串間市

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くしまし
串間市
Flag of Kushima Miyazaki.JPG
串間市旗
Symbol of Kushima Miyazaki.svg
串間市章
1955年昭和30年)7月13日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
団体コード 45207-6
面積 295.16km2
総人口 18,542
推計人口、2016年6月1日)
人口密度 62.8人/km2
隣接自治体 日南市都城市
鹿児島県志布志市
市の木 ソテツ
市の花 カンナ
他のシンボル 市の花木:ヤマザクラ
市の鳥:メジロ
串間市役所
所在地 888-8555
宮崎県串間市大字西方5550番地
北緯31度27分52.2秒東経131度13分42.2秒座標: 北緯31度27分52.2秒 東経131度13分42.2秒
串間市役所
外部リンク 串間市

串間市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

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串間市(くしまし)は、宮崎県の最南端に位置するである。

地理[編集]

宮崎県の最南端、県都宮崎市の南南西約70kmの場所に位置している。東部は日向灘、南部は志布志湾に面する。海岸沿いは日南海岸国定公園に指定され、幸島都井岬といった観光地がある。市域西部は鹿児島県と県境をなしている。市域全体において、あまり平坦ではなく、丘陵地帯が多い。

東西南北端[編集]

  • 東端:東経131度23分
  • 西端:東経131度09分
  • 南端:北緯31度21分
  • 北端:北緯31度39分

気候[編集]

夏は暑く、黒潮の影響により冬も比較的温暖である。夏から秋にかけては台風の通り道になることが多く影響を受けやすい。冬の温暖な気候を利用し、かつてはプロ野球チームの中日ドラゴンズが春季キャンプを行っていた。

隣接している自治体[編集]

地名[編集]

旧福島町
  • 高松
  • 西方
  • 奴久見
旧北方村
  • 秋山
  • 北方
  • 串間
  • 南方
旧大束村
  • 一氏
  • 大平
  • 大矢取
  • 奈留
旧市木村
  • 市木
旧都井村
  • 大納
  • 都井
旧本城村
  • 崎田
  • 本城
市発足後の追加町名
  • 寺里1丁目~2丁目(西方より。串間都市計画事業中央第一土地区画整理事業により1996年3月16日
  • 西浜1丁目~2丁目(西方より。串間都市計画事業中央第一土地区画整理事業により1996年3月16日
  • 東町(西方5700~6630、南方150~1940。串間都市計画事業串間駅東部土地区画整理事業により2004年10月22日

歴史[編集]

大覚寺義昭事件[編集]

室町幕府3代将軍足利義満の子・義昭(ぎしょう)が現在の串間市北方にある永徳寺にて自刃した事件。室町最後の将軍である足利義昭とは別人であり、区別するために「大覚寺義昭」とも呼ばれる。室町6代将軍足利義教とは兄弟関係であるが、義昭は義教に謀反の疑いをかけられ京から逃れた。各地を転々とした後、日向国櫛間(今の串間)を治める野辺氏を頼って永徳寺に身を潜めるも居場所を突き止められ、嘉吉元年(1441年)3月13日義昭は永徳寺にて自刃した。永徳寺の敷地内には義昭の墓といわれる五輪塔が建てられている。

義昭の記事も参照。

江戸時代[編集]

江戸時代鹿児島藩飫肥藩に隣接していたが高鍋藩の飛び地(櫛間領)であった。串間の統治に腐心した藩は、代官、郡代の制度の上に更に都合職なるものをおいて、統治の強化をはかった。

江戸時代の末期、串間から古代中国の王が権力の象徴として持っていたといわれる玉璧(ぎょくへき)が見つかったという記録がある。

近現代[編集]

市政[編集]

  • 市長:野辺修光

汚職[編集]

野辺は過去に2度市長を務め、2度とも不祥事に伴い辞職又は失職している。過去2度の事件は以下の通りである。

  • 1990年に市長選初当選を果たすものの、1992年に電算機導入をめぐる収賄容疑で逮捕されて辞任(後に有罪も確定)。当時、現職市長が収賄で逮捕されるのは、全国で初めてのケースであった。
  • 2000年に市長へ返り咲きを果たすものの、2002年に(返り咲き時の)選挙違反事件にからみ拡大連座制の適用を受け失職。現職市長が拡大連座制適用により失職するのは、これもまた全国で初めてのケースであった。野辺氏の失職を受けて、市長に立候補・当選したのが現市長の鈴木重格である。鈴木は当時(串間市選出)県議会議員であったため、議員を辞職しての立候補であった。その鈴木の辞職に伴う県議会議員補欠選挙に立候補したのが、失職間もない野辺である。選挙結果は野辺の圧倒的な勝利。野辺は以後も当選を重ねて現在に至っている。

