藤田幸久

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日本の旗参議院議員 藤田 幸久
生年月日 (1950-04-19) 1950年4月19日(67歳)
出身地 茨城県日立市
出身校 慶應義塾大学文学部
学位・資格 文学士
前職 衆議院議員
NGO理事
所属委員会 外交防衛委員会(委員)
東日本大震災復興特別委員会(委員)
国際経済・外交に関する調査会(理事)
世襲
選出選挙区 茨城県選挙区
当選回数 4回(衆2回:1996年 - 2000年2003年 - 2005年)(参2回:2007年 - 2013年・2013年 - 現在)
所属党派 旧民主党→)
民主党→)
民進党
党役職 民進党ネクスト外務大臣、国際局顧問、茨城県連会長代行
会館部屋番号 参議院議員会館914号室
ウェブサイト 藤田幸久公式WEBサイト
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藤田 幸久(ふじた ゆきひさ、1950年(昭和25年)4月19日 - )は、日本政治家民進党所属の参議院議員(2期)、民進党国際局長。

衆議院議員(2期)、財務副大臣参議院国家基本政策委員長、参議院財政金融委員長を歴任した。

経歴[ソースを編集]

慶應義塾大学文学部哲学科を卒業。大学卒業後はMRAの活動に参加し、世界各国を巡っていたという。

1984年、国際MRA日本協会専務理事(後に国際IC日本協会)専務理事、1986年にMRAコー日米欧経済人円卓会議コーディネーターに就任。

1996年旧民主党に入党。第41回衆議院議員総選挙比例東京ブロック単独で出馬して初当選。

2009年、民主党による政権交代が実現すると、鳩山由紀夫の外交政策に深く関わり、外遊などにも随行する。

2000年第42回衆議院議員総選挙では東京12区から出馬したが、自由民主党八代英太郵政大臣に敗北。落選中は鳩山由紀夫民主党代表の下で政策顧問を務める。

2003年第43回衆議院議員総選挙では公明党太田昭宏に東京12区で敗れたが、比例復活により3年ぶりに返り咲きを果たした。同年民主党国際局長、文化団体局長に就任。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案の採決で賛成票を投じた公明党の太田、反対票を投じた自民党の八代、藤田の3人が東京12区から出馬し(八代は公認を得られず無所属で出馬)、太田が当選。藤田、八代は共に落選する。

2006年2009年まで聖学院大学非常勤講師。

2007年第21回参議院議員通常選挙では小林元参議院議員が引退した茨城県選挙区から出馬し、参議院で初当選した。外交防衛委員会理事、拉致問題特別委員会委員長、明日の内閣防衛副大臣。

2007年9月20日、藤田の公設秘書が覚せい剤取締法違反などの現行犯で逮捕されたため、明日の内閣防衛副大臣などの役職を辞任した。

2008年参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長に就任。

2008年2009年、民主党ネクスト内閣防衛副大臣、参議院外交防衛委員会理事、参議院北朝鮮拉致問題等特別委員長に就任。

2009年に民主党国際局長に就任。

2010年に参議院財政金融委員長に就任。国家公務員宿舎を4分の1減らし、家賃を値上げする抜本的な改革案をまとめる。主計担当の副大臣として東日本大震災の復興支援の予算をとりまとめる。[要検証 ]

2011年には野田内閣財務副大臣に就任した。

2013年、参議院財政金融委員長に就任。 第23回参議院議員通常選挙において、茨城県選挙区で204021票を獲得し、2回目の当選。 参議院国家基本政策委員長、財政金融委員会委員。

2014年、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会理事、外交防衛委員界委員、東日本大震災復興特別委員会委員、ネクスト防衛副大臣、ネクスト内閣府特命担当副大臣(拉致担当)、厚生労働委員会委員として、前年に削減された産婦人科帝王切開手術料の診療報酬の引き上げを提案し、2016年の改定で引き上げが実現する。[要検証 ]

2015年、民主党国際局長、ネクスト内閣府特命副大臣(沖縄及び北方対策)、予算委員会委員、外交防衛委員会委員、沖縄及び北方問題特別委員会理事に就任。横浜国立大学非常勤講師。

2016年3月27日に民進党結党。民進党国際局長、民進党ネクスト外務副大臣、民進党北関東ブロック常任幹事、予算委員会委員、憲法審査会委員。 政府開発援助(ODA)等に関する特別委員会理事として、「G7伊勢志摩サミット、第六回アフリカ開発会議(TICADVI)及び「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」に向けた我が国の開発政策に関する決議」を取りまとめ、採択する。[要検証 ]

