細田博之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼: 細田 博之の画像提供をお願いします。2014年4月
日本の旗 日本の政治家
細田 博之
ほそだ ひろゆき
生年月日 (1944-04-05) 1944年4月5日(72歳)
出生地 日本の旗 日本 島根県松江市
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員通商産業省
所属政党 自由民主党細田派
称号 法学士(東京大学・1967年
親族 細田吉藏
公式サイト 細田博之オフィシャルウェブサイト

日本の旗 第70・71代 内閣官房長官
内閣 第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
在任期間 2004年5月7日 - 2005年10月31日

日本の旗 内閣府特命担当大臣
(男女共同参画担当)
内閣 第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
在任期間 2004年5月7日 - 2005年10月31日

日本の旗 個人情報保護担当大臣
内閣 第1次小泉改造内閣
在任期間 2003年6月6日 - 2003年9月22日

内閣 第1次小泉内閣
在任期間 2002年9月30日 - 2003年9月22日

選挙区 島根県全県区→)
島根1区
当選回数 9回
在任期間 1990年 - 現職
テンプレートを表示

細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年昭和19年)4月5日 - )は、日本政治家、元通産官僚自由民主党所属の衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第54代)、清和政策研究会会長。島根県松江市出身。

自民党幹事長(第43代)、自民党国会対策委員長(第46代)、内閣官房長官(第7071代)、沖縄及び北方対策担当大臣科学技術政策担当大臣個人情報保護担当大臣内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)、自民党幹事長代行(第3代)、自民党島根県連会長を歴任した。

行政管理庁長官防衛庁長官運輸大臣を歴任した細田吉蔵は父。

来歴・人物[編集]

東京教育大学附属駒場高等学校(現筑波大学附属駒場高等学校)、東京大学法学部卒業。1967年、東大法学部を卒業し通商産業省に入省する。同期には日産自動車副会長の伊佐山建志井出亜夫などがいた。

入省後は産業政策局物価対策課長などを務め、1986年に退官。父・吉蔵の議員秘書を経て、1990年衆議院選挙島根県全県区から立候補し、竹下登に次ぐ2位で初当選(当選同期に福田康夫岡田克也佐田玄一郎亀井久興中谷元森英介石原伸晃河村建夫小林興起塩谷立古屋圭司松岡利勝小坂憲次山本拓赤城徳彦村田吉隆簗瀬進山本有二など)。1996年第41回衆議院議員総選挙以降は小選挙区比例代表並立制導入に伴い、島根1区から出馬し通算9期連続当選を果たす。

2002年第1次小泉改造内閣で、科学技術政策担当大臣沖縄北方対策担当大臣として初入閣。内閣官房副長官であった2004年、年金記録問題で辞任した福田康夫の後任として副長官から内閣官房長官に昇格した。以後は自民党国会対策委員長、自民党経理局長などを経て、2007年に自民党幹事長代理に就任する。

2007年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟・自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、副委員長に就任した。

2008年9月、総裁麻生太郎の下、自民党幹事長に就任。

2009年7月、第45回衆議院議員総選挙にて選挙対策本部長代理及び選挙対策委員長を兼務。同年9月、総選挙敗北のため党幹事長と選挙対策委員長を引責辞任。

2012年9月、自民党総務会長に就任した。自民党幹事長経験のある自民党総務会長は森喜朗以来14年ぶり。同年12月、自民党幹事長代行に就任する。

2014年12月、それまで会長を務めていた町村信孝衆議院議長に就任したことに伴い、所属派閥である清和政策研究会の会長に就任した。

2016年8月3日、自民党総務会長に就任する[1]

政策[編集]

科学技術[編集]

第1次小泉改造内閣科学技術政策担当大臣に就任し、内閣府総合科学技術会議を主宰した。

細田は北朝鮮を巡る核開発についても分析を行い、その見識に驚いたアメリカ合衆国国家安全保障会議アジア部上級部長のマイケル・グリーンはノート持参で細田の解説を聴きに通ったという。その際、グリーンに同席した駐日アメリカ大使のハワード・H・ベーカー・ジュニアは、細田のことを政治家ではなく原子力工学の専門家だと思っていたという[2]。なお細田は以前は北朝鮮への経済制裁に慎重な立場を取っていたが、北朝鮮問題に関わる中で後に賛成に転じている。

沖縄対策[編集]

