前原誠司

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前原 誠司
まえはら せいじ
Maehara Crop.jpg
生年月日 (1962-04-30) 1962年4月30日(56歳)
出生地 日本の旗 京都府京都市左京区
出身校 京都大学法学部卒業
所属政党日本新党→)
(民主の風→)
新党さきがけ→)
旧民主党→)
民主党→)
民進党→)
無所属→)
希望の党凌雲会)→)
国民民主党
称号 法学士(京都大学・1987年
公式サイト 前原誠司(まえはらせいじ)
-ホームページ-

内閣 野田第3次改造内閣
在任期間 2012年10月1日 - 2012年12月26日

日本の旗 第145代 外務大臣
内閣 菅第1次改造内閣
菅第2次改造内閣
在任期間 2010年9月17日 - 2011年3月6日

日本の旗 第12-13代 国土交通大臣
内閣府特命担当大臣
沖縄及び北方対策担当
内閣 鳩山由紀夫内閣
菅内閣
在任期間 2009年9月16日 - 2010年9月17日

日本の旗 内閣府特命担当大臣
防災担当
内閣 鳩山由紀夫内閣
在任期間 2009年9月16日 - 2010年1月12日

選挙区旧京都1区→)
比例近畿ブロック→)
京都2区
当選回数 9回
在任期間 1993年7月18日 - 現職

その他の職歴
京都府の旗 京都府議会議員
1991年 - 1993年)
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前原 誠司(まえはら せいじ、1962年昭和37年)4月30日 - )は、日本政治家国民民主党所属の衆議院議員(9期)。

京都府議会議員(1期)、民主党代表(第5代)、国土交通大臣(第1213代)、外務大臣(第145代)、国家戦略担当担当(第6代)、民主党政策調査会長(第11代)、内閣府特命担当大臣防災沖縄及び北方対策経済財政政策科学技術政策原子力行政宇宙政策)、民進党代表(第3代)などを歴任。

生い立ち[編集]

京都市左京区生まれ。両親は鳥取県出身(父親は境港市、母親は日野郡日南町[1])である[2]。前原によれば「根っからの京都の人というのは三代百年住んでいないとなかなか認めてくれないんです。…昔の人から言うと、まだ「入り人(いりびと)」という範疇(はんちゅう)に入ります。」という[2]

少年時代[編集]

両親が山陰出身ということで、幼少時から夏には墓参り等で列車に乗って出かけていて、SLも走っていたため、自然に鉄道が好きになった[1]

小学校の五・六年のあるとき、「失踪事件」があった。

一人で行くことになったんですが、米子境線に乗り換えるという行程で、当然おじさんとおばさんが迎えに来てくれていたわけです。でもいつまでたっても誠司が降りてこないということで大騒ぎになった。私はといえば、せっかくなので、米子で降りず玉造温泉まで行ったんです。玉造温泉でSLの交換があるというダイヤを調べていたので、それを撮影してから境港に行きましたから。4時間ぐらい遅れたのでしょうか。えらく怒られましたね(笑)。

前原誠司、[1]

中学時代[編集]

中学受験では、奈良の東大寺学園中学校と、姉も通う京都教育大附属中に合格した。本人は東大寺学園に進学希望だったというが、家計の事情で私立より公立を望む母親の意向や、男子校よりも共学校に進学させたいという希望もあり京都教育大附属中に進学した。

中学2年の時、京都家裁の総務課庶務係長だった父が自殺[3][4][5]。母親は勤めに出た[6]母子家庭で苦労したという。

部活は、バスケットボール部に所属した[2]

高校時代[編集]

京都教育大附属高1年から大学を卒業するまで奨学金を受けながら勉強する。高校時代は野球部に所属していた[2]

父親が生前裁判所に勤めていたため、家に法律の本が沢山あったことがきっかけで、京都大学法学部を受験するが失敗[2]。母親から許された1年の浪人時代に手にした高坂正堯の『国際政治[7]』を読む。同時期に読んだイマニュエル・カント坂本義和の著作に違和感を覚え、高坂のほうに惹かれたことが、自身の分岐点だったことを述懐している[2]

大学時代[編集]

一浪の末、京都大学法学部に入学後は、学費・生活費捻出のため、バスの添乗員から魚の卸売市場、喫茶店のウエーター、塾の講師等、ほとんど寝ないで働きつつ、高坂正堯の下で国際政治学を学ぶ。卒業にあたり、外交官の道に進むか大学に残るか、あとは漠然と政治家にと考え高坂に相談したところ、「学者は天才でなければならない、外交官は東大が羽振りを利かせているし、おまえはおやじがいないからどうか[2]山田宏[8]を紹介してやるから[2]」との助言を得て松下政経塾への入塾を決断した[2]

松下政経塾時代[編集]

1987年昭和62年)、松下政経塾へ第8期生として入塾する。山田によれば当時から凄まじい野心に燃えており、「外務大臣になって国の役に立ちたい」と語っていたという[9]。同期生に玄葉光一郎勝又恒一郎がいる。

政界へ[編集]

京都府議会議員[編集]

1991年平成3年)4月、松下政経塾を卒塾。被選挙権を得た最初の京都府議会議員選挙(左京区選出)に立候補し、後に同じ京都出身の衆議院議員となる北神圭朗ら学生ボランティアの支援により府議会史上最年少の28歳で初当選、厚生労働、環境対策委員、文教委員を歴任。前原によると「左京区というのは、ぼくの生まれた場所ですが、親父が死んでからは、山科区に引越したんです。ですから中学2年生からずっと離れていたので、そのとき住んでいた山科で出馬するか、生まれ育った左京で出馬するかずっと迷ったんです。結局、生まれ育ったところということで、左京で立候補して、今に至るんですけれども。」という[6]

日本新党・民主党[編集]

1992年(平成4年)長浜博行に請われ、[要出典]野田佳彦小池百合子・山田宏・樽床伸二中田宏らとともに日本新党へ参画。 1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙京都1区において日本新党公認新党さきがけ推薦で立候補して初当選。しかし東京佐川急便事件での細川護熙の借入問題に端を発した連立政権崩壊によって、細川内閣総辞職。その後、枝野幸男荒井聰高見裕一らとともに日本新党を離党し、民主の風(院内会派)を結成する。この離党について、細川夫人が前原を「恩を仇で返す薄情な男」と怒っていたと週刊現代は報じている[10]。その2ヵ月後には「民主の風」メンバーとともに新党さきがけに合流し、菅直人政調会長(当時)のもとで政調副会長、院内幹事(国会対策委員長渡海紀三朗の下で院内副幹事(国対副委員長)をそれぞれ歴任する。1995年(平成7年)第17回参議院議員通常選挙では与野党を超え民改連現職笹野貞子支援。1996年(平成8年)の総選挙直前に旧民主党1998年(平成10年)の民主党の結党に参加。