2016年7月26日~28日、米国の民主党大会に民進党を代表して出席。外国人の出席は限られている中、長年のネットワークを駆使して入場券を取得して4日間出席した。日本からは民進党の二人の国会議員のみが出席できた。[要検証 ]

2017年9月、民進党ネクスト外務大臣、国際局顧問。参議院国際経済・外交に関する調査会理事、外交防衛委員会委員。民進党茨城県連会長代行。

岐阜女子大学特別客員教授、岐阜女子大学南アジア研究センター員、21世紀教育研究所理事。

政策・主張[ソースを編集]

その他[ソースを編集]

国会における活動[ソースを編集]

1 対人地雷禁止活動 [ソースを編集]

「難民を助ける会」時代から、カンボジアでの身障者難民に日本からの車イスを届けるなどの支援活動を行ってきたが、衆議院議員初当選直後から対人地雷禁止活動に取り組んだ。超党派の対人地雷全面禁止推進議員連盟の事務局長として、日本政府がオタワ条約に調印するようNGO、在日外交官、メディアなどと協力して幅広い運動を展開した。その結果超党派の385名の国会議員が賛同して署名し、橋本龍太郎首相や小渕惠三外相がオタワ条約加入を決定し、1997年12月に小渕惠三外相がカナダのオタワでの対人地雷禁止条約に調印した。藤田は後にクラスター爆弾問題にも取り組み、同爆弾禁止条約などの軍縮交渉で、「唯一の被爆国として人道性をもっと前面に出した外交をしてほしい」と日本政府に要請した。[要検証 ]

2 外国人元捕虜支援活動[ソースを編集]

藤田は、超党派議員連盟を含め、NPOや学者の人々とも連携し、連合軍元捕虜(POW)の支援活動を行ってきた。特に、日本政府がイギリス、オーストラリア、オランダの元捕虜の招聘活動を行ってきたのに対し、アメリカの元捕虜だけは、かつて日本企業に対する戦争中の強制労働に対する謝罪と賠償を求める訴訟をおこしたという理由で除外してきたことを改めるよう日本政府に要請した。自民党の谷川和穂玉沢徳一郎議員や、民主党羽田孜議員などの支援も得て、日本政府は2009年8月の2010年度予算の概算要求で初めてアメリカ元捕虜の招聘事業を計上し、2010年秋から毎年アメリカ人元捕虜の来日が実現している。藤田は来日する元捕虜と国会議員との交換会を毎年国会内で開催するほか、元捕虜が労役した旧日立鉱山や飛行機から不時着した霞ヶ浦などへの訪問にも同行している。[要検証 ]

2008年11月13日、参議院外交防衛委員会麻生鉱業戦時中、連合国捕虜を使役した事実があるかどうか首相麻生太郎に質した。麻生首相は「当時4~5歳で認識するには早すぎる」と回答した。

2008年12月19日、ニューヨーク・タイムズノリミツ・オオニシは、藤田にインタビューを行い、藤田の説明に基づいて麻生鉱業の捕虜使役問題の記事を掲載した[2]。2008年12月厚労省は、旧麻生鉱業が連合軍捕虜を労役させていた事実が、旧政府自身の資料で明らかになったとの調査結果を発表した。2009年1月6日麻生太郎首相は衆院本会議での民主党議員への答弁で、親族が経営していた旧「麻生鉱業」で第2次大戦中に連合軍捕虜が働いていたことを初めて認めた。外務省は、それまで麻生鉱業が戦争中に捕虜を働かせていたとの米メディア報道への反論をウェブサイトに掲載していた。{{要検証範囲しかし、厚生労働省が前年12月に英国とオランダ、オーストラリアの捕虜300人が同社の炭鉱で働いていたことを示す文書を公開したことを受け、外務省はウェブサイトに掲載していた記述を削除した|date=2017年4月}}。厚労省が公開した文書によると麻生鉱業で働いていたオーストラリア人捕虜2人が死亡した。[要出典]

2009年1月29日以来、藤田は戦時中の連合国捕虜使役問題に関する質問主意書を三度提出した。

2009年3月9日の参議院予算委員会で、藤田は2006年11月に、「インターナショナル・ヘラルドトリビューン」紙の「麻生鉱業がアジア人と西洋人の強制労働者を使っていた」という記事に対し、麻生外相は反論を掲載するようニューヨークの日本総領事館に公電で指示したが、いかなる証拠に基づくものかを質した。これに対し麻生首相は、「報道記事への対応という限られた時間の枠内で素早く必要な調査を行った」「当時の対応としては、必ずしも政府全体としては十分ではなかった」と説明した。(雑誌「世界」2009年5月号「史実検証麻生鉱業の消せない過去」)