第1次小泉改造内閣では科学技術政策の他、沖縄及び北方対策担当大臣を兼任し、 その経験から稲嶺恵一や沖縄問題の研究者とも交流がある。

また内閣官房長官就任後、米軍基地再編問題に対し下記案(国防総省では「細田私案」と呼称)を提示した。

  1. 1万4000人をグアムに移転させ沖縄駐留アメリカ兵の大幅削減
  2. 沖縄中南部の基地返還によるアメリカ軍基地の整理統合
  3. 那覇空港第二滑走路建設による沖縄の経済振興

普天間基地移設先については、名護市辺野古としている[3]

食品安全[編集]

米国産牛肉輸入再開問題では、内閣官房長官として外務大臣町村信孝と連携し、通商代表部国務省ホワイトハウス、国家安全保障会議を相手に交渉を続けた。その際には、科学的データに基づく説得をアメリカに対し繰り返した。交渉相手である国務長官コンドリーザ・ライスは細田を「He is so smart.」と評している[2]

その他[編集]

発言[編集]

  • 2009年7月24日に党本部で記者会見した際、麻生首相への批判的な意見に対して「『字が読めない』『ぶれた』なんて言って楽しんでいる。党役員人事だろうが閣僚人事だろうがどうでもいいことだ」と前置きした上で、「だけど、その方がみんな面白いんだから。それは日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない。」と国民有権者を批判し、さらに「そういうことしか、主として取り上げない。電話で調査して支持率は何%と、いいかげんにしてくれという感じだ。聞いて意味がありますか」と内閣支持率の調査という一般的な世論調査の結果報道を批判した。そのあと「真意ではない」として一連の発言を撤回した[5]
  • 2013年7月22日夜、BSフジLIVE プライムニュースに出演した際、「憲法は不磨の大典ではない。法令の一つだ。日本国憲法というと立派そうだが、日本国基本法という程度のものだ」と述べた[6]
  • 2016年3月24日に行われた細田派の会合で、大西英男衆院議員(東京都第16区)が北海道第5区の補選の応援のために現地入りした際、神社巫女に自民党公認候補の支持を依頼したが「自民はあまり好きじゃない」と断られたというエピソードを紹介、「巫女さんのくせになんだと思った」と発言した。このとき、細田は「出雲の人からみるとはらはらした。東日本の人は頭に浮かんだらすぐに発言してしまう。言動、行動は十分に注意いただきたい」となどと大西に対して発言した[7]

エピソード[編集]

2008年10月1日の衆議院本会議場で、国務大臣の演説に対する質疑の最後を、「出雲弁講座」と称し出雲弁でありがとうを意味する「だんだん」で締めた事がある。

ピアノを趣味としており、ピアニストの中村紘子からは、感受性が強く音楽的な演奏、中村もびっくりするぐらいロマンティックなもの、と評された[8]。そのほか読書、トランプコントラクトブリッジを趣味とする。

90年衆院選当選同期である福田康夫の数少ない側近であり、福田からの評価も高い。福田が内閣官房長官を務めた際は、細田が内閣官房副長官としてコンビを組んだ。福田の内閣官房長官辞任後は、後任として細田が就任している。細田の内閣官房副長官、内閣官房長官への就任にあたっては、福田による内閣総理大臣小泉純一郎への推薦があった。また、福田が自由民主党総裁に就任した際は、細田を自由民主党幹事長代理に指名し、内閣改造に伴う執行部人事刷新時も、細田を幹事長代理として留任させた。

内閣官房長官就任後は、ブッシュ政権下のアメリカ政府関係者から「歴代最高の官房長官」との賛辞を受けた[2]大下英治によれば、小泉の秘書官だった飯島勲は「総選挙(第44回衆議院議員総選挙)圧勝の政府側の影の最大の功労者」と評価している。総選挙中に地元へ戻らず、小泉遊説中の行政が停滞しないよう努めた。また、8月下旬の台風上陸などでも関係閣僚への連絡等で小泉内閣の危機管理に貢献した。

年譜[編集]

その他[編集]

  • 公用車の運転委託業務の入札にまつわる談合疑惑を持たれている企業の1つである日本道路興運[9]から1996年〜2003年の間に献金を受け取っていたとしんぶん赤旗に報じられた[10][11][12]。細田は「献金額が限度額を超えれば違反になるが、(私は)受ける側なので知りえる立場にない」と述べ、規制法の違法献金を受けたの罰則規定に関しては「受ける側に故意があれば当然だが、(自分には)そのような故意はなかった」と説明した[13]。献金の返還については言及していない[12]

主な所属団体・議員連盟[編集]

家族・親族[編集]

