古池信三

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古池 信三(こいけ しんぞう、1903年4月3日1983年10月7日)は、昭和期の日本政治家官僚郵政大臣KDD(現・KDDI)会長・社長。1974年勲一等旭日大綬章受章。岐阜県高山市名誉市民(1974年)。

来歴・人物[編集]

岐阜県大野郡高山町(現・高山市)に、生菓子店経営・広瀬末吉の二男として生まれる。のちに母方の伯父・古池喜代次郎の養子となった。養子となった古池家は清和源氏村上氏流の庶流で、美濃国恵那郡を本拠としていた一族だといわれている。旧制斐太中学校(現・岐阜県立斐太高等学校)、第一高等学校を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、逓信省に入省する。運輸通信省大臣官房秘書課長、札幌逓信局長を経て、戦後商工省電力局長となるが(前任者荒木万寿夫の推薦によるという)、古池が立案した電源開発計画を巡ってGHQと対立し、名古屋商工局長に左遷される。

1950年、同郷で面識のあった大野伴睦の勧めにより、名古屋通産局長を退任し、第2回参議院議員通常選挙自由党から岐阜選挙区にて立候補し当選を果たす。以後当選4回。通産政務次官、参院法務委員長を経て、1963年第2次池田第3次改造内閣にて郵政大臣となる。在任中は日米相互間のテレビ衛星中継を実現させ、また太平洋横断ケーブルを開通させた。

その後は参院予算委員長、自由民主党参院議員副会長、党両院議員総会会長等を歴任し、1974年財界出身の藤井丙午に選挙区を譲り政界を引退する。1975年よりKDD会長を務めるが、1979年KDD事件が発生すると、板野学社長の引責辞任を受けて社長を兼任、事態収拾に尽力し、1980年に社長・会長を退任、顧問となる。

1983年10月7日、心筋梗塞のため逝去。享年80。重厚かつ清廉な政治家であった。

趣味は謡曲観世流)、常盤津節など。

文献[編集]