2009年4月、藤田は「史実検証麻生鉱業の消せない過去」という論文を雑誌「世界」5月号に寄稿した。①豪州に生存する麻生鉱業の元捕虜数名が、国営テレビや有力紙で証言した他、元捕虜の娘が麻生外相に直接手紙を送った。②米国有力紙「インターナショナル・ヘラルドトリビューン」紙の「麻生鉱業がアジア人と西洋人の強制労働者を使っていた」という記事に対し、麻生外相は反論を掲載するようニューヨークの日本総領事館に公電で指示した。③日米の学者[誰?]が、麻生鉱業自身が作成した捕虜関係資料などを麻生外相事務所に提出していた、ことなどを指摘した。

2009年5月20日、藤田は民主党戦後処理プロジェクトチームの捕虜問題小委員会の幹事長に就任[3]

2009年6月、藤田は来日中の、戦時中に麻生鉱業で使役されたオーストラリア人の元捕虜ジョー・クームズ氏に会うよう麻生太郎首相に求めたが実現しなかった。しかし、江田五月参議院議長、鳩山由紀夫民主党代表、福島瑞穂社会民主党党首らとの会談を実現させた。 クームズ氏に同行して麻生鉱業の捕虜収容所のあった福岡県桂川町を訪ね、戦中、戦後に白人捕虜達と会ったり、交流したことのある住民達との再会が実現した。当時子供であったこれらの人々は、捕虜たちが開墾作業や水汲みを行っていたこと、そして終戦後は援助物資のチョコレートやガムと卵や鶏などを捕虜達と交換していたことなどを懐かしく語り感動的な交換ができた。

2010年1月29日、藤田は戦時中の連合国捕虜使役問題に関する質問主意書を提出し、戦時中に連合軍捕虜が日本で使役されたことを外交問題として政府に認めさせようとした[4]が、政府は国際条約、国際事業、賠償問題の全てに対応済みであることを返答した[5]

2010年2月6日、藤田はアジア太平洋資料センター内海愛子理事らと「麻生鉱業捕虜使役問題に関する報告会・記者会見」を開催した。

2010年2月9日、藤田は再度の質問主意書を提出し、「外務省外交史料館が保管する外交記録から「戦時捕虜に関する資料及び関係の文書」の目録および、麻生鉱業に関する文書を提示することを要求した[6]。「戦時捕虜に関する資料及び関係の文書」の目録について「御指摘の「文書」を含むものを特定するためには膨大な作業を要するため、お尋ねについて網羅的にお答えすることは困難である。」と回答された。また、麻生鉱業に関する文書については「旧麻生鉱業における朝鮮人労働者労働の実態を把握できる資料は、厚生労働省及び外務省にて確認した範囲では見当たらなかった。」[7]

3 韓国人元BC級戦犯の支援活動

戦犯(戦争犯罪人)は、A級とBC級の二種に大別される。A級は極東国際軍事裁判(東京裁判)において平和に対する罪(侵略戦争の計画、準備、開始、遂行および共同謀議)等を犯したものとして有罪判決をうけた戦争指導者たちで、東条英機ら25名である。一方、BC級戦犯は特定の地域で「通例の戦争犯罪(捕虜虐待や一般民衆の拷問、強姦など戦時の法規または慣例に違反する行為)」を犯し、各連合国の軍事裁判で有事判決を受けた人々を指す。

BC級戦犯の中には、当時併合していた朝鮮の朝鮮人と旧植民地出身の台湾人がいた。朝鮮人台湾人の戦犯は、日本人が「内地送還」になる際、一緒に日本へ送還され、巣鴨プリズンに収容された。(李鶴来著「韓国人元BC級戦犯の訴え」)

藤田は、この韓国人などの元BC級戦犯に対する支援活動に数年間取り組んできた。そのきっかけが、朝鮮半島出身のBC級戦犯の一人李鶴来さんである。彼は17歳で日本軍の軍属となり、捕虜監視員としてタイの戦場に送られ、タイ・ビルマ国境の鉄道建設現場で働く捕虜を監視した。過酷な労働やコレラなどの伝染病で、多くの捕虜が亡くなった。捕虜を虐待したBC級戦犯として、敗戦後連合国側の軍事裁判で死刑判決を受けた。死を覚悟したが、一転、減刑に。56年、31歳で東京の「巣鴨プリズン」を出所した。すると1952年のサンフランシスコ平和条約の発効で、李さんら植民地出身者は日本国籍ではなくなっていた。日本人の軍人や軍属が受けられる補償や援護の対象外とされた。朝鮮半島出身の元戦犯の中には生活苦に陥って自殺してしまう人もいた。

