松野頼久

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日本の旗 日本の政治家
松野 頼久
まつの よりひさ
生年月日 1960年9月19日(53歳)
出生地 日本の旗 熊本県山鹿市菊鹿町
出身校 慶應義塾大学法学部
前職 日本新党職員
新進党職員
細川護煕衆議院議員秘書
所属政党 日本新党→)
新進党→)
フロム・ファイブ→)
民主党→)
日本維新の会
称号 学士(慶應義塾大学・1987年
親族 松野長八(曾祖父
野田卯太郎(曾祖父)
松野鶴平祖父
野田俊作大おじ
松野頼三
塚田徹(義兄
公式サイト 衆議院議員 松野 頼久

選挙区 熊本1区→)
比例九州ブロック(熊本1区)
当選回数 5回
任期 2000年6月26日 - 現職
所属委員会 国家基本政策委員会(理事)
議員会館 衆議院第1議員会館312号室
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松野 頼久 (まつの よりひさ、1960年9月19日 - )は、日本政治家日本維新の会所属の衆議院議員(5期)、日本維新の会国会議員団幹事長(第2代)。元日本維新の会国会議員団代表(初代)。

民主党では鳩山由紀夫の最側近の1人であり、鳩山由紀夫内閣内閣官房副長官政権公約を実現する会(鳩山グループ)幹事長・事務局長を務めた。

父は防衛庁長官農林大臣労働大臣総理府総務長官を歴任した元衆議院議員の松野頼三

来歴[編集]

熊本県山鹿市菊鹿町生まれ。父は松野頼三1987年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。父・頼三が、元熊本県知事日本新党を結党した細川護煕の政治的な後見人であった縁で日本新党に入党し、1993年より日本新党本部に勤務する。1994年、日本新党の解党に伴い新進党結党に参加し、同党事務局に勤務。1997年、細川の新進党離党に伴い自身も新進党を離れ、フロム・ファイブを結党した細川の秘書に転じる。

細川は自身が結党したフロム・ファイブのほか新党友愛民政党旧民主党に合流させ、民主党結党に尽力したが、その直後、還暦を理由に衆議院議員を辞職。細川の議員辞職に伴う衆議院熊本県第1区補欠選挙に民主党公認で出馬したが、自由民主党公認の岩下栄一に敗れ、落選。2000年第42回衆議院議員総選挙に再び熊本1区から民主党公認で出馬、岩下を破り初当選した。以後、熊本1区で連続4選。

2009年鳩山由紀夫内閣内閣官房副長官に任命され、鳩山内閣メールマガジンでは編集長を務める。2010年6月8日の鳩山内閣総辞職に伴い、官房副長官を退任した(後任は古川元久)。同年9月の民主党代表選挙では、現職の菅直人首相の再選を阻止するため立候補した小沢一郎の推薦人に名を連ねるが、小沢は菅に敗れた。同年10月、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に反対する民主党議員の勉強会「TPPを慎重に考える会」の立ち上げに参加し、同会幹事長に就任する(ただし、後にTPP推進を主張する橋下徹が代表を務める日本維新の会に入党した)。

2011年7月、政権公約を実現する会(鳩山グループ)幹事長に就任。同年9月、野田佳彦民主党代表の下で民主党国会対策副委員長に就任したが、直後の第178回国会の会期延長をめぐって松本剛明加藤公一両国対委員長代理と共に辞表を提出し[1]、党内に混乱をもたらしたとして輿石東幹事長より1ヶ月間の謹慎処分を課された[2][3]。同年12月、小沢一郎を会長に結成された新しい政策研究会に参加し、役員(オブザーバー)に名を連ねる。

2012年6月、消費税増税法案を含む社会保障・税一体改革関連法案について、反対する意向を表明[4][5]。衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では反対票を投じた。

同年9月、民主党に離党届を提出し、日本維新の会結成に参加した(民主党は松野の離党届を受理せず、除名処分を下した)。同年10月、日本維新の会国会議員団代表に就任。同年11月、太陽の党の日本維新の会への合流に伴い、国会議員団代表には平沼赳夫経済産業大臣が就き、松野は国会議員団幹事長に就任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、熊本1区で自民党元職の木原稔に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、5選。

政策・主張[編集]

人物[編集]

家族・親族[編集]

所属団体・議員連盟[編集]

論文[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
松本純
日本の旗 内閣官房副長官
(政務担当・衆議院)

2009年 - 2010年
次代:
古川元久
党職
先代:
(創設)
日本維新の会国会議員団代表
初代:2012年
次代:
平沼赳夫
先代:
松浪健太
日本維新の会国会議員団幹事長
第2代:2012年 -
次代:
(現職)