2002年(平成14年)9月の代表選挙では、鳩山・菅の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため「第二期民主党をつくる有志の会」を結成する。

党内では幹事長代理、「次の内閣」ネクスト外務大臣、ネクスト防衛庁長官なども務めた。

民主党代表[編集]

党代表選挙[編集]

2005年(平成17年)9月11日第44回衆議院議員総選挙において、政経塾の後輩で自民党新人の山本朋広を破り、小選挙区勝利で再選(政経塾の先輩後輩が定数1対決は96年東京3区さきがけ現職宇佐美登VS新進党新人松原仁以来)。岡田克也代表が民主党敗北の責任をとって辞任を表明[11]したことを受けて前原は同年9月17日に行われる代表選に立候補し、菅直人を2票の僅差で破って第5代代表に選出された。朝日新聞は、「目指せ、日本のブレア」と題した社説[12]を載せた。

内政と外交[編集]

民主党代表時代(2005年11月18日)
2006年

2005年(平成17年)12月2日東京の大学で講演した際、「日米安保と防衛の一方的な依存は、アメリカに対する過度の甘えである」として、自由民主党の対米追従を批判した。同8日にアメリカで講演し、中国の軍事力拡大などについて「現実的脅威に毅然とした対応が重要」と述べてシーレーン(海上交通路)防衛のために集団的自衛権を行使できるよう憲法改正の必要性を主張した[13][14]。さらに同12日に中国で講演し「中国を軍事的な脅威であると見なす声が増えています」と述べたことから、反発した中国側が胡錦濤国家主席との会談をキャンセルする事態となった[15][14]。この件について、前原は訪問先の北京記者会見を開き、中国脅威論の主張を根拠に要人との会談を拒否した中国政府の対応を批判して、「(率直に物を言わぬ上辺での)友好は砂上の楼閣になってしまう」と指摘した[14][13]。前原は帰国後、中国脅威論に基づく自身の発言を撤回する意思が無いことを表明した[16]。また、「言うべきことを言ったことに自信と誇りを持っている。口だけで『友好』『友好』と言ってきた親中派とは違う」と述べた[14]

この「現実的脅威」発言に対しては、「中国が脅威、不安をあおっているというのは確かだ」(麻生太郎)、「党の方針ではそのような考えはとっていない」(鳩山由紀夫)などの声が上がった[14]

メール問題[編集]

2006年(平成18年)の第164回国会は冒頭から耐震偽装問題米国産牛肉の輸入問題、ライブドア事件防衛施設庁官製談合事件などいわゆる「4点セット」により民主党は与党を追い詰める立場にあった。しかし同年2月衆議院予算委員会永田寿康の質問に端を発した堀江メール問題に関連して前原はひとまずメールの真偽論争は避けて、国政調査権行使によって武部勤自由民主党幹事長の息子の金融機関の口座を調査するよう党首討論小泉純一郎首相に要求した。同時に、自民党が国政調査権の行使を確約するならば、これを担保に金融機関の口座番号も含めた情報を民主党も提示するとしたが、この追及は騒動の発端となったメールの信憑性が低かったことから逆に批判を浴び、前原や民主党の立場を弱めることになった。自民党からは非難の声が上がり、民主党へは抗議電話が殺到した。

前原は2月28日に謝罪会見を行い、同時に代表続投を宣言したが、代表選挙で前原陣営の選挙対策委員長として票を取りまとめ、前原の意思を尊重して国会運営に当たっていた野田佳彦国会対策委員長の引責辞任を余儀なくされ、執行部の右腕を失う結果となった。前原の代表続投宣言のあとも、民主党の堀江メール問題はマスメディアで取り上げられ続け、前原は3月31日に代表辞任を表明した。この表明を受けて鳩山由紀夫も幹事長辞任を表明、永田寿康も代議士辞職を表明した。4月7日、民主党代表選で小沢一郎が菅直人を破って当選し、前原体制は半年余りで終焉した。

2008年(平成20年)に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では、メール問題について「普通の企業なら当然備わっているはずの危機管理と統治能力がなかった」「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」と指摘し、前原と(事件から半年後に内閣総理大臣自由民主党総裁に就任した)安倍晋三を「タカ派的体質、自信過剰という点で共通点が多い」とした上で「両若手指導者が短命で終わった点は興味深い」と述べている。

民主党代表辞任後[編集]

2007年5月1日、第31回日米安全保障専門議員交流にて

小沢のISAF構想や国連中心主義には賛同しつつも、「日本外交の基本は日米同盟」であり「国連至上主義」になってはいけないと説明く[17]。同年9月に小沢一郎民主党代表に再選された際には、党副代表就任を要請されたが、これを固辞した。最終的に、前原グループから新たに執行部入りする議員が出ることは無かった(ただし、本人は新たに常任幹事となり、党常任幹事会にも参加している)。

2007年(平成19年)、秋の臨時国会を前にした8月31日の民主党改造人事で、岡田克也石井一髙木義明川端達夫ら主要幹部とともに党副代表に就任した。

2008年(平成20年)6月、前原は、『中央公論』7月号での自民党の与謝野馨との対談で、農家への戸別所得補償子ども手当などを始めとする2007年(平成19年)7月の参院選マニフェストについて、これらの公約の必要経費を18兆円と試算したうえで「行革だけでは財源を捻出するのは絶対無理」「私は、(民主党は)『君子豹変』しないかぎり、まともな政権運営はできないと思いますよ」と持論を展開した。財源論についても、党内の政策責任者の間で疑問が強かったにもかかわらず、最後は小沢の「エイヤ!」の決断で押し切られたことを明らかにした。これに対し、民主党「次の内閣」の現・前・元の農林水産大臣である筒井信隆篠原孝山田正彦らは、この前原の主張は、前原自身が代表時代に提出した民主党の食料の国内生産及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案[18]を自ら不可能なばら撒きとして否定したことになるとして抗議と説明の電子メールを党所属国会議員全員に向けて一斉送信した。