李さんは、日本政府に補償や援護を求めて動きはじめた。91年に補償などを求めて起こした訴訟は、99年に最高裁で敗訴したが、裁判所は立法措置による解決を促した。李さんらは政府や国会に、元戦犯らを支援する法制定を働きかけ続けてきた。(李鶴来著「韓国人元BC級戦犯の訴え」)

藤田はこの問題に関して国会の委員会で三度質疑を行った他(参議院予算委員会、外交防衛委員会議事録)、この二年間日韓・韓日議連の委員会でも取り上げ、韓国側からもBC級戦犯に対する支援の要請が行われた。

2015年に国際IC活動推進議員連盟(河村健夫会長、国際MRA活動推進議連から変更)が開催した元オーストラリアの捕虜による講演会に、李さんも飛び入りで出席し、捕虜監視員時代の捕虜に対する扱いを謝罪した(藤田幸久公式ホームページ)。

それも一つの縁で、2016年春に藤田が李氏を河村健夫議員と会談させたことを契機に、日韓議員連盟としてBC級戦犯を支援する法案の検討PTが設置され、10月28日には同連盟の役員会として超党派で法案を提出することが決定された(日韓議員連盟資料)。

4 自然災害援助活動と緊急援助活動の改善策の提言

藤田は、国会議員となってから、2004年のスマトラ沖津波・地震、2005年のパキスタン地震、2006年のジャワ島地震、2010年のハイチ大地震の際に民主党の調査団、支援団などを編成し、自ら現地に入り、調査・支援活動を行った。そして、こうした調査、支援活動後には様々な提案を政府に対して行い、以下のような成果をもたらした。

1 2004年のスマトラ沖津波・地震の際、日本政府による犠牲者のご遺体確認が、ご家族や外交官による直接確認という時代遅れの方法をとっていた。ご家族によるご遺体確認は最終確認のときだけに限るという国際基準にも反するために、DNAや歯型などによる科学的方法をとるという国際水準に乗っ取った体制作りを提案し(民進党ホームページ)、2011年のニュージーランド地震からはこれらの専門家を被災地の現場に派遣する体制が取られた。

2 2005年のパキスタン地震で日本の緊急援助隊が民間機を乗り継いだため現地入りが発災から72時間を超えたため、民間機だけでなくチャーター機を活用して現地到着を早める体制を提案し、その後そうした体制が整えられた(民進党ホームページ)

3 2010年のハイチ大地震の際に、緊急援助隊が携行しようとする麻酔薬の一部に経済産業省が輸出を禁止する成分が含まれているという理由で麻酔薬を携行せず、国境なき医師団から麻酔薬を借りて治療にあたった(民進党ホームページ)。 藤田がこの改善を要請した結果、関係省庁が協議し、一年がかりで人道援助目的の麻酔薬の携行を可能にする改正を行った。

5 9.11テロの検証とテロ被害者支援[ソースを編集]

アフガニスタンの子供に学校建設

2002年9月11日に東京芸術劇場で「明るい社会作りの会」(実行委員長:小山宙丸元早稲田大学総長)主催のチャリティ・コンサートが開催された。アフガニスタンの子供達を支援するという目的で、その収益700万円で翌2003年8月にはバーミヤンに「希望小学校」が完成した。藤田はこの年6月にアフガニスタンを訪問したが、この主催者から、9.11の1周年に犠牲者を追悼するチャリティーコンサートを開催したいので、その募金の受け皿となる学校作りのプロジェクトを探してほしいという依頼を受けた。「なぜアメリカでの犠牲者の追悼にアフガニスタンを?」と藤田が尋ねると、主催者からは「9.11とは何の関係もないアフガニスタンの子供達が犠牲になったのは心が痛みます。その子供達を支援しようということになったのです」という衝撃的な答えが返ってきた。藤田はシュハダ・オーガニゼーションというNGOの代表で、人権委員会委員長でもある女医のシマ・サマルさんに協力を要請し、バーミヤンに小学校を建設する話をまとめることができた。