市町村合併[編集]

2003年平成15年)2月17日 串間市・日南市・北郷町・南郷町の4市町で「南那珂地域任意合併協議会」を設置したが、同年中に協議会は解散し、当面単独市制を継続することとなった。

原発誘致をめぐる経緯[編集]

  • 1990年平成2年)5月30日、原発推進派の野辺、市長選にて勝利。10代串間市市長となる。
  • 1992年平成4年)、九州電力による、串間市への原発建設計画が表面化。
  • 1992年平成4年)10月5日、野辺が収賄容疑で逮捕される。それを受けた市長選にて、11月29日、山下茂が再選。11代串間市市長となる。
  • 1995年平成7年)4月23日、市議選にて、原発立地阻止JA連協が推薦した市議候補10人全員が当選する。同年9月26日、住民投票を市長裁量で実施できる条例改正案を市議会が賛成多数で可決。それを受けて12月1日、九州電力が立地活動凍結を宣言。
  • 1996年平成8年)11月29日、原発反対を掲げる山下、市長選にて三選。12代串間市市長となる。公約は、「原発誘致の是非を問う住民投票の開催を、就任後1年以内に行う」であった。
  • 1997年平成9年)3月、「串間原発立地を断念」と、九州電力副社長が明言。それを受けて山下は住民投票の予算を議会に計上せず、事実上の公約の撤回となる。
  • 1997年平成9年)7月28日、九州電力社長が「川内、玄海に加え第3の立地が必要」と発言。
  • 1997年平成9年)8月11日、「串間反原発住民投票対策本部」が原発誘致の是非を問う住民投票の即時実施を求める署名活動をスタート。
  • 1999年平成11年)4月、市議選にて、原発反対派議員が11人から5人に激減。
  • 1999年平成11年)6月、市議会にて1996年に可決された「原発立地反対決議」を撤回する決議を行う。14対5の賛成多数で可決。これにより「原発立地反対決議」は撤回された。
  • 1999年平成11年)9月20日、「串間市原発阻止JA青年部連絡協議会」が、串間原発立地の是非を問う住民投票実施の公約(96年11月選挙)が守られず、精神的苦痛を受けたとして山下茂市長に750万円の損害賠償を求めた裁判について宮崎地裁は、「串間市原発阻止JA青年部連絡協議会」の請求を棄却。「住民投票を実施するという約束は、選挙における公約でしかなく、司法上の契約ではない。」と判決。
  • 2000年平成12年)4月19日、串間市議会の企業誘致特別委員会は、原発誘致の方針を全会一致で確認。
  • 2000年平成12年)11月19日、任期満了にともなう串間市長選挙の投票が行われる。川崎永伯 3616票、野辺修光 9353票、田中勝 4159票という結果で、野辺が13代串間市市長となる。翌年1月、野辺は、「誘致は考えておらず、原発の是非を問う市民投票条例に対しても、自分から条例の廃止を持ち出す考えはない」と述べた。
  • 2001年平成13年)9月、野辺市長の元後援会会長が、串間市長選にて有権者16人に野辺市長への票の取りまとめを依頼、報酬として計24万円を渡した罪により、最高裁、2000年11月の宮崎県串間市長選に絡む公職選挙法違反事件で、野辺修光市長の当時の地区後援会会長を有罪判決。宮崎地方裁判所にて懲役2年、執行猶予5年、追徴金38万円の判決が確定。 
  • 2002年平成14年)1月25日、福岡高検が、2000年、11月の宮崎県串間市長選に絡む野辺市長の公職選挙法違反事件で、当時の地区後援会会長の有罪が確定した野辺市長について連座制適用を求めた件について、福岡高裁宮崎支部は福岡高検の請求どおり、野辺市長の当選を無効とし、串間市長選への5年間の立候補を禁じる判決を言い渡した。[1]

1994年の公選法改正以後、現職の自治体首長が連座制の適用を受け、当選無効の判決を受けるのは初めてのことだった。[2]