このメールでは週刊文春に掲載された"前原氏が菓子パンをごみ箱に投げ捨てた"とする記事に触れ、「生命の維持に欠くことのできない食料を粗末にするような人間に食料・農業について論ずる資格はなく、議員としての資質ばかりか、その人間性に重大な問題があると言わざるを得ない」と非難している[19]が、週刊誌ネタを理由にした指弾には疑問の声も多く、連名で加わった篠原孝自身も、後に「菓子パンについての記述は削除するように進言したが聞き入れられなかった」「配信直前に穏便に事態を収拾しようとしたが都合がつかなかった」「菓子パンの記述が(この文書の)品格を下げたという人が大半だった」と釈明している[20]

2008年(平成20年)9月に実施された民主党代表選に関して、「小沢執行部は及第点」と評価しているがマニフェストを進化させるために無投票を避けるべきだと主張した。これについて鳩山由紀夫から、前原が小沢代表に採点を下すのは「おこがましい話だ」と批判され、以後前原は沈黙した[21]

2009年(平成21年)2月4日衆議院予算委員会の質疑において、道路特定財源の一般財源化に伴い新設された「地域活力基盤創造交付金」の使途が主に公共工事にあてられることを強調し、「首相は“やるやる”詐欺の常習犯だ。選挙をやるといってやらない。一般財源化もやるといってやっていない」と批判した。これに「無礼な言論をしてはいけない」と注意した衛藤征士郎委員長に対して前原は「事実を言ったまで。委員長が文句を言うのはおかしい」と反論。続いて答弁に立った麻生は「詐欺というのは犯罪。これは犯罪ですか」と反論した[22]。また公益法人の在り方について麻生が「事前通告がない」と答えると、前原は「事前通告はしている。そんな答弁するなら家で寝ていた方がましだ。一国の総理として恥ずかしくないのか。税金泥棒だ」と述べた[23]

2009年(平成21年)3月、小沢代表の資金管理団体をめぐる違法献金事件について「あれだけの献金を(西松建設から)もらうと、『それが合法であったっていいのか』という問題がある。私からすると考えられない数字」と疑問を呈した。また、民主党マニフェストから「公共事業受注企業からの献金全面禁止」の文言が小沢就任以降消えていることに対し、「復活させてしっかり書き込む。国民に疑念を持たれないようにするのが大事」との認識を示した[24]

前原と、同じく民主党副代表(当時)の岡田克也アメリカワシントンを個別に訪れた際に、アメリカ側に「今の日本は拉致解決に固執しすぎて北朝鮮の核放棄への障害となっている」と発言した、と報じられた[25]

2009年(平成21年)5月財団法人日本漢字能力検定協会の関連会社などから受けていた政治献金を返還すると発表。この関連会社には同協会からの資産が流出したと報道された。前原は報道各社に対し、「公益法人のあり方が問題になっていることにかんがみ、けじめをつける。」などとする書面を送付し、支部長を務める政党支部で受けた献金を返す意向を示した。

2009年(平成21年)5月の党代表選挙では事前に有力候補と見られていたが、出馬を見送り、政策的に近い野田佳彦広報委員長とともに自身のグループをまとめて岡田克也を支持した。

国土交通大臣[編集]

2009年(平成21年)8月30日第45回衆議院議員総選挙が行われ、民主党は総議席の3分の2に迫る308議席を獲得。結党以来の悲願であった政権交代を成し遂げた。それによって2009年(平成21年)9月16日に発足した鳩山由紀夫内閣において、前原は第12代国土交通大臣に就任した。沖縄及び北方対策担当大臣防災担当大臣も兼務(防災担当については、後に閣内の役割分担の見直しに伴い中井洽国家公安委員会委員長が兼務することとなり、2010年1月に兼務を解かれた)。

ダム事業[編集]

前原は国土交通大臣に就任直後の2009年(平成21年)9月17日未明、記者団の取材に対して、国が進めていた八ッ場ダム群馬県)と川辺川ダム熊本県)の建設事業について「(第45回衆議院議員総選挙における民主党の)マニフェストに書いてあること[26]なので(事業を)中止します」と明言[27]。これに対し、国の直轄事業であるとはいえ地元の意向を直接確認しないままの大型事業休止の方針発表は、とくに八ッ場ダムについては共同事業者である関東各都県の知事を始めとする地元関係者の反発を招いた(詳細は八ッ場ダム#民主党政権による事業計画の迷走を参照)。また前原は、ダム建設事業については10月9日国土交通省直轄ダム建設事業の56事業のうち、改修事業を除く48事業について「2009年度は(ダム事業を“調査・設計”→“用地買収”→“生活再建工事”→“転流工工事”→“本体工事”という段階に区切った場合における)新たな段階に入らない」ことを表明[28]、ダム建設事業を全面的に見直す立場を示した。完成寸前のダムも存在しており(長井ダム[29]胆沢ダムなど)、各地で反対の声が上がっている[30]

航空行政[編集]

日本の空港にかかる施策について、政策の大幅な転換を示し、全国の空港整備事業の予算的裏付けとなっており、空港使用料着陸料の高止まりの原因と指摘されている社会資本整備事業特別会計空港整備勘定(旧空港整備特別会計)について抜本的に見直すことを表明した[31]

成田空港でハブ運航を行うデルタ航空

事実上国内線優先となっていた東京国際空港(羽田)については、2010 年の再拡張事業を機に、第1次安倍内閣アジア・ゲートウェイ構想で推進された再国際化だけでなく、成田国際空港(成田)との時間帯・路線の棲み分けを撤廃し、24時間運用による拠点空港(ハブ空港)化を目指す方針を2009年(平成23年)10月12日に明らかにした[32]

羽田のハブ空港化については、立地上地元への恩恵享受が期待できる石原慎太郎東京都知事[33]松沢成文神奈川県知事[34]らが歓迎の意向を表明した。

一方、構想の表明は事前の相談なく行われたものであり、成田の地位低下を懸念する森田健作千葉県知事小泉一成成田市長ら[35][36]や、関西国際空港(関空)のハブ空港化が事実上後回しとされた格好となった橋下徹大阪府知事[37]らが異議を唱える場面も見られた(ただし、両知事とも羽田の再国際化そのものについては一定の理解を示している[36][38])。

特に成田では、国・県・空港周辺の9市町・成田国際空港株式会社(四者協議会)の長年の対話がようやく成果を結び、年間30万回への発着枠増強について前向きな議論が交わされていたところであり、更には開港以来の念願であった2500メートル平行滑走路の供用を10日後に控えていたにも関わらず、過去の経緯を踏まえずになされた前原の発言で完全に水を差された格好であった。したがって地元からは、「歴史を知らない発言だ」「乱暴で虫が良すぎる。歴史的な経緯を踏まえて理解を求めるべきではなかったか」と怒りの声が上がった[39]

