鴻池祥肇

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日本の旗 日本の政治家
鴻池 祥肇
こうのいけ よしただ
Yoshitada Konoike IMG 5812 20130714.JPG
2013年参議院議員選挙の選挙演説にて
生年月日 (1940-11-28) 1940年11月28日(76歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県尼崎市
出身校 早稲田大学
前職 尼崎港運株式会社
尼崎青年会議所理事長
日本青年会議所会頭
所属政党 自由民主党麻生派
称号 教育学士(早稲田大学)
全日本剣道連盟剣道六段
親族 父・鴻池勝治
公式サイト 鴻池祥肇

内閣 第1次小泉第1次改造内閣
在任期間 2002年9月30日 - 2003年9月22日

選挙区 兵庫県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1995年7月23日 - 現職

選挙区 旧兵庫2区
当選回数 2回
在任期間 1986年7月8日 - 1993年6月18日
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鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年11月28日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(4期)、参議院国際経済・外交に関する調査会長。

社団法人日本青年会議所会頭、衆議院議員(2期)、防災担当大臣第1次小泉第1次改造内閣)、内閣官房副長官麻生内閣)などを歴任。

兵庫県尼崎市出身。兵庫県立神戸高等学校早稲田大学教育学部卒業。

政歴[編集]

日本青年会議所会頭を経て、1986年第38回衆議院議員総選挙旧兵庫2区より初当選。党内では河本派に属し、沖縄開発政務次官などを務める。1993年第40回衆議院議員総選挙で落選後、1995年第17回参議院議員通常選挙にて参議院議員に転じた。1996年6月から1997年6月まで参議院建設委員長1999年8月参議院国旗及び国歌に関する特別委員長、2000年12月から2002年9月まで自民党参議院国会対策委員長を務め、2002年9月30日発足の第1次小泉改造内閣で、構造改革特区担当大臣、防災担当大臣として初入閣(翌2003年6月、青少年育成推進本部副本部長(担当大臣)職追加、同年9月22日、内閣再改造により大臣退任)。2003年9月から2005年10月まで参議院決算委員長[要出典]

参議院議員転身後は無派閥を通していたが、2006年、国会議員以前から盟友関係にある麻生太郎麻生派を旗揚げする際にこれに参加し、同派副会長に就任した。2007年9月、参議院予算委員長に就任。予算委員会は国会中継等の報道において最も露出の多い委員会であり、政権与党の議員がその委員長ポストを占めるのが通例であったが、同年の参議院選挙の結果同院では与党が過半数割れとなり、院内第一党となった民主党と第二党となった自民党との間で同委員長職がポスト争いとなったことで注目された[要出典]

2008年9月、麻生内閣内閣官房副長官(政務担当)に就任。その後、間質性肺炎のため入院、2009年5月13日に辞職した。後述の女性関係のスキャンダルが原因ではないかといわれるが、麻生首相はあくまで健康問題が原因であるとの見解を示した[要出典]

郵政民営化反対[編集]

郵政国会において当初は「郵政民営化法案は議論が不十分であり、どちらかと言えば、消極的反対である。」と主張していたが、自民党執行部が造反者に除名を含めた厳しい処分をちらつかせ締め付けを強めると、これに反発。第1次小泉改造内閣成立当時からの盟友である青木幹雄片山虎之助らの説得を受けるが意見を覆さず、態度を硬化させ、讀賣テレビ放送たかじんのそこまで言って委員会』で、真っ先に郵政民営化法案反対を打ち出した。放送は中部地方から西日本の地域限定での放送(当時)だが、全国紙に発言が記事に載るなど物議を醸した。

2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議では反対票を投じた。その際、メディアのインタビューにて、「(執行部の締め付けに屈して法案を可決させた)衆院は、フライパンの上でバタバタしているヒヨコのようだ」「郵政法案は、船全体が沈もうとしているときに、船長室のペンキを塗りなおしているようなものだ」と法案を批判したが、小泉純一郎衆議院解散させ、メディアが一斉に自民党圧勝の予想を伝え始めると、選挙投票日3日前の9月9日に、それまでの意見を一転させ、2005年衆院選で与党が過半数を維持した場合、選挙後の特別国会に提出される郵政民営化法案に「民意」を尊重して賛成すると意思を表明した[1][2]。この後、同様に法案に反対票を投じた中曽根弘文も賛成の意思を表明し、続々と反対していた他の参議院議員たちも「民意」という言葉を口に出し態度を変えていった[3]