藤田はまた、9.11の日本人被害者24人のご家族の方々数人と面会した。その一人に、一人息子の敦さん(36歳)を失った白鳥晴弘さんがいた。白鳥さんは、オサマ・ビンラディンのような男が「なぜこのようなことをしたのか?」という強い怒りから、「ビンラディンに会いたい」、そして彼に直接それを確かめたいとの思いで、パキスタンに飛ぶ。そこで、カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」の特派員に「私はアメリカが絶対の正義だとは思わない。しかし息子はあなたが起こしたテロで殺された。あなたの本意を聞かせてほしい」というビンラディン当ての手紙を手渡した。そこからアフガニスタンに飛んだ白鳥さんは、米軍の圧倒的な戦力と、空爆の犠牲者や貧困などの対比を見て「世界の富は偏りすぎている。自爆テロも空爆も、子供に責任はない。悪いのは大人達と政治だ」と感じた。そして、「報復によらないテロの撲滅こそが息子の遺志ではないか」との思い出たびたびアフガニスタンを訪れて、子供の教育支援活動を続けている。

藤田は、こうした悲しみと憎しみの連鎖が世界中に広がっているのを断ち切るためにも、9.11事件の真相を解明しなければならないとの思いを深めた(藤田幸久編著『9.11テロ疑惑国会追求 オバマ米国は買われるか』)

テロは戦争ではなく犯罪だが、9.11は武力攻撃とする福田総理

2007年11月28日の参議院本会議で藤田は新テロ特別措置法に関する質問を福田康夫首相に対して行った。「総理、テロリズムは犯罪ですか、それとも戦争、つまり武力紛争ですか?(中略)テロとの戦いとは、誰の誰に対する戦いですか?これが不明確であるが故に、「不朽の自由作戦」(OEF)が「無差別、報復的」になり、(中略)最近の軍事活動は、むしろテロを誘発し、憎しみの連鎖をもたらしています。対テロ戦争のあり方の検証と見直しが必要と思われますが、お答えください」

藤田の質問に対して、福田首相は次のように答えた。

「国際社会は、いわゆる典型的なテロ行為に該当するものについてはこれを犯罪とし、(中略)これを処罰するための法的枠組みを着実に整備してきております。(中略)他方、9.11テロ攻撃は、高度の組織性、計画性が見られるなど、通常のテロの事例とは次元が異なり、国連憲章第51条による武力攻撃に当たるものと考えられます。(中略)この米国の行動は適法な自衛権の行使であると考えております。」

新テロ特別措置法案に関して、政府は「ニューヨークの同時多発テロで24人の日本人が犠牲になったんです。テロとの戦いは他人事ではなく、日本自身の問題なんです!」とテロとの戦いの意義を強調するものの、肝心の同時多発テロの根拠については、「ブッシュ大統領がこう発言した」、「アメリカ政府の発表によれば~」、といった他人事のような答弁に終始した。(2007年11月28日参議院本会議議事録)

テロ犯人の捜査も、日本人被害者の遺体確認も求めない日本政府

2008年1月10日の参議院外交防衛委員会で、藤田は福田首相他の閣僚に質問した。NHKのテレビ中継入りだった。藤田は、世界貿易センターやペンタゴンの写真パネルを使ってそれまで欧米の政治指導者などが指摘した様々な疑問点について質問したが、日本政府の対応で重要な点が以下のようにいくつか明らかになった(2008年1月10日の参議院外交防衛委員会議事録)。

日本人犠牲者24人のうち、遺体確認がされないために米国の裁判所によって死亡宣告がされている犠牲者が11人いるが、日本政府はその方々の資料すら持っていない。DNA鑑定が行われたかについても、「そう推測できる」という答弁である。

その後、藤田は政府に対する質問主意書を三度提出したが、それに対する政府の答弁は、テロという国家に対する犯罪にもかかわらず(藤田の質問に対して、福田総理は、テロは犯罪であると答弁している)、日本側捜査当局は他の犯罪で行うような厳密な捜査活動は行わず、その後も捜査情報などを米国当局に求めたり、事故調査委員会に説明も求めた様子もない。24人の犠牲者の遺族に対しても適切なケアも行っていない。現地領事館が米国の各機関から入手した分厚い英語の書類を遺族に送りつけたり、年に一度の追悼行事に案内するといった程度のことしかやっていないことも明らかになった。(藤田幸久質問主意書、3回)

欧州議会で講演

2008年2月26日、藤田はベルギーのブリュッセルの欧州議会会議場で開かれた、「9.11独立調査を求めるヨーロッパ」というパネル・ディスカッションにパネリストとして出席した。欧州各地から焼く150人の政治家、ジャーナリスト、学者、NGO活動家、アーティストなどが出席した。藤田が招かれたのは、1月10日の参議院外交防衛委員会での質問のNHKのテレビ中継入りの中継映像が、英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、イタリア語、スロバキア語に翻訳されて世界に伝わったことからだった。