2010年10月に羽田が再国際化すると、地方での国際線利用が韓国の仁川国際空港から羽田へ回帰する傾向が見られたが[40]、この効果自体は従来のアジア・ゲートウェイ構想での棲み分けと両立した再国際化であっても一定程度期待しうるものである。逆に、アメリカとの二国間交渉を経て、アジア・ゲートウェイ構想の下では深夜便しか認められていなかった米国路線へ昼間時間帯での羽田発着枠解放が実現すると、成田を拠点にハブ運行を行っていたデルタ航空が首都圏空港間での旅客分散を嫌って成田発着の路線を減便し(デルタ航空は本邦航空会社にアライアンスパートナーがいないため、羽田空港での国内線-国際線乗り継ぎの恩恵を受けにくいという事情がある)、その代わりに韓国路線を増便する動きを見せるなど、日本の空港の国際ハブ機能(国際線同士の乗り継ぎ)が低下する負の作用が生じている[41][42]

また、関西三空港の問題については、大阪国際空港(伊丹)を「伊丹は経営的にも優良な空港で、存続させていくことが大事。現時点で廃港は考えていない」としつつ[43]、国管理空港であった伊丹を株式会社化した上で関空と持株会社の元で経営統合させる構想を持っており[44]、将来的な伊丹廃止を謳う橋下府知事も同案に賛同の意を表明した。なお、この構想は2012年(平成24年)4月1日新関西国際空港株式会社の設立という形で、現実のものとなっている。

当時深刻な経営難に陥っていた日本航空グループに対しては、「飛行機が飛ばない状態を避ける」との意向のもと、私的にJAL再生タスクフォースを立ち上げ、主力取引行と共に私的整理の方策を探っていたが、JALの経営を託す予定だった稲盛和夫企業再生支援機構会社更生法の適用による事前調整型の法的整理の意向を示したため、これに押し切られる形でJALの法的整理を容認した。

JAL123便墜落事故から25年目となる2010年(平成22年)8月12日、歴代の運輸大臣・国土交通大臣で初めて「御巣鷹の尾根」への慰霊登山を行った。

道路行政[編集]

民主党がダム事業見直しとともに、第45回衆議院議員総選挙のマニフェストに掲げた主要な高速道路料金の原則無料化については、2010年(平成22年)2月2日に同年6月から全国37路線で無料化の社会実験を実施すると発表。また、4月9日には全国の主要高速道路料金に全時間帯・全車種において上限制(普通車・NEXCO各社の場合2000円)を導入するとした。

その一方で、これらの政策を実行するための予算、ならびに小沢一郎からの強い要望で道路整備の予算を確保するために、麻生内閣が2009年(平成21年)4月から「当面2年間の予定」として導入した休日特別割引や深夜割引などのETC割引制度の大半を原則廃止(休日特別割引は前倒し終了、深夜割引等は段階的廃止)するとしたため、近距離利用者を中心に実質値上げになるとして、政府・党の外部だけではなく、小沢や川内博史衆議院国土交通委員長等からも異論が聞かれた。これに対し前原は「(小沢氏は)道路整備をしろと言っておきながら、値段が上がってもいけないと。二律背反なことをおっしゃっている」「法律事項ではないとはいえ、変えることはガバナンスが問われることで絶対に認められず、現時点では見直すつもりはない」と反論している[45]

JR不採用問題[編集]

1987年の国鉄分割民営化に反対した国鉄労働組合の組合員がJRに再雇用されなかったJR不採用事件は、2003年12月22日に最高裁判決で組合員側の敗訴が確定[46]。2010年5月、前原は与党3党と公明党より和解案の提示を受け、旧国鉄の業務を引き継いだ鉄道建設・運輸施設整備支援機構に対し和解手続きに入るよう指示[47]。6月28日、同機構が原告904人に総額199億円を支払うことで和解が成立した[48]

その他[編集]

2009年(平成21年)12月15日今上天皇中華人民共和国副主席習近平が会見を行ったこと(いわゆる天皇特例会見)について、「元首相、自民党の方から要請が首相官邸に届いたということで、我々がルールを曲げたということではないと聞いている」と述べた[49]

2010年(平成22年)6月2日鳩山由紀夫内閣の退陣表明に伴う民主党代表選挙においては、かつて2005年(平成17年)の代表選挙で対立候補だった菅直人を、「小沢色の払拭」「党人事の刷新」「日米協調」の三つの条件で支持した。その後、成立した菅内閣では国土交通大臣、沖縄及び北方対策担当大臣に留任した。

同年9月、菅代表の任期満了に伴って行われた民主党代表選挙においても、前回の代表選挙と同じく菅直人を支持し、菅の推薦人名簿にも名を連ねた。

外務大臣[編集]

2010年(平成22年)9月17日民主党代表に再選された菅直人による菅内閣の内閣改造菅第1次改造内閣)に伴い、民主党幹事長に就任した岡田克也の後任として、外務大臣に横滑りで就任。48歳4ヶ月での外相就任は、池田内閣における小坂善太郎外相を抜いて、戦後最年少(当時)であった[50]

2011年1月の第2次改造内閣でも外相に留任した。

尖閣諸島中国漁船衝突事件[編集]

2010年(平成22年)9月8日沖縄県石垣港・沖縄県尖閣諸島周辺の日本領海内で海上保安庁巡視船に中国漁船が衝突し、中国人船長が逮捕された(尖閣諸島中国漁船衝突事件)。日本の対応について中国から抗議を受けていることについて、前原は「(尖閣諸島に)領土問題はない」と強調し、公務執行妨害容疑で逮捕された中国人船長の処遇について「日本の国内法に基づき粛々と対応する。それに尽きる」と述べ、中国側が求める中国人船長の早期釈放には応じないとした[51]。前原は石垣市の石垣海上保安部・巡視船艇の係留所を視察して職員を激励し、「尖閣諸島に領土問題はない」とし、逮捕した漁船の船長の処遇も「日本の国内法に基づき粛々と対応する。それに尽きる」と、従来の主張を繰り返した[52]。公務執行妨害容疑で逮捕された中国人船長の拘置延長が決まる前の2010年(平成22年)9月19日NHKの番組にて、前原は「今回は偶発的な事故だと思っている。冷静に中国も対応してほしい」「国内法に基づいて粛々と対応する」「戦略的互恵関係を強めるためにも、われわれの立場を保ちながら中国と話し合いたい」と述べた。一方で、この事件を受けて中国国内で起こっている日本に対する抗議活動について「中国政府も抑制のための努力をしている」と発言した[53]。しかし、2010年(平成22年)9月24日、船長は「諸般の事情のため」との那覇地検の判断により釈放された。