会期延長への批判[編集]

2007年6月安倍内閣第166回国会での国家公務員法改正案成立を指示したため、自由民主党国会会期延長の検討を始めた。しかし、会期延長を行うと第21回参議院議員通常選挙の日程が変更(1週間繰り延べ)される見通しとなったため、鴻池は「日程的には100%不可能な法案を無理に参院へ送って成立をさせよ、その為には『参院選挙』の日程も変更してでもとは…。」[4]と嘆き、総理大臣官邸スタッフに対し「苦労知らずの『仲良し官邸団』の諸君よ。参院は官邸の下請けと違うんやで」[4]と苦言を呈した。また、第21回参議院議員通常選挙の見通しとして「参院選挙の会期延長した時は、2回とも大敗してる」[4]とも指摘した。

政治資金に関する不祥事への批判[編集]

第21回参議院議員通常選挙での与党敗北の一因として、相次いで発生した安倍内閣閣僚の不祥事を指摘している。「自民惨敗の大要因である『政治と金』の風邪発熱が安倍内閣の閣僚に次々と感染し」[5]ていると批判し、事務所職員が党の政治資金を私的流用していた内閣官房長官塩崎恭久に対し「だらし内閣感冒長官」[5]と揶揄している。

予算委員長時代の活動[編集]

2007年9月に予算委員長に就任[要出典]

2008年3月には、野党側が当初衆議院での与党側の単独採決に抗議し審議拒否したのに対抗して、委員長職権で3日間にわたり委員会の開催を決定、全閣僚及び与党委員を出席させ、野党側の出席を促したが、日本共産党を除く野党が欠席したため定足数に満たず委員会は流会となっている[要出典]

2008年3月14日の予算委員会で、国土交通副大臣松島みどり津田弥太郎の質問に対する答弁が自己の選挙区の事情を述べるなどして長くなった[6]揮発油税暫定税率への見解変化に関する質問であったが、話が原発周辺の緊急用道路整備に飛ぶに及んで鴻池も目に余ると判断し、松島に簡潔に答えるよう指示した[6]。しかし、松島は答弁を継続[6]。結局、「答弁を打ち切りなさい!」と鴻池が何度も大声で命令したにも関わらず、松島は与党理事が直接制止するまで答弁を続けたため、「予算委員会を冒涜した」として委員長権限で異例の委員会出入り禁止処分を受けた。委員会審議終了後に松島は謝罪に訪れたが鴻池には会えず、鴻池は「私が委員長の間は委員会室に入れない」と述べた[7]。これに対し、野党である民主党から鴻池の対応を評価する声が上がった。

参議院幹事長への指名~否決[編集]

2011年9月、辞意を表明した参議院幹事長・小坂憲次の後任に参議院議員会長の中曽根弘文から指名され、中曽根は「鴻池幹事長・山本一太政策審議会長」の人事案を自民党参議院特別総会に提出したが、票数は賛成31・反対41・無効6で人事案は否決された。結局中曽根は町村・額賀・古賀3派が推す溝手顕正を参議院幹事長に、岩城光英を参議院政審会長に起用したため、鴻池の参院幹事長就任はならなかった[要出典]

参議院議員会長選挙~落選[編集]

2013年7月26日、参議院議員会長・中曽根弘文の後任を決める選挙に立候補[8]。同年7月30日、選挙において31票を獲得するも、対立候補で82票獲得の溝手顕正に敗れた[9]

政策[編集]

発言[編集]