藤田は東京での『9.11犠牲者追悼チャリティー・コンサート』によるアフガニスタンの子供のための支援活動や、9.11の日本人犠牲者が24人いるが、その犠牲者の死亡状況、犯罪としてのテロの捜査、犯人や事件概要など、まるで明らかにされていない事実を検証する責任が日本政府にもあると述べた。(藤田幸久編著『9.11テロ疑惑国会追求 オバマ米国は買われるか』)

ドイツ連邦銀行総裁が確認したインサイダー取引

藤田はこの後、ロンドンで当時ドイツ連邦銀行総裁だったエルンスト・ウェルテケ氏と会談した。ウェルテケ氏は9.11直後に開かれた欧州財務大臣・中央銀行総裁会議の席上、「9.11テロの前後にインサイダー取引が行われた形跡がある」と発言していたので、そのことを確認した。ウェルテケ氏は、「確かに、そうした発言をしました。当時の市場は非常に不可解な動きを見せていたのです」と語り、当時のドイツ連銀の調査で、ハイジャックされた2つの航空会社や、世界貿易センター内の大きなテナント企業へのプット・オプションが大量に買われていることが判明したことを再確認してくれた。プット・オプションというのは、あらかじめ決められた価格で株を購入する権利のことで、値下がりした分だけ儲けになる。各種報道などによれば、9.11直前の数日間にシカゴ・オプション取引所(現シカゴ・マーカンタイル取引所)で、ユナイテッド航空の親会社に通常の180倍、アメリカン航空の親会社に120倍のプット・オプション取引があり、英国、スイス、香港、日本などでも同じような動きがあったとされている。両航空会社は9月17日にそれぞれ43%と39%下落した。この計算によればオプション購入者が得た利益は150億ドルに達するとみられる。ウェルテケ氏は当時、これらの航空会社だけでなく、原油や金相場でもテロ後値上がりを見込んだと思われる異常な値動きが見られたと語っている。(藤田幸久編著『9.11テロ疑惑国会追求 オバマ米国は買われるか』)2008年藤田は第169回国会外交防衛委員会において、アメリカ同時多発テロに関して、『九・一一に疑問を呈する発言』(アメリカ同時多発テロ事件陰謀説を参照)などの資料を配布して、政府の認識を追及した。この答弁の中で、高村正彦外務大臣が「国連においても九・一一というのは、まさにそういういわゆる謀略によって何かアメリカが自作自演でやったというふうには全くとらえられていないわけでありますし…」と発言し、石破茂防衛大臣が「私は、日本政府としては今外務大臣がおっしゃったとおりであります。私自身そういうものをまた時間があればよくきちんと検証してみたいなと思います」と同調すると、藤田は「私は謀略とも自作自演とも言っておりませんが、そういう表明があったということは、アメリカの謀略、自作自演ということの潜在意識があるのでは」と述べて討論を締めくくった[8]

2008年1月24日、週刊文春が『「9・11」陰謀説をブチあげた民主 藤田幸久に「あの人ダイジョブ?」』と記事にすると、藤田は『私は誰かの陰謀などと言及したことはありません。2008年4月24日の参議院外交防衛委員会での私の質問に対し、石破防衛大臣が陰謀論とか言う言葉を用いているのです。』と反論した[9]

毎日新聞客員編集委員の岩見隆夫は、「藤田質問(アメリカ同時多発テロ事件陰謀説)はまったく異なる二通りの反応があった。一つは、「あの人ダイジョウブ?」の見出しで報じたように、荒唐無稽扱い。もう一つは、藤田さんのもとへの激励メールだった。日本と違って、欧米の有力者たちは9.11への疑念について、おおっぴらに明快に発言している。」と述べ[10]、2008年4月に藤田が著した「9.11テロ疑惑・国会追及―オバマ米国は変われるか?」の出版記念会で藤田と対談している。

2008年10月22日参議院本会議で、河村建夫官房長官に、9.11事件で亡くなった日本人24人やその家族に対する支援を要請したのに対し、河村長官は、海外でテロ被害に遭った邦人について、国内の犯罪被害者と同じ救済措置を受けられないか、検討するよう指示を出した[11]

