古川禎久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本の旗衆議院議員 古川 禎久
生年月日 1965年8月3日(50歳)
出身地 日本の旗 宮崎県串間市
出身校 東京大学法学部
学位・資格 法学士
前職 国家公務員(建設省)
所属委員会 財務金融委員会(委員長)
世襲
選出選挙区 宮崎3区
当選回数 5回
所属党派 無所属→)
自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党(石破派[1]
党役職 宮崎県支部連合会特別顧問
自由民主党中央政治大学院副学院長
会館部屋番号 衆議院第2議員会館612号室
ウェブサイト 衆議院議員 古川禎久
テンプレートを表示

古川 禎久(ふるかわ よしひさ、1965年8月3日 ‐ )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(5期)。

来歴・人物[編集]

宮崎県串間市生まれ。ラサール高等学校東京大学法学部卒業。1989年、東大を卒業し建設省に入省したが、1992年に退官。

議員秘書を経て、1996年第41回衆議院議員総選挙には新進党公認、2000年第42回衆議院議員総選挙には無所属宮崎3区から出馬したが、自由民主党持永和見に敗れ落選した。2003年第43回衆議院議員総選挙に再び無所属で宮崎3区から出馬し、和見の息子で無所属の持永哲志を破り初当選する。当選後、追加公認を受けて自民党に入党し、橋本派(当時)に入会した。

2005年7月、衆議院本会議郵政民営化法案に反対票を投じた。そのため第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属で出馬する。宮崎3区で自民党公認の持永哲志、民主党外山斎を破り、再選。当選後、再提出された郵政民営化法案には一転、賛成票を投じた。2006年、自民党に復党届及び誓約書を提出。12月の党紀委員会で復党が認められ、自民党に復党した(郵政造反組復党問題)。

2007年8月、山崎派に入会。安倍改造内閣法務大臣政務官に任命される。翌2008年8月には、福田康夫改造内閣環境大臣政務官に就任する。

2009年第45回衆議院議員総選挙では宮崎3区から自民党公認で出馬し、3選。2010年、山崎派を退会し議員グループのぞみに参加。

2012年第46回衆議院議員総選挙では宮崎3区から自民党公認で出馬し、4選。自民党の副幹事長を務めていたが、第2次安倍内閣組閣時にその役職を外れた。その後は広報本部広報戦略局長、国会対策委員会副委員長。

2013年9月30日財務副大臣に就任。

2014年第47回衆議院議員総選挙では宮崎3区から自民党公認で出馬し、5選。2015年9月28日に発足した水月会(石破派)の初代事務総長に就任した[2]

政策・主張[編集]

エピソード[編集]

  • 政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している[5]
  • 2007年6月26日加藤紘一の新著「強いリベラル」の出版記念会見に後藤田正純と共に出席し、加藤を「本当の保守政治家だ」と称賛した[要出典]
  • 鳩山邦夫に近く、鳩山が主催する勉強会などの会合に定期的に参加していたが、鳩山が離党する際に他の側近と同様にこの動きに同調せず自民党に留まった。
  • 2011年9月14日の国会で、東日本大震災の際に、200億円の寄付をした台湾への政府としての感謝を促して、野田佳彦総理大臣(当時)に対し、「東日本大震災に対して台湾から寄せられた真心あふれる破格のご支援に対して、日本国として礼を尽くし、心からなる謝意を伝えるべきではないか。外交案件としてでなく、人としての道を申し上げている。台湾とは国交がないが、日本人が苦しみ嘆き悲しんでいる時に、最も親身になってくれた友人だ。それなのに政府は卑屈にも第3者の顔色をうかがうことに汲々とし、友人の真心に気付かないふりをしているのではないか」と発言した[6]。この発言は、2015年3月12日、台湾の大手新聞社自由時報で、東日本大震災から4年が経過したことに合わせて報じられた[6]

所属団体・議員連盟[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
林田彪
日本の旗 衆議院財務金融委員長
2014年 - 2016年
次代:
宮下一郎
公職
先代:
小渕優子
山口俊一
日本の旗 財務副大臣
愛知治郎と共同
2013年 - 2014年
次代:
御法川信英
宮下一郎
先代:
奥野信亮
日本の旗 法務大臣政務官
2007年 - 2008年
次代:
早川忠孝
党職
先代:
井上信治
自由民主党青年局長
2010年 - 2011年
次代:
小泉進次郎