これについて読売新聞は、国連総会出席のためアメリカを訪問していた前原がアメリカ政府国務長官ヒラリー・クリントンとの会談の中で、「まもなく解決しますから」と自信ありげに伝えたとし、中国人船長の「釈放」に動いたのは官房長官仙谷由人、そして外務大臣の前原であったとされる、と報じた[54]。前原自身は、「那覇地検が手続きの中で決めたので、政府として従うということだ」と述べ、自らの政治的な関与はなかったことを重ねて強調した。

翌10月27日には米ハワイホノルルにおいて、米国務長官ヒラリー・クリントンと約2時間に渡って会談。中国からの輸出停滞が国際問題化となっているレアアースについて、供給源を多角化させる必要があると認識で一致するとともに、中国が領有権を主張している尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用対象であるとの認識においても一致。クリントンは前原との会談を終えた後の共同会見で、尖閣諸島について「米国の日本防衛義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象になる」旨を改めて明言した。

環太平洋戦略的経済連携協定 (TPP)[編集]

TPP交渉を巡っては、2011年10月に「対GDP比で僅か1.5%に過ぎない第一次産業の保護のため他の分野が犠牲になるのはおかしい」と反保護主義的主張を記者会見の場で行った。

在日外国人献金問題・引責辞任[編集]

2011年(平成23年)3月4日参議院予算委員会にて、自民党西田昌司議員からの質問により、前原本人の発言から、前原が京都市内の在日外国人(京都新聞が後日、韓国籍の女性であることが報道した[55][56] 2011年3月6日夜、前原は外務省記者会見し、外相を辞任する意向を明らかにしたが[57]、議員辞職については言及していない[58]。また、問題となった人物が旧知の在日外国人であった事は認めたものの「献金を頂いているという認識は無かった」と、献金受領が故意ではないと否定している。後任が決定するまでの外相臨時代理は枝野幸男が務め、3月9日に外務副大臣だった松本剛明が昇格となった[59]

上記以外の外国人献金問題[編集]

  • 2011年8月27日、上記の外国人献金問題発覚後、2005年から2010年までの6年間を前原の事務所が調査した結果新たに在日外国人3人と、在日外国人が代表取締役を務める法人からの献金、計34万円分の外国人献金が発覚した[60]。8月27日の発表前にこの献金は返金されている。
  • 2011年9月1日、8月27日の発表分とは別に在日韓国人が株の大半を所有する企業から1996年から2003年までの間計約100万円の献金を受けていることが発覚した[61]。なおこの献金問題は時効の3年を過ぎているので返金は議員の寄付に当たり公職選挙法違反になるので出来ない。

その他[編集]

2010年11月27日参院問責決議案が可決された仙谷官房長官と馬淵国土交通大臣が辞任しない意向を示したことに対し、自民党などが2人の出席する委員会には出席しないとしたことについて「どこかの党は『審議拒否だ』と言うが、国会に出てこなかったら、あの人たちは税金泥棒だ」と批判した[62]

12月には、日伯国会議員連盟会長でブラジルとの関係も深い自民党の麻生太郎首相に、2011年1月にブラジルで行われるブラジル大統領就任式への日本側の特使としての出席を打診し、麻生もこれを受諾した。

民主党政策調査会長[編集]

党代表選挙[編集]

2011年8月に行われた民主党代表選では外相辞任から日が浅い事もあり、当初野田佳彦の支援を検討していたが、増税を主張する野田では勝てないと判断し、自らが主催する凌雲会内の主戦論にも押される形で23日に自らの出馬を表明[63][64]。8月27日、立候補を届け出た[65]。同日の共同記者会見では原発の新規建設を否定し、自民・公明両党との時限的な大連立などを主張した[66]世論調査では代表選の全立候補者の中で圧倒的な人気を誇り、当初の下馬評では本命と目されていたが、外相辞任の原因となった外国人献金問題の影響もあって苦戦。29日の代表選では1回目の投票で395票中74票を獲得するが、3位にとどまった[67]。8月31日、野田佳彦代表の下で民主党政策調査会長に就任[68]

2011年11月10日、仙谷に代わって凌雲会の会長に就任[69][70]。また、政治団体としての凌雲会の代表者についても、従来は仙谷由人として届け出ていたが[70][71]、これを期に前原誠司に変更することになった[70]

2012年9月、民主党政調会長を退任。

国家戦略・経済財政担当大臣[編集]

2012年10月1日の野田内閣改造に際し、一時は財務大臣としての入閣も取り沙汰されたが、最終的には国家戦略担当大臣海洋政策担当大臣、内閣府特命担当大臣(経済財政政策・宇宙政策・原子力行政・科学技術政策)として、1年8ヶ月ぶりに再入閣した。

金融政策[編集]

2012年10月5日、経済財政担当大臣としては2003年の竹中平蔵以来9年半ぶりに日本銀行金融政策決定会合に出席。同会合には在任中計3回に渡って出席し、日本銀行が掲げるインフレ目標1%実現のため強力な金融緩和を求める姿勢を強めた。また、金融緩和策の一環として外債購入も有効な手段である旨の発言を行った。このような働きかけもあり、日本銀行は9月、10月と2ヶ月連続に渡る金融緩和へと踏み切った。

同年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙では、自身は選挙区での圧勝により7期目の当選を決めたものの民主党は記録的な大惨敗を喫し、物価上昇率2%を主張する安倍晋三率いる自民党政権復帰を確実とした。その後の12月20日に行われた日本銀行の金融政策決定会合において、従来の物価上昇率1%を目指す中長期的な物価安定の目途の見直しが決定され、更に2%の物価目標について言及が成されたことについては、閣議後会見で「(自身が日銀の金融政策決定会合に出席して、物価目標1%を達成するべく金融緩和を求めていた当時は、1%達成についてすら)他の方々が否定的な意見を出された」と述べた上で、総選挙後の日銀の動きについて「(メンバーが全く変わっていないにも拘わらず)なぜ急に、これだけ大きく変わるのか。驚きを持っている」「今までと、どういう整合性、連続性、継続性があるのか。国会で厳しくチェックしたい」と述べ、日銀の姿勢の変化に対して疑問を呈した。

事務所費問題[編集]