実家
  • 吉蔵(官僚、政治家)
  • 母 静子(島根県、升田憲元の六女)
自家
  • 一男一女

系譜[編集]

細田家
宮脇道生 著『細田吉蔵・全人像』134-136頁によると、
「細田家は戦国時代毛利氏中国地方の覇権を争った尼子一族の武将小笠原家の家臣だった。一旦帰農後、商業へ進出し回船問屋として成功したが、明治維新で没落し倒産する。やむなく松江に出て、今度は屋を開き、豪商の域にまでのし上がった。」という。
吉蔵は屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋に生まれ、東京帝国大学法学部卒業後、鉄道省に入省。退官後は衆議院議員となり、行政管理庁長官、 防衛庁長官、 運輸大臣等を歴任した。
 升田憲元━━━━━━静子      ┏細田博之
           ┣━━━━━━━┫
┏細田義一郎━━━細田吉蔵      ┗女
┃         
┃         
┗細田六助

その他[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 自民党総務会長に細田元官房長官
  2. ^ a b c 天川由記子「官邸『秘密外交の真実』」週刊文春(文藝春秋)、2006年
  3. ^ a b c d “2012衆院選 島根1区 細田博之”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A32001003003 2013年1月17日閲覧。 
  4. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  5. ^ “細田・自民幹事長:「首相ぶれた」と皆、楽しんでいる 「国民程度表す」”. 毎日新聞. (2009年7月25日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090725ddm002010094000c.html [リンク切れ]
  6. ^ 「世界の潮流は原発推進」自民・細田氏 朝日新聞デジタル2013年7月23日
  7. ^ “自民・大西氏「巫女のくせに」 自民好きでないと言われ”. 朝日新聞. (2016年3月24日). http://www.asahi.com/articles/ASJ3S5R81J3SUTFK00X.html 2016年3月25日閲覧。 
  8. ^ 『演奏家人生50年「中村紘子」私の知られざるエピソード』 週刊新潮2009年9月24日号
  9. ^ “公用車談合で10社に課徴金30億円 公取委”. iza! (産業経済新聞社). (2009年5月23日). http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/257293/ 2009年11月23日閲覧。 
  10. ^ 給与肩代わり 日本道路興運 政界と深い関係 自民に3年で1200万円献金”. しんぶん赤旗 (2004年5月20日). 2009年6月25日閲覧。
  11. ^ 給与肩代わりの日本道路興運献金 細田長官ら訂正で違法に 規正法 限度額超える”. しんぶん赤旗 (2004年5月24日). 2009年6月25日閲覧。
  12. ^ a b “談合疑惑企業からの献金、小渕少子化相は返還へ”. 産経新聞. (2009年6月23日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090623/crm0906232121035-n1.htm 2009年6月25日閲覧。 
  13. ^ 日本道路興運の違法献金問題 細田官房長官会見で弁明”. しんぶん赤旗 (2004年5月25日). 2009年6月25日閲覧。
  14. ^ 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
  15. ^ 「安倍政権中枢に カジノ議連メンバーずらり」、しんぶん赤旗 2014年9月9日
  16. ^ 公式プロフィール

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
福田康夫
日本の旗 内閣官房長官
第70・71代:2004年 - 2005年
次代:
安倍晋三
先代:
福田康夫
日本の旗 特命担当大臣男女共同参画
第5・6代:2004年 - 2005年
次代:
猪口邦子
先代:
尾身幸次
日本の旗 沖縄及び北方対策担当大臣
第3代:2002年 - 2003年
次代:
茂木敏充
先代:
尾身幸次
日本の旗 科学技術政策担当大臣
第3代:2002年 - 2003年
次代:
茂木敏充
先代:
創設
日本の旗 個人情報保護担当大臣
初代:2003年
次代:
茂木敏充
先代:
安倍晋三
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当・衆議院)
2003年 - 2004年
次代:
杉浦正健
党職
先代:
麻生太郎
自由民主党幹事長
第43代:2008年 - 2009年
次代:
大島理森
先代:
塩谷立
二階俊博
自由民主党総務会長
第51代:2012年
第54代:2016年 -
次代:
野田聖子
現職
先代:
菅義偉
自由民主党幹事長代行
第3代:2012年 - 2016年
次代:
下村博文
先代:
古賀誠
自由民主党選挙対策委員長
2009年(代行)
次代:
一時廃止 → 河村建夫
先代:
中川秀直
自由民主党国会対策委員長
第46代:2005年 - 2006年
次代:
二階俊博
先代:
町村信孝
清和政策研究会会長
第9代:2014年 -
次代:
現職