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保守中道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

保守中道(ほしゅちゅうどう)とは、「保守」+「中道政治」の2つを併せた概念であるが、文脈や場合により、以下のように、様々な異なる意味で使用される。

概念は遅くとも1980年代から使用され[1]、今現在の2020年代でも使用されている[2]が、以下のように、用いる者により、その指す対象も異なる多様な概念である。

  1. 中野晃一を中心とするアジア・パシフィック・イニシアティブの「政党政治検証プロジェクト第2弾『検証 日本の中道保守』」は、政策的な文脈に基づき、宏池会などの「保守本流」を指して「中道保守」と呼び、「戦後保守」の「土台」だったと分析している[3]
  2. 古くは、戦後占領下に結成された日本進歩党民主党(1947~1950)[注 1]など、「日本自由党の左、日本社会党右派[注 2]の右」の位置を指して使用され[1]、この人脈的な文脈では、いわゆる「保守傍流」を指す。
  3. 森田実は、自公連立政権のことを保守政党である自民党と中道政党である公明党との連立政権という意味で「保守中道政権」と呼んでいる[4]
  4. 玉木雄一郎は、自らが代表を務める国民民主党として「『中道保守』を目指している」と述べている[5]。同党の前原誠司は自党や日本維新の会都民ファーストの会及びファーストの会などを中道保守であるとしている[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 中道とされた協同民主党国民党の両党が合流した国民協同党と、更に合流して国民民主党(1950~1952)を結成し、その後、改進党日本民主党を経て保守合同に至り、55年体制下で現在の自由民主党の源流の一つになっている。
  2. ^ 後の民主社会党→民社党の母体。

出典

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  1. ^ a b 三川譲二「<論説>民主党成立の序幕 : 進歩党少壮派の党内「革新」運動」『史林』第71巻第3号、史学研究会 (京都大学文学部内)、1988年5月、443-481頁、CRID 1390290699822958720doi:10.14989/shirin_71_443hdl:2433/238978ISSN 0386-93692024年2月27日閲覧 
  2. ^ 【深掘り】沖縄に保守中道の新政治グループ 元「オール沖縄」が結成 県政奪還目指す理由は」『沖縄タイムス沖縄タイムス、2020年2月29日。2020年6月10日閲覧。
  3. ^ 中野晃一 (2015年11月10日). “検証 日本の中道保守”. アジア・パシフィック・イニシアティブ. 2020年6月10日閲覧。
  4. ^ 森田実 (2013年7月2日). “穏健な中道主義で 国民のための政治を”. 第三文明社. 2020年6月10日閲覧。
  5. ^ 安積明子国民民主党・玉木雄一郎代表インタビュー!「『中道保守』政党を目指す」「小沢氏は『政権交代実現担当』として不可欠」」『夕刊フジ産業経済新聞社、2019年5月29日。2020年6月10日閲覧。
  6. ^ 前原氏「中道保守を結集したい」維新や都民ファ視野に”. 京都新聞 (2021年10月7日). 2022年5月10日閲覧。

関連項目

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