2012年10月29日、秘書宅を事務所として届け出て経費1232万円を計上し、事務所の実態がないことが明らかになった[72]。自民党の石破茂幹事長は、「自民党政権時代はこの問題で閣僚辞任が起こっている」[73] と述べている。閣僚交代になれば、野田第3次改造内閣において田中慶秋法務大臣に次ぐ2人目である。 このことに対して、前原自身は「れっきとした実態がある。弁護士とも相談したが問題はない」と答えて[74]いる。 この件にからみ、「まえはら誠司東京後援会」の2010年分の政治資金収支報告書のなかに、異常な額の会合費が記述されていることが報道された[75]。6月11日だけでも、割烹、日本料理店、中華料理店、京懐石など7件、100万円以上支出したと記されていた。

2012年11月12日の衆議院予算委員会では「領収書を取る時間がなかったので、それに対する領収書を書いたもので偽造ではない」などと答弁している[76]

民進党代表[編集]

2016年3月、岡田克也の任期満了にともなっておこなわれた9月の民進党代表選挙に立候補したが、蓮舫候補に敗れ2位におわった。

2017年、7月27日に辞任を表明した蓮舫代表の後任を選出する9月の民進党代表選挙に立候補。9月1日、枝野幸男に勝利して第三代民進党代表に就任した。しかし代表就任直後に幹事長に抜擢を予定していた山尾志桜里のスキャンダル報道があかるみになり、山尾の幹事長人事は白紙となり、前原執行部は出だしで大きな打撃を受けた[77]

さらにその後も離党ドミノが止まらず、同月安倍晋三内閣総理大臣が衆議院の解散を表明したことにともない、9月25日に結成された小池百合子東京都知事が代表を務める「希望の党」への合流を決断。9月28日におこなわれた党常任理事会と両院議員総会で、党として比例代表を含め公認候補を擁立せず、希望の党に公認申請を依頼し、事実上希望の党と合流することを提案し、承認された。9月29日、自らは希望の党に公認申請せず当面民進党にとどまり、翌月に投開票される衆院選では自らは無所属で出馬することを表明した[78]

だが、小池の『排除』宣言[79]に反発するリベラル派議員が離党し、枝野幸男を代表とする『立憲民主党』を結党、更なる離党を引き起こす結果となる。前原自身は京都2区で無所属で当選したが[80]第48回衆議院議員総選挙において自民党に絶対安定多数を単独で上回る284議席、自公政権としては定数の3分の2(310議席)を上回る313議席を許し、野党第一党の座も立憲民主党に奪われた[81]。この責任を取る形で、10月30日に民進党代表を辞任すると表明した[82]。前原が民進党代表の座にあったのは僅か2カ月間のことであった。

希望の党・国民民主党[編集]

代表辞職直後の2017年11月2日に民進党に離党届を提出し、同日受理された[83]。同月6日に希望の党に入党届を提出[84]、14日に了承された[85]

2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加した[86]。同年8月、国民民主党京都府連の会長に就任[87]。9月の国民民主党代表選挙では、自身が2度の民進党代表選挙で掲げた"All for All"に主張が近かったことを理由に、津村啓介に投票した[88]

政策・人物像[編集]

外交・安全保障[編集]

2013年5月2日イギリス外務・英連邦大臣ウィリアム・ヘイグ(前列左から1人目)、衆議院議員塩崎恭久(前列左から2人目)、前衆議院議員中田宏(前列右から1人目)、日本駐箚英国特命全権大使ティモシー・ヒッチンズ(後列左)らとともに

日米同盟強化・中国脅威論(戦争放棄を定めた)憲法9条1項・(戦力不保持を定めた)2項は維持したうえで、条文追加によって自衛隊を明記することの必要性[89][90]武器輸出三原則の見直し、北朝鮮ミサイル基地などを自衛隊が攻撃することが可能になる「敵基地攻撃能力」の保有の検討[91]などを主張している。

内政[編集]

  • 選択的夫婦別姓制度に賛意を示す[92][93]
  • 1999年(平成11年)7月に国旗国歌法案の採決で反対票を投じる[94]靖国神社を巡っては、A級戦犯を他神社に「遷座」した上で、天皇や総理大臣の参拝を可能とする環境整備を主張している。自身の参拝については、A級戦犯が合祀されているため大臣在任中は行かないとしている[95]
  • 日本における外国人参政権については「どちらかといえば賛成」(2009年総選挙における朝日・東大共同調査)という立場だが、「国論が二分されており、憲法違反との指摘もある」と述べ、法案提出には慎重な姿勢も見せている。

経済政策[編集]

経済政策においては改革派に属し、経済成長を重視した「真の構造改革」が必要の立場を採る。菅直人首相が「一に雇用・二に雇用・三に雇用」というスローガンを打ち出したのに対し異論を唱え、脱原発の元「一に成長・二にも三に成長」と産業発展重視を唱えた[96]

他に公共事業改革が持論で、これは恩師高坂正堯が前原に与えた遺言でもあるという[97]。民主党でも社会資本整備ネクスト大臣や「公共事業を見直す委員会」の事務局長を務めるなど、一貫して公共事業問題に取り組んできたが、こうした活動が鳩山内閣での国土交通大臣就任につながっていった。

安倍政権経済政策アベノミクス」について、アベノミクスの3本の矢のうち、大胆な金融緩和と民間投資を促す成長戦略については民間政党の立場から大賛成と述べるなど一定の評価をしているものの、「インフレ期待だけに働きかけてすべてがよくなるということはあり得ないということを国民に訴える。アベノミクスの危うさ、問題点を訴えていく」との考えを示している[98]。また「日本経済を破綻に招きかねないリフレ至上主義についてはノーを言っておくことが国益だ」と述べている[98]

日本のデフレーションの背景として、日本の人口減少が消費の需要を全体的に押し下げる結果、影響していると指摘している[99][100]

TPP[編集]

2013年3月12日、米政府が野田政権当時の日本政府に、TPPの事前協議で

を要求したと説明、安倍首相に対し「われわれは、あまりに日本に不公平だったので妥協しなかった。」と述べ、「安倍政権は妥協して交渉参加表明することはないですね」と(TPPに参加しない様)求めた[101][102]

人づくり[編集]

政治における様々なテーマの中でも特に教育、人づくりが重要であると主張。コミュニティ・スクールの成功例を伝道師として広めていくことが政治家として大事だと話し、ニート対策については、ただ補助金を出すのではなく費用対効果を分析してチェックする必要があると述べている[103]

凌雲会[編集]