2010年3月8日ワシントンポスト社説は、藤田がワシントンポスト紙による米同時多発テロの取材に対して『テロリストの犯行かどうかに疑問を挟んだ』『世界貿易センタービルの倒壊が(飛行機の衝突による)火災ではなく、起爆装置で起きた可能性がある』などと発言し、「株取引のもうけを狙った陰謀」の可能性を提起したことについて「こうした正気を失った過激派の空想に影響されやすい人物が、世界第2位の経済力を誇りにしている国の統治機関の中で重要な地位を占めている」「突拍子もなく、いい加減で、偽りがあり、まじめな議論に値しない」と酷評し、鳩山由紀夫総理大臣がこれら発言を容認すれば日米外交問題に発展すると警告した[12][13]

藤田はワシントンポスト紙に対して、「陰謀説とは一言も言っていない。発言を歪曲されている」と反論した[14]。藤田はワシントンポスト紙の「編集者への手紙」にその反論を英文で投書、同紙は3月13日付で藤田の反論と第2次大戦中に日本軍の捕虜となった元米兵士が書いた藤田を擁護する文章を「日本の政治家に関する扇動的で不公平な見方」との見出しで掲載した[15]。執筆した元米兵士はフィリピンでの「バターン死の行進」における捕虜で、米軍捕虜問題での藤田の活動を評価しているが、9.11問題に関する藤田の発言を直接擁護しているわけではない。

2010年3月9日、ワシントンポスト紙は「社説には歪曲や誤認はなく、訂正の必要はなにもない」と反論した。同誌は記事の根拠として『自身が東京で3月はじめに藤田議員にインタビューした際の発言』『藤田議員が出版した本での主張』『藤田議員のインターネットなどでの主張』の3点を挙げている[16]

民主党内ではワシントンポストの報道を受け、「日米関係は微妙であり、言動は慎重に」と総務委員長から口頭による“注意”を受けた[17]。また、鳩山首相は「藤田議員の個人的な見解であって、党の見解でもないし、ましてや政府の見解でもない」と発言した[18]

尖閣諸島問題[ソースを編集]

2010年9月の尖閣諸島沖における中国漁船衝突事件を受け、10月9日、超党派の国家主権と国益を守るために行動する議員連盟の一員として、原口一博総務大臣岩屋毅柿沢未途衆議院議員と共に小型飛行機で尖閣諸島を上空から視察。その後、中山義隆石垣市長や石垣海上保安本部、漁業関係者などと意見交換を行った[19]

人物[ソースを編集]

所属団体・議員連盟[ソースを編集]

著作[ソースを編集]

著書[ソースを編集]

  • 『9.11テロ疑惑国会追及 オバマ米国は変われるか』(編著、クラブハウス (き) 2009年)
  • 『国連と地球市民社会の新しい地平』(共著、東進堂 2006年)
  • 『政治家になりたくなかった政治家 NGOが政治を変える』(ジャパンタイムズ 2003年)
  • 『宗教が語る世界の平和』(編著、PHP研究所 1991年)
  • 『日本の進路を決めた10年』(翻訳書、ジャパンタイムズ1990年)
  • 『ソ連の反体制派たち』(翻訳書、サイマル出版会 1981年)

寄稿[ソースを編集]

  • 「内に強権政治、外に覇権主義を加速化するロシア」(『世界週報』2006年10月)
  • 「内に強権、外に大国のロシア」(毎日新聞「発言席」2006年9月)
  • 「Prime Minister Kishi's Diplomacy of Reconciliantion」(『Japanecho』2006年8月)
  • 「生かされない災害支援の教訓」(『世界週報』2006年8月)
  • 「岸信介・アジア和解外交の検証」(『中央公論』2006年6月)
  • 「インド洋大津波とパキスタン大地震の現場から」(『世界週報』2006年1月)
  • 「NGO外交が紛争解決の新たな担い手に」(『改革者』2002年6月)
  • 「報復の循環に代わる和解の循環」(『世界と議会』2001年11月)
  • 「戦後補償 米捕虜訴訟の政治的解決を」(朝日新聞「私の視点」2001年9月)

脚注[ソースを編集]

