共通基盤を維持することで、安定した状態で共存できるとし、その共通基盤の核として「公正としての正義」を置いた[6]

ロールズの主張は、アメリカ社会の新たな形の分裂に対してリベラル側から回答を試みたもので、その回答は「アメリカの理念に立ち返っていく」ということであり、ある意味では保守的であった[6]

脚注[編集]

  1. ^ iberal - 研究社新英和中辞典、Eゲイト英和辞典、他
  2. ^ liberal - goo辞書
  3. ^ リベラル - 大辞林 第三版
  4. ^ リベラル - デジタル大辞泉
  5. ^ 18世紀に「自由意思論者」という意味で使用され、19世紀後半から「思想や行為の自由を強く主張する人」という意味に変わった用語(会田 p121
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 会田 p103-117
  7. ^ 吉原 p65-67

参照文献[編集]

関連項目[編集]