民主党内では仙谷由人枝野幸男らとともに凌雲会(「前原グループ」)を率いており、中堅・若手議員を中心に党内で一定の勢力を有する。また、同じく松下政経塾・日本新党出身の野田佳彦が率いる花斉会(野田グループ)とは政策や政治理念が共通する部分が多く、共同歩調をとることが多い。マスコミ報道等では小沢一郎に距離を置く議員の一人として上げられることが多く、反小沢系の議員グループ七奉行の会にも名を連ねる。小沢との確執の原因は、2005年の代表選で、小沢サイドが前原支持と引き換えに幹事長ポストを要求した際、前原が固辞したことにあるとされる。小沢代表時代もマニフェストや国会対策、安保政策を巡って対立していると言われたが、2009年(平成21年)に前原が国土交通大臣、小沢が幹事長に就任すると、道路政策を巡って双方の対立がエスカレートした[104]。また2011年8月29日に行われる民主党代表選で前原は小沢の支援を要請した[105]が、小沢に近い議員の幹事長就任を拒んだことで小沢の擁立した対立候補と争うことになる[106]


その他[編集]

エピソード[編集]

他党との交友関係[編集]

安倍晋三[編集]

安倍晋三とは当選の同期であり、議員会館も隣りの部屋(安倍の部屋の前の住人は安倍晋太郎、前原の部屋の2代前の住人は安倍の祖父岸信介)。安全保障政策に関して気心知れた仲であり、2期目あたりまではを一緒に飲みに行く仲であった(ただし安倍はほとんど飲めない)。現在もお互いの携帯電話番号は交換しており、安倍が選挙の応援演説で前原の選挙区に入る時、安倍の方から「ちょっと選挙区に入らせて貰います」と挨拶が入ることもあるという。

2007年8月27日に安倍改造内閣が発足すると、安倍との交友関係や小沢一郎との確執等の風聞をもとに、前原が防衛相として入閣する可能性が御厨貴宮崎哲弥与良正男などによって取り沙汰されたこともあった。

また、安倍内閣幹事長を務めた中川秀直とも親しいとされる。

石破茂[編集]

石破茂との仲も良い。石破の出身地は鳥取県八頭町である。前原本人の出身地は京都市だが、父親は鳥取県境港市出身であった。双方とも首相の靖国神社公式参拝に反対している他、防衛問題でも意見が一致。鉄道やプラモデルの話題でも話が盛り上がることがあり、鉄道番組で共演したこともある[111]。石破は、2008年(平成20年)9月に行われた自民党総裁選に立候補したが、これは前原との会話が間接的な原因となったとする報道がある[112]

日本共産党[編集]

平和安全法制成立後日本共産党が同法廃止を目標とした政権構想「国民連合政府」の成立を民主党を含む各野党に呼び掛けた際、前原は「共産党はシロアリのようなものだ。協力したら土台が崩れていく。」と述べ選挙協力に前向きな姿勢を取る岡田克也代表ら当時の執行部に批判的な見解を述べた。

一方民進党結成後は北海道5区補欠選挙にて共産党幹部と並び野党統一候補の応援演説をするようになり[113][114]第24回参議院議員通常選挙後は野党共闘(民共共闘)がある程度の功を制したことを受け「政策論議を深め、共闘のフェイズ(局面)をさらに進化させる。政策論議のすえの共闘努力こそ、私たちの責任だ」と述べ、政策論議を重要視することを条件に野党共闘を推進する立場を明らかにした[115][116]

しかし2017年9月に民進党代表に就任すると共産党との野党共闘の合意について見直しを含めて検討することに言及した[117]。さらに希望の党が結成されると「非自民非共産」の大きな塊を作ることを目的に希望の党との合流を決意し、総選挙に民進党候補を立てなかった。希望の党の獲得議席が芳しくなかったことから前原は代表を辞任することになったが、後日のインタビューでこの決断について「後悔はしていない」「共産党に魂を売って惨敗するより、チャレンジしてよかった」と心境を語った[118]

家族・親族[編集]

前原家[編集]

鳥取県境港市京都府京都市
両親は鳥取県出身(父親は境港市[1]、母親は日野郡日南町[1])である。前原によると「私は京都生まれの京都育ちなんですが、父親が鳥取県の境港、母親は上石見[119]伯備線の最も岡山寄りのところの出身」という[1]。前原家について、前原は「普通の家庭だったんですね[6]。当然もないし、祖先に遡っても政治家はいないと思う家系ですよ[6]。」と述べている。
  • 父・(元・京都家庭裁判所職員)


略系図[編集]

 
 
 
 
前原博
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
前原誠司
 
 
 

略年譜[編集]

出演[編集]

国際鉄道模型コンベンション 2017年8月20日(講演)

関連する団体・議員連盟[編集]

2013年5月2日、日英21世紀委員会第30回合同会議の参加者らと

書籍[編集]

  • 『石破茂・前原誠司ほかが集中講義!日本の防衛 7つの論点 別冊宝島Real』(宝島社) 2005年 ISBN 4796647899
  • 『日本を元気にする地域主権』(PHP研究所) 2008年 ISBN 978-4569702285
  • 『日本の成長の突破口はこれだ!国土交通省成長戦略』(大成出版社) 2010年 ISBN 978-4-8028-2966-3
  • 『政権交代の試練―ポピュリズム政治を超えて』 (新潮社) 2012年 ISBN 978-4103331711
  • 『分断社会ニッポン』 (朝日新書) 2016年 ISBN 978-4022736802