  • 2002年平成14年)2月4日、野辺修光市長は、福岡高裁宮崎支部の下した判決「当選無効と同市長選への立候補禁止」の判決に不服申し立て、最高裁に上告。しかし、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は6月6日、この上告を棄却、野辺市長は失職する。[3]
  • 2002年平成14年)7月8日、鈴木重格、市長選に勝利。14代串間市市長となる。
  • 2010年平成22年)7月、原発推進派であり「市民投票における推進と反対の決着」を公約に掲げた野辺が市長選三選。16代串間市市長となる。同年12月、原発誘致の是非を問う住民投票を提案し、可決された。4月10日に実施となる。

参考[編集]

公共機関[編集]

県の行政機関[編集]

  • 串間土木事務所
  • 串間警察署
    • 福島交番(西浜1丁目)
    • 市木駐在所 (大字市木)
    • 大束駐在所(大字奈留)
    • 北方駐在所(大字北方)
    • 高松駐在所(大字高松)
    • 本城駐在所(大字本城)
    • 都井駐在所(大字都井)

国の出先機関[編集]

防衛省

国立大学法人[編集]

郵便[編集]

郵便番号は888-****

  • 串間郵便局(集配局)
  • 都井郵便局(集配局)
  • 市木郵便局(集配局)
  • 串間今町郵便局
  • 串間上町郵便局
  • 本城平郵便局
  • 大束郵便局
  • 大平簡易郵便局

姉妹都市・提携都市[編集]

海外[編集]

地域[編集]

人口[編集]

Demography45207.svg
串間市と全国の年齢別人口分布(2005年) 串間市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 串間市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
串間市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 31,734人
1975年 30,038人
1980年 29,420人
1985年 28,328人
1990年 26,734人
1995年 25,243人
2000年 23,647人
2005年 22,118人
2010年 20,457人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

市立

これらの中学校は2017年に合併され、新設校は「串間市立串間中学校」とされる。 校歌は同市在住のシンガーソングライター、いであやか(都井中学校卒業)が作詞作曲した。

小学校[編集]

笠祇小学校

市立

  • 秋山小学校
  • 有明小学校
  • 市木小学校
    • 市木小学校築島分校
  • 大束小学校
  • 大平小学校
  • 笠祇小学校
  • 金谷小学校
  • 北方小学校
  • 都井小学校
  • 福島小学校
  • 本城小学校

交通[編集]

最寄り空港は宮崎空港

鉄道路線[編集]

串間駅

バス路線[編集]

宮崎交通が運行していた路線の大半は廃止され上記のコミュニティバスに置き換えられている。但し、市木地区については現在も宮崎交通の路線(幸島入口 -南郷 - 飫肥)が存在する。

道路[編集]

高速道路[編集]

市内に高速道路はなし。
串間市は東九州自動車道のルート上にあり、インターチェンジの建設が計画されているが、施工命令が出ておらず開通の目処は立っていない。2015年現在の最寄りインターチェンジは東九州自動車道の曽於弥五郎インターチェンジまたは宮崎自動車道都城インターチェンジ

一般国道[編集]

県道[編集]

主要地方道

船舶[編集]

最寄りのフェリー航路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

都井岬灯台
都井岬ソテツ自生地

百選[編集]

串間市を舞台にした作品[編集]

※ロケも含む

串間市出身の有名人[編集]

テレビ[編集]

串間市は鹿児島県との県境に位置することから、条件次第では鹿児島県のテレビ局を視聴することができる。宮崎日日新聞のテレビ欄には「串間」のチャンネルとして鹿屋中継局の番号が記載されている。 地上デジタル放送への完全移行に伴い放送波の出力が弱まったため、山間部において他県のテレビ放送波を受信することが難しくなった。また地域によってはmrtなどの宮崎県内を対象とした放送波すら受信が難しいこともあり、共聴受信設備を設けるなどの対応を行っている。 しかし、串間市中心部や本城地区などの開けた場所であれば、依然として鹿屋中継局の電波や鰐塚山送信所の電波を受信することもできる。

脚注[編集]

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  1. ^ それぞれのコメント。馬渕勉裁判長…元後援会会長を公選法に定める組織的選挙運動管理者と認定した上で 「市長が選挙違反を防止するための注意を怠らなかったとはいえない。」 / 元後援会会長… 「(市長を選挙違反で失脚させようとする)対立陣営に買収され、違法行為をした。」 / 野辺側… 元後援会会長が対立陣営に寝返ったもので免責事項に当たるとして連座制を野辺市長に適用しないよう求めた。
  2. ^ 法務省の見解
  3. ^ 宮崎・串間市長が失職/連座制の自治体首長で初 | 四国新聞社

外部リンク[編集]