  • 2003年7月11日、閣議後の記者会見で長崎男児誘拐殺人事件について「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ」「親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と発言[12]。当時、鴻池は閣僚であり青少年育成推進本部副本部長を務めていたため、この発言が物議を醸した。一方で、一部報道では鴻池の発言を支持する声も多数寄せられたと伝えられた[13]
  • 2003年7月18日の衆議院予算委員会にて、東京都で発生した4女児監禁事件(プチエンジェル事件)に触れ、「少女4人も、加害者か被害者か分からない」と発言[14]。委員長の藤井孝男から真意を問いただされ、発言を撤回した[14]
  • 2008年12月6日大分県杵築市の講演で、「『日教組が悪い』という中山さん(中山成彬)は正しい。文部科学省、あんな役所いらんと思うくらい、ろくなやつがおらん」と述べ日教組や文部科学省を批判。同月8日、内閣官房長官河村建夫から注意を受けた[15]。鴻池は、「擁護はしていないが極めてうちわの会合で、自分の気持ちを吐露した。大分県は教育が非常に混乱しているので批判した」「日本の教育問題は、すべて日教組が悪いわけではないが、その一因があるとの思いが強い表現になった」としている[15]
  • 2013年11月7日為公会の会合で、園遊会の席上今上天皇に書簡を手交し、のち右翼団体を称する人物から折り畳みナイフが郵送された山本太郎について「天誅を加えるべきだ」、14日の会合でも「切腹用の刀が送られたそうだ」「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と発言[16]
  • 2015年9月19日、参院特別委員会委員長として、いわゆる平和安全法制の参議院での審議を務めた。委員会での法案通過前夜、反対する野党議員に理事会室前を埋め尽くされた際には、部屋から出て委員会室に向かうことを「君みたいに大きな人が出ていって女性が倒れてケガをしたらどうするのか」として、開始予定時間から約22時間に渡って拒み続けた。鴻池は前後し、「時には野党寄りと非難されたが、どうしても不備な答弁が目立った気がする。今後、謙虚に(批判に)もう一度耳を傾けてもらいたい」と発言した[17]

不祥事[編集]

女性問題[編集]

  • 2009年1月15日発売の「週刊新潮」に、鴻池官房副長官の「議員宿舎」に泊まる超一流企業の「美人妻」と題した写真付きの記事が報じられた。同日、内閣官房長官河村建夫から首相官邸に呼び出され、「政府の中枢にある人が誤解されるのは不適切だ」と厳重注意を受けた。
  • 2009年1月22日発売の「週刊新潮」に、「議員宿舎妻鴻池官房副長官に今度は機密漏洩疑惑」との記事が掲載された。
  • 2009年5月13日発売の「週刊新潮」に、4月28日に女性と静岡県の熱海温泉へ旅行、30日まで同じ部屋で宿泊し、その際、国会議員に与えられるJR無料パスを使ったことを報じた記事が掲載された。同時期は新型インフルエンザの緊迫した時期でマスコミなどから批判された。

こうした状況を受け、首相の麻生太郎はあくまで健康問題が原因の辞任であるとの見解を示したものの、事実上は一連の不祥事の責任を取る形で内閣官房副長官更迭した[18][19]。その後、自民党兵庫県連は鴻池を処分として最も重い除籍とした。県連によれば、所属国会議員の除籍は初めて。その後、2010年8月30日に県連復帰が決まった[20]

略歴[編集]

家系[編集]

大伯父は、鴻池組の創業者で関西の侠客として知られた鴻池忠治郎。祖父は、忠治郎の弟で同じく侠客の鴻池藤太郎。父は、尼崎鴻池組や尼崎港運社長を経て尼崎市議、兵庫県議を務めた鴻池勝治[21]

戦国大名尼子氏の家臣山中幸盛(鹿介)の子孫を自称している[22]

建設会社の鴻池組は、明治四年に鴻池忠治郎が建設と運輸をおこなう会社として創業したもので、鴻池善右衛門一族による鴻池財閥とはまったく無関係である[23]

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 『いま、日本病を撃て 傍観者の時代への訣別』(徳間書店、1980年)
  • 『お天道さんは見てござる』(幻冬舎ルネッサンス)

脚注[編集]