  1. ^ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
  2. ^ ニューヨーク・タイムズ 2008年12月19日
  3. ^ 戦後処理に関するPT捕虜問題小委員会発足のご挨拶とご協力のお願い
  4. ^ 戦時中の連合国捕虜使役問題に関する質問主意書 参議院
  5. ^ 参議院議員藤田幸久君提出戦時中の連合国捕虜使役問題に関する質問に対する答弁書 参議院
  6. ^ 戦時中の連合国捕虜使役問題に関する再質問主意書 参議院
  7. ^ 参議院議員藤田幸久君提出戦時中の連合国捕虜使役問題に関する再質問に対する答弁書 参議院
  8. ^ 第169回国会 外交防衛委員会 第8号 平成二十年四月二十四日(木曜日)
  9. ^ 9.11テロ疑惑関連資料集
  10. ^ サンデー毎日 2008年3月16日号「岩見隆夫のサンデー時評」
  11. ^ 2008年10月22日 参議院本会議
  12. ^ Wポスト紙、民主・藤田議員を酷評 同時多発テロ発言で 朝日新聞 2010年3月9日
  13. ^ ワシントンポストに掲載された原文 "A leading Japanese politician espouses a 9/11 fantasy" [1]
  14. ^ 民主・藤田参院議員 米紙の批判に「発言を歪曲され心外」
  15. ^ "An ‘inflammatory' and partial view of a Japanese statesman." The Washington Post, March 13, 2010. Accessed November 1, 2010. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/12/AR2010031204085.html
    日本語訳

    「日本のステーツマンに関する、扇動的で、不公平な見方」

    私は、3月8日付の社説『日本における有毒な思想』の誤った立場の訂正を求めます。

    まず初めに、私は、記述された参議院外交委員長ではなく、国際・地球温暖化問題に関する調査会という常任ではない調査会の、(長ではなく)6名の理事の1人です。 また民主党の国際局長は、貴記者が指摘したような、政策に責任を持つ職務でもありません。さらに、私は事前に合意していたインタビューのテーマである日本の移民政策について、私個人の立場で答えることに同意しており、記者もまた、それが党あるいは政府の立場ではなく私個人としての見解であることを了解していました。記者が、インタビュー後の雑談をこのような扇動的な形で掲載したことは、迷惑なことです。

    何よりも、私の見解が、アメリカ合衆国への「深い不信感」を現し、わが党と日本政府が「反米感情を反映している」という主張に対して強く抗議します。私は、米国の友人がたくさんおり、また何十年にもわたり二国間の掛け橋となるよう努めてきました。私は「陰謀」といったことを全く述べていないにも拘らず、「有毒な思想」、「陰謀論」、「知的ないんちき」、「狂った偏向的分子」、そして「向こう見ずで、事実を歪曲する」と描写して、私の信用を損ねたことに対し、謝罪を求めます。


    — 藤田幸久参議院議員

    私は、日本の藤田幸久氏に関するワシントン・ポストの社説を読んで驚きました。描かれた参議院議員の姿は私を悩ませました。しかし、それは話の全てではありません。藤田氏は、この65年間も元捕虜を苦しめてきた問題を解決して欲しいという私の訴えを聴いて下さった数少ない日本人の一人です。2008年1月に私は彼に日本の「平和友好交流計画」のことを話しました。この計画で日本政府は、これまでに1400万ドルを費やして1200名の元捕虜やその家族を日本に招いて和解を促進しました。藤田氏は、日本がこの計画からアメリカ人元捕虜を除外してきたことを知って当惑しました。彼はこの不正を正すことを約束しました。間もなく、藤田氏の粘り強く静かな努力を通して、日本政府は高齢となっている少人数のアメリカの元捕虜たちを日本に招くようです。この計画を拡大するいかなる試みも、彼の努力から来ることに疑いはありません。ワシントン・ポストの編集委員は藤田氏の話の一部を述べたに過ぎません。藤田氏の優れた仕事を見過ごしたことは残念なことです。

    — レスター・テニー(「バターン死の行進」生存者。バターン・コレヒドールのアメリカ守備隊元司令官)

  16. ^ Wポスト 「社説に誤認ない」 9・11見解 藤田議員へ反論
  17. ^ 民主、藤田国際局長を“注意” 米中枢同時テロ「陰謀」発言で
  18. ^ 鳩山もビックリ「9・11陰謀説」ブチあげた藤田議員って? zakzak 2010年3月10日
  19. ^ 原口前総務相ら超党派議員、空から尖閣諸島視察 読売新聞 2010年10月9日
  20. ^ a b 公式ホームページ プロフィール
  21. ^ 米大統領宛に集団的自衛権行使容認「不支持」を要請 蓮舫氏ら 産経新聞 2014年4月21日
  22. ^ https://www.eda-jp.com/katudo/2015/03/12.html
  23. ^ 藤田幸久オフィシャルサイト「未来を考える戦後補償議員連盟として李駐日韓国大使を表敬」

外部リンク[ソースを編集]

議会
先代:
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日本の旗 参議院国家基本政策委員長
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日本の旗 参議院財政金融委員長
2013年
2010年 - 2011年
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