関連項目・人物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 小沢さんとの関係たっぷり話します。[リンク切れ]
  2. ^ a b c d e f g h i j 政治家の本棚――71 運命の高坂正堯『国際政治』との出会い[リンク切れ]
  3. ^ 週刊新潮(2005年10月13日号)。
  4. ^ FLASH (2009年10月20日). “前原誠司国交相、父が自殺していた!”. アメーバニュース. サイバーエージェント. 2010年9月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年1月19日閲覧。
  5. ^ 毎日jp (2010年2月5日). “前原国交相:「中2の時、父が自殺した」33年後に明かす”. 毎日新聞社. http://mainichi.jp/select/today/news/20100206k0000m040118000c.html?link_id=RTH04 2010年2月6日閲覧。 [リンク切れ]
  6. ^ a b c d OnLine MPI インタビュー第7弾 MPI京都 2004年8月19日
  7. ^ 高坂正堯 『国際政治―恐怖と希望』 中公新書、1966年ISBN 978-4121001085
  8. ^ 高坂ゼミから松下政経塾に行った先輩の山田宏前杉並区長。後に前原と共に日本新党に参加
  9. ^ 週刊文春2010年11月18日[要ページ番号]
  10. ^ 週刊現代2011年02月21日
  11. ^ 共同通信2005年9月11日[リンク切れ]
  12. ^ 朝日新聞 2005年9月18日
  13. ^ a b 朝日新聞 2005年12月10日
  14. ^ a b c d e THE JOURNAL2006年2月23日
  15. ^ “要人会談が突然キャンセル 「前原外交」は空振りに”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年12月13日). http://www.47news.jp/CN/200512/CN2005121301002835.html 2012年11月18日閲覧。 [リンク切れ]
  16. ^ “中国脅威論は撤回せず 前原代表「権益で衝突も」”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年12月17日). http://www.47news.jp/CN/200512/CN2005121701001091.html 2012年11月18日閲覧。 
  17. ^ 産経新聞 2009年1月24日朝刊
  18. ^ 食料の国内生産及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案 (日本語) (2006-3-16). 2009年5/10 閲覧
  19. ^ a b 【全文掲載】民主党「前原誠司」前代表糾弾メールを入手、2008年6月13日
  20. ^ (2008-6-17). 2009年8/3 閲覧
  21. ^ [1]
  22. ^ 日テレNEWS242009年2月4日
  23. ^ 衆議院会議録予算委員会2009年2月4日
  24. ^ 西松建設裏金:「合法でも問題ある」前原氏、小沢代表に苦言 - 毎日jp 2009年3月14日 2009年5月21日閲覧。
  25. ^ 【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久”. 産経新聞. 2009年5月5日閲覧。
  26. ^ Manifesto マニフェスト 2009 (PDF) - 民主党公式サイト内、両ダムの中止については4ページ目に記述がある。
  27. ^ “前原国交相:八ッ場ダムの建設中止を明言 現地視察の方針”. 毎日新聞. (2009年9月17日). オリジナル2009年9月22日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090922213939/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090917k0000m010135000c.html 2009年10月15日閲覧。 
  28. ^ 平成21年度におけるダム事業の進め方などに関する前原国土交通大臣のコメント (PDF)”. 国土交通省. 2009年10月15日閲覧。
  29. ^ 長井ダムはその後事業を継続し、2011年(平成23年)に完成した。
  30. ^ 2009年10月10日毎日新聞
  31. ^ “国の空港整備勘定、抜本見直し表明=「不採算空港の原因」-前原国交相”. 時事通信. (2009年9月27日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009092700053 2009年10月15日閲覧。 
  32. ^ “前原国交相:「羽田をハブ空港に」 来年10月、D滑走路完成機に”. (2009年10月13日). オリジナル2009年10月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091016025324/http://mainichi.jp/select/biz/news/20091013dde001010019000c.html 2009年10月15日閲覧。 
  33. ^ “【羽田ハブ空港化】前原発言に石原知事「うれしい」”. 産経新聞. (2009年10月14日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091014/lcl0910141423002-n1.htm 2009年10月17日閲覧。 
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  37. ^ “関空「ハブ空港でないなら金出さぬ」 国交相に橋下知事”. 産経新聞. (2009年10月12日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091012/lcl0910121134000-n1.htm 2009年10月17日閲覧。 
  38. ^ “橋下知事「関空9億円は見直す」 羽田のハブ空港化は評価も”. 産経新聞. (2009年10月12日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091013/lcl0910131306003-n1.htm 2009年10月17日閲覧。 
  39. ^ 大和田武士 鹿野幹夫『「ナリタ」の物語』崙書房、2010年、119-121頁。
  40. ^ 羽田、国際化でハブ機能回復傾向 地方から乗り継ぎ増加
  41. ^ デルタ航空、「成田離れ・ソウルシフト」の理由”. 東洋経済 (2016年10月3日). 2017年10月19日閲覧。
  42. ^ 成田を抑えた仁川空港…米航空会社が「日本スルー」”. 中央日報 (2017年11月20日). 2017年11月21日閲覧。
  43. ^ “視察で前原国交相「関空フル活用を」、橋下知事「伊丹縮小は中途半端」”. 産経新聞. (2009年12月14日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091214/lcl0912141234000-n1.htm 2010年6月9日閲覧。 
  44. ^ “持ち株会社設立で関空と伊丹を統合 国交省方針固める”. 産経新聞. (2010年4月24日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100424/plc1004241140007-n1.htm 2010年6月9日閲覧。 
  45. ^ “高速新料金で前原氏が小沢氏を批判「二律背反だ」”. 産経新聞. (2010年4月23日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100423/plc1004231138010-n1.htm 2010年4月24日閲覧。 
  46. ^ 共同通信2003年12月22日
  47. ^ 共同通信2010年5月18日
  48. ^ asahi.com2010年6月28日
  49. ^ 天皇陛下特例会見:元首相、自民党も要請…前原国交相発言 毎日新聞 2009年12月15日
  50. ^ なお2011年には玄葉光一郎が47歳で外相となった
  51. ^ “尖閣諸島漁船衝突事件 前原外相「国内法にのっとって粛々とやる」”. フジニュースネットワーク. http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00184771.html 2010年9月20日閲覧。 
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外部リンク[編集]


公職
先代:
古川元久
日本の旗 国務大臣国家戦略担当
第6代:2012年
次代:
廃止
先代:
古川元久
日本の旗 内閣府特命担当大臣経済財政政策
第18代:2012年
次代:
甘利明
先代:
古川元久
日本の旗 内閣府特命担当大臣科学技術政策
第20代:2012年
次代:
山本一太
先代:
細野豪志
日本の旗 内閣府特命担当大臣原子力行政
第2代:2012年
次代:
廃止
先代:
古川元久
日本の旗 内閣府特命担当大臣宇宙政策
第2代:2012年
次代:
山本一太
先代:
岡田克也
日本の旗 外務大臣
第145代:2010年 - 2011年
次代:
松本剛明
先代:
金子一義
日本の旗 国土交通大臣
第12・13代:2009年 - 2010年
次代:
馬淵澄夫
先代:
林幹雄
日本の旗 内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策
第14・15代:2009年 - 2010年
次代:
馬淵澄夫
先代:
林幹雄
日本の旗 内閣府特命担当大臣防災
第15代:2009年 - 2010年
次代:
中井洽
党職
先代:
蓮舫
民進党代表
第3代:2017年
次代:
大塚耕平
先代:
岡田克也
民主党代表
第5代:2005年 - 2006年
次代:
小沢一郎
先代:
玄葉光一郎
民主党政策調査会長
第11代:2011年 - 2012年
次代:
細野豪志
先代:
仙谷由人
凌雲会会長
第2代:2011年 -
次代:
現職