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  1. ^ 参院反対派の鴻池氏、郵政法案賛成に 青木氏と会談”. asahi.com (2005年9月9日). 2009年8月16日閲覧。
  2. ^ 参院・鴻池氏一転「郵政」賛成へ、与党過半数条件に”. YOMIURI ONLINE (2005年9月9日). 2009年8月16日閲覧。
  3. ^ 中曽根氏、郵政法案に賛成表明 法案成立は決定的”. asahi.com (2005年9月13日). 2009年8月16日閲覧。
  4. ^ a b c 「鴻池だより第345号」『鴻池祥肇』鴻池事務所、2007年6月20日
  5. ^ a b 「鴻池だより第349号」『鴻池祥肇』鴻池事務所、2007年8月22日
  6. ^ a b c 国会会議録 169 - 参 - 予算委員会 - 8号 平成20年03月14日 2011年8月1日閲覧
  7. ^ 参院予算委:松島副国交相、長広舌過ぎて出入り禁止!―制止聞かず鴻池委員長、激怒”. 毎日新聞社 (2008年3月15日). 2008年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月27日閲覧。
  8. ^ http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2600Y_W3A720C1EB1000/
  9. ^ http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS3002H_Q3A730C1000000/
  10. ^ a b 2013年参院選候補者アンケート、毎日新聞
  11. ^ 選択的夫婦別姓を認める民法の一部改正反対に関する請願、第174回国会、請願516号
  12. ^ “「犯罪者の親を打ち首に」 鴻池氏が問題発言”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年7月11日). http://www.47news.jp/CN/200307/CN2003071101000159.html 2013年4月10日閲覧。 
  13. ^ 鈴木伸元「加害者家族」(幻冬舎新書、82ページ)
  14. ^ a b “加害者か被害者か分からず 女児監禁事件で鴻池氏”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年7月18日). http://www.47news.jp/CN/200307/CN2003071801000390.html 2013年4月10日閲覧。 
  15. ^ a b “中山氏問題で鴻池副長官を注意 日教組批判で河村長官”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年12月8日). http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008120801000379.html 2013年4月10日閲覧。 
  16. ^ 山本太郎氏に「切腹用の刀」 自民・鴻池元防災相 産経新聞 2013年11月14日
  17. ^ “(安全保障法制)不意打ち、前夜計画 「質疑する」油断させ採決”. 朝日新聞. 朝日新聞. (2015年9月18日). http://digital.asahi.com/articles/DA3S11970465.html 2015年9月19日閲覧。 
  18. ^ 姑息な解散しない-河村官房長官 「鴻池氏は更迭」と認識 共同通信 2009年5月17日
  19. ^ 鴻池官房副長官が辞任”. 産経新聞 (2004年10月6日). 2009年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月13日閲覧。
  20. ^ “自民・鴻池氏が兵庫県連に復帰” (日本語). 四国新聞社. (2010年8月31日). http://www.shikoku-np.co.jp/national/political/print.aspx?id=20100831000212 2013年10月27日閲覧。 
  21. ^ 鴻池だより” (2004年10月6日). 2008年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月27日閲覧。
  22. ^ こうのとりが運ぶ国会通信 第218号 2005年8月8日
  23. ^ 広瀬隆 「持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち」306頁
  24. ^ a b c d 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年

外部リンク[編集]

議会
先代:
設置
参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員長
2015年
次代:
廃止
先代:
溝手顕正
日本の旗 参議院国家基本政策委員長
第13代:2010年 - 2011年
次代:
鈴木政二
先代:
尾辻秀久
日本の旗 参議院予算委員長
2007年 - 2008年
次代:
溝手顕正
先代:
中原爽
日本の旗 参議院決算委員長
2003年 - 2005年
次代:
中島真人
先代:
永田良雄
日本の旗 参議院建設委員長
1996年 - 1997年
次代:
関根則之
公職
先代:
村井仁
日本の旗 特命担当大臣(防災)
第3代:2002年 - 2003年
次代:
井上喜一
先代:
創設
日本の旗 構造改革特区担当大臣
初代:2003年
次代:
廃止
先代:
岩城光英
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当・参議院)
2008年 - 2009年
次代:
浅野勝人