新保守主義
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新保守主義(しんほしゅしゅぎ、英: Neoconservatism)とは、旧来の保守と新しい保守の分別のために使われてきたが、特に明確な定義は存在しない。概念は時代と共に変容し、国によっても異なっている。
概要[編集]
1950年代には、保守反動を避けつつ斬新的政策や社会福祉の再分配政策を行っていこうとする保守党の路線が新保守主義と言われ[1]、1980年代には、アメリカ合衆国やイギリスなどで、1970年代の社会民主主義や自由主義に代わり誕生したアメリカ合衆国のロナルド・レーガン、イギリスのマーガレット・サッチャーが新保守主義と言われていた。
現在、英語においてはすでにレーガン・サッチャー時代の保守主義が主流になっているため、日本語における新保守主義(NeoConservatism)が保守主義、日本語における旧保守主義(PaleoConservatism)が伝統主義となる。西欧におけるNeoCon(新保守主義)とは、外交において自由主義覇権論をとなえ独裁政権の直接の武力介入による転覆などを擁護する急進的な集団をさす。ただし英米の保守主義は、経済政策面では日本以上に放任主義を標榜する一方で、不倫、同性愛、中絶や宗教(キリスト教)などの道徳観では非常な伝統主義であり、この面では日本の保守主義よりもさらに伝統主義である。
旧西ドイツのヘルムート・コール、日本の中曽根康弘が新保守主義の代表的政権の例として言及される事がある。このレーガンやサッチャーの路線の先駆者となった者が、1973年にチリ・クーデターを起こしたアウグスト・ピノチェトであり、強硬なマネタリズム政策を基調とした。ただしサッチャーは中途からリフレーションを[要出典]、ピノチェトも政権末期にはケインズ政策を取り入れた。
アメリカ新保守主義[編集]
いつのころかの米国で「ネオコン」と呼ばれる勢力と、マーガレット・サッチャーの「新保守主義」は、日本語では同義語であるが、英語では異義語である。これは、英語において、サッチャーやレーガンの政策は単に「保守主義」(英:conservatism)と呼ばれ、日本で認識される社会・経済両面での保守主義(宗教や因習を重んじる伝統主義、産業保護政策など)は「旧保守主義」(英:paleoconservatism、日:パレオコン)と呼ばれていることによる。ユダヤ系やカトリック信者が多いのも特徴であるが、すべてがユダヤ系というわけでもない。
現在[いつ?]の米国におけるネオコンと言われる勢力は、1930年代に反スターリン主義左翼として活動した後に「ニューヨーク知識人」と呼ばれるトロツキストたちによるグループである。ニューヨーク知識人の多くは、アメリカの公立大学の中で最も歴史のある大学の1つであるニューヨーク市立大学シティカレッジ(CCNY)を根拠地として活躍していたが、アメリカの消極的な対外政策に失望した集団である。アメリカの伝統的な保守主義は対外政策はモンロー主義に則った孤立外交を重視し、他国の人権問題には関心を示さない、あるいは自国の利益のためには(中国などの)独裁国家とも同盟を結ぶとの姿勢であったが、ネオコンの場合は民主主義、ひいては自由主義の覇権を唱え、独裁国家の陥落を外交政策の目的に置くという極めて革新的な思想および外交政策を標榜する。中東においては、唯一の近代民主国家であるイスラエルを基盤に周辺の独裁国家を滅ぼすことが中東問題の解決策であると主張する。
彼らは1970年代に相次いで民主党を離れて共和党へ向かい、第1期レーガン政権で台頭し、主に外交や軍事の分野で強い影響力を持った。レーガン大統領はネオコンのジーン・カークパトリックを外交顧問に指名し、ソ連を「悪の帝国」と呼び、ネオコンの師であるアルバート・ウォルステッターの限定核戦争を採用し、SDI構想など軍備増強を推し進めた。しかし、2期目に入ってからレーガン政権は柔軟姿勢に転換し、カークパトリックらネオコンは事実上追放された。
脚注[編集]
- ^ 広辞苑
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